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はてなキーワード: 方言とは

2023-09-05

anond:20230905082543

昔はよく「欲たかり」って言葉聞いたけど、今聞かないな。

あれは方言だったのかな。

2023-09-02

anond:20230902131256

東京弁て「ひ」が「し」になったりするヤツのことだけど今どきそんな方言使ってるヤツいないぞ

2023-08-24

なぜ東京人東京弁を直さないのか

東京人は、地方出身者に対して標準語を話せと言う癖に、自分たちは決して東京弁を直さない。

標準語を話す関西出身者や九州出身者などはいるが、標準語を話す東京人アナウンサー声優を除けばまずいない。

それならば、お互いに自分たち方言で話せばいいと思うのだが、なぜか東京人他人には方言を話すなという。しかし、自分たち方言を直さない。

anond:20230824011832

それぞれの方言があるだけでマシとかそういうもんでもない

2023-08-23

anond:20230812215805

だとしても「東京方言」という言い方があることには変わりないでしょ。それは否定できない。

匿名掲示板巡りをしました

行ってきたのは5ch(なんG~なんJ),ここ,ふたば(img~may),爆サイです.感想を書きます

・5ch(なんG~なんJ)

 こっから流行った悪口ツイッター(X)とかに流れていく・妹が「女さんが~」とか言ってて泣いちゃった

 グロ画像貼りながら意味の分からないことわめき散らかすスクリプトがいるのに移住しないのやべえだろ

 スクリプトのせいで5だか3だかGだかJだか防弾だかなんだかに分散してる

 なんでもかんでもタイトルに【】が付いてる

 速報性は高いからでかいニュースあった時に見るのは楽しい

 スマホから5ch見ようとブラウザ入れた新規talkかい胡散臭いアプリに飛ばされるのアホらしい

 

ふたば(img)

 なにが生まれたばかりの掲示板だよ

 del制度はとても良い・明らかな煽りが無いのは住みやす

 5chまとめっつってここの内容まとめられてるのは少し好き

 方言とか独自文化が強いせいでROM期間は必須・でもROMっても分からない文化があるのはどうなん(2時4分くらいのアレ怖い)

 真っ昼間でもニート煽りされないのは古き良きものを感じる

 どうでもいいけど学内LANふたばだけ見れなくてダメだった

・ここ

 お気持ちとか愚痴書きにここにくるのはいいけどここに常駐してるやつは中々にやばそう

 さりげなく高学歴とか良い嫁アピールができるか,が結構重要?・読解力が鍛えられる

 地味に冷笑系が生まれる温床だったりしそう

爆サイ

 民度ポコチン

 地元方言煽りあってるの見れるのは新鮮・本当の意味インターネット老人会している❕

 近場のスレッドをぜひ見てほしい・夜散歩で通る公園ホモの逢引に使われていることは知りたくなかった

こんな感じです.オチはない

2023-08-20

anond:20230820173124

大事と思う

だ抜き言葉 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/140.html 「残念けど」のタイプのだ抜きもある https://togetter.com/li/14752602023/08/20 19:57

イオンは今こそ企業努力必要な時と考えます」、「大丈夫と思います」とか「そうと思います」は気持ち悪くなる。

いわゆる、断定推量のであ抜き(だ抜き)言葉ってどこからまれたんだろうな。疲れたろうに、とか、○○だったろうに、みたいな。

「〜なんよ」ってやつ

方言

それとも「だ」抜き言葉

午後の紅茶午後ティーって略すのいつからなんだろう

どうやって広まったんだろう

俺は誰かが言ってるのを見て真似するようになった気がするけどだったらこういうのも方言なんかな

老人役割語形成について論文検索してみた

anond:20230819190310

不正確な記憶ブコメ書いた上に、憶測を加えてしまったが、それが違っていたようだ。

Cinii役割語、老人などで出てきた論文にちょうどそのことを論じているものがあったので勉強もかねて増田に書いてみた。

論文1本だけで断言的なことは言えないかもしれないが、参考にはなるんじゃないかと。

老人の役割語形成については金水敏氏の研究があるそうだ。

『「役割語から考える自称詞 「わし」 の方言性と出現時期』黒崎佐仁子 (2011)から孫引きになるが、以下のような理由らしい。

金水(2007)は,「そうじゃ,わしが知っておる」のようなアニメマンガに登場する博士および老人の言葉の特徴を以下のようにまとめている。

⑸ 「A=B」の関係を表すとき標準語では B の後ろに「だ」をつけるが,老人語・博士語で は「じゃ」をつける。また否定を表す表現として,標準語では動詞の後ろに「ない」をつけるが,老人語・博士語では「ん」をつける。さらに,一人称代名詞として,老人語・博士語ではよく「わし(博士語では,さらに「吾輩」)を用いる。(p. 98)

金水(2003:4)は「これらの特徴の対立は,実はそのまま日本東西方言対立に重なる」として,以下のような表を提示している。

博士標準語西日本方言東日本方言
断定~じゃ ~だ ~じゃ、~や ~だ 
打消知らん、知らぬ 知らない 知らん、知らへん 知らない、知らねえ 

※上は増田による抜粋改変版。元論文ではもっと例も多く詳しい。

西日本方言の断定表現として「じゃ」と「や」が挙げられているが,このうち「じゃ」のみが博士語として認識される。この理由は,真田(1990)が述べているように「や」が「じゃ」の変種として新しく生み出されたものであるため,「や」が西日本方言として認知されるより前に「じゃ」が 博士語・老人語として定着したからだと考えられる。

江戸時代言語使用特徴に関しては,佐藤(2002)が分かりやす解説している。

(略)

当時の人々は「上方語的な言い方が伝統的に正しい」(小松 1985:21)という意識を持っていた。そのため,「若年・壮年層の人物が,いち早く江戸の新共通語である東国表現自分たち言葉として駆使していた時点で,老年層は未だ上方語的表現規範的な言葉として手放さなかったというような構図が,江戸においてある程度現実存在した」(金水 2003:26)と考えられ,「明治期に入ると,江戸語の文法を受け継いで新しい〈標準語〉が形成されていく。

ところが文芸作品演劇作品の中では,伝統的に「老人」=上方風の話し方という構図がそのまま受け継がれていく」(金水 2003:27)という過程を経て,アニメマンガ博士語・老人語が確立していったのである

西日本方言のじゃ→やの変化とマンガの成立の時期からして、老人役割語ができたのは大正戦前くらいかな、と想像していたが、どうやらもっと古いらしい。

江戸時代に老人役割語の原型がすでにあったらしいのはびっくりだ。伝統慣性の力の大きさを感じる。

金水敏ヴァーチャル日本役割語の謎』岩波書店 2003

金水敏「第5章 近代日本マンガ言語」『役割語研究の地平』くろしお出版 2007 pp. 97-107

真田真治『研究叢書 84 地域言語社会言語学研究和泉書院 1990

anond:20230819215621

京都も使う地方あるんだ

狂言とか能とかの時代から続く方言かな

舞妓さんみたいな話し方の「どす」「おす」語尾の爺さんは知ってる

色々あるんだね

2023-08-19

anond:20230819190310

明治時代以降

明治維新勝ち組長州藩=今の山口県出身者が政府上層部の多数を占めた

また山口広方面での方言として「〜じゃ」がある

以上から全国的な印象として、

お偉いさん=お年寄り山口県出身=〜じゃ

と言うテンプレート確立された

何で漫画アニメのお爺さんは語尾に『じゃ』をつけるのか

何で多くの爺キャラは、語尾に『じゃ』『じゃよ』をつけるのだろう。

私が知る限りは現実に語尾じゃ爺は見たことも聞いたこともない。

語尾じゃ爺キャラ昭和から存在していたので、戦前か戦中のご老人は語尾に『じゃ』をつけていたのだろうか。

由来は何だろう、老人だけ方言を話しているのはよく見かけるので、どこかの方言だろうか。

東京かもしくは、東京移住してきたのが特別多い地域方言可能性が大きいか

そもそもいつ頃から語尾じゃ爺は出てきたのだろう。

サザエさんとか出てきたかな…波平普通だった気がするが、意地悪ばあさんも話し方は普通だった、磯野家の裏のおじいちゃんとかどうだっただろう、思い出せない。

スネ夫のお母さんが話すザマスが遊郭言葉だったように、何かしらの由来はあると思うんだが、何なんだろうあれ。

2023-08-18

anond:20230818170300

別に褒めるときだって相手の内心を代弁するとき相手方言を使うだろ。

相手の内心を代弁するとき相手方言を使う」と「相手批判するためにその内心を代弁する」は別個の事象だよ。

リベラルはエセ関西弁使いたがるの辞めたほうがいい

方言からいくらでも馬鹿にしていいと思っているのか?

単に維新政策の内容を批判すればいいのに、わざわざそこで言語という属性ごと「イジリ」の対象とするのはなぜなのか

瀬川深 Segawa Shin

@segawashin

こ……これはスゴイ、もうなんと言っていいかからないぐらいスゴイんだけど、明治維新新撰組吉田松陰土方歳三も「なんやよう知らんが正義日本の夜明けでッせぇ!」ぐらいの壮絶にゆるゆるな認識肯定感持ってるひとが少なからず居て、それが事の本質のような気がするんだ……。

https://twitter.com/segawashin/status/1692409876436463871


なおこの瀬川さんは以前大阪方面戦術核を落としたいという本音吐露した作家です

https://togetter.com/li/1203055


香山リカさんの場合

香山リカ

@rkayama

蒲郡だぎゃあ 若きゃあしゅう 水族館夢中 ファミリーOK butこっちの話 sometimes 聴いてちょうよ 半そで どえりゃあ 寒くて 帰りたいだがね……

https://twitter.com/rkayama/status/1314570743355588608


なおこの瀬川さんも香山さんも東日本出身です

東日本の人にはあまり方言尊重すべきという考えがないのかな・・・

関連:

菅野完

@noiehoie

関西人として申し上げますとね…

維新のこと大っ嫌いだけど、俺が維新のこと嫌いだと気づいて、その人もおそらく維新が嫌いなんだろうけども、俺の維新嫌いに同調して「仰る通りでんな」「そりゃ維新やもん」「ちゃいまんがなー」とか、エセ関西弁つかってくる東京の人が、維新より、嫌いです。

https://twitter.com/noiehoie/status/1668857214881382400

2023-08-13

anond:20230812161202

リアルでワシって言うおじいちゃんいるんだ

方言とかなんかな

2023-08-11

anond:20230811192304

trafficを「トラヒック」と言わないと生きていけない界隈のおじさんを

こういうのは発音知識巧拙問題ではなく、仲間内業界で共有された共通言語を喋ることによる帰属意識の醸成の問題から

サーバー」を「サーバ」と言わない人間素人扱いして排斥するとかそういうのと同じカテゴリーの話。

ASD方言を喋らないという話は有名だが、そういった共感性がぶっ壊れた人間排除する役割もある。

なるほどですね」に不快感を示す空気読めない奴を仲間に入れず、「コッカラッス!!!!!!」と叫ぶことができる奴を仲間に入れるわけよ。

2023-08-08

チョレギサラダ」の謎

はじめに

日本ではすっかり定番となった「チョレギサラダ」。

ざっくり言えば「レタスごま油と塩ダレで和えたサラダである

ワカメ海苔を入れたり、ドレッシング醤油ダレだったりすることも多い。

韓国料理だと思っている人もいるだろうが、実はこのサラダ韓国には存在しない。

そもそも韓国人に「チョレギ」と言っても通用しないらしいのである

では「チョレギ」とは何なのか?

インターネット上ではいくつかの語源説が流布されている。

ちぎる説

かつて多かったのは「チョレギ」=「ちぎるという意味韓国語」という説明である

https://www.seoulnavi.com/special/5000619

チョレギサラダのチョレギとは、手でちぎるという意味。その名のとおり、レタスなどをちぎって作るサラダなのです。

しかし実際に調べてみると、韓国語で「ちぎる」は「뜯다(トゥッタ)」や「찢다(チッタ)」と言う。

この説は明確に誤りと言えそうである

浅漬け

もう一つは「チョレギ」=「韓国語で浅漬けキムチ意味するコッチョリの方言チェレギ」という説である

おそらく以下のようなブログで書かれた内容が広まったのだろう。

https://www.kansyoku-life.com/2006/04/86.html

結論から言うと「コッチョリ」の慶尚道方言で、現地の発音では「チェレギ」と呼ばれます

「コッチョリ」とは浅漬けにしたキムチのことで、発酵期間をおかず、漬けてすぐに食べるのが特徴です。

野菜に味付けをして和えるだけなので、見方によってはサラダとも言えるでしょう。

サンチュのコッチョリなどは、見た目もサラダのものです。

現在Wikipediaなどでも概ねこの説が踏襲されている。

しかし疑問は残る。

サンチュコッチョリは「サンチュ唐辛子ダレで和えたサラダ」とでも言うべきものであって「レタスごま油と塩ダレで和えたサラダ」ではない。

ワカメなどはサンチュコッチョリでも使われることがあるらしいのでいいにしても、少なくとも唐辛子が使われていないとコッチョリとは言えないのではないか…?

犯人エバラ

さて、「チョレギ=ちぎる」説について、前掲の記事ではこう説明されている。

チョレギの意味が混乱しているのは、日本にやってきた当初の説明不足が原因だと思われます

僕の記憶によれば、チョレギを有名にしたのはエバラCM

チョレギドレッシングなるものを発売し、大々的にチョレギの名前日本に広めました。

このときホームページでの説明が、「チョレギとは『ちぎった生野菜サラダ』を意味します」というものでした。

この説明で「チョレギ=ちぎる」という認識が広まりネット上でも、そのように説明されているケースが多いです。


2001年当時のエバラウェブサイト確認してみると、たしかにそう書いてある。

https://web.archive.org/web/20011214042210/http://www.ebarafoods.com/news/recipe/choregi_recipe.htm

チョレギとは?

『ちぎった生野菜サラダ』を意味します。

しかも、当時のエバラの「焼肉屋さんのチョレギサラダシリーズには「あっさり塩味」「ピリ辛コチュジャン味」「焙煎ごま醤油味」があったらしい。

まり当時のエバラは「チョレギサラダ」を「ちぎった生野菜サラダ」というだけの意味で使っていて、味付けはさまざまなものを想定していたのだろう。

ただ、「焼肉屋さんのチョレギサラダ」は2005年頃に販売終了、その後はチョレギドレッシングを発売しても塩味だけにラインナップを絞っているようだ。

まり売れなかった(あるいは塩味しか売れなかった)のかもしれないが、当時は印象的なCMを盛んに流していたので「チョレギサラダ」の知名度は向上したものと思われる。

エバラ以前の「チョレギ」

では、エバラドレッシングを発売する以前、日本で「チョレギ」はどのくらい広まっていたのだろうか?

例によって国会図書館デジタルコレクション調査してみよう。

国立国会図書館デジタルコレクション

これをみるかぎり1976年週刊ポスト記事が最も古い。

国立国会図書館限定」なのでネット上では内容を確認できないが、以下のような記述らしい。

女性に人気があるのは、いうところの野菜サラダであるチョレギなる代物。特製の味つけは店の極秘というだけあって、その味はちょっとしたもの

OCRの精度がかなり怪しいが、どうも「神宮前の『神宮』」という焼肉店を取り上げているのではないかと思われる。

次に古いのが1981年週刊文春記事

それからサラダの「チョレギ」はサラダ菜と長葱に十種類の調味料を合わせたドレッシングが使ってあって、味も格別です。

こちらも、おそらく「青山の家の近くに開店した焼肉屋さんの『第一神宮』」という店について書かれている。

この神宮前の「神宮」と青山の「第一神宮」はおそらく同じ店を指していると思うのだが、

第一神宮 青山店」はつい最近まで営業していたので食べログにも載っている。メニューを見ると、

https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13001197/dtlmenu/

チョレギ 700円

手作りドレッシングサラダ

ワカメチョレギ 800円

と、しっかり「チョレギ」が確認できる。「ワカメチョレギ」もある。

また写真を見るかぎりでは唐辛子確認できず、それほど辛くはなさそうだ。

そうしてみると、韓国サンチュコッチョリをもとに現在のようなチョレギサラダを作り出したのは「第一神宮」なのではないか、と推測したくなる。

(もちろん記録に残っていないだけで他店でさらに古くから存在した可能性はある)

ついでに「コッチョリ」も検索してみよう

週刊現代1985年

あっさり味のサラダ「コッチョリ」

主婦生活1987年

夏野菜韓国サラダ・コッチョリ ごま風味の辛みダレでいただく

月刊食堂1992年

コッチョリ(韓国サラダ)

週刊現代2000年)

コッチョリ600円。しょうゆベースの甘辛いドレッシングがかかる韓国サラダ

1980年代の時点ですでに「コッチョリ」も「韓国サラダ」という意味になっていたようだ。

また「あっさり味」「ごま風味の辛みダレ」「しょうゆベースの甘辛いドレッシング」などはそれぞれ異なる味付けに思える。

こうしたバリエーションを眺めて、エバラが「塩味」「コチュジャン味」「醤油味」を発売したというのなら筋が通る。

まとめ

「チョレギ」はもともと韓国浅漬けキムチのことである

韓国ではどちらかというと「コッチョリ」と呼ばれることが多いらしい。

特にサンチュのコッチョリは「唐辛子ダレの野菜サラダ」とも言える料理である

日本では1970年代から第一神宮」という焼肉店が「野菜サラダ」として「チョレギ」を提供していた。

それはコッチョリというよりも、おそらく現在チョレギサラダに近いかたちにローカライズされたものだった。

1980年代以降、チョレギやコッチョリは焼肉店などを通じて広まり、さまざまな味の「韓国サラダ」の総称となっていった。

2001年に、エバラ韓国サラダドレッシング商品化した。

塩味」「コチュジャン味」「醤油味」があり、それがおそらく当時の焼肉店でよく見られた韓国サラダラインナップだったのだろう。

また、そのときチョレギサラダ」という呼称採用されたことにより、「コッチョリ」よりも「チョレギ」という呼称が広まることになった。

といった感じでどうだろうか。

ここからさら調査を進めるとしたら「第一神宮」の店主に話を聞いてみたり、

1970年代以前に「チョレギサラダ」や「コッチョリサラダ」を出していた店がなかったかを調べる感じか…。

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