はてなキーワード: 自己肯定感とは
「自分が駄目だと思う・自分に自信がないと思う」アンケート(2015年/10代対象)
韓国35%
アメリカ45%
中国56%
そして
日本人72%
自己肯定感が極端に低い、低すぎる。
10人いたら7人は自信がない。
このまま社会に出て、お前が駄目だから仕事が終わらない、残業しろって空気になったら
自分が駄目のなか、申し訳ない、もっと頑張らないとって残業してしまうよね。
これ自己肯定感が上がっていけば
自分を大事にする感覚の人が多くなって「残業はしません!」って空気が出来ていくんじゃないか
ここまで低い割合が大きいと、もはや教育の問題が大きい気がする。
小さいうちからもっと褒める教育・自分に自信をつける教育に切り替えていかないと
この国どんどん駄目になるのでは
ちょっと悲観的になってた。
描いた作品をらくがきだろうと何だろうとすぐ発表する人がツイッターには多い。
あれ、すごい才能だと思っている。
描いたら時間を置いて、本当に上げるべきか、上げても恥ずかしくないか精査して
誰かに自分の中身を、恥部を、脳内を見られる気がするから上げたくない。
本当に恥ずかしい。
誰にも見られたくない。(・・・でも頑張って描いたからちょっとだけ見て欲しい。ちょっとだけ褒めて欲しい。)
本当に才能がないなぁと思う。
作品を発表する度、承認欲求より恥ずかしさや見栄や照れが上回っている小さい人間であることを毎回突きつけられる。
頑張って恥や見栄を捨てよう!と思っても続かないんだよね。
あとから結局恥ずかしくなって消したくなってついでに自分も消えたくなる。
自己肯定感が低い。
給料なんて多くすれば多くするほど、「俺は高給取りの有能社員だ!」なんて勘違いする社員が増えるだけ。そのうち偉そうに社長にたてついてくる。
私もそう書いたと思いますが?元記事のどこを読んでも「低くなっている」というソースはない、と。
なのに、結論で引用する言葉が「集団生活の体験が『減って』」「他人の評価を気にする若者が多く『なっている』ことが原因」だから、一記事の中でまるで論理が通ってない、信用するに足りないと指摘したわけで。
肯定感に関する質問の文言を見れば分かりますが、日本語で「自分は価値のある人間だと思う」と聞かれて「Yes」と答えるのは妙に難しいのではないでしょうか。これ、たとえば質問文が「自分は価値のない人間だと思う」だったら、他国との違いってそれほどでるんでしょうかね。「今の自分に不満がある」「辛いことがあったら乗り越えられない」に「はい」と答える人が、他国と比較して有意に多いのかどうなのか。
そういう分析もせず、安易に「日本の高校生は集団生活の体験が減って他人の評価ばかり気にするからダメだ」みたいな方向に読み手をリードしようとする記事の作り方が、あまりに粗雑で「信用に足りない」ということです。
確かに男性同様に働けない女性は仕事での自己肯定感が得られにくい社会になっちゃったよな。
生理も個人差が大きいし、「最高のパフォーマンスに合わせて仕事のスケジュールを組む」だと破綻する(と、嫁さんが言ってた)
ただ、うーん、その昔、フェミニストの方は声高に「これからはジェンダフリーだ!」「男女の働き方の差異を無くすのだ」って言ってきた背景もある。
総合職女性が現れたのは良い傾向かな、とも思うよ。仕事を凄くしたい女性もいる訳でさ。
ただなー、それが女性を幸福にしたのか?っていうと私は疑問がある。嫁さんもそんなに働きたい訳じゃないんだよね。東大卒なので、いろいろ私より優秀ではあるんだけど。仕事が幸せに直結しない女性もそれなりにいるんじゃないかな、と
となると、ある程度の知識、積極性、主体性、信頼などが必要になってくるから、それなりに頭の良い子である必要がある。
俺レベルの男だと、せいぜい自己肯定感の低い低偏差値の子にしか好きになってもらえない。
そんな子に頼んでも「わかんない。」「なんでウチが?」となるのがいつもの事なのだ。
だから服を選んだり家計アドバイスしてくれたり、引っ張ってくれる子にとても憧れる。
あとできれば年下がいい。
二十代の女だけど長期的な計画が立てられないし、やっと立てた計画も守れない。
こういう人って沢山いると思うけど、自尊感情の低さに起因してるんじゃないかと思う。自分のことを評価してないから今の自分も過去の自分も信頼できなくて、そんな人間の立てた計画は正しくないと感じて守れないし、何をしてても「もっと優先すべきことがあるんじゃないか」と思って集中できない。
計画性も集中力もないから仕事も資格のための勉強も全然うまくいかない。こんなに要領の悪い奴の考えるのことなんて…とスパイラルにはまっている気がする。
前向きなブス→同性のまともな友達できる→自己肯定感アップ→性格が良くなる→人に好かれるという好循環を生んでいる気がする。
こういう人間もいるんだよ的な。
基本誰にでも合わせられる
その人が求めてるものがわかるから、その人の前ではそういう自分になる
年上の前では妹キャラ
年下の前では姉キャラ
うるさい子の前では話聞くキャラ
おとなしい人たちが集まると率先して明るい元気キャラをやる
キャラは作ってる訳ではなく
ただ自分の中に妹も姉も話聞くキャラも元気キャラも10%ずつ持っていて
それをただ増幅させてる感覚に近い
自分の周りにいる人のことはすきだ
だからその人の通りにしてあげたいとおもう
これは別に、誰かのためになってるわたしドヤでもなく、そうしないと嫌われるとかそんな恐怖でもなく
(昔はそれあったからまだ残っているのかな)
その人への思いやりだと思っている
この人今話聞いてほしいんだなと思うと聞いてあげたい。偽善なんだろうか。
それぞれ凹んでるところも素敵なところもあって
ちいさな子も同い年も年上も一回りくらい上もいろんな人間が周りにいてくれてすごく楽しいし
愛されているほうではあるとおもう。
こうやって自己肯定感みたいなのをみんなに貰った。親とか幼少期にはなかったもの。
優劣は特につけてない。
それぞれ平等にすき。
いろんなコミュニティにいられてほんとうにしあわせ。
多いときは週に3回くらい飲みに行く。
それでもすこし
胸がちくりと痛む日々が続いて
もっと我儘を言いたい
言ってないわけじゃない
思ってることは割とすぐ言うようにしているし
不満はなるべく溜め込まないようにする
でもそれはわたしのほんとに甘えたいことではない
わたしのほんとに言いたい我儘は
男の人といて
この人わたしのことすきなのかな、狙ってたりとかすんのかな
わたしの表面に惹かれているんだなと思うと悲しくなって拒絶してしまう
付き合ったことはあるけど
今思えば全部合わせていたな
セックスもデートもいっしょに部屋にいてもわたしと向き合ってくれてたのかな
いつも一方的に言われるだけだった
そんな日々が過ぎて、
あなたに合わせたわたししかあなたは知らないだろと言いたくなる
たまにイライラもする
こういう人に合わせてしまうようなわたしみたいな人間には負担なんだよ、と
どうしてそんな自己中に生きていられるの
言わないわたしが悪いとは思う
でも、わかろうとしてほしい
みんな解決してくれようとはする
話だって聞いてくれる
でもわたしのことをわかろうとはしてくれない
もっと話したい
知りたい、知ってほしい
向き合ってほしい
話し合いたい。
甘えられない
ほんとうに辛いことは話さない
話せないのか。話さないのか。
話したらきっと聞いてくれるんだろう
けどそれは、わたしに寄り添ったものじゃなくてみんなそれぞれの思う解決方法だ
けど言わなかったら言わなかったで
頼ってくれないのは悲しいって顔をされる
それはそれで悲しい。じゃあどーすりゃいいんだよ。
みんなのことすきだからこそ、つらいのかな。
じゃあカメレオンやめりゃいいじゃん、と自分でも思うのだが難しい
勝手にやりたくてやってるのにそれでストレス溜めるとかおかど違いだしバカみたいだね
それでもこうして辛かったりもするんだよ。
贅沢な悩みだな。ごめんなさい。
にたような人といっしょにいるととても楽だったりもする
鬱じゃなくて躁鬱なのでは、躁鬱は統合失調症と並んで不治の病というブコメがあったので、
そういえば躁鬱って不治なんだっけ?どうなんだっけ?と不思議に思った。自分の思考整理と記録のために書き残す。
なまえをかくしてたのしいにっき。
■誤診期
「誤診」と書いたが、診断確定の難しさは他でもない私が知っているので、「誤診」よりもイメージの良い、精神科医の名誉を傷つけないワードがあったら教えて欲しい。
時期:十年前~七年前
症状:元々パワフルで仕事人間、しかし分配された家事はきちんとやる母であった。共働きフルタイムだったが、食事ははおいしかったし、稼ぎもそれなりにあり、仕事も好きだった。趣味があまり無かったが、車は嫌いではなく毎日の通勤に乗っていたのでストレス発散の手段はゼロではなかったと思う。
母は突然、朝起きれなくなった。仕事に行けなくなった。
涙を零すとか不満をぶちまけることはなく、全てのことに無気力になってしまった。
休職期間が切れ退職扱いになるまでの一年はあっという間で、家族(父、増田を含む兄妹二人)は通院をはじめとした外出に抵抗を示す母を引きずって病院に通いながら、減った収入を補填すべくがむしゃらに働いた。
診断:鬱病。加齢によりが少し体のある器官のせいで、全盛期に比べ仕事の効率が目に見えて落ち、生きがいだった仕事への活力が失われたことが原因ではないかとの意見。
まだ地獄ではなかった。
時期:六年前
症状:何をするにも無気力で食事を採らせるのも一苦労、10キロ以上体重が落ちほぼ寝たきりの状態だった母から、仕事中の増田に電話がかかってきた。
内容は「お前を大富豪にするビジネスプランを考えた。今すぐに実行しろ、金は私が出す」。
我が家に金なんてない。
妹に対しては「お前を玉の輿にのせるプランを考えた。」という電話があったらしい。
その後、仕事中に着信が1分1件ペースで入る。
躁鬱に対する知見が全くないので家族はパニックに陥り、全員が仕事を早退し家に帰ると、見違えるほど元気な(元気すぎる)母がいた。
・投資用マンションの契約をしようとする(一番やばかった、本当に手付け金が帰ってきてよかった)
・キッチンをめちゃくちゃにする
・アドレス帳のすべてに電話を何度も何度もかけまくる(母本人の希望で疎遠にしていた人含む)
・テレビを壊す、壊れたからといって過剰に大きいサイズのテレビを買う
・そのほか高額なものを買いまくる
・「私の考えた最高のビジネスプラン」を話しすぎて、喉が切れて血が出る。血が出てもまだ話すので、口元からずっと血が垂れ落ちている
などなど。今から考えると「自殺をこころみる」が含まれていないのは、本当にラッキーとしかいいようがない
診断:「わたしの鬱病は治った」と言い切る本人をなんとかだまくらかして病院に連れて行くまで半月、その間に家の中は大惨事。様々なもののクーリングオフ、迷惑をかけた方々へのお詫び行脚に明け暮れる。
医師は「躁鬱の波が長いタイプ。鬱が最初に来てしまったので、診断できなかった」とのこと。
なんと躁鬱に効く薬と鬱に効く薬は全く別で、医者も家族も効くわけもない薬を無理やり嫌がる母にのませていたのである。「効果ありませんね~」じゃねーよ、とこの時は思った。暴れるのを抑えるための措置入院を経て、三年間見たこともなかった名前の薬に変わる。
■回復期
時期:五年前~
症状:正しく躁鬱の薬を処方されてからはかなり早く、措置入院は1カ月、その後はテンションの上下自体はあるものの、順調にその波はおさまっていった。勿論きちんと薬を飲むか等、かなり細かく監視の必要はあったが、「鬱だな」「躁だな」と判断出来るようになったことで、家族全員がだんだんそれぞれのパターンでより刺激しない接し方を覚えていった。
また、この頃、自分が通院する必要性について自分でやっと理解できたように見えた。激しい鬱期は被害妄想が強く、躁期には「治った」と思いこんでいたため。
少しずつ少しずつ安定した生活習慣を取り戻し、知り合いのツテで仕事にも一部復帰。(突発的に休む可能性がかなり高いにも関わらず専門性の高い仕事に復帰させて貰えたのは奇跡としか言いようがない。復帰後の職場の皆さんには、今でも、母も自分も頭が上がらない)仕事をするようになってからは、自己肯定感が増し、安定している頻度が増えたように感じた。働くことはプレッシャー増であると考えていた自分には意外だった。
■寛解期
時期:三年前
診断:「寛解」
精神病には、基本「全治」はないという。
骨がくっつきました、とかと違って明確な基準がないため。
が、家族から見ると、一度病気を経た母は少し罹患前より変質しているようにみえた。9割5分、記憶のままのマトモな母だが、やはりどこかしら違ってしまったことがあるように感じた。
私が好きだった母と全く同じものは、もうどこにもいないかもしれない。それは少し寂しかったし、それこそが「寛解」と「治癒」の差かもしれないと感じた。再発のリスクは、限り無く少ないが、ゼロではない。
■最近
おまけ。
寛解から三年たってようやく、「あのころこうだったね」等の振り返りを当人含めてできるようになってきた。妹は良く「玉の輿に乗る方法」の話をして笑いをとっている(※妹は未婚)。
もしかしたら病気になるまえの母はストレスを押し殺していて、本当の母ではない=今の母が本当の彼女の姿なのかもしれないと漸く思うことができた。確かに、記憶の中の母よりもほんの少しだけセンシティブである。
でも我が家はこれを乗り越えられてよかった。家族みんなが、自分のストレス閾値を考えられるようになり、出来ないことを頑張りすぎないようになった。そして家庭の外でも、頑張り過ぎようとしている人に優しく出来るようになった。人間的成長ではなく、壊れたらより損失が大きいことを身を持って知ったからである。
結果、皆母のために暫くの間キャリアを犠牲にはしたが、最終的には職場での評価はあがった。
振り返ると家族の中に三人働ける人間がいたこと、子供二人はまだ未婚で家族以外にかける迷惑が最小限で収まったこと、そして三年の膠着期間を経たとはいえきちんと正しい診断がおり寛解に至れたこと、様々な幸運に助けられたんだなと思う。
かなりベストに近い形だとは思うが、それでも躁に転じたとき二段回目があるのか、この先もっともっとおかしくなるかもしれないという底知れない恐怖ははかりしれない。母がどうこうというより自分だっていつかは、ああなってしまうかもしれないと恐ろしかった。
周りにもし近い状況になっている人がいたら情報共有したい経験ではあるし、我々のように幸運が重ならなかったとしても、何からのセーフティーネットで患者や家族がなんとか生きていける社会であればいいなと思う。