はてなキーワード: 中国語とは
ヒロアカがそれだ
マルタ騒動で信者が中国人は割れでしか読まない割れで読んだくせに叩くな天安門天安門と発狂してたのにドン引き
捨て垢とかじゃなく登録年古くツイート数多くヒロアカキャラをアイコンにして作品愛語ってるような奴らが
中国での売上データを提示して割ればかりではないきちんと人気があるよと示した人を中国人認定して漢字だけの似非中国語で中傷するリプが殺到
アレみてヒロアカ信者が嫌いになり作品にも元々関心はなかったがうっかり画像を見かけると、路上でうんこ見かけたみたいな気持ちになって速攻スクロールするようになった
まあヒロアカ信者にとっては「作品を否定する外国人」こそが路上のうんこのようなもので、そして彼らは無視するのではなく路上のうんこを踏みつけに行ってしまうタイプなのだろう
ヒーロー物なのにそれを読んだ信者がああいう仕上がりになるんだな
両親も祖父母も日本人で多分中国にルーツはないし中国行ったこともないけど、見てて気持ち悪かったしあいつらのイメージがそのままヒロアカのイメージになってる
本当にこれがマンゴーの話だと思うのだろうか?
いや違うだろ
違う
マンゴー崇拝というのは
中国語だろ?
という浅慮な人間もいることだろう
できない
できないさ
つまり中国はおまんこ崇拝を隣の国の日本でおまんことマンゴーが似ていることを発見しマンゴーを崇拝するように見せかけおまんこ崇拝をしていた
こう考えると自然だろう
男はすべてのおまんこを欲するのだ
臭い穴だ
ちんぽが入るし
子供が出てくるし
月一できたねーもんが出てくる
女についた穴なのだ
なぜそんなものが欲しいのか
おまんこというのはおまんこがついている女によって価値が変わる
そんなものに興味がない
おまんこを崇拝するということは
いったい何を崇拝しているのか
おまんこがついている女を崇拝しているのか
どうおもう?
消えたね
なおワイの知り合い
まず手取り18万くらいで都内に1人暮らしだけど貯金1000万オーバーのAさんのお話をしよう。
【Aさん】
<仕事>
Aさんは収入よりも、クビにならない、ストレスを可能な限り感じないという基準で仕事選びをしている。
Aさんいわく、ストレスがあると家で何もする気が起きないから。
<住まい>
住民の中には室内で走り周ったり(キッズではない)、謎の奇声をあげる方もいるが、Aさんはいわく「死にはしない、耳栓もあるぞ」で気にしている様子は無い。
DIYが得意で台所用品や飾るものなど必要なものは自分で作る。
<食事>
100%自炊。外食は奢りじゃないといかない。お弁当は100%持参。
<服>
しまむらやユニクロやスーパーの衣料部門や近所のディスカウントショップの衣料を買う。
<旅行>
行かない。そもそも興味がない。温泉は好きな模様。スーパー銭湯でもいいみたい。
<お出かけ>
スーパーと公園と図書館以外には基本的に行かない。奢りなら行く。
スーパー銭湯は好き。
<娯楽>
食べれる植物を育ててる。
作るのが好き。
タブレット含めたITガジェットは高いから持ってないし興味も無い。PCも無い。ただし使える。
<貯金>
収入を増やさず出費を減らせ
タイトルの通り、収入を増やさず出費を減らし高額な貯金をしていらっしゃるわけですが、
良い言い方をすると「丁寧な暮らしを営んでいる」、「賢者」、
アレな言い方をすると「職場で働かず、家で働いてるだけじゃね?」
なお、Aさんは、非デスクワークで誰でもできるとされている仕事をしていますが、将来の不安は持っていません。
いわく、「なるようにしかならない。今ストレスを感じない事が大事」
本人いわく、使えるレベルにはないとのことですが、英語も中国語もできます。電気の知識なんかもあったりします。
誰でも知っている会社に勤めていたそうなのですが、少々人と物事の捉え方が異なるため、どうにもうまくいかず、ストレスで辞めたそうです。
その後も別の会社をクビになったりで、今の形に落ち着いたそうです。
捉え方が違うため会社で実力を発揮できなったのは残念ですが、INが少なくても高額貯金をするのには非常に向いていた性格だったようです。
増田を自由気ままに書いていると万に一つはバズったりすることもありまする。言及で貴重なご意見、紛れ込ませた元ネタを拾ってくれるご意見、買いたい喧嘩、パンティー、クンニを頂くことも多々ありまする。
しかし拙僧、誓約と制約により言及返しを固く禁じて己の中の獣を律しております故、どれも御返事できず心苦しき次第。
そんな日々のなか、時折愚僧に成り代わりre言及をしてくださる御仁も居りまして。相手方も心得たものと応手を繰り出していくと我というパーソナルが空にふっと消えたまま双樹のように伸びるツリーができあがるのです。
関わらずを決め込んだ囀る死体の腐肉から大樹が生える様は恐悦の至り。しかしそれも稀なこと。欲深き俗人たる吾ははそこに再現性を求めるのです。
つまり、私は依然音信不通でありながら、己が増田についた言及にドル活もかくやと逐一レスポンスを返す御仁を囲いたい。
分身が欲しいわけではなく、出来うるものならばエミュレートの精度は低く成りすましていただきたい。
返答は言及元であるという暗黙の了解を壊しているのを眺めたい。中国語が話せる人が居るはずの部屋の中に居たい。
だがそれを実現し特定の誰かと結託するには増田たるゆえんの匿名性を捨てなければならない。少なくともこれは増田の増田なので宜しくお頼み申すと駅の掲示板に告知しなければならぬ。あなやなんと無粋なことか。
成りすまし増田は純然たる非コミュニケーションが前提の芸術品なのだ。だが、それでも……。
インスタント珈琲で満足する者のように簡易な甘露に安易に莞爾するのも悪くは無いのでは。
とはいえ現実に成せるわけも無し。あるいは己が内の安宿にハイド氏が庇を貸り来るのを夢見るままに待ちいたるしかないだろうか。