はてなキーワード: 矮小化とは
めっちゃ怒られてビックリしてるけど逮捕待った無しの性加害だったんだアレ。痴漢にも変質者にも遭い過ぎてて、でも誰かが守ってくれるわけでもないし昔の自分なりに対策してても何の意味もなくてもういちいち傷付くのしんどいし被害を矮小化してたのかもしれない。ハッとさせられました。ありがとう。
でも被害の1回1回で警察に相談するの、すごく勇気がいるのね。増田は元記事の通りもう逃げ方と諦め方がわからなかった2回だけ通報したけど、うち1回は聞き取りしてくれたのがおじさん警官(?)で、はどこまでさわられましたか?パンツに手は入れられましたか?指は?恋人はいましたか?いますか?性交経験は?なんてこと普通に聞いて来て電話切ってから泣いたし(聴取のルールに則って聞いてきたのかおじさんの趣味だったのかは分からない)、もう1回は女性警官が対応してくれて一緒に電車にも乗ってくれたけどその時に限っていつもの痴漢がいなくて結局捕まえられなくて、朝早くにこんな一市民のために付き合ってくれたのが本当に申し訳なくてもう通報したり騒ぐのやめよってなっちゃった。もう少し勇気と気力があったら頑張りたいと思う。これからの人生で頑張らなきゃならない状況にならないのが1番だけど...。
“不自然なまでの「障害者バッシング」や「高齢者バッシング」の背景には、こういったことも繫がっているんじゃないかと思う。厚労省はわかっていながら放ったらかすハラだったのでは?”
なんかイラクの3バカ祭り思い出すのよな。スロープ作り付けておくべきところを人力頼りにしてるとかの類の。
“末端の労働者に負担を押し付けて解決すべきなんてことは誰も言ってないのでそもそも負担を考えろなどというのは的外れな指摘だしそういった所で自分らが表現の自由だの言って権利を主張する癖に他人に対しては我儘と言ってしまうその都合の良さを説明できていない。”
“経営者や政治が解決すべき問題を末端の労働者の負担云々に矮小化して無効化しようとするような権力者に忖度し基本逆らわないというような奴隷根性の座ったような輩が表現の自由などと言って戦っているようなつもりになっているのだから笑わせる。”
“「そこまでの対応をするとなると、他の仕事に使う時間を減らさないとダメなので、今の報酬のままではできません」と学校側にお伝えすることはある。あとは経営側の判断である。不思議なことに「では報酬を加算しますので合理的配慮を実施してください」と言われたことは一度もないのだけど。”
なんだけど、これってどういうこと?
つまり、
ってことなの?(違ったらごめんなさい)
元増田って、
マチアプで出会えた40人のうち10人ぐらいとやれましたって話だよね。ざっくり25%か。
さらに遊び系マチアプとして名高いTinder(おそらく)使用者って、出会いを求める女性の中の何%なんだろうね。
「暗に"セックス目的の呼び出し"を受けて応じる女性」って、少数派だと思えてならないのは私だけ…?
とはいえ、いつの時代も「思わせぶり」ってのはあるあるじゃん。
元増田自体は、直前に性的不同意を感じて確認し、無理強いもしていない様子なので別に問題ないと思うし、
女性の方も、個人的には変わってるな〜とは思うけど、特定要件を満たしたらセックス実施が絶対!というわけでもないので、
コミュニケーションの齟齬だね。平和に終わってよかったね。という感想につきるんだけど、
一部ブコメの、性的同意の確認絶対取りたくないマンを見て不安になったよ。
全女性を代表する気は無いけど、私は暗に囲い込み(時間、密室度、圧力)を決められる前に「〇〇に行くってことはそういう意味で…思ってるけど良いかな?」と聞かれたい。
「エッチな気持ちになっちゃった!」って言ってくる人とか、とても断りやすくていいですね。(私の場合は「セルフサービスでお願いいたしま〜す」って明るく返せるから。)
そういえば学生時代を思い返すと、共に実家暮らしの二人がお金を貯めて予定を組んでラブホテルに行っている…なんてのも珍しくなかったしね。
性的同意の確認絶対しないマンはさ、少しでも読み違えたら性加害者になるリスクをもうちょっと考えて欲しい。
健康的かつ社会的に安心できるセックスなんてそう多く無いはずだよ。
多くの女性は宅配、夜道、男性とのコミュニケーションの中で何度も性被害になる可能性が頭を巡ると思う。
「こんな女がうるさい世の中じゃ楽しみとしてのセックスもできない!性欲の矮小化!」なんて思わないで。
セックスって簡単にできることじゃないんです。だから風俗店が高額になるんでしょう?
どうか加害者にならないで。気をつけて。
ちなみにもっといえば、「奢られ」を期待する女性は「自分の接待を売る(金や物に変える)ビジネス」をしているわけだから同様に先に言えよと思ってる。
まあ実際はこんなふうに「とにかくセックスする状況に持ち込む男」と「とにかく高いものを奢らせたい女」っていうのはあくまで少数派で、こいつら同士で対消滅しろよって感じなんだけど、そう言う手練れは双方が嫌なんだろうね。
情緒を感じながら安くヤリたい男と、とにかく高く接待サービスを売りたい女じゃマッチしないものね。
(正直はてなにいる人々はこれらのどちらでもない羊たちだと思ってるよ。)
なんかそいつらのせいで、女性も男性も疑心暗鬼のコミュニケーションを続けるのってクソすぎるな。
とにかく私は性的意志は明確にしていきますし、このような女がいることも知っておいてもらえたら嬉しい。(あなたがこういう女と出会ってしまう可能性もありますわよ)
男女関わらず衛生観念や貞操観念には個人差があり、個人の性欲にもその時々のムラがある。性欲開示への忌避感も個人差がある。
そのような個体差を理解して、加害者・被害者どちらにもなり得るリスクを背負いながら交流しましょ。
先日、SNSで「Aで○○って珍しくない?」という旨の投稿をしたところ、「そんなこと言い出したらBは××(○○の対極)だよ」と言われた。
多分相手は「○○か××に偏ることくらいよくあるよ」と言いたかったんだろう。俺はなんかモヤモヤしつつも「逆パターンやな」と返した。
だが、それだけのやり取りがずっと引っ掛かっており、あるとき突然このモヤモヤの正体が「だからなんやねん」であったことに気が付いた。
だからなんやねん。俺はあくまで「Aにおいて」○○が珍しいとう話をしたのであって、Bの話は1ミリもしていないのだが?
思い返すと微妙に腹が立ってくる。「逆パターンやな」という安牌な返しをして適当にその場を流したのはファインプレーだった。別に俺はそいつとケンカがしたいわけじゃない。
思い返してみればこいつは今までも俺が「すごいことに気が付いちゃったんだけど!」というトーンで話をすると「まあ△△は□□だしそりゃ当然だろうな」みたいな返しをしてくる奴であった。
人の話題を矮小化してくるのである。指摘がちょっとずれてることも多い(単に俺の発言の意図が伝わってないのかもしれんが)
じゃあ俺はそいつに自分の意見を噛み殺し、内心で「コイツこんなことにも気づかんなんてアホやな」と思われたいのかと言えば別にそういうわけじゃない。俺がそいつの立場でも相手の主張が間違ってるなと思えば訂正したくなることはあるし。
ChatGPTで要約しといた
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小学館第一コミック局編集者一同の声明に対する批判的な見解を提供しています。問題の文章は、作家、読者、関係者に宛てたものであり、著作者人格権の問題を時系列や本質から逸らし、小学館自体の責任を隠蔽しようとする意図を持っていると批判されています。文章は内容が曖昧で、著作者人格権に関する認識の不足を後悔するというスタンスを取りながら、その実、本質的な問題から目を逸らし、責任を逃れようとしていると指摘されています。
批判の核心は、小学館がドラマ制作過程において、芦原氏(故人)の意向を適切に伝達・保護することに失敗し、その結果、彼女が心身ともに追い詰められる状況を招いたことにある。小学館の声明は、このような状況を矮小化し、誤解を招くような内容であり、本質的な問題解決に対して何の寄与もしない虚妄に基づいていると非難されています。
さらに、文章は芦原氏の言葉を捻じ曲げ、著作者人格権の問題にすり替えることで、小学館の責任を隠蔽しようとする不誠実さを示しており、このような姿勢が非常に問題であると強調されています。また、芦原氏への言及が、批判を避けるための手段として利用されていることも指摘されており、このような行為が非常に不適切であると批判されています。
最後に、この問題は小学館だけのものではなく、メディア化の過程における構造的な問題、テレビ局の体質的な問題、SNSの問題など、さまざまな複雑な要因が絡み合っていることが指摘されています。それにもかかわらず、小学館がこの悲劇を防げた可能性があるにも関わらず、問題を避け、責任を回避しようとした姿勢は批判されるべきであると結論づけられています。
面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。
https://petitcomic.com/news240208/
この文章が一読して耐え難いほどに醜悪な理由を書く。以下、上記URLの文章について「本テキスト」と呼称する。
本テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列からも本質ではないことが自明である「著作者人格権」の問題へミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館の責任を隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。
本テキストはそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。
前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館はドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。
順番に見る。
本テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。
ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。
要約するとこうなる。
「著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要な自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」
この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語を使用している以上、ここには明瞭な主張がある。
それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。
暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」と結論していることになる。
……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか。
彼女が本当に「ドラマに口を出してしまったこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動は関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権の行使)」は、12月時点で終わっていたのだから。
そんなわけねえだろ。馬鹿か。
ここには明らかに問題のすり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪な論理の欺瞞があるのだ。
明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。
一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキストに同意することができるだろう。
そんなやつ、どこにいんの?
誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。
にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか。
素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。「作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇の再現を食い止める」だ。
つまりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。
ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで「著作者人格権をめぐる認識」が事件の本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動は自殺に関係がないことになる。
ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。
なにが「事態を単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係と時系列を無視した、問題のミスリードだ。
そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質に問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。
ここには「事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。
そうするともう少し穿った見方をしたくなる。
つまり「本件を「著作者人格権の問題」にすり替える」ことが、本テキストの目的だったのではないか、ということだ。
この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかしもっとおぞましいのはこの先だ。
要約するとこうなる。
「ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館がドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本を修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである」
本テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。
正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。
芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?
(https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette)
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。
加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。
(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
これは芦原氏が「小学館と時系列に添って事実関係を確認し、文章の内容も小学館と確認して書かれた」文章だ。
原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき
馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。
その文章を確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本を修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本を修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?
ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。
そもそも「意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから「修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのか。ガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。
明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から、彼女は修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館の責任はないのか?
無論、担当編集者やメディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面の連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場の担当者たちを非難していい理由にはならない。
繰り返すが、現場の担当者個人の責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力したから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任を消滅させる理由にもならないのだ。
小学館に責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向をドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的にドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて、責任があるのだ。
にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題を矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。
それこそが本テキストが歴史的に気持ち悪い理由のひとつだろう。
書くまでもないことを最後に書く。
ここまで確認してきたように、本テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列からも本質ではないことが自明である「著作者人格権」の問題へミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館の責任を隠蔽すること」を目的としたものである。
その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。
この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない。
欺瞞と自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪なレトリックを駆使した挙句、そもそも本テキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック局編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているからだ。
本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。
小学館を悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題、TV局の体質的な問題、悪意を増幅させるSNSというシステムの問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。
それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避の編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。
騙されてはならない。
進学を阻まれるとかそういう話ではない
結局、この用語を作った人の言ってる事は「女の給料が低いのはSTEMを選ばないから」とか言ってるネットのアンチフェミ論壇と大差がない
文系理系の賃金格差がそもそも構造的な差別の話なのに、個人の職業選択の問題に矮小化してるんだわ
https://twitter.com/hatsublo8226/status/1753916442981065156
@hatsublo8226
弟のいる姉は
など、特徴を持った
結果として、
弟を持つ長女の場合
30代の年収が約2%低いらしいので
最近この「ブラザーペナルティ」って言葉をよく聞くようになったけど、このポストの人はその意味を勘違いしていると思うよ
このポストにあるように弟のいる姉の成人の時の仕事が低くなりがちなのって
弟のいる姉は他のきょうだいの組み合わせの女性に比べ、伝統的に女性が多く就く仕事や文系の仕事を選びやすく、それゆえに賃金が低い傾向にあるって研究結果らしいから
それって問題すべきは文系の仕事、女性が多く就く仕事の賃金が安い事との方にあるんじゃないの?問題にすべき点がズレてない?
この人は「【お姉ちゃん】達も自分のために自分のやりたい事をやる道を探せますように。」って言ってるけれど、「ブラザーペナルティ」理論はその「自分のやりたい事」がまさに、賃金の低い仕事だったって話なんだが?何もやりたくもない仕事を無理矢理やらされてるって話じゃないでしょ
例えば弁護士になりたい「お姉ちゃん」が弁護士になって、賃金が低いままだったら?理系の医者の方が給料がいいから医者になれって言うの?本当になりたくて、頑張って時間をかけて弁護士になったのに?
女がみんな賃金が高いという理由で理系の仕事に就いたら、文系の仕事は誰がするの?普通に文系の仕事の賃金を上げようという主張でよくない?
きょうだい構成に焦点を当てて家庭内の問題に矮小化するのって結局根本的解決を図る気がないじゃん
…って思う
(ていうか弟のいる姉と一口にいっても上にさらに兄もいる場合とか、弟との年齢差とか両親の離婚や死別とかで、個々の事情が様々過ぎると思うんだけど…?
しかもこれ、デンマークの研究なんだよね。日本にそのまま当て嵌められるのか?って思うし、出羽守が持ち上げられる北欧だって男女差別は変わらないじゃんとも思う)
問題にすべきは女性差別であり文系差別の方なのに、弟のいる姉はこれだからーって、個人の問題に矮小化するのはよくないと思う
この「ブラザーペナルティ」概念って、日本のネットで「九州の男尊女卑」が話題になるのと似てる
九州の男尊女卑が殊更に酷いというレッテルに対しては、最近フェミニスト内でも反論が上がる(東京にでも、日本中どの地域にも女性差別はあるのに九州だけをさす九といってネタにするなという反論)ようになったけれど
「ブラザーペナルティ」に対しても同じように反論の声を上げていかなきゃなのに、と思う
https://twitter.com/readeigo/status/1753704596911145184
しまき
@readeigo
·
15時間
ブラザーペナルティと言って、【弟がいる姉】は女子である事の不利益を被りやすくて、弟のために進学を諦めたり/諦めさせられたりをしやすく/させやすくなる傾向もその一つで、また成人時の収入が低くなりがちなので、【お姉ちゃん】達も自分のために自分のやりたい事をやる道を探せますように。
[B! 差別] 汐街コナさんのツイートの何がやばいかをCDBさんが解説「このような怪物を生み出したのはネットフェミニズムだ」
https://l.pg1x.com/NyR7j8zAR26uz4Mq8
worris で、汐街コナ個人ではなくフェミニストを悪魔化するんですね。/差別主義者の意味で「レイシスト」と言っている人までいますね。いつから知的障害は人種になったのか。ちょぼらうにょぽみのギャグにあったなー。
whkr 彼女の用いる論法や思想が批判されているのに、彼女個人の問題に矮小化しようとするのは卑怯だよね。
実際今のフェミ共の論法も、行動も(草津はまだレイプの街のつもりだよなクソどもが)、「悪魔」的だろうが。
つーか、そんな反論が成立するとでも思ってんのか。マジョリティだからって差別表現や、傷付けるような言動が許されるとでも思ってんの?
ポリッシュ(笑) バーカ(笑) 人としての付き合いとして、ポリッシュは「必要不可欠」なもので「怒り」を「個人」にぶつけてはいけないっていう社会常識まで説かねぇといけねぇのかいジャップフェミニストってのは。
オマエの怒りはオマエの怒りでしかねぇよ。社会ってのは積層化されたものであってガラスの天井とか「一般的な運用や一般化された価値観」を「悪魔化」してるのがクソなんだよ。
フェミの運動の理屈ってのは大概が「一般化されたものが差別価値観」っていう「詭弁」から入ってるからな。
詐欺師みたいなクズだったけど、ゴールドマンサックスの執行役員やってたのはバアさんだったよ。有能だったらガラスの天井なんてねぇよ。