はてなキーワード: 広告とは
いちゃもんつけてくるなって話をしている。
十把一絡げにするのは間違いだよ。
質問するが、さっき例に出した
君はおもうか?
どっかの駅にエロゲの広告だしたったって製作会社がイキって表自戦士が持ち上げてなかったっけ。
まじめに、アドブロック入れてないと5ちゃんとかの広告ってエロ漫画の広告だらけになるやん
え?コレで何が表現規制なの?
表自の彼らはこういう広告が自分の趣味が受け入れられてるようで嬉しいの?
って思うよね
表自戦士だけじゃなくて、そこら辺の一見普通のクリエイターとかも、「性表現規制は進んでる」とか思い込んでるじゃない。
どこが?
日本では法律で完全に禁止されてる無修正動画が、海外サイトとは言え日本語完全対応でボタンポチで見れるのよ?
20年前には夢にも思えなかったこれだけの自由なプラットフォームがあって、どこが不自由になってるの?
雑誌に載らなきゃ不自由なの? 街中に広告打てなきゃ不自由なの?
馬鹿じゃないの、と思うわ
20代とかのガキが騙されてるならわかるけど、自分が若い頃は裏ビデオもようよう見つからなかったような老人が、すっかりのせられてるもんな。
僕は弱者男性プログラマーだ。コードを書いて金をもらっている。
そんな僕が、社会学や政治に興味を持つ人が多いこのような場で物申すというのはちょっと変だと思うかもしれない。
実際、社会学なんて僕の専門じゃない。
僕はコンテンツを収集するクローラを書いたり、それを検索できるようにインデクシングしたり、あるいはコンテンツのクリック履歴に基づいておすすめを表示させたりするプログラムを書いている。
このようなプログラムにも、社会的側面というのは存在する。利用者が何らかの目的によってその検索ツールを利用し、調べたいものにたどり着く。コンテンツプロバイダー、ユーザー、システムという3つのアクターの社会が形成されている。
社会学者がコンピュータについて語ることがあるぐらいだから、プログラマーが社会について語ってもいいだろう。
僕が常々思うのは、人々の目的だ。
つまり「この検索ツールを使う人は、一体なにがしたいんだ」「コンテンツを提供する側は何が目的なのか」ってこと。
もっと状況を限定するために、「ブログ検索」というツールについて考えてみよう。君がクエリを投げてブログを調べようと思うのは一体どういうときなのか。あるいはブログを書こうと思う人たちの動機は?
動機は基本的にneedとwantによって分類されると考えて良い。needの場合、例えば確定申告書の書き方について調べていて、適切な情報を知りたいと言ったケースがそうだ。
wantというのは社会的な本能に結びついている場合もあるし、退屈しのぎということもある。承認欲求は基本的に社会的欲求だし、ハッカーが自分の知見を公開するのはちょっとした挑戦だろう。
リーナスの法則というのを聞いたことがあるだろうか。マズローの欲求解創設と似たようなもので、「生存」「社会」「娯楽」という3つが人の行動原理だとリーナス・トーバルズは言っている。
ブログを書くのが「生存」目的という人はどういう人だろうか。きっとそれ以外に職がなく、必死にアフィリエイトで稼ぎを得ている人だろう。
ブログを書くのが「社会的目的」という人は、すごいことをして認められようとか、専門家とつながりたいと考えているかもしれない。
しかし「娯楽目的」というのはもっと崇高なものに思えてくる。ブログの文章を書くのが単純に「楽しい」といった人たちのことだ。
生存、社会、娯楽という3つの階段によって、コンテンツの質というものが判断できるのではないかと、僕はそういう仮設を持っている。
アフィリエイトで生存的目的の発信をしている人たちのコンテンツは、お世辞にも良いとは言えない。クリックベイトであったり、感情を煽ったり、SEOをクラックしたり、初心者的だったりする。
社会的目的の人たちはもう少しマシで、認められようとして努力をする姿勢がある。でも、「たくさんの人と繋がりたい」という目的の場合はちょっと注意が要る。結局、そういう人は手当たりしだいにアクセスを増やそうとするから、コンテンツの質は下がってしまう。
「文章を書くのが楽しいけど、人に評価されることはどうでもいい」という人たちのコンテンツを探すことは難しいが、こういう人たちのコンテンツは奥深いことが多く、表面をなぞったようなアフィカスブログとは一線を画している。
しかしこれはコンテンツを提供する人の観点である。これらのコンテンツをクロールし、検索できるように整備している「システム」の観点から見ると、どうしても「広告利益」のようなものが重要視されやすい。
Googleであれば、Googleの広告利益に貢献するようなコンテンツを検索結果で優先表示するかもしれない。そしてそれはまさに生存欲求のためのアフィカスを優先しているのと同じことなのだ。
インターネットがつまらなくなったと言う人たちがいる。僕は次の喩えでこれを説明しようと思う。
昔のインターネットというのは、水の上に白いピンポン玉が浮いていた。この白いピンポン玉は良いもので、楽しいものだ。
ところが徐々に黒いピンポン玉を投下する人たちが増えてくる。黒いピンポン玉は悪いものだ。手を使って沈めようとしないと、白いピンポン玉が見つからない。
そして今のインターネットは黒いピンポン玉が一番上に浮かんでいて、白いピンポン玉はその下で見えなくなっている。
白いピンポン玉は純粋な娯楽精神を持ったコンテンツのことで、黒いピンポン玉は「アクセス数を増やしたい」がために鬱陶しいことをしているコンテンツのこと。
つまり、インターネットでは年々白いピンポン玉を見つけるためにエネルギーを使う必要が出てきてしまっていて、疲れているときは必然的に黒いピンポン玉を見るしかなくなっているということだ。
リーナスは「文明は、生存、社会、娯楽という段階に進んでいく」と言っていたが、インターネットは「娯楽、社会、生存」という逆の階段を降りている形になっているように思える。
現段階では、アテンションの総和が一定であるために、ネット人口が飽和し、広告企業の利益は落ち込んでいる。純粋な娯楽ではなく、企業の生き残りをかけた戦争に突入してしまっているのだ。
僕は今のインターネット社会では、意識的に面白いコンテンツを見つけるためにエネルギーをかけることがかなり重要だと思っている。ダラダラとやっていたらアフィカスとバズ目的しか目につかない。
例えば人間が一日に読める文章量なんて限られているから、本当に面白い人を見つけたらRSS購読しておいたほうがいいと思う。
うるさいハエがクソに群がっている。「クソを美味しくないと思うなら、お前がつまらない奴だからだ」と左翼思想家が指摘するかもしれない。
いやそんなことはわかってる。
大多数が見たくないものを平気で出したら、黙って離れてく客が増えるとは思わないのかと。
俺はもうそれだけで最近の漫画が読みたくない。ドラマが見たくない。
実際売れなくなってるんだろ?
それが原因だと思わない?
「クレームがつかないから」なんて公務員かバイトみたいな言い訳を聞いてんじゃないの。
なんていうか、幼稚になったよなあ日本人。
「戦略として正しいのか」を聞いてるのに「そうすると怒られないから」を理由に答えるとか、ほんと子供みたいな思考しかしない。
まず第一に、裸には一定の需要がある。性別に関わらずね。もちろん嫌いな人はいるけど、好きな人もいるから裸には商品価値がある。だからみんな脱ぐ。
ただ最近の風潮として女の裸はリスクがデカい。誰にも相手にされなくなったおばさん集団が何かにつけて文句を言ってくるからだ。ただの絵に憤慨したり、どこぞのおっぱいピアニストが着衣広告を出しただけでクレームが来たこともある。
一方で男の裸はリスクが低い。
Evernoteの同期が早い。
過去一の速度ではないだろうか?
避難先を探す動向もあるようだが、
挙げられているサービスには、
避難してくると思われる。
その実数などは不明だが決して少なくない数ではないのではないか?
そして、そのユーザーたちは、
今後も無課金であり続ける人たちだ。
つまり移籍先サービスにとってマイナスになってもプラスにはならない人たちなので、ユーザー数の増加を補うための投資には結びつきにくい。
以前のフリーズしているのか?と思わさせられる悪夢のような同期速度は改善され、さらに高速化している。
そして今回の施策により、
不良資産であった無課金ユーザーが減ることはメリットのほうが多い。
お金を払わない人たちのために使われていたリソースが課金ユーザーに回ってくるからだ。
ただ、残念なのは料金が以前より高額になってしまった点だろう。
その点は心配なところだ。
それ増田でやったやつだ!
誰も権利侵害されてない、ただアドバイスされて表現しない自由を選んだだけ。
もはや公共広告では女性の乳袋表現はできないし、ゲームの歴史を書くなら精密に下調べしなくちゃならなくなった、気軽に書けなくなった。
この話題が出るたびに混乱する人が出てくる。
今までROM専だったけど、もうストレスに耐える余力がつきた。
私が決着をつけたいと思う。表現の自由は2つに分けて考えるべきだ。
フェミは県警に性的強調するなとアドバイスしたけど、これは県警の表現の自由を侵してない。
アドバイスも表現の自由だから。Vも県警も、取り下げるのは表現しないという表現の自由を使っただけなので、これも表現の自由を侵害してない。
トランスヘイト本を出版するなとクレームを入れるのも表現の自由だし、KADOKAWAが出版停止するのもまた、彼らの表現の自由だ。
誰も権利侵害されてない、ただアドバイスされて表現しない自由を選んだだけ。
『表現の自由権』は侵されてない。
もはや公共広告では女性の乳袋表現はできないし、ゲームの歴史を書くなら精密に下調べしなくちゃならなくなった、気軽に書けなくなった。
『表現の選択肢』はキャンセルカルチャーで確実に狭まっていく。
表現の自由権と表現の選択肢を取り違えると、「表現の自由レイヤーの問題って言っても、ただクレームを入れただけじゃないか???」のような沼に落ちるので注意。
最近婚活パーティー(32-40くらいの年齢層のやつ)に行ってる
婚活パーティーに行ってて思うんだけど、34歳年収700万の弱者男性がいるんだけどあれ何?
年収が低い代わりにイケメンとか清潔感があってオシャレだとか高学歴とかいい点があればまだわかるんだけど
別にそんなこともなくて
顔は幼い感じで悪い意味で色白。
別に清潔感があるわけでもなく服もユニクロとかで買ってきたような服を着てる(あ、これユニクロの感謝祭の広告で見たやつだ!)
学歴も高くない
話したらいい人なのかなあって思って一応しゃべってみるけど、趣味はゲームって人が多く、
休みの日は旅行に行ったりすることもなくゲームとかしてるってパターンばかり
隣の席の女の人と話をする時もあるけど、こういうタイプ結構あるよねえって話によくなる笑
素直に疑問なんだけど何でわざわざ低年収なのに婚活パーティーに来るの?
最近忙しくてちょっとでも遅くなると6時間睡眠時間キープギリギリというか、
そうなると人として生きているF-ZERO99ってなに?ってなるから
そうなるってーと、
毎日行いたいお洗濯とか夜ご飯はもう外でパッと帰る途中で済ませておけば
そんでさ
面舵面舵ってみんな言うけど面舵の反対言葉って知らなくなくない?
私は分からないので、
そもそもとして面舵がどちらの方向かすら分かっていない自分を見失いそうなほどの毎日よ。
なのでどうしても夜更かしはなるべく避けまくりまくりすてぃーで
甲板にいる乗組員に水の樽が入った樽を転がせ!って言うの
航海中にお水って超貴重じゃん!
樽に入れて持っていくじゃん!
でもずっと樽の中に水がこもって入っていると新鮮じゃなくなるじゃん!
なるー!って思ったでしょ?
ちなみになるー!って言うのは以下省略したいほど
私が言うなるほどー!の略で秋の祭典でもある秋の季語でもあるから、
でもそう考えると樽を甲板の上で転がすのも納得してくれるんじゃないかしら?
なるー!ってたるー!って感じよ。
そんで見たいテレビドラマとか録り溜ていると
どんどん時間の積み重ねになって時間債務が増えていく恐ろしさを見て見ぬ振りはしていかないのよ。
あー冬休みには一気に解消したいのよね。
これでも私毎年言ってないかしら?
そもそもとしてギガが300しかないのももっともな話なのよね。
私のギガ少なすぎ!って私の年収少なすぎお姉さんを彷彿させる感じで
毎年あの口を押さえて絶望しているお姉さんの一時期ネット広告を一世風靡したセピアじゃない方のあの写真を思い出すのよね。
なので、
もうどうしようかしら?って可処分時間をいかにしてこれ以上増やすか!って
色々やりたいことが増えると思わない?
何もすることがない!って
私だって樽の入った水を甲板の上で思いっ切り転がしたい年頃なのよ。
あれはその名残なので
大玉転がしって元ネタはつまり甲板の上で水の入った樽を転がしていた思い出なのよ。
私も懐かしく思うわ。
って運動会でその類いのネタのような競技はあんまりやった覚えが無いのよね。
樽だけに!ってね!
うふふ。
いつも食べているスクランブルエッグにスモーキーなベーコンが一緒に挟まった美味しいやつね。
香り高くコク深くそんなベーコンのマッチが混同していることが素晴らしいわね。
朝は元気いっぱいにスタートしたいところよ!
曇ってるとそんなに朝冷え込むことがない反面
ゆっくりストレートホッツ白湯ウォーラーを飲み始めて途中でレモン果汁アンド甘みプラスのハチミツインで
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!