はてなキーワード: ダライ・ラマ14世とは
言われたので調べてなるほど、となっていたのですが、面白い記事がでてきました。
オウム真理教は外部社会との葛藤が増大した段階で、政治家を通して宗教法人としての認証を働きかけ、それを妨げる存在と疑った坂本弁護士を一家ともども殺害した(1989年)。その前後の時期、オウム真理教は多くの著名文化人や学者を味方にしようとして働きかけ、一定の成果は得ている。
たとえばダライ・ラマ14世と並んで写真をとったり、国内の著名な文化人や学者の対談をしたり、支持的発言をとりつけたりした。だが、政治家等の大きな支持を得ることはできず、結局は、文化人らの支持を裏切るような方向へと進んだ。
オウム真理教は同時代の政治的社会的勢力の保護や支持を求めはしたが、それが成功しないままに攻撃的関与をますます強め、解体していったのだった。
統一教会はきわめて多くの被害者を生み、膨大な額の賠償金を被害者らに支払った。だが、それにもかかわらず、攻撃的な布教、献金要求、物品販売などを続けてきている。裁判で責任を問われたことにより。2000年代には極めて多額の被害者への返金等をせざるをえなかった。
だが、安倍元首相殺害犯の母親のように1億円以上を献金し、2002年に自己破産をし、いったん5千万円とも言われる額の返金を得たにもかかわらず、それをさらに寄付してしまったという例もあった。
統一教会の攻撃性は、なぜこのように持続したのだろうか。教団として殺人を犯すに至っていないというきわめて大きな違いに加えて、どのような要因が考えられるだろうか。一つの要因として考えられるのは、統一教会が政治的な庇護を得たということである。
オウム真理教と統一教会の同時代性、そして共通点と相違点が見やすくなるだろう。まず、共通点ということでは、現世否定的な教えと現世離脱的な活動様式、そして攻撃的な外部社会との関わりということがある。
他方、相違点としては、オウム真理教が政治家や社会的有力者の支持を得ることに成功しなかったのに対して、統一教会はそれにかなりの程度、成功したということがある。だが、統一教会の場合、それによって、市民社会における共存のためのモラルを我がものとする機会を見出すことができずに来たのである。
ttps://www.moderntimes.tv/articles/20220721-01rel
やはり、件の事件を経て旧統一教会のことを初めて知った人たちが、旧統一教会に批判のコメントをすること、あるいは疑問の目を向けることにおかしい点はなさそうですね。
あと今更だけど、ここめっちゃ面白いw 火に油を注ぐのが上手いですね
1 『北京大学版 中国の文明』掲載の「大事年表」をベースに、wikipedia「中国の歴史年表」「夏商周年表」その他の記事で補った。
.
前1600頃 殷(商)の創建(殷(商)・太乙(成湯)) <殷(商)>
前453 三晋(趙、魏、韓)成立(諸侯に列されたのは前403) <戦国(時代)>
前350 秦が咸陽に遷都する。秦において商鞅の第二次変法が実施される
前256 秦が東周を滅ぼす
前221 秦が燕・斉を滅ぼし、秦による中国統一が成る。秦が貨幣・度量衡・文字を統一する <秦>
前206 秦滅亡。鴻門の会。漢の高祖元年
前154 呉楚七国の乱
前136 儒教官学化 ※異説多し
前115 均輸法(漢・武帝、桑弘羊)
前110 平準法
18 赤眉の乱
25 劉秀が皇帝を称する(後漢・世祖、光武帝)。後漢が洛陽に遷都する <漢(後漢・東漢)>
200 官渡の戦い
208 赤壁の戦い
220 後漢・献帝が曹丕(魏・文帝)に禅譲(後漢滅亡、魏成立)。九品官人法制定 <魏>
263 蜀漢滅亡
265 魏・元帝が司馬炎(晋・世祖、武帝)に禅譲(魏滅亡、晋(西晋)成立) <晋(西晋)>
291 八王の乱
304 劉淵が大単于・漢王を称する(前趙成立) <五胡十六国(時代)>
316 西晋滅亡
485 均田法発布
613 楊玄感による反乱、隋の統治が崩れる
619 租庸調制の実施
668 唐が高句麗を滅ぼす
845 唐・武宗による宗教弾圧(仏教、景教、祆教、マニ教)、会昌の廃仏(~846)
875 黄巣の乱(~884)
904 朱全忠、唐の実権を握る
907 朱全忠への禅譲(梁・太祖)。唐滅亡。梁の建国 <梁・五代十国>
1004 澶淵の盟
1069 宋において王安石の新法が行われる
1125 金が遼を滅ぼす
1126 靖康の変、金が北宋を滅ぼす
1206 モンゴル部のテムジン(ボルジギン氏)、ハンを称する(チンギス・ハン、元の太祖) <モンゴル帝国>
1229 オゴデイがモンゴルの大汗として即位する(オゴデイ・カアン)
1234 モンゴルが金を滅ぼす
1236 モンゴルのバトゥ(チンギス・カンの孫)らによる西征
1260 クビライがモンゴルの大汗として即位する(クビライ・カアン。セチェン・カアン。元・世祖)
1264 アリクブケ、クビライに降伏する
1271 クビライ・カアン、モンゴルの国号を元に改める <元>
1279 元が南宋を滅ぼす
1281 弘安の役
1351 紅巾の乱
1371 明で海禁令が出される
1388 北元の滅亡
1399 靖難の変
1435 この頃より宦官の専政がひどくなる
1449 土木の変
1616 女真族のヌルハチ、満州(中国東北部)に後金を建国する <後金(清)>
1638 ホンタイジが後金のハーンとして即位し、国号を清に改める。
1644 清が明を滅ぼす(北京陥落)
1673 三藩の乱
1689 ネルチンスク条約
1696 ジュンガル部討伐
1716 地丁銀制
1728 キャフタ条約
1798 白蓮教徒の乱
1850 太平天国の乱(~1864)
1861 西太后の垂簾聴政(~1908)
1884 清仏戦争
1899 義和団の乱
1904 日露戦争(~1905)
1911 辛亥革命
1931 満州事変
1934 中国共産党による長征
1936 西安事件
1939 第二次世界大戦(~1945)
1946 国共内戦(~1949)
1951 三反五反運動
1957 反右派闘争
1958 大躍進政策の開始(~1958)
1978 鄧小平が中国の最高指導者になる。改革開放政策の開始