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2011-04-15

船井幸雄と闇の支配者の地震兵器

船井総研の創立者の船井幸雄御大が、「3月11日巨大地震は闇の支配者の地震兵器による人工地震しい」という、ベンジャミン・フルフォード氏の発言を紹介しております

http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201104003

http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201104004

ちょっと引用してみましょう。

この大地震に関して、複数のルートから情報が集まっている。その大半は、闇の支配者が、最後のあがきとして「地震兵器」を使用したというものだ。

国会議員がこれほど混乱していたのは、明らかに「闇の支配者」の情報コントロールを受けてしまたからであろう。

いまでも「情報」は闇の支配者のコントロール下にある。しかし、いや、だからこそ、一人一人が冷静な視点と客観的な情報で自ら判断すれば、闇の支配者の最後のあがきに十分、対抗できるのだ。

闇の支配者こわいです。

いやあ、電波って本当にいいものですね。

http://anond.hatelabo.jp/20110415111635

スマトラデータからすると、数年間はM8程度が1年周期ぐらいで来るんじゃね?

早急に、防潮機能を復旧しないと早々に来年やられると思うが。

個人的には、起きてしまった津波より現在進行中の花粉どうにかして欲しいわ。

東北はちょうど花粉の時期なんだよう。

津波で流された辺りに行くと何も無いか花粉やら粉塵やら飛びまくり

http://anond.hatelabo.jp/20110415102655

自然死を求めるのなら何処でも。

明らかに放射線の影響で死にたいのなら、タービン建屋の中とか容器の近くじゃないですかね?

敷地外は200μSv/hなんで、癌の発生箇所によっては放射線の影響と認めてくれなさそうです

期間に関しては、現状だとどんどん空間放射線量が減っていきますので、

今のうちに全裸で歩き回るのが一番だと思いますけど。

たぶん、双葉町辺りだと誰もいないでしょうからまらないと思います。

土の上を転げ回るとなお良いですね。

屋内に入るのはせいぜい寝る時だけにして、暫く風呂にも入らないでください。

せっかくの放射性物質が洗い落とされてしまいます。

ただ、風邪とか感染症には気をつけてください。

そんなので死んだら、放射線の影響で死ねた事にはならないので。

あと、日記が必須です

それが無いと、どのぐらい被爆した予測が付かないので、

癌が発生しても放射線の影響と認めてもらえません。

と言った辺り、ぜひとも頑張って欲しいものです

旅行に行くなら車か電車

はいつも電車派なんだが、車を運転するのが好きだから、という車派の友人と出かけるときは車で旅行に行く事もある。

しかし毎回疑問に思う事がある。その友人は毎度俺に「俺ばかり運転してるのにお前だけ助手席で寝ないでくれ」という。

じゃあ電車でいこうぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20110415102908

葬式ひとつとっても、

それって結局死んだ人間の為じゃなくて

残った人間自己満足だよね?

人一人が死んだという取り返しの付かない結果を前に

自分を納得できるのって、同情と後悔くらいしかないんじゃないのかな。

いで元増田は両親と言う軽蔑する対象を得て

更に同情に傾くことで自分正当化したいんじゃないのかと。

元増田がすべきは、これまで関わらずに死んでいった人を

自分価値観で同情した想像を膨らませて後悔する事じゃなくって、

もう二度とそうしないで済むように

近い人。

特に両親を大切にする事だと思う。

それをしなかったら、元増田は結局両親と同じになるだけだから

http://anond.hatelabo.jp/20110415102741

千葉東京じゃないでしょ? 植民地ってやつ?w

東京関東日本たいな、そういう意識から馬鹿にされてるんじゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20110415094244

悪魔の証明」って知ってる?

因果関係あるって主張する側に証明する責任があるんだよ。

ソースいでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20110415092405

しかにそのとおりだと思うし、

災害が起きなければ起きないでそれに越したことない。

多分、逆切れするだろうけどそれなら関東災害発生しても文句言うなよ。

不安に感じている人間のことを責めるのは僕はおかしいと思う。

関東にいつ飛び火してもおかしくない状況じゃないか

斉藤和義と懐疑心と

ただただし氏が数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)科学的懐疑心の重要性をとき、本旨の導入として斉藤和義の「ずっと嘘だった」とその態度への批判をしている。

ただ氏の批判を抜粋する。

断っておくけど、おれは別に原発推進派でもなければ反対派でもない、強いていえば消極的容認派だけれど、だからといって今さら「絶対安全って言ってたのに! 騙してたなんてひどい!」なんて騒がないよ。世の中に「絶対」なんてものがありえないって知ってるし。悪いけど、「絶対安全です」なんて言われて信じるほうがおかしい

こんな歌、十代の子供なら許されるかも知れないけど、斉藤和義はもう44歳、おれと同世代じゃないか。この歳になったら言っていいのは「(自分より若い世代に対して)無知でごめんなさい、騙されててごめんなさい、黙っててごめんなさい」だろうよ。いい大人がイノセンスぶって責任回避かよ、情けねぇ。

40代にもなって「騙された!」と騒ぐような情けない大人にならないためには、きちんとした科学教育が必要だ。

さて、ただ氏の言うように斉藤は今回の事故をキッカケに、これまでの「絶対安全」が嘘だったことに気づき、「ずっと嘘だった」を歌った情けない大人なのだろうか。

「ずっと嘘だった」の歌詞には「原発が54基」「ほうれん草食いてえな」というフレーズがある。

これは忌野清志郎1988年に発売したカバーズに収録された曲「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」を意識していることは明白だ。

松永英明氏がキヨシロー「Love me tender」のアンサーソングとしての斉藤和義「ずっとウソだった」の無力感[絵文録ことのは]2011/04/08でその対応関係を指摘している。

キヨシローの「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ」を受けて、斉藤は「風に舞う放射能はもう止められない」「ほうれん草食いてえな」と歌った。違うのは、放射能放射性物質)はすでに放出されていることだ。

そもそも、タイトルやサビ自体がキヨシローへのアンサーである斉藤の「俺たちを騙して、言い訳は「想定外」」「ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな」という歌詞が、キヨシローの「たくみ言葉で一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてる、その黒い腹」という歌詞を受けているのは明白だ。23年前はほんの少しバレてる程度だったが、今や安全神話崩壊した

キヨシローさん、あんたの歌ったとおりだったよ」というのがこの曲のメッセージとして伝わってくる。

なお、「サマータイムブルース」の歌詞との対比を追記しておくと、「37個も建っている原発がまた増える」は斉藤の「原発が54基」、「それでもTVは言っている「原発は安全です」」は斉藤の「教科書CMも言ってたよ、安全です」に受け継がれている。

これを見るだけでも斉藤が「騙された!」とは違った文脈で「ずっと嘘だった」を歌ったことが伺える。

何しろ斉藤東海村JCO臨界事故の翌年2000年に発売したCOLD TUBEに収録した「青い光」で原発批判をすでにしているのだから

青い光を見たんだ

とてもきれいな青だった

ガスマスクの男たちが僕を人から遠ざけた

青い光を見たんだ

とてもきれいな青だった

ヘリコプターがハエのように・・・うまく思い出せない・・・

青い光を見たんだ

いつも通りにやったんだ

今日も髪がたくさん抜けた

斉藤原発に対して、関心があり、懐疑心を持ち、曲を書き歌うことで反原発を訴えていた。

以上をふまえて本旨にツッコミを入れていこう。

どんな技術にもメリットデメリットがある。メリットばかりを吹聴されて、それを盲信しないためには、科学的な懐疑心が欠かせない。われわれ日本人は、えてして道徳的な立場から人を疑うのはよくないことだと教えられるが、正しい判断をするために、いや「生きるために」、科学的懐疑心は必要なスキルだ。あらゆる意見は「仮説」として受け止め、反証できないか考える。検証されない仮説は採用しない。訓練は必要だが、なにも難しいことはない。人を疑うのではなく仮説を疑うのだから道徳的にはなんの問題もない。

いやいや、あんたは斉藤和義が騙されて喚いてるって検証もしないで決めつけてるだろwしかも人を疑ってるしw「訓練は必要だが、なにも難しいことはない(キリッ」ってw面白すぎるw自分ができてないww

40代にもなって「騙された!」と騒ぐような情けない大人にならないためには、きちんとした科学教育が必要だ。それも、教科書を丸暗記すれば試験合格するようなエセ科学教育じゃなくて、正当な懐疑心を養い、仮説検証を経ない理論採用しないといった「科学の心」を持つための科学教育が。ちゃんと人を育てるところから始めないと、また数十年後におかしな責任転嫁を聴かされることになるよ。

科学の心」を持つと科学以外のことに対する懐疑心は無くなっちゃうの?ただ氏が数年後におかしな責任転嫁を歌うことを楽しみにしてるよw

おまけ

数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)ブコメ

id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーなっちゃった 2011/04/09

ただ氏

id:sho 「アンサーソングと知らないのか」ってコメが複数あって笑った。年代的に知ってて当然だという反証を思い浮かべもせずにお気に入りの結論に飛びついちゃうあたりが、ダメな大人の典型だねぇ。 2011/04/10

俺の追記

id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーなっちゃった/知っててこのエントリーなら日本の言論的リテラシー教育重要性が問われるな 2011/04/09

もちろん、知ってて当然だという反証は思い浮かべてました。そして、知ってたらこんなエントリーは書かないだろうとも思ったので確認の為にコメントしてみました

「懐疑心を持つことが大切だ」というテーマエントリーの導入部でいきなり決めつけから入っていたので。こんなことググれば十数分でわかることですし。

原発事故責任は取れない

昭和43(1968)年生まれ。

高校3年生の時にチェルノブイリ事故があった。

選挙権を得て以来、他の公約なども鑑みて、とりあえず支持政党共産党一択

(党員にはなってない)。自民党はもちろん、第一野党の類にも

投票したことはありません。昔「戦争反対九条改正反対でも、いざ有事の際には

自分徴兵されるんだろうな。…なんか納得いかねぇ」と思っていた。

ところが戦争よりも先に、日本が滅びるかもしれない事態がやってきた。

自分年齢の半分以下、まだ選挙権すらないような子供たちのことを考えると。

人生で一度でも自民党投票した人間が、東京電力不手際をなじる資格などないように思うんだが

原発を推進してきたような政党を支持してきたのはお前らだろ?

片棒いできたんだよ。職業として従事してなくたって。

原発なしに今の電力供給はありえない」とかもさぁ。ニワトリ卵なんだよ。

必要とさせるためにオール電化を導入して「クリーンエネルギーで生活するためにも

ますます原発は必要ですね」とか。アホか。

それでも、自国民の(自分は支持していない)指導層がやらかしたとして、その不利益を被ることは仕方ない。

こんなことになる前に、日本に見切りをつけて海外に生活拠点を移すことだってできたはずなのに、

そうはしなかったのだから日本国籍所持者です帰化したわけでもありません。念のため)。

ただ、日本の若い人や、諸外国の方々には詫びても足りない失策を犯してしまった。自分たちの世代は。

本当に、かつて戦争突入した時の「民度」も、こんなんだったんだろうなーと思う。

要は募金くらいしかできないわけで(共産党を支持するような労働者なんで、所得たかがしれてる)。

オトナのみなさんは、自分責任の一端をになっているこの事態に、何をなさっていらっしゃいますか?

デモ行進して「原発建設」が取りやめになったという例を寡聞にして知らず。

原発予定地を買い占められるような金持ちだったら阻止できたとか?

ほんと、どうすりゃよかったんだろうねー。

2011-04-14

自分は何もわかってない

今私は首都圏に住んでいる。

自分家族岩手の内陸と、宮城の沿岸にある町に住んでいる。

幸運なことにどちらの家も海からはかなり遠い。地震の揺れにも何とか耐えた。家族も無事だった。

家族自分のこれからの生活に関しては不安は大きいものの、何とか踏ん張ろうと思っている。

友人は津波家族と家を失っている。

同僚で福島原発に程近いところにに実家がある人がいる。

その人たちは明るく振舞って毎日を過ごしている。自分達の方が状況が深刻にもかかわらず、

私の家族を心配してくれさえした

私も2人に何か言って少しでも気が楽になるよう励まそうと思った。

でも、何も言えなかった。2人に、「家族大丈夫」という報告しかできなかった。

家族や家を無くした訳でもない。

原発の恐怖におびえているわけでもない。放射能風評被害差別もそれほど影響は無い。

致し方なく土地を離れている苦労も分からない。

液状化山津波で家に住めなくなってもいない。

被災地の方に関心が行くからパニックになってしまうほど「不安」に追い詰められる首都圏の人の苦しみも分からなかった。

家族に襲い掛かる地震の恐怖や、それなりの不安はあるがそれでも私はおおむね幸せに過ごしていて、

からこそ何かしたいと思ったとき、実際私は誰の心にも寄り添うことすら出来ないのだと思い知った。

私に出来ることは、毎日仕事を真面目にこなすことと、少しの募金節電

明日が少しでも良くなるように祈ることぐらいで

そんな自分に次第に失望しつつ、毎日を過ごしている。

届いてくれ

あなたがどう願っても

死にたいと思う気持ちは変わらないで

あなたの思うとおりの人間になれない

から、ごめんなさい

あなたよりも、死ぬ事を優先してしまって

何よりも優先すると誓っておきながら

それを破ってごめん

どうしても耐え切れなくて

自分の為にあなた犠牲しました

守れなくてごめんなさい

苦しめてごめんなさい

裏切ってごめんなさい

死で逃げる事の方が大切でした

http://anond.hatelabo.jp/20110414221617

そういう意味での「プログラマー」という言葉がもう古いでしょ。現代のプログラマーは別の意味だと思う。

金融と聞いて融資専門の銀行員しか思い浮かべないのと同じくらい古いと思う。

一連の災害は被災していない人間にとって対岸の火事はないと思う。

原発問題。

短期的には問題が無い→それならば長期的には?

マスコミが30キロ圏内に入り取材→いやーこれくらいの数値なら問題ないですよー→なら長期的には?

関東地方に放射物はどの程度飛散している?→ほわっと?放射物?放射能

関東地方放射能数値は高くない→なら長期的には?

科学的?物理的?には証明されていないことなのかもしれないが、「長期的にはどうなる?」と誰も説明しない。

問題なければそれでいい。今、公表されている数値が正しいものならばそれでいい。

ならば、長期的には?

誰もがもうわかっていることなんじゃないの?長期的スパンでみれば今のところ数パーセントの割合かもしれないが何がしかの影響があるってことに。

誰もがもうわかっていることなんじゃないの?酷なことだが福島県原発周辺地域はもう駄目だってことに。

茨城東北地方太平洋沿岸地域の壊滅的な津波被害、地震被害。

産業に大打撃。時間が経てば復旧していくかもしれない。いや、復旧していくだろう。何も無くなってしまったところからまた這い上がっていくのだから

今までの水準に戻ることを前提として考えれば、かなりの年月がかかるんじゃないだろうか?

製造業はまだいい。部品を作る材料をなんとか手に入れればなんとかなるだろう。

けれど、農林水産業はそうもいかないのではないか漁業猟師最強とはいえ…農業にいたっては…

原発津波地震の被害は(原発人災部分も大きいと思うが)産業構造をぶち壊してしまったと思う。

東北地方以外の地域で一企業に勤務していたとする。

取引先の企業大丈夫であったとしても、他の産業との繋がりで(たとえば製造業と取引をしていれば部品が揃わないと製品が製造できない→売るものが無い。この逆もしかい)自分達の企業にも影響が出てくるだろう。

いや、企業活動だけではなくて日常生活においても同じことが言えるのではないか

徐々に物流も元に戻りつつあるかもしれないが、やはり売るものがなければ店頭に商品が並ぶことも無い。

都内のコンビニですほとんどものが無かったという事実最近は戻りつつあるが…

また、これらの影響で「災害対策用品全般・医薬品」が売り切れていることが多くなった。(ネットを中心に)

ここでも「ものが入ってこない」影響が出ていると思う。

こうしたことに危機意識を持たずにいる 関東地方の50代・60代の人間が信じられない。

どうせ都合が悪くなったら他人のせいやお上のせいにするくせして。

どうせ自分に都合が悪くなったらだんまりを決め込んで、揚げ足をとることしか考えないくせして。

どうせいの一番に逃げ出すくせして。

もちろん全員全員そうだとは言わない。

でもことここにいたるまで今回の災害に関して被災していない人達対岸の火事として考えているやつが多すぎると思う。

いいよなこの世代は。逃げ切り終了だから。お前らが散らかした結果なんだよ。

東電官僚体質にしろ、政治リーダーシップの無さも…

よくよく考えたら今の民主政権の主要どころはこの年代か…

震災用語集

【事象】・・・完全な事故。 例:原発で爆発事象がありました

【ただちに】・・・①その瞬間のみ。 ②その後の事はわからない。悪化の可能性がある。

明日以降】・・・明日も含んではいるが、最短でも明後日

【確認中】・・・よくわからない。

【急いでおります】・・・後回しにします。

情報が入ってきてない】・・・情報を聞かれたくない。

【念のため】・・・あとで文句を言われないため。

専門家】・・・①利害関係者。 ②御用学者

【予定】・・・やらないかもしれない、やれないかもしれない。

【安定】・・・過去(過ぎた事)限定で、先の事はわからない。悪化の可能性がある。

日本国内の人が言う「大丈夫」】・・・有効期間は最短3時間程度。その後は高確率で深刻な状況である

【安全です】・・・多分安全だったらいいな、安全だと信じてください。

【冷静に】・・・発表を鵜呑みにして。 例:国民の皆さんは冷静に行動してください。

【会見】・・・ごまかし。 例:東京電力の会見が始まりました

検討中】・・・困っていること。 例:明日の放水を検討中です

風評】・・・発表による国民常識的な判断のこと。 例:風評により物資が届かない。

【申し訳ない】・・・①関係ありません。 ②死んでください。

【整理してから】・・・公開する情報と隠蔽する情報を選別・判断してから

【○○の可能性も否定できない】・・・①○○している。 ②○○の可能性が高い。

【大きな音と白煙が発生した】・・・爆発した

【○○の主導の下に】・・・○○は何もしていませんが  例:菅総理の主導の下に

【○○と理解しております】・・・○○ということにしておいてくれ、頼むよ、突っ込まないで

                例:健康に影響はないものと理解しております

【着手】・・・計画を作る事が決定した時点のことで、実際にやっていることではない。

       例:外部電源敷設に着手

【かもしれない】・・・確実にそうなる

子供のことを考えたら」

今日ニュースにて。

地震原発事故があって、東京から自分関西に移住、妻と子供デンマークに移住、っていう家族を取材してたんだ。

「やっぱり子供の安全を考えたら、危険から遠ざけるのは当然じゃないですか?」というようなことを言っていたと思う。

将来は自分デンマークに移住するつもりらしかった。


一方で数日前には、福島原発のすぐそばに住んでいる一家への取材VTR

その一家には赤ちゃんがいて、洗濯風呂水にもミネラルウォーターをつかっているという話をしていた。

県外に移住するのにも資金がなく、仕事も無いだろうということで、甘んじてそこに住んでいるということだった。


自分には3歳の幼児と、5ヶ月の赤ん坊がいて、首都圏に住んでいる。

放射線量は普段より多く、いつこの状況が収束するかもわからない中で、迷いながらも気がつかないふりをしながら住み続けている。

いわゆる「直ちに健康に被害はない」レベルだが何十年続くかもしれないこの状況の中で、いつも迷っている。


Twitterをやっているが、「エア被災者!」なんてことばを見かけることもある。

その一方で、「小さい子供がいるなら、関東に住んでいるなんて虐待と変わらない」なんてちょっと過激な意見も見かける。

何もかも捨てて、とりあえず子供だけでも、西のほうへ逃げる、そして出来るなら海外脱出をするのが親の責任なのだろうか?


と考えたところで、頼る親戚も、ホテル暮らしをする資金もない自分は、ぼんやりと風向きを気にしながら、普段と同じ生活を送る。

公園子供をいつものように遊ばせる。変わったことといえば、水道水ではなく、ミネラルウォーターを飲むことにしたくらいだ。


自分はそれまで、いろんな問題を抱えた地域(たとえば米軍基地の周辺とか、原発周辺とか)に住むことは自己責任だと思ってきた。

嫌なら出て行く、住むなら甘んじてその問題と付き合っていくのが筋、なんて考えてた。

でも自分がそういう立場になってみて、嫌なら引っ越せばいい、なんて考えが、何も分かってない人間からいえたことだったんだと気がついた。


自分の心積もりは決まっている。ここに家族と住み続ける。

でも、福島野菜を食べよう、風評被害を防ごう、なんてニュースと、

関西海外に移住する家族ニュースが並んで放送されているこの状況に、気持ちがざわついたりする。

自分はまだ迷っているのだろうか。子供の安らかな寝顔を見るたび、気持ちがぐるぐると動き出す。

http://anond.hatelabo.jp/20110414202946

いやいや、そこまで怒らなくても。

それは古き良き田舎アメリカの家庭の思想なので、単純にそういう古い流行を「これが結婚後の世界での常識なのだ」と思い込んでるってだけだと思いますよ。

やっている本人は大真面目に妻を愛していて、大真面目に古い流行である常識」に従っているに過ぎない。

そしてその常識を覆されると大混乱するのでしょう。デートについて誤った本を読んで、実際に失敗してから大混乱する人の行動様式と大して変わらんと思いますよ。

ま、その共同幻想を何のエクスキューズなしに相手と共有しようというのが大きな間違いの元というのは確かなので、「そういう約束事には興味がない」と言えば幸せになれるのではないでしょうか。

http://anond.hatelabo.jp/20110414204035

今回の震災経団連的な日本大企業がついに没落すると思う。

製造業外需で稼いできた国が供給不足放射能汚染を理由とした輸出入拒否に直面しており

それが当面続くのだから

数年間もこんな状況が続けば、たとえ放射能汚染が止まったとしても

そのときには既に外国企業パイを奪われている。

苦労したほど・・・

苦労したほど強くなれる。。

はたして本当だろうか?

もちろん人によって優しい思いやりのある立派な人間になるかもしれない。

だが大体苦労した人間やさぐれる。傷つく。怖くなる。

苦労の種類が苦労して傷ついた場合

表面上には平気そうでも奥底ではいつも不安に思っている。

苦労したほど強くなれる人は最後ハッピーンド。

そんな漫画のような最後を迎えられた人のみだと私は思う。

自分の本当に暗い過去を人にへらへらと話す人も決して平気なんじゃない。

心のどこかで慰めてほしい、大変だったね、よく頑張ったねと言って欲しい

病んでしまって変な行動を取ったことを笑い事にしたり、自分からすればどうってことないことでもまだ傷は癒えてないかもしれないから何も言わなくてもいいか馬鹿したり文句を言ったりしないであげてほしい

傷ついた人に私の方がつらい思いをしたなどと言わないでしい

こんなに文章がぐちゃぐちゃになった私も病んでいるのかもしれない。慰めてくれとは言わない、放っておいてくれ。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、独りでお酒をひたすら飲み続ける。

そんな姿を想像すると、どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で、

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりはほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろうお父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし、付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。もちろん、叔父さんも然り。

新年あいさつはおろか、全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

覚えてる限り初めて、会ったのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて、結構鮮明に覚えている。

ただ、覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったから、痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって生まれ育った家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、まるで自殺行為のように飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人をあんな逝き方をさせてしまったという事にひどく後悔している。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったってもうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

あなたは亡くなった人に優しくて、生きている人には冷たい

耳を疑った。

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。ごめんなさい。

そうやって約一時間で、叔父さんはようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈だった。

膝に抱いた骨壷は、ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、懺悔と叔父さんの冥福、安らかな眠り、幸せな来世を祈るしか私にはできません。

本当にごめんなさい。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、

独りでお酒をひたすら飲み続ける。

テレビとか見ていたのかな・

そんな姿を想像すると

どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは

推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は

生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりは

ほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、

叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう

お父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし

付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。

もちろん、叔父さんも然り。

正月に、新年あいさつはおろか

全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、

つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

中3のゴールデンウィークに、亡くなった。

初めて、顔を見たのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて

結構鮮明に覚えている。

ただ、

覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったか

痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、

はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて

借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって練馬の家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に

家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで

叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を

気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人を

あんな逝き方をさせてしまったという事に

ひどく後悔している。罪悪感がある。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって

もうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、

こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない

両親とは、心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

他人事なんですね。

亡くなった人に優しくて

生きている人には冷たいと、母親に言われ

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって

叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。

ごめんなさい。

そうやって

約一時間で、叔父さんは

ようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。

膝に抱いた骨壷は、

ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は

私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて

勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、

懺悔と叔父さんの冥福

安らかな眠り、

幸せな来世を祈るしか

私にはできません。

本当にごめんなさい。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、

独りでお酒をひたすら飲み続ける。

テレビとか見ていたのかな・

そんな姿を想像すると

どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは

推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は

生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりは

ほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、

叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう

お父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし

付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。

もちろん、叔父さんも然り。

正月に、新年あいさつはおろか

全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、

つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

中3のゴールデンウィークに、亡くなった。

初めて、顔を見たのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて

結構鮮明に覚えている。

ただ、

覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったか

痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、

はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて

借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって練馬の家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に

家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで

叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を

気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人を

あんな逝き方をさせてしまったという事に

ひどく後悔している。罪悪感がある。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって

もうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、

こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない

両親とは、心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

他人事なんですね。

亡くなった人に優しくて

生きている人には冷たいと、母親に言われ

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって

叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。

ごめんなさい。

そうやって

約一時間で、叔父さんは

ようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。

膝に抱いた骨壷は、

ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は

私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて

勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、

懺悔と叔父さんの冥福

安らかな眠り、

幸せな来世を祈るしか

私にはできません。

本当にごめんなさい。

くそけがあああああああああああああああああ

てめえの終わった話なんざどうでもええんだあああああああああああああああ

自分よければそれでいいクズ野郎は人知れずどっかでしんでろやああああああああああああ

てめえのことなんざどうでもええんだああああああああああああああああああああ

いちいち聞いてるおれの身にもなってみろやあああああああああああああああああ

うまくいくわけねえだろがあああああああああああああああああああああ

すでに合体ずみの男女にどうこうして割って入るなんざできるわけねえだろぼけがあああああああああ

そんなどぐされうんこ妄想実現する並行世界なんざいっさい用意されてねえんだよおおおおおおおおおお

わかったかバカがあああああああああああああああああああああ

かれんだよおおおおおおおおおおおおおおおお

ああああああああああああああああああああああああああ

へええええああああああああああああああああああああああああ

あああああああああああああああああああああああ

ずぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

なぐりてえよおおおおおおおおおおおおおおおおおお

あ 犯罪予告はないで

あああああああああああああああああああああああああああ

http://anond.hatelabo.jp/20110414144232

「普段から太陽から放射能出てるじゃないですかwwwwはい論破wwwww」くらい言えよな

本は体内に入れるもんじゃいし

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