はてなキーワード: コミュ障とは
昔はOSや各種ドライバのインストールとIP設定ができるだけでもそれなりに価値があったのに
今じゃちょっと興味がある程度の人間が基本情報処理くらいの知識持ってるからインドア陰キャがゲームで遊んでるだけじゃ普通にその辺の人間とPC知識変わらんし
このまとめ。
看護学校でダントツに成績が悪い人は友達がいなくて過去問が回してもらえないからで、仕事のコミュニケーションも出来ないと当たり前のように決め付けていて怖い。それに賛同する人達の多さも。
友達から過去問を回してもらわないと、ダントツにと言われる程に成績が悪くなるのが本当ならば
それって生徒個人の問題じゃなくて指導体制の問題なんじゃないの?過去問が必要ならば予め公開しておけばいいのに。
非公式に過去問を回してもらうなんて、友達の有無に関係なく真面目な子なら拒否しそうなものなんだけど。
あと友達がいない人=仕事上のコミュニケーションも出来ない人、と当たり前のように決め付けているのも理解出来ない。
友達にならないと仕事上必要な会話もしないというのなら、問題があるのは友達がいない人当人じゃなくてその周りの方でしょう。
患者の立場としては、別に看護師に友達の多さなんて求めてないよ。却って友達のいないおとなしい人の方が、患者に丁寧に接してくれそう。
しかもさらにドン引きするのは、友達がいない人は発達障害だから看護師になったら患者に無神経な事を聞くに決まっているという意見と
過去問を見せてと言えないようなコミュ障は看護師に向いてないという意見が併存していて両者は争う事もないという点。
前者はなんでその看護師が発達障害だと決め付けているのか分からないし、友達が作れないような引っ込み思案なタイプは患者にも下手に話し掛けられないだろうに。
後者はなんで過去問を見せてもらえないのは当人に積極性がないからだと決め付けているんだろう?周りが意地悪して見せてくれない可能性は全く考えない辺り、本当にいじめっ子の理屈だと思う(過去問を回してもらう事の是非を置いておいてもおかしい)
みんな普段はいじめ反対みたいな事を言うのに、話題が変われば平気でいじめを肯定しちゃうんだな
『看護学校でダントツに試験の点数が悪い生徒がいたら、勉強しているかではなく友達の有無を疑います』
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742074507993736239/comment/prifor
表情や声のトーンの微妙な差異で実は辛い事もあるんだろって察して欲しかったのか?分かるわけねーだろ。
なんでも「おつかれ」って返してくる友達がいて微妙に気になってる。
「ごめんその日別の人と遊ぶ」「おつかれ」
「これ楽しくてハマってる」「おつかれ」
ってなると微妙にどうリアクション返したらいいのか悩む。疲れてないぞ別に。
ちゃんと話聞いてないときの適当な相槌かなと思ったけど、わざわざSNSでこの返信をしてくることもあるから何らかの意図はありそう。
反応求めてないリアクションかなと思って適当にスルーしていたら、どうも寂しがっている様子で反応自体はほしそう。
自分が気の利く友人ならうまい返しもできるのだろうが、コミュ障で申し訳ない…
とりあえずリアクションなりスタンプなりで適当に返したり返さなかったりしているが、最適解とかあるのだろうか。
もう本人に聞いちゃおうかな…
Xを眺めていたら、マガポケで連載が始まった「阿武ノーマル」なる漫画の宣伝ポストが目に留まった。
1話が全文読めるようになっていたので、なんとなく気になって読んでみた。マジギレした。
キレすぎてお気持ち長文を書かずにはいられない気持ちになったので、マガポケアプリに登録・課金して2話(最新話)も読んだ(良いお客さん)。
その結果、マジギレするのは第1話のみにとどめることにした。
ここからお気持ちを語っていきたいと思う。ネタバレしかないので、よかったらXなりなんなりで検索して第1話を読んでみてほしい(これが炎上マーケティングなのか?)
まず結論から言うと、「主人公・阿武を明確に発達障害者(自閉症スペクトラム障害・ASDの特性を持った人物)として設定した上で、彼女を不気味で不可解な『アブノーマル』のように描く作劇に、発達障害者として気分を害した」ということである。
作中で「普通」代表のように描かれる阿武の先輩・相田は、学生時代の阿武を次のように表現する。
「阿武英子は単純構造だ/ぶっきらぼう/思った事をすぐ口に出す/人の事を全く考えない/要するに阿武英子は空っぽ人間だ」
ひどいdisられようである。まあdisの内容はASDあるあるだから置いておくとしても、「要するに」の後が全く要せてない気がする。
上記のdisの内容は端的に言えば「コミュニケーション力に欠ける」という点に集約されるのだが、つまり「コミュ障は空っぽ人間」ということになる。
本当にそうだろうか? 私にはそうは思えない。コミュニケーションが取れずに相手に何も伝わらなければ空っぽも同じという意味なのだろうか?
同様に、大人になった阿武が相田に就職先の斡旋を頼むシーンでは、相田は阿武のASD的な行動パターン(感情を無視して問題解決のみを意識する、情緒的な交流ができない)を「思想がない」と指摘する。
これも解せない。相田にとって「思想」とは、なんらかの理念や行動原理を意味する単語ではなく「感情を伴う対人交流によって育まれるコンテクスト」程度の意味合いのワードなのだろうか? だとすれば私の考える「思想」との乖離がかなり大きい。
(もっとも、第2話を読んだ後は、相田のこのような価値観もまた一つの「アブノーマル」として相対化される可能性はあるのかもしれない、と感じている。もしかしたら今作は、色々な登場人物の「アブノーマルさ」を戯画化しつつ「普通」という概念を相対化していく、いわば「普通じゃないは普通だよ」的な方向に進むのかもしれない。とはいえ、無料で読める第1話だけが拡散されていく可能性は高いと思うので、本稿では1話のみに絞ってマジギレしていく)。
そして、セリフでの表現以上に腹立たしかったのが、阿武の「偽物訓練」に端を発した「普通」になるための行動の描かれ方(演出)だ。
「書き物の殺人鬼」のような笑顔しか作れなかった阿武は、「普通のOL」を演じるために、同僚の榊原と相田の会話を録音して分析し、コミュニケーションのパターンを学習しようとしている。また、「変わってる」と言われたことで「何がどう変わっているのか」を確認するため榊原に矢継ぎ早に質問する(はたから見れば詰問だったが)。
これらは漫画的に誇張された行動ではあるが、私を含めたASD者は大なり小なり阿武と同じような方法で「普通」になろうとしている。
他者の会話を聞いてパターンを覚え、それを真似することで「当たり障りのないコミュニケーション」のストックを増やそうとすることも、曖昧な指摘が分からず詳しく具体的に説明してもらおうとする(そうして欲しいなと思う)ことも、私からしてみれば「当たり前の生存戦略」であり、決して「サイコな行動」ではないのだ。
にもかかわらず、上記のシーンは非常にホラー的な演出でもって描かれている。阿武の「アブノーマルさ」を浮き彫りにしようとする意図が感じられ、ASD者としては自分が必死にやっていることを「あなたたちの行動はこんなにホラーなんですよw」と茶化されている気分になってしまった。
(ちなみに、これらの行動が、作中冒頭の「死んだ金魚を食べてみる」描写と同列に扱われているのも極めて遺憾だ。一方で、後から読み返すと「どんなに『普通』を演じても、どうしても定型発達者とは異なる発想になってしまう」という悲哀が感じられるシーンでもあるような気もする)
そして、私が本編以上にキレているのが、この作品の「売り出し方」というかパッケージングの仕方?である。
「阿武英子、29歳、独身、彼氏なし。ものごとの価値基準は「普通」か否か。「普通」に固執するあまり、彼女を取り巻く人間関係が綻び始める。「普通」とは何か、「異常」とは何か、人の倫理を問う戦慄&衝撃の新感覚サイコ・サスペンス、開幕!!」
とある。
先述の通り、第2話、第3話以降の展開によっては、これは単にさまざまな「アブノーマル」なキャラクターによる群像劇ですよ、くらいの意味合いの表現なのかもしれないが、1話時点だと「阿武がいかにサイコな人間か」が焦点になっていると読まれても仕方ない書きぶりだと思う。阿武のような発達障害(の特性を持つ)人間が「普通」になる≒社会に適応するために散々努力していることを「サイコ・サスペンス」扱いされてはたまったものではない。
また、「「普通」に固執する」ということに関しても一言言いたい。これはASDの特性の一つ「こだわりの強さ」で説明できる部分ではあると思うが、私はそれ以上の意味を見出してしまった。あえてクソデカ主語で言うが、発達障害者にとって「普通」という概念は「喉から手が出るほど欲しいけど、決して手に入らないもの」だからだ。
転職する(≒社会に適応する)ために、相田から「普通」に溶け込む方法を学び始めた時から、阿武にとって「普通」になることは至上命題になっている。「普通」でなければ社会には適応できない、というメッセージを、現代日本社会に生きる私たちは物心つく前から嫌というほど浴び続けている。だが、発達障害のそもそもの定義が「脳の発達の偏り方が非定型的(=普通じゃない)」である以上、発達障害者は「普通ではない」。だから社会に適応するのが難しい。頑張って「普通」を演じることができても、素の自分は決して「普通」にはなれないし、少し気を抜いただけで「アブノーマル」な本性が漏れてしまう。
少なくとも私にとっては、「普通」になりたいと願うのは至極当たり前のことだし、そのために自分なりに努力している阿武に共感こそすれ「サイコw w w w」などと嗤うことは絶対できない。できないし、そういう感想を見ると少し悲しくなってしまう(これは私が勝手に悲しくなってるだけなのでそういう感想を書くなという話ではないです)。
以上、本当に長々とお気持ちを表明してしまった。こういうことをしてしまう時点で私が「アブノーマル」なのは証明されていると思うが、それでも書かずにはいられなかった。対戦ありがとうございました。
だが出社が始まって、食事のコントロールが今までのようにはいかなくなった
空腹感を感じた時、これまでは低カロリーだがボリュームのあるもの・高タンパク質のものを選べた
コミュ障豆腐メンタル引きこもり体質の自分にとって、四六時中周囲で誰かしらが話し、なんならマウント合戦が始まるような状況はストレスも大きかった
通勤時間は長く帰宅してからの夕食をきちんとコントロールした上で食べる、ことももはや面倒くさかった
在宅勤務の時は野菜と味噌汁で腹を満たしたあとにごはんを食べる、という食事もできたが、出勤帰りではスーパーの弁当やら惣菜やらになった
けど、通勤で片道20分往復40分の歩き、電車でも立っているのだし、なんせ疲れているのだしこれくらいは
そんなこんなで気づいたら2キロほど太っている
あっという間だ
ガキの頃マンションで他所んちの人に「おかえりなさい」って言われた時、「ただいま」と返すのもイヤあんたん家のガキじゃないし……って思うし、なんか馴れ馴れしい。かと言って「ただいま帰りました」でもない。
さりとて「こんにちは」と返すのも噛み合ってない気がして、正解が分からなかった。未だに分からない。
まあ挨拶の出来ないガキだった時は軽く会釈すれば済んだからそれで良かった。コミュ障という言葉にあぐらをかかず最低限の社会性くらいは持っとくかと思うようになってからは、一応こんにちはと返すようにはしてた。
今でも陽が落ちるのも早くなってきた頃の暮れ、「こんばんは」に「こんにちは」で返されるとおれが間違ってるのか……?ってなる。