はてなキーワード: ネガとは
仕事で使う訳でも無いので軽くだけ勉強しようと、本屋で内容の薄い文法書を買ってみた。
本はこれ;
内容が薄いだけあって、どんどん説明は進む。
ただ何かしら疑問が出て来ても調べられない。薄いから。
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パラパラ眺めてて、韓国語は日本語同様、助詞のバリエーションが多いこと、話者同士の立ち位置で語調が変わる事は分かった。
でもこのバリエーションの多さはちょっとの学習時間では覚えられない。ハングルを実用で使う予定も無いので今はすっ飛ばしておこう。
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「〜が」はハングルでも「가(ガ)」。
使い方も発音も同じ。
例文:私がいるじゃない。
訳文:내가 있잖아요.
내(ネ)が私。
きっとモンゴル語も似てるんだろう。そこまでは手は出さないけど。
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因みに広東語だとサムゴックグワンハイ(※標準語は発音かなり違います)。
今日はここまで。
안녕!
祖父・岸信介に憧憬を抱き、祖父が目指した道筋をたどることで「認められたい」
晋太郎の戦争体験を「思想形成に影を投げかけていた」とネガテイプに捉え、岸の青春時代(大正期)を「日本が大変飛躍的な前進を遂げた〈栄光の時代〉」と憧憬を隠さない。安倍の歴史認識の原点がここに読み取れる。しかし、よく考えれば祖父の青春時代も父の戦争体験も、安倍はもちろん直接知らないし、恩師や学友が言うように歴史の書物を繰って勉強した形跡もあまりない。それでも「祖父は正しい、父は間違っている」と断を下したのは、おそらくは「パパより、おじいちゃんが好き」というようなパーソナルな体験によるのだろう。
安倍の新人議員時代の読書も、純粋な意味での知識の吸収というよりは、幼心に刻まれた「おじいちゃんは正しい」という思いを確認する作業だったように思える。「おじいちゃんのやったことは間違っていなかった」とする「岸史観」が、首相に就いた安倍をして憲法から安保、教科書に至るまで、戦前回帰とも思える戦後体制の否定にひた走らせているのではないか。
古代水の謎を探る
中米メキシコの北部に位置するチワワ砂漠には、クアトロシエネガスと呼ばれるオアシスがある。
だが、実際には200以上の泉が連なっているのだ。
クアトロシエネガスは、5億年前のカンブリアン紀に存在した池のレプリカと考えられている。
この泉を調査する事によって、地球上に原始生命が誕生した謎に迫る事が出来ると考えた、科学者達の足取りを追う。
https://navicon.jp/title94358/
再生時間 : 47分 再生方法 : Windows Media Player 帯域 : 3000k
価格 : 210円 視聴期間 : 7日間
(C)NGCI
顔はブスじゃないと思う。初対面だとだいたい顔を褒められる。あと女の人だと服とかメイクも。
地元とか学校とか職種的にずっと男の人が多い環境だけど、だからと言って「男といる方が楽だわ~」とかは思ったことない。これは私の勝手な感覚だけど、男でも女でも絶対に出せる面と出せない面があるからどっちがいいとかないし、友達の割合も男女半々ぐらい。
引きこもりかと言われるとそういう部分はあるだろうけど、週末には普通に友達と遊びに行くし、一人で飲みに行ったりもする。そんで学生時代にガールズバーでバイトしてたから初対面の人と話すことも億劫とかあんまりなくて、その場で会った人と盛り上がることだってある。
家事は掃除が嫌いだけど人は呼べる程度にしてるし、料理もそれなりにするけど可もなく不可もなくって感じ。嘘。おつまみ作るのはうまいと思う。
多分その辺の人と同じような、平均的な生活してるんだけど、でもずっと彼氏ができない。
小中高の通知表のコメント欄みたいなところにはだいたい人間関係を築くのが上手い、みたいなこと書かれてたのに彼氏とやらはさっぱりできない。
別に何でみんなにできて私にできないの!とかそういうことじゃなくて、みんなどうやって付き合ってるんだろうってシンプルに疑問に思う。
私よりも可愛らしい子にも彼氏はいるし、私より友達の比率が(男でも女でもいいけど)どっちかに傾いてる子にも彼氏はいるし、私よりインドア派で休日はNetflix三昧な子にも彼氏はいる。
まじでみんなどこでどうなって付き合ってんの?どこで出会ってんの?
既婚者ばっかりだから会社はまず無理だし、友達から彼氏へっていうのもそんな雰囲気一ミリも感じたことないし、飲み屋で会う男の人もなんかいつの間にか疎遠になってるし。
疎遠になるのは私が連絡をこまめに返さないからだってよく言われるけど、携帯見たときに何か来てたら返事はしてる。どんなに遅くても6時間以内には返してる。でもそれじゃだめなのかな、もっと細目に返さないといけないのかなと思って一回やってみたけど、それはそれで私が疲れた。
じゃあ性格に問題があるのかもしれないなって考えたけど、面白いくらいにネガティブになっただけだった。
就活の時に学校で受けた強み診断みたいなやつで、適応性とか最上志向とか調和性とか出たけど、それってつまり流されやすくて自分の中に細かいこだわりのある面倒な八方美人ってことだよなとか思った。
ちょっと前にネガポ変換みたいなの流行ったけど、1人でポネガ変換みたいなことしてた。結局自分がゴミだなって自覚しただけだった。やんない方が良いよ、数か月たったけど未だに引きずってるから。
飲み屋で話す人たちとこういう話をすると、男とか女とか年下とか年上とか関係なく絶対に「それだけ可愛かったらすぐ彼氏できるよ~」とか「良い子なんだからいい人見つかるよ」とか「みんな遠慮してるだけじゃない?」とか言われる。
褒めてくれるのは本当に凄く嬉しいし、メイクとか服とかに関しては、やっぱり他の人から見ても可愛いよね~?ぐらいの気持ちになったりもする。
でも最近その裏で、うるせえなこっちには24年いないっていう実績があるんだよって思ってしまう。適当な事ばっかりぬかしやがってって。
別にそれを口にしたりはしないし絶対に顔にも出してないけど、でもなんか変に卑屈になってしまった。ポネガ変換のせいかもしれないって思ったけど、前からそういう人間だったかもしれない。もう自分のことが分からなくなってきた。嫌なやつだな、とは思う。でも直し方も分かんない。
正直これを書く前は一旦気持ちを整理するために、とか思ってたけど、こんだけだらだら長く書いてもよく分かんないし、そもそも私は彼氏が欲しいのかも分からない。ただ、24年間誰にも愛されなかったのはどうしようもなくみじめだなぁって実感しただけだった。
愛にも種類があるっていうじゃん。エロスとかフィリアとかストルゲーとかアガペーってやつ。
私にはエロスってものが圧倒的に足りてない。与えたことも与えられたこともない。でもそれをどこで培えばいいのか分かんない。
なんか、そういうみんなが当たり前に持ってたりあげてたり貰ったりしてるものが私にだけないのがみじめ。でも寂しいじゃなくてみじめって思うこと自体が私が嫌なやつだからなんだろうな。
民宿の泊まり込みで夏休みにうぇーいしてくる連中の相手が仕事内容で、
時々、男同士で喧嘩や、レイプまがいの事件もあったりしたが、それ以外は平和だった。
誰かが餌付けしちゃったようで、また餌でもくれるのかといった顔をしてやってくる。
痩せてかわいそうなので、時々飯をあげていた。
そのうちの赤いネガネのふちをしたオタクっぽい女の子が一人が犬嫌いだった。
僕は彼女が好きになった。
晩ごはんをたべてから、浜辺でふたりきりになって盛り上げっているところにその犬がやってきた。
女の子は犬が気になって仕方がなくないようで、ちらちら見て、
なんとか犬をやってほしいと懇願してきた。
犬をどうにかして。お願いどっかへ犬をやって。ああ、犬が怖くてしょうがないということだった。
僕はその辺にあった流木を片手に近寄った。
犬はまた餌でもくれるのかとおもい、
無邪気に、はーはーと舌をだして僕に近づいてきた。
若さとは性欲のことだと思う。
犬を殺って欲しいから、犬を殺るのだ。
鈍く頭蓋骨が折れる音と、波の音がかさなって目の前の死んだ犬が現実のものじゃないような気がした。
急に怖くなったのか、そそくさと逃げていった。