はてなキーワード: 社交辞令とは
「今度ごはん行きましょう!」
「あ、あぁ……(うわぁ、行きたくねぇ、でも行ったほうがいいのか?ほかの人間入れてならありか。うわ、誰だろう?ってか、昼?夜?お互いなにも生まれないだろうしなぁ)……ははは、そっすよねぇ」
「え?」
「いやぁ……(なにかってなんだよ。ってかお互いの仕事そんな知らんだろ。うわぁ、でもあとあとなにかに繋がるんかな?今まで繋がったことないけど。繋がらんよなぁ。お前も名刺渡しただけでなにを受注しようとしてるんだよ。俺が地雷案件押し付けるやばい奴だったらどうするんだよ。ってか、いやぁって言っちゃった。否定の接続詞じゃん。もう終わった)……あ、ありますよねぇ」
「はぁ?」
俺の大学の同級生もそれで、毎年年末になると連絡を送ってきて、別に頼んだわけじゃ無いのに店の予約とかしてくれてたんだ。
飲み会とかならいつでもできるし、わざわざ年末の忙しくて騒がしい時に行く意味なくない?てずっと思ってた。
でもそいつがすごい熱心だし、そこまでしてくれるならまあつきあってやるかくらいの気持ちで参加してたんだ。
まあ行ったら行ったで、他の元同級生にも会えるし、近況とか聞けて同窓会がわりになるというのは確かにあったから。
きっと落ち込んでるだろうなと思って、たまにはこっちから「今年の忘年会どうする?」ってラインしてみたんだ。
そしたらそいつは「今はそんな気分じゃ無い」って怒りだして。
俺だって他のやつなら気を使ってそんな連絡はしないんだけど、そいつはいつも忘年会ですごい楽しみにしていたから、話をふったら気持ちが明るくなるかなと思っただけなんだけど。
まあもうちょっと様子見た方が良かったのかなと反省はしてたんだけど、そいつは二、三日してから突然忘年会のメンバーのグループチャットに
「20年忘年会の予約係で疲れた。あとはみんなで勝手にやってくれ」的なメッセージを爆弾投稿。
こっちは「は?」って感じだよ。
だって俺は正直行きたくないなと思いながら付き合いで行ってた立場なのに。
他の奴らだって多分そんな感じだよ。
それで返信どうしようかなと迷ってて。
そいつの病気のこととか考えて、本心は言わずに「予約係させて悪かったな。これからは俺も予約手伝うよ」
的なことを社交辞令として言えばいいのか。
でもさあ、ここでそういうふうに言ったらますますそいつが勘違いしてしまうような気もして。
ここははっきり「正直そんなに行きたくなかったけど、お前がすごく熱心だったから、それじゃあ付き合ってやるかぐらいの気持ちだった」と言った方がよいのか。
その方が、もしこれからも長く付き合いを続けていくつもりなら親切なのかなあ。
だって予約係とかいうけど、こっちだって20年付き合わされてきたんだ。
病気とかになってどうするんだろう、見舞いにだっていこうと思っていたのに。
どうしたらいいんだろうな。
「生きていて欲しかった」
800人の患者のうちの一人として5分間診療で薬もらう程度の仲で
飼っていた犬とか猫とか
経済効果をもたらしてくれてたとかなら
悲しいのわかるけど
もしも自分にほんの少し関係ある程度の人の死にもグリーフケアが必要なのだとしたら
みんな仕事を休んでカウンセリングでグリーフケアして生き方を変える文化にしていかないといけないよな
そんな頻繁には無理だとは言わせない
その気になれば「ウクライナに寄り添う」くらいのことはできるはず
もしも本当に寄り添うと言うのなら経済援助もできるはず
「生きていて欲しかった」
日頃のセッションの前後とかにありがとう、いつも楽しいよって言うのはいい。むしろそうあるべきだろう、一緒に遊んでいるんだし感謝を伝えるのはいいことだ。
Xでハッシュタグつけて自分のこと褒めろだの好きなところ教えろだのと強請って、無数のフォロワーの前で中身のない応酬をかまして、コミュニティの中全員がそれをやるように仕向ける。
そんなことまでしないと承認欲求を保てないのか。TLを占拠するやり取りするくらいなら個別DMに籠ってくれ。そうして永遠に馴れ合うといい。
もしタイムラインのフォロワーに見せつけるためにやってるのなら、お手上げだ。
また、何の取り柄もないTRPGプレイヤーを褒められる理由が声しかないからなのか、社交辞令で褒められてるのを理解せず探索者ボイスなんてのを上げてしまう人もいる。
探索者ボイスでシナリオタイトルコール読み上げとか、素人が気取って無理に低音出そうとして事故が起きているものばっかりだ。一つ二つ聞けば自ずと怖気が立つ。
それが周りから祭り上げられたのがきっかけだったんだろうか、素人の「探索者歌ってみた」なんてものを見た日には仰天した。底辺歌い手よりも酷いものを満足げに公開して、自陣にお見せして、「解釈が」「RPが」とか言われて喜んでいやがる。
そんなの君の歌がボロボロでも送られたほうは褒めるしかないだろうが、一つしかない自陣なんだから。
ボイス、歌ってみただけじゃない。小中学生のころに書いてそうなカッコ書きの「SS」を「これがうちの子の解釈です笑駄文ですけど笑」とか言って送り付けたり。うちよそしたいばかりに自探索者だけじゃなく他人様の探索者まで巻き込んだり。先のフォロワー褒めてと似た事案だが、探索者の好きな所上げろタグ、知りたい探索者いますかタグもそうだ。
同卓したPCについてリプしなければ好きなところがないのかと角が立つし、同卓してもいないPCの長語りなんて誰も求めてない。
そういうものは一概に、探索者というもの、CoCというものを通して承認を強制するためのテロということを理解していないのか。
大方、その当人との関係性を壊したくないからおざなりに褒めてるだけだ。文面上だけでなら何とだって言える。真顔で薄っぺらい褒め台詞を書いてテンション高く絵文字で飾れば良いだけだ。
こんな表面ばかりの承認欲求にしがみつくためだけに、卓を詰めることに固執する「卓修羅」なんてものもいる。
だいたいが自分のキャパを理解してない人ばかりなので、卓には寝坊するし遅刻はするし体調は崩す。そのリスケは数か月先で、「すみません卓修羅で」と言って悪びれもしない。考えてもみろ、一般にTRPG以外の予定を優先に考えていれば「未来日程で」と言われたって半年も先の日程を確保できるはずがないだろう。自分が良くても他人の都合があることを知れ。人の時間を長期間確保するというリスクを考えろ。
しかし、卓修羅たちはその底なし沼のような承認欲求を満たすために卓日程を入れつづけ、知らないうちに自身の健康も精神状態も火の車のような状態になっていく。そこから生じる精神の不調、所謂「病み」も、手っ取り早く承認欲求が得られる卓や、インターネット上のコミュニケーションで満たそうとする。他人に自己承認テロを仕掛けていることに気付かず、しきりに嘆いては慰められ待ちをする。
うんざりだ。こういうのが普通の顔をしてのさばっているから、それが普通だと感覚を狂わせてしまう人もいる。
そこまで承認欲求に囚われてそれを求めるためだけに行動してしまうのは、もはや精神病ではないのか。自分の限られた可処分時間を卓、卓に付随するコミュニケーション、卓準備にすべて費やしてしまうなんて立派な依存症だろう。病院に行った方が良いのではないだろうか。
彼ら彼女らに日常に満たされるところがないのか、卓体験が手っ取り早く承認欲求を満たせてしまうツールだからのめり込んでしまうのか知る由もないが。
TRPGのオンセなんて所詮はインターネット上で完結する希薄な関係で、相手がどれだけ褒めようと自分の人生に責任を持ってくれるわけではないことを自覚的に、自省的に行動すべきだと思う。
アカウントを消してしまえばすぐに縁は切れる。自分のことを無条件に承認してくれるフォロワーがいるからって都合よくはけ口に使うなよ。優しいことを言ってはいても、本心では卓修羅の行動に呆れかえっているかもしれない。依存先に使われるのが耐えられなくなって、いつ消えるかだってわからないのに。
依存先を多く持つのが自立だというのはよく言ったものだ。卓だけを依存先としてべたべたと自己承認を求めるやつにはロクなのがいない。
この界隈はそんな自己承認欲求モンスターが跋扈する地獄、早くおさらばするが吉だ。彼ら彼女らの都合のいい依存先で居続けるのは、大変な労力を要するのだ。
3年と少し前「医学部なんて入るんじゃなかった」という文章を漠然とここに投稿した。進級がかかった試験の直前だった。涙をぽろぽろ流しながら、カフェの端の方の席で書いたのを覚えている。
まだエントリは消していない。事前にそちらを一読してから読んでもらえるとよいかもしれない。
「医学部なんて入るんじゃなかった」は、バズるというほどではないけれど、ネットの隅で少しだけ話題になった。あたたかい意見も厳しい意見もたくさんいただいた。あれからいろいろなことがあった。もし自分と同じように苦しんでいる人がいるとするならば、後日談まで書かないと誠実じゃないじゃないか、と思った。マッチングや卒試にも目処がついたので、国家試験の勉強の息抜きも兼ねて、自分の現在地を記しておく。
どこから書くべきか迷っているが、過去の記事と照らし合わせて丁寧に近況を綴っていこうと思う。
まず「医学部なんて入るんじゃなかった」とかつての自分は息巻いていたが、結果的には、心境に変化が生じたというか、医学部も別に悪くないと思うようになった。医学教育の賜物かもしれないし、苦楽を共にした学友のおかげかもしれない。かつての自分の状況を考えれば、驚くべきことだと思う。
思うに当時の自分は、人間というものに対してずいぶんと悲観的になってしまっていた。コロナ期間が長かったことも大きい。けれどもあの記事でいただいた意見を参考にして、人間に絶望せず向き合うというか、積極的に交流を図ってみたら、自分と同じ痛みを抱いていたり、同じでなくとも大変な状況をくぐり抜けたりしている子が意外に多いことを思い知った。ノートを見せてくれたり、塞ぎ込んでいる時に一緒にスタバを買いに行ってくれたり、何だかとても優しい子が身近にたくさんいて、シンプルに驚いた。自分は一人ではなかったし、今となっては勉強部屋で毎日楽しくやっている。
再受験の同期たちの存在も大きかったかもしれない。彼らは大人の視点から自分の悩みに向き合ってくれたし、家庭環境に引くこともなかった。
振り返ってみれば「人に恵まれた」に帰着するのだけれど(友人たち、先生方、本当にありがとうございました)、歯車がひとつでもずれていたら、どうなっていたかわからない。人生は意外に上手くいくし、意外に上手くいかないこともあるし、そのハンドルを握り続けることは容易でないという気づきが、唯一の学び。
続いて、家庭について。家庭は、残念ながら崩壊した。おいおい、と思う人もいるかもしれない。熟年離婚というやつだ。ただ、養育費は卒業まで出してくれることになり、母方の家庭も長年の苦労を見透かしてか、支援をしてくれている状況だ。臨床実習が始まるころに手続きがだいたい終わった。
あれだけ絶対的なものだと信じていた権力機構が、いとも簡単にバラバラと崩れていくさまに、気持ちよさを覚えなかったかといえば嘘になる。清々したし、寂しさはない。薄情かもしれないが、しょうがない。
趣味は相変わらず楽しくやっている。とても上手くいっており、その道の友人もたくさん増えたし、努力すればするほど報われる辺り、今までの人生の苦労のお返しを、急いでもらっているようにも思われる。就職は関東なので、今よりずっといろいろなことがやりやすくなるだろう。
もう「欠陥品」と呼ばれることもない。勉強や趣味はそれなりに頑張っているし、プライベートもそこそこ楽しくやっている。健常な人間に「擬態」しているというと穿ち過ぎだろうか。
残念なことに、自己肯定感の低さは治っていない。褒められたら社交辞令と反射的に判断してしまう。けれども今の私には、それを笑顔で受け止める分別がある。
こと異性関係においては、どうも以前の良くない自分……過剰に怯えがちで人間を信頼しきれない自分がほの見えるようで、現在お付き合いさせていただいている人に、それを茶化されることもある。根本の問題は治ることはないと思う。全てのこころの問題が離婚程度で治るなら、私は今こんな文章を書いていない。離婚の事実自体に苦しめられることもある(自分も原因の一端を担っているはずなので)。
そうそう、以前のエントリをあげた時、「あなたはどこに行っても上手く行かない。あなた自身に問題がある」といった内容の言及をいただいた。それは本当にその通りだと思う。私は人より落ち込む頻度が多いし、落ち込み具合もひどいものがある。特性は一生十字架として背負っていくほかないのだ。一方で、当事者にダイレクトに当事者たる要素をぶつけることの暴力性に関しては、少しばかりの思慮が必要だと考える。
どれだけ歪んだ形でも「大学に通えたこと」には感謝している。卒業を目前にして、特にそう思う。世の中には寝食さえままならない被虐待児が多い。辛さは比較するものではないけれど。
というか、過去の自分、かなり荒んでいて驚いた。もし私と同じような子がいたら、大丈夫だよ、と肩を叩いてあげたい。世の中は思ったより悪いところじゃないし、どんなコミュニティにも気の合う人は存在する。視野を広く持って、絶望しすぎないで、どうか、家庭以外の安心できる居場所を見つけてほしい。
将来何になりたいかは、まだあまり決めていない。志望科は内科だが、精神科にも興味がある。かつての自分みたいな子供の、絶対的な味方でありたい。
何だかふわふわとした文章になってしまいましたが、以前私にいろいろと言葉をかけてくださった方々、どうもありがとうございました。
同職種の人でしたら、いつかどこかでお会いできるかもしれません。
本当に、ありがとうございました。
すぐに否定から入る人は、いったい何を考えているのか。 | Books&Apps
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[B! 心理] すぐに否定から入る人は、いったい何を考えているのか。
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「そうですね」っていうと心が削れんのかアスペ共。
それぐらい言ったところでオメーの価値なんか毀損しねぇよ雑魚。
社交辞令ってのは、オメーのためでもあるんだよ。
「そうですね」の今のオメーじゃねぇ。未来のオメーだよ。未来のオメーが苦労しないために、たった今「プライドを気にせず『そうですね』って言っておく」んだよ。
ホントネットのアスペ雑魚はどういうわけか1から100まで「俺が是」でなくちゃ生きていけない。
議論だったら全力で挑め。でも手加減はしろ。未来のオメーのためにな。
特に! 伴侶と議論はするな。議論は負けていい。未来のオメーのためにな。
恨みってのは長いぞ。
ここの米欄で非モテ陰キャは自信がないから女に話しかけられないとか言ってるのが目立つけれど、
いや、非モテ陰キャと思われる男性が女性からの社交辞令を好意と取り違えて事件を起こしたニュースが沢山ありますけれど?
なんで自称非モテ陰キャ・自称弱者男性ってこうも人格面に対する自己評価が異様に高いんだ?
あと、話し相手の女性の愚痴がモテ自慢だと思う神経も分からん。
相手から好きだと言ってこられたという愚痴ならばモテ自慢かもしれないけれど、そうじゃなくてあくまで俺の事好きだろうという勘違い丸出しの態度を取られたって愚痴でしょ
それはモテ自慢とは違うよ。
女友達から「なぜ男は自分が好かれてる前提でコミュニケーションとってくる人が多いの?」って聞かれたがそれは男女とは関係ない傾向なのでは?となった
マイナーでほとんど知られてないような映画を答えると、ドン引きまでは行かずとも話題は広がらないしとても寒い空気になるので、ある程度有名で無難なものを言っておきたい、という気持ちはわかる。
映画でも音楽でもそうだが、本当に好きなものを言って「へー、そうなんだ〜…」で会話が終わるよりはまだ無難な答えのほうがましだと思う。
「それってどういうものですか?」と聞き返されたとしても、相手は社交辞令で聞いてくれているだけで一切興味無いだろうし、そこで長々と説明するのも申し訳ない。好き故につい説明が長くなってしまうだろうから。
勿論、マイナーな映画も知っている相手なら本当に一番好きなものを言う。そうではなく、単に会話の話題として出ただけなら、無難な答えを言う。
例えば、そこのあなた。「普段ネットで何見てます〜?」と話を振られて「増田見てます」と言えるかどうかですよ。「増田」の説明からしても相手はドン引きか「へ〜…そうなんですか」と寒い空気になる。「ニュースか猫の動画ですね」が無難ではないですか。そういうもんじゃないですか。
十五夜の月は厚い雲に隠されていた。彼女が慣れようとしていたものは社会で、もちろん俺はその彼女視点の「社会」の一部であり、最もイージーなファーストステージであると自認して、その「一番」という響きに勝手に酔ったりしていたものの、俺は彼女の中で「社会」の枠からはみ出ることはなかった。つまり厳密には個人的な交流などというものはなく、言ってしまえば彼女が社交辞令の技術を回復していく過程に付き合わせてもらっただけだった。と、いうことを今更認識して慄然としたりしている俺は哀れなほどの愚かさで、無理くり救いを探すとすれば、俺が交信と考えていてその実虚空に放っていただけの言葉が、俺という人間の輪郭を描き出すために役立った(?)ことくらいだ。ファーストステージでのチュートリアルプレーを何度も行いたいゲーマーはいない。俺の不必要さはこうして更に明らかになったわけだが、「やんぬる哉」などと口にしてみるだけで、まるでピリオドを打つ気がない自分がいる
この増田にASDだけが発達障害だと思うなよ的トラバがちょいちょいあるのに具体例が上がってないからでしゃばってADHD(注意欠陥優勢)語りするね。
まず最大の違いとして、ADHDの発達障害当事者は黙示のルールをだいたいは察知できる。ADHDはとにかく情報が大好きで情報でパズルすることがもっと大好きなので、”明示のルールの上では違反だけど、情報を繋ぎ合わせて考えると違反してもしょうがないところがある“黙示ならいくらでも飲む。パチンコがどうして三店方式を採用してるのか分かるし、学校にスマホを持ってきている友達を見ても「お母さんが車で送り迎えしてるから」みたいな事情を把握できれば放っておく。そもそも不良だったとしても怒りを抱けないので放っておく。これはASDとの大きな違い。
ADHDは相手の感情をなんとなく察知したり、頭が良いほうなら定型発達みたいに話すこともできる。そのうえで他人との接触をどうでもいいと思っている関係上ほとんど反発しないので、感情面においては、いわゆる発達障害特有の焦燥は生じにくい。ここでは話が逸れるので扱わないが、基本的にADHDの”つらさ“は身体面に集中している。
ADHDは自分の意志や感情を抱くことがなにより苦手なので、それを逆手にとって穏やかに振る舞うことができる。ADHDは喋るのもとろいのであんまりとげとげしいことは言わない。ADHDはぼんやり生きているので発言はいつも的を外しているし、言いたいことの7割くらいはそれを口に出す前に他のことに興味が移動するから、”“言いにくいことをついスパッと言ってしまって気まずい空気になる”“みたいなイベントはADHDにはめったに起こらない。
とにかくADHDが最も苦手としているのは、周囲に馴染むことではなく、情報に付随する情動やライブ感みたいなものを持続させること。ADHDはマホちゃんのスカートを見て「似合ってない」「ダサい」みたいなことを思えない。ああ、知らない形のスカートだ。初めて見たな。それだけ。
定型発達やほかの発達傾向のみんなが生のまま摂取できる情報を、ADHDはそのまま手に入れることができない。ADHDが知覚したものはすべて脳みそを通って漂白され、俯瞰的な情報としてだけ記憶に残る。なのでADHDは自我が希薄で、強い感情を抱くのがあんまり得意ではなく、いつもヘラヘラして見える。
ゆえに”黙示のルールの察知“こそできるものの、ASD増田と同じように「浮いた見た目の奴は笑いものにして馬鹿にしていい」ルールには従えない。ADHDには人を嘲る方法が分からないし、それを娯楽とできないので従うメリットがない。なのでこの辺は表面上同じ感じになる。
これによって軋轢が生じにくいのは、ADHDがあまりにもぼんやりしているせいで、こういうときに意固地になるような真面目ちゃんではなく、打っても響かないうすのろとして認識されるからである。
大元の増田の一番の違和感はここだった。とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃうのは”発達“の悪癖ではなく、とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃう定型発達の未熟さである。ADHDは他者に干渉しないので、萎びた観葉植物くらいどうでもいい穏やかでのっそり動く謎の生き物でしかない。
まともな人生を送りたい場合は障壁になることもあるが、素の性格に関わらず偏屈者ではなくまぬけとして認識されやすいのはADHDの大きな強みでもあるので、とにかくここが気になった。
ADHDはマホちゃんにあのスカートが似合わないことにも、周りのみんなが「いっしょになって嗤え」と要請していることにも気づかないが、情報の追加には敏感なので他の子がまずしないような服装であることには気づく。
ADHDは頭の中でとりとめもない情報同士を接続させることに人生のほとんどを費やしているので、”誰も履いていないようなフリフリのスカート“はファッションアイテムではなく”はじめて見る物体“であり、他の情報と接続されるのを待っている新しい情報である。すてきな新しい情報。マホちゃんに似合うかどうかは分からないしどうでもいい。そんなことより既知の情報とスカートを繋げるべく「プリキュアがあんなスカートを履いていたな」とか「ああいう鳥がいた気がするな。なんて鳥だったかな?図書室で図鑑が見たいな」みたいなことを考えはじめ、ADHDの知覚範囲からマホちゃんはいなくなる。
なのでマホちゃんに声もかけないし、マホちゃんがお友達にべったりな性質の子でない限り、高校生になる頃にはマホちゃんとは疎遠になる。
ADHDは来るもの拒まず去るもの追わずなので環境によっては知り合いを多く得られるが、人間関係を維持できないので竹馬の友はいない。
ADHDは人の話を最後までうんうんと聞き、口答えせず、ゆっくりと動き、細かいことを気にしないので、中高年や高齢者の相手をするのが得意である。なのでパートのおばさんから無視されることはあんまりない。
ただ、ADHDの動作は何もかもがとろくさく、仕事中にどうでもいい物事に気を取られるので怒られることは多いかもしれない。
ADHDは美術部には入ると思う。ADHDは自分以外の人間たちもみな、たくさんの情報を頭に流し込まれると幸せになると思い込んでいるので、自分の頭の中に入っている情報をいろんな形で出力して見せびらかすのが大好きである。というかそれ以外にまともなコミニュケーションが取れないので、ADHDにとっては、文章をしたためたり絵を描いたりすることは定型発達における世間話や歓談に相当する。
ADHDは先生のことを好きにならない。ADHDにとって全ての人間は情報の塊であり、有用な情報がたくさん詰まっている先生のことは心から慕うだろうが、それは人間への好意ではなく、使いやすい辞書とか見やすいwikiとかに対する信頼と同じ感情である。ADHDは強い感情を安定させることが苦手なので、恋愛感情が発生するまでテンションを上げ続けることができない。
ADHDは具体的でないアポを全て忘れるので、社交辞令で飲み会に誘われたことをそもそも覚えていない。ADHDは人間とのコミュニケーションを情報として知覚できないので、具体的なアポであってもたまに忘れる。
ADHDは交友関係を維持する努力ができないので、大人になったADHDのスマホにマホちゃんの連絡先が入っている可能性は限りなく低い。ADHDにとって他者との繋がりは最も価値の低い情報なので、スマホを新調するさい電話帳の引き継ぎを忘れるかめんどくさくて移さないに決まっている。もし奇跡的に連絡先が入っていても連絡する理由が分からないので、マホちゃんに電話する代わりにTwitterで久しぶりにたずねた地元のラーメン屋にかんするツイートをする。
ADHDに友達はいない。好きな人もいない。ADHDは悲しくない。ADHDの感情はいつでも「眠い」一択である。いろんな情報が絶えず頭に流れ込んでさえいれば幸せなので、ADHDは人間を欲しがらない。
まぁでもADHDはADHDなので職場で気にかけてくれるパートのおばちゃんは存在しているはずである。同世代の知人はいない。
ADHDはADHDの特性それ自体も情報だと思っているので、いろいろ調べたりする。そうしてこういう場をめざとく発見してはADHDの情報を見せびらかす。
たぶん多動が強い人はまたちょっと違うんだろうな。
おわり
27歳 年収400くらい?
以下試してみたこと
・新卒の職場→気になって何度か飯行ってた先輩 実は俺の同期とこっそり付き合ってた
その時に色々相談したりしてた別の同僚と仲良くなっていい感じまで行ったけど、突如婚約破棄になった優男の先輩にその子獲られた
たまに耳に入る現状聞くと皆仲良くやってるらしいよ
その会社がある街には近寄らないようにしてる
・マッチングアプリ→ほとんどがやり取りまではいくもフェードアウト 1度実際に会えて何回かお出かけしたりしたけど急に連絡絶たれた
・街コン→見向きもされないor社交辞令的にLINE交換してくれるけど即ブロ
特に街コンで連絡先交換のタイミングになったときに、拒否る女性とか平気で居てそこまでかぁとがっかりする
学んだのは既存の縁を使わずアプローチをする手法はマジで神経使う事くらいかな
何度やられても即ブロされるのは悲しい
恐らく男性としての魅力皆無なんだ
オサレ美容室行き始めたり、眉毛サロン行ったりしたけど変わらなかったね
諦めて先月500万の車契約したよ 年収400にしては大きい買い物だ