2018-04-26

キモい奴でも受け入れてくれるのがオタクコミュニティだけだったんだ

話がこじれているように思うのだ

自分の居場所にためにオタク趣味になった、友達の好きなものを好きになったキモい奴もたくさんいたように思う。

今では嫌われるだけの教えたがりの先輩みたいのも、当時としてはちゃんと先導者としての機能をもっていた。

決して、好きではないものを無理にやっていたわけではない。

ちゃんと作られているエンターテイメントちゃん面白いのだからちゃんと触れればちゃんとハマる。

まあ、それは漫画アニメゲームに限らず、宝塚だろうがスポーツ観戦だろうが同じなんだけども。

でも僕は本質的オタクではなかったのだろう。社会人になって10年もしたら、もうただのインターネットを漂う無になった。

差別されていたのはきっとオタクですらない僕たちゴミだ。

オタク差別というのは、2次的なものであるのはそうなのかもしれない。

でも間違いなくあった。そういうキモいから場所を奪い取るための、「主語のでかい全否定があふれていた。

あんたらが否定するべきは、オタクではなくて僕らだったのにね。

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