はてなキーワード: いでとは
船井総研の創立者の船井幸雄御大が、「3月11日の巨大地震は闇の支配者の地震兵器による人工地震らしい」という、ベンジャミン・フルフォード氏の発言を紹介しております。
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201104003
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201104004
ちょっと引用してみましょう。
この大地震に関して、複数のルートから情報が集まっている。その大半は、闇の支配者が、最後のあがきとして「地震兵器」を使用したというものだ。
国会議員がこれほど混乱していたのは、明らかに「闇の支配者」の情報コントロールを受けてしまったからであろう。
いまでも「情報」は闇の支配者のコントロール下にある。しかし、いや、だからこそ、一人一人が冷静な視点と客観的な情報で自ら判断すれば、闇の支配者の最後のあがきに十分、対抗できるのだ。
闇の支配者こわいです。
スマトラのデータからすると、数年間はM8程度が1年周期ぐらいで来るんじゃね?
早急に、防潮機能を復旧しないと早々に来年やられると思うが。
自然死を求めるのなら何処でも。
明らかに放射線の影響で死にたいのなら、タービン建屋の中とか容器の近くじゃないですかね?
敷地外は200μSv/hなんで、癌の発生箇所によっては放射線の影響と認めてくれなさそうです。
期間に関しては、現状だとどんどん空間放射線量が減っていきますので、
たぶん、双葉町辺りだと誰もいないでしょうから捕まらないと思います。
土の上を転げ回るとなお良いですね。
屋内に入るのはせいぜい寝る時だけにして、暫く風呂にも入らないでください。
そんなので死んだら、放射線の影響で死ねた事にはならないので。
癌が発生しても放射線の影響と認めてもらえません。
俺はいつも電車派なんだが、車を運転するのが好きだから、という車派の友人と出かけるときは車で旅行に行く事もある。
しかし毎回疑問に思う事がある。その友人は毎度俺に「俺ばかり運転してるのにお前だけ助手席で寝ないでくれ」という。
じゃあ電車でいこうぜ。
それって結局死んだ人間の為じゃなくて
人一人が死んだという取り返しの付かない結果を前に
自分を納得できるのって、同情と後悔くらいしかないんじゃないのかな。
元増田がすべきは、これまで関わらずに死んでいった人を
自分の価値観で同情したり想像を膨らませて後悔する事じゃなくって、
もう二度とそうしないで済むように
近い人。
特に両親を大切にする事だと思う。
ただただし氏が数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)で科学的懐疑心の重要性をとき、本旨の導入として斉藤和義の「ずっと嘘だった」とその態度への批判をしている。
ただ氏の批判を抜粋する。
断っておくけど、おれは別に原発推進派でもなければ反対派でもない、強いていえば消極的容認派だけれど、だからといって今さら「絶対安全って言ってたのに! 騙してたなんてひどい!」なんて騒がないよ。世の中に「絶対」なんてものがありえないって知ってるし。悪いけど、「絶対安全です」なんて言われて信じるほうがおかしい。
こんな歌、十代の子供なら許されるかも知れないけど、斉藤和義はもう44歳、おれと同世代じゃないか。この歳になったら言っていいのは「(自分より若い世代に対して)無知でごめんなさい、騙されててごめんなさい、黙っててごめんなさい」だろうよ。いい大人がイノセンスぶって責任回避かよ、情けねぇ。
さて、ただ氏の言うように斉藤は今回の事故をキッカケに、これまでの「絶対安全」が嘘だったことに気づき、「ずっと嘘だった」を歌った情けない大人なのだろうか。
「ずっと嘘だった」の歌詞には「原発が54基」「ほうれん草食いてえな」というフレーズがある。
これは忌野清志郎が1988年に発売したカバーズに収録された曲「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」を意識していることは明白だ。
松永英明氏がキヨシロー「Love me tender」のアンサーソングとしての斉藤和義「ずっとウソだった」の無力感[絵文録ことのは]2011/04/08でその対応関係を指摘している。
キヨシローの「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ」を受けて、斉藤は「風に舞う放射能はもう止められない」「ほうれん草食いてえな」と歌った。違うのは、放射能(放射性物質)はすでに放出されていることだ。
そもそも、タイトルやサビ自体がキヨシローへのアンサーである。斉藤の「俺たちを騙して、言い訳は「想定外」」「ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな」という歌詞が、キヨシローの「たくみな言葉で一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてる、その黒い腹」という歌詞を受けているのは明白だ。23年前はほんの少しバレてる程度だったが、今や安全神話は崩壊した。
なお、「サマータイムブルース」の歌詞との対比を追記しておくと、「37個も建っている原発がまた増える」は斉藤の「原発が54基」、「それでもTVは言っている「原発は安全です」」は斉藤の「教科書もCMも言ってたよ、安全です」に受け継がれている。
これを見るだけでも斉藤が「騙された!」とは違った文脈で「ずっと嘘だった」を歌ったことが伺える。
何しろ斉藤は東海村JCO臨界事故の翌年2000年に発売したCOLD TUBEに収録した「青い光」で原発批判をすでにしているのだから。
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
ヘリコプターがハエのように・・・うまく思い出せない・・・
青い光を見たんだ
いつも通りにやったんだ
今日も髪がたくさん抜けた
斉藤は原発に対して、関心があり、懐疑心を持ち、曲を書き歌うことで反原発を訴えていた。
以上をふまえて本旨にツッコミを入れていこう。
どんな技術にもメリット・デメリットがある。メリットばかりを吹聴されて、それを盲信しないためには、科学的な懐疑心が欠かせない。われわれ日本人は、えてして道徳的な立場から人を疑うのはよくないことだと教えられるが、正しい判断をするために、いや「生きるために」、科学的懐疑心は必要なスキルだ。あらゆる意見は「仮説」として受け止め、反証できないか考える。検証されない仮説は採用しない。訓練は必要だが、なにも難しいことはない。人を疑うのではなく仮説を疑うのだから、道徳的にはなんの問題もない。
いやいや、あんたは斉藤和義が騙されて喚いてるって検証もしないで決めつけてるだろwしかも人を疑ってるしw「訓練は必要だが、なにも難しいことはない(キリッ」ってw面白すぎるw自分ができてないww
40代にもなって「騙された!」と騒ぐような情けない大人にならないためには、きちんとした科学教育が必要だ。それも、教科書を丸暗記すれば試験に合格するようなエセ科学教育じゃなくて、正当な懐疑心を養い、仮説検証を経ない理論は採用しないといった「科学の心」を持つための科学教育が。ちゃんと人を育てるところから始めないと、また数十年後におかしな責任転嫁を聴かされることになるよ。
「科学の心」を持つと科学以外のことに対する懐疑心は無くなっちゃうの?ただ氏が数年後におかしな責任転嫁を歌うことを楽しみにしてるよw
おまけ
数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)のブコメ
俺
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった 2011/04/09
ただ氏
id:sho 「アンサーソングと知らないのか」ってコメが複数あって笑った。年代的に知ってて当然だという反証を思い浮かべもせずにお気に入りの結論に飛びついちゃうあたりが、ダメな大人の典型だねぇ。 2011/04/10
俺の追記
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった/知っててこのエントリーなら日本の言論的リテラシー教育の重要性が問われるな 2011/04/09
もちろん、知ってて当然だという反証は思い浮かべてました。そして、知ってたらこんなエントリーは書かないだろうとも思ったので確認の為にコメントしてみました。
「懐疑心を持つことが大切だ」というテーマのエントリーの導入部でいきなり決めつけから入っていたので。こんなことググれば十数分でわかることですし。
昭和43(1968)年生まれ。
選挙権を得て以来、他の公約なども鑑みて、とりあえず支持政党は共産党一択
投票したことはありません。昔「戦争反対、九条改正反対でも、いざ有事の際には
自分も徴兵されるんだろうな。…なんか納得いかねぇ」と思っていた。
ところが戦争よりも先に、日本が滅びるかもしれない事態がやってきた。
自分の年齢の半分以下、まだ選挙権すらないような子供たちのことを考えると。
人生で一度でも自民党に投票した人間が、東京電力の不手際をなじる資格などないように思うんだが。
「原発なしに今の電力供給はありえない」とかもさぁ。ニワトリ卵なんだよ。
必要とさせるためにオール電化を導入して「クリーンなエネルギーで生活するためにも
それでも、自国民の(自分は支持していない)指導層がやらかしたとして、その不利益を被ることは仕方ない。
こんなことになる前に、日本に見切りをつけて海外に生活拠点を移すことだってできたはずなのに、
そうはしなかったのだから(日本国籍所持者です。帰化したわけでもありません。念のため)。
ただ、日本の若い人や、諸外国の方々には詫びても足りない失策を犯してしまった。自分たちの世代は。
本当に、かつて戦争に突入した時の「民度」も、こんなんだったんだろうなーと思う。
要は募金くらいしかできないわけで(共産党を支持するような労働者なんで、所得はたかがしれてる)。
オトナのみなさんは、自分も責任の一端をになっているこの事態に、何をなさっていらっしゃいますか?
デモ行進して「原発建設」が取りやめになったという例を寡聞にして知らず。
原発予定地を買い占められるような金持ちだったら阻止できたとか?
ほんと、どうすりゃよかったんだろうねー。
今私は首都圏に住んでいる。
幸運なことにどちらの家も海からはかなり遠い。地震の揺れにも何とか耐えた。家族も無事だった。
家族や自分のこれからの生活に関しては不安は大きいものの、何とか踏ん張ろうと思っている。
その人たちは明るく振舞って毎日を過ごしている。自分達の方が状況が深刻にもかかわらず、
私も2人に何か言って少しでも気が楽になるよう励まそうと思った。
でも、何も言えなかった。2人に、「家族は大丈夫」という報告しかできなかった。
原発の恐怖におびえているわけでもない。放射能の風評被害や差別もそれほど影響は無い。
被災地の方に関心が行くから、パニックになってしまうほど「不安」に追い詰められる首都圏の人の苦しみも分からなかった。
家族に襲い掛かる地震の恐怖や、それなりの不安はあるがそれでも私はおおむね幸せに過ごしていて、
だからこそ何かしたいと思ったとき、実際私は誰の心にも寄り添うことすら出来ないのだと思い知った。
あなたがどう願っても
だから、ごめんなさい
何よりも優先すると誓っておきながら
それを破ってごめん
どうしても耐え切れなくて
守れなくてごめんなさい
苦しめてごめんなさい
裏切ってごめんなさい
死で逃げる事の方が大切でした
原発問題。
短期的には問題が無い→それならば長期的には?
マスコミが30キロ圏内に入り取材→いやーこれくらいの数値なら問題ないですよー→なら長期的には?
関東地方に放射物はどの程度飛散している?→ほわっと?放射物?放射能?
科学的?物理的?には証明されていないことなのかもしれないが、「長期的にはどうなる?」と誰も説明しない。
問題なければそれでいい。今、公表されている数値が正しいものならばそれでいい。
ならば、長期的には?
誰もがもうわかっていることなんじゃないの?長期的スパンでみれば今のところ数パーセントの割合かもしれないが何がしかの影響があるってことに。
誰もがもうわかっていることなんじゃないの?酷なことだが、福島県の原発周辺地域はもう駄目だってことに。
各産業に大打撃。時間が経てば復旧していくかもしれない。いや、復旧していくだろう。何も無くなってしまったところからまた這い上がっていくのだから。
今までの水準に戻ることを前提として考えれば、かなりの年月がかかるんじゃないだろうか?
製造業はまだいい。部品を作る材料をなんとか手に入れればなんとかなるだろう。
けれど、農林水産業はそうもいかないのではないか?漁業は猟師最強とはいえ…農業にいたっては…
原発と津波と地震の被害は(原発は人災の部分も大きいと思うが)産業構造をぶち壊してしまったと思う。
取引先の企業が大丈夫であったとしても、他の産業との繋がりで(たとえば製造業と取引をしていれば部品が揃わないと製品が製造できない→売るものが無い。この逆もしかい)自分達の企業にも影響が出てくるだろう。
いや、企業活動だけではなくて日常生活においても同じことが言えるのではないか?
徐々に物流も元に戻りつつあるかもしれないが、やはり売るものがなければ店頭に商品が並ぶことも無い。
都内のコンビニですらほとんどものが無かったという事実。最近は戻りつつあるが…
また、これらの影響で「災害対策用品全般・医薬品」が売り切れていることが多くなった。(ネットを中心に)
ここでも「ものが入ってこない」影響が出ていると思う。
こうしたことに危機意識を持たずにいる 関東地方の50代・60代の人間が信じられない。
どうせ都合が悪くなったら他人のせいやお上のせいにするくせして。
どうせ自分に都合が悪くなったらだんまりを決め込んで、揚げ足をとることしか考えないくせして。
どうせいの一番に逃げ出すくせして。
でもことここにいたるまで今回の災害に関して被災していない人達が対岸の火事として考えているやつが多すぎると思う。
【事象】・・・完全な事故。 例:原発で爆発事象がありました。
【ただちに】・・・①その瞬間のみ。 ②その後の事はわからない。悪化の可能性がある。
【確認中】・・・よくわからない。
【念のため】・・・あとで文句を言われないため。
【安定】・・・過去(過ぎた事)限定で、先の事はわからない。悪化の可能性がある。
【日本国内の人が言う「大丈夫」】・・・有効期間は最短3時間程度。その後は高確率で深刻な状況である。
【安全です】・・・多分安全だったらいいな、安全だと信じてください。
【冷静に】・・・発表を鵜呑みにして。 例:国民の皆さんは冷静に行動してください。
【会見】・・・ごまかし。 例:東京電力の会見が始まりました。
【検討中】・・・困っていること。 例:明日の放水を検討中です。
【風評】・・・発表による国民の常識的な判断のこと。 例:風評により物資が届かない。
【申し訳ない】・・・①関係ありません。 ②死んでください。
【整理してから】・・・公開する情報と隠蔽する情報を選別・判断してから。
【○○の可能性も否定できない】・・・①○○している。 ②○○の可能性が高い。
【○○の主導の下に】・・・○○は何もしていませんが 例:菅総理の主導の下に
【○○と理解しております】・・・○○ということにしておいてくれ、頼むよ、突っ込まないで。
【着手】・・・計画を作る事が決定した時点のことで、実際にやっていることではない。
例:外部電源敷設に着手
【かもしれない】・・・確実にそうなる
地震と原発事故があって、東京から自分は関西に移住、妻と子供はデンマークに移住、っていう家族を取材してたんだ。
「やっぱり子供の安全を考えたら、危険から遠ざけるのは当然じゃないですか?」というようなことを言っていたと思う。
一方で数日前には、福島原発のすぐそばに住んでいる一家への取材VTR。
その一家には赤ちゃんがいて、洗濯や風呂水にもミネラルウォーターをつかっているという話をしていた。
県外に移住するのにも資金がなく、仕事も無いだろうということで、甘んじてそこに住んでいるということだった。
自分には3歳の幼児と、5ヶ月の赤ん坊がいて、首都圏に住んでいる。
放射線量は普段より多く、いつこの状況が収束するかもわからない中で、迷いながらも気がつかないふりをしながら住み続けている。
いわゆる「直ちに健康に被害はない」レベル。だが何十年続くかもしれないこの状況の中で、いつも迷っている。
Twitterをやっているが、「エア被災者!」なんてことばを見かけることもある。
その一方で、「小さい子供がいるなら、関東に住んでいるなんて虐待と変わらない」なんてちょっと過激な意見も見かける。
何もかも捨てて、とりあえず子供だけでも、西のほうへ逃げる、そして出来るなら海外脱出をするのが親の責任なのだろうか?
と考えたところで、頼る親戚も、ホテル暮らしをする資金もない自分は、ぼんやりと風向きを気にしながら、普段と同じ生活を送る。
公園で子供をいつものように遊ばせる。変わったことといえば、水道水ではなく、ミネラルウォーターを飲むことにしたくらいだ。
自分はそれまで、いろんな問題を抱えた地域(たとえば米軍基地の周辺とか、原発周辺とか)に住むことは自己責任だと思ってきた。
嫌なら出て行く、住むなら甘んじてその問題と付き合っていくのが筋、なんて考えてた。
でも自分がそういう立場になってみて、嫌なら引っ越せばいい、なんて考えが、何も分かってない人間だからいえたことだったんだと気がついた。
でも、福島の野菜を食べよう、風評被害を防ごう、なんてニュースと、
いやいや、そこまで怒らなくても。
それは古き良き田舎アメリカの家庭の思想なので、単純にそういう古い流行を「これが結婚後の世界での常識なのだ」と思い込んでるってだけだと思いますよ。
やっている本人は大真面目に妻を愛していて、大真面目に古い流行である「常識」に従っているに過ぎない。
そしてその常識を覆されると大混乱するのでしょう。デートについて誤った本を読んで、実際に失敗してから大混乱する人の行動様式と大して変わらんと思いますよ。
ま、その共同幻想を何のエクスキューズなしに相手と共有しようというのが大きな間違いの元というのは確かなので、「そういう約束事には興味がない」と言えば幸せになれるのではないでしょうか。
製造業の外需で稼いできた国が供給不足と放射能汚染を理由とした輸出入拒否に直面しており
それが当面続くのだから。
数年間もこんな状況が続けば、たとえ放射能汚染が止まったとしても
苦労したほど強くなれる。。
はたして本当だろうか?
もちろん人によって優しい思いやりのある立派な人間になるかもしれない。
苦労の種類が苦労して傷ついた場合。
自分の本当に暗い過去を人にへらへらと話す人も決して平気なんじゃない。
心のどこかで慰めてほしい、大変だったね、よく頑張ったねと言って欲しい。
病んでしまって変な行動を取ったことを笑い事にしたり、自分からすればどうってことないことでもまだ傷は癒えてないかもしれないから何も言わなくてもいいから馬鹿にしたり文句を言ったりしないであげてほしい。
傷ついた人に私の方がつらい思いをしたなどと言わないでほしい。
こんなに文章がぐちゃぐちゃになった私も病んでいるのかもしれない。慰めてくれとは言わない、放っておいてくれ。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、独りでお酒をひたすら飲み続ける。
そんな姿を想像すると、どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりはほとんどなかったという事が読み取れた。
私も独り暮らしをしているから、叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろうお父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし、付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。もちろん、叔父さんも然り。
新年のあいさつはおろか、全く交流がないまま約30年が過ぎている。
私が生まれてすぐに父の父、つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
覚えてる限り初めて、会ったのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて、結構鮮明に覚えている。
ただ、覚えているだけだ。
叔父さんは独身だったから、痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
借金もなくなり、住み慣れた実家の側に家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。
そして、それから1年たらずで叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、まるで自殺行為のように飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人をあんな逝き方をさせてしまったという事にひどく後悔している。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったってもうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
耳を疑った。
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。ごめんなさい。
そうやって約一時間で、叔父さんはようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈だった。
膝に抱いた骨壷は、ずっと温かかった。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、懺悔と叔父さんの冥福、安らかな眠り、幸せな来世を祈るしか私にはできません。
本当にごめんなさい。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。
てめえの終わった話なんざどうでもええんだあああああああああああああああ
自分よければそれでいいクズ野郎は人知れずどっかでしんでろやああああああああああああ
てめえのことなんざどうでもええんだああああああああああああああああああああ
いちいち聞いてるおれの身にもなってみろやあああああああああああああああああ
うまくいくわけねえだろがあああああああああああああああああああああ
すでに合体ずみの男女にどうこうして割って入るなんざできるわけねえだろぼけがああああああああああ
そんなどぐされうんこ妄想実現する並行世界なんざいっさい用意されてねえんだよおおおおおおおおおお
わかったかバカがああああああああああああああああああああああ
つかれんだよおおおおおおおおおおおおおおおお
ずぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
なぐりてえよおおおおおおおおおおおおおおおおおお