はてなキーワード: 投げ銭とは
コンビニで飯買ってたり、推しにスパチャしたり、好きな服を買ったり海外旅行したり…お前ら、金がないから子供を産んで育てる気になれないなんて嘘だろ?
音楽が売れなくなって土地やゴルフ、車や酒なんかに金を使うことのない今、金の使い道が細切れになってる。この豊かな社会で本当に必要とされてる仕事なんかごく僅かで、だからみんな仕事に溢れてる。全員足並み揃えて解決したい大きな社会不安がなくなってしまっている。
例えばお前らが投げ銭や握手券に使ってきた金を基金にして子育てしてりゃ今頃日本はアメリカやスウェーデンを抜く高福祉高出生率のアイディア立国だっただろうよ。
いいか、国は国民が作るんだ。政治家はただのハンドルだ。それを忘れるな。キンコン西野に突っ込む金でミルクとおむつを買うんだ。独身者はデート代に使え。無駄と思うな。無駄と無駄を比較してより無駄じゃない方に使え。
Aさんが「この曲僕が作りました!無料です!営利目的でもご自由にお使いください」って言って、Bさんがその曲を歌って路上ライブで投げ銭をたくさん貰ってたとする。でもAさんには一銭も入ってこない。
これって筆者が言ってるケースと同じですけど、おかしいと思いますか?思いませんよね。だってBさんはAさんの言ってる通りに使ってるわけですし。Bさんが投げ銭をもらっているのは聴いている人が「Bさんの歌やBさん本人に価値を感じて」投げているわけで、そこらへんの人が歌っても意味がない。Bさんだから貰ってるわけですよね。
それにもし自分がその場にいたら「うわ!この人歌うまい!この人に投げ銭しよう」とはなっても「うわ!この曲良い!この曲作った人誰だろう?探してお金渡そう!」とは中々思わなくないですか?
フリーゲームでありながら収益が欲しいなら、広報などそれ相応の努力をすべきだと思います。収益につなげるための努力をせずにゲーム制作にだけ熱を注いでも結果は得られないのは当然のことです。嫌なら有料にすればいいんじゃないですかね。成功している人を妬んで指をくわえて見てるだけなのはダサいですよ
特に深いことを書く気はないけど、数年前から愛用していたKyashがここまで悲惨になり、耐えられそうにないので書く。
昨日発表されたけど、Kyashは進歩した。毎月指定銀行からの自動入金を行えるようになった。これは手数料なしに手元に現金を持ってこれることを意味する。給与が入っても現金をおろすのは面倒だし、こういう自動入金は便利だ。提携する銀行の中には、俺が愛用するSBIネット銀行(NeoBank)も含まれる。これはいい。
が、あとは全然駄目だ。何よりクレカがほぼ意味をなさなくなった。2月4日以降は任意の金額でクレカチャージができなくなり、しかもポイント還元も0.2%と全盛期の10分の1となった。でも低い還元率はまだ許す。問題は去年の段階で導入されたKyashヴァリューだ。銀行や現金チャージのみしか個人間送金ができず、クレカチャージ分は買い物にしか動かせなくなった。Paypayとかと一緒。
なんと俺はこのクレカチャージをあと8万残している。戦闘力だったらフリーザの7分の1だ。
1%還元のdカードでチャージしたから損はしていないが、0.2%にはなんの旨味もない。仮に一括で8万を支払っても160円が戻ってくるだけ。意味がない。しかも家族に小遣いとして分けることもできない。なんという無駄なお金か。せっかくチャージしてもSuicaと変わらない。ならSuicaでいいじゃん。Revolutとかに配ることはできるけどそういうアクロバットなことをせずもっと自由なお金を使わせて欲しい。それもこれも、この8万を使う予定のイベントがコロナで中止になったのがそもそもなんだけど、それにしても魔が悪すぎる。いったいKyashはどこで道を間違えたのか。
Kyashが登場した当初は個人間送金が簡単に行える便利アプリだった。個人間送金と聞くと面倒そうに見えるけど、単純に銀行を介さずに知り合いにお金を送れるサービス。海外では非常に盛んだよね。当時の日本ではPaypalやLinePayが有名だったかな。日本人には銀行振込が一般的だけど、割り勘とかハンドメイドの気軽な売買には向かなかった。そこにKyashという新参が入ってきて、さらに2%現金還元のリアルカードなんてのも投入した。ここで爆発的にユーザーが増えたと思う。俺もこの時期に知った。
個人間送金とはいうものの、KyashのはVisaプリペイドを使ってそれをやり取りするだけのものだ。前払式支払手段のみでこういうことをしたのは日本では初めてだった。誰もが思う「Suicaの残高を誰かに直接贈りたい」を現実にした形なわけ。suicaより柔軟で、しかもヴァーチャルとリアルがリンクしているという画期的なサービスに思えた。いまでもそう思う。少し前に話題になった「osushi」という投げ銭サービスは資金移動業というお金をダイレクトに送るサービスだったから、色々叩かれた。Kyashはもっと簡易的な方法で擬似的にお金をやり取りする仕組みだ。資金移動業もいらなかった。おもちゃ感覚なのに手応えがあって面白くてわかりやすい。2%還元されるし、決済にしてもクレカより即時表示されるし、zaimにも連携できるしでかなり満足していた。
https://paymentnavi.com/paymentnews/64573.html
旗色が明確に変わったのはKyashCardの頃だろうな。その前から「2%→1%」「還元方法の変更」ときな臭くなってきた。そして資金移動業に手を出したのは完全に間違いだったと思う。銀行に近い業務をできる代わりに銀行には永遠に並べないものを取得してどうするんだろう。銀行から開放されたいという人を無視し、銀行っぽいことをしようとするなよ。簡易的だけど気軽にお金を個人間でやり取りできる便利グッズ、という立ち位置を捨てるような魅力が当時のPay界隈には会ったのだろうか?ニッチな分野だからこそ輝いたKyashの理念はもう見えない。
悪いことばかりじゃない。3Dセキュアに対応したし、カードはかっこよくなったし、Visaタッチ決済使えるし、他のプリペイドの橋渡しもできるし簡単な家計簿機能もついた。今はまだ便利なカードのまま。でもこれからどんどん退屈なサービスになっていくんだろうな。
2%が0.2%になったことよりも、チャージしたお金が自由に引き出せないのが辛い。元から単なるプリペイドだったけど、当初は現金を超えた存在だったことを考えると、この落差は遊戯王における混沌帝龍(カオスエンペラードラゴン)並の弱体化を思わせる。
シンプルで画期的で他にはないニッチな便利サービスだったKyashが、他のpayサービスの後追いに近いことをして本当にがっかりだ。日本に個人間送金の文化を根付かせるチャンスだったのに、それを棒に振ってしまった形だ。ネット銀行のほうがずっと便利だなと思われたらおしまいなんだよ。
だけどKyashカード自体はしばらく持っているつもり。もちろん残高やポイントは使うけどKyashがこれらをどうするのか気になるんだ。もしかしたら給与のデジタル払にいち早く対応してくれるかもしれない。逆にキャッシング機能に手を付けたらもうどうでもいいかな。
とりあえず、現在のKyash残高はRevolutや6gramといったカードに振り分けることを考えている。少額の買い物に使っても残念感しかわかず、かといって高額なものを買うまで塩漬けにする理由もない。
例えば、「かぞくのさいふ」を使ってはどうかとも考える。zaimにはオール手動になるが、現金をわかりやすく管理するにはこういう手間も必要だ。
あれ、令和にもなって俺は何をしているんだろう。
映画(女子大生は舞台)のチケットを外部の人間に売ろうとはしない。
サロンの内部の人に、「君から買いたい」と、「信用」「応援」によって購入されることを前提にしている。
もっと上の人だと、また違うのかもしれないが。
その点がマルチと違う。
マルチと違い、サロン以前に築いた人間関係を食いつぶすリスクはなさそうだ。
そのぶん、なんのためにやっているのかがよくわからない。
「隗より始めよ」で、まずはサロンの内部でキラキラすることが大事なのだろうか。
それとも、西野のサロンは彼らにとってはすばらしい場所で持続性があり、
内部でキラキラすることが、人生の目標となっているのだろうか。
女子大生周りは、「私と雑談1時間500円」などを皆が設定しており、
その枠を買って、相談に乗ったり乗られたりしている。
そういった雑談システムを使わずに相談に乗ってくれた相手には、
「一円の得にもならないのに、いつも相談に乗ってくれてありがとう!」みたいなことを言っている。
女子大生は、「西野作品の二次創作を書く」と宣言し、お題を募集する。
「評価経済学」と耳にするとき、すでに高い評価を得ている人が唱え、実践しているケースが多い。
しかし、評価がまだまだ低い人が実践しようとしたときに広がるのは、こういう風景なのか。
「商法を説明する」の増田は、プペルはBBQ型エンタメと書いていた。
BBQで得られるもの以上を期待して、人生を賭しているように思える。
(プペルとサロンはまた別かもしれない)
そのあたり、読んでいて居心地の悪さを覚えた。
そりゃ、自作ゲームを商用利用されたら心が折れるぐらい、「ガチ」で取り組んでる人からしたら、
テキトー~にやってるエンジョイ勢なんて敵みたいなものだと扱われるのは自然な話だろ。
「こんな衝突が起こるとは思わなかった!」とでも言わんばかりに今になって大騒ぎするのは想像力の欠如。
エンジョイ勢からしたら、自由にして良いと書いたのだから余計な連絡をするなとむしろ思う、たしかにそれは正論。
でも、「ガチ」でやってる人からしたらそんな「労力を減らしたい怠けてる人」の事情なんか知らんというのが当然だろう。
対立が起きるのはわかりきった話なんだから、エンジョイ勢はエンジョイ勢で、
「ガチ勢の人達はこんな要求をしているらしいですが、私はそうではないです」と1文どこかに書くぐらいすればよいのでは?
書かずにどうにかしてほしいなら、それもつまり「忖度させる」ことであって、結局は投げ銭を忖度して投げろと言ってる人と同類になる。
面倒だろうけれど、利用規約で決めちゃった方がいいんだろうね
投げ銭ありの実況配信までしちゃったらとうてい引用の範囲には収まらないし、金銭の授受が発生するコンテンツに使用する場合は、事前に許可を取ってくださいとか。攻略動画を配信する場合は許可を取ってくださいとか。
趣味でやってるだけの気軽な創作民な自分は適当に趣味で書いてる小説とかVtuberに紹介されたら嬉しいとしか思わないんだよな
別にそれで投げ銭しろとか思わない上、そもそも投げ銭できる場所とか作ってないし。
まあなんか真面目にやってる人的に色々あるとか、ビジネスとしてだと話が違うみたいなのは分からんでもない。
でも、投げ銭しないと怒るみたいな人がいるせいでごっちゃにされて考えらたらそれこそ嫌だわ。
趣味でやってる人間には、適当な気分で適当に公開してるだけな人も居るってのをわかってほしい。
一部の紹介したら変な反応した人がいるせいで、紹介しづらいみたいな空気になったら悲しい。
自分の場合、沢山の人に見てほしくて公開してるんだし、沢山の人に見てもらえるきっかけを奪うような動きは自分にとっては不利益になってしまう。
https://anond.hatelabo.jp/20210116155154
フリゲの作者ってなんでこんなのばっかなの?
気持ち悪い。
この人はたまたま「フリゲの作者」だけに攻撃してるけど、(勿論、あの件だけを以てフリゲ作者全体に偏見持つことも良くないが)
何かを無料で公開する行為全体にたいしてそういう気持ちになる人が居ないとは限らない。
まあ色々とアレな人も中にはいるってのは理解してるけど、全員をとんでもな人間認定するみたいな方向に行くのだとしたら悲しい。
利用規約では自由と書いてありましたが、実際は投げ銭の義務があるかもしれないので投げ銭しときました、とかのほうがむしろされたくないわ、申し訳ないけど
それをすべてVtuberに横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。
とあるのだから、つまり、仮にV1人が喜んでても、視聴者というより「沢山喜んでる人」が存在することで、「人気の無さが明確」になって駄目なのではないかと。
誰かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのにそれをすべてVtuberに横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れた
うんだから、それにたいしてこういう話ってことね
自分としては両方とも筋が通った話かと思うが、マネタイズしないのが悪い(だから私が儲けても作者に還元しなくてもよい)という言い分のVtuberが時々見られたので処刑しておいた。
さて、フリーゲームはなぜフリーなのか。これはモノづくりをしたことがある(それをフリーで公開したことがある)人でないとわからないかもしれないが、ぶっちゃけ反応が欲しいのである。
ある人は手紙で、ある人は会話で、ある人はSNSでコミュニケーションをとる。その形がたまたまゲームなりの創作物の人もいるのだ。
誰かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのに、それをすべてVtuberに横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。
この時増田が欲しいのはもちろん反応である。「せめて実況者は投げ銭をしてくれ」は、反応が得られないならせめて収益の一部でも…という妥協案なのだろうと推察する。
そりゃある種の「ルール」の上ではどのような理由でフリーゲームを公開したっって自由ってのは前提でしょ
でも、配信者が投げ銭をしていないというのだって、ルール自体は守ってる。別にルール違反が咎められているわけではない。
この上で、ルールさえ守ってれば何でも良いわけではないってのが本論なわけで。
それがつまり、ネットの牧歌的な時代には守られていた暗黙の了解的なものを守ってないのが問題って話なわけで。
駄目な態度での公開やってたら怒られるのは当たり前だろ。お前もまた暗黙の了解を破るわがままな人間だと捉えられかねないってのは何も不自然ではない。