はてなキーワード: ドミノ理論とは
元々はネトウヨが右翼的なものを批判された際に多用した「ウイグル問題の方が深刻だ!なのに、なんでそちらを批判しないんだ!」という論点のすり替え
colabo問題でフェミが同じ論法を使用し、図らずしも、自分たちが憎んでやまないネトウヨと同類であることを証明してしまった
フェミニスと、リベラルは「女である私は男から嫌がらせを受けた。だから、(ジャップの)男は皆女性だ!」「私の周囲の人間は私に冷たい。だから、ジャップは悪い国だ!」と主張する例が多いが、その姿は一部の韓国人を例に朝鮮人は野蛮人であると決めつけるネトウヨとそっくりである
またフェミは女をあてがえ論を引き合いに出して、男叩きをするが、女をあてがえ論を主張しているのは弱者男性の一部であり、同じ男からも軽蔑されている。しかし、フェミはまるでそれが独身男性の総意であるかのように語る
ミソニジストも自分と少しでも意見が食い違うと女性認定、おばさん認定する
一方リベラルも異を唱えた人間をレイシストであると決めつけて反論になっていない反論をする
ジョージ・フロイドが犯罪者であるという事実を述べたゲーム会社の幹部が解雇されたことを忘れてはならない
弱者だから何をしても許される、今まで悲惨な目に遭ったからどれだけ酷いことをしてもいいという理屈
リベラルの主張の根幹を成すと言っても過言ではない
人種差別に反対する黒人がアジア人を差別しているのはなんとも嘆かわしいことである
リベラルの皆さんには是非とも呪術廻戦を読み以下の名言を噛みしめていただきたい
「不幸ならなにしても許されんのかよ」
強者だから何をされても耐えろ、今まで酷いことをしてきた人間には何をしても許されるという理論
例としては
「男は今まで女性を抑圧してきたのだから、差別されても耐えろ、というかそもそも男への攻撃は差別ではない」
「ジャップは侵略をしてきたのだから、原爆を落されるのも自業自得である。鬼畜米英も同じ事をしてた?うっさい、黙れ」
この理屈は早まった一般化と組み合わされて非常に悪質なコンボ攻撃となる
言い換えれば、「一部の日本人男性が女性を差別した。だから、例え女性を差別していなくても日本人男性であるというだけの理由で攻撃しても許される」ということである。
「欧米では死刑が廃止されている。だから日本も死刑に廃止すべきだ!」
「白人男性は人権意識が優れていている!それに対してジャップのオスは人権意識が底辺だ!白人がアジア人を差別している?黙れ」
といった感じである
人種差別反対を主張する人間が白人至上主義者であるとはなんとも滑稽である
ネトウヨも「日本人は白人の遺伝子を受け継いでいる!」と主張したり、白人に日本を賞賛させる下品なホルホル番組で悦に入る
「○○を許せば、歯止めがきかなくなりいずれ~~に繋がる」という理屈
具体例は
「難病で助かる見込みがなく本人も死を望んでいる人間を安楽死させれば、いずれは死を望んでいない健常者も殺される」
「優生思想的な考えを少しでも認めれば、誰も居なくなる」
フット・イン・ザ・ドアとは、セールスマンが片足をドアに入れて閉まらないようにし、そこから商談に入っていくことに由来する。
いったん小さな要求を呑めば、次に大きな要求をされたときに断りづらくなる、という心理を利用した交渉術のことである。
「小さな要求を呑んでしまえば、次にはより大きな要求が来るに違いないので、最初の要求を受け入れてはならない」という論法のこと。
こちらは「ドミノ理論」とも呼ばれ、その過程で論理の飛躍が起きやすい詭弁の一種とされる。
つまり「危惧がある」というだけでは駄目で「その危惧は妥当か」という検証が必要なのだということだろう。
たとえば「違法サイトのブロッキング」の問題はまさにこれである。
反対派は「いちど違法サイトをブロッキングしてしまえば他のサイトもブロッキングされるだろう」と主張する。
賛成派は「違法サイトをブロッキングしても他のサイトはブロッキングしなければよいじゃないか」と主張する。
確かに「著作権違反サイトをブロッキングすれば、たとえば政府を批判するようなサイトもブロッキングされるようになる」というのは飛躍しているように思える。
いわば「泥棒を逮捕すれば政府を批判した者も逮捕されるようになる」というようなものだ。
一方で、児童ポルノのブロッキングが決まったあとに、著作権違反のブロッキングが要求されているのだから、実際に要求は拡大しているじゃないか、とも思える。
はてなーの皆さんにおかれましては、ただ「駄目に決まっている」という態度を取るのではなく、「その危惧は妥当か」という検証をしてほしいのです。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
362 ソーゾー君 [] 2013/03/19(火) 17:35:06 ID:bV1KGTO. Be:
自民党は「民意=愚民の意見なんか糞食らえ!官僚主義で行く!」と言ってるんだから
どんだけ国民に批判されようが官僚=米政府=欧州の銀行家の年次改革要望書に従うぜ?
それが自民党だぜ?
何が監視だアホ・・「TPPが危険なこと誰でも知ってるよw俺は今でもTPPに反対だ!」と自爆発言して
与党返り咲き以前から自民党が与党になったらTPP導入は確定すると言ってるだろ?
「小泉政権と同じで無意味な金融政策=単なるパフォーマンスの悪政」を行い
年次改革要望書=官僚主義=従米=欧州の銀行家の言いなりで日本を破壊することが目的だアホ
やることも分かってるんだよ?
与党返り咲きの為にTPP推進派なのにTPP交渉参加した民主党を批判した事は俺が論破している。
もうこの時点で弁解不能だぜ?
白々しく「監視すべきです=自民党に丸投げしましょう。」と言ってるぜ?
あのさ~自民党は前科がある売国政党で安倍政権の政策はあの有名な小泉政権と同じ政策をやってんだぞ?
それは野党落ちしても変わらず売国政策を掲げて民主党の政策を妨害し続け
震災の臨時予算決議さえボイコットし餓死者までだした札付きの売国政党だぞ?
過半数のない野党時代でも妨害しまくって餓死者は出すわ景気は悪化させるわで滅茶苦茶やってるんだぞ?
民主党はそれを戻し変えようとしてるのに妨害=現状維持させてこの様にしたのは自民党だぞ?
懐疑にそんなことを質問して納得できる回答が帰ってる来ると思うのか?
不都合な過去と現在は無視して他人事のような返信が返ってくるだけだアホ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341399267/l50
各紙とも、今日のニュースでは「最高裁判決により、有罪が確定した」とは報じず、「判決確定【へ】」とか「確定【する】」って書いてる。
その理由は、訂正判決(の申立)という制度があるから(刑訴法415条、418条)。
第四百十五条 上告裁判所は、その判決の内容に誤のあることを発見したときは、検察官、被告人又は弁護人の申立により、判決でこれを訂正することができる。 2 前項の申立は、判決の宣告があつた日から十日以内にこれをしなければならない。 3 上告裁判所は、適当と認めるときは、第一項に規定する者の申立により、前項の期間を延長することができる。
第四百十八条 上告裁判所の判決は、宣告があつた日から第四百十五条の期間を経過したとき、又はその期間内に同条第一項の申立があつた場合には訂正の判決若しくは申立を棄却する決定があつたときに、確定する。
この申立をすれば、10日ほど、判決確定を遅らせることが可能。
つまり、どうしても確定を遅らせたい場合にとられる手段。
確定を遅らせることでメリットがある判決の種類は、あまり多くない。個人的なこだわりを捨象すれば、メリットがあるといえるのは、事実上死刑判決のみ。
ということで、最高裁まで上告して争ったけど結局死刑判決のままだった場合、だいたいこの申立がなされる。
というか、こういう制度がある以上、被告人から明示的に「訂正判決の申立はしなくてよい」という同意というか指示がない限り、弁護人としては申し立てておかないとこわい。懲戒の申立をくらうかもしれないし。
制度の趣旨からすると「流用」なので、「訂正なんてあるはずのない判決文の場合にまで時間稼ぎをしようとは不届き千万!」みたいな批判を受けてもおかしくないご時世だけど、今のところはこの訂正判決の申立について、表だった批判を聞かないような気がする。
表現の自由がらみの論議には立ち入らない。おかしな主張はだいたい藁人形とかドミノ理論。まず「本件での事実関係」だけを見よう。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
我々規制反対派が使うマルティン・ニーメラーの詞だ。
このように、一度規制への動きを許すとどんどん新たな規制を許すというのが我々の考えだ。
ただ、このロジックは反対派の結束を高めるには有効だが、
反対の声を広めるにはあまり有効ではないと思う。
「Aが起こればBが起こり、Bが起こればCが起こる…」というのは代表的なドミノ理論だからだ。
ドミノ理論という物は、どれだけの確率で起こりうるのかに言及しない限り、詭弁とみなされかねないものだ。
「ベトナム全土が共産化すれば、東南アジア全土が共産化する」というのが詭弁だったのかは
解釈が分かれるところだが、「風が吹けば桶屋が儲かる」は明らかに詭弁だ。
規制反対の声を上げるときにはロジックに気を付ける必要がある。
この理論は反対派の結束を高めるには有効だが、反対の声を広めるには有効ではない。
どのくらい定住していれば定住外国人ってのが幾らでも甘くできて、
権利がどんどん拡大し照っちゃうかもしれねーじゃねーかよーって話だろう。
ま、ドミノ理論だな。