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2014-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20140310143936

ハイファンタジーとか呼ばれていたある種衒学的な民俗学の羅列」が

日本ライトノベルの中で確固たる地位を築いたことなんてなかったけどな。

アルデラミンとかグランクレストとか読んでる?

2013-10-19

男の人との会話が面白くない

 仕事の話、身内の自慢話、衒学

 わざと私を退屈させようとしているんじゃないかと思うほど。

 この人、私のこと嫌いなのかなって考えていると、「ねぇ、今夜うちに泊まっていかない?」

 ただのバカ男だと切り捨てられないのが不思議

 高学歴な人が少なくない。

 ペーパーのテストができるだけじゃなくて、頭の回転が早かったり、書き言葉みたいに理路整然とした話ができたりする。

 情報量ゼロ女性ファッション誌愛読しているような脳ミソゆるふわ女子よりずっと頭良い。

 でも、お喋りはてんでダメ

 会話のための会話。会話を楽しむための会話。コミュニケーションの内容じゃなくて、コミュニケーションをすること自体に意味があるコミュニケーションができない。

 だけど、会社の中ではある程度出世してるから、男社会ではうまくコミュニケーションできているのだと思う。

 男同士の「良い会話」っていったいどんなものなのだろう? 私には見当もつかない。

2013-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20131002012613

しかに。思想を持ち込むのは悪くないし、むしろ込められてないと、表現として空虚だ。

エヴァだとかサイコパスみたいな宗教思想に凝った衒学的なものも、

それ系をかじってた人が見れば最高に面白い

京アニについては、変遷があったのがよくない。

以前はハルヒらきすたみたいな、オタク向けで意外にハードSFや、日常系萌えダンスブームの先鋒みたいな

革新的なものを描いていたのに、制作陣に女性が多くなったからか知らんが、真逆の方向へいってしまった。

徹頭徹尾国粋主義的なものを描いてる会社ならわかるんだが、そういう経緯があるからがっかりしてしまう。

まぁ氷菓原作がよかったか面白かったけど、

基本アニメオタク向けでいいし、オタク保守的メインカルチャーに反抗する革新的気質であるべきだと思う。

2013-08-19

あなたの興味関心はそれなりにマニアック固有性があるのかもしれないのだけど、ただそれだけ。

あなたの、自分が持つ興味関心へのアプローチの仕方、姿勢はあまりにも凡庸で、あなたの話を聞いていても全然面白くないのです。

ただ難しい、マニアック言葉身の回りを着飾っているだけ。それをまとう自分自身は極めて凡庸。衒学的で、知識や科学と言ったもの価値を見出す俗物

ああ!ああ!そのふんだんな知識で自己研鑽すればいいのに。苦しいかもしれないけど、頑張ってみたらいいのに。

いつも知識だけなのだ

2013-05-08

無根拠の迫力

ときどきなんだけど、なんか、ものすごい説得力のある言葉を吐くひとに出合う。

それこそ、増田とかで。つぶやきレベルの短い文章とかで、背景の事情とか全然よくわかんないのにさ。

言葉ちょっとした表現に影がついてるっていうか、なんかこう、すごい迫力があるんだよね。


衒学素養の有無で相手を見下したりするひとの一部から

そういう、「迫力のある言葉」への猛烈な嫉妬を感じる……ときもある。

2013-04-24

結局、実際の政治より信念のほうを優先するわけだ

社民党ポスターマジキチすぎると話題に

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1759220.html

このポスター、たしかにあちら側の方々が言うように「キチガイ」ではないし、一応の意図はわかる。

ただ、このポスターが大多数の有権者にどういうイメージを与えるか、そしてそれが選挙結果にどうつながるかを考えれば、

社民党の判断は自滅行為だと言わざるを得ない。

おそらく、社民党は「政権与党になり実際に政治を変えること」をもはや可能性のないこととして捨て、

自らの信念とあちら側の方々からのごく少数の支持があれば結構だと考えているのだろう。

結局のところ、あちら側の方々は実際の政治には興味はなく、あちら側の方々同士の衒学的な議論や、

デモ逮捕されたけど警察圧力に負けず釈放されました!正義は勝った!」という感じの、

体制にいきがる不良のような政治ごっこに終始することで満足なのだ


↑こういう言い回し太宰メソッドだ?そう批判して溜飲が下がるなら好きにすればいい。

2013-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20130325203847

その理屈だと本物のユーモアは本物の見識をもった賢者しか生み出せないみたいだけどさ

面白い面白く無いかなんて、発信者受け手の間の認識の差とかいろいろな偶然によって生まれるものだと思うけどね。

文化圏の違う賢者より普通人間感覚が近い分普通人間のほうが笑いを生み出す可能性は高いかもしれないし

まぁ、それはともかく素人衒学が気に食わないってのが言いたいんだおろうけどさ、

素人衒学を叩くことで自分は本物の知識を持っているor衒学趣味人間よりはマシな人間である証明したいみたいな

極めて個人的な願望しか読み取れぬよ。

2013-03-02

GJ部成功神メモの失敗

とある書店GJ部全巻(当時)が平置きされた棚に「ラノベ不要もの、それはストーリーでした」なる手書きPOPが垂れ下がっていたのを見かけたのはもう何年も前のことで、この世にはそんなふうにまだアニメにすらなっていないガガガの売れもしない怪作のために棚の上段を使い潰す書店というもの存在する。近年では「書店員が本当に売りたかった本」なんて惹句がなにかqualifiedとconscientiousの合成語のようにして使われているけれど、いくら書店員が書物に通じているとはい現実問題としてかれらの大部分は時給で贖われる単純労働者であり、その無資格書店員キュレーターとしての資質まで期待する人間のほうがそもそも恥知らずなのであって、現実書店員ガガガ文庫で、それもガガガ文庫のなかでも売れてないほうの作品で棚を使い潰しもすれば、そこに面白くもない手書きPOPを貼り散らして俺の心の甘皮をささくれさせもする。そんなに手書きPOPが嫌ならAmazonで買えばいいじゃない、という意見は確かに正論ではあるのだろうけれども、どうなんだろう、それはあくまで消費者側に向けた意見であるはずで、それを書店員たちが「人間がいなくちゃ本屋じゃないですから」なんて言いながら「書店員の顔が見える本屋」を構築し始めるのはどこか歪んでいるというか、個人的にはそういう手書き看板みたいのはラーメン屋に任せておけばいいと思う。話が逸れた。

GJ部原作の1巻が刊行されたときキャッチコピーは「史上初、四コマ小説!」といったものだったと記憶している。GJ部原作小説というのはひとつ数頁の独立した掌編が何の脈絡もなくただ三十も四十も寄せ集まって一冊の本になっており、ストーリーに類するものはまったく排除されていて、なるほど「四コマ小説」とは上手いことを言ったものだと思う。主人公ポジションのキョロ君は「GJ部の部室の前を通りがかったところ突然袋詰めにされ拉致されて強制的に入部させられた」ことが節々でほのめかされるが、その具体的な様子については一向に語られる様子がないし、こないだアニメにも出てきた緑髪の後輩にしてもアニメ6話の時点では影も形もなかったのが7話の冒頭では既に部の一員になっていて、彼女もまた袋詰めで拉致されたということだがやはりその場面なり様子なりが具体的に描写されることはない。GJ部は万事その調子で、はじめは戸惑ったものの、やがて「これは実はよく考えられたシステムなのかもしれない」と思うようになった。

GJ部面白いか、と問われれば首を傾げざるを得ない。すくなくとも原作には心動かされるようなものはなにもないし、作者の新木伸ならではの詩情や美意識といったものも感ぜられない。たとえばGJ部には紫音さんという紫髪の先輩がいて、彼女は完全記憶力を持つチェス天才で喋りも衒学的という設定だが、その「衒学的な喋り」がなんというか、よくある「頭の悪い中学生一生懸命考えた頭のいいキャラの喋り」という例のアレのものであり、結果として紫音さんの喋りというのは口を開けばテレビネット受け売りを垂れ流す残念な女性のそれのようで、見ているとどうしても生暖かい失笑を浮かべてしまう。ポテチの重量の何十%は油だが油は美味しいからね、味覚というもの人間が常に飢餓にさいなまれていた頃から進歩していないものなんだよ、とかなんとか。作家仕事というものはこんな愚にもつかないトリビアを並べて枚数を稼ぐことではないはずだ、と柄にもなく文学論をぶちたくなりもするというものだが、たとえばこれを杉井光に書かせればこうなる。

「ここで一晩膝抱いてればお父さんの気持ちがわかるとか、そんな馬鹿なことでも言い出すつもり?」

けれど探偵はそれには答えなかった。かわりに、問いを返す。

カメラ語源を知っているかい」

    ――「神様のメモ帳7」

薀蓄のお手本として壁に貼っておきたいくらいの素晴らしいフレーズだが、しかしこのレベルクオリティで作品を量産しつづけるのは普通作家には不可能であるし、たとえその離れ業が杉井光という超人には可能だったとしても、その属人的才気は模倣も複製も不可能で、だから杉井光という才能それ自体が神様のメモ帳という作品の限界になってしまうし、結果としてアニメ化は無残に失敗する。杉井光の詩情をアニメ翻訳することがそもそも困難だから映像化不可能、という言葉はなにも特撮の困難さばかりを指すのではない。

唐突杉井光引用したのは、GJ部原作者である新木伸はかつて若き日の杉井光指導していたことがある、というよく知られたエピソードから連想であるが、しかしよりにもよって新木伸杉井光とは、つくづく扇情的な組み合わせだと思う。杉井光業界レベルで見ても期待の星であり、対して新木伸は今となっては完全に過去の人で、書くもの時代に合っていない云々以前にそもそも単純に質が低い、という印象だったが、しかGJ部アニメ化はとても上手く回っているように見える。GJ部原作からスケールしない要素が注意深く排除されており、新木伸しか書けないような描写はけして登場しないから、容易に原作脚本翻案できるし、違和感なくオリジナル要素を追加できる。ストーリー存在しないか原作破壊心配もなく、忙しいアクションや息詰まる心理劇もないから演出も難しくない。それはサザエさんドラえもんアニメが到達した地平に似るが、しか教育的正しさの美名のもとに去勢されたドラえもん長谷川町子の遺産を絞りつくした出し殻としてのサザエさんとは違い、GJ部はそもそもはじめから記号のみを志向していたという点で特異である。それがああして幸福アニメ化されているのだから作家としては疑問符新木伸も原案者としては悪くなかったということなのだろうし、その意味では神様のメモ帳アニメ化失敗の原因の一端はある意味杉井光に求められるといえるのかもしれない。結局神様のメモ帳アニメはまったく話題にもならず、ヒロインアリスが「神メモちゃん」として一部で消費された程度であったが、その消費のされ方が「喋るときは○○めも、と謎語尾で喋る。風呂に入ってないので臭い」というまったく原作と無関係記号を与えられた上できわめて記号的に消費されたのは、考えようによっては皮肉ともいえる。

しか人生は続く。平野耕太アニメHELLSING最終回を見て「前座にしてやる」とのたまったそうだ。新木伸物語が「杉井光電撃文庫デビューを果たし、新木伸はその後鳴かず飛ばずのまま引退しました」では終わらなかったように、杉井光もまたここで終わりではない。次の杉井光原作アニメGJ部とは別の方向で大成功することを期待しつつ筆を置く。

2011-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20111021184147

いや、衒学自体に人気があると言うつもりはなくて、ただ、

「これはポップに見せかけた衒学趣味だ」と早々に“見切った”人たちが、

実はそうではないことに気付かないまま、

「早く本題(=衒学)に入れ!」と言っているみたいに見えるんだよ。

「演出の技が必要」というのは同意するけど、

いまピンドラに文句をつけている人たちは、

むしろ「演出過剰で中身についての説明が無い」と言っているように思う。

http://anond.hatelabo.jp/20111021171633

それは確かに感じる。

ただ、「ポップ」の隙間から衒学」が見えてるとは思うんだよね。

第一話を見て「これはポップなだけの話だ」とは誰も思わないんじゃないか

でも、いつまで立っても「衒学」は隙間から見えるだけで、

コーティングされた「ポップ」が剥がれないから、

堪え性のない視聴者が癇癪を起こしているように見える。

http://anond.hatelabo.jp/20111021165653

90年代後半はウテナナデシコに限らず軒並みエヴァの影響下にあったけど、

衒学的な小難しい部分ではやはりウテナだと思う。

2011-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20110523173054

大辞泉を相手取って戦う匿名さんが現れたみたいです

がんばって~w

だ~か~らあ

馬鹿なのは大辞泉じゃなくて君。

耳ふさぐのはやめよう。

有村大先生

からかいだと説明しなかったらそうは思わなかったぞ。

大先生っていうのはなにかの世界のよほどの大家でないと本来の意味では使われない。

もしくは、親子二代でやってる師匠医師などが「大先生」「若先生」と区別されたりするぐらい。

そういうとこを感じ取る国語のセンスも知識もまるでないわけだ。

前はじめからありむーを見下してるだろ。本筋とは無関係なところでアホな性根を漏らすな。ダダ漏れを食い止めるには他があるだろうw

パブリックidの中からわかりやすいものとして使ってるだけだよ。

別にフロム大先生でもよかったけど、年配者より若輩の方がより揶揄の用例としてわかりやすい。

30そこそこの人間大先生と呼ばれてたら間違いなく冗談からかいです

心を砕いてわかりやすくしても馬鹿には無駄だったようだけど。

追われてるかと思ったら実は追いかけてた、みたいなボケですか。

カッカしながら無意味部分を増やす前に

本題でピリッとしたことを書こう。

そう、じゃあ大辞泉クレームつけないとね。編者一人ひとりにも投書かな?

から馬鹿はお前で、お前の知識と解釈が全体的に間違ってるの。

大辞泉大辞泉って、権威にすがりついて責任転嫁しないように。

まず前提から違うw私が浅学非才なのは間違いないがこの文脈における馬鹿はないからなあw

おじさんが衒学趣味に走って足元を掬われたのはあちゃーとは思ったけど

馬鹿なのに浅学菲才とか衒学なんて言葉ばっかり知ってるのがまさに衒学趣味って言うもんだ。

から知識披露するつもりのとこで浅学「非」才なんて書いたりする。

敬語面白みなんて概念まで持ち出すのか。わけがわからないよ

言葉の用法、面白み、

これらは言葉の元の意味と変化の工夫をしってなければ理解できない。

原始人くんにわけがからないのは当然だよ。

敬語面白みなんてない」!

これが原始人だよ。

言葉遊びなんて全部わからないならもうそ世界で生きればいいじゃないか

なんで暴れてるのかな。


オーケーオーケー、いいんだねwできれば大辞泉を相手取って抗争した結果を、まあ僕が忘れた頃までにはトラバにくっつけてくれないか



なんかなっがいのをまとめると


「おおおおお、俺は間違えてないし恥もかいてないんだああああ!うぎゃああああ!辞泉!大辞泉!じぃせええんん~~~~~!!!!」


ね。

お疲れ原始人。

穴に帰ってチンコ噛んで枕濡らして寝なちゃい。

http://anond.hatelabo.jp/20110523162636

尊敬語。

尊敬言葉からかい言葉に使ってるだけ。

もし尊敬語でなくなってしまったらからかいに使う為の中身も亡くしてしまうのに同じ。

いやーごめんごめん、ソース間違ってたよ

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/171978/m0u/宣ふ/

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/17468514439000/

◆現代語では、尊敬語としてではなく、からかい半分のふざけた言い方として、「いかにも、もっともらしく言う」「大きな態度で言う」などの意に用いることがある。「そんなわかりきったことはのたまうな」「おそく帰宅して、食事はないかなどとのたまう」

大辞泉を相手取って戦う匿名さんが現れたみたいです、ということは小学館を相手取るんですね!

がんばって~w


有村大先生がこうおっしゃった」

からかい意図の文・用例だけど、

先生」も「おっしゃった」も尊敬のための語。

ね?

いや、ね?じゃないでしょ。おじさんがからかいだと説明しなかったらそうは思わなかったぞ。

お前はじめからありむーを見下してるだろ。本筋とは無関係なところでアホな性根を漏らすな。ダダ漏れを食い止めるには他があるだろうw


おい頼むよ、

これぐらいのレベルにはついてきてくれ。

え、なに?

追われてるかと思ったら実は追いかけてた、みたいなボケですか。


相手を上に押し上げてからかう、というのが尊敬語の揶揄用法の中味。

上に押し上げる、尊敬する、という意味を認めなかったらからかいとしても機能しなくなるの。

(ちなみにこんなもん別に現代に発明されたものでもなんでもない。)

そう、じゃあ大辞泉クレームつけないとね。編者一人ひとりにも投書かな?


こういう馬鹿なことを言い出すのは要するに

君がからかい意図で使われてるのしか見たことない&自分辞書で調べなかったからで、

「これは目下に見る言葉だ」「乱暴な言葉だ」という勘違い今日まで信じ込んできたというだけ。

からかいに使われてるけど本当の意味は」とか「どういう捻りでからかいに使ってるか」を

知りもしない・理解できなかったか馬鹿なことを言い続けてるわけ。

まず前提から違うw私が浅学非才なのは間違いないがこの文脈における馬鹿はないからなあw

おじさんが衒学趣味に走って足元を掬われたのはあちゃーとは思ったけど


「のたまう」を「ほざく」「抜かす」的に用いる面白みとは

かしこまった場面で使うべき道具をバールとして用いる面白みであって、

最初からバールとして使われてるのしか見たことない原始人が「これはバールだ」と信じ込んで振り回しだした

もうな~~~んにも面白くないわけ。勿論間違ってるし。

自分に使う、という全く成立しない用法もやってしまう。

おじさんは敬語面白みなんて概念まで持ち出すのか。わけがわからないよ

ことばについての認識自体がこちらとズレがあることは納得したが、それは本筋ではないwそれと比喩があまり適切ではないw少なくともこちらからは受け取れたものではないwお返ししたいw

むしろ絶対に削除するなよ、というのがお願いだ。

君が後からしたくなっても消すの禁止な。

たまに消す奴居るけど卑怯だよあれは。

オーケーオーケー、いいんだねwできれば大辞泉を相手取って抗争した結果を、まあ僕が忘れた頃までにはトラバにくっつけてくれないか


辞書を引けと書いて、その辞書に足元を掬われた心中はお察しするけども。

・「辞書を引け」といわれた意味が全く分かってない。

・興奮しすぎて二人いる君の相手が混ざってる。

いやいや、そこに突っかかってきてもムダだよw

君が誰だろうと実際のところはどうでもいいwそんな瑣末なところが大事ならブログで書くさw

そんなに立腹するようなことかなあ?思ったより面白くて申し訳ないんだけどもw

2011-02-22

赤松健

自分面白い物を売りたい、はロマンチストすぎる。」

「私は退路を確保して漫画界に来たんです

でも、後輩の漫画家たちは、退路がないんですよ。」

自分が描いてて楽しいと、

自分が楽しみ代を払ってることになるからもうからないんです

編集者や読者を楽しませようと思って描くと、

楽しみ代が自分に入ってくるんですよ。」

竹熊健太郎

ロマンチストでありたい。」

自分が死んだ後も自分が手掛けたものに残っていてほしい。」

(大衆消費ではな個性的な作品として?)

「組み立てる過程こそが楽しい。」(存在意義)

宮崎駿

自分の作りたいものを作ってるわけじゃないんだよ」

「楽しんでもらえたら、自分存在が許されるんではないかっていう、

無用なものではなくてというふうな抑圧が自分の中にあるから。」

浦沢直樹

自分の好きなものを描いてるわけじゃない」

五味一男

「企画の出発点を "消費者ニーズ" よりも

"自分の個人的な思い" にしてはいけない。」

「"ありそうでなかった" 物、

実現してしまえば "なんだ普通じゃん" というものを創るのが極めて大切。」

斎藤一人

「なまじ特技があるとそれを活かそうとするから、世間が狭くなる。

時代にあったことをいつもしていなさい。」

宮本茂

「僕らは"作品"ではなく"商品"を作っている」

押井守

自分普通映画を撮ったところでなんら存在意義が無く、

映画発明するのが自分の役割」

庵野秀明

エヴァ哲学じゃなく衒学(げんがく)的、(知ったかぶり)なんです。」

「僕にとっては、それ(現実に引き戻すこと)も"サービス"なんですよ。

お客さんにとっては良い事だと思うんで。」

Apple

イノベーションとは

「今にない、新しいものを作ること」ではなく、

未来にある普通のものを作ること」である

2010-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20101117003251

深い知識と思考力があってもほぼ衒学に終わる。

宗教宗教として生かすのはかなり難しい。

2010-06-18

自分の頭の悪さに嫌気が指す

はてブ漁ったりtwitter見たりするようになってから、自分って頭が悪い方の人間なんだなって度々感じるようになった。同年代の人であっても何らかの対象について深い考察をして文章書いてたり、俺ならやりとりを理解するだけで時間がかかるような難しい議論を交わしてる人がいる。どうすればあんな風になれるんだろう。

必ずしも話題それ自体が難しいってわけじゃなくて、例えばアニメについてなんか難しい言葉使ってうんぬんかんぬん語ってる人とかいるじゃん。togetterとかでもくだらない話題で何故かすごい議論になってたりするのをみかけるじゃん。多分衒学的なだけで内容的にはそんなに高度ではないのも多いのだろうけど、そういうものでも自分が書けるかって考えてみると答えはNOだ。

そういった劣等感から、浅薄さを晒すのが怖くて議論したり長い文章書いたりするのを回避するようになってしまった。何かを語って、そのおかしさを指摘されるのが怖い。そんなだからいつまでたっても進歩しないんだろうけど。あまり本読まない方だったからバカなのかと思ってちょっとずつ本も読むようにしたけど、知識を詰めればいいってわけでもないんだろうな。社会人になるのも近いんだけど、こんなんでやっていけるんだろうか……

2010-06-01

分かってもらえるとは思ってないけど、分かってもらおうとは思って

それが誠実さってことだと思う。

だけどそれがbullshitの引き金になったりして。

最初はこの文章、さよならディスコミュニケーションさよならフランクファート

そして、こんにちわ「人それぞれ」

そう書きだしてみるつもりだった。

だけどちょっと気が変わった。フランクファート読んだことなかったから読んでみることにした。

いくら衒学趣味でもちょっとくらいは真面目なところを見せたのだ。

フランクファートはアメリカ道徳哲学やってる人なんだけど、日本語訳されてるのは、on bullshitって本だけ。

邦訳は、ウンコな議論。

こんなこと議論してても意味ねーよばーかくらいの意味

これは僕の独断。本文中では、おためごかしって言葉が使われてたりするけど、これはちょっと一般的じゃないだろう。

翻訳者山形浩生は、ウンコな議論の具体例として、小泉元首相の、「人生いろいろ」という発言を例にあげている。

ウンコな議論は嘘を言っているわけじゃない。

ここで最初に戻るんだけど、「人それぞれ」もそうなんだ。

嘘を言っているわけじゃない。確かに人それぞれだ。

だけどそれは解答の放棄だ。

正解が何種類あるかはわからないにしても、全ての人が正しいってことはないだろう。

相対主義(つまり、人それぞれってこと)は何も生み出さない。

衝突も、議論も、止揚も、向上も、疑問さえも。

勿論それは日常生活スムーズに送る上では必要なことなんだけど。

だけどその考えがウンコな議論を必要としない場にも入り込んでくるんだ。それはよくない。

言語は思考を規定する。それがビッグブラザーニュースピークを作った理由だ。

つまり、自由と言う概念存在しなければ、人は自由について考えることをしない。

もし仮に誰かが自由について話したとしても、他の人はそれを理解できない。

ウンコな議論だってそうなんだ。ウンコな議論と真の議論を見分けられなければ、ある出来事に対して適切な理解をすることが難しくなるんだ。

ウンコな議論に慣れ過ぎていると、真の議論は乱暴で粗野なものに見えてしまうんだ。

大事なことは二つ。ウンコな議論かどうかを見分けること。

そして、ウンコな議論が適切じゃない場におかれている場合は、それをこれうんこだよって言ってどけてあげることだ。

2010-03-09

あなたは森毅を読めていない(同じく元・ダメ学生より)

私も森毅本が好きだった立場だが、一言いわせてもらう。

確かに怠惰奨励するような言説が世に跋扈していて、それに惑わされる若者がいることは認めよう。そういう人たちを批判すること自体は構わないと思う。しかし森毅をそこで非難するのは誤爆と言わざるを得ない。

そんなときに、森が著書の中で

「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリート勝手に育つもんだ」

と主張していたのに、救われた気がした。

いったい森毅がどこでそんなことを言っていたのだろうか。

森毅が言っていたことは、私の解釈では、

「こうあるべきだ、という型に囚われる必要はないし、『エリートたるものかくあるべき』という型に学生をはめるのも馬鹿らしい」

「人に言われたことやイデオロギーを何でもかんでも真に受けて生きるのは痛々しいし危ない」

というそれだけのことに尽きる。ただ、これらの命題は自家撞着と紙一重(「俺の言うことを聞くな」というのはパラドックスである)だから、あんな持って回ったような言い方になっている、それだけのことだ。

私はそれを当時理解できずに痛い学生生活を送ったからこそ、その言葉の正しさを今になって身に沁みて実感していると確信している。

私が大学生になるかならないかの頃には、「怠惰奨励」とはちょうど逆の言説が流れていた。「分数ができない大学生」だの「東大生はバカになったか」だのその手の本だ。その手の本を読めば、

日本大学生勉強しない、教養がない、東大生でも厳密な学問を理解できない、旧帝大生といえども外国大学生に比べて圧倒的に劣っている」

というようなことばかりが書かれていた。

それを真に受けた私は、「教養」とやらを身につけ、「あるべき大学生の姿」に自分を近づけるために随分つまらないことをやってしまった。興味も何もないのに哲学書だの文学書だのを紐解いてみたり、あるいは勉強の過程において、興味の範囲をはるかに超えて厳密さのために厳密さを追究してみたり。全く無駄であったとは言わないが、著しく非効率だったことは間違いない。そんな衒学的な「教養」だの、必要最低限を越えた完璧主義的な「厳密さ」だの(ε-δ論法というレベルではなく、物理数学勉強するためにまず数理論理学勉強するような類、あるいは読み始めた本は最後まで一行たりとも漏らさず理解しなければ許さないとする類の)を、自分の興味から逸脱してまで追い求めても、苦痛なだけで身に付くことは乏しかった。今だから分かるが、私はもっと自分を信用して、自分の興味に忠実になるべきだったのだと思う。そうすれば、「教養」だの「厳密さ」だのは、必要になった時点でいくらでも身につけることができただろうからだ。「青春」をエンジョイすることを放棄して人よりも多くの勉強時間を使っていたのに、人より飛び抜けて優秀でもない自分に嫌気がさしつつ、どうしてよいか全然わからなかった。修士論文のための研究をやっていて最後の数ヶ月でようやく自分の過ちに気づいたとき、余りに自分時間無駄にしていたことに気づいて絶望的な気分になったものだった。

敢えて長く自分語りを続けてみたが、あなたと対極的な私の失敗談を読んであなたはどう思っただろうか。「お前の下らん失敗など知るか、そんなどうでもいい本を真に受けたお前が悪いんだろうが」。その通りである。私が馬鹿だったのである。人に馬鹿と言われたくないがために、「教養がない大学生」「学力低下大学生」と言われたくないがために、自分無意味ガチガチに縛ったために自分学生生活を楽しくなくしてしまった私の単なる自爆である。しかし私の失敗とあなたの失敗の一体なにが違うのか。どこかで見聞きしたことから勝手自分で組み上げてしまった自己規範に従った結果、自分人生スポイルしたという点で、あなたと私のやったことは全く同じだ。そして森毅が言っていたことの真意を全く読み取れていなかったのも全く同じだ。

「他山の石」という言葉をご存じと思う。私の自分語りが痛いと思われるならば、あなたの自分語りも同じぐらい痛いことを思い知るべきだ。そして人を恨むのではなく、逆に過度に自分を責めるのでもなく、ただ自分が失敗したという事実を受け入れるべきだ。運が悪かったのか、環境が悪かったのか、そういったことが原因であなたや私は正しい道が見えなかったのかもしれない。だが、そのことに不満を言っても誰も助けてくれないし、失われた時間は返ってこないのだ。ならばせめて、今後の時間無駄にしないようにお互い努力しようではないか。

http://anond.hatelabo.jp/20100308183630

(元URL: http://anond.hatelabo.jp/20100307133147

2009-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20091222090823

まぁ増田が基本的に庶民蔑視に傾きすぎだったんで、まぁお前もそれの一部に過ぎぬのだよって感じでちっとからかいすぎたきらいはあります。すいません。

たしかに公務員講座ってのは手軽なわりには有効な対策だとは思います。明治立教ぐらいを出てる知り合いのやつでも、地上合格者はなんだかんだ賢いやつが多い。少し専門的な話をしてみても、「関心をいだける」程度の知的水準は身につくんですよね。逆に言えばなんだかんだ短期間でも広く浅くかじれば誰でもそれぐらいにはなれるわけで、もうちょっとは日本民主主義もまともに機能するようになるかと。

さきほどの私のエントリだけだと誤解されるでしょうが、教養とはそもそも考えるためのベースであり、衒学目的としているようじゃ本来おかしいです。教養主義者としてはもうちょっとうるさく「深くやれ」だの言うかもですが、みなに教えるべき素養としてはそれぐらいがちょうどいいかと思われます。

幸い、日本は「試験」が絡んだ参考書の充実ぶりは、群を抜いていますしね。法律でいえばシケタイとか、素人やそれ+αの層にとっては十分すぎるほどよくできた書籍だと思います。

2009-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20091028210459

元増田の文章を衒学的と揶揄した俺が推敲してみた。

 

 

俺はたぶん頭が悪い

人間の脳にはスーパーコンピューター並みの処理能力があるらしいが、俺の頭脳はその説に異を唱えたくなるような代物だ。

そんな俺が頭の良さってやつを論じてみるわけだ。

こんなものを誰が読みたがるのか、その意味からして真っ向から否定されても当然な行為ではあるが。

 

本題に入る。

つい先日夜遅くまで増田で議論を戦わせていたのだがその間、頭が悪い罵倒をされること数回。

いや困った。傷ついたとかそういうことももちろんあるのだが、それ以上に困ったのは、

俺が俺自身のことを多少なりとも賢明だと思っているからなのだ。

冒頭と言ってることが違うのは承知しているが、仕方ない。

客観的に頭が悪そうなやつの主観が、現実と大きく食い違ってるなんてことはありがちなことだ。

 

恐らくこれからも繰り返していくのだろう。「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。

 

まあ人間だからそういうこともあるわな、とかそういう話で終わっても良いんだけど、何度となく人から馬鹿馬鹿と言われ続け、

それじゃ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ! と行き場のない怒りを覚えてしまった俺を誰が責めよう。

 

その条件をひとつあげるならば、それは他人を納得させることができる、ということなのだろう。

少なくとも議論の場では、プロタゴラスは頭の良い人間だったのだ。

その上に正義なんてものが付けばもはや最強ではないだろうか? 正義あるプロタゴラス。うん、最強だろコレ。

http://anond.hatelabo.jp/20091028205712

すみませんプロタゴラスって言いたかっただけなんです最近古典倫理学講義でちらと耳にしたのを思い出しただけなんです衒学者ですみません。その点についてはもう貴方の仰る通りで。

あと本題に入るっていう前置きも、正直文章の流れを断つ以上の意図はないままに書きこみました。

まあ馬鹿って自分で公言している以上幾ら馬鹿馬鹿言われようがどうということはありまくりですね。

http://anond.hatelabo.jp/20091028204930

では衒学的でない提言をする者が「頭が良い」のか。

回りくどくない物言いをする者が「頭が良い」のか。

リズミカルな文章を書く者が「頭が良い」のか。

文章上のミスの少ない者が「頭が良い」のか。


そのどれもが「頭が良い」ことに対する必要十分な条件とは成りえない。

いいとこ十分条件といったところである。

とりあえず本来の論点を踏まえた返答を期待しているよ増田くん。



(要約:うっせー誰が校正して下さいなんざお願いしたよすっこんでろ)

http://anond.hatelabo.jp/20091028204930

元増田の文章は機械的に「訳」と「いや」と「まあ」を省いて、調整をかけると面白くなりそうだよ。

そこはかとなく衒学的な感じならもうちょい思い切って欲しかった。俺は受ける。

http://anond.hatelabo.jp/20091028202023

増田の文章を読んで、ちょっと頭悪そうだなと思った。

 

まず文章の主語述語の構造がねじれていて、意味が通りづらい。

細かい言い回しで、ミスとも言えないような微妙ミスが目立つ。

 

 

>必要性としては皆無といっても差支えのない提言ではある。

 

わざとらしい文語体にしてるのはわかるけど、この言い回しは不自然だ。

 

 

>つい先日夜遅くまで増田で論議をしていたわけだが

普通は「議論をしていた」か「論議を戦わせていた」じゃないかな。

あえて論議をしていた、にした意図が不明。

 

 

>俺が俺自身のことを多少なりに賢明だと思っているからなのだ。

 

「多少なりとも」ね。

 

 

正直、文法なんてのは言葉リズムが良ければ、どうでもいいと思ってる。

残念なことに、増田の文章には、リズムも知性も欠けているんだ。

他にも「まあ」が多いとか、口調が回りくどいとか、そこはかとなく衒学的な感じとか、

色々「ちょっと頭が悪そう」な要素が揃ってるんだよね。

なんつうか、中途半端です。がんばりましょう。

2009-10-13

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小学から人生の大半を左翼の為に費やしたけれど左派ブログを見てもネット叩きが多くて嫌になる

事情廃人化していたけれどネットで意思疎通に慣れたお陰で社会復帰出来た。ネットは心の故郷

ネットが無ければ誰とも話せないままだったし首を吊っていたかも知れな

ネットで馴れ合うことで得たコミュ力は余りにも大きい。活動場所などは身元がバレるので書けないが

ネトウヨ社会的地位のある奴、脳筋、逆に衒学的すぎる奴はどうしようもないが、

若い人に一番多いコピペを信じてるだけの奴や量産型ネトウヨは絶対に治る

一番の薬は論破や暴力でもなければ子供扱いして馬鹿にする事であるはずがなく

少しずつ諭すことだ。彼・彼女の気持ちを労り決して厳しい言葉を何一つ使わず相手を何一つ否定せずに。

ネトウヨどころか生長の家信者だって一人治した。彼女は以前公然と人権を否定していたが今回は民主党女性候補投票した

かなりの人数をうまく心変わりさせた。ネトウヨや、左派同志の内ゲバネトウヨ人格否定しか出来ない「左派」と違って

政治の話は、能動にはしない、会話の中で自然政治の話題が出たり相手が差別用語デマを口走ったときのみ、その方が彼らの心には響く。

だが、心の故郷を徹底的に否定されるのが結末だった。十数年頑張って来たんだが。

ネトウヨ馬鹿にしたりネットを否定する「左派」には精神弱者の心がわからない

彼らはいわば、精神弱肉強食主義者だと思う

ネットでしか会話できない人間馬鹿にするのがリベラルですかそうですか

引きこもりニート二次元の住人で何が悪いんだ・・・。ペドフィリアでもいいじゃないか

心を開いた彼らは、まっとうな社会人(笑)より余程人間らしくて優しい。オタク文化の性質上、LGBTへの理解は特に。

既に仲好しになった後ならばたとえネトウヨでもこちらを売国奴だとか朝鮮人めとか言って来ることもないのだ

民主党をこき下ろす書き込みをしてきた相手でも、こちらが民主党擁護を書いたら、

再反論はしてきたが民主党への言葉遣いはとても穏やかになった。仲間の好きなものを全否定するのは心苦しいからだろう

全否定もレッテルハリも出来ない状態でこそ初めて会話の余地が生まれる

キモオタニートウヨわらわら」なんて書き込んでくる相手ならば、たとえ正しいと思う事でも反論して論破したくなるというもの

仲良くなってやってから時間かけて諭してあげればいいじゃないか

人格否定でネトウヨの気持ちを踏みにじる「左派」は多様な存在や変わり者を認めない時点でリベラルかどうか疑わしいが戦略面でも失敗している

最近は「元から「左派」」の人間ブログを読んでも全く楽しくない、左派には社会不適合者がいないからだ。

民主党政権になったら、日本人精神性が根本から変わり、少しは楽しい国になるかと思った

現実にはネット叩きが増えただけであり政策はマシになっても精神性は悪化したようだ

左派といるよりネトウヨと仲良くしながら少しずつリベラルに引き込む方がずっと楽しい

ネトウヨの気持ちはよくわかる、こちらもネトウヨと同じか以上に引きこもりニートで虹でペドだから。

もっとも、ネトウヨにもそんなテンプレ人間は少なくそうした属性を一つも持たない人間も結構いたが

そうした属性が少なすぎても多すぎてもそれぞれ違った政治右派の側面が残り抜けきらないことが多いようだ

経済右派は余りいないいるのは弱者叩きだ

何それ釣りかよなりすましかよと思うかもしれない。

子供心に暴力が嫌いで平和が好きという理由で左翼になってから

ずっと左翼として生きているから本能的に日の丸が嫌いだし、赤旗が好きだ。

こう書いてみるとますます釣りくさいが、本当にそうなのだから仕方ない

いつか左派と話しても楽しいと思える日が来るといいな。

個人を特定されない為内容に非常に注意している為書きたい事がまとまらず申し訳ない

しかしどうしても、ネット叩きに我慢がならなかった

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