2020-04-20

コロナウイルス増長させる、「人間嫌い」に対する社会的容認

以前からセクハラ線引き問題を筆頭にして「他人と関わるリスク」は認識されていたが、コロナウイルス存在により、それは物理的にも正当化されることになった。

その結果、危機感にも煽られて、他人感染源迷惑税金泥棒ワガママだといった妄想意識は、正当なリスク認識とぐちゃぐちゃになったまま、行動で示されるようになった。

例えば、電車車内でのマスク無しの咳に対する叱責なんかは、感染するリスク権威者とした社会的ミルグラム実験に、そういう意識をこっそり載せたようなものだろう。

https://okuranagaimo.blogspot.com/2020/04/blog-post_18.html?m=1

ところで、上記ブログコロナウイルス後の世界について書かれたものだが、各論に基底として在るものの、そこに明示されていない事項は、「人間嫌い」に対する社会的容認が進むということではないのだろうか。

テレワークの話なんかはまさにその通りであるし、ナショナリズムの拡大も、人間から組織へのシフトと考えればそうなるだろう。政府のやることにつべこべ言うな!という意見も、まさにその現れだろう。

こういった、自分以外の人間は汚らわしいという意識は、政治経済よりも根源的である人間関係の在り方をも変えてしまうだろう。あんなに親しい家族でさえ、ウイルスを持ち込むリスクになるのだから

インフルエンザの頃から子供学校でもらってきた、といった例があったが、これが致死傷になるのであれば、まず家族を持つことに躊躇いが生じる。一人暮らしスタイルは優位性を持つだろう。

その結果、少子化対策には国民理解が得られなくなる。そして、まさに濃厚接触である生殖行為も、個人的行為のまま遠ざけられていく。その結果、人間においても人工受精が進むだろう。

「平常に帰る」ことはない、それが一番大きく現れる分野は、まさに自分他人人間関係においてだと思ったので、とりあえず急いで書いてみることにした。

  • そうなったらいいなぁと思うけどそうなるのかな 出来ればそういう 「被害者意識に端を発する差別や他者への攻撃」 自体がなくなってほしいけど現代の倫理の根本原理上それは無理だ...

    • そうなんだよね。差別禁止!と言ってもなくならないのは、差別する側に、被害を受けるための防御として仕方なくやっている(コロナウイルスの場合は、自分(たち)が感染しないた...

  • anond:20200420125723

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