はてなキーワード: 夜の海とは
(ちょいと長めです)
友人夫婦の話。どこにも吐き出すところがなくて、ここに。
いや、いた、といった方が正確だ。
我が家に子どもができてからも、向こうに子どもができてからも数ヶ月に一回はお互いの家に泊まったりするくらいの仲の良さだった。
僕ら夫婦も友人が多いタイプではないので、ほぼ唯一と言える付き合いをしている友人だった。
旦那Aはそんなにテキパキ仕事ができるタイプではなかったが、顔立ちもよく、スポーツ万能で、場を和ませるチカラには長けているようなタイプだった。
奥さんのBは、とにかく可愛らしく、職場でも人気がある人だった。繊細で涙もろく、でも、真っ直ぐで芯がしっかりしていて、びっくりするほど字が綺麗だった。
いつでも、どんなときでもキレイな言葉を使う人で、男女問わず好かれていた。
感受性が豊かで、一度、みんなで夜の海を見に行った時に「夜の海が怖い。吸い込まれそうになるから・・・」と結構、本気で話していた事をよく覚えている。
Bもパートで仕事をしているにも関わらず、Aは家事を一切しないタイプだった。
基本的にBが家事の一切を引き受けているという平成らしからぬ家事分担には我々夫婦も若干眉をひそめていたが、そんなAには特技があった。
Aはとにかく子どもと遊ぶ天才にみえた。Bはそれをいつも微笑ましく、ニコニコとしながらみていた。
僕は子どもと遊ぶにしても、「あとの片付けが大変だよな…」とかいろいろなことを考えるとリミッターが外せない。
でも、Aは違ってた。
たとえば、家の階段(3階建て)に布団を敷きつめて滑り台を作ったり、みんなで泊まったホテルの部屋のベッドを横に立てて、その上を子どもたちを歩かせるような即席アスレチックをつくったり…例を挙げようとしてもキリがないが、それ以外にも、とにかく子どもと遊ぶことに全力を尽くしていて、Aも子どもたちと遊ぶ時はとても楽しそうにみえた。
ビデオゲームが大好きな我が家のインドアな息子も、彼のファンだった。
6歳の頃から、我が家の息子は「○○は、俺の親友だ」と憚りなくいっていた。
僕たち夫婦はAと会うと、リミッターが外れた遊び方には多少は疲れるけど、その一方で本当にありがたくも感じていた。
そんなAは、娘さん(言い忘れたが、彼には娘が二人いる)の幼稚園でもある種のヒーローのような存在だったようだ。
しかし、同時に僕は、彼からどこか危うさみたいなものを感じていた。
少し夫婦で込み入った話をすると、黙り込んだり、その場から立ち去ったりする。
一度、自室に戻って壁を殴って、穴を空けるというようなこともあったようだ。
(そのときのBは、「私の言い方が悪かったのかな…」と自責的で大変な落ち込みようだった)
そんなAB夫婦と、我々夫婦が距離があくキッカケになったのは、Aの浮気だ。
繊細なBがAのスマホに、浮気相手との動画をみつけてしまったのだ。
それもかなり強烈なヤツ。一個や二個じゃなくてかなりあったらしい。
まあ、細かい状況は省くが、それがあって、Aは失踪さながらに連絡を経ち、家を空けた。
「もう、Bの顔をみれない」「消えてなくなりたい」というような内容のLINEを残して。
もちろん、その後は連絡がとれなくなった。
私達夫婦はその話を聞き、「どうせすぐに出てくるよ」と、本当に呆れていたが、繊細なBは浮気のショックと失踪さながらの状況に半狂乱になっていた。
Bが電話をかけてきた時の様子は今でもよく憶えている。
「あの人、死んじゃうんじゃないか」
「パニックになりそう!」
ああ、人間はパニックになるとこういう風になるんだ、と思った。
(僕はどうせ漫画喫茶にでもいるだろうから「iPhoneを探す」で場所を割り出して、乗り込もうと思ったけど、さすがにGPSを切ったようでみつからなかった)
(みつけたところで、乗り込むのは刺激が強いだろうから避けるように言われただろうけど)
結局、数日で、Aはおめおめと出てきたのだが、
(レスだったらしい)
「Bにはなんとお詫びしたらいいか分からないけど、これからは全力で家族を守る」
とか、なんとかと話したらしい。
と、まあ、そこまでくらいは、あるいはよくある話のひとつなのかもしれないけど、これには続きがある。
AB夫婦とは連絡が取りづらいような感じが続いていたのだが、1年以上が経って、ようやくウチの妻がBと先日会った。
「最初は、Aが帰ってきてくれてよかったと思ってた。」
「だって死んじゃって、帰って来ないかもしれないと思ったから。」
「あとね、言ってなかったけど、Aの浮気と同時期に私の父親が脳梗塞とその後遺症に関連したウツ病が悪化して自殺したんだ」
「実は、その前に母親から「お父さんの様子がおかしいの」「ちょっと見に来てくれない?」と言われていた。私は、フラッシュバックもあって、激やせして…いけなかった」
「Aは外では、本当にいい父親をしているから、浮気の話は誰にも言えなかった。亡くなったお父さんの遺言も『家族4人で仲良くしてね』だった。Aの浮気の話は、母親にもいえない。本当に誰にもいってない」
「そしたら、お父さんは死んでしまった」
「この1年、ずっと、私のせいだと思ってた。私がお父さんのところに行けなかったからお父さんは死んだんだ、って。」
「…でも、違った。殺したのはA。私が行けなかったのは、アイツのせい…だから、アイツが殺したと思った。お父さんを殺したのは、アイツ。」
「そしたら、途端に憎くなった。心の底から。こんなに人を憎いと思ったのは初めて。」
「そんな彼を子どもたちは心の底から慕っている。家族も、親類も、友達も、みんな『Aと結婚してよかったね!』『理想のパパだよね!』っていう。憎い。本当に憎い。早く死んでほしい。」
「だから、私は誓ったの。私は人形になるって。何も感じない人形になる。彼の妻を完璧に全てをこなす。仕事も家庭も。」
「もちろん、セックスもしてるよ。ピルを飲んで週2回。ヤッてる最中も、ずっと、死ねって思ってるけどね」
「浮気相手を訴えようと思ったけど、音信不通になっちゃって…探偵を雇う余裕はないから、今は放っておいてる」
「こないだAがこういったの。『あんなことがあって、それでもよかったね。こうして、Bとのキズナも取り戻せたし』って。」
「心療内科の先生にも、『あなた、強すぎる。そんなことをやっているといつか壊れると思う』と言われた。でも、こうしていないと立っていられない」
僕は、怖いような、哀しいような、苦しいような、暗闇に突き落とされたような気持ちになった。
きっと、Bは、こんな色の世界の、それも、もっと深い穴の中にいるんだ。
僕は、居てもたってもいられず、とにかく、なんだかAの存在を消したくて、手元にある3DSからAのMiiを消した。
(任天堂 3DSデッドヒートブレイカーズにはMiiが出てくるんだ。なかなか、小気味よくて、前作より遊びやすいし、ジローはカッコイイ)
<追記>
もちろん、Aの浮気は本当。
その場にいって、状況を確認した友人もいる。
BはAと心を殺しながら、今も生活している。
「セックスが終わったときが一番ホッとする。『これで3日しなくていい』と思う」
「同じ空気を吸っているだけで吐き気がする」とも話していた様。
でも、Aは、きっと、本当に許されていると思っているんだと思う。
僕自身は、彼らの課題は、彼らに乗り越えてもらう他ないと思っている。
まあ、できることは実際なにもない。
なんか嫌い。臭そう。
なんでカタカナなんだろう。
2拍でこぶしを振ってみればわかるが、「まぁ」が邪魔で、次の「カー」がそれまでの「カー」と逆の拍になる。
もやっとする。
怖い。地球の大きさをまざまざと感じる。
「ででーぽっぽぽー」ってやつ。小さい頃はフクロウだと思ってた。
「ででー」でやめられるともやっとする。
字面が突き放した感じがして嫌い。
意味を調べてもさっぱり頭に入ってこない。
子供の誤射(?)防止には良いことなのだが、メーカーによってギミックが違って知恵の輪みたいになってる。
タバコ吸わない自分としては緊急度の高い時にしか使わないので余計イライラする。
辛いなら辛いではっきりして欲しい。
でも食べちゃう。
なんか字面が修飾過剰な感じがして嫌い。
嫌いなものって、探すと意外と無いもんだなぁ。
あなたもどうですか。
追記:
「ででーぽっぽぽー」は土鳩じゃないよ雉鳩だよ!の声を多数頂いたので調べました。
お詫びして訂正いたします。
あまりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。
もう本当に凄い。
クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。
もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。
何故ならこの映画は普段のディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様と王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説の勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから。
そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフルな気持ちにもなれるという普段のディズニーの看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉と入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである。
しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。
何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。
なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナと伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。
1.ストーリーがいい
すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。
確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである。
そういう面がモアナのわかりやすくキャッチーな面白さであることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽な描写を単なるパロディやギャグで終わらせない骨太なストーリー展開にある。
序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。
・村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女・モアナ。
・しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。
ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。
・しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。
・島の命が涸れていく――。
・異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。
・伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女に真実を語る。
・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所に封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分の運命。
・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命と先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!
そう、もう完全に少年漫画なのだ。ジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである。
何だったら船をロボットに置き換えても通じる。
飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋と運命。島に封印された兵器で世界を救う旅に出る少女。
まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。
俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである。
この時代にガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることなく王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。
それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。
そして二つ目のポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。
そうは言ってもディズニーで、一応プリンセスが主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。
自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまでファンの受け取り方次第である)
前年度のディズニー映画「ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。
一応に一応を重ねて今作のプリンス的立ち位置であるマウイというキャラクターは存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流は存在しない。
しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。
そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである。
恋愛的感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。
そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプルに恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれ、キャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。
独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点であると個人的には考えている。
3.単純な悪役のいる物語ではない
これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイントは独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。
さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすいヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である。
時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様なヴィランがディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語の最後には主人公達に打倒されるものでもある。
単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。
それをして作品に奥行きと考察の余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。
それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。
しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。
単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというものが存在しないのである。
確かにモアナの冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。
しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。
そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。
だからと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。
作品のテーマは最後まで一本筋の通ったものが存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである。
モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。
そして、この世界におけるこれまでのようなヴィランが体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。
モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。
だからこそ、明確なヴィランの存在しない物語というものが存在し得るのである。
そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。
何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである。
単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品は大事だし、素晴らしいこともわかる。
しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか。
さらに加えてこの作品はプリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。
物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなのである。
だからこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。
そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。
そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。
作為的な悪というものが存在しない点。それもまたこの作品における重要なオススメポイントとさせていただきたい。
これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。
そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧な絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーションで可能なのかと驚愕しきりの海の表現。
愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。
そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻な美術設定によって作られた変態改造船舶!
もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョなモアナの世界がスクリーンの向こうには広がっているのだ。
なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカいスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。
そのマッチョでマッハなアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。
特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対に劇場で見て欲しい。
そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。
5.挿入歌の使い方が最高
これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。
劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。
その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。
アナ雪で一番有名かつ作品のテーマソングともなっている「Let It Go」であるが、実は劇中での使用は一度のみなのである。
それもエルサが城から逃げ出して自身の能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。
対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。
そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。
この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。
そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。
作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。
そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。
切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。
更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。
そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。
特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。
とまあ、とにかくモアナの劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。
そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。
さて、以上が自分のモアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである。
いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品は面白かったのだ。
なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。
というか今すぐ観よう、今日のレイトショーで観よう、明日のレイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。
誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。
ただただあの優しくも熱い冒険の世界をまた味わいに行きたいからである。
そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。
純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。
いや、やはり最後にもう一度。
…
……
………
…………
……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。
6.特殊性癖
巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!
この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20161129030632
夜戦がめっちゃよかったです。
暗い劇場で、漆黒の海を表現するために、ぎりぎりの暗さで設定されたダークブルーは本当に夜の海らしかった。
その海を照らす、探照灯と照明弾!
ブラウザゲームの探照灯は、おもちゃっぽい演出でホントに効果あるの?って感じだったけど、
あと艦娘は全般的に、ブラウザゲームのキャラクタを2割増しで美化されてかっこよく描かれている気がしました。
最初の登場シーンで、あれ?彼女こんなにかっこよかったっけ?って思いましたもん。
ストーリーは、シリアスホラーバトルの王道路線で上手くまとめられていたと思います。
加賀さんはどうして明るく振る舞えないのか?という疑問への答えもでて良かった。
とりあえずこんな感想。
性の芽生えというか、性交の本当の姿を知ったのは高校一年生の頃。
男子としては恐らく遅い部類だ。
中学まではセックスという言葉の意味と定義は知っていたが、実際に布団やベッドの上で何が行われているかなんて知らなかった。
知ったのは高校一年の秋ごろ、友達から借りたエロ小説の挿絵でセックスの正体を知った。
それまでは精通もしてなかったし、子どもを作る方法は何らかの手段で精子を取り出して、病院かどこかで女性の子宮に入れるものとばかり思っていた。
話はそれたが、そんな経緯があってか僕は恋と言うものが分からなかった。
好きな女の子とか言われても、顔や性格が好みだなぁというくらいにしか思わなかった。
出来たというよりは、一年生頃から徐々に潜在的に気になっていたのを改めて自覚したといったところだ。
実はその時僕とその子と、僕たちの共通の友人の中でひと悶着あった。
その友人はその子の元カレで、別れる際その子に嫌がらせをしたんだ。
クラスの女子全体を巻き込んでのちょっとした騒動になったがまぁ何とか収まって、それに対しての仲裁に入ったこともあり、その後僕とその子は良い感じになった。
下の名前で呼び会うようになり、学校帰りに港の近くで夜の海を眺めながらタバコを吹かしたりした。
今思えば、青い関係だった。でも、それも長くは続かなかった。
僕の方から一方的にメールを無視するようになり、やがて自然と会話もなくなった。
彼女のことが嫌いになったわけではない。ただ、僕の心はいきなり彼女に対し無関心になった。
むしろ逆に、彼女と肉体的関係を結ぶ自分の姿を想像し、心底気持ちが悪いと思った。
そして、その感情は今でも変わらない。
誰かを好きになるたび、その記憶が呼び出されては好きな人と距離を置いてしまう。
今ではもう、女性として人を好きになることもなく、人を人としてしか好きになれなくなった。
皆、人を好きになり、その人と幸せになっていくのに、僕は人を好きにすらなれない。
好きになったとしても、皆と同じような普通の恋愛なんて出来ない。
性嫌悪なのか、無性愛なのか。
僕は自分の正体が知りたい。
幸せに、なりたい。
そもそもダウントンアビー終わったNHK日曜のドラマ23枠じゃ早速新しい韓国ドラマを放送してるだろ
でもそうじゃないかもしれない、だって韓国ドラマはある程度数字が取れるし、何より最近は嫌韓のおかげで
放送権料が安い。
アメリカとかの海外ドラマは人気シリーズほど高価だから中々やられないのは放送権料にあると思ってる。
韓国批判したからといってどうだというのか、テレ東系なんか朝アジアドラマ枠ってもう何年も韓国ドラマを放送してるけど
韓国批判が今のトレンドだからといってドラマに罪はないし、面白いドラマなら寧ろどんどん日本に輸入していけばいいと思う。
勿論プリズンブレイクとか24とかアグリーベティとかセックスアンドザシティ、ニキータ、フレンズのように深夜の海外ドラマ枠は
かなり充実してるから韓国ドラマもそういう枠でなら別に文句はないんじゃないかな。
てか、韓国嫌いなら見なければいい話。簡単でしょ?
なんとなく。なんとなくまっすぐ帰る家に帰る気がしなくて。
一人で外食する気分でも無いし、かと言って自炊するのも面倒だ。
誰かと楽しく美味しいご飯が食べたいなぁ。でも今日の服装だせーしなぁ。
なんとなく、なんとかなって欲しい気持ちで公園へやってきました。
僕の住む街には大きな公園があって、それはとても素敵な公園なのです。
なんだか日々は相変わらずに日々だし、明日も明日で明日なのです。
ほんとにね、バカみてーだ。
本当は海に行きたかったのにな。
夜の海を眺めて、音楽でも聴いて、なんだか泣けてくるんだろうな。
もーいやだいやだくだらねー。
同じよーな夜を過ごしてる人が、少しでも安らかに眠れますように。
パシフィック・リムを7回見た。
それが多いのか少ないのか、私に判断できない。
まだ1度も見ていない人からすれば「なんでそんなに見てるの?!」と驚かれてしまうだろうし、
毎日のように映画館に足を運んで、10回、20回と見ている人からすればたいしたことないだろう。
なぜ7回見たのか。
おじさんたちは嬉しそうに私の知らないたくさんの映画の話をしてくれた。
俺らにとって「スター・ウォーズ」は本当に特別な映画なんだよ。
エピソード4でXウイングが画面の外からビューッと飛び出してきて
デス・スターの表面を進んでいくところが衝撃的にかっこよくて、
映画館の座席でひっくり返りそうになったくらいだ。
おじさんたちのオススメで、私は「スター・ウォーズ」を生まれて初めて見た。
そういえばこれの続編が中学生くらいのころに新作映画のラインナップに入っていたのを覚えているけれど、
ストーリーは面白いし特撮もかっこいいけれど、2013年に生きる私が見ると、何か物足りなく感じる。
Xウイングのシーンも、ぼんやりしているうちに一度見逃したくらい印象に残らなかった。
また、おじさんたちは別の映画の話もしてくれた。
レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」は本当にすごかった。
骸骨剣士との戦いのシーン、あれは1コマ1コマ人形を動かしながら撮影していて、
ハリーハウゼンはあのほんの短いシーンのために何カ月もかけたんだ。
あんな映像、俺らは見たことなかったから、めっちゃかっこいい!って興奮したんだ。
その話を聞いてさっそくそのシーンを見てみた。
確かにすごい。
当時は特撮技術でもって労力をかけて作ったんだと思うと本当にすごい。
でも、こんな映像を見たことがない、ということはなかった。
CGモデルをモーションキャプチャで動かせばすぐできるんじゃないかな、とか。
もしかしたら無料ソフトのMMDを使って作れてしまうかもしれないな、とか。
「当時」としてはすごかったのかもしれないけれども、
私はおじさんのわくわくした気持ちを共有することができなかった。
そうこうするうちに、おじさんたちと会う機会はなくなってしまった。
それまでに、私は初めて「ゴジラ」を見たし、
「海底軍艦」や「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」も見た。
どれもそれなりに面白かったけれど、退屈なシーンも多くて、
おじさんたちみたいに「すごい作品なんだ」と声を荒げることはできなかった。
それからしばらく経って、「パシフィック・リム」が封切になった。
おじさんたちはこの映画も楽しみにしていた。
じゃあ、それなら、見てみようかな、と仕事帰りに映画館に足を運んだ。
面白かったし、わくわくした。
イェーガーは個性的だし、キャラクターたちは魅力的だし、ストーリーに無駄がない。
いいものを見たな、と思った。
調べてみると、ぎりぎりまだIMAXを上映中の映画館を見つけた。
立ち寄りで直帰します、と言い置いて会社を出て、IMAXでの上映を見た。
すごかった。
空いている座席がなくて、巨大なIMAXのスクリーンのかなり前のほうの席にいた。
ベケット兄弟がイェーガーに乗り込み、イェーガーの頭が落下してボディと合体する。
そして重厚なロボットが音を立てて夜の海に乗りこんでいき、怪獣と殴り合いのバトルを始める。
海に取り残された線上の人たちがジプシー・デンジャーを見上げたとき、
私もまたその巨大なロボットの姿を見上げていた。
映像の技術的なことはわからないし、冷静に考えれば設定に不思議なところもある。
でもそんなことは関係ないのだ。
悪い怪獣と殴り合いをするジプシーを拳を振り上げて応援したくなる。
この作品の魅力を説明しとうとしても、自分の興奮が先に立ってしまって、
「とにかくすごい」「楽しい」「わくわくする」こんなふうにしか表現できない。
おじさんたちは言っていた。
ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」のエピソード6を撮影したあと、
自分が撮りたいものを撮るための技術が出来るまでに10年以上待ち続けたそうだ。
おじさんたちが大好きな、昔の映画を悪く言ったり、バカにするつもりは全くない。
でも「当時新しかったもの」が時を経て古く見えるのは仕方のないことだと思うから、
こう表現することを許してほしい。
一番新しいものが一番すごくなきゃいけないんだ。
「こんなの見たことない」って思わせなきゃいけないんだ。
私は「パシフィック・リム」みたいな映画を見たことがなかった。
映画にこんなに興奮することも初めてだし、同じ映画にこんなに何度も足を運ぶことも初めてだった。
たぶん私は「パシフィック・リム」のおかげで、おじさんたちの気持ちをわかることができたと思う。
それから3Dで見たり、吹き替えで見たり、2Dではどうか試したくなったり。
立川爆音上映会のチケットも必死で取ったし、池袋絶叫上映にも行った。
この連休は遠征して4DXを見に行く。
次にあのおじさんたちと会うことがあったら、「パシフィック・リム」の話を振ってみようと思う。
それで私のわくわくした話も聞いてもらいたい。
たぶんおじさんたちは、「あのシーンはあの映画のオマージュ」「あの設定はあのアニメが元ネタ」
なんて話をいっぱいしてくれるんだろうな。
それは一人一人の視点が過去から未来軸に重なり合って居るミルフィーユ的並列世界
「ヘイト」「許せない」「仲良く」「怖い」「邪魔」という重なりもその一部分
そこには
夜の海で友達と一緒に拉致られかけ未だにマイノリティに怯えて匿名でしか話さない人もいるかもね
街頭で拉致家族活動に嫌がらせをする隣国人の為の人権活動家を見た人もいるかもね
ネットで生死不明の拉致被害者やその家族への悪口の書き込みを見続けてきた人もいるだろうね
裏切りを許せない人もいるだろうね
なりすましたりする人もいるだろうね
複垢使って悪口言う人もいるだろうね
日本のやることなすこと否定しなければ気がすまない人も居るだろうね
都合の悪い本音は過激な言動をする人達に任せてしれっと実名推奨する人も居るだろうね
いつも被害者ぶっている人も居るだろうね
他人の弱味を常に探している人も居るだろうね
正義の味方になりたい人もいるだろうね
弱い人に激しい言葉でウサを晴らしたい人もいるだろうね
安心したい人もいるだろうね
否定されたくない人も居るだろうね
仮にそういう人を見かけても誰々さんがけしからんと名指ししないのが吉
そうすれば「〇〇さんに成りすまして誰かが悪口書いたのかも」と他人を信じる余地を残しておけるから
個人個人の書き込みがクラスタとなり、誰がキーポインターで空気を作り
クラスタ間のフォークの突き刺し合いが飛び散らせる粉がどのような未来の流れを倦むのか予め予測して
ネットの海を大過なく泳いでいく為に厄介なクラスタとはエンカウントしない読む力が重要
僕:長く独り身。非モテではないと思うが色恋は苦手。30代前半。
海はまだとても冷たい。
靴を脱いで、膝下までつかると痛いくらいだ。
女子がふざけて水を跳ね、僕のボトムがぐっしょり濡れる。
仕返しに僕は女子を転ばせる。ふりをする。
触ると意外とコリコリしていた。
試飲で女子はご機嫌だ。ちょっと酔ってるな。
海沿いに戻り、トラットリアで夕食。ワインを呑み足りないんだと。
量は多すぎたが、おいしい料理。特にチーズリゾットが良かった。
違う海岸へ夜の海を見に行く。
僕は女子の手を取り支えてあげる。
うん、自然だ。実は内心ドキドキだ。
暗闇を眺めながら、また少しおしゃべりをして。
帰り道も女子の手を引いていく。
駐車場に出ても、僕は手を離さない。
女子も、僕の手を握ってくれていた。
家まで女子を送っていく。
近くに車を止め、おしゃべりをする。
いつものことながら、どんだけ喋るのこの二人。
ふと、女子の手を握ってみた。
すると、だんだん口数が減っていく。
これ、噂に聞く「いい雰囲気」ってやつ?
僕は意を決して女子の頬に手を添えた。
そして、すべきことをした。
ドキドキしすぎて、目を閉じたかも覚えていない。
僕にこんなことができるなんて、驚きだ。
髪を撫でたり、散々に愛でているうちに。
いつも若干おかしいよ。
そうじゃなくて。
少し懐っこかった。距離近め。
もしかして伝わってた?
何が?
その…。
…。
顔を隠してた手をおろさせて、もう一度。
きみ、ほんとかわいいな。
なんなのよう。その余裕がむかつく。
主導権取ったからな。
むー。あたしが先制すればよかった…。
形だけ抵抗する女子を、きつく抱きしめた。