はてなキーワード: システム設計とは
そんな穏やかな日々が一変する出来事があった。
その病院のリーダーだったその人とは、頻繁にやり取りをしていた。
当時まだSE歴1年半、何も分からなかった私に時間を割いて色々教えてくれたその人とは
自然と仲良くなり、仕事が終わった後飲みに誘われる事もあった。
彼に咎められることもないだろうと思っていた。
それにその人には、結婚して1年半になる奥さんと、1歳の娘がいた。
それを知っていたのもあり、「この人は大丈夫」と、完全に安心し切っていた。
それが間違いだった。
その人が私を誘う頻度は増えていった。
ホテルに連れ込まれそうになった。
さすがにもう限界。
その出来事から1ヶ月ほど経ったある日、出張先の福岡で偶然その人を見つけた私は、
仕事が終わるのを待って、こう告げた。
もう誘わないでください。
あなたとは会社の先輩と後輩以上の関係になるつもりはありません。
それにあなたには、奥様と娘さんがいるでしょう。。。
自分に付き合っている人がいる事は、言わなかった。
彼のことはその人も知っていたし、彼に変に疑われたり、
その人は、分かった、とだけ言った。
そして、しばらくは平和な日々が続いた。
その年の年末は、システムの本稼動を控えていたため彼は忙しく、
会う事はできなかった。
でもそれが終われば少しは落ち着くし、久し振りにゆっくり会おうという話をしていた。
ある時、私は彼にメールをした。
でも、いつもなら仕事が終わったタイミングで返信が来るはずなのに、その日は来なかった。
電話をしても、繋がらなかった。
でも、次の日も、その次の日も連絡がつかなかった。
何日か経ってようやく電話がつながった。
何回もメールしたのに。どうしたの?と少し拗ねた私に、彼はこう言った。
あのメール、どういうこと?
彼によると、1週間前に、知らないアドレスからメールが送られてきたらしい。
何て書いてあったの?と聞いた。少し時間が経ってから、彼が答えた。
舞ちゃんって、いいカラダしてるね。俺のものにしたい。
全く身に覚えがなかった。
ただ、私は携帯にロックをかけていなかったから、誰でも携帯を操作することはできた。
その時、ふと思い出した。
会議に出ている間、他の荷物と一緒に携帯を置きっぱなしにしていたはずなのに、
戻ってきたらなくなっていた。
どうしても見つからず、仕方なく帰ろうかとしていたところに、
「携帯、落としてたよ」と声をかけられた。
「もう誘わないでください」と告げた日から一度も会話をすることはなかった、あの人だった。
ありがとうございます、とだけ言って、空港に急いだ。
あの人だ。絶対あの人しかいない。
でも、その人の事を彼に言うのは躊躇われた。
ただ仕事帰りによく一緒に飲みに行っていただけで、何もやましい事はなかった。
だから、話して誤解を解けばよかった。
隠す必要はなかったのに、誤解されるのが嫌で、その事は言わなかった。
それに、送られていたメアドはフリーのアドレスで、その人がやったという証拠はなかった。
その後彼とは、すれ違う日が続いた。
私はその当時電車で帰れる日が全くないほど忙しく、イライラはピークに達していた。
彼のほうもまた、目前に迫ったシステム本稼動に向けて、忙しい日々を送っていた。
その間にも、問題の男からの不可解なメールが彼に送られていた。
いつの間にか、私とその男がデキているという噂をする人も現れた。
問題の男は既婚者だったので、もちろん自分からそんな話を誰かにするとも思えない。
でも、証拠がない以上、どうすることもできなかった。
私も彼も疲弊していた。
たまに電話をしても、お互い素直になることができなかった。
ちゃんと話すことができないまま、時間が過ぎた。
このままじゃいけない。そう思った私は、彼の東京出張のタイミングで
無理矢理時間を空けてもらうように頼んだ。
久し振りに会う彼は、明らかに疲れた顔をしていて、少し痩せたように見えた。
深夜まで話した。でも、溝は埋まらなかった。
そして、彼がタクシーに乗り込む後姿を見送った。
目的は「業務遂行のために必要な知識が足りていないときのギャップを、
それが認識されたタイミングを逃さずに埋める」ことにあります。要するに、知識の「カンバン方式(just-in-time)」ですね。
「必要なときに、必要な知識を、従業員同士が(勝手に)与えあう」ようなプラットフォームこそ、教育システムの目指すところでしょう。
べき「落とし穴」は以下の3点。
1.情報を得るのは、色々な意味で、その能力を持っている人である(質問者であると同時に、情報発信者であることが多い)
2.ソーシャルなシステムは、しばしば情報を持っている人をますます情報通にし、情報の足りない人をますます情報から遠ざける結果を生み出しやすい。
3.こうした傾向は、意思決定が中央集権的になっている組織において、より顕著になる。この場合、システムには意思決定権者への
フィードバックの敷居を下げるような工夫が求められる。
個々のユーザーを中心としたシステム設計をすることが重要であり、なんとなくFacebookっぽいものをそのまま導入してもダメ
システムってのは、すべからく全部、ミスをどうカバーするかって代物なんだ。
一番ミスするパーツは人間なんだから、システム化って話になれば、なるたけ人間を機構から外すように作る。
当然、バックアップやらチェックやら、人間がミスをしても、カバーできるように作る。
そして、システム設計するとき、ミスによる被害を想定して、許容範囲に収まるようにする。
昨日までのバックアップがあれば業務継続・復帰可能なら、一日単位でバックアップするし、
もっと短い周期で必要なら、時間単位でバックアップしたりもする。
さて、原発のミスによる被害ってのは、システム的に(行政や技術で)カバー可能なものなの?
ここで、「そんな被害、如何様にも技術でフォローできる」と言えて、初めて人がコントロール可能なリソースと言えるんだよ。
火は消せる、壊れた建物は直せる。
誤解を恐れずに言うと,人間には二種類ある。役に立つ奴と役に立たない奴だ。
ただし,時と場合によってその区分線は変わる。俺だって自動車のメンテナンスについては役立たずだし,オサレ関係にも役立たずだし,法務についても役立たずだろうし,・・・と,与えられる役割によって変わる。
議論の場においての役立たずはいらない。俺が車のメンテを自分でやろうとして壊してしまうのと同じレベルで。
工場で工員さんが車検整備してくれているところに俺が手を貸しても邪魔になるだけだ。能力差があるから。だから,役に立たない奴は一歩引かなくてはならない。俺は議論の場でも一歩引いている。何故か?主要な問題のいくつかに知見が不足しているからだ。彼らの話すことを理解するのに時間がかかるので,その場で応答できない。たとえば,Oracleのチューニングについては全くわからない。DB関係の知識が浅いんだ。SQL は一通りわかるしそれなりに効率考えたテーブル設計もできるけど,Oracleのパラメータいじるパフォーマンスチューニングなんかいらないような小規模案件しかやったことがないし。Oracle使う規模すらほとんどない。
つまり,そこで役に立てないからだ。技術的ないくつかのトピックと,まとめサイトの運営,昨日設置したボットの調整・・・そんな雑用なら役に立てる。
だから俺は自分を「ただのまとめ人」としているし,「まとめの成果はそれぞれの成果物を作った人のもの」と公言しているし,wiki記法なんてすぐ理解できるというか,はてな記法と大差ないんだからわりと誰でも書けるし,そう言う意味で俺はあの議論の場においては三下だと公言するし,ほとんど役に立っていないとも言う。事実に基づいて名乗っていたんだよ。
ついでにもう一個ばらしておくか。
わりと最初のほうでブクマしたとき「はじめてのアンチだわーい」とか書いた。ツイートでも「はじめてのアンチなので育てたいです」などと書いた。これわりと本心だったりする。
おまえさん,俺に向かってそれなりに意見できたろ?
そういう風潮があそこにはなかったからな。言葉は悪いが慣れ合いみたいなものができてきていた。少数の人らとはタグ外して裏で意見を交わすこともあるけど,古参同士であんまりぶつからないだろ?
俺に意見する形を通して,文章残して,あそこにある問題点で見落としているものを見つけられたらそれは価値のあることだ。
少なくとも古参の部類に入る俺に向かって「意見」できる場は無かっただろ。いつのまにかそうなってしまっていた。アンチってのはそういうのを無視して上げ足取ってくるもんだ。だからブクマでも「もう少し掘り下げてくれないと面白くない」と書いた。上げ足取りから一歩踏み込んでくれば,それなりに価値のある「意見」になる。それを求めたんだ。
意外なことに2ちゃんねるの関係スレでは俺はただのまとめ人として妥当に扱われている。だからツッコミもちゃんと入る。「まとめ人見ているならつっこんでおくか」みたいなノリで。2ちゃんねるをある程度信頼しているのは,そういう奴等がいるからだ。まあ,それは余談かな。
とにかく,単なる上げ足取りではなさそうだと判断したので,向かい合って対応しているというわけだ。
しかし、すこしイライラしすぎでは?イライラを簡単にぶつけ過ぎると回りも萎縮します。ヤクザが歩き回るような社会はイヤなのです。
こうかな?情報さんきゅう。ひとつ賢くなった。はてな記法はタイトルとカテゴリくらいしか使ってないからよく知らないんだ。
ヤクザとはねえ。まあ,そう見えたのなら仕方ないな。沸点が低いのは先にも認めた通りで,ある程度は自制するよう勤めてはいるんだよ,これでも。
なにも貴方に効いて欲しくて呟いているわけではないでしょう。彼らは自分の考えを述べている似すぎないし、Twitterなどそんなものです。
自分の考えを述べているにすぎない,本当にそうかな?どうしてタグをつけるんだろう?それはタグを見ている人に伝えたいからじゃないのかな?
俺もタグを外して好き勝手言う事はある。フォロワに突っ込まれて赤っ恥ってこともあるが,基本的にタグをつけるってのは能動的にそこに参加している人たちへの言動という意味があるんじゃないかな?
それに,「彼らは自分の考えを述べているにすぎない」ってのは危険だ。それは少なくとも対話する姿勢じゃあない。
「俺だって自分の考えを述べているだけだ」
ほら,対話できなくなる。議論の場に対話しない人はいらない。対話しなくてもいいのは実績を出してくる人だけだ。そういう人は対話しなくても,出してきたもので論を進めることができる。
説得力のある根拠を傾聴したいのであれば、それを丁寧語で伝えるべきです。うんざりしたりイライラしていて聞く気が無く、正直辞めて欲しいという場合であっても、丁寧語でそれを伝えるべきです。
ひとつの意見として聞いておこう。でもこちらの事情も汲んでもらいたいところだね。相手は初めてかもしれないけれど,こちらは何度か繰り返してきたことなんだ。
ああ,また馬鹿野郎一人のせいで議論が進まない,検証が進まない・・・そんなの勿体無いんだ。
時と場合と必要に応じて。叱ることは必要だ。メリハリをつけて叱るためには態度を急変させることもある。ただし,周りに気は使う。オンラインでは簡単に室外に連れ出してそこで叱るなんてことができないから,その場でやっている。
タグを外して Mentions 飛ばすこともあるが,基本的に相手がタグをつけているならそれにならう。
叱って相手がわかれば,そこでおしまいにできる。部屋に戻れば仕切りなおしだ。
まあ,幸いにして実社会では恵まれているのか,そこまで叱ることは滅多にないんだけどね。何年かに一度あるかないか。いい職場といい友人に恵まれている。
オンラインでは言葉だけが全てだ。だから,身振り手振りが使えない分,オーバーにやる必要がある。
ともあれ,四六時中ってわけじゃあない。レアケースだ。
相手は何もやっていないというのは貴方の思い込みではないかという事です。
それこそlibrahack事件の根幹部分を理解していないことを示す言動だ!
いいかい。「示されていない事実は認識できない」んだ。librahack氏がサーバの不調に気付けなかったように。
なのに何故か「プログラマならこれくらい気付いて当然」と扱われた。
何かやっていたなら示せばいい。それが論拠や証拠になってくる。2ちゃんねらーが電凸した,その事実はレスに書かれないとわからない。
こちらから「新参者だけど何かやっているのかも知れない」と想定するなら,新参者も「古参はたくさん実績を積んだかもしれない」と想定してもらわないとね。
それが俺の言ってきた「そこで議論している人たちへの敬意」に繋がる。
しかも,まとめサイトにはそれらがしっかり詰まっている。ちょっとググればいっぱい出てくる。
新参者のあるかないかわからない実績より簡単にみつけられるのに!
俺の言うことはおかしいかい?
ただ,フェアにやってくれと望んでいるだけなんだ。
超能力や過剰な保護を求めないでくれ。一方的に「新参者だからわからなくて当然,教えてもらって当然」と言外であっても主張しないでくれ。
無知であるならそれを理由にすればいい。まとめにあるなら誘導する。そうでないなら説明する。だが,そこに甘えるな。リソースは有限で,少ない。
知ったかぶりをするな。口先だけ立派な事を言う前に手を動かせ。邪魔をするな。
俺はそんなに間違った事を望んでいるのか?
Librahack氏を心から気の毒に思って見てきた一人として、彼の味方は暴言を撒き散らすような人であって欲しくないと願っていることをお伝えしたかったまでです。
貴方も予断にまみれたタイプかもしれませんよ。私が叩くのは大抵短時間です。それはメリハリをつけないと,あなたのように「こいつはそういうやつだ」という予断を許してしまい,いざ叱ろうとしても普段と同じだと思われてしまうからです。
私は相応の期間様子を見ています。
最初は「そうではありませんよ」と下手にも出ています。
叱る,と表現した事に「何を上から目線な」と反発する向きもあるかもしれませんが,正直,ループの元凶と対等だとは思っていません。
私はネットウォッチ板の住民だ,とツイートしたこともありましたが,要するに観察するのです。その人の行動を,主張を,言葉を。
まずは知ろうとして,理解しようとします。その上で,見切りをつけた場合は,叱ります。おさわり厳禁とは言いますが,残念ながら私もクソコテの一人,最早踊子の一人でしかありません。
では,このような知識はいかがでしょう。
インターネット上の行為においては,それが実名であると証明されていない,あるいはそのハンドルネームで社会性のある活動をしていると認められない場合は,侮辱罪や名誉毀損罪の成立は困難です。
さらに,反論の機会が与えられており,少なくとも私が関係した生島・崎・杉森については,当方についても相当な暴言を吐いています。このような場合,一方的な訴えは退けられる運用がほとんどです。
加えて言えば,それが公益に適う場合には訴えは退けられます。生島,崎についてはログを読めばわかるように,実際は彼らのほうが先に侮辱行為を行っています。杉森についてはまず私が彼の妥当ではないラベリングについて「問題を不明確にする」などと指摘を行いましたが,彼は理解できませんでした。議論において,彼のいい加減な決め付けはその時点でノイズとなっており,彼の行動の誤りを指摘,是正しようとすることで議論が止まる可能性が充分に予見できました。
こちらは本名を出し,履歴を示し,ハンドルネームと社会性を紐付けています。さすがに住所までは出していませんが,まとめサイトの私の名前に貼ってあるリンクはGoogle検索結果です。容易に私が誰か知りうるようにしています。10年間使いつづけたハンドルネームとも紐付けています。
あらかた相殺されると思いませんか?下手すると私をヤクザ呼ばわりしたあなたのほうが危ない。お気をつけください。
さて。
10年程前ですが,ある大規模なシステムの開発に携わりました。
システム設計をやったわけですよ。ところが運用がまるでなってない。ワクチンソフトすら入れない。いやそれいるだろ,ライセンスあるだろ,入れろよ。運用設計に書く。「ワクチンソフトのアップデート手順」ところが通らない。何故だ。「できないから」いやそれできるようになれよ。運用設計に書く。丁寧に。手順を守れば誰でもできるように。通らない。「できないから」おいおい。
予算が足りないはずはないし,メーカーの担当者が二名常駐するはずだった。できるだろこれくらい。
できないから。
一応上司にあたる奴だったが叱りつけた。お前,お客様に納めるシステムの運用手順だぞ。個人情報大量に扱うんだろ。これやんないとあとでどんなリスク抱えるか解ってるのかと。
で,飛ばされた。
一年後,そのシステムはウイルス騒ぎを起こして新聞沙汰になっていました。
叱るときには叱る必要がある。俺はあのとき本当は石にかじりついてでも踏みとどまって毎週の運用手順をねじ込むべきだったのかも知れない。でも,あそこで叱らなかったら,半年に一度のアップデートさえ盛り込まれなかったかもしれない。
心の片隅にでも置いておいて頂けれはそれで十分ですので。
だから,だめだと思ったら叱る。その時以外はなるべく丁寧に対応するよう心がけはしましょう。
とりあえず,自分で思っていたより声がでかくなっていたことには気付かされた。ありがとう。
フェミニストの理想は男女対等ではなく・・・「男尊女卑?社会の中でマッチョ男を永遠に糾弾しつづけながら、男たちから養分を吸い続ける続けること。(長期安定)」なんだよな。
やつらは男の作った社会のお客様であり、「人間社会全体のシステム設計やインフラ設計」に関して将来自ら責任をとるなんて気持ちは全くない(自立心もない)。
また「いつまでも男の視線、抑圧を受け続けている女は永遠の被害者!」という立場も譲るつもりはないw。
「男の視線(抑圧!)にさらされない女」にはなりたくないというのが本音・・・というか丸見えだけどねw
あと「女は被害者」という役回りをきっちり演じさせてくれるのはマッチョ男なので、本当はマッチョが大好きなのは間違いない。(非モテとか弱々しい男は当然嫌悪)
自称フェミニストの99、9999%が男に「紳士的態度」を求めるのが良い例です。
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・・・しかしまあ、上記のように叩いてはみたけれども、
「会社の経営責任を取りたくない労組&組合員」と書けば弱弱男子にも気持ちはわかるw・・・せめて会社の経営維持責任は持つべきだな〜。
女が男に言う文句は、男が会社にいう文句に似ている。
欧州の工学専攻の学生は、制御システムを作るのにC言語を学ばないらしい。
Simulink等のモデリングツールで制御モデルを作って、コード生成や実装は単なる作業として行う。
C言語などの高水準言語のコードは読まない。コード生成ツールを信用しているからだ。
当然、低水準言語のコードも読まない。コンパイラを信用しているから。これは日本人も同じ。
かつてアセンブラ(低水準言語)で最適なコードや最速のコードを書いていた人達は、
必要無くても、全部じゃなくても、とりあえず中間コードに目を通す。
モデリングを始めた人も同じで、必要無くてもモデルから生成されたコードを読む。
何故読むのかと聞かれると、効率が悪い、想定したコードと違うなど、
最終的には「信用できないから」という結論になる。
でも根本的な理由は「習ったから」なのではないかと思う。
小中学生が良く「それは習っていないから」という理由を訴える。
逆にとらえると「自分が習った事」を自分の基準として捕えるという事ではないか。
繰り返すが、欧州の工学専攻の学生は、制御システムを作るのにC言語を学ばないらしい。
それが理由かどうかは分からないが、制御システムを考える環境はモデリング環境である。
トヨタ自動車が自動コード生成を使う事を発表してからもう5年以上経ったが、
日本の自動車業界の制御システム設計がモデリングを当たり前に使うようになったかというと、
間違いなくそうではない。
ハッシュといえば昔から
cryptと決まっているし
新しくてもMD5かSHA-1か512だろ?それ以外は互換性の理由からそれこそ使わない。
問題はハッシュアルゴリズムじゃなくて、ソルトの生成アルゴリズムだけど、普通ソルトはシステム一律な事が多い。
もし、巻き取りがうまくできないとしたら、そりゃ、ハッシュ化されていればなんでもいいと思っている、そのシステム設計者が平文設計と同じぐらい知識が無いんだろ。
ユーザーデーターベスの以降なんて、ハッシュアルゴリズムの欄を1つ作っておくだけで十分終わる。
聞き方を変えれば、cryptかMD5かSHA以外のハッシュアルゴリズムなんて使うのか?せいぜい、ソルトぐらいだろ?差分なんて
システム設計という仕事は、いつからクライアント・プログラマー間で行われる伝言ゲームの伝言係になったのか。
何か俺必要ないよなー、お前らで勝手にやってくれよって気持ちになる。
今のこの案件、どうしてやる気を失ってしまったんだろう、やっぱり画面設計とシステム設計が切り離されて、裏側の動作無視して画面やデザインばっかりが進むようになったからかな。
それで俺が「なんだよこのアイコン、そんな機能聞いてないよちゃんと説明しろよ」と何度も言うことになり、じゃあお前らがプログラマーに指示出しすりゃあいいじゃん、って思うようになってしまった。
それでも「お前が望んだプログラマーだろ」って請負という名目の派遣(笑)プログラマー押し付けられて、俺はろくに使ってもいないのに「○○さん明日半日借りていいですか?」とか俺に断られてもなぁー。
その人の書いたソースコードも結局俺が直しちゃうし、なんつーんだろ、俺のやる気のなさがすべて原因なんだけれど、やっぱりやる気を削がれたってのは俺以外も悪いと思うのよ。
そもそも、案件のキックオフの時点で「システム設計は△△さん、画面設計は××さんで」とかいう話が出た時点で俺のやる気はゼロになっていたのかも。あれ、それ両方とも俺じゃなくて、そもそもシステム設計なんてできない人と社内でもそんなに評価の高くない××さんでいいの?え?それ両方とも俺がやるから俺がこの案件に必要だ、会社に残ってくれ!って話なんじゃなかったっけ。それが、プログラマーって(笑)
結局細かな動作仕様について「これどうしましょう、あれどうしましょう」って話が俺のところに飛んでくるだけで、他はなんか俺の知らないところで決まってばっかり。
「やる気がないならやめちまえ」
はてなの気持ち悪さは、メタに更にメタにとどんどん逃げていけるような設計、直接対決の緊張感を常にガス抜きさせることを可能にするシステム設計にある。
キーワードで議論っぽくなると、id pageに逃げ、更には、☆、☆引用部、☆コメ…どんどんコミュニケーションがメタ化していく。
同じつぶやきサービスでもTwitterの@と比べると、違いがよくわかる。
はてブの構造も同じ。自分のダイアリに書いて、トラバなどで正面から議論するのではなく、ブコメで一言バカにして終わり。ブコメなんて一言しか書けないんだから、内容に対して大してつっこまれることも少ないし、ガチな反論されることも少ない。そこで更に旗色が悪くなれば更にメタブタワーも可能、と。
そんな風にコミュニケーションにおいて対立し、極度の緊張が発生した時、逃げる道を一杯用意してくれてるのが、はてな。
「悲しい時や苦しい時はメタな視点を持てば良い」んだもん。確かにメタに逃げると、楽になるのは事実w
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081223/1230031157
ここで言っとくがメタな視点が常に悪いわけではない。メタな視点を持った上で、新たな議論が生まれうることはある。が、はてなにおいてはそれは難しい。ブコメ、☆、☆コメ、などなどレイヤーの違うコミュニケーションが同時に複数存在するし、何がなんだかわかんないもん。反論するの面倒になっちゃう。発言してるレイヤーが違うから。←はてブに対する反論のコストが高いって誰かが言ってたのはそういうことでしょ。
トラックバックや直接メッセージ(メールなど)まではいかない「集団間でのゆるういつながり」を可能にしてくれているといえば聞こえはいいけど、直接喧嘩はしない(できない)けど、遠くから聞こえるように陰口を言うことを可能にしてるだけとも言える。
いかに傷つかないで傷つけることができるか。「議論」というがっつり組まなければいけないコミュニケーションのフィールドに乗らずに、いかに、場外から、もっともらしいことだけ言い逃げできるか。そういうことを可能にしたいという夢を叶えるのが、はてなのサービス群(特に、ブコメ、☆、☆コメ、ハイク)。
「私男運が悪いんだよねー」という女性は、大抵の場合単に《オトコを見る目がない》。
「どうも人生ツイてないんすよー」という男性は、大抵の場合《総体で見て利用者側が搾取されるシステム》のギャンブルにハマってたりする。
「ああツイてない!」と悲観する受験生は大抵の場合単に《勉強不足》で、
「最後の望み」をかけて《宝くじ》を買う人は悲嘆にくれることになる。
そんなの当たり前のことなのに、どうしてそんなことで悲しめるのかよく分からない。そんなことが世の中には沢山あるみたいだ。
……けど、それは視点が違うからなんだろう。ちょっとした「気づき」を失うだけで、私たちは簡単にそんな誤謬に陥るのだろう。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/193を読んで思ったけど、
「運がよいアポロ」とは、言い換えれば「ボロがあり、余剰のあるアポロ」だった。「事故を起こした(ボロ)けど生還できた(余剰)」というだけのことだ。
「運の悪いシャトル」は「それなりの性能で、余剰がない」システムだった。「事故を起こした(それなり)し生還出来なかった(余剰がない)」ということ。
別に何の不思議もない。自分の作った物に対して謙虚で「余剰」の価値が分かってる人の作ったシステムはタフで、自分の作った物に対して自信過剰な人は「余剰」の価値に気づけないから脆弱なシステム設計をしがちだ。それは「運」とかいう神秘ではなく、ただの現実だ。
対人関係で言えば、自己に謙虚で余裕のある人の周りには能力のある人が集まり、逆からは離れていく。「腕が良いのに病棟が荒れる/腕が悪くても病棟が荒れない」という現実もそこから起こる。自分が失敗をする前提でシステム設計する人は、自然と「周囲が余剰となってフォローするシステム」を築き上げることを知ってるから、ミスが起きても破綻させなくて済む。そこには何の神秘もない。ただ現実があるだけだ。
自分を過信するせいで、人は安易に「神秘」を信じてしまう。「運」とは「人間にできる『あらゆる努力』を払った上でなお届かない何か」だけにつける名称であるべきだ。人間にできる『あらゆる努力』の範囲は、思っているより相当広い。
入社3年目のシステムエンジニアです。
私の給料は大卒としてはごく普通の金額ですが、月の売単価はやたらと高く設定されています。
そして先日お客さんから以下のような指摘をもらいました。
「単価の高いエンジニアがコード書くのはやめて、要件定義やシステム設計など、より上流工程に従事して欲しい。」
お客さんからの要件をどういうアーキテクチャでどう実現するか、
その方法が分かる人だけができる仕事です。
私にはまだその仕事をきちんとこなせる気がしません。
実際には、請け負う側としては身内の単価を上げたいのが本音なので、
プログラミングもできないし、DBの物理設計もやったことないような人にいきなり客先へ行かせたり
設計をさせることがよくあるようです。特に元請けの会社では多く、事実私の会社もそうです。
確かに同じ給料でも単価の低いプログラマーではなく、上流のSEとして働いてもらうほうが会社は儲かるんですよね。
お客さんの要求と会社のこのようなやり方が一見マッチしています。
ですが当然ろくな仕事ができるわけないので、何を根拠にしたのか分からない適当な見積もりで、
これくらいで作ってほしいと言われます。結果赤字プロジェクトを量産しています。
お客さんには高い単価を払わせています。
そのツケは結局お客さんのところにまわっていきます。
製造は月単価40〜50万の外部に依頼するか、もっと安くしたいときはオフショアします。
いろんな意味で難易度としては高いのではないかと思います。
でもプログラマーの単価は低く、フェアではない取引が成り立っています。
入社3年目にして、この様な業界の現状に憤っています。
ソフトウェアの開発にこれからも携わっていきたいし、できれば社内の人間から考え方を変えていきたい。
どうすれば人月計算はなくなりますか。
このままなくならないとしても、どうすればこういった歪みはなくなりますか。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
6年目のPGだ。
数年前異動してSEのAの下についた。
Aは私の上席者だが上司ではない。
AはSEとしては二流もいいとこでシステム設計書は読めたものではなかった。
当然だが文句を言ったんだ。そして口論になった。
結局その時は外見だけ設計書にあわせてあとは自分でなんとかした。
Aはその次の年に異動になった。
あぁ、楽になった。そう思った。
しかし今年、Aは帰ってきた。しかも自分の上司としてだ。
そう思った。
しかし違ったんだ。彼は管理職としてはとても優秀だったんだ。
ずっとなぁなぁでやってたチームだったが、彼がきてから全てが変わった。
ちゃんと管理をする管理職なんて本当にはじめて見た!
・・・私はどうしたらいい?
そして、それを改修するという気持ちの悪い作業も嫌いだ
「給料分働かどうか」ということが問題なのではなく、現場の人間が肌で感じる不合理が意志決定にフィードバックされていないということであり、それは単なるシステム設計の失敗(あるいは運用の不具合)という問題では。
元増田の提言はそれなりに論理的なので、問題は、その提言が費用対効果を満たしているかとか客からの納期要求を満たしているかとか、そういう部分のはず。そこをきちんと詰め切れない上司に能力が欠けていると思います。「無意味な労働」を「精神論でやり抜く」のが仕事だ、という前世紀的労働観を個人が持つのは別に自由ですが、会社全体として持つのはいかがなものか。
ヨコレス。
アカウント名を他人に知られることは別に危険ではない。"ID"と"パスワード"で2元的に管理してるだろ?パスワードが容易に推測できる場合が問題なだけ。誤ったセキュリティ知識で無用な不安を煽るな。
そんなことねぇだろ。
アカウントを隠蔽するのは比較的基本レベルに分類されるレベルの常識じゃないのか?
オンラインゲームなんかでは数年前までそういうパケットレベルでもID漏れてるのも多かったけど、
逆にIDもらしたりするシステムは相当叩かれるようになってるぞ。
アカウントハックすることによって蒙る損害が大きいものは大抵IDも外に出さないよ。
Yahooですら、変えられるようになったし。
特にはてななんかはポイントが有価値なんだから本当はIDも隠蔽すべきだとおもうけどね。
だが、その抜けた感じがいい!
お前らのその「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な責任回避が気に入らない。明確に「初心者はインジェクションとセキュリティアップデートくらいは覚えてからサービス公開しましょうね」って言うのは、簡単な事だと思うんだけど、何で誰も言わないんだろう。
あと何を知ったかぶりたいのか知らないけど、その程度で「構造的脆弱性」とか「システム設計(笑)がいかに適当か」って言われてもなー(w はぁそうですかとしか言いようが無い。ヤンキー崇拝乙。
もうひとつ
はてなに登録する際、アカウント名を普段他のサービスでも利用しているものにして、アカウント作成後に突如アカウント名がユーザ名として表示されたことに驚愕したユーザもいるのではないかと思う。
別に驚かねーよ。アカウント名を他人に知られることは別に危険ではない。"ID"と"パスワード"で2元的に管理してるだろ?パスワードが容易に推測できる場合が問題なだけ。誤ったセキュリティ知識で無用な不安を煽るな。お前のような奴がマスコミで平気な顔してウソ情報で消費者を煽るんだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20080130215148
ほんとほんと。
そのユーザが最後にはてなを利用した時期がおおむね把握できる。
はてなはidとpasswordが同じアカウントを作成可能なので、取得したリストをidをpasswordとしてログインすることで数%のアカウントがログイン可能になる。これはjoeアカウントといってクラッキングの基本中の基本だ。これははてなのシステム設計がいかに適当かという部分で、
という、最低な仕様になっている。
はてなに登録する際、アカウント名を普段他のサービスでも利用しているものにして、アカウント作成後に突如アカウント名がユーザ名として表示されたことに驚愕したユーザもいるのではないかと思う。
そうして取得したjoeアカウントかつおそらく放置されているであろうものは利用し放題である。
これに気づいたのはもう数年前だけど、そのときにはてなにメールしたりしたが完全放置である。
アメリカの工業デザインでは「フールプルーフ」というものが重視される。
「fool proof」のとおり、バカでも使える、バカでも甚大な事故を起こさないための工夫である。
アメリカというのは一握りの天才が、大多数のバカでも運用できるシステムを構築することで工業を支えてきた。
日本の場合「これに触ると危なくて死んじゃうから触らないでね!」を徹底する。
アメリカは「これに触りまくっても死なないようにしよう」とする。この差は大きい。
はてなは「危ないパスワードは設定しないでね」というスタンスをとった。
はてなは初心者じゃないし、どうでもいいデータを扱ってるわけでもないんだからそのくらいなんとかしろ。
多分情報自体はもういろんなクラッカーに何度も盗まれてるはずだ。騒ぎになってないだけで。
騒ぎにならないとわからないのか?
よくわかんないんだけど鬱っぽい。
これは鬱なのかそれともただ単にやる気の問題なのかもしれないけど、よくわかんなくなった。
俺、26歳男。
高卒なんだけど運良く大手電機メーカーに潜りこんでシステム設計やってる。年収は400万ぐらい。残業は月平均40hぐらいで、たまに80hぐらいとか。基本的にサービス残業はなし。残業やった分だけ給料に入る。フレックス勤務なので毎日11時頃に出社して、終電とかで帰る生活をしてる。フレックスというかズレ勤だと上司からは評判悪いけど。そろそろ入社10年にも手が届きそうになったので、色々と頼りにもされるようになった。
去年の夏頃に結婚したが、まだ子供は作る計画にない。自分も嫁さんもまだ子供だと思うから。最近ようやく作ろうかなぁとか思ってる。
嫁さんの実家が土地持ちで、そろそろ二世帯住宅建てようかと話を進めている。このまま行くとマスオさん状態になる。嫁実家との仲はよいので、俺も賛成というか、嫁さんだけが嫌がってて俺が説得したわけだが。
で、自分でも恵まれてるなぁとは思うし、幸せなんだけど、自堕落な性格を直せずに困っている。
まず、仕事とかやる気がなくて1日のうち6割ぐらいがインターネットやってる。
でも最近はインターネットにも飽きてきたんだけど、どうにも仕事に身が入らない。
次に、絶望的に朝起きれない。一時期ネトゲにはまってた時期があり、そのときは会社クビになるんじゃないかと自分でも思ったんだけど、会社の人間からは鬱になったと思われてたようで、ボーナスの査定も特にさがらず、ちょっと病院にいった方がいいんじゃないかと心配されたりした。
今はもうネトゲやってないんだけど、とにかく朝起きれない。朝起きれたとしても、1時間ぐらい家でボーっとしてる。
重い腰を上げて仕事にいくんだけど、会社の前にあるコンビニで立ち読みをはじめて有給休暇をとったりもする。
なんかくだらない話なのに長くなった。
まとめると、仕事も私生活も幸せなんだけど、自堕落で仕方ない。どうすればいいんだこれ。。。
でも、設計とかやる能力も全くない人でなければ言えないことを書いてる。
理論や数式レベルならば無限のリソースを期待できるけど、実装というのは有限のリソースでやらねばならないし、インタフェースをつけて「もの」にする時には、使う側のアクセシビリティや安全性などを考えた仕様を出せる能力がなければ、いくら実装は他人任せでいい立場でもその理論はまったく使い物にならない、せっかく実装して「もらって」も、ゴミ箱に捨てられるだけで終わる。
何かを作るとき、例えばコンピュータのソフトなりハードなりシステムなりを作るためには、実は情報工学の理論力とか本領の理論力とかが必要な部分って、極めて小さいです。
それ以上に、工学全般に対する基礎的な思考能力とか理論から現物に落として使ってもらう時に出てくる色々な影響を考慮できる視野の広さや洞察力が重要になります。
こればかしは、なんぼエリートな教育を受けても、それだけでは身につかないのよね。
関わる分野に対する実務経験とか一の失敗から沢山の十の対策や教訓を見出そうとするだけの貪欲さ、そういったものの蓄積が左右するのよね。
ま、私も通信系の特殊法人(今は民間企業になってるか)の研究所さんとやらから某大手企業に下りてきた仕様を基にした大規模なシステムのUI部分のコードを書く、もろ「コーダ」なプログラマの仕事やるハメになったことありますけどね。
その時、余りにインタフェースの方向から見た場合のシステム設計全体がタコ過ぎて、こりゃ、使えない。っつーか、二三年でObsoleteに絶対になる要素や安定性をスポイルする要素がシステムの全てのパートにある。と言うトンでもない物でしたけどね。
まぁ、その仕事自体はノルマ分上げてとっとと別の仕事やったので、私が関わったプロトタイプが実際に稼働可能な所までチューンで着たのか、それともプロジェクト自体が放棄されたのか、どうなったのか分かりませんけどね。
文句なんぼでも言いたかったし、システム設計初の段階でダメ出しとパッチをいくらでも出したくなるような仕事でしたが、偽装請負の曾孫請けのプログラマごときからは、元請けの某大手企業の担当者にすら意見できなかった訳でして。
結局、こういう傲慢で身の程知らずの人たちが、あの手のタコ過ぎるシステムとかの設計とか仕様出しを現場を知らないでやってる場合が余りに多いから、日本の情報工学だけでなくて工業全体が地盤沈下していく訳なんですが…悪いけど、こういう類の人がのさばってる間は、日本の情報産業はインドやアメリカはもちろん、中国や北朝鮮にすら勝ち目がないでしょうね。