「能力主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 能力主義とは

2014-07-03

実際はこうだよなあ

三国志企業に置き換えた

・魏→各業界大学トップエリートが集められている。入社は超難関。福利厚生が充実

・呉→ヤンキー多いが和気藹々とした職場南方の珍しい食べ物とかが社食に出る

・蜀→ブラック企業旗揚げから古参が幅を利かせている。徳と会社愛があればガマンできるでしょ?

魏→ベンチャー気質が残る大企業能力主義標榜するも、実際は高学歴インテリが幅を利かせている。

呉→複数中小企業合併してできた企業。社内にいくつも派閥があり、そのぶん社長立場は弱い。

蜀→規模が小さく創業者カリスマ頼り。身の丈に合わない目標を立てて無理やり社員を奮い立たせている。

2013-11-23

AともBとも言える。やくたたずという言葉

声のデカイタイプの方が『「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ』とか言ってた。なんか朝青龍体当たりされたみたいな気分になり、とても物憂くなった。ムカつけばデカイ声出せばいい。幸せな人だなあ。

もし私が「あなた女性的か男性的か」と 聞かれたら、「女性的とも言えるし男性的とも言える」と答えます女性性も男性性も持っているからです。

右翼的左翼的か」と聞かれたら「右翼的とも言えるし左翼的とも言える」と答えます右翼性も左翼性も持っているからです。

P国で青、Q国で緑と呼ばれる石を、P国とQ国のハーフが「青とも言えるし緑とも言える」と言うことはあるでしょう。

すべてビジネスで役に立つか立たないかで考えているから、このような極端な発言をするのだろう。

機能主義や能力主義価値観から外れた人、老人、障害者、そういう人を勘定に入れないから、「役に立つか立たないか」だけで物事をはかるんだろう。

幸せな人だなあ。

2013-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20130909002708

その手の記事を書く人は何かが抜けていると言う主張はとてもよくわかるのだけど、

退職した○○社というのも、新卒学生相手に「能力主義・結果主義」という夢を語りすぎてると思うんだ。

結果、会社側の業績ありきの評価と自己評価乖離して不当な評価を受けたと勘違いしてしまう。

2013-08-11

階級社会の何が問題なの?

これまでの総論は概ね同意

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1

私自身も30手前だが、上記エントリーの弟の立場

大学ではないが、受験で入った国立付属中学文化的差異に驚愕した覚えがある。

それまでにピアノが引ける人の数がクラスに2人だったのが、いきなりほぼ全員になった。

ただし少数ながらワーキングクラス同級生もいた。

ただ、付属内でもサラリーマン階級資産階級文化差があって、

お金のかけ方や趣味の違いは高校卒業まで残った。

中学まで低学歴社会から抜けたため、個人的な怨恨はない。まぁそんなもんかなという印象。

彼らは彼らで楽しくやっているのだろうし、うちらも楽しくやれれば歓迎。

じゃあ何が問題なの?と問うてみる。

前提条件として、階級移動が少なくなった事情は抑えておくべき。

高度成長期までは社会階層時代の変動があったため、(一次産業比:戦後40%→20年後10%)

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html

誰もが親よりも良い職業につくことができていたし、パイの成長自体もあって、

低所得から知的階層への参入がよりあった。おそらく今の50代くらいまで。

今ではそのどちらもがなくなったため、階級固定化が進んでいる。

話の通じる人たちと交流したいという要望から

階級ごとに地域分化し、違う階層との交わりを断つ方向へ流れている。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E9%83%BD%E5%B8%82-%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E3%81%8C%E8%A1%97%E3%82%92%E4%BE%B5%E9%A3%9F%E3%81%99%E3%82%8B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E5%81%A5%E4%BA%8C/dp/4480066365/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1376145718&sr=1-2&keywords=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%80%80%E9%9A%8E%E7%B4%9A

個人的にも、エントリを読んだら娘を公立に行かせるなんて出来ない。

http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155

階級化は進んでいるし、相互の交わりを持たない人も増えていることが想像される。

といった時にどの目線から問題を提起するべきなのか?

アメリカでは低所得からの優秀な人材を登用できないこと自体が問題設定されている。

http://www.chikawatanabe.com/blog/2013/04/education_and_socioeconomics.html

能力主義アメリカならでは問題設定だ。

大した評価軸を持たない日本ではどのような問題を設定するのか?

学者サイドでは、きちんと貧困問題と、再配分の問題として、定義し直すことができているが、

世論では格差が問題と言いつつ、格差への怨恨を憂さ晴らしして、終わることが、心配でならない。

馬鹿若者に対して、強制的教育せねばと徴兵制をねがい、http://togetter.com/li/545096

戦争が起これば、状況的には格差がなくなると、戦争を求め。

日本が勝ったと満足して、自尊心を満たすような、オナニープレイは見たくない。

そのために何をすべきかが、設定すべき問題なのかもしれない。

2013-07-08

コミュ力採用の原因と結果

親(団塊世代)に聞いたら親世代当時は未経験資格無し職歴なしからでもやる気や愛があれば一流企業にあっさり入れたって。

コミュ力会社に入ってから磨くもんだよと言い聞かせられたもんだ。

じゃあ今はなんでコミュ力必要かというと、団塊世代コミュ力ないって事は今会社の上にいる人間コミュ力が不足してる上に、

海外メーカー等取引先企業コミュ力を率先してるという話がマスメディアを通して伝わったから。

急激に意味もなくコミュ力を重視し出したのはこの辺りからだと思われる。

海外に負けるなという思いかコミュ力を重視した結果、新人はやる気よりも口先だけうわべだけの人間が量産されてしまった。

そのため上っ面だけの人間しかいなくなり会社機能しなくなって倒産の憂き目に遭うという話。

よく派遣社員体験談で、新卒無能なのに高給くやしいっていうのは実は正論なんだ。

だって本当に新卒無能から派遣社員(や契約社員)は様々な職場経験してその道のプロになっている(と思ってる)からプロ根性が一般より強い。

本来、新人生意気な位で十分なのに上っ面だけの人間ばかりを採用したせいで、そいつは本当にやる気があるのかないのかに関わらず業績が年々傾いてる。

傾くのは能力よりも安易コミュ力を重視した会社責任と損失だから、他がやってるから新人への向き方を同じにしてしまうと会社は没個性化してしまう。

それでもコミュ力を重視するのは、海外メーカーに負けたくないからか、あるいは能力主義カンストしてるからか。

少なくとも能力カンストしてる事はないね

実際業績(利益率)が右肩下がりですもん。

じゃあ海外メーカーに負けたくないから?

海外メーカーに勝っても何の旨味もないですよね。

日本企業から国内顧客を増やさないと海外へ行っても負けますよ。

海外メーカーが重視するコミュ力はある一定水準以上の仕事遂行能力会社愛ややる気に溢れた人が前提で、その上のコミュ力重視なんだ。

でも日本場合コミュ力だけをまず重視してるから一定水準以上の能力がない、派遣社員言葉を借りると“無能”な上っ面だけの新卒ばかりが採用される。

それじゃ本末転倒ってもんだよ。

コミュ力を重視してる会社すべからく皆業績も上々だけど、それは徹底した能力主義が前提だから

じゃあ業績が下がってる会社にとってコミュ力むしろ邪魔じゃないかしら。

能力主義根底にないし、すぐ根を上げる新人が多いから結局のところ、コミュ力を重視するのは失敗だったということになる。

コミュ力重視して新卒取りまくるのは問題ないけど、そいつらは果たして出来る人間か?

派遣契約馬鹿にされるような新人じゃコミュ力なくても出来る人間の方が、俺は必要だと思うけどなあ。

海外に負けないって気持ちは悪くないけど、それなら会社に入ってからやらせてるマナー研修はどうなんだよ?

あれこそ無駄の極みなんじゃね。コミュ力採用を重視してんならマナー云々も必要ないじゃん。

結局会社コミュ力を培わせるんだったら、採用基準をコミュ重視から能力重視に切り替えても全く問題ない気がする。

新人に即第一線に出て貰うためなんだったら、いっそ経験採用枠を増やした方が無難に回転できると思うね。

それこそ本末転倒か。

2013-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20130705234610

まり弱者切り捨ての能力主義擁護ですね。能力のない人は能力のある人のために人一倍苦労してくれと。もっと建設的な方向に頭をつかったほうがいいと思いますよ。あなた生産性のないやつだと思われてしまます

2013-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20130624030108

例えばアジアアフリカから子供を攫ってきて人体実験をしている製薬会社があったとしよう。

「悪質な企業が嫌ならやめればいい、よい企業がなければ自分で作ればいい」

そういう問題か?

例えとブラック企業では異なる部分は大きいが、要するに人道に反することをしているのを、個人の好みの問題として処理していいのか?ということが言いたいのだ。

程度に差こそあれ現実常態化しているとしても、ブラック企業というのは許されない存在だ。

ブラック企業というのは笑い話ではない。この21世紀先進国過労死などと馬鹿げた死に方をする人が一人二人ではないのだ。

また増田のように能力主義の弊害とのように捉えるのも勘違い甚だしい。

これは現代社会奴隷制とでも言うべき由々しき問題なのだ

極端な事例を想定して話している自覚はあるが、増田ホリエモンのように「ブラック企業といえど大体こんな感じだろう」みたいな甘えた考えの下に論ずるよりはマシだと思う。

多くの人が死んでいるし、苦しんでいるのだ。もう少し考えて喋れ。

2012-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20121011214135

おらも近い意見だな。

給料やすくていいから定時に帰らせてくれ。っておもう。

でもウチは基本給の評価基準がやっぱり「勤続年数」な会社なので、

1)能力に関係なくトシ取りゃ高給はらわなければならない → 2)高給はらうからには都合良く働けやオラ → 3)帰れない、つまんない、仕事しないのに居るだけで高給うばうお荷物オッサンとか居る

みたいな悪循環してる。かといって能力主義もそれはそれで色々たいへんだし。それらとはまた別の第三の評価軸が発明されないかな。

それに「アサインされた仕事おわんなかったけど定時だから帰るわ」っていうのが通らない社会からなあ。この国の商習慣は。

商品が買いたたかれまくる買い手市場時代から、客が最優先なわけで、担当者は最低の優先度なわけだ。

会社組織図のピラミッドを逆三角に描くか、正三角に描くかの違い、みたいな。

生活費生活シフトして、自分生活するのに必要な最低限の収入ぶんだけ短時間はたらいて、

あとはのんびり暮らしたい。って思ってて、いよいよそれを具体的にしていきたいんだけど、じゃあたとえばどんな仕事があるんだろ?

っていう段階に来てる。

なんかない?いっしょに働かない?

2012-04-03

子供の育て方

子供を育てる時、その子供の能力(あるいは結果)を褒めるのではなく

子供努力のみを褒めるべきだという定石のようなものがあると聞く

努力を褒められることで子供は何度も努力を繰り返すのだという

結果のみを褒められてしまうと、子供努力をせずに時間をかけずに結果を出すことに力を注いでしま

能力主義というのは酷く脆く、またそれが親に依るものだと自覚をした子供はより危うい

何故なら、社会に出た時に自分能力のない子供だと示されてしまう事は即ち

自分能力を認めてくれた親にも見る目がなかった」という現実を突きつけられる事に他ならないからだ

そうなってしまえば、両親への罪悪感は避けられず、或いはそれの反転による両親への不信感・責任転嫁に逃げざるをえない

オヤジに褒められる」ということは男の子にとって最上級のご褒美だ

そんな簡単に差し出される安価な商品にするべきではない

2012-04-01

私は運が良かった、あなたも運が良かった

○周年を祝うイベントがあった。

経営者は、「私は運が良かった」と連呼していた。

「ここにいる人たちも運がいい」と続けた。

運よくリストラにあわなかった人が残っているわけで、みんな運がいいよね。

定年後も再雇用された人が招待されたわけで、運がいいよね。

売り上げ至上主義や能力主義を取り入れたけど、最後は運のひとことですべてを語ってしまう。

このくらいの豹変ぶりを臆ともしない精神経営者には必要なんだろう。

これを読んだ人にも良い運があらんことを願います

ありがとうございました。

2012-01-16

「できる子」の教育に失敗したから、格差社会になった。

機会平等」と「結果平等」という言葉があるが、日本人特に教師)は「子供のうちなら結果平等が実現するはず」という幻想を持っている。

しか子供こそ「むきだしにされた素養の塊」であり、大人同様に平等とはほど遠い。

子供の結果平等に夢を見ている教師や社会は、出来過ぎてクラスで浮いてしまう「浮きこぼれ」の存在を憎む。

浮きこぼれそうな子供たちは、その憎しみを受けないために、"普通の子"のふりをして埋没しながら義務教育期間を過ごす。

今の世の中で力を握っているのは元浮きこぼれや、普通の子擬態していた子供が成長した大人たちだ。

能力主義成果主義見える化リストラといった流れは、子供時代に不遇だった元浮きこぼれたちの「無能な多数派への復讐」なのではないか

彼らはおのれの能力によって勝ち取ったものを絶対に他人にシェアしない。「天賦の才」を、自分のためにしか使わないのだ。

なぜ自分が選ばれ、才を与えられたのか、彼らは考えず、感謝も求めず、ただただ人生というゲーム無双プレイを楽しみ、憂さ晴らしをし続ける。

彼らが大衆を憎むのは、子供の頃に教師や社会によってされたことへの復讐だ。

あらゆる集団は、そこに属する有能な人間に愛されていないと崩壊する。

浮きこぼれの子供たちに愛される国にならない限り、日本未来は無い。

2011-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20110525121852

頭が悪い

資本主義とは人を操るスキルこそが強者の証。

能力主義に代表されるような強者は資本主義の強者ではない。

からこそ、能力主義の強者がのし上がるために資本主義を切り捨て、

他人に何でもやらせる甘ったれの弱者を切り捨て、新しい世界を作る必要があるのだ。

資本主義って能力主義に対して酷く逆行してるよね

資本主義っていか能力の高い人間を安く買い叩くかを競う社会なんだもん。

2011-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20110210195805

からさ、ぶら下がり戦略が成立するって時点でもう、理想的な能力主義的格付けゲームじゃないよね、干支の話然り

2011-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20110210185559

残念なことに、世の中はそんなに理想的な能力主義構造を持ってないので、淘汰されるとしたらひとえに「生き残るのに長けていない人」からです

2010-11-27

同族会社能力主義を持ち出すのはおかしい

トップが血縁という最強のコネで誰よりも高い給料もらってるのに、

社員に対して能力を評価して給料を決めても、誰も納得しないだろう。

株式公開してる会社なら、能力主義も理解できる。

経営者株主から評価されているし、無能だったら総会でクビにされる。

でも、同族会社場合は違う。明らかに無能な奴でも、息子というだけで社長になっている。

「偉いのはお前の親父であって、お前じゃないんだよ」

2010-07-09

2chガイドライン板の「若者の○○離れのガイドライン」に、大学教育就職に関することが指摘されていた。

大して目新しいことではないが、場所が意外だったのと、そこそこ読みやすかったので、まとめてみる。

372 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/05/31(月) 20:13:17 ID:nqOUi44i0

若者ドクター離れ

若者大学院離れ

若者ポスドク離れ

若者ロースクール離れ

若者ピペド離れ

373 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/05/31(月) 22:01:49 ID:ggoo019x0

>>372

大多数の人間にとっては、離れた方がいいものばかりじゃないか

378 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 02:21:26 ID:haeumQqO0 (2)

>>373

大学就職予備校になってるのはよくないだろ

380 名前:水先案名無い人 []: 2010/06/01(火) 06:41:15 ID:pAI7wOsu0

年功序列」を追い求める新社会人たち。若者の「能力主義」離れが進む

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1275335068/

381 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 07:40:51 ID:xPkUMXnw0

>>378

高校卒業者の50%以上が大学に進学する時代に、就職予備校になるなという考えの方が無茶だよ。

それに研究者になる人間なんて一握りなんだから、大学院の枠を拡大しても何の意味もないだろ。

大学院で、実社会に出る人間に役立つ教育ができる分野や、それが可能な大学組織なんてわずかなんだかから。

単純に院生の枠だけ増やさせた文部科学省と、教育内容を充実させられない大学側が悪い。

需要もないのに勝手に枠を広げて埋まらないから文句いってるだけだ。取り合う必要なし。

382 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 08:27:27 ID:haeumQqO0 (2)

>>381

大学2年から活動が始まる現状は異常といわざるをえない

383 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 08:29:46 ID:prYMDs0x0

売り手市場買い手市場の違いはあっても、バブルのころは青田刈りなどといって

やはり早過ぎる就職活動が問題視されていた。

384 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 14:07:29 ID:sYpYdyT40

そもそも学業が役に立たない社会というのが問題かと

若者どころか全体の教養が下がってることの証明で、経験と慣習で動いてる

385 名前:水先案名無い人 []: 2010/06/01(火) 14:14:38 ID:xwGPmhSu0 (4)

>>384

高学歴ワーキングプアだな。俺の先輩がそうだわ。

386 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 14:36:22 ID:ER64yujmP (2)

最近院卒を雇ってすぐクビにする企業が増えたってスレがあったな

どこの板だったか忘れたけど

387 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/01(火) 19:33:03 ID:7ywFNAMj0

世の中に高学歴が必要な仕事がどれくらいあるというのか。

高卒でもできる仕事大卒がやってたら、大学4年分の授業料無駄になるし、

その4年間に働いていたはずの分の給料仕事経験が失われたことになる。

396 名前:水先案名無い人 [sage]: 2010/06/02(水) 00:25:42 ID:cEjeD0A00

高卒大卒もやることが変わらないのが問題なんじゃね?

2010-02-06

こうして君たちはまた、インテリに騙される

橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院教授内田樹さん

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm

学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。

確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリごまかしである。学力テストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。

ホンネとタテマエの日本

日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験合格したり一流企業就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。

「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。

すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプ子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。

こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。

「それぞれに得意なことがある」というドイツ

この点はドイツ比較してみるとより一層明らかになる。

西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。

ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。

格差の拡大

日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育

学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。

という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。

Fラン叩き

現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。

ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。

そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。

色々なタイプ子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。

しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプ子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。

2010-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20100117133351

今の若者ゆとり保守主義だから、終身雇用年功序列を望んでいる

じゃあ、誰が言ってるかというと、新卒で入れなくて、20代の若者と同じ賃金で働かされている30代の氷河期世代

この世代は団塊ジュニアで、能力主義を夢見て転職を繰り返してきた世代だけど、そろそろ年齢的に雇用が危なくなってきたので、落ち着いた椅子がほしい

ところが、新しい椅子には新卒若者が座ってしまう

実際、30代よりも今の20代の若者の方が将来有望なので、なんとか現状を変えないと30代には絶望的な未来しかない

若者待遇が悪いのは能力が低いからじゃないの?

新卒主義・年功賃金解雇規制とかのせいで中高年から搾取されてるから待遇が悪いとか言う人をよく見かけるけど、それらのないアメリカとかの多くの外国でも若者のほうが失業率が高く平均賃金が低いという現実はどう見てるんだろうか。肉体労働とかスポーツ選手でもないなら経験が少ない分若者のほうが能力低いのは当たり前のはず。何でこんな単純なことに気づかないんだろうか。俺様は有能だ、馬鹿上司共のせいでひどい目にあってると信じたい、自分の無能さから目を背けたいってことなんだろうかね。

新卒主義やめても経験者の多い中高年のほうがますます有利になるし、年功賃金でなく能力主義で決めても中高年のほうが能力高いなら結局似たような賃金カーブになるはず。それどころか教育コストを考えればもっと若者賃金が低くなってもおかしくない。解雇規制を緩めて労働市場流動性を高めれば当然転職確率は高まるので、若者を雇って教育した場合に将来のリターンを得る確率も下がるので、ますます若者を雇うインセンティブが下がるだろう。なのになぜか解雇規制緩和を唱え、新卒主義批判をする若者ネットでよく見かける気がする。ネットだから年齢はわからんから実際はおっさんがやってるのかもしれないし、ただのナルシストなのかもしれない。

2009-12-22

N総研SEやってるオレが一言もの申すけど・・・

disるわけじゃないけどさ。

WEB仕事に関わる人って、自分キャリアとか心配にならないのかな。

現場ではどんな仕事内容を、どんなレベルで行っているのか実情を知らないで書いているのだが

ディレクタだのデザイナだの、言葉は悪いけど誰でもなれそう(参入障壁低そう)。

はてブではWEB関連技術の注目度が高いことから、人口は多そう。

(ここ10年で盛り上がってきた業界だから、若い人多いよね)

で、年齢とともに収入が上がるかと言うとそんなことはなく、能力主義だろうし、

能力があってもある程度の年齢を超えると社員でやってる限りは頭打ちになりそうだ。

社内での技術評価など、従業員が満足いく仕組みになってる企業も少なそう。

実際のところ、どうなんだろう。

(要するにただ単にあなたたちの将来の心配してるわけです。)

2009-12-21

WEB仕事って

disるわけじゃないけどさ。

WEB仕事に関わる人って、自分キャリアとか心配にならないのかな。

現場ではどんな仕事内容を、どんなレベルで行っているのか実情を知らないで書いているのだが

ディレクタだのデザイナだの、言葉は悪いけど誰でもなれそう(参入障壁低そう)。

はてブではWEB関連技術の注目度が高いことから、人口は多そう。

(ここ10年で盛り上がってきた業界だから、若い人多いよね)

で、年齢とともに収入が上がるかと言うとそんなことはなく、能力主義だろうし、

能力があってもある程度の年齢を超えると社員でやってる限りは頭打ちになりそうだ。

社内での技術評価など、従業員が満足いく仕組みになってる企業も少なそう。

実際のところ、どうなんだろう。

(ちなみに自分WEB業界の人ではない。ただ単に言いたいことを言っているだけです)

2009-08-04

年功序列起源

2009-08-04 / Economics

城繁幸氏のブログに、台湾メディア日本年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。

では日本年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。

ところが明治時代官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後実質的継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。

つまり年功序列日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキングリッチに「配当」を払うことはできなくなる。

これは年金財政破綻と同じ構造である。日本企業組織財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。

2009-05-19

年功序列給与体系とお見合い制度関係について考えた

http://anond.hatelabo.jp/20090508002306

どんなに成功しても、金を稼いでも、肩書き、金、資格、そういうものが愛されてるだけで素の自分が愛されてる気はしないんだろうなと。

「そういうものもひっくるめて君なんだから、あんまり考えちゃダメ

と言われても、じゃあなにか?日本国籍目当てにフィリピーナチャイニーズモテても日本国籍もひっくるめて俺だからって理屈か?おい?

って言いたくなるわな。

「一番彼女が欲しいとき、寂しくて辛いとき、性欲が溢れているとき、欲しいものは手に入らなかった。

誰も誘っても応えてくれず、誰にも好かれず、悶々と暮らしていたわけだ。

そのころ君に出会っていないわけだから、一番美しいときの君は、別の誰かのものだった。

俺が孤独のふちにいたときに、君はいろんな人と恋愛して、結婚なんかも経験した。

やっぱり、安らぎが一番なんて言われたって、男の魅力はないけれど旦那としては最適=金づると言われてるとしか思えないよ。」

(※バツイチ女に詰め寄られたと仮定する)

社会人になってからの恋愛ってどうやったって結婚の可能性をぬぐえない。

結婚人生で最大級のビッグビジネス

ってことは、社会人恋愛ビジネスの要素を除くことができない。

純粋に好きあうだけの恋愛は、10代を逃したら二度と出来ないんじゃないかなって思う。

ゼッタイ結婚なんかしません!っと周りに触れ回ってる男が彼女なんかつくれると思いますかね?

結婚したくないけど彼女が欲しいってセックスしたいだけって言ってるのと同じに聞こえません?)

その一方で、女の心情を考える。

若いうちは引っ張りだこでも、歳食って結婚にたどり着けない女。

そういう場合は逆に、女(性欲処理機)としての魅力はあっても、生涯の伴侶には選ばれなかったという気持ちが残るんじゃないかなっと。

「私が好かれてたんじゃなくて、若くて美しい体だけが欲されていた。」

そう思ったりするんじゃないかと。

それはかなり残酷だと思うんだよね。

資格や肩書き、富や名声を得ようと、若くないというただ1点のために選ばれない辛さ。

男の「いまさらなんだよチクショー」なんかと比較にならないほど辛いはずだ。

若くてもブスだったらアウト。

美女でも老いたらアウト。

やっぱ女のほうが辛いと思うな。

たぶん幸福量の順番は

金持ちイケメン=若くて美女>金持ちブサメン貧乏イケメン>>>老いた女とブスの全部

なんでこうなんのかいろいろ考えていくと、こんな真理に辿りついた。

結婚は男女の資源(男の資産と女の美貌)の交換というモデルで考える。

(一般に)男の収入は歳とともに上がりつづける。

女の美貌は歳とともに衰える。

なら男は交換したがらんわ。

ただ、これって収入が年齢とともに上がりつづけるっていうモデルの場合。

完全に能力主義で、歳とともに下がることも往々にありえる社会だったら、

「俺だって落ち目だし、落ち目の女とくっついとくか」

って気分になるんだろうけど、年功序列終身雇用だと

「まだまだ俺は価値が上がるのに、鮮度が落ちた女をくわせにゃならんって不公平じゃん!」

ってことになる。

それでも結婚する原動力になりえるのは、子供が欲しいっていう本能くらいだろうけど、ところがぎっちょ子供を産み育てることはすげー贅沢なこのご時世。

やっぱり、収入が年齢とともに上がりつづける社会だと男は結婚したがらなくなるって結論は変らない。

つまり年功序列賃金体系は自由恋愛と相性が悪い。

(完全な年功序列給与体系なんて公務員くらいのものかもしれんけど、そんでも基本給は下がらんし、他の国に比べたらまだまだじゃねーの?)

ある程度半強制的にくっつけてしまう制度がないと結婚なんかしなくなるんじゃないんかね?

その点ではお見合い制度のほうがいいわな。

処女童貞同士くっつけておけば、使い古しを押し付けられる劣等感も、ヤリすてられて結婚できない孤独感も生じない。

2009-04-18

テレビ環七通りで一番古いラーメン屋はどこか調べるっていうのをやってるのをみた。

結局創業45年のホープ軒がその番組が調べたところの環七で一番古いラーメン屋だそうだ。

テレビじゃ創業45年に感動してたけど、意外に歴史が浅いような気がした。

だって、二十歳から一つの商売一筋で年金を受け取るまで働くとすると、45年だ。

ふと、終身雇用の崩壊というけれど、実際に終身雇用された人間なんて実は少ないんじゃないかと思った。

まず条件として、少なくとも創業45年以上でないといけない。

勤めてる会社が創業60周年になる。

先日、初めて新卒入社で定年まで働いたという人が出た。

離職率が高い職場っていうこともあるけど、どんな会社も創業当初は創業者一族と彼らに縁故のある人間会社なんだろうと思う。

業務拡大して人を雇う余裕が出ても、しばらくはゼロから教育するような余力はなく、能力主義で来るもの拒まず去るもの追わずというスタイルなんじゃないかと思う。

たぶん、創業50年や60年くらいで初めて定年退社第一号が出るんじゃないだろうか。

何十年も業務内容が同じということもないだろうし。

ようするに、人生はわからないっていうことが書きたかった。

大企業に入れば安心なんていうわけじゃなくて。

100年前の大企業が全て今も存続してるかといえばそんなわけない。

むしろ消えてしまった企業のほうが多いわけで。

今の大企業が100年前も存在してたかといえば、当然そんなわけもない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん