100万ポッチじゃいくらも増えんよ。毎年もらえるならともかく
ちょっと前の増田に、女は女とヤッた方がマシとかなんとかいうのがあったが、数値があったので紹介してみる。
結果から見れば、セックス中にオーガズムに達する割合は次の通りになる。
この数字から見る限り、女性においてはストレートなセックスよりもレズビアンセックスのほうが圧倒的にオーガズムに達する率が高く、快楽としてのセックスを考えた場合には、もはや男性のパートナーは太刀打ちできないような結果である。
参考にさせてもらうよ
うつ病をわずらって一時休職したこともあり、5年前くらいは手取り15万くらいの仕事についていて、大学も出てないし自分には取り立てて秀でた能力もないからこんなもんだと思っていたものの、この先ひとりで生きていくには心もとないから結婚しなきゃ!と思って、結婚を考えてると言われて付き合った恋人にあっさり振られてしまった。
「わたしの人生誰もなんともしてくれない」「幸せだと思ったこともないしこの先幸せになれるとも思えない」「どん底みたいな気持ちで生きていくのか」という気持ちで、またうつ病に逆戻りなのかなとか、会社の先輩に「うつ病なんて甘え、好きなだけ休んでずるい」と言われたりとか、しかしその先輩の仕事の尻ぬぐいを全部押し付けられたりとか、次第になんでこんな思いをしてまで生きなきゃいけないんだという怒りが沸いてきて、よしわかった!自分の人生の責任はわたしが持つ!リングに立ってやるから覚悟しろよ!!と腹をくくることになった。
信頼できる上司の下で仕事を覚えて実績を積み重ね、次第に周囲もわたしのほうを上役扱いしだして、名実ともに先輩の上司になるまでになった。その頃には手取りが2.5倍以上になっていた。(そして先輩は自分はうつ病だと言いだしたが割愛)
恋人から振られなかったら、先輩からひどい目に合わされなかったら、わたしは何も変わろうとせず、幸せではない毎日を疑問にも思わず甘んじて受け入れていたと思う。想像するとぞっとする。だからきっかけをくれた元恋人にも先輩にも嫌味でなく感謝している。
わたしはほんとに運がよかった。信頼できる上司とは何度もぶつかり合ったけど、たまに体調を崩して休むわたしを責めることは一度もなかった。わたしにはものすごい才能はないけれど、人よりちょっとうまくできることもあった。逆に苦手なことはやらなくてもよいと言ってくれた。自分が幸せになるために仕事をしろ、不幸になってまで仕事をするなと言ってくれた。
自分には縁がないと思っていたきれいで広めの部屋に引っ越して、こだわった家具を選んだり猫に美味しいものを食べさせたりできるようになった。猫が病気になって治療費を躊躇なく出せるようになったことは、仕事をがんばってお金を稼げるようになって一番良かったことだ。いまのところ結婚の予定はない。
「奢れよ」「俺が金ないときはおごってもらった」というブコメがあって、価値観違うんだなと思った。
奢ってもらう方はどう感じるだろう。
派遣だからってバカにしてと怒るか、それとも卑屈で惨めな気持ちになるか。いずれにしても口では感謝しても内心素直には喜ばないと思うよ。
貧乏でも自尊心はあるんだもの。ない奴だけが平気で人にたかる。そうして友達関係を切られてゆく。
元記事の増田も、友達だから奢りたくなかったんじゃないかと思うけど。
(奢れるほどの稼ぎでもなかったのかもしれないが)
足幅が狭くて、ついでに甲薄でもあり、市販されてる靴はまず合わず、いつも靴の中で足が前滑りしてしまう増田です。切った小指を私にください。
しばらくガンダムから離れていたが、BS11でやってるZガンダムのついでに鉄血のオルフェンズの再放送を見ていた。
自分は普通に楽しんでいたが、ネットの反応を見るとあまり芳しくないらしい。「Gレコより面白い」「意味不明なGレコより鉄血の方が面白い」「その2つよりユニコーンが好き」など色々な派閥があるらしく、他作品を貶しながら自分の好きなガンダムを持ち上げる姿は種死叩きが過激だった頃と全く変わってなくてなんか安心した。
私も貧困ビジネスの最前線で働いてるけど、爆サイ的かどうかはわからないけど、あいつらは違う文化圏の生き物であることは確か。救う価値も無いクズばっか。たまに仏心出して手を差し伸べても、毎回必ず裏切られる。あいつらが底辺にいるのは自業自得で、苦しんで当然の糞野郎なんだけど、それでもやっぱりこのままでいいわけがない。うちみたいな弱者を搾取するようなところにいたらダメだし、でも彼らには抜け出すのに先立つものがないし、その甲斐性もない。
俺はこの文章を、これからエントリーシートや、OB訪問や、面接に挑む就活生が、一人でも読んでくれればと思って書く。
俺は昨年、とある企業に新卒で入社した。社会人1年目がもうすぐ終わる。
その間に、俺の友人たちは多くが退職し、転職し、また心を病んだ。
それを眺めながら、俺は多くのことを学んだ。それを、少しでも誰かが役立ててくれればいいと思って書く。
君が会社に入社して、働き始める。そこで何か致命的な不都合が起こる。そういうときに君は仕事を辞めるとか、違う仕事を見つけるとか、休職するとか、そういうことになる。
俺の知る、ブラック企業に入社して、転職したやつらは、みんな楽しそうにやっている。それは良いことだ。転職は悪いことではない。
そしてやつらは、「2度目だから、社会人を一瞬でも経験したから、良い仕事に就けた」と言う。それは一理あることだ、というか当然のことだ。
それでも、退職や転職はものすごくパワーと時間を要する。そしてそこに前の職場で過ごした時間をプラス、とんでもなく無駄な時間だ。
(前職を無駄だとは思わない!というような転職の話は今回したい話ではない)
できれば、その会社に1度で入れるにこしたことはない。
これから書くのは、「どんな職場が生きやすいか」ということについて、一年見聞きしてきたことの感想だ。
身も蓋もない話だが、これを知っていたからといって、やばい状況を確実に避けられるというわけではない。
ただ、少しでもリスク回避ができるかもしれないとか、泥沼を泥沼と判断できるのが早くなるかもしれないとかそういう話だ。
家で一人で過ごすのは苦にならないし、あまり喋るのは得意ではない。パリピの対極に存在する。
というわけで、俺は大卒の中でも、どちらかと言えば同類の方のことを考えて話をしようと思う。パリピは頑張って生きて欲しい。君たちは大丈夫だ。
そんな、大勢でわいわい、体育会系のノリにはついていけない、という人間が、就活サイトとにらめっこをしながらどんな条件の場所で働きたいかを考えたとする。
「転職がない」
こういう文句に、君は惹かれるかもしれない。
趣味に時間を使いたい。大企業で大勢の中に溶け込むのはしんどい。体育会系の上下関係は苦手。できれば同じところでずっと働けた方が楽。それはその通りだ。
「この条件さえ揃っていれば、どんな仕事でも暮らしていけるだろう。私の生きがいは趣味にあるから、仕事人間になる気はないし」
そういうふうに考える人もいるだろう。
まず1つめの「土日祝休み、残業なし」。そもそもこれはけっこうな会社が条件に挙げている。しかし、本当にこれが徹底されている企業は多くはないと俺は思う。
「残業めっちゃあります!土日も仕事してもらうぜ!」と看板にかかげる会社は普通ない。(ぼかしてそう書くところはある)
職種によるところはあっても、完璧に条件通り、ということはないと思っていたほうがいい。
1つめの砦は早々に崩れるものだと思おう。そんな時、「それさえあれば、あとはなんとかなる」という発想で仕事を選んだ者は簡単に折れる。
二兎を追えないからと一兎を追おうとしたのに、その一兎すら捕まえられないのだ。
君がそのために生きようとしていた趣味は、もはや君を支えてくれるかどうかも危うい。
これは間違いなく危険だ。気をつけたほうがいい。
君は同じ職場の人とうまく人間関係を築けるだろうか。うまくいけば何の問題もない。
これは別に周囲の全員と、という話ではない。
1人、どうしてもうまくいかない人がいたとしよう。または、君をめちゃくちゃにいじめてくる先輩がいたとしよう。
前述したような場所で、誰かに相談をするのはそう簡単ではない。
上司がひどいことをしてくるなら、別の部署の上司でもいい、とりあえずたくさんいる同期にでもいい、どこかしらに逃げ場がある。
また、序列がはっきりしているなら、先輩がヤバイ人ならもっと偉い人に、もっと偉い人がヤバイなら同じランクの偉い人に、など、相談先の道ができる。
「小規模でアットホーム」な職場と言われて、極端に言えば銀魂の万事屋みたいなのを想像する、これが悲劇の始まりなのだ。
そういう場所がないわけではないと思うが、まず新卒では入れないだろう。
大きい会社の場合、何か問題を抱えた人間がいると、一旦別の部署へ異動させたり、本人や問題の人物を支社へとばしたりする。
そういう選択肢が、選べないということだ。
仕事内容ならなんとか対応できても、人間関係などに病巣があると、やめるか続けるか、0か1か、みたいなことになる。
たぶん、これらのことを忘れがちになるのは、俺たちがその人生のほとんどを学校で過ごしてきているからだと思う。
隣の席の人とうまくいかない、それでも半年もすれば席替えがあるだろう。
クラスでちょっとなじめなかった、1年待てばクラスは変わるだろう。
別に仲良くする必要なんてない。やることだけやってれば文句はないだろう。
本当にそれをあと30年以上続けられると思っているのか?
こんな後ろ向きの話をするのもどうかと思うが、逃げ道というものを考えて、就職活動をしてもらいたい。
とは言っても、なかなかに難しい。入ってみないとわからないことも多いし、別に前述したような企業が悪いわけでもない。
ただ言えるのは
「これさえあればいいから」
今のこの日本では、人生の多くの時間を仕事をして過ごす事になる。
それを、ただ金がもらえさえすれば(しかももらえないかもしれないのがこの時代だ)という気分だけで過ごすのはあまりにもったいない。
考えろ、サボるな、欲張れ。
「金」「やりがい」「得意分野」「人間関係」「休暇」「仕事量」「社会的ステ」
保険をできるかぎり多く持て。万が一どっかが欠けても、とりあえずいきなり心を折らないだけの支えを持て。
俺が言いたいのは理想論かもしれない。
けれど、頭のどこかに置いておいてくれたら嬉しい。
来年の俺が同じことを言えるか、それはまだわからない。けれど、自分自身のための保険として、こう言いたい。
良い結果が出ることを祈っている。
PS.ついでなので、そこそこ元気に社会人してる俺が、どういう点で生き延びられているかを簡単に書いておく。参考になるかはわからない。
・前述したような逃げ場がある会社だということ
実際に別の場所でしんどい目にあって、異動して別の仕事を楽しそうにしている人を見ると、まぁ生きてはいけるかなという気がしてくる。この余裕はでかい。
・上司が強い
社長が世襲じゃない感じの、そこそこのサイズの会社なので、偉い人はそこそこすごい人。当たり前のようだけれど、案外人の話を聞くとそうでもないのだ。
護廷十三隊を想像して欲しい。偉い人はなんとなく偉いのではなく、間違いなく強いのである。それを時々見て、うおお!卍解だ!強ぇえ!ってなるのはテンションがあがる。
ついでにちょっと他の部分で難があっても、まぁでもこの人卍解使えるしな……ってなるのでこころが穏やかになる。
クッソ疲れて帰ってきても部屋が寒いし夕飯もない。それはつらいかもしれない。しかし、自由だ。俺が稼いだ金は俺のものなのだ。俺が捻出した時間は俺のものなのだ。
というか正直、家族関係に仕事で磨り減ったなけなしの精神強度を更に持って行かれている社会人をよく見る。そこそこの年齢の大人が狭いところに集まっていたら問題がおこるのは当然のことだぞ。家を出ろ家を。
以上。幸運を祈る。
はてなにはBuzzFeedは全面的に信用するって馬鹿が多いから、あのBuzzFeedがタイトル煽り(まとめサイト憎しな人に言わせれば『デマ』)をするとは思わずに、条件反射でコメントする人もたくさんいたんだろう。
中には時期が違うことを分かった上で、表に出てこない昭恵夫人への皮肉攻撃としてのコメントも多かったと思うが。
BuzzFeedは、内容に対して記者の主観やバイアスが既存メディア以上に入りまくってるから「BuzzFeedは既存メディアよりスゴイ!」と全面賛同してるような人は注意すべし。
この間トップエントリーに、保育園に落ちてしまったことからもっと子育てしやすい世の中にしてほしい、そのための制度や保証(保険?)を充実させてほしいという記事がありまして。
読みまして。
正直子育てしやすい社会にしてほしいなんていうものはもう散々叫ばれていて、結婚すらしていないわたしですら「そうだよねぇうんうん」と思う。
ただそのブログ主の人の主張に何とももやもやしたのが「ハロワや老人に金使うならそっち削って子育て福祉を充実させろ。もうそっち方面は充分だしやっていけるし、委託なんかもうまく使え」って話。
もちろんこんな乱暴な言い方ではなくて、その方なりにいろいろと考えられた結果述べられている訳だけど、まぁ2日分の記事をざっくり言うとこんな感じ。
その方はちゃんと「もちろん老後の保障も大事だって分かってる」と書かれていました。
誰かが保証を受けるために誰かの保証が削られなくちゃいけないの?
もちろん政府にも予算があることも借金があることも私みたいな馬鹿には分からないいろいろなしがらみがあって、全部の保証を充実することなんか出来ないことくらいわたしにだって分かるよ。
でも必要なところに必要なだけのお金を使ってほしい政府であってほしいと思うよ。
行政サービスを依託した結果サービスの質が落ちたり、その会社のブラック企業化に繋がることもあるよ。
(これは私の身近な人がたまたまそういう会社に勤めているから知っているのであって、社会的には行政サービスの委託って低コストで素晴らしいと認識されているのもちょっと問題だと思う)
そんなの理想だ幻想だって言われるかもしれないけど、理想の社会は「子育てもしやすい、老後も暮らしやすい」社会だよね。
っていうか多分行政ってまだまだ削れるところいっぱいあるよね…いや具体的に指摘しろって言われても無理だけど。
知らないけど…。国会中に寝てる人たちがいることくらいしか知らないけど…。
分からないなら言うなって言われそうだけど、少なくとも老後に困っている人にとっても、子育てで困っている人にとっても良いサービスが受けられる社会になればいいなぁと思います。
というかいつも思うんだが「老人は金持ってる」っていう考えの人の周りには金持ちでアモーレな暮らしを送っている老人しかいないのだろうか。
定年後も働く人が増えているという話が嘘なんだろうか。若者も老人も格差社会だと思うんだが。
少なくともハローワークにいくと「もう…もう充分働いたよ…!!!!」って言ってあげたくなるような人が結構来ていたけどなぁ…。
どんなに仲の良い友人を作っても、一番は家族だよ。
それなりに仲のいい友人はいたけどその友人の全てに自分より仲のいい友人がいた。
どんなに良い所まで行ってもせいぜい5番目ぐらいに仲のいい友人にしかなれなかった。
自分がある日いなくなってもそれよりもずっと大切な仲間が残るのだからきっと誰も大して悲しまないのだろう。
だが実際それが有難くもある。
いつ目の前から居なくなっても良い距離感の相手の方が丁度いい。
ふと1人になりたくなりそのまま仕事以外では人と関わらずに何ヶ月も過ごしていたくなる事がよくあるからだ。
そういう人間ではあるがふと親友が1人ぐらい欲しかったと感じる。
たとえば相手にとって一番の親友でなくても上から3番目ぐらいなら親友と考えてもいいだろう。
しかしよくて5番目の位置ではその他大勢の枠からはみ出すことはないだろう。
それではやはり違うのだ。
順番なんて関係なくなるような最高の仲間達の1人にでもなればいいのかも知れないが、そういう多人数で楽しくやる関係は自分には向かない。
周りの人間が増えれば増えるほど隅に行きたくなる。
勝手な話だが自分が散々フラフラと1人で身勝手に振る舞ってから帰ってこれる相手を求めている。
そしてその場所とのつながりが血縁や仕事ではなく人格の相性、心の噛み合いの良さによって作られている事を求めてしまう。