はてなキーワード: せん馬とは
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(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場
ソシャゲを下請けするということと、こちらに対するブコメとトラバ見て思った。
みんな人件費高いっていってるし、実際ブコメやらトラバで指摘されているとおり、もっと現実は安いぜ!どうだ!キッツいだろ!ドヤ!みたいな印象受けるんだけど、そもそも自力でソシャゲを一本作れる実力あるのになんで下請けに入ろうとしてるんだかさっぱり意味わからん。
自分が作ろうとしているソシャゲがiphoneのトップセールス200位に入れそうなら、下請けするんじゃなくて、自分中心で出せばいいじゃん。そしたら高い高いという人件費ぜんぶまるまるあなたのもの。もしかして、マゾなの?頭湧いてるの?
販売チャネル開拓の資金が用意できないので下請けというなら、下請けじゃなくて少なくとも協業前提にして、販売チャネル開拓は「俺氏の為におまえのリスクで絶対やれよ?」という契約も結んじゃえばいいんじゃない?相手がやる気うしなう寸前ぐらいの利率にすればwin-winじゃん?ソシャゲ作れる側が、自ら望んで不利な立場に入ろうとしているのがマゾっぽいぞ。
実は自分でも儲かりそうにないように見えるなら、さっさと下請けなんかに入らず、そのネタさっさと捨てて儲かる事を考えることが有意義っすよ?儲からなかった時/うまく開発が行かなかった時に、本気で面倒なしわ寄せ押し付けてこようとするのは常に発注元っすよ?この時、付き合ったら最後、地獄まで追い詰められるかもよ?ソシャゲで下請けに入るのは、実はハイリスク・ローリターンだと思うこの頃。
まあ、資本主義なんて、しょせん馬鹿から金むしりとるのが本性なんで、ソシャゲ作れるのに下請けになろうとする馬鹿が居ないと、発注元はいろいろ困るのは確かなんですけどね。
痛いニュース(ノ∀`):理想のお姫さまを待ち続ける「童貞(シンデレラ男)」が増加傾向http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1338787.html
なんてエントリを見るにつけても腹立たしい。
いい加減あんたがたは認めるべきなんだ。
我々は既に「男子」なんかではない。
我々、
というのは「30前後~以下世代」とか「非イケメン」とか「オタク気味」とか
ネットやはてなにゴロゴロいる男を大雑把に想定してもらえばよいが、
我々はこの歳になるまでさまざまな形で去勢されてきた。
あんたがたも必ずどれかには参加してる筈だから知らねえとか他人事だとは言わせねえ。
・子供の頃には個性尊重だかなんだかの教育で"競争を蔑むこと"を教師から教えられ
・小学校高学年に上がればバブルが弾けて"学歴競争も年収競争も空しいぞ"と世の風潮に諭された。
・思春期には「イケメン以外は恋愛市場に上がるべからず」として
"万事色気を出さぬこと"を必須ライフハックとして女子から叩き込まれた。
・物理的な生活環境は変な廃棄物から擬似的な"女性ホルモン"を吸い込ませてくるし、
・メディアのお得意コンテンツ「家長として頑張るオジサンいじめ」は"父親になることの絶望"を刷り込んできたし
・フェミニズム流行りは「優しいことがなにより大事」「古い家父長オヤジになりたくなければ…ねえ?」てんで
"オスっぽい強引さなんぞは捨てるように"というお達しを回してきた。
締めに大学に上がったら時代も時代、仕事にも社会にも未来がねえことは薄々わかるし
結構な割合が正社員の席にすらありつけなくなっちまったまま今に至る。
どうだ。
金玉がぶら下がってれば男なわけではなく、環境が男を作るのだとすれば
我々が生来持っていたかもしれない”男らしさ”は成人するまでに全く育てられることが無かった。
自覚させられることなく、教えられることもなく、保護されることがなく、
訓練されることもなく、試す機会もなく、称揚されることもなかった。
タマのある男が生まれるチャンスがどこにある?
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とは言っても、亡くした金玉の恨み言の為に書いてるんじゃあないんだ。
すでに金玉がないのが我々なので、この状態は快適最適だ。
そっちの都合で突然「ところであの金玉はどうした」「おなた達も男なんだから」と言い出す奴等なんだ。
タマの無いお前等が車や見得に消費をしないせいで経済が回らなくて困る!だの
タマの無いお前等が女やデートへの関心低いせいでうま味が減って困る!だの
つまり自分達のカネが減ったのが我々タマ無しのせいだと文句を言ってくる。
「知るか」と。
自分達の都合でせん馬だらけにしといて牡馬が必要になったら「オスがいないじゃないか!」と怒り出す。
我々に取ってみればこういうのが一番不愉快でやってられないんだ。
消費が少なくて環境には優しいし、社会からうるさい強権的な男が減ったのは女性に優しい。
喧嘩や粗暴犯罪や軋轢は減って、景気悪くてもインドアな低コスト趣味で大人しくやってけてる。
希望が減っても暴力デモや暴動を始めて社会を不安定にしたりもしない。
だがこういうことに対する感謝や評価は全く無い。
困った時だけ「おいタマを出せ」「あんた達だって男でしょ」と。
個人からメディアまで変なレッテル貼ったり挑発したり見下したりして
「更生」だか「発奮」だかさせようと頑張ってる奴等が居てうっとおしい。
馬鹿にされたらまんまと発奮したり勃起したりするような反応は男の特性だ。
頑張ってる奴等の魂胆を想像して薄笑いするだけだからいくらやってもムダだ。
去勢済みの我々は既にタマ無しとしてのデメリットを甘受してきたが
それと引き換えにタマ無しの快適さやメリットも発見し楽しんで長い。
「男の義務を果たせ」と言われたらカーッと怒って反発するが
「やーいタマ無し」と言われたら「オス、タマ無しです!」と元気に返事できる。
男気のカケラもなく女々しさ溢れる長文を書き終えてなんらの恥ずかしさも痛痒も無い。
俺はたぶん頭が悪い。
人間の脳にはスーパーコンピューター並みの処理能力があるらしいが、俺の頭脳はその説に異を唱えたくなるような代物だ。
そんな俺が頭の良さってやつを論じてみるわけだ。
こんなものを誰が読みたがるのか、その意味からして真っ向から否定されても当然な行為ではあるが。
本題に入る。
つい先日夜遅くまで増田で議論を戦わせていたのだがその間、頭が悪いと罵倒をされること数回。
いや困った。傷ついたとかそういうことももちろんあるのだが、それ以上に困ったのは、
俺が俺自身のことを多少なりとも賢明だと思っているからなのだ。
冒頭と言ってることが違うのは承知しているが、仕方ない。
客観的に頭が悪そうなやつの主観が、現実と大きく食い違ってるなんてことはありがちなことだ。
恐らくこれからも繰り返していくのだろう。「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。
まあ人間だからそういうこともあるわな、とかそういう話で終わっても良いんだけど、何度となく人から馬鹿馬鹿と言われ続け、
それじゃ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ! と行き場のない怒りを覚えてしまった俺を誰が責めよう。
その条件をひとつあげるならば、それは他人を納得させることができる、ということなのだろう。
俺は頭が悪い。
人間の脳にはスーパーコンピューター並みの処理能力があるというそうだが、俺は頭が悪いと分析されても仕方ないような奴だ。
そんな俺が頭の良さってやつについて論じていたところで意味などない。
本題に入る。
つい先日夜遅くまで、増田で議論を戦わせていたが、頭が悪いと罵倒をされること数回。
困った。
俺が傷ついたとかそういうことも勿論ある。が、それ以上に、俺は自分のことを多少なりに賢明だと思っているから困ったんだ。
冒頭と言ってることが違うのは承知している。すまない。
頭が悪そうだと思われる奴ほど、得てして、自分の中では頭がいいと思いがちなんだ。
恐らくこれからも繰り返していくのだろう。
「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。
人間だもの、そういうこともあるわな……とかそういう話で終わっても良いんだ。
けど、何度となく人から馬鹿馬鹿と言われれば、じゃあ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ!
と行き場のない怒りを覚えたってまったく仕方がないというものである。
つまり一言でいうならば、頭が良い人とは他人を納得させることができる人物である、ということなのだ。
その上に正義なんてものが付けばもはや最強ではないだろうか? 正義あるプロタゴラス。うん、最強だろコレ。
やってみた。今の俺の限界。
俺は多分頭が悪い。
人間の脳がついている分スーパーコンピューター並みの処理能力があるとは言え、頭が悪いと分析されても仕方ないような奴だ。
まあそんな俺が頭の良さってやつについて論じてみる訳だ、必要性としては皆無といっても差支えのない提言ではある。
本題に入る。
つい先日夜遅くまで増田で論議をしていたわけだが、頭が悪いと罵倒をされること数回。
いや困った、傷ついたとかそういうことも勿論あるのだが、それ以上に困ったのは、俺が俺自身のことを多少なりに賢明だと思っているからなのだ。
冒頭と言ってることが違うのは承知しているが、いや仕方ない。客観的に頭が悪そうなやつの主観が現実と大きく食い違ってるなんてことはありがちなことだ。
恐らくこれからも繰り返していくのだろう。「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。
まあ人間だからそういうこともあるわな、とかそういう話で終わっても良いんだけど、でもまあ何度となく人から馬鹿馬鹿と言われれば、じゃあ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ! と行き場のない怒りを覚えたってまったく仕方がないというものである。
まあ一言でいうならば、それは他人を納得させることができる、ということなのだろう。