はてなキーワード: コロナウイルスとは
今回の内容をスピリチュアルに絡めた詐欺が必ず出現します。多分もうある。
多分「コロナウイルスは次元上昇の為の選別」的な内容で書かれ始めると思います。
変な話、それが真実である可能性を否定する事は、誰にもできないので。
それを利用して、例えば「この数珠を買うと選別を抜けられる」「このセミナーにいくといい」とかそういう話になった場合。
前者は金銭的な詐欺だし、後者もお金を取られたり、そもそも今人に会うなんておかしいですよねって話。
これぐらい露骨だと分かりやすいけど、「自然食を食べましょう、プラスチックをやめましょう、そうすると選ばれます」みたいなのもそう。
今そんな事してる場合じゃねーこと、頭のいい方ならお分かりだと思いますけど。頭の弱い人は分からないんです。
頭の弱い人が「他人の受け売りによる超理論」にハマりやすいのは、教養を身に着ける過程をすっ飛ばして他人より賢くなった気になれるからです。
普段からコンプレックスの有る人間はハマってしまいますが、こういう非常時、特に気を付けるべきです。
こういうの、殆どは「頭の弱いお母さんや奥さん」がハマっちまうのでこのタイトルになってます。
「頭の弱いお父さんや旦那さん」は同じ精神状態になった時、こういう超理論より、店員に暴言を吐くとかもっと実害的な方向に出る傾向にあります。
韓国では新興宗教がクラスターになり、インドは説法でスプレッダーになり、イタリアでは葬式を行った神父がバタバタ死んだ。
世界中で教会や聖地は封鎖され、各地で土葬が基本の宗教も火葬を許可した。
オーストラリアのカール・カルゼルニッキ医師(Dr. Karl Kruszelnicki)と微生物学者のルーク・テネント氏(Luke Tennent)が共同でオナラが病原菌を拡散するかどうかの実験を行っている。2人は同僚の協力のもと、お尻から5センチほどの距離にシャーレを置き、ズボンをはいた状態でオナラをしたものと下着など何もつけない状態でオナラをしたものを比較したのである。
一晩経つと2つのシャーレに異なる結果が現れた。ズボンをはいていたものは大きな変化はなかったが、何も身に着けないでオナラをしたほうのシャーレにはバクテリアが繁殖していたという。
腸内で繁殖したコロナウイルスは、おならが出る勢いで外部に放出されると考えられる。
通屁性の良いトランクスではだめだ。
日本のコロナウイルス発症者・死亡者はこんな少ないはずは無い。こんな政策でうまくいくわけがないから、これからどんどん増える。って思っている人達って、東北大震災で、漏れ出た放射能でもっと影響出るはずって思ってた人と一緒なんだろうか?
政策警察みたいな人が見つけてきたようなつまらないページがホッテントリにあがってきて、そこのブクマのコメントを見るたびに、この人達、コロナウイルスで死んだ人数が増えてほしいんだろうなって思っている。
パニックってこんな感じで起こるんだろうなって眺めている。東北大震災の時はあまり感じなかったんだけど、あれもパニックだったのかもって振り返れて、勉強になった。
職種によってはテレワークできない人もいるので、お前はずるいぞ、自分だけ安全なところで作業しやがって、という無言の圧力を感じる。仕事で職場といろいろやりとりしてるとわかる。
結論を言おう。1ヶ月間の猛烈な訓練によって皮膚呼吸だけで生活できるようになった。
これによりマスクなんかしなくてもコロナウイルスへの感染リスクは大幅に抑えることができるはずだ。
万一感染しても肺炎なら死なずに済む。なにしろ肺を使ってないんだから。
難点としては、消毒液や水、あるいは衣服が皮膚を覆っていると息が苦しくなることだが、パンティ一くらいなら全然平気だし、消毒もそんな一生懸命やる必要ないからセーフだわ。
コロナウイルス絡みの報道に疲弊したので、この一ヶ月間、テレビはほぼBSとEテレしか見てないんだけど、
そのEテレですら最近、番組の合間に「新型コロナウイルスが不安な方へ」みたいなテロップとともに、深刻な顔をしたアイドルとかタレントが出てきてメッセージを垂れ流す。
あれ、一体何なんですかね。
あのさ、自分はコロナウイルスの事を忘れたくてEテレを見てるの。
少しでも日常を取り戻したくて、きょうの料理とか美の壺とか猫のしっぽとかを見てるの。
コロナについてはNHK総合でやればいいじゃん。なんでわざわざ思い出させようとするの?
嫌がらせかよ
「NHKのカスタマーセンターに言えよ」ってのはその通りなんだけど、こういう気持ちになったのが自分だけなのか、それが知りたかったんです。
米サイエンス紙によると、新型コロナに1度でも感染すると「脳、心臓、肺、肝臓、腎臓等」の人体ほぼ全てにダメージを与える事が判明した。
重症者の最大40%は腎不全になっており、今後透析機器の確保も課題になる。#コロナウイルス#多臓器不全 pic.twitter.com/jT793xoj2A— こうちゃん (@wv3lW9qfHWXoReK) April 20, 2020
都内住まいでいまは在宅に仕事をシフトしたから、稼ぐことについては厳しくないけれど。
管理組合をやっているマンションでコロナウイルスの患者さんが今日でもう4人目。80世帯ぐらいの中層マンションだから、確率からすれば確かに出てもおかしくない。
でも独居のお爺さん、本当に辛そうだった。救急車に乗って行ったのを見送ったけど、たぶんお見舞いにも行けないしこれで私からすれば最後の見送りになるのかな。
それと、小さな一間で暮らしてたシングルマザーに娘ちゃん二人のご家族、一人で奮闘してた奥さんがコロナ疑いで緊急入院。
エレベーターホールで一昨日体調悪そうにゴホゴホやってたけどやっぱりか。
娘ちゃんたちどうするんだろう、家内がピンポンしてお家にいるのは分かったので、お弁当買ってきて、渡してあげたけど食べられているかな。
下の子はまだ歯もちゃんと生えてなくて一歳ちょっとだろうし、瓶詰の離乳食を温めて。
どこにも行くところ、無いよなあ。可哀想すぎる。こっちの身も危ないけど、どうにかしてやらないとなと思いながら、清掃のおばさんも来なくなったし、仕方なく買ってきた消毒液をエントランスに巻き、一日三回、エレベーターのボタンや出入り口の取っ手を拭く。
とはいえ私も家内もどちらかダウンしたら家事も育児も回らない。明日は我が身だし、外出控えたいけど身の回りで困っている人がいるのなら少しでも助けないといかんだろうし。
みんな、どうか、生き延びてくださいますように。とにかく、だいじに。元気に。
シングルマザーなの?
だったらしょうがないけど、旦那がいるなら旦那と交代で買い物にいけば?
そしたら買い物にいく人数が減るし、夫婦同時に罹患するリスクも減らせる。
自分に都合のいいとこだけ切り取ってんじゃねえよ。
そうなんだよね。差別禁止!と言ってもなくならないのは、差別する側に、被害を受けるための防御として仕方なくやっている(コロナウイルスの場合は、自分(たち)が感染しないために、マスク無しの咳を咎める、みたいな)という意識があるからで、今後は、自分を守るために他人を徹底的に「差別」する傾向が続きそう。自分を守るために、他人を差別するのは仕方ないんだ!的な。
もはや、昔の日本みたいに「内と外」の関係は甘美な過去の世界であって、「内」自体にこそウイルスが蔓延しうるのだから、「内と外」じゃなく「自分と自分以外(他人)」の関係にシフトしていって、日本人の「外」に対する冷たさが、そのまま「他人」に対する嫌悪感に変わりそう。って、そうなったら日本人も何もないのだけれど。
以前から、セクハラの線引き問題を筆頭にして「他人と関わるリスク」は認識されていたが、コロナウイルスの存在により、それは物理的にも正当化されることになった。
その結果、危機感にも煽られて、他人は感染源で迷惑で税金泥棒でワガママだといった妄想意識は、正当なリスク認識とぐちゃぐちゃになったまま、行動で示されるようになった。
例えば、電車車内でのマスク無しの咳に対する叱責なんかは、感染するリスクを権威者とした社会的ミルグラム実験に、そういう意識をこっそり載せたようなものだろう。
https://okuranagaimo.blogspot.com/2020/04/blog-post_18.html?m=1
ところで、上記ブログはコロナウイルス後の世界について書かれたものだが、各論に基底として在るものの、そこに明示されていない事項は、「人間嫌い」に対する社会的容認が進むということではないのだろうか。
テレワークの話なんかはまさにその通りであるし、ナショナリズムの拡大も、人間から組織へのシフトと考えればそうなるだろう。政府のやることにつべこべ言うな!という意見も、まさにその現れだろう。
こういった、自分以外の人間は汚らわしいという意識は、政治経済よりも根源的である人間関係の在り方をも変えてしまうだろう。あんなに親しい家族でさえ、ウイルスを持ち込むリスクになるのだから。
インフルエンザの頃から、子供が学校でもらってきた、といった例があったが、これが致死傷になるのであれば、まず家族を持つことに躊躇いが生じる。一人暮らしのスタイルは優位性を持つだろう。
その結果、少子化対策には国民の理解が得られなくなる。そして、まさに濃厚接触である生殖行為も、個人的行為のまま遠ざけられていく。その結果、人間においても人工受精が進むだろう。
「平常に帰る」ことはない、それが一番大きく現れる分野は、まさに自分と他人の人間関係においてだと思ったので、とりあえず急いで書いてみることにした。
第一声がそんなことはないだった。
3月上旬、いや中旬までの誰がどこでどんなルートで執念深く終えた時期ならばともかく今このような状況でできているとも思えない。
タクシー運転手が屋形船で……そんな道筋を執念深く追っている状況ではなくなったからだ。
正直なところ劇場から感染者が出ていないと私は思えない。出ているかもしれない。出ていてもおかしくない。もはや誰にもわからないのではないかと思う。
検査キットが足りない、保健所に電話がつながらない、そんなニュースを見る中で劇場での感染者は報告されていません。これは断言していい事なのだろうか。
毎日流れてくる情報には今や人数しかない。今日は何人。50人で多いと思っていた日から、もう3桁が当たり前になってしまった。男女比も年齢層も感染ルートも明記されていない。クラスターと呼ばれる集団的な感染があると、特集の様に報道される。このクラスターが劇場で発生したというニュースは確かに見ていない。ただ、それだけだ。
正直なところ、この後に及んで感染した人の行動経路の中に劇場が含まれてた人が0なはずがないと思ってしまう。が、そこで感染したとしても劇場だと断言する術はない。
ニュースでは専門家っぽい人が結果から逆算した推論を話す。あの時こうしていれば、この対策をしたおかげで、これは結果論だ。そしてあの記事も結果論のまとめだと思う。
その上でわたしは3月は全公演中止でもよかったのではないかと結果論を綴りたい。
劇場側は対策をした、しかし1番の安全策は公演を行わない事、である。
密を避ける。ソーシャルディスタンス。そんなことを守るにはそもそも劇場を開けなければいいと思ってしまう。
舞台が好きだ。エンターテイメントが好きだ。だからこそ、保守的に走ってもよかったと思ってしまう。
楽しみにしていた舞台があった。チケット代は既に支払っており、遠征に備え宿だけは抑えていた。足は詳しい予定が決まってから、まだ用意はしていなかった。そしてその舞台は幕が開かなかった。
まず最初。初日とされていた日が延期になった。初日のチケットは抑えていて、シフトも有給を取っていた。突然何もない休みとなってしまい友達とご飯を食べに行って残念だと話し込んだ。そして次の初日になりそうな日のチケットを慌てて探し、宿も取り直した。職場で新たな初日となった日に有給を申請した。この時、職場では全員マスクをしていて、遠征中気をつけてと何度も言われた。
そして、また公演延期が伸びた。慌てて有給を次の初日になる日に伸ばした。別のもう一つ行きたかった舞台と被りそうで、どっちに行こうなんて思いながら変更を申請した。
そして、また公演延期が伸びた。友達からは初日どうするという連絡で毎日明け暮れた。宿はキャンセルが相次いでいるからギリギリでも取れると思い、取り直さなかった。
そして、また公演延期が伸びた。再開の目処が3日後とか。本当に小刻みに初日となる日がズレていった。チケットを探すのも、シフトの申請を出すのにも疲れていていた。職場には休日も遠出を避ける旨のメールがきて、有給の申請の際目を瞑るからと言われた。
そして、また公演延期が伸びた。再開する。様々な対策を取る予定だと書かれたHPを見たその半日後には延期のニュースがあがる。
やるの?と何度も聞かれた。やるなら行きたいそう思っていた執念にも近い想いだけでずっと動いた。
初日は絶対観る!初日明けの平日も観たい!新人公演もある!中日前までには何回観ておきたい!
予定していた観劇がどんどんずれて、それでも初日は観たいと自分の予定もぐちゃぐちゃだった。
この頃、世間は賛否両論で他にもその日のうちに再開と中止が二転したり、公演当日の○時間前に中止が発表されたり、様々な舞台がいろんな対応をしていた。
それを見ながら、普段から舞台を観ない人もたくさんの意見が飛び交っていて、保守的な私は間違った対応をしないで欲しいと、これ以上叩かれたくない、そればかり考えていた。
その公演は今、幕が開かないまま延期となっている。
次もしも初日の日がまた決まったとして、確実に行きたいか、あの執念はもうないかもしれない。
エンターテイメントを好きになった上で、それ以外のことでエンターテイメントを嫌いなることが1番怖かった。
他人の感想で、隣の席の人の態度で、劇場であったこんなことで、チケットのトラブルで、そういうことを極力避けてエンターテイメントをまっすぐ観れるようにしてきた。
でもこの事態ではそうも行かず、様々なことをみた。
いろんな事をした。そして、疲れてしまった。
一つの記事でこんなブログを2000字も書くほどには疲れてしまっている。
ある役者の方の記事を読んだ際、稽古に集中する事でどこか現実的に捉えていなかった、とあった。
わたしも舞台を観にいくに付随することに必死で現実的に捉えていなかった。でも、結果として舞台は行われなくてよかった、と思う。
全ては結果論であり、今は劇場で確認できるほどの集団感染が起きなくてよかったと思う。
それしかない。様々な対策を取って幕を開けようとしてくれた劇場は素晴らしいと思うが、出なかったことは不幸中の幸いであり、行わなかった英断が最も素晴らしいと思う。
あの時、正解の対応はわからない。未曾有の事態に対し、逆算の推論で褒めちぎらなくともエンターテイメントは素晴らしい。そう思っている。