2016-03-06

単純な勧善懲悪的な物語が、日本人意識を変えてしまった氣がする

いつから映画ドラマ漫画アニメゲーム勧善懲悪だらけになったんだろう

昔の日本人もっと善悪の境が曖昧な、大人の作品を嗜んでいたように思う

今や大人でも子供向けのような単純な勧善懲悪ドラマしか見なくなっている

半沢直樹下町ロケットを「時代劇のようだ」と褒める人間が居るが、要するに底が浅いだけだ

いや、それ以前にそこで平気で使っている「時代劇」というイメージ自体が、水戸黄門だの遠山の金さんだののような俗悪なドラマイメージだけで構成されてしまっている

本来時代劇というのは歌舞伎や能のような、善悪だけでは捉えられない複雑な物語だったはずだ

日本大衆文学というジャンル確立させた大菩薩峠など、勧善懲悪どころか、勧悪懲善とさえ受け取られてしまいかねないすさまじい無常作品だった

日本人勧善懲悪ものを好むようになってから日本人議論がいつしか断定的で独善的ものにになったように感じられるのは、私だけだろうか

日本人美徳とは、物事中立であり、何においても一方だけを贔屓しない部分にこそあったのではないのか

私はこのような意識の上での欧米化が、日本の文化根底から破壊してしまわないかとても心配である

追記

この日記に付いた反感の激しさに少々たじろぐと同時に、それは私の推測の正しさを証明しているとも言えると思う

インターネットにおいては多くのユーザーが非常に攻撃的で、極端な主張を好む節があるが、これはこうした人々の多くが漫画アニメゲーム等のサブカルの愛好者である事と関係はないだろうか

特にテレビゲームにおいては、受け手側が主人公分身として能動的に戦うという性質上、その敵がわかりやすい悪として設定されることが多い

そのようにヴァーチャル空想で悪を懲らしめ、快感を得て育った人々が、現実でも同じようにわかやすい悪を求めるというのは、あり得ない話ではないだろう

確かに日本の文化史において、単純な勧善懲悪が好まれた時期はないではないが、しか物語というのは所詮受動的な楽しみにすぎない

テレビゲームという能動的に勧善懲悪を楽しむ娯楽の出現こそ、日本人意識を変えつつあるのではないのか

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