最近では遺伝子レベルで特定の野菜を受け付けない特質が形成されている可能性が示唆されているんだよね。
アルコールを分解できない人や食品アレルギーに対する無知と同じで、誰でも何でも同じものが摂取できるという幻想が根強く残っているんだね。
最近のディズニーはとにかく昔の作品を実写化してる印象がある。
もちろん完全新作を作ってるのも知ってるんだけど、今の映画ドラえもんみたいに半分くらいは昔の名作アニメの焼き直しや翻案じゃなかろうか。
2017年に美女と野獣が公開されるらしいし、ジャングルブックとかダンボとかティンカーベルとかも実写化企画あるらしい。
あとびっくりしたのがファンタジアの禿山の一夜も実写化企画があるっていうの知った。これは見てみたい。
ディズニー作品が好きだから見るというのはあるんだけど、マレフィセントが実はいい魔女でね…みたいは感じの翻案は、はっきりいって二次創作程度にしか楽しむことができないし、どうなのかというのがある。
ひとつ邪推してるのはかつてのプリンセス観にカウンターを与える作品を作らないといけないという圧力があるんじゃないかというところなんだよね。
まったく無効とは言わないが。ちゃんと事実も示しての話の方が、ずっと扱いは良かっただろうね。その役割を担うべき野党側が、そんな増田の取るに足らない物を根拠にした事にはきわめてがっかりした。ネットの意識の高い評論家気取りみたいな真似するのは恥ずかしい。
増田の仕組みを解っている人なら自明だろうが、こんなもの与党の政策に沿う書き込みだって、その反対だっていくらでも出来るんだから、本来的には意味がないんだよ。
>何? 話を盛ってただけでしたって? それを国民の声だと認識しちゃったってコト? それは馬鹿でしょ?
あまり自己肯定感が高くはないタイプの人間で,それにあまり要領もよくない人間だったから,その分ちゃんと頑張って生きようと思ってよりよい人生を送るためのささやかな努力――自堕落な生活を送らないための自制心や忍耐,日常生活におけるPDCA――をいつもやってきたはずなんだけど,ここ一ヶ月くらいもうそれらが全部どうでもよくなっちゃって,全部だめになっちゃった。
たとえば早起きずっと苦手だった,だから,ありとあらゆる試行錯誤をして,負担少なく無理なく続けられるやり方を考え出そうとした。まず,睡眠時間の記録を何ヶ月も続けてとって自分の睡眠傾向の現状を調査をした。また帰宅後の自分の時間の使い方を手帳に逐一しばらく記録して,いったい何にどのくらい時間を費やしているのか調べた(たとえば風呂にはいつも30分かかる,とか)。それらの記録を元に予定を組み替えて,早く寝れるよう時間を捻出してみたりした。目覚ましのおき場所も工夫して。テレビやラジオのオンタイマーを活用して。そしたら早起きが無事できるようになった。やったね!朝ごはんをきちんと食べれることの幸せを得ることができた日々は本当に幸せだった。
たとえばファッションセンスが激ダサだった。アラサーなのに高校生みたいな服を着てた。クローゼットの中身は一朝一夕ではどうにもならない。なので三カ年計画でクローゼットを改革することにした。ファッション雑誌や指南本をいくつか読んで基礎を勉強した。不要な服を廃棄し,シーズン毎に手堅い定番品を買い足した。所有している服は全て写真を撮ってクラウド管理。すると自ずと次に買うべきものがわかってくる。以前に比べて服装に自信が持てたし,服屋のセールを眺めるが楽しくなった。道行くひとを眺めることでさえ勉強になる。ファッションはとても奥が深くて面白い。
たとえば暮らしが貧乏だった。手取り十数万で一人暮らし。奨学金の返済もあるし,年に一回は片道1万円かかる実家に帰省しなきゃならない。当然家計簿はつける。月ごとに自前のエクセルで集計して分析。各種定期的な支出は積み立てをする。趣味も整理して無理なく出費を続けれるように支出を調整。給料日の幸福感は減ったけど,自分の家計の不透明さは減った。数年内に転職はしなきゃならないけど,家計簿のお陰でなんとか今もまあまあ楽しくはやれている。
全部やれてたし,それなりに全部楽しくやれてたはずなんだけどな。
どれもささいなことだけど,がんばったんだよ。自分なりには,がんばったんだと思う。
でもなんかもう全部どうでもよくなってしまった。
少しずつでも歩き続ければ今よりももっと素晴らしい自分になれると思ってた。今でも多少はそう思ってるけど,でもなあ,あんまり信じられない。1x2=2だけど,0.1x2=0.2なわけでさ。同じ「x2」の努力をしたところで,もともとのものが少なければ一歩前進できたところでそれは微々たる物なんだよね。そんなの当たり前で,だからこそ少しずつ進んでいくしかないんだけど。だけどさ。ものすごくがんばって,それでようやく人並みになれて,それって何が残るんだろう。
それにさあ,どんなに努力のやり方を考えて工夫しても,結局そのやり方を遂行するにはそのための,なんていうか,精神的体力みたいなのがさ,必要で。それって努力ではどうにもならないんじゃないかなあって最近よく思う。がんばっても精神的体力は回復しない。精神的体力をうまく回復させる方法を考えるけど,考えることで精神的体力が消費されて結局意味がない。
もっとパワフルな人間になりたいと思う。どうしたらなれるだろう。どうやったらなれるだろう。考えるけど,考えるだけでうんざりする。がんばってもがんばっても,わたしはわたしにしかなれないので,よりよい人生というのも幻なんじゃないかと思えてならない。でも向上心を全部なくしてしまったら,今以上に今後がよくならないなら,今すぐ死んでしまうのが最も合理的だっていう結論に辿り着いてしまう。死にたくない。でもやっぱり生きるのはつらい。
こういう生きるのがつらい系記事増田に最近ちょくちょく書いてるけど,仮にホッテントリ入りしたところで釣り認定されるんだろうか。まあ釣り認定は増田の華なので別にいいけど。でもいつも思うんだけど,はてブってよくライフハック記事があがってくるじゃない。みんなあれを実践しててつらくならないのかなあ。それとも世の中の大多数の人間は,自分よりも格段にパワフルなひとばかりなんだろうか。
動画みてねえんだけど、これ全部そらでしゃべってるとしたらスゴイなーって。
「子供の抱っこのおねだりをいかなる時も断らない」
理由は、なんとなく
あった方がいいかしらと思ったのと
子供の為になることを続けられないかと思ったのが
きっかけだった
抱っこを断らない母になる、ということにした
突然訪れる「だっこ、だっこ」というコールに
いちいち時間がかかることに
イライラしたりもしたけれど
妙に前向きになったりした
道すがら歩きたくない抱っこが発生すると
あの角を曲がるまで、とか30秒数えるまでとか
条件つきの抱っこにすれば満足してくれる
便利体質で、そこまで手間がかからなかった
抱っこした側の私の気持ちにもなぜか満足感がわいて落ち着く
もうすぐ小学生になる息子
これがもう少し大きくなったらババアと呼ばれ
この先手をつなぐのも嫌がるんじゃないかという
予感もしている
息子に抱っこをおねだりすることも増えたが
そういうときは決まって「いいよ」といい顔で応えてくれる
抱っこされるのを断らない息子がいる
今は腕や肩がぶつかるとゴツゴツするし
やたらと重い息子の体だが
この名残惜しい気持ちが解消されるまで
息子には抱っこルールに付き合ってもらおうと思う
安倍首相が増田に投稿された「保育園落ちた日本死ね」の内容について
「このメール(※原文ママ)は匿名である以上(実態を)確かめようがない」
でも、この「日本死ね」を書いた人物が実名を公表して政権を批判していたとしたら、
それはそれで今度は「その個人の自己責任だ」と言われておしまいじゃないだろうか。
それどころか、その人物の個人情報を調べて脅迫や嫌がらせを始める変な人も現れたかもしれない。
その人物(おそらく女性)の夫の職場に嫌がらせの電話が来たら、職場での夫の立場も悪くなるだろう。
(プロの評論家やジャーナリスト、運動家も脅迫や嫌がらせを受けるものだし、個人なら間違いなくやられる)
どちらにしろ、実名で批判したところで、本人が特別な援助を得られた可能性はまったくない。
結局、弱い立場でしかない一個人が実名を晒して政権を批判しても何の利益もない。
そうした弱い立場にある者が弱い立場ゆえに身元を隠して発した意見を
「匿名だから」という理由で軽く扱っていい理由はどこにもないはずだ。
また、民主党議員による「(待機児童が増えて)うれしい悲鳴」という表現について
首相は「当たり前のことが分からないのか。ことさら曲解して揚げ足を取ろうとしている」
「日本死ねというのは別だが」と「日本死ね」という表現を間接的に非難している。
でも、この「日本死ね」というのは、手薄い子育て支援体勢に対する母親たちの悲痛な叫び
概ね同意だが、追加するなら以下。