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はてなキーワード: 逆差別とは

2021-03-18

アジア系アメリカ人も懲りないね

アジア系差別判断へ ハーバード入試学生団体上訴―米最高裁

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021022600950&g=int

ハーバード大によると、米人口の6%に満たないアジア系入学者全体の24%を占めており、マイノリティー(人種的少数派)の中で突出。こうした現状を是正し、人種間のバランスを保つため、大学側が「個性」などの評価で不当に低い点数をアジア系入学希望者に付けていると原告は主張している。

少数派優遇入試めぐりトランプ政権エール大提訴するなど「逆差別」解消に動いたが、今年1月に発足したバイデン政権は2月にこの訴訟撤回アファーマティブ・アクションを推進したオバマ政権立場回帰している。

バイデンオバマが駄目と言ったら駄目なんだよ。

特にオバマ自身アフリカ系アメリカ人歴史を背負っているので、アフリカ系を加点する制度の大切さをよく理解していた。

2021-03-14

anond:20210314061713

これがマイノリティ逆差別ってやつだな

少数意見原則不利という考えを逆手にとった卑怯な考え

この考えを基にあらゆる逆差別肯定されてしまう。

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想(続き)

前半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213555

結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。

その上で、あくまでもそういうインテリ業界文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想感情表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラル原則からしても、非リベラルの人の表現自由制限するのは筋が通らない。ただしその表現批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。

しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界リベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別偏見にあふれているもの普通だ。

たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本はいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成視線の方である現在の目で見て、こういう川端康成視線女性蔑視的要素を含まないということは難しい。

また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニスト批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。

私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティ視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しか古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのり作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法保守派戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。

シグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。

小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉移民であり民族的マイノリティであるシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会成熟を示すものでもあるだろう。

しかあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラル発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である

ところで、私は川端康成太宰治作品差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版しろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成文章の美しさも、太宰治小説面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。

キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。

この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術総体として愛するならば、自分の嫌いな作品理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在視点川端康成太宰治表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。

ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかたかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点から批判作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。

最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。

しか人間感情というもの社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。

まず現状認識が違い、芸術世界リベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に文学芸術世界でまで政策議論場合のように感情排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学トランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶもの文学芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情思想避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。

また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的民族的性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情表現することを私は一律に非難したくない。被差別者表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識問題になるが、今の社会マイノリティマジョリティ攻撃するような表現公然と行えば、より危険さらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数マイノリティはそんなことをせず、むしろ感情抑制に非常に長けている。

BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制怨恨復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカ白人社会はすでに何度廃墟になっているかからないということだ。しか現実はそうなっていない。現実マイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。

ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。

2021-03-02

anond:20210302134201

あなたはLGBTを錦の御旗だとおもってて羨ましいとおもってる逆差別型のアホだということはよくわかりましたが

よくかんがえたらそれはおかしいということが自分でわかるはずです

そもそもおまえがいいだしたことだよ、KKOを好きで自称してるくせにいっしょにして尻馬に乗れるとおもうな

anond:20210302093544

なんかブクマ集めてるけど、納得できないわ。

だって現実では、かわいそうランキング権力勾配認定)でそんなにかわいそうじゃないとされてる奴らへは、嫌悪公言すら許されてるじゃないか

君がトラバで書いた内容は、「心の中で嫌う自由と、その嫌いを公言する自由は別で、公言する自由制限されるから気を付けよう」ということだと理解した。

ブコメでもはてなの外でもちょいちょい目にする理屈だ。

これが、現実で一律に通用してるルールならある程度頷くけどさ。というか昔は俺もそのシンプルな切り分けに頷いてて、他人をその理屈で説得しようとしたことすらあったけどさ。

でも実際には、あいつらに対しては嫌悪を表明してもよい、と扱われてる対象が沢山いるじゃん。

サムいダジャレをいう奴、仕事ができない奴、コミュ障アスペ傾向空気読めないオタクチンピラホストロリコンショタコンメンヘラアル中パチ中、服装ダサい奴やだらしない奴、体育会系オッサンバサン、デカくて腕力ありそうな奴、老害富裕層、強大な国家としてのアメリカ、など。(これだけあげた中には一個や二個反論が思いつくかもしれんが、それは俺が例示をミスっただけで話の大筋は覆らんからな)

サムいダジャレばっか言う人ってマジでキツいわ」「体育会系のノリが嫌すぎる、近寄らんとこ」みたいなのはTwitterに書いてもエッセイに書いても友達との会話で出てもほぼ問題がない。

たしなめられるにしてもマイノリティを嫌った時の猛烈な責められ方とは違う。

これって結局、権力勾配があるからマイノリティ弱者は手厚く保護されるべきだが、マジョリティ強者への保護は薄くしますよっていう、しょっちゅう非難されてる逆差別じゃないか

こういう話をすると、これからだんだんマジョリティへの攻撃嫌悪表明も咎められるようになっていくでしょうみたいに言う人もいるが、そんな理想的未来が来ることはまずありえない。

どんな層への嫌悪咎められる社会って、持続ができないだろ。一歩一歩地雷を踏んでないかかめるようなコミュニケーション日常からやるなんてコストがかかりすぎて崩壊する。

から「この弱者層への言及地雷を踏んだら致命的に咎められるので気を付けましょう、それ以外は強者だし言及地雷を踏んで咎められてもダメージ少ないのでリラックスして語っていいっす」という逆差別がどこまでいってもまかり通る。

おまけに弱者強者認定基準も胡散臭い

老化で鈍感になり、センス気遣い力が落ちたやつらは弱者じゃないのかい

ギャグ面白さはたまたま世間と違う好みに生まれ育ったんじゃなく自分意志で決めてることで、サムい人は「つまらないこと言うぞ!」とわざと顰蹙を買ってるから、そこら中で嫌いと言われるのが妥当なのかい

俺は、老化で足腰が衰えたり、たまたま男だけどバレエが好きに生まれ育ったりたまたま普通に話す時どもったり顔や体がゴツくて怖いのと近い、仕方のない要素だと思うけど。

(以前、センスが悪いなら黙ってればいいだけだろなんていう、ある種の人間楽しい会話への参加を求めず沈黙しろってヤバい抑圧を無自覚に書いてる奴も見たが)

もしも強者弱者認定がそこそこきっちりできたとしても、強者なら嫌悪公言されても受け入れろという非対称性を盾にした逆差別問題は残るしな。

それにしても、こういうかわいそうランキングの線引きや逆差別問題って指摘されすぎて、してる側の方が一つ覚えって言われそうだが、それでも問題が残ってるなら指摘されるべきだわ。


あと一応言っとくが、だから弾圧差別オールオッケーにしろとは言ってないぞ。

そういう趣旨だと思って読んでた奴は、正義vs悪とか差別vs反差別みたいな、白黒わかりやすイデオロギー闘争に夢中になりすぎだから自覚ときな。

逆差別なり恣意的弱者強者認定なりの問題があることを認めろ、そこを見ないふりした説教や説得はするな、そういう不誠実な説教の尻馬に乗るな、自分たちは正しく筋が通った考え方をしているという安心感を捨てて、「ワルモノ」からの疑問や反論があったらちゃん自分たちを疑え、それでも総合的に考えて犠牲はあっても断罪の剣をふるうべきと判断したなら構わないがその剣を振るうのは最小限かつ手加減するくらいの理性を持て、可能ならアフターケアしろ、という話だ。

こういうこと書いてる俺自身自分を疑ってないんじゃねえのという点については、その自問自答も入れてたらクソ長くなるので省略してるからな(自問自答が十分である自信は確かにないが)。

少なくとも今日の俺はまだわずかに世の中や社会に期待しているから、こういう立場だ。

まあ、この記事トラバしてるやつにはすでにすっかり絶望してもっと過激なこと言ってる増田がいて、俺はその絶望と諦めにも大いに同情するけどな。精神病調子が悪い時の俺はもっと破壊的な気分になる。



ブクマ元増田趣旨は「マイノリティを抑圧してはいけない」で、マジョリティへのヘイトは許されてるとは書いてない。お前の主張と何も矛盾しない。書いてないことを読み取るな。

書いてなくたって、マジョリティ強者(と認定された層)への悪口が甘く見られている現実は目を開けりゃ見えるだろ。

いわば議論の前提だ。

紙幅にも文章書く元気にも限りがあるので何もかもカバーした話をしろなんてことは言わないが、強者叩きは許されてる現実があるってのは重要だろ。

不都合からって重要な要素への言及を避けて、都合のいい部分だけ使って綺麗な断罪の剣を研ぎあげる、その輝きに人々が群がって正しいと持て囃す、そういうことのズルさと危うさを問題視してるんですよ俺は。

2021-03-01

出羽守というのがいたなと言う

海外ではこう!だから日本は遅れている!という人たちな。

ちょっとパートナーという言葉が眼に止まったので書いてこう。

まず、行政於いては「一括した呼称を用いるためにパートナーという」

一方で、ワイフやハズバンドという言葉を使うことは「どうぞご勝手に」という立場だ。妻をワイフと呼ぼうが、夫をハズバンドと呼ぼうが誰一人として「遅れている」なんていう人はいない。

当たり前だ。パートナー以外認めないとかい逆差別は認められない。

日本にいて伴侶をパートナー以外で呼ぶことに不快感を示す人はこの現実をまずは直視したほうが良い。

その上で「私は妻と呼ばれるとタイミングによっては燃え上がって死ぬ病気なので、パートナーって読んでほしい」とでも言えば良いんだ。

2021-02-26

anond:20210226135243

暴力を奮うやつが障害者であることを理由対処できないのは逆差別以外のなにものでもないだろ。

差別はい言葉で、「逆差別」は悪い言葉という風に、

表面的な理解しかしていないかとんちんかんなことを言ってしまうんだ。

浅いぞ。改めろ。

anond:20210226134100

日本語が読めないのか?

暴力対応できない逆差別が行われているのが差別の源泉だという話で、

その結果として生じる差別については何も言及されていないだろ。

2021-02-14

毒解力ないので私の解釈はこうなったが、世界批判しているのだから

会長失言女性蔑視世界を巻き込んでいる。

しか小学校から国語が苦手な私はイマイチよく理解できていない。

何が蔑視されていて、だれが傷ついて、損害を被っているのだろうか?

嫌な気持ちになっているのは誰だろうか?てんでわからない。

きっと、こういうことを書いたり聞いたりすると、だから駄目だとか、わからないやつには何言ってもダメ

っていわれるだけなんだろうなぁ。。。でも書いちゃおう。

以下全文と言われているもの

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これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。

     → 能力じゃなくで性別で枠が決まっている。逆差別?でも放っておくと男性だけになることも考えられるので、ジレンマだよね。

だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります

     →よくここを取り上げられているけど、時間がかかる事実であって、議論が進んでいるのでいいともいえるのでは?受け手問題

これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。

     →恥というのは確かに良くないかもね。流れから言うとラクビー協会女性理事が原因のようですね。

女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います

     →5人でも10人の働き、発言をしている。問題生産性があるか、建設であるかどうか

 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。

     →優れていると褒めている。この社会競争意識が強いのはいいことですね。

誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。

     →特にスポーツ関係で言えば女性に限らずそうだろうと思う。

結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、

女性を必ずしも増やしていく場合は、発言時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、

誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります

     →森さんじゃない誰かが言ってたのね、ここで言うと森さんが言ってるように聞こえるね。

      でも時間は限りがあるので女性をいてもいなくても時間は守らないとね。

 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます

     →組織委員会女性はそれほど話が長くないということですね。時間を守っていい感じに運営できてるとのこと。

みんな競技団体からのご出身国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、

そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。

     →生産性のある建設的な話をして役に立ってくれているので、また女性を選びたいよ。

ん??まあ、確かに女性は話とあるけど、昔っから女性はそうだったような、もちろん全員じゃないですがうちの母ちゃんも近所のおばちゃん

えんえんと話してたし、うちの嫁もピーチくぱーちくいうし、近所のおばちゃんも外で平気で2時間はしゃべり倒すしなぁ。。。。

昔の感覚でひとくくりで言うのはよくないが、蔑視??低く見てる??っていうのは当てはまらんような、最後は褒めてるしなぁ。。。

そういうもんだよね、、、、が間違ってるとは思うけど、蔑視まではいかなと思う。まして辞職なんて、

 こんなんでメンタルぶれるなら女性社会進出は無理じゃろ?最後女性を選びたいって言ってるのにさぁ

多くの女性忖度しながら発言しなきゃいけないなんて、生きづらい世の中になったなぁ。。。

2021-02-05

anond:20210204191805

米国の名門大学アジアン受験生のためを思って肌の色を理由に落としてくれる。

ガリ勉人生無駄にするのは止めよう、それがメッセージ

ポリコレ方針転換した米政府もそれこそがアジアンのためだと認め、くだらない裁判を中止した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020400350&g=int

米名門エール大による入学選抜での黒人優遇が、白人アジア系への逆差別に当たるとトランプ政権が訴えていた裁判で、米司法省は3日、訴えを取り下げた。人種問題への取り組みで、前政権から方針転換を進めるバイデン政権姿勢を示した。

2021-02-04

女性理事を「数合わせ」で増やして何が悪いの?

森元総理の会見を聞いてみると、森さんの言いたいことっておそらくこのことだと思った。

最初から女性理事は何人」と決めてしまうと、数合わせのために変な女性が入ってしまうかもしれない。

数合わせのために女性理事を入れる→「逆差別だ」と批判される→逆差別だと批判された女性理事挽回しようと必要以上に頑張る→会議が長くなる

かに数合わせは良くないことだけど、男女平等理想を実現するにはある程度無理矢理に女性を増やさないとどうにもならない点もある。

そろそろ日本男女平等も、アメリカのように強制力を持った段階に移行するべき。

2021-01-10

1.男性給与女性給与では3割近い格差がある。

これは主に女性専業主婦になるなどベテラン層の層が男性より薄いことに起因しているが

とはいえ女性顧客の客単価が男性顧客の客単価より3倍多い

といわれたばあい

もうすこし男性顧客単価を上げて、売り場面積に対する共通費用を3割程度は男性側が負担するほうが社会通念にあっている。

 

2.消耗品はしらないが、売り場面積負担に対する、男性の経費(費用負担)が少なすぎる。

これは男性として、逆差別であるから許容できない

男性差別を許容しないから、逆差別も許容しない

2020-12-16

DHC

日本人に対して逆差別していないというメディア企業は石を投げていい

2020-12-11

anond:20201211031455

うーん。

貧乏のせいで生きづらい、なら、その社会には経済的差別存在するということか。それを解消するため、金持ちから余計に税金を取ると、今度は逆差別になるのか。

貧乏と金持ちが社会的に固定され再生産される構造がまかりとおれば階級社会であり、これは差別か。

それを解消するため、たとえば成人後は「学力」を規準シャッフルされる社会なら階級は消えるが、その場合貧乏まれには利益が多く、金持ちまれには不利益が大きいことにはならないのか。これは逆差別にならないのか。

そしてまた、その世界で、たとえば財産有意に相関するのが学力だけなら、それは学力規準とした新たな階級社会に過ぎないのではないのか。(←最近増田議論されているのが、つまりコレだろう。)

難しいね

2020-11-24

時代が変わってしまった

2020年女子スポーツの終わりという記事の反応を見て、

昔(20年くらいまえ?)ならば、生まれ性別で男女を分けることに異論はなかったと思う。

■ はてぶ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tarafuku10/status/1330816794697863168

togetter

https://togetter.com/li/1627364#matome

はてなブックマークの反応では、性自認ジェンダーで分けることを当たり前というコメントが増えてきているようだ。

個人的には、特殊遺伝子対応できないという問題はあるにせよ、生得的なセックスが基本に基づいてスポーツを分けることは、妥当と思っている。

女性優遇による男性への逆差別の次は、

トランス優遇による女性への逆差別

生きづらい、息苦しい世の中になってきた。

LGBT の人を無碍に扱うつもりはないが、ジェンダーは人を幸せにするのだろうか。

2020-11-10

anond:20201110163148

その論理でいくと白人黒人のフリしたら色々な逆差別受けられたりするんだけどそこんとこどうなの

2020-09-29

黒人可哀想で仕方がない

ティンカーベル役に黒人を起用しただけで逆差別ポリコレだとか言われるとか自分だったら泣いちゃう

2020-09-21

実際、ストーカー可能性を疑われる

などはあるから

男性としては可能な限り女性とかかわりあいになりたくないが

逆差別はあるから

とはいえ、余計なことで関わり合いになりたくないという人ほうが増えている

2020-08-16

イェール大の問題で騒いでるアジア系なんなん?

よくあるマジョリティの「逆差別」絶叫発狂キャンペーンだよなあ。

インド人中国人だけで世界人口のどれだけを占めているか自覚しているのだろうか。

2020-07-29

公式による推し冷遇が酷すぎるのでジャンル降りる

ふと、これまで推し推していて良かったと思えた事より、辛い思いをした事の方が多いのではないかと思った。そうしたら、あんなに好きだった推しへの熱が、急激に冷めていくのを感じた。

以下は全て、当該ジャンル所謂キャラカタログジャンルである事を前提に記述している。

①全てが後回しにされる

キャラクターがいくつかのユニットに分けられ、基本的ユニット単位で展開するジャンルなのだが、自分推しはあらゆるジャンル展開がいつも後回しである

コラボアイテム第一弾のユニットのもの需要過多で炎上し、第一弾分の再生産のために推しユニのいる第二弾もあわせて延期。舞台も後回しにされた結果、コロナで延期。コミカライズ封入特典も1巻のラインナップに推しはおらず、2巻の発売を心待ちにしていたら、2巻には全く異なった別の特典がつくと発表された。結局推しの特典が付いたのは3巻、1巻の発売から1年弱経っていた。3巻発売までに、多くの同担ジャンルを去っていた。

いつか来ることは分かっている。分かっているのだけれど、供給で盛り上がる他担を尻目に耐え忍ぶのは、あまりにも辛かった。

推し担当声優が出演しない

担当声優のウェイトが大きいジャンルであるキャラクター主体コンテンツの展開はあまり多くなく、声優本人が登場するライブ生放送が、ジャンルの一翼を担っている。

しか自分推し声優の出演率はダントツで低い。他キャラ声優は最低3回ずつは生放送に呼ばれているのに、推し声優が出演したのはたった1度きり。推し声優を除いた全員が集まった生放送さえあった。

推し声優は、正直ジャンル内の声優の中では一番勢いがあり、瞬間風速で言えば最も人気のある声優だ。かなり多忙なはずで、彼が出演できない事自体しょうがないと思う。でも、ファンとしての想いはついていかない。また推しは出演しないのか…と、何度落胆したか、覚えていない。

そしてライブ推しの持ち曲は当時の登場キャラの中では(同率もいるが)最も少なく、従ってライブにおける推し声優の曲数、即ち出演時間も最も少なかった。MCを多く振るなどして声優ごとの出演時間を揃えようとかい配慮は一切ない。私はもちろん現地参戦したが、ステージ上の推し立ち位置から私の席が遠かった事もあるが、ライブにおける推しの印象が余りにも薄くて、終了後、異様に虚しい気持ちになってしまった。

ソシャゲ逆差別しか思えない扱いを受けている

これが今回ジャンルを降りようと決意した決定的な要因だ。

この春、ジャンルソシャゲサービス開始した。ただでさえ公式供給が少ないジャンルであるので、最初推し新規ストーリー新規イラストが定期的に見られる事がとても嬉しかったし、もちろん課金する気でいた。

しかし現状、推し露骨冷遇を受けている。今日時点で、これまで開催されたストーリー付きのイベントは5回、ストーリーはそれぞれ8話で構成されているが、推しが出演したのはたったの2話。それも、うち1話はスチルもボイスもない、台詞のみの出演。因みに最多のキャラは19話登場しているらしい。そしてイベント限定の最高レアカードが1枚も出ていないのは、全キャラ中で推しだけだ。こちらも、多いキャラはすでに3枚もらっている。

実はソシャゲでは、推し以上に冷遇され、カードストーリー出演も殆ど無い他キャラもいたのだが、本日から始まったイベントでメインとなった事で、現在推しの不遇さのみが浮いている。因みにその他キャラは本編展開では出ずっぱりで、トータルでの出番は私の推しよりずっと多いキャラである

なぜ私の推しけがここまで不遇な扱いを受けなくてはいけないんだろう?正直運営推しアンチである以外の理由が思いつかない。確かに推し大人気ではないが、一方で1人だけここまで冷遇されるほど、ダントツの不人気キャラでもないと思っている。正直ジャンル自体斜陽の今、キャラ人気格差は縮まっている。

ソシャゲ運営は私の推し露骨冷遇する一方で、排出率を今時珍しいほどに渋く設定した人気キャラガチャを立て続けに導入している。当該キャラ推しから聞こえてくるのは歓喜の声ではなく悲鳴だ。そんなに連続してガチャを出されても、ガチャを回すだけの資金を用意する事はできない。当然、売上は下がる一方だ。推しガチャが来れば回さずにおれないファン心理を利用すれば、楽に金を稼げるだろうと、頭の悪い運営を続ける運営会社には殺意しか湧かない。

まあここまで詳しく書いてしまえば、少しジャンルに触れたことがある程度の人でも容易にジャンルキャラ特定できてしまうだろうが、別に特定されても良いと思って書いているか問題ない。ただ怒りを吐き出すために書いているので、文章をまとめようとかいう気もさらさらない。

「言うほどお前の推しけが不遇とかねーよ、公式はなんだかんだ言って気を遣ってる」「良曲と良MVもらって何言ってんだよ、自分推しの方が不遇だわ」「新キャラの出番こそ少ないんだからまれてる方だろ」みたいな反論を抱く人がいる事も想像できる。

私はただ、自分が「推し公式から、優先度の低い、別に出番を作らなくても問題ない存在であると思われている」と思い込んでしまっている事自体が悲しく、悲しい思いをするのならば、あくま人生の片手間に楽しむ為のものである娯楽として相応しくない、と感じられてやまないのである

2020-07-15

anond:20200715103235

もし、全体の比率視点特定属性人間特定の描かれ方ばかりされていることが差別だと思うのなら、そう思う人がそれ以外の書き方をして自分比率を正せば良いんだよな。

個々の創作者には全体の比率まで考える義務はない。

凶悪犯罪者ばかり出てくる殺伐ストーリーや、心優しい人ばかりが登場するほんわかストーリーがあるように、男を襲うゲイばかりが出てくる作品があったって良い。

それを容認しないのは逆差別

2020-07-09

anond:20200709161007

ポリコレジュース飲んじゃった奴は逆差別とか言ってるレイシスト腹立つわー死んでくれーとか言い出すからなぁ

2020-06-29

anond:20200629103243

有色人種逆差別(人種で分けてるから逆でも何でも無い)と差別反対派のネトウヨ呼びしなけりゃ優しくしてやらんこともない

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