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はてなキーワード: キリスト教とは

2024-04-01

仏教キリスト教イスラム教の違い

仏教

2500年ほど前に生まれ宗教。「生きることは苦しみであり、その苦しみから逃れるにはどうすればよいか」という問題に、開祖は「思索を深めて悟りを開くことで苦しみから解脱する」ことを説いた。僧侶となり厳しい戒律を守ることで悟りを開くことができるとする派閥と、過去悟りを開いた人たちが神のような存在となって僧侶でない人でも助けてくれるとする派閥がある。

キリスト教

2000年ほど前に生まれ宗教。神と開祖は同一の存在であるとする。世界が終わるときに神による裁判が行われるが、開祖が全ての人の罪を背負って死んだので、開祖の言うことを信じて生きれば救われる、と説く。当初から国家によって保護されたので、キリスト教指導者世俗君主との棲み分けがなされ、そのため倫理道徳としての側面が強くなった。

イスラム教

1500年ほど前に生まれ宗教。神と開祖は異なる存在であり、人ならざる神の気持ち推し量ることはできないので、ただひたすら神が命じたとおりに行動するしかない、と説く。また、開祖自身が国を打ち立てた指導者だったこからイスラム教国家政治と一体化しており、その教義がそのまま法律として運用されている。

2024-03-31

anond:20240330204631

海外でもトランス暴力性はとっくに社会問題になってるよ

元々男性暴力性を持ってる上に、社会規範を敵視して相手ナチス呼ばわりしてるから衝動抑制が効かないんだね

https://www.trtworld.com/perspectives/unmasking-trantifa-the-extremely-violent-side-of-transgender-activism-13601646

トランスジェンダーアクティビズムの極めて暴力的な側面

トランス過激派事件は、特に米国で大きな注目を集め、暴力可能性について懸念を抱かせている。

特に憂慮すべき事件ひとつは、ナッシュビルキリスト教小学校銃乱射事件を起こしたトランスの射手、オードリー・ヘイルに関するものだ。ヘイルは最近、彼/彼の代名詞エイデンという名前採用し、コヴェナントスクールで3人の子供と3人の大人の命を奪った。

別の事件では、元NCAA水泳選手のライリーゲインズが、サンフランシスコ州立大学で、女子スポーツ女性選手を入れることに反対を表明した後、トランス活動家から暴行を受けた。この身体暴行事件は、このテーマについて反対意見を表明する個人が直面する敵意の高まりを浮き彫りにしている。

彼らは、特定ジェンダーに関連する慣習を禁止する法律は「トランスジェノサイド」に相当すると主張し、過激思想の推進を煽っている。

さらに、サイクリストのハンナ・アーレンスマンは、生物学男性との競技に反対したことで直面したハラスメントにより、スポーツを辞めるという苦渋の決断を下した。ハラスメントに関与した人々の中には、プロトランス団体であるジョン・ブラウン・ガン・クラブメンバーも含まれていた。

トランスの人々が投稿する、武装自衛擁護するビデオの増加も気になる傾向だ。現在は削除されたTiktok投稿で、2400人のフォロワーを持つタラジェイは、女性トイレ使用を妨げようとする人に対して銃を使うことを警告している。

このような事件は、『トランス権利.さもなくば......』というスローガンを銃の画像とともに表示したシャツ販売とともに、トランスジェンダーイデオロギーを取り巻く過激主義脅迫の風潮を助長している。

2024-03-28

地獄の沙汰も金次第」とはいうが、あの世お金は持って行けないはずでは……

よくよく考えると変なことわざ

いや、待て……

あの世お金は持って行けない、って話はどこから来たんだ

もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいからあるんだ

古墳からなんかすごい剣が出土したというニュースを見た

あれはまさにあの世に持っていくためのものではないのか

(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)

それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか

「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……

これはあの世タバコを持っていく気満々の発言ではないのか

ということは「あの世お金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる

なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ

その一方で冥銭ってやつもあるんだよな

これはまさに「あの世に持っていくお金」そのものである

本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな

これは中国とか沖縄でそういうことをやっているらしいと聞いた

三途の川の渡し賃の六文銭ってのもあるよなあ

昔は冥銭用のイミテーションお金じゃなくてマジのお金六文銭として使ったと聞く

ギリシャ神話でもカロンってやつがいるし

ただ、こっちは「あの世への通行料」って感じやな

通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?

でも奪衣婆って鬼がいるんだよな

六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……

身につけているものはセーフ?

脳内の別人格ツッコミをしてくる

対話を試みましょうね

「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」

「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」

「もともとの意味は『財産寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」

なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから

でもなー、そのツッコミ群は「あの世お金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない

そもそもあの世お金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくま仮定でしょ?その前提は正しいの?」

かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ

その仮定が真か偽かを確かめるために調べている、これがゴール

「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコールあの世タバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」

そこも怪しいよね

死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない

いや、どうだろう?自信ないな……

少なくとも言えることは、副葬品の目的あの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ

「 『あの世お金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」

でしょうね

「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」

それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん

その棺に入れるもの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる

お金を棺に入れたらもったいないじゃん。」

かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか

あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか

「死んだら無になるよ。あの世存在しない。」

私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる

余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある

いろんな地域、いろんな時代世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう

混乱の原因です

ちゃんと調べて考えを整理したい欲求が高まってきた

ここらへんについて調べよう

①「地獄の沙汰も金次第」の語源について

②「あの世お金は持って行けない」って考え方はいから存在する?

古墳の副葬品は本当にあの世に持っていくためのものなのか?

日本の各時代の副葬品の変遷について

⑤いろんな地域宗教の副葬品について

⑥冥銭について

現代日本人のあの世観について

いろいろ読みかけの本の続きを読むべきかもしれない

日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも

追加で本を探して買ってもいい

そういえばキリスト教圏は副葬品という文化全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)

その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい

日本はなんか、中間というか……ほどほどに副葬品がある

なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ

なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな

儒教文化圏葬式

古墳時代日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代日本貨幣いかもか

仏教伝来あたりの時代の墓の副葬品が気になるな……

今日は問いを設定するまでで終わってしまった

いろんな国地域時代葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……

調べるのはまた後日にしよう

しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?

まだわからない

納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる

という私の思考を整理するための日記です 3/28

宗教観無いとか無宗教かいいながら有名人が亡くなると「天国でお幸せに」みたいな事がボロボロ出てくるじゃん

それを宗教観っていうんだよ

しか天国ってキリスト教じゃん

日曜日教会に行ってもなかった人が行けるとこじゃないよね

TARAKO(まる子の声優)が亡くなった時に「天国お姉ちゃん水谷優子、旧お姉ちゃん声優)に会えたかな」とか言いながら「俺神様とか信じてないしw」って言うやつは控えめに言ってバカ

「今ごろ地獄で仲良く油風呂につかってるだろうね」くらいならまだわかる

anond:20240328105819

それが大乗仏教でしょ

神に祈ると天国に行けます。みんなで神に祈りましょう→キリスト教

とりあえず人間みんな極楽浄土行きやで→仏教

anond:20240328105819

日本人というのは、宗教を信じていながら「自分無宗教」と言いがちな変な民族

 

新興宗教が定期的に起こってきたし、寺社仏閣があまりにも文化と一体化しているし、異教徒への排斥全然いから、

宗教信仰」というのを"普通の寺とか神社以外の信仰をめちゃ熱心にしていること"だと思ってるんだよね。

キリスト教圏にいくと、無宗教っていうのはアナーキズム無神論者のことだから、そこでおかしなことになるって話が有名だ。

 

ちゃん宗教とか日本文化を学んだ層だけが

日本というのは仏教が入り混じったアニミズム、いうなれば日本教を信じていますよね。

……という正しい理解をしている。

 

なんで、それに関してはネット意見とかアンケートとか何一つアテにならないよ。

ネット信仰ないですって意見してるやつに、いや自分初詣いくから仏教徒じゃん?って正論いったら、確かに~~って掌かえしてくれるよだいたい。

こういうストーリーはどうだろうか?

大谷水原通訳マネージャー以上の関係大谷財産は実質二人の共有財産だった

しかし、大谷の親は敬虔キリスト教信者大谷がそういう属性の人であることを親にバラしたくなかった

そのため大谷関係を隠すために偽の妻まで用意した

このタイミング結婚を報告したのも賭博の件で捜査が進んでいることを事前に察知し、今回の件で操作のメスが大谷水原関係まで及ぶことを恐れたか

肩代わりとか盗難とか主張が二転三転したのも「ただ共有財産を使っただけ」という真実を隠すための拙い言い訳

莫大な財産赤の他人に任せているなんて異様?水原赤の他人ではないのだ、ただそれは隠された関係

彼らは別に誰が捕まろうと、世間から非難されようとどうでもいい

二人はただ誰も知らない二人の秘密関係を守る、それだけのために動いている

2024-03-27

anond:20240326205021

まり増田は神のことを道徳を語るものとしてしか考えてなかったということ?

文系でも宗教学問の関わりは世界史倫理で学んだけどな

しかしたら産まれときからキリスト教が当たり前の環境いるからこそ気づけなかったのかな

anond:20240327123327

ドーキンスくらい徹底した無神論者の方が珍しくて、多数派科学者は「神の摂理」を明らかにしようと研究してると思うぞ。「神」はキリスト教の神に限らないけどね。

2024-03-26

キリスト教が出来た時にヨーロッパ諸国民は日本人存在は知っていたはずだ

全知全能だから

特に悩みではないが夫はクリスチャンじゃない

まぁつまり私はクリスチャンである

いや何なら私が把握している限り曽祖父祖母の代の時点でクリスチャン家庭だ。

しかし私の夫はクリスチャンじゃないのである

「神?居たら面白いよね。妖怪妖精幽霊が居ても面白いと思う。居ないよりも居たほうが面白いっしょ」

本当にこんなスタンスの人なのだ

夫へ出会った当初は驚いた。何せ私が誰かへクリスチャンであると明かせばちょっと引かれるか「神社参拝しないの?」と興味本位でイジられるかみたいな感じの人が大半なのに夫だけは「居たら面白い」というスタンスで他の人と全く違った。

夫は神を否定しなければ肯定もしない。存在否定されていないので保留、そして出来れば居てくれたほうが世の中に面白いものが減らなくて良いというスタンスなのだゼロであることが証明されると面白さが減るってスタンスなのだ

一部の人がお察しの通り夫は理系である

世の中に存在するであろう面白いものを探求する人であり、夫からすると神の存在もまた面白いものであり探求する価値のあるものなのだ

神を疑うとか信じるとかそういう価値観に縛られない。本当に本当に彼のそういうスタンスを知った時は驚愕した。

私は正直に言ってしまえば私自身がついつい神を疑ってしまうことへ恐怖感を持っていたが彼は信じる信じない疑う疑わないとかそういう次元にないのだ。

「キミが言うように神が世界創造したなら神が作った世界を、神の意志を最も知ってるのは科学者かもね」

開いた口が塞がらないっていうのを初めて体験した。

「なっ何だこの人!!!」という衝撃が心にガツンと来て、もうその日から彼のことしか考えられなくなった。

その2週間後に告白したがフラレた。当たり前である、そんな関係を一切築いていない状態だったのだから

でも全く諦めずに猛アピールを繰り返し何とか捕まえた。「この人しか居ねぇ!!!」ってなってたわけだし。

結婚するってなたときクリスチャンではない彼に対して親族が物凄く嫌な顔をしたけど何を言ってるんだと、こんな最高の非クリスチャン居ないぞと、駄目なら私は駆け落ちしてでも一緒になる!と説得して認めさせた。

今では私が通っている教会でも非クリスチャンな人として非常に好意的に受け入れられており、この前は13世紀フランシスコ会所属していたロージャーベーコンなる人物についての話で教会の人と盛り上がっていた。意味わからん方向でキリスト教に詳しくなってて笑う。

2024-03-25

anond:20240325153412

そういう価値観を広めようとしているのはキリスト教団体

後はわかるな

誰がこの価値観を後押ししているかちゃんと見ておこうな

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

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追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

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ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

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メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

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■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

2024-03-24

anond:20240324081900

倫理学宗教学を混ぜて語るのは流石にお門違いがすぎないか

倫理学キリスト教の影響を受けているというのはさておき

2024-03-20

anond:20240320125917

キリストユダヤ教の流れで出てきた預言者の一人でキリスト教では一番だけどユダヤ教では認められてないしイスラム教ではムハンマドの前の一預言者

ただしシェアは大きい

ブッダ開祖なのでその点ではキリストより偉い

ただしシェアは先細り

2024-03-16

anond:20240316183216

日本ならキリストを祀ってる神社があるけどよその宗教だとどうなんだろう

そもそもキリスト教でも神と認めるかどうか割れてるんじゃなかった

anond:20240315212320

ヨーロッパ人感覚的にはキリスト教実存宗教)を持ち出さなくてもいい時代劇というのは便利なのかな?

かいう疑問はある。

あと米国に関していうと、むかしまことしやかに言われていたのは歴史が浅い国なので神話から古代中世までの歴史ファンタジー代替しているのだとかなんとか。

2024-03-15

anond:20240315135026

壺っていつの間にキリスト教のことになってたの?

ずっと2ちゃんのことだと思ってた

anond:20240315134233

弾圧してるのはキリスト教勢力

まり壺だ

誰がそういう立ち位置ちゃんとチェックしておこうな

2024-03-14

花粉症患者への支援がなさすぎる

弱者理解配慮しようブームなのに

なぜ花粉症へは配慮しないのか?

キリスト教圏の精神疾患支援とか議論する前に

国内罹患者の多い花粉症患者への理解配慮だろ?

杉を伐らないなら花粉症患者障害年金受給できるようにしてほしい

花粉症患者に対して春の労働免除があれば

育休社員鬱病離脱お互い様という空気になるだろう

みんなが頑張るという右肩上がり時代の考え方はもう要らない

みんなが休む

働ける時だけ働く

それでいいはず

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