はてなキーワード: 卒論とは
それを承知の上で、感情的には喚き散らしたいところがあるのでここに書いておく。
大学卒業にあたって、中学以来の友人と海外旅行をすることになった。
だが自分の卒論や口頭試験、内定先からの課題など様々な用事があって、ズルズルと旅行の日程や場所など予定決めを伸ばしてしまった。
ようやく行きたいツアーに決まり、中旬か下旬の日程で行けることとなったのだが、いざ予約して振り込もうとした段階で友人に確認すると、パスポートの期限が切れていることがわかった
その件に追求したところ、「日程とコースが決まったのもつい最近だ」と言われたが、2月に行くことは決定していたのに、1月にパスポートを取っていないのはさすがにギリギリだと思う。
パスポートの申請ってまあまあめんどくさい上に1週間はかかるという常識は、自分にとって健康保険証がなければ全額を払う事もなると同程度の常識だと思っていたが、世間的にはどうなのだろうか。
(それに、海外旅行の場合少なくともツアーを決める付近でパスポートの準備はしておくべきなんじゃないのか?という思いもある)
感情的には「パスポート云々って1週間の単位で予定を組むものじゃねーよ何ズレたお気持ち表明してんだ馬鹿じゃねえの?」「休学して暇ならるるぶ買ってねえで海外旅行の注意事項調べろや!」とぶっちゃけ思った。
でも世間知らずな面があることを知っていて確認しなかった私が悪い。(世間知らずな所以外は気が合う良い友人なのである)
まあ、発覚したのは(2月下旬のツアーにすれば)1か月前だし、じゅうぶん間に合うからいいけど、これから社会人になるにあたって報連相は心がけようと思った出来事だった。
もう、ある年代以上の芸能界とか、カルチャーとか、そういったものを、根本的に、文字通り「切り離す」しかないと思う。
何言ってんだこいつ、と思われるかもしれないけど
国家レベルの罪悪が革命であるとか戦勝国側の裁判で形式上は清算されるように(それが上手くいってないという問題はあるとしても、ポーズは取り続けている)
日本も、例えば2000年以前から活動している芸能人の、公に発された言動を一つ一つ精査して、ある程度以上の悪質さが累積した芸能人は謝罪や引退させ、ちゃんとしている芸能人とちゃんと人権教育を受けている若い芸能人だけで構成された芸能界を作り直す
そういう仕切り直しをするしかないと思う。
個人的な話に絡むけど、2010年代入ってから卒論を書くときに、国会図書館で70年代後半から80年代にかけての週刊誌を読んだんだけど、もう本当に別世界だったよ
完全に男による男の男の為のセックスと暴力と無知の賛美みたいな感じ、今のコンビニにかろうじて残されてる実話誌みたいなのが全てのページを乗っ取ってる感じ。
「そういうものを調べてるんだからそういうのしか出ないだろ」ってのは違くて、本当に今はまともな報道誌扱いされてるような雑誌でも昔はそうで、しかもそれが今より部数が多い。
行ける奴は行って見てみるといいよ、今は週刊ポストとかサンケイとか大体デジタル化されてるみたいだから。
それで私達は人権だ何だって普段さわいでるけど、90年代鬼畜系とか以前に、80年代にそもそも地層の様にどっしりとそういう世界があって、それに使って生きていた人間が何百万といて、
あるインフルエンサーとかが個人で「80年代90年代の私は間違っていました、セクハラを軽視してすみません、反省します」と謝罪しようが他の何百万人はヘッと笑ってるわけ。
幾ら数年前や十数年前のことを掘り返そうが運の悪かった奴扱い。
これからもそういった芸風は再生産されていく。若い世代のかなりの人達がいくらアップデートしようが、追い付かなくて潰されたりしてしまう。
それを断ち切るにはもう、根本的にスパッと、「はい、お前らは芸能界Part1。ここまで。これからはちゃんと新しい世代の、ちゃんと客観視と人権を守れる人による芸能界Part2を始めます」とするしかないじゃん。
そして問題は芸能界とか、サブカルみたいな分野だけじゃないんだよね。
80年代90年代のオタクって弾圧されてたとかそういう被害者面ばかり取り上げられるけど
コミケとかのイベントに「ぼくのロリータを紹介します」とかいって、大学生が中学生とかを連れ込んで無修正(80年代当時は黙認されてた)のエロ同人の売り子をさせてたとか
昔のオタクは明らかに少女ヌード、児童ポルノも許容して一流の文化扱いしていたとかそういうことは忘却されているわけで
そういう時代の人脈、漫画家とかライターが今でも大手を振って下手したら文化人扱いされてるわけだよね
そしてコメントを求められても、明らかに本気でやっていたことを「あれはシャレ、遊びだった」「本気にしだす人がいて困った」とかいって逃げたりする。
逃げるなら逃げるで退場しないとだめだよ。
そして今のオタク文化もそういうものの上に成り立っている以上、存続したいなら切り離すしかない。
絵柄とか美意識とかは今現在は無理だとしても(あくまで今現在はね)、「もう繰り返しません」「この人脈の賛美はやめ、二度と肯定的な引用はしません」みたいなやり方をするしかない。
突拍子ないとか狂ってるとか言われるかもしれないけど
数年前の時点では私も薄々どうかなって感じだったけど
今となってはもう被害者を直接産み出すシステム(それも熟成された何百年ものの)の否定をどう行うかが重要なんだから
あなたの息子や娘や友達が、そしてあなた自身がそういう昔の価値観の被害者になったら、そして「そういうものだから仕方ないじゃん」っていう空気に押しつぶされる側になったら遅いんだよ。
なので、この元増田の卒論で「日本のレベルが下がった」などというコメントは、失当ですし、
上から目線で極めてダサい、センスを疑わざるを得ないなと思った次第です。
そうした人が、他者から見て目を見張るような、新規性のある、素晴らしい卒論を書いているとは思えませんし、
昨日締切だったんだけど、無事に卒論提出できたよ
教授の添削も2回ぐらい受けられて、それなりに納得できるものは出せた
多分1年以上かけてても似たような出来になってたとは思う
アドバイスくれた人が言ってたとおり、卒論無理って投稿した時点で完全に下準備ゼロってわけではなかった
なんとなくこういう構成と結論にしようかな〜っていうとこまでは決まってて、それを肉付けする材料がゼロって状態ね
だから、Google翻訳のカメラで見出しだけバーッて訳してって、ここ使えるなって思ったところを自分で訳して…って感じの作業(ここでめちゃくちゃ時間かかった)と、
それをなんとか章立てした枠に組み込むっていう作業だけで済んだんだ
それでもかなりキツかったしもっと早くからやればよかったって思ったんだけど
とにかくありがとう
そんなんで社会に出るなよってコメントもあって、「マジでそれな」って思ったけど多分春から社会人です 人様に迷惑かけないように頑張るよ
素直で頑張り屋でいい人ではあるのだけど、文章を書く力がない。
社内メッセージのような、短文で事実を書くだけの内容だとほぼ問題ないのだけれど、稟議書のようなある一定量の文章を書かせるとおかしいのである。
例えば
•主語と述語が合っていない→これは上記のメッセーよりも文章が長く硬くならざるを得ないからだと思う。あと、「業者から言われました」を「取引先企業から申し入れがあった」みたいにビジネス調にする力が弱い。まあこれは経験不足なのだとは思うけど…。
•これは文章力じゃないけど、自分が理解していない内容をどこからからコピーしてきて貼る。チェックしている私もわからないので「これってどういう意味?」と聞くと、「私もわかりません。コピーしただけなので」という。「いや、私がわからなかったらこれを見る上司も他の部門の人もわからないと思うよ。みんなにわかるような書き方にしないと」と教えてはいるけど…?
•言葉の定義がいい加減。「年間」といいつつ「月間」のグラフを貼っていたり。
•これも文章力じゃないけど、自分がちゃんと書いた書類をチェックせずに私にチェック依頼してくる。私は校閲じゃない。インデントのズレだったり、誤字脱字だったり、自分で一度真剣にチェックすればわかるはずのところが全く直ってない。というか過去に指摘したことがほぼ全て次回に活かされない。一度、「うちの会社では西暦を使うんやで」と教えても次の場面では「令和」って書いてるような。
まあ、「ちゃんと指導しろや」で済むと思うんだけど、ちゃんと指導してるのよ、都度。なのに直らないのよ。もっと強く言うべきなのか?とは思うけど私の性格からして難しい…。もっと上の上司にいうべきなのか…?でも文章力ないね、って指導して直るもん?
というか、新卒ってこんなもん?こんなに書けないもん?自分の新卒の頃なんて遥か昔で覚えてないけど、レポートや卒論で論理的な文章を書く力って鍛えられない?ビジネス文章には馴染んでないとしても。
そろそろ今年も卒論の発表とか口頭試問が始まる時期だけど、大学の教員ってなんであんなに性格終わってる奴ばかりなんだろうと毎年思う
小中の教師みたいに体罰とかはないかもしれないけど、パワハラすごくない?
なんか皆の前でボロカス言って貶すのが風物詩みたいな感じで許されてるじゃん
博士課程まで行ってる学生にそういうことするならまだ分かるけど、学部生にわざわざ難癖つけていびる意味が分からない
でもまともな大人ならいちいちそれに噛みついてキレないじゃん?
内心キレてたとしても露骨に棘のある言い方はしないじゃん、普通
あいつら、結局ハンコ押すくせにめちゃくちゃネチネチ文句言うじゃん
なんだろう、腐女子みたいなキレ方
ニコニコ笑いながら「ふーん(笑)」みたいなこと言ってボロカスに貶すの
こうやって笑顔で怒っちゃってる僕、逆にめっちゃ怖いでしょ?(笑)みたいな
マジでキモいわ というか、なんでそんなことするのか理解できないから怖い
対面でそんなカスのコミュニケーションしといてXで待遇向上とか訴えてんのもうギャグにしか思えないよ
お前の給料上げるぐらいならその辺のマックの給料上げたほうが遥かに良いよ
優しいというか普通の先生もいるけどさ、大多数はヤバい奴だと思う ずっと大学に残ってるとああなるのかな 早めに抜けてよかった〜
どのくらい出来たかというとセンター試験の数学で1A2Bで満点を取る程度には。
そしてこれ以外で語れるほど実績はない。進研模試で満点取ったことあるけど、多分センター試験の方が難しいんだよね。高校は偏差値36だったからそこらへんの一般常識知らない。
で、高校卒業と同じタイミングで就職するつもりだったんよ。大学なんて私立のFランに行くやつが学年の10%いるかどうかって感じ。
「鹿児島大学だったら数学だけで受験出来るよ?」「前期だと山口大学ならほとんど数学だけっぽいよ?」「後期まで頑張るなら佐賀大学とか数学だけでいけるんじゃない?」
で、鹿児島大学のAO入試で合格した。問題は正直なんにも難しくなかった。皆んな満点だと思った。
意外と国立大って簡単なんだなと思った。高校まで天才が行くところだと思ってた。
地理に至ってはノー勉というか高校の授業も受けてなかったからな。一桁点数だった気がする。
それで大学生活始まるけど、まあ無理よね。共通科目の英語の単位が一番難しかった。3年次の時一番前に座って毎回出席して毎回ニコニコしてようやく取れた。
専門科目は自慢だけどやっぱり数学得意だったんだなって。
過去問入手して1週間対策すれば落ちたことない。もちろん普段から勉強するなんてことはできない。
単位を取れる程度にやる。ただそれだけ。
そうなんだよ。勉強する習慣なんてないんだよ。
だって勉強したことないもん。毎日机に向かうなんて無理。自宅に居る時はスマホでゲームかエロ動画。外に出るのはバイトか飲み。
年確されない終わってるバーに行けば僕と似た不真面目な馬鹿がたくさん居る。そのままセフレ作ってあっという間に4年間。
大学生活で身についたものといえば酒の場でのナンパの方法と借金50万だった。今思えば50万で済んで良かったな俺。ギャンブルにはハマらなかったのがデカそう。
ちなみに数学科は卒論がない。院なんて行くわけない。それで数学にも真面目に触れ合わないまま卒業した。
給料もボチボチ。お金持ちってわけじゃないけど、あとは適当にやれば生きていけるって思ってた。
けど、何年も勤めるとボロが出るよね。
机に3時間向かえない
同期も先輩も後輩も、みんなちゃんと大学やってるんだよ。頭の良さ関係なくみんな根の真面目というかやる時はやる習慣が身についてる。
僕はそれが出来ない。それが出来ないからしてこなかったのか、してこなかったからそれが出来なくなったのかは分かんないけど、とりあえず現状出来ないんだよね。
少なくとも不真面目は不真面目が集まる社会に身を置いたほうが楽に生きれそうだね。失敗したわ。
今でこそWindowsでも全く問題なく開発できるけど、ちょっと前は「Macのが開発体験が良い」と言われていた。
具体的には2011~2015年あたり。
2013年のころ、俺はWindowsで開発していた。WSL2なんてものは当たり前に存在しない時代だ。
たとえばC言語を使いたい場合、MinGWとMSYSを使ってこんなかんじで必要なものにチェックマークをしてインストールしていた。
まちがえた。俺が使っていたのはCygwinだ。こんなかんじでインストールする。
「パスを通す」とか言われていた時代だ。今ではインストーラがほとんどやってくれる。
Windowsのコマンドプロンプトがアホほど役に立たないので、msysCygwinのコンソールを使うのだ。
Pythonのインストールにもパスを通していた時代だった。当時はまだ2系が主流で、卒論を書く際、大学の教授から「3系は使ってもいいけど、俺は知らないからサポートできない」と言われた。
Scipyはインストールしなければ使えなかったので、「python scipy インストール」で検索して出てきた記事を参考にしてインストールしていた。これがまたエラーの連続だった。
プログラムを開発するエディタも、vim、emacsがまず候補に上がった。どちらも癖のあるエディタなので、そういうのが嫌な人はサクラエディタが推奨されていた。そして少しして登場するAtomに感動したのだ。今ではあたりまえのようにVSCodeがある。
ちなみに俺はPythonの開発ではIDLEというのを使っていた。知ってる?こんなの。
そんなWindowsユーザーを少し煽るような(Winユーザが自虐するような)、「プログラミングするならMac」という風潮があったと記憶している。そこから「どうやらMacはUnix系で、コンソール操作が簡単らしい」「文字がきれい」「Windowsでは定期実行するためのcronすらないが、Macにはある」「xcodeというのがあるからめちゃくちゃプログラミングがラクらしい」みたいなイメージがあった。
今ではWindowsも随分便利になったし、IDEやインストーラがなんでもしてくれるようになった。今では結論、「どっちでも好きなほうを使えばいい」という良い環境になった。