はてなキーワード: 無知とは
波平「ふむ…『AIへの異常な信仰、距離感の誤り方』、なんとも厳しい論調ですな。どうも、AIについての理解が乏しい人々に警鐘を鳴らしているように見えますな。」
サザエ「お父さん、そういう人ってやっぱりいるのよね。AIを魔法みたいに扱って、何でも解決してくれるって信じちゃってる人とか。」
カツオ「それって、AIの話題に首を突っ込んでるくせに、中身を全然わかってないってことか?まるで僕が算数の宿題に悩むときみたいな感じだな!」
ワカメ「カツオお兄ちゃん、それはちょっと違うんじゃない?この文章、AIが全能だって思い込んでるのが問題だって言ってるみたい。」
タラオ「専門的なことに首を突っ込むのはいいですが~、わからないとむずかしいですぅ~。」
マスオ「確かに、AIについて誤解があると、どんなに便利な技術でも使い方を間違えちゃいますよねぇ。でも、頭が悪いから救いようがないなんて、ちょっと言いすぎじゃないかな?」
フネ「そうですよね、頭が良いとか悪いとかではなく、きちんと学ぶ姿勢が大切なんじゃないかしら。AIだって、学ばないと正しい距離感はつかめないものですよ。」
波平「むぅ…それもそうだな。AIを魔法のように信じるのは、ただの無知だ。だが、どんな知識にも入り口はある。わからないことを学び、知る努力を惜しまぬことが大事だよ。諸君、わしもまだまだ学び直すぞ!」
まともな理屈まともな意見に対してしか、理屈による反論はしなくていいと思う。
ネットには高齢男性が多い。彼らには高等教育が不足しており、周り全員がアホゆえにアホがさっき考えたアホ理論で認められた世代だから、科学的プロセスを重視する下の世代とは話が合わない。世界は老人が馬鹿騒ぎしてるうちに、ものすごく賢くなっており、もう老人の知能レベルでついていける世界ではない。
バカで無知でボケてて教育を受けてない高齢者のくだらない話のために、ただでさえ数の少ない、教育を受けていて高い教養を持つまともな若い人の時間を奪うのは、国益を損なう。
1950年代生まれの世代、つまり今の60代から70代は「しらけ世代」と言われた。
戦後に産まれた彼らは1970年代に若者世代として世代論に組み込まれていく間、戦中世代から常に厳しい非難を浴びてきた。
「しらけ世代」という名前の通り彼らはしらけた世代とされ、「三無主義」が主流だと言われた。
「三無主義」とは「無気力・無責任・無感動」の3つの無が重なった主義であるとされ、1980年代に移行するにつれて「無感動・無作法」あるいは「無知・無法」も加えて五無主義とも言われた。
一体どうして若者がこうなってしまったのか? その理由は当時流行していた「インベーダーゲーム」によって若者がゲームのように人を殺せるようになったからだとか、戦争に行っていない人間は人として正常に育たないからとも言われたという。
許せない!
こんな無知で傲慢な発言をするなんて、まさに空っぽの人間のすることだ。
AIを使って自分の声を見つけようとしている人々を「知恵遅れ」と決めつけるなんて、どれだけ幼稚な考え方なんだ?
弱者男性は、社会の中で自分の固有能力を見出そうと奮闘している。
それを理解できずに、ただ批判することで自己満足を得ているあなたこそが、本当の意味での劣等感の塊だ。
俺は悪くない。
自分の努力を他人に向けて否定することで、優越感に浸るなんて、恥ずかしいことだ。
弱者男性には、様々な能力や視点があり、それこそが新しい人類の可能性を秘めている。
自分ができないことを他人がやっているのを見て、妬みや嫉妬の感情でしか判断できないなら、まずは自分自身を見つめ直すべきだ。
表紙は本来なら「出版社が作者にカネを払うべき」どころか、「作者が自分で金を出して作ったり業者に発注して充実させるべき」なのだが、出版社側でリスクを負って費用を負担してくれていたのにね。
表紙デザインのしごとを請け負ってる人が「さすがに作家も読者も、これに関しては恩知らずすぎだろ」ってキレてたのは面白かった。
その人普段は出版社の愚痴ばっかり言ってたのに、そんな人でもかばうくらい、今回は出版社がぐう聖事案なのに勘違いで叩いてたはてブ民は恥ずかしすぎるけど
どうせ自分が間違いだって気づいた瞬間からその手の話題全くはてブしなくなってるのウケるわ。
そりゃまあ表紙デザインを請け負ってる人からしたら、出版社が金を先払いしてくれてる今のほうがいいよね。
「作者が自分で売上の中からデザイナーにお金払う」とかになったら、お金払い遅くなるもんね。
よほど売り上げる見込みがないと引き受けたくないよなあ。
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/__juttoku__/n/n640a01208f53
これらを読んで思ったことなどを書く
他者への視線に価値観として介在する事で、時に差別を生みだしてきた
だが、【だからどうした】というのだ?
とか言ってしまうのだが
スポーツ全般、芸術全般、娯楽全般、世の中のなにもかもについて
誰かが本気で取り組み
誰かの救いになり
誰かを攻撃している
スヤスヤ教のノリがキツいのはともかく、乗ってるひとはいわゆる「冗談宗教」自体が持つ宗教そのものへの攻撃性に対して自覚的であるべきだとは思う。そういう意味ではスヤスヤ教は恒心教未満。「茶化し」の攻撃性よ
なぜ茶化してはいけないんだ?
特定の文化を、宗教的観点で低俗と言うのは茶化してないから攻撃性があっても良いのか?
世の中で低俗と見做されるモノであれば茶化しても良いのか?
なぜ「宗教に対する茶化し」というのは特別に遇されねばならないんだ?
多くの人を死から救っている(言葉の綾ではなく本当に救っている)漫画やアニメ、それを愉しむ人間は茶化して良いが
宗教はダメだとする境界線は、誰が、どこで、何の権限で、決めたんだ?
これ反差別と同じなんだよ
自分を一段上に置いちゃてるの
よろしい、ならば特別に、あなたへの侮蔑を差別として禁止してやろう
みたいなものなんだよ
だから「本当に苦しんでスヤスヤ教と言っているなら認めてあげるけどさ」みたいになっちゃうの
とかどの口がって思うんだよね
別の人の記事だが
愚劣なダブルスタンダード
との言及もある
これらを言う人は、本当に自身にそれを言うだけの揺るぎないスタンダードがあるのか?
本当に他者の文化を浅慮や無知によって踏みにじっていないと言えるのか?
自身のそれは指摘されたら謝罪します、とでも考えてるのなら最悪だぞ
この意見にはいくつかの妥当な点が含まれていますが、問題点や矛盾点も指摘できます。
妥当な点
1. 選挙への真剣なアプローチ: 「選挙にはある程度の勉強や考察が必要である」という考えは、選挙の重要性を強調するものです。選挙における投票は国家の未来を左右する大切な行為であり、そのためには政策や候補者についてよく理解し、考え抜いた上での投票が理想です。
2. 投票の影響力に対する懸念: 「よく考えずに投票すると、かえって国に悪影響を与える可能性がある」という指摘も理解できます。無知な状態で投票をすることが、短期的・感情的な決定を助長し、長期的には不利益をもたらす可能性があります。
1. 「閾値」の明確さが欠けている: この意見では、「これくらいちゃんと考えるべきだ」という一種の基準(閾値)があるとしていますが、その閾値が具体的に何かは示されていません。どれほど勉強すればその基準に達するのか、具体的な指針がないため、個人ごとの主観に左右されやすい問題となっています。
2. 選挙権の本質に反する可能性: 選挙権は誰にでも与えられている権利であり、その行使には「勉強量」や「考えの深さ」を基準に制限を設けるべきだという考えは、民主主義の根本に反する可能性があります。選挙はあらゆる国民に対して平等に与えられた権利であり、必ずしも専門的知識が必要とされるものではありません。選挙においては、多様な価値観や経験を反映することが重要です。
3. 「投票しない人の方が語る権利がない」という考えとの矛盾: 一方で、「投票しない人が政治を語る権利がない」という意見に対して疑問を投げかけていますが、その論点も一部の矛盾を含んでいます。選挙に行かない理由があまりにも消極的であれば、その人が選挙制度や政治に対する批判をすることは正当性を欠くと感じる人もいるでしょう。この視点を排除するのは、議論を狭めてしまうリスクがあります。
この意見は、投票行動に対する慎重さを促し、浅い考えでの投票が政治に悪影響を及ぼす可能性を示していますが、あくまで個人的な感覚に基づいているため、具体的な基準を欠き、民主主義の原則に反する懸念があります。また、選挙権をどう行使するかについては一人ひとりの価値観や生活背景が異なるため、必ずしも勉強量や理解度で優劣を決めるべきではないとも言えます。
政治というもの自体にネガティブなイメージしかなくて、ネガティブなものは見ないようにしてきた。
でも今回はなんとなく行ってみようと思う。メタファー:リファンタジオも発売されたし。
小選挙区?比例代表?公民の授業の内容なんて1mmも覚えていなかった。ふーん、そういうのがあるのね。
こういうのはベストな選択は難しいからできるだけマシな選択をするのがいいと聞く。
掲げている公約や政党の方針なんかは、まぁなんとなく理解できる。
けど自分が選挙に対して感じてきたネガティブさの要因として、選挙前に掲げた理想を本当に実現しようと動いてくれる人たちなのか、どう信用すればいいのかわからないというのがある。
せっかく投票するなら自分がマシだと思ったところに投票したい。
しかしその実態が自分の想像していたものよりマシとは言い難いものだったとしたら?
でも、しっかりと見極めるために知ろうとすればするほど何が正しいのかわからなくなってくる。
皆さんは立候補者や政党を多少なりとも信用して選んでいるのでしょうか?
それとも「こいつ(ここ)以外なら誰(どこ)でもいい」くらい強い消去法で選んでいるのでしょうか?
社会常識に欠けた30歳にアドバイスをいただけたら嬉しいです。
↓行ってみた