はてなキーワード: IKKOとは
マツコデラックスのテレビ露出が増えるまで、世の中から見たオカマ(この表現ももはや時代錯誤で侮蔑的なんでしょうね)って、
IKKOさんとかKABA.ちゃん、きれいどころではるな愛みたいな見た目も化粧とかすごい気を使ってて、美意識とか高そうで、
やたらハイテンションで、芸能人なんだから当然かもしれないけど言ってる事もちょっと雲の上、って感じだったように思う。
でもマツコは違った。
マツコはまず見た目は普通じゃない。男の人でも女の人だとしてもインパクトのある外見だ。
これでマツコの発言が上記のようなハイテンションでぶっとんでる感じだったら世の中なにも変らなかっただろう。
でもマツコは見た目はすごい・・・デラックスです・・・という感じだけれど、中身は本当に普通の人で、普通の感覚の持ち主。
マツコがこうやっていろんな番組にでることで、自分含め世の中の人たちも「ああ、こういう感じの人でも中身は普通なんだな」って思えたのではないだろうか。
たぶんマツコも今まですごい人にいろんな心無い事いわれたりしてきたかもしれないけど、マツコのおかげでオカマの印象は変ったように思う。
まあなんでこんなにマツコのこと考えてるかわかんない今!
僕は他人の恋愛とか性的思考とかマジでどうでもいいし勝手に好きなように生きてほしいと思っているので、みんな他人の目とか気にせずこいつはこういう一人の人間なんだ、って認識できる世の中になっていけばいい。
そして翌朝増田を見た。その時俺に違和感が走った。おかしい。アベ連投に猛虎弁連投、先日見た風景が広がっている。
カレンダーに目配せするとたしかに日付は変わっている。心なしか町の人達も正月から一転してようやくいつものペースに戻りつつあるようだ。
増田をふたたび見ると、相変わらずアベ批判と猛虎弁とLGBTに絡んだアニメ批評とIKKOさんが大人気だ。おかしい。なにか変だ。そう思ってふたたびスマホのカレンダーを見ると日付はいつの間にか二日分飛んでいた。つまり、まだ会社にも出勤してないのに二日間俺は増田を見ていたことになるのか。「そんな馬鹿な、一瞬しか目配せしなかったはずだ」俺はあまりの事態に気が動転し、ニュースサイトの確認に走った。見出しは踊った。「武漢、コロナウィルス終焉」。カレンダーに再び目配せする。更に4日経っている。時間が加速している。明らかに増田の周辺だけ時間が加速しているのだ。いや、増田だけ時間の進み方が遅いのだろうか。やがて俺の皮膚は急速に水分を失ってしわしわになり始めた。増田では未だにIKKOさんとリベラルとアベとアニメ批評で盛り上がっている。
俺はある事実に気づいた。高速で記事が流れゆく増田は、その速度を光の速さにまで到達させることによって時間を止めているのではないか。俺のまぶたは重たくなり、意識は鈍重になった。できうるならこの繰り返される増田に二度と出会わないことを願って、永遠へと向かって眼を閉じた。
周りには隠してませんが積極的には言いません。
他の趣味と同じように共有できそうな人には言う。
というか同じ趣味の人だけで集まって楽しんでたんで差別の声も届きません。
困ってないし弱者だとも思わない。
そしてそれ以外の場所で自分のLGBTキャラを人に押し付けたりしなかった。
LGBTの中にはノーマルの人相手に自分の性癖を共有したい人もいるけれども、
俺の周りにはそういう人はいなかった。
ちなみに俺はノーマルの人に理解を求めるのが図々しいとすら思ってる。
どっちもいるけど両者は理解しあえないと思ってる。
だけどそれは悲しむことではないと思う。
お互い差があるまま尊重しあえれば、それでいい。
それよりも俺がストレスを感じるのは、
当事者でもなんでもない人が首を突っ込んでくること。
せっかく築いたノーマルな人とのちょうどいい距離感を一気に縮めようとしてくる。
「みなさん!世の中にはこんな趣味もあるんです!理解するべきです!」
昔、ゲイイベントで男の子連れて歩いてたらそういう活動してる女性が近づいてきて、
「私たちマイノリティの方たちの支援をしているんですが取材させてもらえませんか?」
まずなんで俺ら支援必要やねんと思い断りましたが取材を受けた友達の記事を読んだら、
「LGBTは弱者」「純愛を貫くゲイカップル」という決め込みで記事が作られてました。
俺なんて普通に彼氏いるのに他の男と浮気するようなクズでしたが。
「こんな逆風の世の中でも頑張ってるLGBTの人がいる!みんなで社会を変えましょう!」
という記事をどうしても作りたかったみたいでそこに当てはめられてました。
この「LGBT=弱者」って決め込みも相当差別的だと思いますが、
なんでこういうことしてくる人がいるのかというと、
IKKOさんみたいにオープンなLGBTは公式で笑い飛ばしていい人、という扱い。
飲み屋で酔っ払ってバイだと言ったらゲテモノ扱いされて笑われたこともあります。
俺は弱者扱いされるよりかは笑い飛ばされてるほうがずっと心地いい。
俺もホモネタで笑うし。
LGBTの方が絶対的にマイノリティなんだから物珍しさから生まれる笑いがあって当然だし、
むしろLGBTを盾にしてそういう笑いを根絶させようとするノーマル活動家に反発を覚える。
性癖とか趣味嗜好とか、LGBTの中でだってひとりひとり違うんだから、
違いは違いのままその差を受け入れていくほうが絶対に楽しく生きられると思う。
その中にはノーマル活動家の人が期待するように他文化との融合を求めている人もいれば、
俺みたいに線引きして心地よい関係を築いていく人もいる。
どうか「私たちは理解者です」みたいな顔でLGBT擁護とかするんだったら、
たまに突然全てが虚しいような気分になる時ってあるじゃん
これが好きなんだったっけ?
これが美味いんだっけ?
どんどんわからなくなってどうでもいいような投げやりな気分
ちょうど今日がそういう日で帰り道にIKKOの顔のあるポスターを見たのよ
そしたらさIKKOはどうでもよくないわけ
俺なんかには絶対わからない苦労や幸せを手にしてるんだろうなって
顔に塗ってみたらすごい気持ちよかったよ
自分の体をまじまじと観察した
この体大事にしなきゃと思ってゆっくり自分で揉みほぐしてやった
お前俺みたいな奴のためにこんなに頑張ってんのなと手足が愛おしく感じた
虚しい気分は消えた
気分は頭が作り出すけど体はひたすらに頑張ってる
俺みたいな奴のために必死で血液を送り空気を肺に入れてるわけだ
俺は俺の体のために生きようと思った
できるだけきれいに使ってやろうと思う
この増田、そうとう考えて書いてるなと思う。
あるいは欲求のままに書いたのであっても、その欲求は普段から研ぎ澄まされていたものであり、良く練られ良く思考された欲求と思う。
以下に順を追ってみて行こう。
今回のメンツの内、身体に直接触れている女性陣のなかで、増田から直接顔を見ることができるのは本田翼に限られる。
ご存じの通り、本田翼は屈託のない笑顔が素敵な、硬めの役柄も柔らかめの役柄もこなせる可愛らしく美しい女性だ。
そんな本田翼が、おそらく明け透けな笑顔で「あんたバカ?」と言いながら踏んでいる。
もしかしたら笑顔が可愛い女性が真顔になっている、というギャップを愉しんでいるのかもしれない。
増田はその顔を見たいのだ。とにかく、顔が見えるということがこの場合の本田翼の役割だ。
そして、踏んでいる。踏んでいるのだ。何を踏んでいるかはここでは解らない。だが、確かに踏んでいる。
本田翼の脚を皆さん見たことあるだろうか。最近ではラインモバイルのCMなんかでお目にかかったことも多かっただろう。
モデルやっていただけあって白くて奇麗なわけだが、ややもすればネットでは「太い」とか揶揄される。
だが、これがちょうどいい、と増田は考えているに違いない。俺もそう思う。全然太くないから。アクセス稼ぎのネットの焚きつけには辟易しておる。
身長が近い同世代をそろえてきた。大原優乃は他のメンツと比べると格が落ちるのではないかと気をもむ諸賢もおろう。
だが考えてみてほしい。ここでは筆者の主眼はむっちりとした太ももやその他身体との接触にある。
そして如上の通り身体性のバランスの問題がある。どっちかが極端に大きかったり小さかったりするのが、増田の快楽にノイズとなって差し込まれるのだろう。
たとえばヘッドホンで音楽を聴いていて右だけ音量が大きいような、そうした事態を避けたいわけだ。
ここでも脚の果たす役割は大きい。増田の身体の上から押さえこむような、両脚からの力がかかるはずだ。
また筆者は二人の胸部への関心も失わない。腕四の字の先、引っ張られた両腕は二人の胸元へもたらされる。
第一の趣旨である脚への嘱望に止まらない意欲に、理想の構築の確からしさがある。
こうした構成を為すためには、実際には大原優乃の果たす役割は大きい。
頸を足で締める役には広瀬すずが選ばれた。
2015年、佐々木希に替わって広瀬すずがロッテのFit'sのCMで、可愛らしい制服姿で美脚を披露して以来、体感二年に一回くらいのペースで広瀬すずが制服姿で全力ダッシュする的な場面のある映画が製作されている。太すぎず細すぎない、太ももからふくらはぎ、足首に掛けてメリハリのある健康的な脚(俺は特にふくらはぎが良いなぁと思う)。
顔面で愉しむのはそうしたタイプの脚が望ましいのだろう。ふわり、と脂肪が多いと可動性が狭くなるし、締める、という営為がぼやけてしまう。
程良く引き締まった脚だからこそ堪能できる物理的な余地があるのだろう。
永野の役割は、こんな増田を見て幻滅する、というところにある。
精神的な部分に依拠した欲望を、増田は永野に対して抱いていることがわかる。
色白ですらりとしている。連続テレビ小説やモバイルのCMなんかでも見ることができよう。
足部なんかも色っぽい。
暗転後の女性? 陣は、しっかりと前半部の要素を受けた構成になっている。
IKKOのすごさは各種のドキュメンタリーを見てほしい。そんな人物が、増田のシチュエーションを暗転させる。
アジャコングについてはフェイスペイントを施してリングで戦った点に注目したい。増田は本田翼の顔を見られる位置にあった。やはり、踏みつけている顔、というのが《本田―アジャライン》のテーマになるのだろう。
北斗晶と安藤なつ。どちらもパワフルな女性だ。レスラーの北斗はもちろん、安藤も行ってQなどでそのパワフルさで笑いを摂る場面がある。ここも橋本と大原と好対照だ。柔らかな衝撃の裏返しのパワフルな関節技。ここでは腕ひしぎによる重圧こそがテーマとなっていよう。
北斗と安藤に対して、非戦闘員であるマツコ・デラックスは何ゆえにここに配置されたのか? やはり、顔への脚締めは純粋な圧迫だけではないのだ。脚の質感や長さ、筋肉と脂肪のバランス。首四の字は脚を堪能するために配備されている。広瀬と対置されるマツコのおかげで、私たちは増田の首四の字における主眼を明確にできる。
ゆりやんはバラエティで見ていて思うのだが、自分の仕事ってものを解って振る舞っている。増田もそれを解っている。だからああなるわけだが、永野が思わずドン引きするのと対称的に、ゆりやんは作為的に「美味しい」行為を選択しうる心理的余裕がある。ここに対称のエッジを研ぐ増田の真意があるのではなかろうか。
いかがだっただろうか? この増田、ふざけているように見えて、どっしりとした構成を以て増田に投稿していると看取される。
そのテーマは脚にある。何となく、この増田の嗜好が見えてこよう。本田や広瀬、あるいは永野みたいな脚が好みなんだけれども、場合によっては橋本や大原のような柔らかそうな脚も良い。その場合の理想としての腕ひしぎ。そして反転後の人選も、しっかりとベクトルを逆向きにできている。
天然で書いていても、狙って書いていたのだとしても、いずれも良く思考されている。すごいなぁと思う。
けどIKKOは金あるんだよなぁ
議論になるのは仕方ない。
オタクにもフェミにもお気持ちはあるし、お気持ちは矛盾するものだからな。
女子のリアルな面を描こうとした広告は、女子が嫌悪されているとツイッターでぶん殴られ、
男子の理想を反映した広告は、女子にとって気持ち悪いとぶん殴られ、
昭和の母親観を反映した家事をする女を描いた表現は、家庭に女を押し付けているとぶん殴られ、
もし俺が広報の担当者なら、もはや女性について少しでも攻めた表現は一切しない。
女ウケを狙うんだったら、ジャニーズを出したほうがいいし。
男ウケは、別に半裸の女出さなくても狙える気がするしね。今や車のビールのCMに出るのは美人の女ではなくカッコイイオッサンである。
生身も理想も何も反映していない、単なるマネキンとしての女性モデルが、一言もしゃべらずに立っているぐらいのことしかできなくなるんじゃあないか。