はてなキーワード: 明朝体とは
これは結構あるかも。別トラバのドデカ明朝体とかも、アニメとは関係ない文脈でかっこいいものとして扱われていた。
ドデカ明朝体の使用(これは当時エヴァに何の関係もないサブカルやオタク色すらないテレビ番組や雑誌すら模倣しまくってた)、衒学的な神話や哲学用語の使い方(本屋にエヴァの引用元を集めたコーナーがあった)、上手いアニメーターには手間のかかるアクションカットをひとつ任せるよりも止め絵を一杯やってもらった方がクオリティアップに繋がるという庵野秀明の計算から生まれた特徴的な静と動の絵作り。まあどれもトップやナディア終盤でもやってるけどね
他の人も言ってるけどオタクメディア以外も騒いでいたというのが本当に異様な空気を醸成していた
自分はエヴァのTVシリーズ第1話から録画していて、最終2話には驚いたし、セガサターンのエヴァのゲームもやったし、スキゾ&パラノなどの関連本を読み込んだし、それでDAICONアニメまで過去作を振り返ったし、もちろん新劇場版も4作全部初日に見に行ったクチなんだけど、まあそうやって26年エヴァ追い駆けた末にシンエヴァ見終わった感想としては、「やっぱ俺はガンダムだな~」だった。セラムンと並んでVガンもエヴァに露骨に影響与えてるから機会があったら見ると良いよ
先に書いておくけどこれ怪文書ね
・書き方がプロっぽい
キャラがぶち抜いてある箇所やコマに囲まれていない箇所、吹き出しがコマを跨いでいる箇所など、心得のない者が描けるコマ割りではないように思える。また、波や車、建物など、素材を使用したと思しき箇所もあり小慣れ感がある。
お気持ち漫画や体験談漫画のセリフって自分が見たことのある中だとデフォルト選択か何かの適当なフォントか手書きが多かったけど、今回のこの漫画はイワタアンチック体Bという有料フォントが使用されている(おそらく)。ただし、クリスタ付属ではある。(このフォントは、かな/カナが明朝体で漢字がゴシック体で構成された、漫画のセリフ用に体裁が整えられたフォントである。一定の知識や経験がなければ漫画のセリフに使用されているフォントはひらがなと漢字で形が違うなーとは気づかないのでは……)
要は一個人の体験談漫画にしては体裁が整いすぎてるんだよね(まぁ二桁以上の数字の扱いとか雑なところは見受けられるが)
この漫画用に別アカウントをこさえたという見方もできるが……。ここまでの本職感でTwitterをやっていないというのは違和感(偏見)。本垢への誘導もなし。漫画を描ける人が体験談を漫画にして投稿する時こんなにも個を隠すものなのか?
アカウント名で検索すると2020年2月に作成されそのまま放置されたと思われる同名アカウントが出てくるんだが、その他に同名アカウントはなし。こんな偶然ってあるのか?
・はてブで46ユーザー時点で表示不可ユーザー43だったという指摘が入っている
おわり
子供の頃から絵が下手で、中学三年間は課題が完成しないとか、テストの配点の半分が実技だったりとかで、他の科目は五段階でいつも4〜5取れてるのに美術だけ常に2みたいな感じだった
特にクロッキーとかデッサンとか風景画とか、立体を絵にするタイプの絵は何から手をつけたら良いのかわからなくて目印の十字とかを描いたとこで手が止まる感じ
アニメや漫画の平面的な絵をそっくりそのまま写して描くとか、写真に撮られた動植物を同じように紙に写して描くとかはできるから2Dから2Dは多少できるんだと思うけど、アレンジしたりとかは一切できない
大袈裟に例えると、正面向いてにっこり眉毛に黒豆の目のアンパンマンは見本があれば描けるけど、それを少し変えて目もにっこりにしようとするとバランスがおかしくてアンパンマンじゃなくなる、みたいな感じ
これも、風景写真になってくると目で見てる時と同じように、何をどうしたら絵にできるのかわからない
レタリング?カリグラフィ?の単元だけはすごい楽しかったし、美術以外だと習字も苦手だったんだけど、明朝体というフォント知ってからは多少見られる字が書けるようになった気がする
図録に載ってた植物わ元にしたスクラッチアートとか、独自にパターン模様を作るっていう課題も一応完成した記憶あるし、後者のやつはしばらくハマって家でもやってたから、デザインとかそういうのは好きなんだと思う
今の仕事上でデザイン能力が必要になることはないし、せいぜいか資料の配色や配置バランスくらいだけどそこは苦手意識もない
それでも絵が描けないのがこの歳になっても地味にコンプレックスで時々思い出してはなんて私は絵が下手なんだろうって思う
絵が下手、って検索すると出てくる「発達障害の特徴の一つとして空間把握能力が低い」とか「発達性協調運動障害」とか、なるほど当てはまる…と思う部分もなくは無いけど、美術の授業のある学生時代ならまだしも、今のところ生活上で困ってるわけじゃないし、飲んだら絵が上手くなる薬が貰えるわけでもないしな
今から習って直るもんなのかこれ
習うとして何をどこで習えば良いんだろ
何より下手だし、中途半端な丸文字とミミズ文字のミックスみたいな感じで大変見苦しいと思う。自分でも読めない時がある。
今までも、「自分の字って子供っぽくてカッコ悪いな〜」と思ってたけど、昨日何気なく、Tカードの裏に書いてある自分の署名と、店員さんが書いた有効期限の文字を見比べて、すごいガッカリした。自分の字きったねぇ〜!ヘタクソ!
なんかこう、何気ないメモとか板書したノートとかでも、キッチリ整ったきれいな字の人いるじゃん。ササーっと書いてるのに整っている。すごい。
私は罫線のない紙に横書きしたら文字の中心が揃わずにデコボコするし、縦書きだとどんどん斜めになっていく。
「さ」とか「き」は繋げて書いてしまうし、「す」「お」「む」は横線を書いた後に一筆で縦の線も書く。分かりづらいけど伝わってくれ。
多分私の字の汚さの原因は小学生の時まで遡る。私の母や先生は、漢字ドリルのやり方にとても厳しかった。ドリルに書いてある熟語とかをノートに写す時、なんかもうまどろっこしいほどゆっくり丁寧に書かされた。(大人のせいだと言いたい訳ではなく、私がせっかちすぎてそう感じていただけである)
それがもう、当時小学生の私にはとても苦痛だった。たかが漢字2文字書くのに時間かけて、お手本通り書けなければやり直し、書き順間違えてもやり直し。
そこで、根性や忍耐力が身について「字を書く時は丁寧に!」という心が芽生えれば違う人生を歩んでいたのかもしれないが、私は基本的にせっかちで飽きっぽい性格だったので、次第に適当に、なんなら字を書くのも嫌いになっていった。
そして、漢字ドリル提出のたびに、習字の授業のたびに、夏休み冬休みの習字の課題のたびに、周りと比べて字が下手なのを実感してさらに字を書くのが嫌いになるという悪循環。
ちゃんと丁寧に習った漢字を練習して、根気強く書く習慣をつけていればこのようなコンプレックスを抱くこともなかったのだろうが、無理だった。漢字練習よりも読書がしたかった。
一応美的センスはある(つもり)なので、レタリングの技法を使えば美しい字は書ける。でも日常生活で字を書くのにいちいちそんなことやってられん。だいいちそれは私の字ではなく明朝体とかゴシック体だ。
少し前まで「紙媒体」と「web公開」の二つにこれと言った価値の違いを感じられなかった。
すぐに見てもらえる手っ取り早い方法はweb公開だし、「沢山の人に見てほしい」って想いもweb公開の方が叶いやすいよな?って思ってた。
でも作ってみて知ったんだ。
お金を使う時はその金額と手に入るものの価値を天秤にかけて、じっくり考えて何度も自問自答してから答えを出す。
それに加えて「紙媒体」に特別な価値を感じていなかったから、自費出版って行為は完全に自分とは別世界のものだったんだ。
あとは入稿とか搬入とかそういうの大変そう、よく分かんないって思ってて、それも手が伸びない要因だった。
でもある時、ある人から「本が欲しいです」って言葉をもらったんだ。しかも既にweb公開してるヤツの。
なんで!?って思った。不思議だった。だって無料で読めるものをなんでわざわざお金払って…!?って。
その人はこんなことも言ってくれた。
「この作品は本がすごく似合うだろうなって」
「紙を捲って読みたいんですよね」
よく分かんないけど、体中に電気がビリビリ流れるみたいな衝撃があった。よく分かんないのに、もう、私はその時、信じられないくらい嬉しかったんだ。
こんなことも言われた。
その言葉がずっと忘れられなくて、だから私はメチャクチャ勇気を振り絞って本を作ってみようと思い立ったんだ。
せっかくだから中身はまるきりの新作にした。
本って形が似合うお話を作ろうと思って意気込んだ。
あと、素敵な言葉をくれたあの人への「ありがとう」を「丸ごと書き下ろし」に代えて贈りたいって気持ちもあった。
どれくらい売れるか分かんないのに印刷費用を全部自分で出すってのが、本当に本当に怖かった。丸ごと赤字になったらどうしよう、だってこの金があったら一体なにが買える?回る寿司とか出前とか何回利用できる?そんなことばかりが脳内を占めていた。生粋のケチだ。
部数もどうしたら良いか分からんし値段設定もよく分からん。悩みに悩んで、その結果初めての本は「部数は弱気・値段はほんのり強気」って感じで舵を取った。
入稿までスマホ一台で全部やった。カバー付きの文庫本だ。本にするなら文庫サイズがいいなってずっと思ってたんだ。文庫大好き。
本文はAの会社、カラーカバーはBの会社に印刷を依頼した。そのやり方が調べた中で一番安かった。もちろん最安の早割にした。少しでも赤字を抑えたかった。
本文をpdf化してくれる無料のサービスもあったし、表紙はフリー素材のサイトからイケてる好みの写真を選んで使った。(無料とかフリーって言葉が大好きだ。ケチだから)
表紙の入稿は三回くらい不備を出しちゃって印刷会社Bさんに多大な迷惑をかけてしまったけど、とにもかくにも、そんなこんなで、本体とカバーがそれぞれ自宅に届いた。
………感動した。感動してしまった。
表紙に自分のつけたタイトルが印字されてる。中を開いたら自分の書いた文が明朝体でかっこよく印刷されてる。
紛れもなく、本だ。
なんだこれは。
なんだこれは!!!!!
初めて作った本、不備も幾度となく出したし誤字もメッチャあったけど、それでも、心から大好きだって思えた。愛しかった。誇らしかった。直接触ることのできる紛れもない宝物だと思った。
その時、あの人がくれた言葉を鮮明に思い出したんだ。
「本が欲しいです」
そうか、本にするということは、
触ることができるんだ。確かな重みがあるんだ。確かに存在してるんだ。愛しいと思いながらギュッと抱きしめることができるんだ。
このことに気付けたのがすごく大きな財産になった。一冊も売れなくて丸ごと赤字だったとしても、それは赤字なんかじゃない。素敵な価値観を印刷費というお金で知ることができたんだな、私は。
でもそうは言っても売れてくれとは思った。ケチなので。
カバー巻きという楽しい内職を終わらせ、初頒布のイベント当日。
……本、メチャクチャ買ってもらえた。生涯忘れないと思う。人生トップ3に入るくらい嬉しい出来事だ。
あの人が言ってたweb公開済のお話も本にしようと思い立った。全部で300ページで、その中の100ページは書き下ろしにした。
これも胸を張れる大好きな一冊になった。自分が作った本の中でこれが一番分厚い。背表紙の厚みがすごい。
あの人は数日後、通販で買ってくれた。
全部全部嬉しくて幸せで、伝えたかった「ありがとう」は何十倍も大きくなった。
五冊とも全部愛しくて誇らしくて大好き。作って良かった。本を作るという喜びに出会えて本当に本当に良かった。
出会わせてくれたあの人には今もずっと感謝してる。一回だけメールで感謝を伝えた。超重たい超長文になってしまった。
何度も言うのはしつこいし重たいし、もうさすがに言葉にしてはないけど、これから先もずっとずっと「ありがとう」って思い続けると思う。
本当にありがとう。
あああああ…すぎる、ありすぎる…
身に覚えがありすぎるよぉぉ…
さすが八百万の神がいる国、ニッポン。神の存在に慣れている。増やす事になんの違和感もない。一神教だったら神作家なんてなかった言葉かもしれない、ここに生まれてよかった
とりあえず神作家とは跪き崇めて奉る存在なのだ。エンペラーである。強者である。ああ意のままにしてください
お題サイトや写真素材サイトが流行りだし、簡素化した作りのサイトが増えた頃だった
真っ白な背景に神作家が描いたバナーのような小さな画像。シンプルなサイトだった。画像の下に二、三個のリンクがあり、そこから神のサイトの概要と作品と日記、リンク集に飛べるようになっていた
懐かしいが溢れ出して止まらない…相互リンクとか、今の若者知ってんの?大量すぎる○○同盟とか、GIFバナーとか、キリリクとか、コスプレサイトはめちゃくちゃ入り口厳しかったとか…ああああああ語彙失いそう
そんな懐かしい話は置いといて、神は本当に神だった
まず絵がヤバい。めちゃくちゃ上手いし色配置最高だしそもそもレベル高すぎて見てるだけで心がキュウ…ッとなる
文章もヤバい。語彙力消える。跡形もない。(白目)とかめちゃくちゃ打ちたくなるくらいヤバい。作品ごとに変える字体やカラー、そして大きすぎる明朝体のタイトルがスタートラインなのに私の心を掴んだ
神の文章もしかして聖書かなって思ってた。中学生だった私には神の存在という刺激が強すぎて、内容はほのぼの系がほとんどだったのに私の中の映倫が非公開を望むレベルだった
引き込まれる文章と鮮やかな描写、力強い絵、すべてが世界観をしっかりと作り上げていた
そんなに好きだったのに、私はその神のサイトを今は知らない
悲しいかな、高校生でオタクは恥ずかしいという気持ちでサイトを開かなくなり、そのうちにURLも何もかもなくし、同盟やランキングも404エラーになっていたのだ
ペンネームで検索したこともあったが名前がどこにでもいるようなものすぎて見つからなかった
私の中の綾城さん、今も神活動をしているだろうか
きっとまた探したとて見つからないだろう
でも、数年後きっと私は私の中の綾城さんをまた思い出すと思う
これは備忘録みたいなものなので無駄に長いし、文章もろくに推敲してないです。個人ブログでやれって話なんだけど、そういえばお盆も来月に近付いたな……と思ったら、公開される形式にしてみようかなとか気まぐれを起こしました。
今日仕事で役所に行ったんだけど、上司が知り合いに挨拶するとかいうから、行政資料センターみたいなところで時間を潰して待つことにした。
資格試験の願書とか、コロナ関係の補助金の申請書とか並んでるとこの奥に、背の高い本棚がズラーッと並んでて、所狭しとファイルやら冊子やらが詰め込んである。工事単価表とか、議会の議事録とか、「へ~」って思うけど別に手に取りたいとは思えないものが沢山あって、これを管理する仕事ってつまらなさそうだなとかちょっと失礼なこと考えたりしてた。
防災関係の棚のところに行って、ふと、そういえばうちのアパートって災害時どんな感じになるのかなと気になり避難マップを探した。最近雨凄いし、こわいなって。で、その書棚をふらふら探してたら、大きめのファイルがいくつも並んだ段の端っこに、古ぼけた薄い冊子を見つけた。ファイルが割と新品っぽかったから、余計にそのボロさが際立って見えた。それが、玄倉川水難事故の記録資料だった。
昨年、台風19号だったか、あるいは全然違う日の豪雨だったかで、やっぱり神奈川の西の方のどこかの川で事故があったと思う。そのときツイッターのTLが一斉にこの事故のことを呟いてたから、一度wikiで事故の記事を読んでみたことがある。読んでるうちに、こどもの頃テレビのワイドショーでそういうニュースを見たことがあるような……と淡い記憶も蘇ってきたし、流れでnaverまとめとか読んで(9月にサ終するそうで、残念だ)、「うわ~」って野次馬してた。だから馴染みがあるといったら変だけど、身近というか、ちょっと知識がある?みたいな変な自負みたいのがあって、興味本位で手に取った。
あんなセンセーショナルな事故の記録を、こんなとこにぽんと置いてあるんだ、という意外性みたいのもあったな。テレビで人間が濁流に飲み込まれる様子が生放送されるなんて、いまでは報道倫理的に考えられない事態だと思う。役所みたいなおカタい組織って、そういう刺激の強すぎるものは人目に晒したがらないというか、それこそ情報公開請求?とかしないと出してくれないのかなって勝手に思ってたんだよね。それが閲覧スペースに普通に置いてあったのが意外だった。
冊子には、事故現場がどんな地域だとか、上流にあったダムの概要だとかwikiにも掲載されてるような内容が、役所らしい淡々としたかたちで記録されてた。そういうのが続いて、ある頁からは、事故発生から遺体収容までの数日間役所のどの部署が何時何分何をしていて、どことどんな連携をした、みたいなことがズラズラズラーッと書き連ねてある。
これが、すごい細かい。警察と消防とダム管理者と危機対策本部と河川課?と~って、ほんとに登場人物ならぬ登場組織が山ほどある。その分単位の行動記録の随所随所に、更に細かい文字記録がある。元々防災部的なとこには実働機関がなかったから地域にある出張所が活躍したとか、ダムの放流を止める止めないの決断にはどんな意思決定があったのか、とか。
本当にモノを知らなくて恥ずかしいけど、さら~っとwiki流し読みしたときは、「人が取り残されてるのにどうしてダムの水放流しちゃったんだろ」とか「危ないんだったら警察沢山向かわせて実力行使で避難させればよかったのに」とか思ってたんだよね。でも、「放流を停止してダムが決壊した場合は川下にある小田原市全域に人的被害が見込まれた」「河川の私的利用を制限する根拠法令がなかった」みたいに全部全部理由があって、なんていうかそのことに凄くハッとした。
自分みたいな素人が考えることを、縦割り行政と揶揄されるほどまで業務を細分化してる役所の役人が考えないわけないんだよな。ダムを止めてやれないか、って検討するだろうし、危ないから避難させられないだろうか、って考えたんだと思う。当時現場に詰めてた人達はみんな、いま自分が安易に考えたようなことは当然検討した上で、「他の何万人もの市民を危険にさらすから駄目だ」「根拠法令のない私権制限は出来ない」って結論付けたんだろうな。
なんていうか、ほんとにこまごまと書いてあるんだよね。すごく淡々としてるんだよ。役所の文書だから事実の羅列ばっかりなんだけど、気付いたら熱心に読み込んでしまった。温度のない明朝体の退屈な文字列だと思ってたんだけど、読んでるうちに、自分たちがDQNって言ってた犠牲者たちのことを、この関係者たちは必死で助けようとしたんだな、ってことがわかってきた。
ワイドショーでは「地元の人が何回も注意した」とか、「お盆の悲劇!」みたいな視聴者の情緒を煽るというか、沢山の人が亡くなったことをネタにしてるような報道ばかりで(その犠牲者たちの言動がゴシップ的に取り上げられやすい属性だったのは、そうかもしれないが)、自分も昨年SNSで見た「DQNの川流れ」という揶揄を苦笑しつつも受け入れてしまっていた。いま考えてもあの犠牲者たちの行動が善良な市民のものだったとは思わないけど、でもそういう愚かなレジャー客のことも、これだけ沢山の人が助けようとしてくれたんだなと謎の感慨みたいなものが湧いた。
なるほど、これは玄倉川水難事故で犠牲者を出してしまった悔しさ(?)をバネに、次回以降の災害時対応に活かすための引継ぎ資料的なものなのかな~と思いながら、ぱらぱら捲っていった。
その最後に、当時レスキューに参加した消防関係者の寄稿みたいなものがあった。実際、テレビの中で土砂降りの中ロープを引いて河岸に待機していた、消防署の職員たちの手記だった。
目の前で四人が流された直後に、救命出来なかったという絶望に包まれたまま別の事故現場へ移動したことを書く方もいたし、世間から「なぜ助けられなかったのか」とバッシングを受けたことについて所感を綴った方もいた。実際にその瞬間、荒れ狂う河川敷で業務に従事していた救助隊員たちの声というのは、非常に生々しく、重たかった。かれらが一様に、助けられなかったことを心底残念がっているというのが、伝わってきた。
一歳の子どもの遺体だけが何日も見つからず、ひたすら川を捜索していた隊員の方が、「初日にオムツが二つ水面に浮いていたのを思い出して」、向かった場所の川底から、水の冷たさを訴えるような真っ白い肌をした赤ん坊の遺体が引き上げられたとき、咄嗟に川に飛び込んで泳いで行き、毛布で赤ん坊を抱き上げに行った、という記述を読んだとき、気が付いたら泣いてしまっていた。
玄倉川水難事故、本当に愚かな事故だなという所感はいまでも変わらない。あの悲劇を避けるための分岐点は幾らでもあったのに、その場にいた大人たちはまったくその選択をしようとしなかった。犠牲者たちが悪いのだから死んで当然、というネットの意見も、割と共感する。傲慢な”DQN”のために、一億円以上の公費が投入されているし、その現場に駆け付けた関係者たちは、やはり苦い記憶としてこの事故を一生忘れられないのだと思う。まったくもって酷い事故だ。
だけど、そういうやばいやつらのことも、必死に助けようとした人たちがいて、同じようなことが起こったときちゃんと助けられるように備えないとと準備している組織がいるんだなと思ったら、日本ってまだまだ捨てたもんじゃないかなという気がした。
実際災害が起きたら、また「どうして助けられなかったんだ」って思うようなことって起こるだろうし、こんな記事書いてても自分や自分の家族が被害を受けたら「どうして助けてくれなかったんだ」って言っちゃうと思うけど。でも、ああいう事件事故の最前線にいる人たちが、皆が皆怠慢で、冷淡で、他人に無関心ってことは絶対にないなと思った。それって、すごく幸福なことだと思う。
来月はお盆があり、連休がある。コロナで外出自粛だけど、GoToもあるから、割とレジャーを検討してる人も多いんじゃないだろうか。自分は感染症について何の知見もないから「出掛けちゃいけないと思う」とか言えないけど、この記事を読んだ人がいたら、「事故に気を付けよう」「天気予報とか災害情報とかチェックしよう」みたいに思ってくれたらいいな、と思った。
いつも使っている東京メトロ有楽町線。駅にポスターが貼ってある。
ゲッツの人と、小島よしおが落ち着いたジャケット来て、真面目な顔したポスター。
「ピークを知る男。ダンディー坂野」と、冷静な明朝体で書いてある。
最初、何のことか分からなかったけど、この2人の共通点は、ピークを過ぎた男だと分かった時、深い、深すぎる、、、なるほど、これが「オフピークプロジェクト」か。。。と眩暈がした。
そのうえで、2人のよくポスターをよく見ると、その立ち姿、表情、洋服、背景、文字の配置、何もかもが、これが本当の職人の仕事かあ、と超久しぶりに感動した。
目立ってない。主張してない。わかった人だけ、ああ!!!と強烈に刺さってくる。
ぜひ、このポスターを見てほしい
今、ハチ公前に広告で『人間、まるだし。』って出てる。あれがなんだか、怖い。
明朝体が怖い。
線がほそーいやつ(リュウミンとか)はいいんだけど、問題は太いやつ。それがドンッと大きく出てるようなやつ。
さらにそれが黒背景白文字とか、白背景黒文字とかだとさらに怖い。
怖いフォントといえば古印体とか(『世にも奇妙な物語』とかのアレ、線が所々消えかかりそうになってるやつ)が出てくるけど、明朝体は有無を言わさぬ圧迫感があって違う意味で怖い。
元はといえば、『さよならを教えて』というエロゲーがきっかけだったような気もする。あれ、ゲームタイトルのロゴとかキャッチコピーが太字の明朝だった。ゲームの雰囲気とも相まって、その明朝体の文字自体が殺伐としているというか、恐怖感がというか未だに怖くてプレイできてない。
「怖い」と思わせて頭にその情報がはっきり刻み込まれてるだけ、広告としては成功なのかもしれないけど。そんなことに乗せられているのはなんだか悔しい。けど怖い。
東京国立博物館 平成館で開催中の特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」に先週行きました。
目玉となっている顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は平日午後で、30分待ちでした。
入口の券売機コーナーに待ち時間が表示されていますので、心構えを持って行列に臨むことができます。
これは祭姪文稿に限らない注意点なのですが、展示物は小さいものが多いです。
現代書道では畳の大きさである全紙、それを縦半分にした半切、のような大きな紙を使用しそれに大きな字を書くことが多いかと。
展示されている古い作品は、小学校の習字で使う半紙を横にしたようなサイズ。それが横につないであります。
日本でも昔の巻物はそんなサイズですよね。その縦のサイズに字が12~15文字記されております。大体のサイズ感はお分かりいただけますでしょうか。
祭姪文稿全体は、横2メートルほどあるでしょうか。しかし、メインは半紙(横長)×2ぐらいです。
残りはこれを手に入れた歴代の所有者のコメントやらハンコやらで埋まっています。
歴史的に有名な作品にたくさん付いてくるこのおまけは「千社札みたいなもの」と聞いたことがあります。
お宝を手に入れたら、何かしら自分の足跡を残さずにはいられないということでしょう。
長い長い待ち行列のあとにこれを拝むことができるわけですが、たくさんの人が並んでおりますので、立ち止まって鑑賞することは許されません。
立ち止まらないで見ると、本当に一瞥、ちょっとみた、という感じです。
祭姪文稿に特に思い入れのない人があれで感動するのは至難の業と思われます。
そのあとに祭姪文稿の拓本が展示されていますので、じっくり見たい方はそちらで。
拓本なので真筆と違い、墨、筆運びは感じ取れませんが。
PCモニタが大きい人は、公式サイトをPCで表示したほうが大きいサイズで見られるかもしれません。
ポスターが明朝体を使用していることを批判されているブコメを見ましたが、よく見ていただければ明朝体ではない、顔体に似たフォントであることがわかるかと思います。
展示パネルに、明朝体の大本は顔真卿の字体(顔体)という説明がありました。見間違う程度には似ているということでしょう。
顔真卿以前の欧陽詢、虞世南、褚遂良は、縦画・横画の線の太さが大きく異なりメリハリがあること、横画が右肩上がりで外形の角度が鋭角になり正方形、長方形ではなく菱形っぽくなる特徴があります。
癖のあるかっこよさ、というのでしょうか。
顔真卿の楷書は、縦画・横画の線の太さの違いが少ない、横画が水平に近く字の外形が正方形・長方形に近い、という特徴があります。大変にプレーンです。
欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿(だったと思う)の同じ字をモーフィングで写してどのように違うのかを見せてくれるモニタ展示があります。
字形の違いだけではなく、たった1字からその人の性格が透けて見えるような大変に面白い展示です。
王義之、欧陽詢をはじめ著名な人の作品にはキャライラストがついています。
本当にこんな顔だったの? 絵が残ってるの?と疑問が沸きますが、キャッチーではあります。
はっと気が付くと、顔真卿のキャラのポーズが違うのがいて二度驚きました。
「まだまだ北風です」「はじまりはいつも顔真卿」などキャッチフレーズがつけられている作品もあり、大変まじめでしっかりした展示であるにも関わらず、一生懸命キャッチーです。
拓本の展示が多く、これは当然本のサイズです。
しかし石碑全体の拓の展示もふんだんにあり、整然と統一された一面の書の美しさに圧倒されます。
メインは唐ですが、その後の時代も日本、中国できちんとフォローしている幅広い展示でした。
唐の玄宗皇帝、則天武后の書も展示されております。そんなに書を上達させる時間があったなら政治にもっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、と思わせる達筆です。
最澄の書が空海と並んで展示されているのはいわゆる公開処刑のように思われました。
唐に遣唐使として滞在していた折に、最澄が空海に代筆を頼んだ、というエピソードを読んだ覚えがあります。
本人も空海の書のほうが遥かに優れていると知っていたわけであえて並べて展示しなくても。
蘭亭序、孔子廟、九成宮をはじめ有名どころが勢ぞろいしていますので、書道に興味のある方は是非。
ただ展示数が多いので足早に見ても二時間半(祭姪文稿の待ち含め)かかります。
観覧者の7割は中華圏の方ですので、春節終わった後がいいかもしれません。
日本人観覧者より、中華圏観覧者の平均年齢は20以上若いと思われます。
20代のカップル、グループ、小学生ぐらいの親子連れもいます。
多少閲覧マナーがどうであれ、お若い方に観ていただくのはとてもいいことだと思います。
祭姪文稿の待ち行列で順番ぬかしを一度静止しましたが、二度目は見送りました。
そんなに焦っていっても、ちょっと見て終わりなんですけどね。