はてなキーワード: コナンとは
その辺は分からないけど、単行本の4巻で歩美ちゃんが誘拐される事件の時に幼女連続誘拐事件だか殺人事件だかがあったけど
多分これしかない。
で名探偵コナン本編ではアニオリもひっくるめて幼女がレイプされたり殺されたりというリアルでは割と20年前からよくある事件ケースの一つであるにも関わらず
コナンは一度もこういう凄惨な奴には出くわしてなくて困惑する。
本格的なミステリーがそもそも10年ほど前からなくなったけど、子供が殺されない展開ってのも正直飽きて来てる。
というかミステリーを標榜してるのに殺されるのが大体大人っていい加減子供だまし過ぎる。
いや別に俺にはペドフィリアでも幼女殺害趣味とかそういうのはないんだけど、よくよく考えたら子供が事件現場にウロウロしてるのに咎めない警察も問題だし
コナンで灰原エンド望んでる奴はそろそろ諦めろと言いたい
「無能な足手まとい」問題で「一人残らず無能でないことってかえって不自然」みたいな意見を見る
確かに現実には無能なのに立場があったり重要な場面でしゃしゃり出て来る人間はいるだろう
「そもそもそのリアリティいるの?」っていう視点が必要だと思う
名探偵コナンとかに「短期間に殺人事件起きすぎだろwww」って冗談で突っ込まれることがあるけど
「だからコナンはリアリティがなくてクソ」とか真顔で言い出す人がいたらちょっとアレな人かなって思うでしょう
「バイキンマンはジャムおじさん殺せ」とか「あれこれ設定があったところで人型ロボットはどう考えてもありえない」とか
「いやそこは言わないお約束でしょう」っていう部分がどんな作品にでもあって
もしもそういう嘘=お約束=リアリティを無視した部分が全くない作品があるとしたら
多分それはドキュメンタリーかノンフィクションになるんじゃないでしょうか
どこをリアルにしてどこでファンタジーにするのか、するべきなのかっていうのはその作品の狙いだとか、描きたいものによって変わってくるっていう
個人の嗜好的には人間ドラマとか社会問題がメインテーマの作品でない限り
「無能が足引っ張って話を動かす」展開は控えて欲しい派
乱用しなければあっても気にしませんけど
あと関係ないんだけど、そういう風に何かしらの嘘を含んでいるのが物語なので
「そんなことあるわけないじゃん」とか「こんなのありえないじゃん」みたいな否定の仕方って
占い師を買収してたりしてる。
まさに不思議の国のアリス的な
そんな第二週目までのダイジェスト!
ところでさ、
たしか、
白味噌買ったのに、
華麗なまでの、
鴨がネギ背負ってくる、
いや、これイタリアだと
鴨がオレンジ持ってくるって言う具合らしいの。
案の定、
味噌って見掛けは変わっても
頭脳は明晰!
まるでコナン君のよう。
話を戻すんだけど、
すっかり赤味噌になっても
見事なまでに
器をひっくり返して眺める
結局はお味噌汁は
美味しかったと言うだけの話。
ご飯があればもっと最高よね。
うふふ。
朝はしっかり食べたいところね。
もぐもぐ。
今朝なんかもう吐く息が白いというか
そのくらい寒かったので、
窓を開けてすぐに締めてしまったわ。
朝の水分補給よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
安定:聞いた瞬間納得しかない(血界戦線とかコナンとかハガレンとかフェイトゼロとか)(むしろアニメはOP・ED曲のストーリーつきPVなのでは?というくらい世界観が合ってる)
掘り出し物:アニメの展開は序盤ゆっくりしてるけど要所要所動かしてくるしOP・EDがいいからもうしばらくがんばってみる(あとで曲だけ黙って買う)
ダメ:どう聞いても紅白にでたアニソンのパクりですありがとうございました。(切る)
作曲の人もラノベ系のやつたくさんつくるの大変ですよね・・・・。
あとアレンジとか歌う人は純粋に名曲かの判断には関係ないっていわれそうだけど(あるとおもう)、
声優が歌っててもいいのは確実にある。
イクシオンサーガDTの金爆の声優さんとの互換CDなぜか買っちゃったし(歌詞がアレなんで使用シーンものすごく限られてるのに)。
「お願いシンデレラ」をあの人に歌わせるのもまあアリっちゃありだwwwww
でも予算がないからヒロイン声優にイントロとサビが合ってないちぐはぐ歌わせるのはやめたげて!
ものによっては歌で戦う設定とか超絶歌がうまくて異性(主人公とか)がぐいぐいひきつけられるとかの設定なら
無理があるっていうか見ててそこのシーンだけ飛ばしたいくらい苦痛になることがある。
関東大震災の朝鮮人虐殺云々が今更盛り上がっていますが、個人的に不思議なのは、たかだか100年前の出来事が本当にあったかどうかでもめている点です。
その頃にはもちろん新聞もあったし、写真や映像の記録も可能だったりしたわけで、それでもなお真偽のほどがわからないから揉めているわけです。
それってなんだか不思議じゃないですか?
ここで言いたいのは、真偽のほどがどうとかそういう話ではなくて、まだ生きている人間がいる100年前の出来事の真偽がわからないって、なんだか不思議だなっていう話です。
これがもし10年前の話だったらほぼ確実に白黒つくと思うんですよね。
何かしらの記録も残っているでしょうし、記憶も残ってる方が大勢でしょうから。
とはいえ、今から100年後に、最近起こった出来事の真偽を尋ねたとしたら、多分揉めると思うんですよ。
100年後の人から見たら、私たちが書いているチラシの裏以下のブログに書かれたクソみたいな文章と、著名な誰かが書いた素晴らしい文章との実質的な差異がわからないケースが出てくると思うんですよね。釣り記事なのに1000スターくらい付いてしまったエントリとかって、今は明らかにネタだとわかっていたとしても、100年後の人にはそれが判断できないと思うんですよ。その当時の時代背景を理解しているわけでもないですし、それこそ、その当時の日本におけるネット文化とその背景なんてものは想像でしか語れないわけですから。とすると、揉めちゃうはずなんですよ。記録はあるはずなのに、その記録の真偽のほどが判断できないから。
別の観点から考えても、揉める可能性の方が高い気がしています。
「インターネット上に何かを公開する=未来永劫残る」となんとなく思っている人も多いでしょうけど、実際は多分そんなことがないわけです。
現に、潰れてしまったブログサービスに乗っていた記事なんかはもう読めないわけです。
もちろん、個人的に記録を残している人もいるでしょうけど、彼らの記憶媒体が物理的に壊れてしまえばそれはもう見れないも同義なわけです。
CD-ROMやHDDやSSDなんて、もって10年程度ですし、定期的なバックアップを繰り返さない限り、記録はなくなってしまうわけです。
とすると、下手したらそもそも記録がないというパターンもそれなりに生まれるのかなと思ったりします。
これだけ社会が進歩して、記録するための仕組み化が進んだにもかかわらずです。
情報量が多すぎてまともな分析はできないでしょうし、色々な思想が混じり合いすぎて、何が正しいのか今以上にわからないでしょうから。
真実ってなんなんでしょうね。