はてなキーワード: 賊軍とは
タイトルは「絵描きが嫌い」という前方面に喧嘩を売るようなものだが厳密には違う。
どれだけ神と崇める絵描きでもこの行為をするだけで心底幻滅してしまう。ちなみに私は文字書きである。
ツイッターをしていると日々沢山の推しCPの妄想が流れてくる。私の推しCPは少しマイナーなので表現を盛ってしまったが兎に角なにかしらの妄想が流れてくる。どれも素晴らしい。自カプには神絵師もいるので栄える日も遠くないと信じている。
そんな折、TLに大変素晴らしい妄想が流れてきた。絵描きでも文字書きでもない人の妄想だったが「いいね」が数個ついていた。私も「いいね」した。
その数時間後、神絵師が漫画をあげた。読むと数時間前に流れてきた妄想ツイートと同じ内容だった。
私は「???」という気分だった。これは神絵師が考えた話ではなく別の人の呟きだったではないか。引用元も誰の呟きだったかも一切書かれていない。直後の呟きで「【漫画の内容の)呟きが流れてきて萌えたので描いた」という旨の呟きが流れてきた。
その漫画には数百もの「いいね」がついたのだ。私は盛大に胸糞が悪くなった。
元ツイートの人はどう思っているのかと覗きにいったら件の漫画をRTして感謝していた。
合意の上でならいいのだ。たまに「私の妄想はフリー素材」と言っている人を見かける。潔く、そして話が早くていいと思う。
しかしそういった公言をしていない人はどうなるのか。私はみてのとおりこんな拙い文章しか書けないが文字書きの端くれである。ツイッターをネタ帳のように使ったりすることもある。そしてフリー素材などと公言したことはない。
ツイッターで絵描きの人とも繋がってはいるが自分の身にこんなことが降りかかるとは思っていなかった。その時はもやっとした思いを抱えつつ、よその畑を眺めるだけ眺めて自分の生活に戻っていったのだ。
いつものように妄想を呟いた。数分後に我ながらいい妄想だったなと思ったので膨らませて文字に起こそうと思ったのだ。妄想には「いいね」が数個ついていた。
作業を始めてから一時間半ほど経過した時だった。私は書くスピードが遅いので完成はしていなかったが、息抜きも兼ねてツイッターを開いた。
もうお分かりかと思うが私の妄想が相互の絵描きによって漫画になっていた。そのツイートにはかなりの「いいね」がついていた。少しマイナーなので数は控えめだったと思うが、その人は絵が上手かったので瞬く間に伸びた。
私は怒りで気が狂いそうだった。
元ツイートのURLも無ければ元ネタがあるという呟きもない。しかし内容は完全に私の妄想まんまであったし描いた人は「いいね」をしてくれていた。なので確実に黒なのである。だというのにまるで描いた人間が1から考えたかのような発表のしかたをされていた。
私の手元に残ったのはネタ丸被りの半端な文章だけが残った。ここから完成させて発表しても元ネタが私のツイートだと知らない人達には私が漫画のネタをパクったように見えるだろうし、そもそもめちゃシコの漫画が生まれてしまったので見向きもされないだろう。
私は性格が悪いので漫画をRTして「妄想ツイートを元にして話を書いていたが漫画になっていたのでボツにした」という旨の呟きをした。せめてもの反抗で「いいね」しなかった。出来なかった。
すぐにリプライがきた。私の妄想を元に漫画を描いた人からだ。内容は「どうしてボツにしたのか。読みたいから書いてほしい」といったものだった。
ふざけるな。
お前が描かなければ完成していたのだ。お前が可能性を潰したのである。自業自得にもほどがある。
私は怒りが爆発して「もう消したから無理だよ」としか言えなかった。
小説が完成していれば伸びたはずとかそういう話ではない。元々小説で絵に勝てるなんて微塵も思っていないし、人気がほしいだとか、承認欲求を満たしたいなんて理由で文字書きはやってられない。それでも私が書きたかったから書いたのだ。
「ならば被っても書ききればよかった」なんて言われた日にはタイキックである。私が見つけた一面の新雪にすでに特大の足跡がついているのだ。もしかしたらダイブしたあとの人型かもしれない。そんな景色を愛せといわれても私は愛せないし、どうにかリメイクしようという気にもなれない。
なぜ一言聞いてくれないのだろうか。「描いていい?」と一言聞いてくれれば快くOKしたのだ。何も聞かず、引用もURLも貼らず、まるで己の脳から生まれたかのように発表するその神経が理解出来ない。
そして描いた側は「喜んでくれる」と信じきっている。反吐が出そうである。
しかるべき手順を踏めば私も大手を振って感謝しただろう。その人のことをもっともっと好きになっただろう。その人のことを好きでいたかった。
ツイッターは独り言を垂れ流す場である。そこに言葉を流すのであればある程度は覚悟するべきだという人もいるはずだ。理解はしている。それでも最低限のマナーというものはあるのではないだろうか。
あのとき、もう少し私の筆が早ければ物語は死なずに済んだだろう。結局勝てば官軍なのだ。私はスピードで負けてしまったのだから賊軍になった。ただの負け犬の遠吠えである。
誰かの妄想を元に作品を作るという行為はたびたび見かける。きちんと許可を取っている人をみるとそれだけで好きになってしまう。逆に、無許可でネタを使っている人を見るとそれだけでブロックしてしまう。神とか人とか関係ない。
そんな人間ばかりではないと勿論分かっている。分かっているだけに辛い。「いつかこの人もやるのだろうか」と思ってしまう。
誰かの妄想をもとに作品を作りたいと思ったのなら許可を取ってほしい。作品を発表した際は元ツイートを引用するかURLをつけてほしい。ただそれだけなのだ。でなければ盗作されたようなものだ。
私のように考えている人が一人でもいることを祈っている。
1.黒人~奴隷解放宣言後のアメリカの黒人の立場は非常に低かったが、第一次世界大戦と第二次世界大戦に従軍したことによって、アメリカ国内における黒人の地位が向上するようになった。第一次と第二次の当時は、指揮官になれる黒人はいなかったが、湾岸戦争時のパウエル元国務長官をはじめとして、黒人のエリート軍人も現れるようになった。
2.女性~第一次世界大戦と第二次世界大戦は国家総力戦であり、女性も銃後を支える戦闘員と見なされるようになる。しかし、女性の徴兵は実現できなかったので、戦後も女性の地位は低いまま。北欧では女性も平等に徴兵しているので、女性の社会的な地位が高い。
3.東北人~明治維新後の東北人は、戊辰戦争の賊軍の子孫として扱われていたので、日本では東北人と言うだけでバカにされる風潮があった。日清・日露戦争においては、伝統的に弱いと言われる西日本部隊を差し置いて、戦況を変えるほどの活躍を見せた。第二次世界大戦時には、東北人の総理大臣を輩出するほどまで、東北人の名誉は回復された。
やっぱ、後世の歴史家()から悪者扱いされることはしたくないよね。
まあ、パールハーバー、パールハーバーってしつこく言われてトラウマになってる分、ナーバス過ぎる部分はあると思うけどさ。
でも過去の歴史(特にWW2以降)を見ると、大体の場合において、戦争の正当性()を主張できるのって「先に殺してない」側だと思うんだよね。
イラクやアフガニスタンを見ても、アメリカが悪者っぽく見えるのは、やっぱり客観的に見て9.11との因果関係が弱いせいでしょ。
戦争する以上、口実が大事ってのは大昔からの常識で、そこで失敗すると勝っても後ろ指さされることになるのは歴史が証明してるはず。
「勝てば官軍」は嘘じゃないけれど、正確には「負ければ賊軍」であって、勝っても非難を浴びることは往々にしてある。
この辺を失敗すると、例えば盧溝橋のように延々と禍根を引きずることになる訳だ。
つまり何を言いたいかというと、どうしても攻撃なり暗殺なりをしたいなら、相手を罠にハメてでも、向こうが先に殺したという確たる証拠を作る以外にないよね、ということだ。
挑発合戦を繰り返しているのもそういう背景があってのことだし、その辺も理解せずに先制攻撃を煽るのは明らかな利敵行為なんだけど、本当に愛国心()があるのかねーと思う次第でございます。
6月20日現在27連勝中の藤井四段。27連敗であれば、メディアに取り上げてもらえることはなかっただろう。(ただし巨人以下略)
「勝ち」は素晴らしい。積み重ねる事で、それまでは平凡だった生活が一変しスーパースターになることができる。
一方で「負け」はどうであろう。当然の事ながら、誰もが自ら進んで負けたくはないし、敗者は世間から羨望の目を向けられることもないだろう。しかしながら、圧倒的大多数は「負け」を経験し受け入れなければならないという過酷な現実が待っている。
甲子園優勝を目指す一流の高校球児たちも優勝校以外はすべて負ける。イチロー、落合、球界を代表する名打者も打率5割を超えることは出来ず、勝つ打席よりも負ける打席が多いだろう。
だが、「負け」はそんなに恐ろしいものではないだろう。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とは松浦静山の言葉であるが、「勝ち」よりも「負け」に多くの成長の糧が隠されており、一番重要なのは賢い負け方ではないだろうか。投資家ではないが、必然的に起こる負けを最小限にするリスクコントロールの術を身に付けなければ、「負け」は消して怖くないはずだ。
職場の大先輩が口癖の様にいつも言っていた。「小僧。男はいつも勝負師でないといかん。いつでも勝負の場に身を置いておけよ。」
自分には運が無かったなどと普段から何かと言い訳をして負けを認める事がなかったが、先日とある事で完膚無きまでに打ちのめされた。完敗である。悔しくて泣いた。
「負け」は辛い。恐怖そのものだ。だからといって、諦める訳にはいかない。今この瞬間から逆襲は始まっているのだ。消えることない屈辱的大敗を胸に、何度でも立ち上がってみせる。
ってなわけで、明日も元気モリモリ働く。
JIM-NETスタッフblog : イラク戦争から14年、モスルから始まった。 http://blog.livedoor.jp/jim_net/archives/52477273.html
わたしは、ラナちゃんに約束します。「今度は色鉛筆をプレゼントしてあげるから。」
医者は、イラクには薬がなく、一年ももたないでしょう。といいます。
「あなたが、薬を持ってきても偽善にしかならない。3年間は治療をしなければいけないのですが、高価な薬をあなたが3年間も持ってこれますか?イラクは石油がある国なんです。医療も進んでいました。経済制裁が終わり、戦争がなくなれば、自分たちで薬は買えるんです。ですので、日本人にしてほしいことは、戦争に反対してほしいのです」
* * * * *
真珠湾奇襲攻撃を仕掛けた日本は卑怯者扱いされた。 最後は原爆を撃ち込まれて無条件降伏で敗戦。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」 戦後の日本は他国からボロクソに非難された。
戦争に負けることは、とてもみじめなこと。 だから、戦争は良くない!みんなやめよう!と。
他国から非難された分だけ、日本は逆切れしていい。 (俺ら戦後世代が戦争仕掛けたわけじゃねーし。戦後世代は悪くねーだろ?)
戦争を仕掛けた日本が悪だったと言うのなら、今戦争を仕掛けている国だって悪だろう? (日本はダメだけど他国は良い、というダブルスタンダードは許さない)
テメーラ、日本だけ悪者にしといて、自分たちだけ正義づらかよ?ふざけんじゃね~~~!!! 戦争やめろや! 平和日本を見習え、ドアホどもがっっっ!!!
…ぐらいのことは言ってもいいんじゃないかな?
別に、シャアはララァの意思や自己決定権を踏みにじって無理強いしてたわけじゃないじゃん? ”正義”とやらに凝り固まったアタマには理解できないかもしれないけど、ニュータイプの能力ってララァ本人と不可分なもので、たとえ戦争利用であってもその能力を愛する(救ってくれた)人のために役立てられるっていうのは、”自分を生かす”ということに他ならないわけよ。
一方、どんなに”正義”のためでも、自分のことを本当に理解もしてくれない大事にもしてくれない脱走兵は死刑だとか禁固刑だとかなんだとかゆってる一方的に搾取してくるだけの奴らのために自分の能力(=自分の生命)を浪費することは果たして”自分を生かす”ことなのか?っつーことですよ。何より、自分自身が奴らを愛してるってわけじゃないのなら自分の能力をそこに費やすのは不自然なことなんじゃねーのっつーことですよ。
それが善であれ悪であれ、官軍であれ賊軍であれ、大事な男のために自分のもてるもののすべてを生かせるのは女にとってこのうえなくしあわせなことだし、逆にそうでなければそれは不自然なことなんだよ。どーせ「正義」なんてそんときの歴史の風向きでいくらでも変化する猫の目みたいなもんなんだし。んな頼りないものに人生かけて真剣に付き合ってられっかよっつーね。
シャア自身、自分のもてる限りの能力を戦場に投入してたわけで、ララァばかり実験動物扱いで自分はごちそうのテーブル囲んで下っ端を煙に巻いて高みの見物してたわけでもないしさ。まあ、自分(やララァ)の能力をそういうふうにしか生かせないところを、ベルトーチカに「平和なインテリジェンスを感じない」と看破されてたんだろうけどさ。でもそこはもう、どんなに家柄が良くても情操面で育ちが悪いんだからしゃあないっちゃぁしゃあないよね。いやまあ他ならぬわたし自身がそうだからこんなこといえるんだけどね。愛情に恵まれて育ったバブバブ野郎が「シャアは愛情面で育ちが悪い」なんてゆってたら怒り狂うけどねwww 「シャアの悪口を言っていいのは俺だけだ」w
てか、シャアとララァに”先”があれば、シャアだって兵器利用以外の自分たちの能力の生かし方をみつけていけたんじゃないかと思うんだよね。ジャミルみたいにさ。
シャアが自分でがんばっても手に入れられないでいるものをララァは与えてくれそうだったし、それをシャアに与えられるということがララァにとってもよろこびたっだわけじゃん? 女冥利に尽きるっていうの?
シャアはララァの名前や記憶を奪ってその記憶をゆすりのネタにゆーこときかせてたわけじゃないでしょ。
わかるかなぁ~そこんとこの違い。ま、わっかんないだろ~な~www
週刊金曜日 編集長ブログ「小沢一郎氏にはなぜか、権力者特有の生臭さがない」
http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/articles/ippituhuran/20100115-782.html
>国策捜査ならぬ国策報道が「賊軍」を追い込む――ロッキード事件もしかり、
>鈴木宗男氏の事件もしかり、相も変わらぬいつもの図式。
政治が金にまみれはじめたのは角栄の時から、というのは常識だ。
マスコミに対する不満があるのだろうが
冤罪ではない。
そこにはたしかに不正があった。
自民党は金にまみれすぎている
左翼が長年言い続けてきたことだ。
落ちるところまで落ちたとしかいいようが無い。
自分は武人ではないが、歴史ファンとして孫子とか読むのが大好きな一人の人間として申し上げると、奴は武人ではない。
武人とは、相手がどんな卑怯な作戦をとろうと、負けは負けと認め、勝者の理不尽を受け入れるものである。そもそも、その覚悟をもって戦うのである。それが戦争である。
相手がルール違反をしたからといって、ゲームの結果を認めないのは、スポーツマンではあっても、武人ではない。
まして、国際政治や戦争というのは、ルールがないのがルールなのである。
こんな奴が指揮しては、いくら兵隊が強くても、戦には負けるだろう。
だれが聞くかっつーの。
「結果さえよければ、手段はすべて正当化される。」
日本は、戦争の前に外交で負けていたのであるが、これはそれ以前の、もっと根本的な話である。
このような愚劣指揮官がいるのに、その少なくない人が、愚劣であることに気づくことができないようでは、中韓から、”反省していない”と言われても仕方のないことである。
まったく、お恥ずかしい。
たのむから、自衛隊はもう少しまともな武人を育ててほしい。
そうでないと、”自衛”すらできない。
そういう小難しい建前論はよその人に任せておけばよいだけの話。
楽しかったら意味がないとかそういうつまらない精神論は三文の値打ちもないと俺は思うけどね。
勝てば官軍、負ければ賊軍。それだけのこと。受験勉強の場合の評価基準は、合格したかとか理解できているかといったことであって、楽しんだかそうじゃないかなんてことではないんだから。
こんな適当な書き方だと信用してもらえないかもしれないけど、俺は一応京大を修士まで出てますんで。範囲の決まってる試験なら、やる気と時間さえあれば何でも取れると思ってるよ。それがどれほどの意味があることかは別として。
一応そういう実感を元にして書いてるつもりですんで、あとはどう判断するかは自分で決めてちょうだい。
実際は自分のブログに嫌なコメントつけられた所で削除アク禁など対処法はいくらでもある。なのになんでコメント付ける行為だけが悪者にされて「ヲチ先触らず荒らさすマッタリと」っていうヲッチャー行為は最低のネットマナーとは言われないのか?納得いかない。書かれる方にとっては他所の記事で叩かれたほうが対処法が限られていて精神的重圧感はあるのに。それなら不特定多数にコメント求めなくてもいいじゃん。
荒らしの定義を「罵倒発言をする人」っていう人がいたんだけど、実際は荒らしと呼ばれる人はあからさまな罵倒よりも揶揄と曲解と脅し芸のほうが多い気がするし、ささいな発言で大騒ぎする管理人に限って、管理人にとって都合の良い罵倒は感謝こそすれ荒らし扱いしないですよね。
本当は荒らしの定義は「罵倒する人」じゃなくて「サイトの運営を妨害する行為をする人」なんじゃないかな。そういう意味ではかならずしもコメントじゃなくてもいいわけで。極論だけど通報も荒らし行為に入るのかな?
荒らしだ荒らしだと騒ぎながら、結局その荒らし認定者のサイトにクレーム付けて新たな荒らし行為をしちゃうんだからさ。それでどちらかでも相手を閉鎖に追い込むような所までいけば、勝てば官軍負ければ賊軍なんですからね。でもここまですると、いくら勝って溜飲下げた所で流石に冷静なROM専はドン引きだ。キレたらなにしでかすかわからない管理人を遠巻きにして近付きずらくなる。人のの注意も耳に入ず罵倒と捉えるから、誰も注意出来なくなって結局一人になっていく。そうして閑古鳥が鳴くサイトのイッチョあがり!
サイト潰されたほうは悔し涙を堪えつつHN変えて出直し。新しいネットライフを始めている事でしょう。
ネットマナーとはいったいなんの為に必要なのか?勝者の作ったルールなんて破る為にあるのさ。
徹夜明けで寝ぼけてて自分でも支離滅裂、何言ってるのか分からなくなってきた。