はてなキーワード: ガッシュとは
mukudori69 これについて特に異論ないんだけど、ならば「少年誌内でセクハラや女性軽視を肯定しないで」という抗議にも正当性を認めるべきと思う/物語と子供の関係、このエッセイがすごく好き http://www.webchikuma.jp/articles/-/1617
2022/10/16
washburn1975 こういう「漫画は良い影響は与えるが悪い影響は与えない」みたいな話をする人は多いよな。ルパンを見て泥棒にならないのは、盗みは悪いことだという倫理観をちゃんと植え付けられてるからでしょ。 漫画 増田
2022/10/16
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221016032412
私、このお二人どっちにもうっすら賛成で反対という感じです。
違和感はどうしても残る。
だってそもそも元増田の話からしてすごく怪しいじゃないですか。
おめでたいじゃないですか。
この自称善人の人が実際にどんな人かなんて我々に計り知れないじゃないですか。
ただなんか、
そこで、ブコメ1個目の人は「この元増田に正当性を認めるなら反対側も認めよ」って話を始めている。
そうやって固い感じで話をするなら「どっちにも正当性なんかないです」って言うしかないと思うんです。
「漫画で正義を学んだから自分はいい人」って言ってるだけだから
もし間違ってても「うぬぼれ屋さん♪」で済む話だから別にいいんだけど、
もし「ガッシュはこのようにいい効果があるから社会制度で子供に読ませよう」まで言いだしたら
ちょっと待ってくださいそれあなたの感想ですよねってなるじゃないですか。
社会的に自分以外の人に押し付ける領域までいくならちゃんとしたエビデンスが要る。
漫画に「いい影響がある」も「悪い影響がある」も両サイドとも同じです。
自分の人生にいい影響があったーとか私はトラウマになったーとかまでなら主観レベルで言うのもご自由に。
ただ他者の感じ方を決めつけて社会的に読ませろとか読ますなとか言い出すならそれはエビデンスベースドの慎重な議論が要る。
「少年漫画に良い影響がある」も「少年漫画に悪い影響がある」もまともなエビデンスのある議論を見たことない気がするんですよ。
その話で結構喧嘩してる割にいつまで経っても意味のある議論に進んでいかないので、何なんだろうこの議題と最近は思います。
それにそもそも「漫画は」「少年漫画は」なんてそんな大雑把なくくりは到底無理であって
特定作品の特定の描写をまな板に上げて「これはどうか」ってレベルで議題にしないと
そこを非常に大きく括って「良い影響」「悪い影響」って言い合うのはもはや行為の意味が分からないです。
「映画は良い影響があるか悪い影響があるか」「小説は良い影響があるか悪い影響があるか」なんて誰も言わないじゃないですか。
なんで漫画だとそういう到底無理のあるスケールのくくりで議論っぽいことをしてるんでしょうか。
蛇足ですが、そもそも最近の少年漫画でそんなセクハラ肯定みたいな描写って多いかな?というのも疑問です。
私このところジャンプしか読んでないけどマガジンとかであるのかな?
その疑問を確かるためにも、悪影響を論じる人には具体的な「この作品のこのページ」ぐらいの解像度の話を聞きたい。
(元増田の話も具体的にどのエピソードでどう性格に好影響があったとかの主張が何もないのでさっぱりわからなくないですか?)
以上が私の違和感のまとめなんですが
みなさんはどう思われるでしょうか。
子供の頃に読んだ少年誌が正義感に与える影響はめちゃくちゃ大きいか、というのが論旨?
「めちゃくちゃ大きい」ってどれくらい?3割以上?半分以上?8割以上?
そもそも割合で言うべきなのかが合ってるかもよく分からんけど。
まあとりあえず、「18歳までに読んだ少年誌は正義感に影響を与える主要因になるか?」って読み替えとくか。
少年漫画と一般的に解釈される漫画は、18歳までにそれなりの数を単行本で読んだ。
これが論旨に当てはまるのかどうか。
とりあえず元増田はガッシュという単一の少年漫画で育ったと書いてるので、まあ単行本でもギリおけ、ということに勝手にしとく。
あと、「正しい正義感」って表現がなんかふわっとしてるので、元増田の主張に則って「善意を良しとする考え方」と読み替える。
自分の半生でもって賛成か反対かを述べて欲しいと書かれているので、反対する。
つまり「主要因にはなっていない」ということで。
一応18歳までに読んだ少年漫画を思い出せる限りで列挙しとく。
やべえ、思ったより思い出せねえ。
16歳〜18歳くらいまでは、もしかしたらジャンプ・マガジン・サンデーを不定期に買って読んでたかもしれない。買ったら載ってる漫画は全部読む派だったから、当時の3誌のタイトルとかあらすじは大抵分かる。
まあとにかく、これらの少年漫画は、というか少年漫画関係なく「あらゆる娯楽を直接的に享受する行為」は、善意を良しとする考え方どころか、考え方そのものにさえほとんど影響を与えてない。
この記事のタイトルに書いたように、俺は善意を絶えず疑ってかかっている。
善意ってのは自分から与える善意と、他人から与えられる善意があるだろう。
そのどちらも絶えず疑ってる。
今でもたまに思い出す。俺は小学1年生の頃から、「なぜか」人には優しくしようと思ってて、実際周囲に対してそのように振る舞ってた。
この時点ではもちろん、少年漫画なんて読んでない。
だけどその一方で、小学生時代には色々と悪いことをやってた。ピンポンダッシュとか、空き家侵入して(経緯は忘れたけど)ボヤ騒ぎ起こしたりとか、親のお金を財布から盗んで菓子買ったりとか、友達のポケカやゲームパクったりとか。とにかくひたすらシンプルに、純粋に悪いことだ。
同調圧力に関しては、ここ2年くらいでやっと克服できたと感じられるレベルになったけど、欲に関しては今でもものすごく脆い。
どれくらい脆いかっていうと、ゲームやりたくて仕事を無断欠勤してそのままバックレるレベル、無職で実家にいても(流石にお金出したり最小限の家事手伝いはするけど)ひたすらオナったりこうやって増田に張り付いたりして日々を過ごすレベルだ。
良かれと思って衝動的に起こした言動さえ、実は欲に由来してたって後から気づくことが何度もあった。それを見透かされて相手からはねつけられたことも何度もあった。
要するに、俺はこの抗いようのない欲と、これまでの半生そのものを主要因として、自分の善意を全く信用してない。
悪いことをする動機に比べると、善いことをする動機ってのは実に分かりづれえんだよ。
ふと頭の中に善意みたいなものが生まれることがあっても、実はそれ、欲に由来してるんじゃね?と考え続ける。で、突きつめるとやっぱり、漏れなく全部、欲由来だ。
小学1年生の頃の俺が、なぜ人には優しくしようと思ったか。それは単純に、好きな女の子がいたからだ。その子に振り向いて欲しかったからだ。少年漫画だとか関係ねえよ。本当の最初からずっと、その根源は欲なんだよ。くだらねえ。
俺に対して与えられる善意。
俺は俺自身を善人だと思ってないし、見た目や性格やコミュニケーション能力が魅力的な人間でもない。なので、初めて会った人やろくに交流してない人から善意を与えられたら、まず疑う。
世の中に善人がいるのは否定しない。だけど俺にとって、善人と、善意を隠れ蓑に俺を騙そうとしている人を見分けるのにはときに時間がかかる。だから考える。前者なのか、後者なのか。
疑いを向けたままその人と表面上親しくすることもある。こういうときは非常にストレスが溜まる。
必然的に、善意の由来が欲であると自覚していて、それを自ら開けっ広げにしていて、長い付き合いでその態度が真であると判断できる材料が揃っている人たちとの親交だけが残る。そういう人たちとはある程度本音が話せるので付き合いやすい。
唯一の例外は俺の父親だけだ。彼は、少なくとも俺にとっては紛れもない善人だ。
それよりも(これは悪意に関してもだけど)「そいつの言ってることが一言一句事実であるか?言動が理にかなっているか?」みたいなことが気になり、疑う。
身振り手振り、口調、表情、見て取れる感情、一連の言動などから、矛盾や嘘や破綻がないかをはっきりさせたくなる。
だから元増田にもこうやって突っかかっている。これも俺の一つの欲なんだろなと思う。
今回自分の欲に素直に従ったのは、悪いけど、自分のことを善人って言う奴のことは信用ならないからだ。
自分の善意は本当に善なんだろうか?自分は本当に善人なのか?そもそも善意ってなんだ?とか一生懸命考え続けてる奴の方がまだ信用できる。
※この記事の内容は俺の半生に基づくサンプルデータ1つのめちゃくちゃ主観的な話になります。ので、皆さんの半生をもとにこの記事に賛成もしくは反論して欲しいと思っています。
学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的に他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています。
そしてそういった心の在り方を美しいとも思っています。
こういった善意を良しとする考え方は社会一般で言う"正しい正義感"だと思っています。
(これが正しいかどうかは皆さん各々思うところがあると思いますがとりあえずそう定義してしまいます。なんせ全部主観の話なので)
この正義感がどこで培われたのかと考えました。
漫画に限らず、アニメやゲーム、ドラマなども同じような効果を及ぼすと思います。
こういった娯楽は「肯定的に共感し、追体験できる」装置なんじゃないかなと思います。
とりあえず"漫画"で通しますが、漫画を読む際、否定的な気持ちで見る人はそういないでしょう。
漫画は主人公を中心とした物語が形成されていて、ようは「他人の人生を追体験できる」装置になっています。
その追体験には「好意」と「共感」を伴っています。そうなると影響されることは容易いでしょう。
とどのつまり漫画を読むと「正義を成した主人公の人生に好意と共感を感じて、自分もこうありたい」「正義を成すことで人は結果的に成功する」となんとなく思うようになるわけです。(少なくとも俺はそうでした)
「ミステリーだと大体こういうこと言うやつは死ぬよな」の延長のようなものです。
少年誌というのは数多くの漫画が掲載されており、何人もの主人公の人生を時間をかけてじっくり追体験できるわけです。もはや洗脳じゃないのか?って感じです。
某少年誌は「友情・努力・勝利」を掲げています。つまり、明らかにこの仕組みを意識しているんじゃないかと思ってならないんです。
立派な教育じゃないかとさえ思ってしまいます。(オタクはそういう所がある)
なんか話がうまくまとめられなくて無理にしめちゃいますが、
結局のところ何が言いたいかって、子供を育てるときにジャンプとかサンデーとか読ませないと自分たちで倫理観を植え付けないといけなくなるよ?って事です。
ちなみに俺はガッシュで育ったのでガッシュの正義感を宿してます。ガッシュ2も始まったから皆読もうね。
結構自分の中でもいい線いってる論じゃないかなと思っていましたがやはりこうやって皆さんの意見をいただくとなるほどそうでもねえなとなるものですね。
非常に参考になりました。
連載当時から読んでいた。
漫画アプリの無料キャンペーン等で盛り上がっているらしく、ツイッターをしていても広告をよく見掛ける。そうしている内に不満がフツフツと甦り、どうにも吐き出したくなったので書くことにする。
当然ながら、未読でネタバレが苦手な人は読まない方がいいです。
金色のガッシュ!!は、ざっっっくり言うと『魔界の王になる戦いの中で傷ついた少女コルルと出会い、彼女のような者を出さないためにやさしい王様を目指す話』だ。いや、パートナーである清麿との出会いや仲間たちとの絆やバトル等々、この一文に纏められていない部分は勿論あるが、今から話すのは上記についてなので取り敢えずコレでいい。
そして、最終回がどういう風に描かれたかと言うと、『悪い現実、ひどい現実でも良くしようと話し合える大切さ(善心)を学ぶために戦いは必要』と纏まった。
…………いやいやいやいや。
理由がどうであれ、一人の少女が戦いによって傷付いたのは変わらないだろう。反省するためなら戦争をしていいのか? 作中の理論に乗っ取る(核兵器などの恐ろしい力から我々を守るのは強き心の力、だそうだ)なら『大きな戦争を起こす前に人と魔物が心を育てるため、この戦いがある』ということになると思うのだが、百人を救うために一人を殴っていいのか?トロッコ問題か?
やさしいとは。
ちなみに、作者のブログにて、作中で描かれた『少女は悪い別人格を植え付けられて戦わされている』は嘘で、元々少女の特性だったことが明かされているのだが、だとしても、暴力を嫌う性格の子供を戦いに参加させたことに変わりは無いだろう。もしかして別人格~が無ければ無問題だと思っているのだろうか。
というか、「やさしい王様がいてくれたら……こんなつらい戦いはしなくてよかったのかな?」の一言で、やさしい王を目指すのだから、まさか戦いを継続する(しかも肯定的に)とは思わないだろう。思ってた人いますか? 居たら相当慧眼だと思う。私は愕然としました。
個人的に、クリア回りにも不満がある(分かり合えない敵の記憶を消して転生って、しかもそれを笑いながら手紙に書くって、やさしいのだろうか……)こともあり、最終回でかなり落胆したのだが、どうなのだろう。盛り上がりようを見ていると、感想なんて其々でいいとわかっていながらも、自分が決定的な読み違いをしているのでは無いかと不安になる。この最終回で感動できないのはおかしいんじゃないか、のような。
結末に納得できるものならしたいし、不満に共感して貰えるならして貰いたいので、『感動できた』『感動できなかった』人たちと腹を割って喋ってみたいものだ。
やさしいってなんだろうなー。