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2024-03-13

ドラマのれん坊」

のれん

のれん坊』(のれんぼう)は、2005年関西テレビ(カンテレ)で放送された連続テレビドラマである。主演は広末涼子西田敏行阪神・淡路大震災から10年経った2005年に、その震災を題材に製作された作品だ。全10話。

概要

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災とその後の生活を描いた家族ドラマ被災地の町で営々と暮らす一家の姿を通して、震災による苦難と人々の絆、そして立ち直っていく強さを綴っている。

キャスト

スタッフ

エピソード

1話 - 1995年1月17日未明兵庫県南部震源とするマグニチュード7.3の地震が発生する。

10話 - 1年後の1996年1月内海家は仮設住宅から新居へ移り、新生活が始まる。

受賞

第34回放送批評育成会賞 連続ドラマ部門優秀賞

計画停電てどんなだったの?

2011年3月九州に住んでいたので「東北で大きな地震津波があって、たくさんの人が亡くなっているらしい。原発も爆発してやばいらしい」ということくらいしか認識していなかった。

1年後に進学のために上京したけど、周りには東北出身の人も多くいたので「震災ときどうだったの?」なんて話題を振るわけにもいかず、メディアから受動的に受け取る情報しか震災のことを知らないまま今日まで過ごしてきてしまった。

先日ツイッターをみていると「計画停電」がトレンドに上がっていた。言葉として聞いたことはあるけど、具体的にどんなものなのかよく分かっていなかった。

妻は震災当時千葉県に住んでいたらしく、「計画停電のせいで、飼ってたペットほとんど死んだ」と言っているのを一度聞いたことがある。気の毒なのでその時のことは深く聞けないままでいる。

この折に計画停電のことが気になって少し調べてみたけど、当時の人々がどんな空気感でその環境に身を置いて、どんな風に過ごしていたのかまではよく分からなかった。

誰か、当時の経験や覚えていることがあったら教えてほしいな。よろしくお願いします。

anond:20240313071201

「こんな笑顔は久しぶりに見た」。

2月下旬イカキングの前ではしゃぐ娘たちの姿を、母親は目を細めて眺めていた。

地震の前にも見に来たことがあるといい、母親は「地震津波があっても生き残っていて強い」と喜ぶ。

4歳の娘も「壊れなくて良かった」とはにかんだ。

2024-03-12

南海トリュフ食べたい

地震ですべてがトリュフになればいいのに

anond:20240312154847

金持ちは皆耐震性能の高い住居に住んでるよ。地震に弱い家に住まざるを得ないのは貧乏人たち。関東大震災でも阪神・淡路大震災でも地震犠牲が多かったのは上の方じゃなくて下の方の人たち。

anond:20231106084536

積み重ねてきた努力の内訳に

地震に強い家を立てる」

が含まれてたら普通に大丈夫可能性もありうるけど

anond:20231106084536

増くん

人間を舐めてはいけない

南海トラフでもどうにかなるところに努力を重ねた人達は退避済み

そもそも地震対策にどんだけお金をかけてると思ってるのだ

増くんが期待するような形の破局は訪れないよ

anond:20240216124725

地震場合は二重ローン救済で条件緩和されるから借りやすいんでは

あのときの思い出

3.11の思い出をつらつら書く。とくにオチもなく覚書程度。

結論としては、まぁTwitterがあって良かったな〜ってくらいの話。

なお、当時私は高校生で、都内に住んでいた。

なので被災地のように大変な経験全然してなく、安全圏で生活をしていた。


地震が起きたその日はテストが終わり、部活休みなので普通に帰宅していた。

歩いていると揺れってなかなか分からないと思うけど(私だけかもしれない)、周りの方が「やだ地震?」って声で私も立ち止まった。

反対車線にあった電線が少し揺れていて、確かに揺れてるかもと思ったその時、下から突き上げるようなズシンとした大きな揺れ。

立っているのが難しく、近くにあったフェンスに捕まった。

 

その時印象的だったのが、わたしの近くに自転車を押していたご婦人がいて、揺れの最中に「あああああああ」って言いながら道端に自転車をガシャンとぶっ倒してどこかへふらふらと歩いて行ってしまった。

人は自分よりパニックになる人を見ると冷静になれると感じる一件であった。

自転車は道の真ん中に倒されてたから他の人と一緒に端に寄せた。

3.11の事を思い出すと未だにあのご婦人はあの後大丈夫だったのだろうかと考える。

 

早く帰らなきゃと思いながら歩いていたら、近くの人が「東北震度7だってよ」って話しているのを耳にしてゾッとした。

今思うとそこで情報を拾えたのは幸いだったと思う。通っていた学校携帯持ち込み禁止であったのと、あの時は今ほどすぐに情報を拾えない。

(実際携帯がない人は何が起きてるか分からなかった人も多いと聞いた。

あと持ち込み禁止だけど普段はこそこそ持って行ってた。この日はテストなので不携帯でした。持ち物検査されてもいやだし)

 

家に帰り母親と合流。

幸い家の中はそこまでひどくなく、食器棚も倒れたりはしていなかった。

そしてもう一つ幸いだった事は、私がTwitter利用者であったこと。(てかツイ廃だった)

Twitterをみたらそれはもうありがたい情報がたくさん流れていた。何をしなければいけないとかね。

母親と共に近くのコンビニに行ったが食べ物はなく、少しだけあったカップ麺を買って帰り、お米を5合炊いておにぎりをつくり、浴槽やペットボトルにしこたま水を貯めた。

地震が起きたその日はリビング母親と交互で寝ようと提案して夜を明かした。

テレビもずっと付けていたと思う。

 

  

当時16歳とかそんなもんの高校生がここまでできたのは情報をくれたTwitterのおかげだった。

父親仕事千葉におり、帰ってきたのは震災が起きた翌日の昼頃であった。道路は全く動かず、車で夜を過ごしたという。

メールが繋がらず、職場がわりと臨海地域なのもあり、帰ってきた時は安心したのを覚えている。

 

震災が起きて数日後、テスト返却のため学校に行った。

電車が止まっているので集まった人数はクラス3分の1以下で、返却後すぐお開きとなった。

私はバスで通学していたため利用していなかったが、電車は駅への入り口がすべてシャッターで閉ざされていたのを覚えている。

駅を利用したいために並んでいた人に説明している駅員さんもいた。

 

連日被災地ニュースが流れ、計画停電もあったが私の住む地域病院などの社会サービス提供するような施設が集まっていたのもあり、計画停電は行われなかった。(実際の理由はわからないが)

なので安全から自分は見ているなと当時感じていた。

そして徐々に日常に戻って行った。

 

書き出して思ったのはかなり恵まれ環境であったということ。

そしてTwitterありがとう。あの時いっぱい情報をくれたから色々動けた。情報を得る手段を知っているのは強いね

あれから13年。わたし高校卒業し、社会人となった。

実は震災後、東北に行ったことがない。

本当は震災の2ヶ月後に高校修学旅行で行く予定であったが、震災のため中止。そこから機会を逃していた。

人伝や写真しかいたことのない、見たことのない状況を、遅ればせながら今年実際に見にいきたいと思っている。

2024-03-11

じしんのひ

私は生きている。

それを胸抱えて日々を過ごせば過ごすほど、あれは一体何だったのだろう空を仰ぐばかりだ。

何年経とうがあの日自分はずっとまだ昨日にいる。

家も消え、土地も消え、人も消え、思い出になる前の記憶さえ消えた。

自分けがまだ、3月11日に取り残されている。

死体が浮く街を歩いた。水が引いたら、何キロも先にある同級生卒業証書自分の家に流れ着いていた。やれることをやるしかないと笑えば、時折鳴る着信から友人や恩師の訃報が届く。

偶然誰かに会えたなら、そこでようやく互いに安心できた気がした。会えたら生きてる、会えないなら死んでいる。そんな日々が続いて、誰かに会うのも嫌になりかけた。

仮設安置所に踏み入れば、眼下に真新しい棺桶が広がる。途方もなく、隅から隅まで、ボーリング場だったらしいその場所に、四角い木の箱ばかりが広がっていた。そうして、端から端まで歩いた。知っている名前が無ければいいのになんて考える前に、知ってる名前ばかりが並んでいた。私に楽しさを教えてくれた人も、私にいじわるした人も、私が優しく出来なかった人も、ちゃん名前が書かれていた。この光景は、何だったんだろう。何を恨めばよかったんだろう。それを自分に問うてしまったら、その答えは「そのうち会える」と機会を先延ばしにしていた自分を恨むしか他にないのに。これは一体、何なのか。誰かに答えてほしかった。

私は生きている。私はその選択肢を選び取った。そのせいで、私が座るはずだった場所に座った誰かが死んでしまった。私は怖かった。初めて行動の取捨選択で見知らぬ誰かと命のやり取りを終えてしまたから。私はそれがすごく怖かった。こうして文字にできるまで今日までかかってしまった。手など合わせられない。自分が死んでいたら、死なないはずの子がいたはずなのだ。私は怖かった。これは何なんだろうと。親にも友人にも、この恐怖だけは一生言えないままだと気づいたときにはもう、何も出来なかった。私は今でも地震の揺れや津波よりも、それがとても怖い。きっとだれも私を責めてくれないのだから

3月10日のことを想う。読んでいた小説も、私の名を呼ぶ祖父の声も、適当に送り出してしまった父の背中も、履いていた靴も、カサついた母の手の温かさも全部全部全部鮮やかだ。

3月11日のことを想う。年上のお姉さんがくれたアーモンドチョコの美味しさも、避難所の床の冷たさも、満点の星空すらも、全部全部鮮やかだ。

私はこれを、死ぬまで思い出にすることは出来ないのだろう。

そうして私は生きていく。

anond:20230311085306

地震話題神戸にピンとこないってのはちょっと引くわ

東北被害者意識強すぎるのなんなん

3.11

13年らしい。当時小4だった俺もいつの間にか会社員になってしまった 

自分東海地方に住んでいたのでこれといって何かあったわけでもないが、忘れないうちに当時どうしてたか、忘れられないことを雑に書き留めておこうと思う。

発生時

3月11日といえば当然年度末も年度末であって、通常授業は終わっていた。 

当時は確かもう5限授業になっていたはずで、普段教室ワックスがけをやる日だった。授業は半分自習で、普段使わない教室がある旧校舎で行っていた。 

今ではすっかりデブ陰キャだが自分は当時まだまだ体力があったので、5限目の間ワックスがけを手伝うメンバーに加わっていた。 

で、地震が来たのはワックスがけも終わり道具を片付けに歩いている間だったはず。遠かったのもあって揺れはわからなかった(近くにいた上級生が机の下に飛び込んでいたのはよく覚えている) 

発生後(学校

デカ地震関東東北地方でありました(要旨)」という校内放送が数分後にあった気がする。自習普通に続行だった。 

自分は揺れが分からなかったので「まだ揺れてたりしないだろうか」と教室の壁にかかっていた防犯ブザーを眺めていて、自習は全く進まなかった覚え。(時間的10分も授業残り時間がなかったんじゃないかな) 

そのまま普通に授業は終わり、帰宅。 

発生後(放課後

当時集団下校ではなかったはずなので、帰路は一人で帰ったはず?帰宅は逆算する限りちょうど15時20分ぐらいだと思う

帰宅するや否や祖母に「凄いことになってるよ」と言われTVの前に座らされて、漁港津波が届く様子を食いつくように眺めていた。あの映像は一生忘れないと思う 

(余談だけどこの映像、毎年のように探しているが未だに見つかっていない。漁港から生中継だったはずで、地上に津波が登り始めてから海岸ぐらいに止めている車が流れだすまで。流される大量の青いカゴと複数台の軽バンが真横のアングルから映っていたはず) 

その日そのあと何をしたかはもう覚えていない。もっと早く書き留めておけば思い出したかもしれん 

その後

翌日給食時間黙とうしたのだけは覚えている。 

ポポポポーンよりこだまでしょうかの方が怖くて印象深かった思い出。 

 

以上。雑書き終わり

anond:20240305172559

どのみち 50 年後には無くなっていたであろう自治体から、今回の地震はその時計を早めただけだと思ってる。ここだけがひどいんじゃ無い、全国津々浦々にそんな自治体がもういっぱいよ。賢い人は早い段階で都市部に逃げている。別に東京一極集中とかじゃ無くて、その地方で一番の都市に集中すれば良いのよ。

2024-03-10

シャルリー・エブドから考える「権力者ネタにするのが風刺」なのか

R-1決勝の「デモ活動ネタが物議に 「完全に無理だった」「テレビ消した」「ブラックジョーク」など賛否両論殺到/デイリースポーツ online』へのコメント

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.daily.co.jp/gossip/2024/03/09/0017414243.shtml

La preuve que l'europe est chrétienne

2015年9月トルコからギリシャに向かう途中で幼いシリア難民の少年が死亡した転覆事故を受け「ヨーロッパキリスト教の国であることの証明」と題した風刺画掲載した。

水の上に立つ男性と水面から両足だけが出ている人の絵を「キリスト教徒は水の上を歩く」「イスラム教徒の子供は沈む」と形容している。

Que serait devenu le petit Aylan s'il avait grandi ?

2016年1月ドイツで発生した難民申請者を含む外国人を主体とする集団性暴力事件を受け「アイラちゃんが成長していればどうなっていただろう?」として女性を追いかける男性風刺画掲載した。

アイラちゃんとは上記転覆事故で死亡した難民少年である

Séisme à l'italienne

2016年9月イタリアで発生した死者298人の震災を受け「イタリア地震」と題した風刺画掲載した。

包帯を巻いた血まみれの男性、顔を火傷した女性瓦礫に挟まれた人々の絵を「トマトソースペンネ」「ペンネグラタン」「ラザニア」と形容している。

もういくつ寝るとお正月

早く正月きてくれよ

能登地震のせいで全然正月気分じゃなかっただろ

内閣府が作った被害認定の手引きがある。被害規模が大きいのが原因

anond:20240305172559

七尾市の状況はこんな感じだそう。↓

「早く家を調査してもらわないことには…」 能登自治体、罹災証明の発行まだ3割台 生活再建のネックに:東京新聞 TOKYO Web 2024年2月20日

https://www.tokyo-np.co.jp/article/310377

七尾市名古屋市から応援を受け調査態勢を強化。16日時点で1万3840件の申請があり、交付率は38%。当初は3人1組6班態勢だったが、2人1組の最大12班にし、1班で半日に4件しかできなかった調査を、1日で30件程度まで増やした。

おそらくは・・・そもそも申請対応するキャパがないがとにかく調査を進めて明らかに崩れている家をまず認定せねばならない。

このことは新潟市で今取り上げられてる。新潟市こうした情報を取りまとめて出せるが、七尾市あたりは全然それどころではないと思う。

地震 新潟市住宅被害認定めぐり290件余の再調査申請NHK 新潟県ニュース 03月08日

https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20240308/1030028654.html

市によります被害認定屋根や外壁など外観の被害を調べる方式で行いましたが、再調査にあたる2次調査を求める申請が先月までに299件、提出されたということです。

2次調査住宅の室内に入って天井や床の状況を調べる方式で行われ、被害認定が下がることもあり得るということです。

市は、国の指針に基づいて調査を進めてきたとしたうえで「2次調査を求める声があることを国にも伝えたい。調査を迅速に進めるとともに判定結果を丁寧に説明していきたい」とコメントしています

このように外観で判断してとにかく調査をして認定を進める方針は、以前からから示されているという。正確には知らないが、これだろうか。

災害に係る住家被害認定業務 実施体制の手引き 平成29年3月内閣府防災担当) P.12

https://www.bousai.go.jp/taisaku/pdf/saigai_tebiki_full.pdf#page=20

a) 地震による被害 地震により被災した住家に対する被害認定調査は、第1次調査・第2次調査の2段階で実施します(調査棟数が少ない場合等においては、第1次調査実施せず、第2次調査から実施することも考えられます)。 第1次調査は、調査棟数が膨大となり、余震による二次災害のおそれがある等の地震災害特性を踏まえ、外観の損傷状況の目視による把握、住家の傾斜の計測及び住家の主要な構成要素(外観から調査可能な部分に限る。)ごとの損傷程度等を目視により把握するものです。 第2次調査は、第1次調査実施した住家の被災から申請があった場合実施します。第2次調査は、外観目視調査及び内部立入調査により、外観の損傷状況の目視による把握、住家の傾斜の計測及び住家の主要な構成要素ごとの損傷程度等の目視により把握するものです。 被災住民に対しては、上記のように2段階で調査実施されること及びその意義について十分周知することが必要です。

かに住めない立ち入れない家の持ち主は早く認定が降りて助かるが、自分は助かったと表明するわけがないし、当然不満を抱えた人の意見がどんどん溢れてくる。

こうしたことを明らかにしても何も救いにはならないとは思うが、とにかく地震で膨大な家屋損壊するという天変地異はそのくらい文明社会限界を超えるものなのだろう。

また「祝うことが不謹慎」と言われる誕生日が来る

全てはあの地震からだった

たまたまその日と俺が生まれた日が同じ日だったために、それ以来俺の誕生日は祝えなくなった

不謹慎ですよ、自重して下さいと毎年リプライで言われた、今でも捨て垢でなお言うやつがい

anond:20240305172559

この文書怪文書箇所は冒頭2行の県外自治体職員スピード優先で実態見ずに被害判定してるって部分で、杓子定規に全壊や半壊認定がされると被害実態に合わなくて生活再建が進まないっていう専門家住民の話は今回の地震ニュースでも全マスコミが報じている。

2024-03-09

千葉県東方地震、すっかり沈静化してるwww

残念www

一部の人はなんで物資の空中輸送にこだわるんだろう?

能登地震のケースだと寸断された幹線道路を如何に素早く復旧するかが重要だった訳で、道路に関する事前計画の甘さとかその辺を突っついた方が批判として有効だと思うんだがなぁ。

なんで素人目にも問題点が多すぎる、山間部でのヘリの大量運用やらパラシュート付きコンテナの投下みたいなヤバいプランに飛びつこうとするのか理解し難い。

anond:20240309030603

いや、都営大江戸線以外はdisってないんだよ

とにかく、俺にとって大江戸線は駄目、閉所恐怖に耐えられない

車体が小さい上に地下深くって、地震とか考えたら狂いそう…

2024-03-08

anond:20240307214710

地震が起こるたびにウワアー地震地震やだのおっぱい揺れただのといったネタ投稿いつまでも続けてる人がいるけどやってて楽しいのかなといつも思う

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