増田を自由気ままに書いていると万に一つはバズったりすることもありまする。言及で貴重なご意見、紛れ込ませた元ネタを拾ってくれるご意見、買いたい喧嘩、パンティー、クンニを頂くことも多々ありまする。
しかし拙僧、誓約と制約により言及返しを固く禁じて己の中の獣を律しております故、どれも御返事できず心苦しき次第。
そんな日々のなか、時折愚僧に成り代わりre言及をしてくださる御仁も居りまして。相手方も心得たものと応手を繰り出していくと我というパーソナルが空にふっと消えたまま双樹のように伸びるツリーができあがるのです。
関わらずを決め込んだ囀る死体の腐肉から大樹が生える様は恐悦の至り。しかしそれも稀なこと。欲深き俗人たる吾ははそこに再現性を求めるのです。
つまり、私は依然音信不通でありながら、己が増田についた言及にドル活もかくやと逐一レスポンスを返す御仁を囲いたい。
分身が欲しいわけではなく、出来うるものならばエミュレートの精度は低く成りすましていただきたい。
返答は言及元であるという暗黙の了解を壊しているのを眺めたい。中国語が話せる人が居るはずの部屋の中に居たい。
だがそれを実現し特定の誰かと結託するには増田たるゆえんの匿名性を捨てなければならない。少なくともこれは増田の増田なので宜しくお頼み申すと駅の掲示板に告知しなければならぬ。あなやなんと無粋なことか。
成りすまし増田は純然たる非コミュニケーションが前提の芸術品なのだ。だが、それでも……。
インスタント珈琲で満足する者のように簡易な甘露に安易に莞爾するのも悪くは無いのでは。
とはいえ現実に成せるわけも無し。あるいは己が内の安宿にハイド氏が庇を貸り来るのを夢見るままに待ちいたるしかないだろうか。