棺桶とか墓を用意するか
アトピー自体のあり方に難治性かそうでないかがあるのではない。医者の言葉を医者の意図通りに理解できるかにそのアトピーが難治性になるかどうかがかかっているんだよ。
医者が、湿疹のところはステロイドも塗り湿疹じゃくて乾燥で痒いところは保湿剤塗りなさいと言ったとするでしょ?
しかしそんなこと言われたって素人にはその痒い場所が湿疹なのか乾燥なのか判断が微妙な場合がある。
診察時間に素っ裸になって頭の先から爪先まで痒い部位を一個一個指摘してこれは何塗ればいいのかと具体的に聞くことはできない。
どうしても限られた時間の中では類型論的なアドバイスを医者はすることになる。
でも湿疹一つ一つがどの類型に分類されるかなんて、完全に医者が判断するように判断することはなかなかできないんだよ。どうしても理解の不一致が出てくる。
医者の持つ言語感覚とほとんど一致してる人なら、言葉の出力と入力の関係が一致しているということだから、医者が自分の言葉に対して自己解釈してるように解釈できるから、ほとんど医者の意図通りの仕方で塗布することが可能となり、治るってだけ。
他の病気はたとえ薬の服用が患者任せでも、飲めばいい。注射すればいい。それされすれば誰しも医者の意図通りに薬剤の成分がひとまず体内には入る。
しかしアトピーみたいな治療が塗布中心になる病気は先述の通り医者が思う通りの正しい塗布の仕方ができないから、治りづらい。
いっそ一人の患者につき担当医一人ついてそいつが毎日全身の薬塗ってくれれば確実なんだけどね。
それが非現実的なら、作業療法士や放射線技師みたいな感じで、少なくとも薬の塗り方については完全に医者の判断と同等のレベルでどの湿疹にどう言う塗り方が有効か判断できる薬剤塗布師みたいな新しい医療従事者を作って、そいつが患者の代わりに薬を塗るようにすればいいと思う
男女平等や女性の権利向上のために活動している人達のこと全てをフェミニストと呼ぶけど、今回はXや増田で見かける「男性が優遇されているからその分女性有利にしよう」みたいな女性優遇を主に主張しているフェミニストに物を申したい。アダルトな表現の規制問題だとかは今回は除外ということで。
容姿は擬態のできていない女オタクと聞いて想像される一つ結びで触覚が太くて小太りなブス、あんな感じ。色々自分なりに変わろうとしても清潔感が無い、男で言うところの足掻いている低身長チー牛みたいな残念な存在だ。チー牛の方ごめんなさい。
そしてADHDとASDの障害があってコミュニケーションに難がある。中学から不登校で高卒、バイトは続けられない引きこもりで現在は障害年金と親に養われて暮らしている。
勿論、増田にいる貧困で苦しんでる弱者男性と比べるとすごい恵まれていることは間違いない。どこが弱者だと思われるだろう。ただ売春や結婚といった逃げ道は選びたくとも選べないという点から一般的な社会人と比べると弱者女性と名乗っても許されると思ってる。
本題に入るけど、最近フェミニストやフェミニストアンチが一般にも広がっていると感じる。前までは一部のネットの内輪向けみたいな深い意味のない女叩き・男叩きが多かったのに、今は連日至る場所でフェミニストやアンフェの炎上騒ぎが起きている。それも一部の同じ人間がというより、身近な友達とか声の大きな知らない人とかが平気で女叩き・男叩きにいいねを押したり積極的に主張したりしているのを見て、私は遅くも危機感と恐怖を感じた。
おそらく最初は真面目に男女平等を訴えていただろうフェミニストも、男女平等ならば女性の不遇だけでなく男性の不遇も正さなくてはいけないというアンフェも、双方に紛れ込んだ女叩き・男叩きの連中によって、もはや個人ではどうしようもなく男女対立が治らなくなってしまった。
双方の主張を穏やかに擦り合わせ男女平等を近づけるべきなのに、議論の最中に平気で暴言を吐き、それを軽率に持ち上げる今の風潮は何の未来のためにもならないし余計にストレスが溜まり対立が激化する一方だ。
お互い冷静でないからより過激な権利主張がもてはやされる。男女平等とは何だったのか、一方が得をする分もう片方の性別全体が不遇に沈むのは差別で不当だ。
どっちもどっちだが特に私は女性なのでフェミニストに怒りを覚える。彼女らが過激なことを言えばいうほど、また彼女らの女性優遇案にデメリットを考えず軽くいいねを押す一般女性の姿によってアンフェでない男性さえも女性に対して失望するのだ。勿論性別を入れ替えても同じことが言える。
若者の結婚否定派が増えたのもこの悪目立ちする男女対立が大きな要因になっていると私は思っている。
そして資本主義の日本は階層社会とまではいかなくても学歴とか属している社会とかによって同じような人と関わることが多い。
私の場合、障害や病気のある人、支援する仕事をしている人、引きこもりやニートで人生に強い不満を抱えている人が多い。当然その人たちは余裕が無いし普段ネットを見ている人が多い。
一般の人は多分公の場では大っぴらに性別叩きはしないだろうけど、私が関わる人たちはお構いなしに性別叩きをしだすし、何なら皆コミュニケーション経験が少ないせいかネットが異性の現実だと思っているのかもしれない。男性に仲良くしようと声をかけると、昔より意地悪なことや卑猥なことを言われることが多い気がする。ソースなしの感覚論で申し訳ないけど。
私は経験していないが、あるいは弱者男性も女性に意地悪や不都合を押し付けられたりされているのだと思う。ただでさえ色々足りない私達弱者が、周囲は敵ばかりと思ってしまうと自立の道が遠のき社会のお荷物状態がずっと続いて、普通の人の負担も増えると思う。
それに弱者こそ団結し世の中をサバイブするべきだと私は思う。結婚とか、友達とか。
フェミニストの行いで特に嫌なのは女性管理職を増やすために昇格の際女性に下駄を履かせろ、ただし育児中は周囲に仕事を任せろ、ってやつ。管理職で休んでばかりの上司なんて不公平で問題になるに決まっている。性別でそんなことを決められたら不当だし下駄を履くぐらい実力がない人が責任者になるのって女性にとっても不幸だ。
難しいかもだけど育児をするって決めた人は妊娠後から子供が小学生ぐらいに育つまではサポート体制が整った責任が軽めの仕事でそのあとはまたキャリア積みに戻るようにすれば良いと思う。子供が小学生超えても責任が軽めの仕事が良いって人は非正規に移るとか。
子供か出世か選ぶ女性と比べて男性はどちらも選ぶことがずるいっていう意見もあるだろう。その場合はキャリア積みに戻った際出世しやすくする補正とかをつけるように国が命令すればいいんじゃないのかな。出世したくない男性・女性は出世を断る権利があるかわりに会社は今より意欲のないいらない人材は辞めさせやすいように変えたら平等じゃないの。
子供も仕事も選べて能力や意欲ある女性が管理職になれる道が当然にあるのなら、管理職の人数に性差があっても男女平等であると考える。機会が平等だから。
人によって対応が変わるのは管理する人にとっては大変でも、行きすぎた女性優遇は後世での火種になるから避けたい。
周りの中の人との付き合いがなくなるわけでもない、死んだわけですらないのに(何ならVtuberになる前から配信してて繋がりがあるような人たちばかりじゃん)
なんでそんなにズーンと沈んだ空気になってるの?
るしあの時もそうだったけどさ
礼には及ばんでござる
おかわりいただけたでしょうか。書き直したのでぜひ読んでみてください。
自分でも書いてるが、本当に耐えられなくなるまで現職にしがみついて金貯めて投資してFIREでいいのでは?
ぬるい職場に慣れた身で転職したら、ほどなく鬱退職して病人人生のコースになりそう。
でも何もしないとボケるから、FIRE無職に飽きたら、儲からないからと諦めてた本当に自分がやりたいことに挑戦してみてもいいかもな。
16年と半年前、57歳になったばかりの2007年の9月に初めての投稿をしました。その2ヶ月くらい前から閲覧はしていた気がしますが閲覧履歴のようなものはないためわかりません。
ちょうどその頃、勤務していた会社で役員に昇格したばかりでした。法学部を卒業し新卒で入社して以来、ひたすら営業畑にいた私が役員になってから与えられたのは情報システム部を含むIT分野でした。
その10年前ごろから会社にパソコンが導入され始め、総務部門にいた同期が悪戦苦闘しており「大変そうだな〜」なんて気楽に思っておりましたが、まさか自分がそれらを統括する立場に置かれるとは思いませんでした。
IBMが主催する勉強会に参加したり、書籍を購入したり、パソコン教室にも通い、DELLのデスクトップPCを購入して大学生だった息子に助けられながら設定をしていました。
インターネットを徘徊する中で見つけたのがはてな匿名ダイアリーです。
結局半年足らずで外部の専門家を雇うことになり、お払い箱になった私は金融商品を取り扱う子会社の代表取締役を務め、そこもお払い箱になると取引先の名ばかり役員となって月に数回だけ会議の名目で仕出し弁当を食べに行き、65歳となる2014年に完全に隠居生活に入りました。
私が本格的にここを利用するようになったのはそれからです。
毎日のスケジュールは犬の散歩、朝食、昼食、刑事ドラマ、夕食のみです。買い物、旅行、ゴルフ、孫、会食などが不定期で入りますが、基本的に暇なのでここで皆様の投稿を拝見したり、社会問題、映画、音楽、歴史などについての投稿を行い皆様からのコメントを楽しんでおりました。
この時期に妻と隠岐旅行に行きましたが、それもここで隠岐の魅力を語る投稿を見たことがきっかけでした。探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。
後にTwitterやブログなども始めましたが、Twitterは見るだけになり、ブログの更新はされなくなり、継続的に利用を続けてきたのは結局匿名ダイアリーのみでした。
私が定年後もボケっとした生活をせず、さまざまなものに興味を持ち精神的なアクティブさを維持できたのははてな匿名ダイアリーのおかげです。
さて、私は大腸がんで苦しんだ祖父の介護で幼少期に苦労した経験がありました。そのため、かかりつけのクリニックにてビデオスコープ内視鏡が導入されたことを知った時から定期的に胃カメラ、大腸カメラを含む検査を夫婦で受けてきました。
しかし、2019年に最後の大腸カメラを受けて以来は検査を行っていませんでした。70歳になったし、息子夫婦の末孫の小学校の入学式を見たし、娘夫婦が仕事が終わるまで孫を預かるようになって忙しくなったこともあり毎年「来年でいいか」となっていたのです。
なんとなく覚えたみぞおち痛で昨年にクリニックを受診し、そこで行ったエコーで膵臓がんが見つかりました。超音波内視鏡ではなく通常のエコーで見つけられたので定期的に検査を受けていればもしかしたら早期発見ができていた可能性はあります。
とにかく総合病院で詳しい検査を行い、手術が可能だったため膵切除を行いました。
手術ができ、化学療法も行える状態であったため命拾いしたと思いましたが、医師からは「楽観的ではいられない」と告げられました。
医療の進歩によって、幼少期に見た祖父の壮絶な闘病とは比べ物にならないほど穏やかな生活を送ることができました。食事も取れていましたし、妻と買い物や旅行にもいけましたし、去年の誕生日も家族に囲まれて過ごすことができました。
しかし、年明け直後の強い背中の痛みで意識を失って以来、一気に体力が削られてしまいました。75歳の誕生日は迎えられそうにないです。妻は寂しがりやなので、私が妻を看取りたかったのですが、最後の最後に寂しい思いをさせてしまうことになりました。
体力のなさと慣れないiPadでの入力なので、これを書くのにも長い時間を必要としました。
今までありがとうございました。
本当に新鮮ならいけないことはないだろうけど大変なんじゃね