はてなキーワード: 美の壺とは
コロナウイルス絡みの報道に疲弊したので、この一ヶ月間、テレビはほぼBSとEテレしか見てないんだけど、
そのEテレですら最近、番組の合間に「新型コロナウイルスが不安な方へ」みたいなテロップとともに、深刻な顔をしたアイドルとかタレントが出てきてメッセージを垂れ流す。
あれ、一体何なんですかね。
あのさ、自分はコロナウイルスの事を忘れたくてEテレを見てるの。
少しでも日常を取り戻したくて、きょうの料理とか美の壺とか猫のしっぽとかを見てるの。
コロナについてはNHK総合でやればいいじゃん。なんでわざわざ思い出させようとするの?
嫌がらせかよ
「NHKのカスタマーセンターに言えよ」ってのはその通りなんだけど、こういう気持ちになったのが自分だけなのか、それが知りたかったんです。
http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_2263/pid_2.html
・かつて、「家庭電化製品の“かたち”」が大きなメッセージを伝えられるメディアである、デザイナーにとって幸福だった時代があった。'60~'70年代中期までの話だ。
当時と現代では、そもそも生活家電だけではなく、「生活道具」と人との関係が違っている。
・この人のデザインは、我々工業デザイナーにとって喉に刺さった骨のようなもので、これこそが「正しい」デザインと教えられてきたし、自分もそう思ってきた。間違いなく現代デザインの大きな源流(原泉)の1つだ。常に脳の片隅に、これこそが正しいデザインなのであって、我々は日々、間違ったものを作っているのだという意識が、引け目がある。
・実物を観察してみた限りでは、結局、これはこれで1つの時代の主義・主張・イズム・メッセージであって、
人とモノの関係というものに「正しい」「間違った」ということは、その時代の価値観に照らして決定する、相対的なものでしかないということ。
すさまじいほどの醜い製品が氾濫していた当時と、低コスト品でもそれなりの質感を持つ現代では人とモノとの関係も全く違ったものとなっている。
・「工業デザインとしての正しさ」自体はあらゆる時代に通用するものであっても、そのプライオリティは時代によって違っており、結果、常に「工業デザインとしての正しさ」が優先されることはなくて当然、ということ。
・現代においてこのメッセージは、経済性やパワーへの希求など、現代人の価値観に優先され得ないであろう。つまり、マスとしては受け入れられないだろう。
・たとえばデザイナーに衝撃を与えたオウムの「サティアン」。あれは「目に見えるものには価値がない」「中身にこそ意味がある」とするあまりにラディカルな思想を体現していたわけだが、あそこまで極端でなくても、「実用に耐えれば外見は問わない」といった考え方は、醜い中国製の筐体を使ったデスクトップPCや、100円ショップの製品でかまわない、とする現代人に通底するものだ。
・丁寧に作られた製品は、持っているだけで幸福を与えてくれる。それはクオリティオブライフ、その人の人生の価値そのものである。そういった製品がほとんど量産されず、ごくニッチになってしまっている現状は、人にとって間違いなく不幸な状態である。
・しかし、実用品は「とりあえずないと困る」ものでもある。醜い製品でも用が足りれば、とりあえずその「力」は手に入る。現代の多くの人が求めるのは何よりその「力」である。
良い、悪い、以前に、そのような時代だということだ。
・近代工業デザインの始祖、モリスは、あまりに醜い量産化された食器や壁紙、生活家電などのコンシューマ向け製品(生活品)のありかたに憤慨し、「アーツアンドクラフト運動」で、たとえ工業的にでも「丁寧に作る」というクラフトマンシップを大切にする考え方と、工業時代の新しい美の価値観...シンプルイズムを創造する、という2つの提案を行った。
・それらの主張は、このデザインがドイツの超絶的な加工精度で市場に出た時点で完成を見、その後衰退していったものと考えられる。
・この人のデザインの本質は「禁欲主義→形の単純化・ミニマリズム」と「形のバランス・リズム」と「質感の高さ」である。
・今では不可能な質感の高さ・加工精度がシンプルな形状を支えている。たとえばラジオ筐体のプラスチックの肉厚は2mm以上ある。このような製品は成形時間の短縮・材料費の節約などの要請で、現在では作れない。
また、ラジオ他のスピーカー穴も「切りとばし」形状になっているが、安全性や金型作成の作業性などの問題で、これも現代では作れない。
・そのために犠牲にしたものも多い。直線で構成された食器などは明らかにバランスや機能が劣り、日用品・生活品としては失格である。
・これはよく言われたことだが、本当に筐体の裏面の金型まで磨いてある製品は初めて見た。
裏面の加工をしない事が、日本製品のコストが安い要因であり、ドイツ製は間違っている、という言い方がされたが・・・今見ると、それこそがドイツ製品の「ありよう」の要であることがわかる。
・たとえ壊れたとしても飾っておきたい風格のある日用品が現代のどこにあるだろうか。
現代ではドイツでさえそういった製品は作れない。一種のオーパーツのようなものになってしまっている。
・SONYの製品の、特に初期のデザインは、この人の直系、ぶっちゃけモロパクリである。
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20090116.html
・参考:書籍:Yanagi Design―Sori Yanagi and Yanagi Design Institute
http://www.amazon.co.jp/Yanagi-Design%E2%80%95Sori-Design-Institute/dp/4582620442/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233064510&sr=8-1