はてなキーワード: ホテルマンとは
以
下
コ
ナ
ン
映
画
の
ネ
タ
バ
レ
注
意
これは観た映画をどのくらい詳細に思い出せるかチャレンジ。適当に書く。たぶんところどころ間違ってる。
最初のシーンはホテルの大きなロビーらしき場所で行われてる立食パーティー、WSG(world sports games、コナン世界におけるオリンピック)の協賛スポンサーが集まる壮行会。
園子のお父さんがスポンサーなのでコネでお呼ばれした蘭、コナン、灰原、少年探偵団御一行。
前方ステージスクリーンには、このほど完成した真空超伝導リニアモーターカーの解説動画が流れる。壇上で司会を行うお姉さん。
自分たちが乗れることが決定してるかのようにテンションが上がる探偵団。呆れるコナン。抽選の説明をする蘭。テンションが下がる探偵団。
蘭たちに話しかけるホテルマン「ここにお食事をお持ちしてもよろしいですか?」。場所を空ける蘭たち。飯にリニアのことを忘れてテンションが上がる探偵団。
切り替えの早さに呆れるコナンと「若いからよ」と微笑む灰原。オレンジジュースで乾杯。
すると突然場内の照明が落ちる。辺りは真っ暗。腕時計のライトを頼りに、電源の様子を見に行こうとするも蘭に腕を掴まれるコナン。ライト復旧。「30秒ぐらいだったわよね」と灰原。園子のお父さんが見当たらない。
園子、近くにいたジョンさん(お父さんの知り合い?協賛スポンサーの一人)にお父さんを見てないか尋ねる。
思ったより詳細に覚えててぜんぜん進まねえ……
本来、こういった投稿をすることは心憚られるものではあるのですが、
宿に対して過度に中傷する事を私は望んでいませんので、何卒そこはご配慮のほどお願い致します。
日光金谷ホテルを知らない方にお伝えすると、
東照宮など世界遺産のある栃木県日光で、一番有名なホテルです。
現存する日本最古のリゾートホテルとよく言われる格式高いとされるお宿です。
ずっと憧れのホテルでもありました。
日光は数回訪れた事があるのですが、神橋の先の歩道から洋風建築のホテルを見上げながら、
「いつか絶対行ってやるぞ」なんて事をずっと思い続けていました。以前より強い幻想を抱いていたんです。
まず宿に着いてチェックイン。
コロナ対策もあって健康状態や海外渡航歴、鼻水や咳などの風邪症状がないかなどのチェックとサインを求められます。こんな世の中ですし仕方ありません。
有名な金谷ホテルのパンやお土産を買おうと売店に向かいました。
財布や口座の残高なんかを気にしながら、何を買おうか?なんて悩んでいると、引くくらい大きな咳の音が。
「ゴホゴホ…ゲホゲホ…ゴホッ」
こんなご時世で怖いなぁ…どんなお客さんなんだろう…
マスクしているとはいえ流石にこれだけの咳をしていると、このご時世恐怖です。
結局、3000円分のホテルクレジットは食品で無いもので済ませ早々とその場所を立ち去る事にし、
楽しみにしていた金谷ホテル特製のパンやケーキ等は買わず、部屋に戻ることにしたのでした。悲しい。
客側には検温やチェックリストへの署名などを行うにも関わらず、スタッフ側はどうなってるのか…
旅の高揚感は一転してホテルへの不信へと変わるのでした。
追い打ちをかけたのは客室内のトイレでした。
客室内のお手洗いの便器には以前宿泊された方が残したであろう大便の跡がくっきり残っていたのです。
このコロナ禍において衛生面への配慮は最大限行われるべきであり、
当然ですが格式高い日光金谷ホテルにおいてトイレの清掃が出来てない事なんて想定など出来ている訳もなく、
便を足す前に気づいた茶色い跡に脳みそが追いつかず、便意を忘れ何回も振り向いてしまいました。
気がつけば夕食の時間。
フレンチの料理では豚のソテーと牛のステーキを選択する事ができます。
味はそれでも絶品。
やっぱり一流のホテルのディナーは違うな。
そう思っていた矢先、出てきたのは豚の料理。
これには流石の私 も
「違います、私は牛のステーキを頼みましたよ」と咄嗟に声を出すと、
「只今お作り直し致します。しばらくお待ち下さいませ」と豚の料理を下げていきました。
謝りの言葉は無いんや…
謝罪もないまま10分程その場で、ステーキ用に取っておいた付け合せの焼きたてのパンも冷め、食前酒のワインも減る中で、
一人で机の上で携帯を弄る自分の姿がとても惨めに映って、涙が出そうになりました。
10分後「申し訳ありませんでした、牛のステーキになります」とようやくの謝罪と正しい料理をお出し頂きましたが、
もう味なんかわかりません。
心が冷めているのですから。
その後も、気になる事はいくつかありました。
楽しみにしていたホテル自慢のバーは緊急事態宣言で休止中のため、
せっかくのリゾートホテルでも夕食後は何もすることがありません。
ルームサービスを頼もうとするも、夕食が終わる時刻(19時半)には終了しているようでした。
せめて瓶ビールくらいは頼めても良いのでは?とも思うのですがね。
いや、1階よ?w
あなたが今いる、そんなに広くないこのホテルの、それも1階ですよ?w教育どうなってんの?w
「一緒に探すのお手伝いします」
なんて言われて、乾いた笑いが込み上げる。
イベントの日払いバイトでも、もっとちゃんとしてる気がするんだけどなぁ…
酔って忘れられたら良かったのに。
翌朝の朝食。
水を注ぐときの勢いが強い。
このオムレツをずっと食べたいと憧れてたのに。
チェックアウトを済ませお金を支払いホテルを出る帰途、思わずそのレシートを投げ捨ててしまいました。
(ポイ捨てしてごめんなさい)
こんな事なら旅行なんかしなきゃ良かった。
こんなホテルに3万円も支払う虚しさに耐えきれなくなりそうでした。
憧れのホテルに泊まれるんだ、そう思うとその前の週は一週間ずっと浮かれていました。
期待値が高すぎたのかもしれません。
正直、自分ひとりで金谷ホテルの通常料金を出すのは厳しい身分で、緊急事態宣言で安くなっていたからこそ泊まった、泊まれたというのはあります。
普段の半額程度で泊まったのですから、宿のほうも最低限の人数で、最低限のサービスしかしない(できない)という理屈も脳では理解はできます。
それでも一泊一人3万円という金額は、僕のような貧民にはとても大きくて、
自分は、ご多分に漏れずコロナ禍の影響で仕事も色んな苦しい事がたくさんあって、
それに重なって今年に入ってツイてない事もいくつか重なったし、定期預金も満了になってお金も少しはできて、誕生日も近いし、立春だし(?)
心機一転、少しでも気分を晴らして頑張っていこう。
そう思ってこの旅行に行くことを悩み、決めました。
(近い人に基礎疾患持ちの人がいるので旅行に行くことに罪悪感さえあり、直前まで悩みました。)
ホテルの接客態度からは、おもてなしの心が感じられませんでした。
そんな印象を受けました。
最近のツイてなさ、色々な苦しい日々も相まって
厄払いもお願いしておけばよかったな。
気分が乗らず、元々予定していた中禅寺湖や華厳の滝方面への旅程はキャンセル。
予定より4時間も前倒しをしたスペーシアで日光から出て、浅草で安酒を飲んでベロベロで帰りました。
帰ってきたら愛用してたワイヤレスイヤホンも無くなってました。ツイてないな、俺。。。
◎最後に
職場の人に話したところ、匿名でこちらに投稿すべきだと言われたので投稿することにしました。
今現在、苦情のメールの返信が遅いことも現在進行形で納得はいってないけど、起きた事はもう仕方ないです。
これから、他の人がこんな目に遭わなければいいなって思ってます。
9月18日から、10月1日以降の宿泊について東京都もGo To キャンペーン(以下GTと表記)適用が解禁となった。
同時に地域共通クーポンの配布も始まった。東京都内のホテルに勤めるいちホテルマンから見た現状。
東京都解禁を知ったのは9月18日の数日前で、10月1日からのオペレーション変更に備えて準備しようにも何も情報がなかった。
楽天やじゃらんをはじめとする国内系OTAはポイント利用と同様の形で予約取込がされ、35%分の割引については特別なオペレーション変更は必要がないことも、実際にGT適用の予約が落ちてきて初めて知った。
一般的に、サイトコントローラーというシステムが各サイトから予約情報をクロールして自動でホテルシステムへ出力するが、このあたりの仕様が全くわからないまま数日を無駄にした。おそらくサイトコントローラーのベンダーもいっぱいいっぱいで、ホテルへ周知する余裕はなかったのだと思う。
予約入込前にでこの仕様が分かっていれば、ホテルとしては「この予約はGT適用だから地域共通クーポンの枚数を予約の備考情報に入れていこう」というオペレーションが行えた。
時すでに遅し、すでに取り込まれた予約にこの作業を施すことは膨大な手間がかかる。システム上、ポイント割引と同じ扱いなので条件検索で絞り込むことができない。予約ソースを開いて「GT利用」という文字列を目視するしかない。
じゃあ楽天とかじゃらんのホテル側管理画面にログインして、GT予約を絞り込んで検索すればいいじゃんって思うけど、なんとそれができない。
楽天を例に挙げると、楽天は平時から500円クーポンなんかを発行していて、予約情報の検索に「サービスクーポン利用」という条件はある。
GT利用はサービスクーポン扱いで、その予約がGTであるかを確認するには個別の予約ページを開く必要がある。
予約総額に応じて地域共通クーポンを渡すが、この枚数は目視で予約金額を確認するしか方法がない。
これ絶対ミスって渡し漏れたり渡し過ぎたりする。その際の対応方法はGT事務局からは何もアナウンスされていない。
地域共通クーポンは宿泊地と隣接した都道府県まで使用できることになっているが、事務局から送られてきた「東京都・埼玉県・神奈川県~」と刻まれたゴム印を、地域共通クーポンの四角い空欄に押印するだけ。
これ店舗で使ったときに利用対象地見落としてよそのクーポン使っちゃったらどうすんだろうね。
使用期限もチェックイン日からチェックアウト日となっているが、これはチェックイン時にホテル側が手書きする。
ホテル側はクーポンの通し番号と宿泊日程を紐づけて事務局に報告するわけでもないので、いくらでも偽造できる。アナログだねえ。
チェックイン後に日程短縮をして支給されるべきクーポン枚数が減った場合、宿泊者はホテルへその分のクーポンを返還しなければいけないことになっている。
「使った後だったらどうすんの?」って事務局に聞いたら、「現金で回収しろ」と言われた。んなアホな。
木村拓哉主演で映画化されたことは知っていた東野圭吾の「マスカレード・ホテル」を図書館で見つけたので今更読んだ。
連続殺人事件の次の事件現場と目される東京の一流ホテルに警察が極秘で潜入し、犯人逮捕を目指す話であった。
その序盤、ホテルマンの振りをして警戒にあたる刑事の指導をしてほしいと上司から頼まれたホテル従業員の女性の台詞に引っかかった。
(略)でも、なぜ私なんですか?(略)それに捜査員というのは男性の刑事さんでしょう?女性から指導されるのは、先方としても抵抗があると思うんですけど
女性からの発言ではあるが、例えば今ツイッターで男性が「女性から指導受けるの抵抗あるわ〜」とかつぶやいたらおそらくボコボコにされるだろう。
女性管理職の苦労、苦悩みたいな話は今もフィクションでよく見るけれど(逃げ恥のゆりちゃんとかMIU404の桔梗さんとか)、今の私の感覚だと、男性刑事が女性ホテルマンからホテル業務を教わるのに抵抗を感じるかも、という想定にはすごく違和感がある。
(その後指導される当該男性刑事は女性から指導されることについて特に何も抵抗は無さそうなんだけど)
でもこの小説の初出は2008年からの連載で、私も10年くらい前だと同じような感覚を少しは持っていたような気がする。
なんで女から指導されるのが嫌かというと、女は常に目下の者だと思ってるからだよね。
今でもそんな風に思ってる人は特に年配の男性にはいると思うけど、最近のフィクション作品だとそういった描写は控えられているんじゃないかな、と思った。
2020/7/24からマレーシア国内へ入国した場合、無条件でホテルや指定施設での強制隔離が始まってます。
これは実際に強制隔離中の体験から、強制隔離に際して特別に準備した方がよいものを纏めてます。
ですので、あなたがこの資料を確認する際にいくつかの改変がある可能性があります。
・隔離先は選べない。
・洗濯は基本自分で行う(ホテルによってはランドリーサービス有り?)
・食事は3食。ルームサービスのあるホテルに隔離の場合はルームサービスも頼める
・コンビニへの配達依頼が可能なホテルもあるが、支払いは銀行振込またはTouch`nGo eWallet限定と支払い方法が限定される
・差し入れはホテルのフロントに部屋番号と名前を申し添えて預ける→ホテルマンが部屋の入口前に置く→受け取るの流れ
・速乾性の下着
洗濯は全て手洗いで室内での乾燥になるので、速乾性の下着が望ましい
・洗剤
小分けの粉末洗剤かチューブに入ったジェル状の洗剤
部屋干し特化の洗剤は生乾きの臭いが防げる
・高吸収性バスタオル
・物干しロープ
(水平に張れないことによるハンガーの滑り防止)
・ドライバッグ
・針金ハンガー
部屋には2つくらいしかハンガーはないので、洗濯用のハンガーが必要
・室内用のスリッパ
部屋にあるのは元来1泊~2泊用の使い捨てスリッパなので長期宿泊には不向き
・ドライバッグにお湯を2~3L程度を入れ、洗剤を溶かして洗濯液を作る(蛇口からお湯が出るならばそれでOK)
・ドライバッグを揺らしたり揉んだりして、洗濯物の汚れを洗濯液に移す(3分から5分)
・再度、ドライバッグにお湯2~3Lと洗濯物を入れる。エッセンシャルオイルを1,2滴投入してドライバッグの口を閉じる
・ドライバッグを揺らしたり揉んだりして、洗濯物の中に染み込んでる洗濯液をお湯と混ぜて薄める(いわゆる濯ぎ作業)
・ドライバッグから洗濯物ごとお湯をこぼす。こぼしたお湯が透き通るまで濯ぎ作業を繰り返す
・洗濯物を手のひらサイズまで畳んでおにぎりを握るようにして脱水する
(高吸収性バスタオルを通常のバスタオルやバスマットで更に挟んでから踏むとより効果大)
基本、常時エアコンを掛けっぱなしのハズなので速乾性の下着であれば半日で乾きます。
食事にはフォークとスプーンが貧弱なのしか付いてこないので持参必須
今使っているものでもいいし、弁当用で売ってるケース入りでも可
・調味料
・ふりかけ
・菓子類
ガムやチョコなど小分けしてある菓子があると小腹が空いた時によい
・インスタントラーメン
お湯は確保できる場合が多いのでインスタントラーメンがあるといい
がよい
リフィルタイプのカップヌードルの場合には容器(大きめのマグ)も必要
小さいものが種類多めにあるといい
・食器用洗剤
基本上述のアクリルタワシで賄えるが気になる人は小型のものを持参
ホテルの部屋に寄っては湯沸かしポットが無いことも考えられる
部屋には湯沸かしポットのみなので湯煎や電子レンジが必要な食品は向かない
消石灰を使った自分で発熱するのは火災報知器などの関係で避けたほうが無難
・雑巾
洗った食器類の水切りマット代わりや飲み物をこぼしたときなどに拭くなど
ダイソーの3枚セットで十分
USB充電器代わりに使用可能(USBポート3個で3,000円程度)
・30Lくらいのゴミ袋
ゴミ袋は支給されるが足りない場合などの補助や、荷物の仕分けに使用可能
・歯ブラシセット
・ひげそりセット
・ボディタオル等
・爪切り
基本、アメニティとしてはタオルとボディシャンプー、石鹸くらいなので
・ハサミ
いろんな面であると便利
・床用の掃除道具
ハサミと同じであると便利
備え付けのものがボディシャンプー兼シャンプー兼リンスの場合がある
・タオル類
・携帯ゲーム機
この資料が1人でもこれからマレーシアに入国する方々への一助となりますように。
以上
テレワークプランが安いので最近よく利用するんだが、なんというか色々辛い。
まず主張が強い。まあ創業者とかの本が置いてあるのは許容範囲なんだが、ボディタオルのパッケージにまで主張とは関係なさそうな格言が書いてある。しかもちょっと下品である。何を求められているかよくわからない。
コスト意識が高いというよりも、ケチ臭くて貧乏臭い。どの部屋も(テレワークプランじゃない最上階でも)一箇所は照明がちらついている。浴槽の「このラインの湯量で快適にご入浴いただけます」というのもつらさしか感じない。数リットル余分に湯を使われたことでどのくらいの費用がかかるというのだ。
冷房も冷蔵庫も外出中にはオフになる。冷蔵庫なんか使わない人のためにデフォルトオフだ。最低限の日本語しか教えられていない清掃員にも冷蔵庫のスイッチはオフにするよう徹底指導しているようだ。フロントの人はホテルマン的な対応をする人を雇う割に、清掃員が交換可能な人員を使っている感じも辛い。これ外国人技能実習生なら尚の事日本語か清掃効率技術を教えようよ…。清掃はすごく遅く効率が悪い。気の毒になってくる。清掃が入らないプランなので質問をしてみたが、教えられた言葉しか分からない。「後でですか?」そんなことは聞いていない。
この主張の強さを抑えれば、目指すところらしいビジネスホテルよりもちょっと上のリーズナブルなホテルを実現できそうなのに。これが無ければ業績が上がりそうだから、株主から追求を受けないのだろうか、とちょっと調べてみたら、株式公開はしていないようだ。なんというか、すごく納得が行く。
世話になっている分、文句ばかり言うのも気が引けるが、せっかく恵まれたビジネス感覚があるのだから、自己主張を抑えて業績を上げてはと思ってしまう。いや、自己主張のために全国展開する業種を選んだのだろうか。せめて連泊サービスの水くらい、顔写真を印刷せずに配ってくれませんかね…。なんか着飾っただけのどこにでもいる無名的な顔なので、あまり広告効果も無いと思うんですよね…。こんなにたくさん顔を見させられている割に、アパ社長当てクイズとか勝ち抜ける自身がない。ロゴをアピールした方が有用そうだ。でもそういうことじゃないんだろうなあ。
世間では在宅勤務とか、自宅待機とか言われているけど仕事の関係上都心に毎日通常通りの出勤体勢
仕方がないと諦めてはいるが、コロナ対策で、いつも以上に忙しく、帰宅は深夜になる
それでも今までは、コンビニは開いていたし、ふらっとお店で一杯飲んで、酒のつまみ一口食べて、とか、またはたこ焼き買って帰ったりとか、マッサージの店で肩揉んで貰ったりとかさ。
ジュース屋さんでいっぱい飲むミックスジュースに力が戻ってきたりとかさ。
今はそれすらない。
何が辛いかって、仕事は今まで以上に忙しいのに、それを癒やす物が全てないこと。
コンビニが開いているのが救いだけど、他は何もないから、生き返るー、って思いながら生ビール一杯飲んだりとか、駅で牛乳買ったりとか、ああいうささやかな幸せがない。
なんかもう気持ちがぼろぼろ。
この前は会社帰りにコンビニでストロング0買って、帰り道で飲みながら泣いてた
もうさ、真っ暗の道を歩いて帰るんだわ。お店全然開いてない。空は星がよく見える。
そんな中でもやっててくれてたお店がこの前、周囲にも色々言われるからって閉めてしまった。
感染の危険の中、みんなのインフラが使えなくならないように、マスクして毎日会社行ってるのにさ、帰りにたった一杯酒飲むくらいの自由もあってもいいだろ、とか思うわけよ
そこで感染したらどうするんだ!って、わかるよ、理屈じゃわかってるんだよ
でも流石に疲れてきたぞ
最近酒量が増えてきたよ
そういう人、多いんじゃないか?
在宅の人の方が酒の量が増えてそうだ
いつもならそこそこ高いホテルなんだけどなんか激安価格で人がいない
ホテルマンは暇なのか、いつもより愛想が5倍くらいいいように見える
家まで帰るのが辛くなってきてさ
だって、帰り道に人がいない。俺以外の人はみんな家にいるのかな、と思うと羨ましくなってしまう
毎日コロナ感染者が発表されてるけど、かなりの率で俺みたいな仕事行ってる人とか、医療関係者じゃないのかな
自宅で閉じこもれている人たちは感染率が低そうだ
いいなあ、と思いつつ、いや、よくないよ、仕事ない不安とか、俺には今ないもん、比べちゃ駄目だ、って思う気持ちと
なんだかぐるぐるする
明日もしごとだ。
あさっても。
しあさっても。
少年時代の描写がなかったので、どんな虐待を受けていたのか分かりにくいところがあった
父親に捨てられたトラウマがジョーカーを育てたところがあるというんだったら、それをもっと丁寧に描いて欲しかった
病院のカルテだったか診察のデータだったかをあんなに簡単に盗めるか?
というか、ああいう30年前の古い文書は残しておく価値があるのか?
ホテルで『モダンタイムス』(だったかな)を上映中にホテルマンに扮したジョーカーが劇場(?)内に立っているのは、絵になるからだったんだろうけれど不自然
ラストシーン、ホアキン・フェニックスをアップで撮り過ぎて暑苦しく感じた
小学校の高学年の時、クラスメートに一人、すこぶる不気味な男の子がいたのだ。
みんなでワイワイ一緒に遊んだりはしない、クラスの人気者枠ではない、群れてない、かといっていじめられっ子だったわけじゃなく、別の男の子と2人でいることが多かったように思う。目立つタイプではなかったけど無口というわけでもなく、誰ともしゃべらないということでもなく。スポーツはあんまり記憶がなく(ということは特に目覚ましく運動神経が良いわけではなかったんかな)、勉強は出来る子の部類だったんじゃないかなと思う。
その子が私に向かってたまに敵意を感じる言葉をぶつけてきた。学校からの帰り道、私が友達たちと別れてひとりになった後で。とはいえ「いじめっ子」というのとも違う。何ていうか、意味不明な言葉をさも罵倒っぽく投げつけてくるのだ。
当時の我が家は一戸建の家の前にカーポートがあり自家用車を置いていた。某スポーツタイプセダン。その車の車種名を何故か私に向かって投げつける。大声で、時には走り寄ってきて追い抜きざまに小声で。「ばーか!ばーか!」みたいな口調で、車種名を。
最初は、まさか車種を大声で叫ばれてると思わないから「?(野良猫でも見つけて喜んでるのかな)」ぐらいに思って私に向かってる言葉だと気づかなかった。ある時、追い抜きざまに我が家の車を指さして「(車種名)!笑笑笑」と嘲り笑いをして去って行ったので、何?車がどうしたの?と。小学生女子それも大してメカに興味があったわけでもないので自家用車の車種名なんてぼんやりとしか知らず、ああそういえばうちの車そんな名前だったかもなぁ。と思う。そして嘲り笑いへの強い不快感。
家に入って兄に「うちの車って変なの?」と聞いた。今思えばごく普通のファミリーセダンだ。ノーマル派の父が珍しくホイール変えた位で他は純正。ホント没個性の普通の車だったのだが、笑われるのは辛い。
同級生に笑われたの…と話をしたら、兄(やさしい)は心配してくれて、イヤなら反撃しろ、反撃できないなら帰る時間をずらすとか、友達についてきてもらえ、ついでに家でみんなでマリカーでもやりゃいいじゃんと言われた。みんなでマリカーやるのはすごく良いなと思ったので、一緒に帰っている仲のいい友達を誘ってマリカー大会をやった。兄(3つ上、やさしい)が謎のマリカーキングでアホみたいに上手かったので、兄がいるときはたまに混ざってくれた。「○○の兄ちゃんの神技見よう」みたいなノリで我が家がたまり場になった。
楽しかったのは良いのだが、毎日みんなが集まってくれるわけはない、せいぜい週に1回。当然ひとりで帰る時が大半で、なるべく時間をずらして後ろからついてこられないようにしようと思ってはいてもいつの間にか後ろにつかれ近付かれて追い越して振り向きざまにギロッと睨まれたり、思い出したように車種名を叫ばれたりしていた。本当に気持ちが悪かった。
マリカー大会仲間のなかの男の子2人とマリカー以外でも仲良くなって、いつの間にか3人の家を行き来したり、3人でどっかちょっと遠くの公園まで遊びに行ったりするようになった。たまには大勢でマリカー大会やりつつ、男の子の行動半径の広さ(私は割と引っ込み思案なタイプだったので)に引っ張られていくうちにだんだん楽しくなってその不気味な男の子の嫌がらせもどうでも良くなった。たまに睨まれたりされてもそんなに気にならなくなった。そのまま小学校は卒業。卒業するまでの間、散発的にその男の子の言ってくることやってくることで嫌な気持ちになることはあったような気がするが、まぁどうでもいいやという感じになっていた。マリカー大会から私は、女の子も男の子も含めて友達が一気に増えたこともあって、すっかり引っ込み思案じゃなくなった。
中学受験とか公立の学区違いとか引越しとかで、小学校の友達は割とバラバラになり、特に仲のいい数人以外とは日常的な交流はなくなるが、それでも「ジモト」だから色々彼らの消息は伝わってくる。大人になって「私に向かって車種を叫んでくる彼」の消息があまり幸せそうだとは言えないようなのが、なんとなく心に刺さったとげのような気持ちになっていた。
他の子たちは、私立中・高→いい大学→いいところにお勤め&美人と結婚みたいなエリート人生まっしぐらな子から、公立のいい高校行ったのに放浪→自称クリエイター実態は奥さんが養ってる、とか、保育士(男)とか、ホテルマンとか、子供3人育てて町内会の仕切りしてと忙しそうなお母さんとか、中学出たら実家の料理屋さんを継ぐために修行、今は板前さん、みたいな子まで色々いる。実家を継いで板前さんになった子以外はみんな実家は出ている。私は中高出て大学行って会社に入りワーカホリックになりアイツこのまま結婚しないのかと言われてたけどかなり遅くにウッカリ結婚した。
その「例の彼」は、私の母いわくずっと実家にいる。同じクラスでご近所だったから彼の母親と私の母親はご近所づきあいをしているのだが、彼の母親から聞く話が割と辛い話が多いようなのだ。母は私にその詳細は言ったことはないが「あなた実家帰ってきたならたまには地元の飲み会(年に1度、年末に帰省して顔出せそうな子が板前になった子の家に集まって飲む)に誘ってあげたら?」と言ってくる。私はそうねー幹事くんに言っとくねーと言ってお茶を濁す。一度は幹事に誘ったら?と言ったがその年の飲み会には来ておらず申し訳ないがホッとした。いつもつるんでた悪友男子2人からは「あいつはお前のことが好きだったんだから放っておけ」と言われた。もちろんこちらも深入りするつもりは100%ない。当たり前だ。中年に差し掛かった今でも鮮明に思い出せるほど不気味だったんだから本当に。もしアレが好きな気持ちの表現だったとしても、そんなもん受け入れられるわけがない。
実家で暮らしている私の母は、日課である朝の散歩の時に出勤中らしき「例の彼」とすれ違うと言っていた。気が付いた当初はあらおはようなどと声をかけていたのが彼からリアクションがゼロで、ひょっとして人違い?と心配し彼の母との井戸端会議にて確認を取ったところやっぱり本人よね?となり再度あいさつや会釈を試みたもののノーリアクションで、ついに先月、なんか気まずいから散歩コースを変えることにしたと言っていた。
小学校の高学年の時、クラスメートに一人、すこぶる不気味な男の子がいたのだ。
みんなでワイワイ一緒に遊んだりはしない、クラスの人気者枠ではない、群れてない、かといっていじめられっ子だったわけじゃなく、別の男の子と2人でいることが多かったように思う。目立つタイプではなかったけど無口というわけでもなく、誰ともしゃべらないということでもなく。スポーツはあんまり記憶がなく(ということは特に目覚ましく運動神経が良いわけではなかったんかな)、勉強は出来る子の部類だったんじゃないかなと思う。
その子が私に向かってたまに敵意を感じる言葉をぶつけてきた。学校からの帰り道、私が友達たちと別れてひとりになった後で。とはいえ「いじめっ子」というのとも違う。何ていうか、意味不明な言葉をさも罵倒っぽく投げつけてくるのだ。
当時の我が家は一戸建の家の前にカーポートがあり自家用車を置いていた。某スポーツタイプセダン。その車の車種名を何故か私に向かって投げつける。大声で、時には走り寄ってきて追い抜きざまに小声で。「ばーか!ばーか!」みたいな口調で、車種名を。
最初は、まさか車種を大声で叫ばれてると思わないから「?(野良猫でも見つけて喜んでるのかな)」ぐらいに思って私に向かってる言葉だと気づかなかった。ある時、追い抜きざまに我が家の車を指さして「(車種名)!笑笑笑」と嘲り笑いをして去って行ったので、何?車がどうしたの?と。小学生女子それも大してメカに興味があったわけでもないので自家用車の車種名なんてぼんやりとしか知らず、ああそういえばうちの車そんな名前だったかもなぁ。と思う。そして嘲り笑いへの強い不快感。
家に入って兄に「うちの車って変なの?」と聞いた。今思えばごく普通のファミリーセダンだ。ノーマル派の父が珍しくホイール変えた位で他は純正。ホント没個性の普通の車だったのだが、笑われるのは辛い。
同級生に笑われたの…と話をしたら、兄(やさしい)は心配してくれて、イヤなら反撃しろ、反撃できないなら帰る時間をずらすとか、友達についてきてもらえ、ついでに家でみんなでマリカーでもやりゃいいじゃんと言われた。みんなでマリカーやるのはすごく良いなと思ったので、一緒に帰っている仲のいい友達を誘ってマリカー大会をやった。兄(3つ上、やさしい)が謎のマリカーキングでアホみたいに上手かったので、兄がいるときはたまに混ざってくれた。「○○の兄ちゃんの神技見よう」みたいなノリで我が家がたまり場になった。
楽しかったのは良いのだが、毎日みんなが集まってくれるわけはない、せいぜい週に1回。当然ひとりで帰る時が大半で、なるべく時間をずらして後ろからついてこられないようにしようと思ってはいてもいつの間にか後ろにつかれ近付かれて追い越して振り向きざまにギロッと睨まれたり、思い出したように車種名を叫ばれたりしていた。本当に気持ちが悪かった。
マリカー大会仲間のなかの男の子2人とマリカー以外でも仲良くなって、いつの間にか3人の家を行き来したり、3人でどっかちょっと遠くの公園まで遊びに行ったりするようになった。たまには大勢でマリカー大会やりつつ、男の子の行動半径の広さ(私は割と引っ込み思案なタイプだったので)に引っ張られていくうちにだんだん楽しくなってその不気味な男の子の嫌がらせもどうでも良くなった。たまに睨まれたりされてもそんなに気にならなくなった。そのまま小学校は卒業。卒業するまでの間、散発的にその男の子の言ってくることやってくることで嫌な気持ちになることはあったような気がするが、まぁどうでもいいやという感じになっていた。マリカー大会から私は、女の子も男の子も含めて友達が一気に増えたこともあって、すっかり引っ込み思案じゃなくなった。
中学受験とか公立の学区違いとか引越しとかで、小学校の友達は割とバラバラになり、特に仲のいい数人以外とは日常的な交流はなくなるが、それでも「ジモト」だから色々彼らの消息は伝わってくる。大人になって「私に向かって車種を叫んでくる彼」の消息があまり幸せそうだとは言えないようなのが、なんとなく心に刺さったとげのような気持ちになっていた。
他の子たちは、私立中・高→いい大学→いいところにお勤め&美人と結婚みたいなエリート人生まっしぐらな子から、公立のいい高校行ったのに放浪→自称クリエイター実態は奥さんが養ってる、とか、保育士(男)とか、ホテルマンとか、子供3人育てて町内会の仕切りしてと忙しそうなお母さんとか、中学出たら実家の料理屋さんを継ぐために修行、今は板前さん、みたいな子まで色々いる。実家を継いで板前さんになった子以外はみんな実家は出ている。私は中高出て大学行って会社に入りワーカホリックになりアイツこのまま結婚しないのかと言われてたけどかなり遅くにウッカリ結婚した。
その「例の彼」は、私の母いわくずっと実家にいる。同じクラスでご近所だったから彼の母親と私の母親はご近所づきあいをしているのだが、彼の母親から聞く話が割と辛い話が多いようなのだ。母は私にその詳細は言ったことはないが「あなた実家帰ってきたならたまには地元の飲み会(年に1度、年末に帰省して顔出せそうな子が板前になった子の家に集まって飲む)に誘ってあげたら?」と言ってくる。私はそうねー幹事くんに言っとくねーと言ってお茶を濁す。一度は幹事に誘ったら?と言ったがその年の飲み会には来ておらず申し訳ないがホッとした。いつもつるんでた悪友男子2人からは「あいつはお前のことが好きだったんだから放っておけ」と言われた。もちろんこちらも深入りするつもりは100%ない。当たり前だ。中年に差し掛かった今でも鮮明に思い出せるほど不気味だったんだから本当に。もしアレが好きな気持ちの表現だったとしても、そんなもん受け入れられるわけがない。
実家で暮らしている私の母は、日課である朝の散歩の時に出勤中らしき「例の彼」とすれ違うと言っていた。気が付いた当初はあらおはようなどと声をかけていたのが彼からリアクションがゼロで、ひょっとして人違い?と心配し彼の母との井戸端会議にて確認を取ったところやっぱり本人よね?となり再度あいさつや会釈を試みたもののノーリアクションで、ついに先月、なんか気まずいから散歩コースを変えることにしたと言っていた。