はてなキーワード: 土鳩とは
諸事情で真夜中の国道沿いをファミチキを片手に歩いているとLEDライトの光が落とされ黒とも銀ともつかず輝くアスファルトには不自然なまでに脚を伸ばした大きな大きな例の虫が此方とかろうじて友好的な関係を維持できそうな速度を保ちながら闊歩していたのでその場にて即興で錬成した彼の人格と意気投合してみせ敵意を無にして極力刺激を与えないよう歩みを止め片手のファミチキを一口齧り咀嚼しつつ道を譲ってさしあげたところその歩みの先にある礫岩のそのさらに先の彼の棲家を思いつつだろうかいや彼女なのだろうかその人格は歩道脇のフェンスの下を悠々と凱旋していってしまいそこでふとその脚が不自然に長いと感じたのはひとつの錯覚であって本当は十分に自然な長さだったものをかのLEDの文明の銀の輝きが太古のある時代より漆黒の住人であるはずの彼もしくは彼女の脚を途方もなく容赦なくあられもなくくっきりと際立たせてしまったがための勘違いだったことに思い至ったがその見てはいけないものを見てしまったような感覚は宙に浮いたまま数秒を漂いファミチキとともに脳ではないような場所へと飲み込まれていった結果LEDライトに照射されたその楕円の宇宙の中で完結すべきひとつの物語だったような気がしたので心はそこに区切りを結び大して長くもない脚は再びだらしなく稼働をはじめるとその次の宇宙すなわち隣のLEDライトに照らされた銀の楕円のもっとも中央の目立つ位置には土鳩が鎮座と言う外ない堂々とした面持ちで静止していたのでそうか今日はそういう日なのだなと宇宙との共鳴を一瞬で終えるとともにその横を歩き過ぎてみるとその土鳩は微動だにしないのでさすがに全く生産性の無いことなのだがだらしのない脚は踵を返し鳩の真横に立ってみても本当に全く微動だにしないので虫の時の思慮深さを前の宇宙に完全に置いてきた心は彼の横にしゃがみ込みいや彼女なのだろうかそのふてぶてしい生命を見遣ると完全に目を最大限に開けた状態のそれと完全にアイコンタクトが成立したので平和の象徴でもあるし自転車に轢かれるとまずいのではないかいや白くなければ平和の象徴ではないのではないかいや目が合ったのだもう家族のようなものだと逡巡した結果心はぐわしとその土鳩を掴みフェンスの向こう礫岩の地へとそれを投げ飛ばしたところようやく目が覚めたのか羽音をたててどこかへ消えていったトラックが国道を過ぎ去った控えめな排ガスの匂いがした
土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ 河野裕子
_人人人人人人人人人人_ > どどつぽどどつぽ <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
田中圭一の「カイジの目はピカソ的表現(キリッ」に「スバラシー!怠慢な美術関係者ども、彼らに学びたまえ!(伊藤剛氏見てる~?チラッチラッ」と松下哲也がすかさず媚びを売り、それに伊藤剛がホルホルして、東浩紀が「これこそ批評だよ!(迫真」、という地獄— SUKEBENINGEN (@sukebeningen) 2018年7月8日
こういう具体的な指摘もない揶揄が印象操作だけでマウントする古き良きオタクの悪習みたいなもんなので、なんとかなってほしいなーとボーッとして特に何もしていない。
あと話に出てる伊藤も東もTwitterではこういう書き込みをやっちゃい勝ちなんだよな。Twitterはタバコ部屋や給湯室の悪口を可視化する悪しき文明。
イケメンや幼女にバブバブしてるだけのアニメファンのTwitterアカは平和の象徴。鳩。酔っ払いの吐いたゲロとか食ってる土鳩。
なんか嫌い。臭そう。
なんでカタカナなんだろう。
2拍でこぶしを振ってみればわかるが、「まぁ」が邪魔で、次の「カー」がそれまでの「カー」と逆の拍になる。
もやっとする。
怖い。地球の大きさをまざまざと感じる。
「ででーぽっぽぽー」ってやつ。小さい頃はフクロウだと思ってた。
「ででー」でやめられるともやっとする。
字面が突き放した感じがして嫌い。
意味を調べてもさっぱり頭に入ってこない。
子供の誤射(?)防止には良いことなのだが、メーカーによってギミックが違って知恵の輪みたいになってる。
タバコ吸わない自分としては緊急度の高い時にしか使わないので余計イライラする。
辛いなら辛いではっきりして欲しい。
でも食べちゃう。
なんか字面が修飾過剰な感じがして嫌い。
嫌いなものって、探すと意外と無いもんだなぁ。
あなたもどうですか。
追記:
「ででーぽっぽぽー」は土鳩じゃないよ雉鳩だよ!の声を多数頂いたので調べました。
お詫びして訂正いたします。