はてなキーワード: ブリブリブリとは
大学の隣にある寮で、かなりオンボロで照明の暗い監獄のような部屋にみんな押し込められるように住んでいた。
基本同じ階には同じ学部の友達しか住んでないし、誰も泥棒なんかしないだろうといつも鍵をかけてなかった。
ある夏の深夜、ベッドに寝転んでケータイいじってたら勢いよくドアが開いた。
ドアを開けたのは知らない女の子だ。
彼女は「あれ〜〜〜???〇〇先輩(知らない人)?なんでわたしのベッドで寝てるんですか〜もーーーーー」っと寝ぼけた声で呟いて床に伏せて寝てしまった。
私はきついアルコール臭を纏った体を持ち上げてベッドに転がした。
一連の流れが意味不明すぎて混乱した私は何故かカラムーチョの袋とアイスを抱えて部屋を出てドアの前でもりもり食べた。
食べても何が起こってんのかよく分からなかったのでとりあえず部屋に戻って椅子に座って2時間ぐらい起きるのを待っていた。
「えっここ私の部屋えっえっ あっ」「ああああああああああ!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュ」と言った具合に大層驚いて私にヘコヘコ詫びてきた。
6階のホールで酒盛りしてベロベロに酔って何故か自分の部屋を階ごと間違えて私の部屋に入ってきたらしい。
「〇〇学部か〜 〇〇技師になりたいんだね 今実習とかしてるの?」
「へーこっわ キモくない?」
「キモいっすよ」
…
「お酒気をつけなよ〜 またね」
「ああああああああ!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュ!!!ブッチチブブブチチチブリリリブブブゥゥゥゥッッッ!!!」
それは昼下がりのマクドナルドでのことであった。
わたしがいつものように夏の暑さとセミの音と夏休み乱交合宿の打ち合わせにはしゃいでいるヤリサー学生どもを呪いつつマンゴースムージーをすすりながら次の次の次くらいのどうでもいい会議書類に目を通していると、どこからか甘く懐かしいささやき声がひびいてきた。
そ、その声ーーあなたはうん子!
「よかった。おぼえていてくれたのね。忘れられちゃったかもと思ったけれど……」
忘れるわけはない。
うん子はうんこの精霊である。うんこに関するあらゆる事象を司り、時に歴史の流れを決定づけるほどの暗躍を果たしてきた。
カエサル、ナポレオン、徳川家康、コロコロコミック、ドナルド・トランプ……偉人たちの便意と決断の裏には常に彼女の姿があったといっていい。
わたしの人生においても、常にうん子の助力があった。そう、幼稚園でのお遊戯の時間にうんこを盛大に漏らしてから、小二の給食、小五の運動会、中一の合唱会、高一の塾合宿ーーずっとわたしとうん子はいっしょだった。
唯一の友達だったといってもいい。
心無い同級生から「うんこ」「うんこ漏らし」「下痢便カレー」「うんこに愛されし子」「ザ・うんこ」「進撃のうんこ」「逢うんこ時うんこ園(ジャンプの打ち切りマンガにちなんだあだ名は他にも30ほどあった))「うんこ界の稲尾和久(約三日に一度のペースで漏らしていたため)」などと残酷なあだ名をつけられ、うんこにちなんだいじめを散々受けていたわたしに近づくものなどいなかった。
だが、気にしなかった。彼女と一緒にいたころは、うんこを漏らすことがはずかしいことだなんて微塵も思っていなかった。
パンツを茶一色に染めたことで母親からものすごく叱られて、ひとり部屋で泣きはらしていた夜にも彼女は現れ、
「うんこを漏らすことをできるのは、選ばれた子どもだけなのよ」と、励ましてくれた。
うん子さえいれば、わたしは他に誰もいらなかった。
だが、いつのころからだろう。おとなになるにつれて、わたしには彼女の姿が見えなくなり、彼女の声が聞こえなくなった。
大学生から社会人になる過程で段々と「ほんとうはうんこを人前で漏らすのははずかしいことなんだ」という意識が芽生えるようになり、今の職場の面接を受けるさいの「うんこを漏らしたことはありますか?」というよくある質問にも平然と「ありません」と答えた。
そして、毎月給料をもらい、ちゃんとトイレを便座に座ってやるようになると(ウォシュレットの存在を知ったのもこのころだ)、うんこの精霊うん子の存在も忘れ去ったーー。
「落ち着いてよく聞いて。これから十数秒後にものすごい勢いで貴方はうんこをもらす」
再会の驚きをふっとばすうん子のことばにわたしはことばを失った。
漏らす?
このわたしが?
今ここで漏らしたらどうなる?
隣の席で互いに性的な視線を送りっているヤリサーのブスどもは持ち前の野生の勘で間違いなくうんこのにおいを嗅ぎつけるだろう。そして瞬時にそのにおいの発生源を特定するだろう。
彼らはわたしをゆびさして嘲笑し、周囲の客たちもわたしに汚物を見るような視線を投げるだろう。
うんこ漏らした汚物のニュースはたちまちその日のトップニュースとしてローカル局に報道され、会社にも伝わり、わたしは面接のときについたウソをとがめられ(「おとなになってうんこを漏らすような人間が、以前にもうんこを漏らした経験がないはずがないよな?」)、おりもののついたナプキンがごとき扱いで会社から、そして地域社会から追放される。借りているマンションも追い出されるだろう。実家からも縁は切られる。
それからは宿無し生活だ。行く先々でこどもたちから「いたぞ! うんこだ! マックでうんこをもらした早打ちマックとはあいつのこと!」とはやしたられ、石を投げられる。
額に投石を受けて、地に倒れ込んでも、わたしは「しょうがないんだ」と自分に言い聞かせなければならない。それだけの罪を犯したのだから……と。
「あきらめないで増田ちゃん!」
「わたしがーーこのうん子がどうにかするわ。あなたにうんこなんて漏らさせない。絶対にあなたを助けてみせる」
ほんとうに? と絶望するわたしは疑念を口にしかけるが、できる、ほんとうに彼女なら可能なのだとおもいなおす。
だがーー。
今は声しか聞こえない彼女だけれど、わたしが「実」をこの場で出せば、その姿を現前させられる。
あの愛らしい、あの懐かしい、
わたしのたったひとりの友だち。
会いたい。
眼から涙が溢れ出していた。
会いたい。会いたい。会いたい。
うん子にもう一度会いたい。
この十年間、十五年だっけ?
ほんとうにいろいろあったんだよ。
あなたに話したいこといっぱいあるんだよ。
話したい、お話したい、
三ヶ月溜めた便秘を吐き出すように私の話を聞かせたい。
とうん子は言う。
だったら、漏らしたってわたしはーー
「でも、ダメ。あなたはおとなになったのよ、増田。うんこを漏らすことをできるのは子どものあいだだけ。おとなはうんこをもらしちゃだめなの。わたしと会っちゃ、ダメなの」
わたしはマックの硬いソファの上で恥も外聞もなく駄々をこねた。いやだいやだいやだ私はうんこを漏らすんだ。
うん子の「ふふっ」という笑い声が虚空のかなたから漏れた。戸惑うような、愛情の篭った吐息だった。
ブリブリブリブリブリイジギュルリルリイリブリッブッブッブッブーブリリリリィ!!!
盛大に漏れる音がした。
この感触。
終わった、と思った。
だが、不思議とヤリサーたちが異臭に気づいたようすはない。わたしにもにおいはわからない。自分の便だからだろうか?
うん子の気配もどこかへ失せていた。
便座に座って下を脱ぎ、解脱した僧侶のような心持ちでパンツを見つめる。買ったときには真っ白だった、清純と純潔の象徴のようなパンツ……。
白いままだった。
夏空に浮かぶ背の高い雲、この前観た『メアリと魔女の花』に描かれていた積乱雲のように晴れやかな白だった。
わたしは漏らしていなかったのだ。
だとしたら、あの確実に三リットルはぶちまけたような大きな排便音はいったいーー?
トイレから出て、席に戻ろうして、店内がやたら騒がしいことに気づいた。
「テメーおまえウンコなんか漏らしやがって」「マジふざけんな」「これからおまえの名前はウンコノミクスだ」
わたしはそのまま席に戻らず、店外へと出た。
雲ひとつない、パンツをはいていないお尻のように清潔な空に、純白の肛門にも似た太陽が燦々と輝き、けがれのない世界をつつんでいた。
鹿がすき
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!ブツチチブブブチチチチブリリィリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!(うんちの音)
の元ネタを教えて下さい。
最初にあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!ブツチチブブブチチチチブリリィリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!(うんちの音)
あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!ブツチチブブブチチチチブリリィリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!(うんちの音)
ほんとつまんない取り上げ方するよね、ネットの人たちって。
「糞が出るぞおおお1!!」「ほんとやべえ映画なんだって!!」「見たら出るwwwww」はあ…この騒ぎ方、おもしろいッスか?
映画ポスターの日本版のダサさ批判する前にお前らの映画を取り巻くつまんないネットパフォーマンスを反省しろよ。
「ケツのあな信者、これが本物の尻海誠だぞwwww見て糞を出せwww」こんなんで映画が見たくなると思ってるんスか?ネットの「映画ファン」の方々って?
これが「ネットの賢い映画ファン」の方々が考える「最高の映画プロモーション」なんスか?
ブリブリブリッ!
http://anond.hatelabo.jp/20170318131509
Shit!改変してたら元の文章が変わりやがった!
コンビニの中華まんがぱっと見、何まんなのかわからなくて注文する勇気がない。
しかし!
お前はカレーまんなのか?ピザまんなのか?それともなんとかチーズまんなのか?
しかし!
僕 :肉まんください
僕:あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
僕:じゃあカレーまんください
僕:あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
上記の例で肉まんないって言われたんなら、豚まんでええやん、と思った人、あなた人見知り素人ですね。
人見知りにとって折衝はなるべく避けたい事案。
上記の例でいうと、あそこで豚まんを頼むと、豚まんのくだりでカレーまんを頼む精神力はもう残っていないのである。
つまり本命であった肉まんとカレーまんのどちらも手に入らないということ。
だから豚まんではなくカレーマンの折衝を試みたのである。賭けである。
ピザまんを提案されたが、じゃあ豚まんで、と話を戻して要望を伝えるのはあまりにも敷居が高い。
結果、ふたつともゲットできずに、ただ精神力を使っておわるのである。
いや近くで見てもわからない。どれが「なにまん」なのか・・・。
POPみたいので書いてあるけど、レジ近くでまじまじと見るのも気まずいんだよ。
後ろで人が待っていなくても、レジのひとに、あ・この人中華まん見てる、とか思われるがものすごくいやだ。
まじまじとPOPを見て、何の「まん」なのかを判断するのはかなり精神力が必要。
店員は客などほとんど覚えていないし自意識過剰という人もいるだろう、
でも人見知りにとってレジ前の商品を店員にこと伝えて注文することはすごく勇気とパワーを使う。
中華まんがひとつ売れて、2個目が奥のほうにおいてある場合、あれはなにまんなのかといつも考えさせられる。
くもってて黄色いのかオレンジっぽい色してるのもあるしお前はなにまんなんだよ、と。
いつもガムとかレジ前の陳列棚を2、3週商品を選ぶふりをして、
ぐるぐるまわりながら中華まんコーナーをちらちらみて様子をうかがう。
店員との接触を極力さけたい、そんな人は僕以外にもいるはずだ。
気まずいから買わない、買えない、気まずいから言わない、こういう選択肢が僕のなかにある。
「気まずい」が上回る欲求やなにかがあった場合のみ注文したり声にだしたりする。
でもそれはかなり勇気を伴うし、パワーを使うんだ。
肉まんくださいっていったらありません、豚まんでしたーってなったとき、
ほんとうに気まずいんだよ。
なにまんかわかりやすくしてくれ