はてなキーワード: エヴァとは
宗教モチーフで中身があるっぽい話をしながらロボが宇宙怪獣と喧嘩するだけじゃん?
この程度の作品に何をそんなに熱くなってたんだろう。
たくんさ待たされたっていうけど結局は単に作るのが遅かっただけじゃん?
それで?
作品のクオリティが凄い上がったかと言えば「あれ?10年前の映画?あっでもそうだよね」って感じでむしろマイナス。
主人公がウジウジしてたのが新鮮だったというけどそれって単に「アニメでは」ってだけでしょ?
ねえ?
なにがそんなにすごかったの?
この程度の作品に何を熱くなってたんだろうね?
終わってない作品だから勝手に皆がそれぞれの理想のエヴァを空想して、その「エヴァって凄い」の部分だけが膨れ上がった共有幻想になってただけじゃん。
実際の作品が出たら「うーん……大盛りのコシヒカリとどっちが美味しいか微妙だなあ……」って扱いじゃん。
これで満足なのお前ら?
俺は別にこれで十分だとは思ってるよ。
1800円分の体験なんてこんな程度だよね~~って。
すっごい作品があるって妄想から開放されてロボアニメなんて所詮はこんなもんだよねって割り切れたこの感じがかあ。
なるほどね~~。
旧劇場版で散々「大人になれ!」って騒いでたけど、本当に観てるやつがおとなになるのは普通に終わらせちゃうことだった、と。
ひえ~~~~北風と太陽だ~~~~。
でもこれってネット観てたら嫌でもわかるよね。
皆の反応で「あっ……普通に終わったんだ……」って察せるよね。
嘘が下手すぎだよなコイツら。
自分だけよけりゃいいと思ってんだよね。
私はエヴァンゲリオンを経由せずに生きてきてて、初めて見たエヴァは夫に付き合って映画館で見た破。せめて序を見ておきなよと言われたけどまあ大丈夫だろあんだけ有名なエヴァンゲリオンだし見たらわかるだろうというノリで見た。舞台背景が全くわからないけどウジウジした主人公の少年が目的を見つけて頑張って報われたっぽく終わり、まあまあ面白かった。スタッフロールにかつて同じ職場で働いた人の名前があってオッと思った。映画を見た後にアレはなんなのコレはなんだったのと夫に聞いたら喜んで色々と解説してくれた。序も見てみる?と聞かれたけどだいたいわかったから断った。それにパズドラのコラボで見たから俺は知ってるんだ。
Qも映画館で見た。いきなりよくわからなさが増した。前回の終わりがめでたしめでたしだったはずなのに全然めでたくなかった感じだったが誰も何があったかを教えてくれない。碌に語らないくせにみんなして知らない用語をたくさん使うから早々に置いてけぼりになった。たぶんシンジくんもわかんなかったんじゃないかな。みんなもっとシンジくんに説明してあげてよ。スタッフロールのかつて同じ職場で働いた人の名前は偉そうなところに移動してた。あっ、あの人の向かいの席に座ったことあるんですよ私!と思った。映画を見た後、カヲルくんのこととかリリス?アダム?のこととかを夫に聞いた。テレビシリーズではこうだったんだけどね…と歯切れ悪く教えてくれた。後で二人で考察ブログを色々と読んだ。Qについて夫は多くは語らなかったが、カヲルくん渾身のギャグ「槍でやり直す」は気に入ったようだった。
火曜日にシンエヴァを見てきた。月曜日はなんだかんだで予約できず、火曜日の午後に用事ができたのでそのついでにレイトショーで見ることにしたのだ。冒頭のパリは難解な用語が多くて遠くから眺めてた。第3村は「皆さんご存知の…」みたいな顔して登場した元同級生が全くわからず、なるほどシンジくんにも随分と親しいお友達がいたんだなあと思った。前作と違って登場人物がたくさん喋ってたくさん背景を語ってくれるのだが、同時に徘徊とか宙に浮く車両とか訳わからないものが出てきて、理解・理解不能・理解・理解不能の繰り返しだった。ブンダー?に乗ってからは怒涛の説明・伏線回収タイムとなったが、同じくらいの物量で難しいキーワードが押し寄せてきて、ワーッとなりかけたところで「端から何もわからずに見てるんだから、理解しようと頑張らなくていいのでは?」という悟りがやってきて、そこから楽になった。全くわからんがとにかく凄い勢いで風呂敷が畳まれていく気がした。シンジくんいきなり物分かりが良くなったしオトンめっちゃ喋りよった。物語の背景は相変わらずわからなかったけど、登場人物がなぜあのような行動を取ったのか、何人かの分は大体説明された。終劇。スタッフロールの知ってる名前は制作の主要メンバーとなっていた。私あの人の奥さんになった人に勧められてパン教室行ったけどおもてたんと違って1回しか通わずに受講料をドブに捨てたことあったんすよ。映画を見た後、夫に「面白かった?」と聞いた。夫は「ん〜〜〜〜」と言うだけで、いつものように語ってくれなかった。また後で映画の感想を聞いたら、「え?今日は映画なんて見てないよ。用事が思ったより遅くまでかかって大変だったな〜早く家帰って寝たいな〜」と言った。
夫は翌日になってネタバレの感想がネットで読めるようになってから少し気を持ち直したようだけど、なかなか気分の上下が激しく、傷ついているようだ。私は「終わって良かったね」と声をかけることしか出来なかった。「終わって良かった」と夫は言った。
わざわざ見に行く気がない
95年リアルタイムで見てそれなりに騒いで消費してそれで終わりですぐ次に移行して忘れてた
その後、知らんうちに盛り上がってて何で? ってなった
映画が出るたび、誘ってくれる知人が誰かしらいたので見には行ったがついぞ騒ぐに足る理由が見つからなんだ
誘ってくれた人も連れ立って行くことでモチベーションになってたんだろう。ガルパンの話はしてもエヴァを見る話にはならない
今回はコロナで誘ってくれる人もいないのでたぶん見に行かない
考察は頭のいい人に任せる
個人的には救いのある終わり方だったと思う
これまでのアニメから映画に残っていた例え用の無いモヤモヤ(決して悪い意味ではなく、終わりが見えなくてこの先もエヴァは続くのだろうという吹っ切れない読後感)が払拭された
ゲンドウとユイの同窓?みたいなのは分かったがそれまでの存在だ
しかし彼女は序破Qで異様な存在感を放ち、シンエヴァラストも彼女が幕引きの一手を担った
マリはゲンドウと同年代なので、シンジぐらいの子供がいてもおかしくない
アスカはまさかの量産キャラと判明し、母親が誰かは判明していない、というかいない
穴ぼこまみれで考察にすらなっていないが、
どうだろう?
そもそもこの作品のテーマは使徒と人類の戦いじゃないんじゃないかな?
TV版でも終盤の使徒は精神攻撃みたいな奴らばっかりだし、そういう単純な構図に持っていかなかったところがエヴァを非凡足らしめてる点だと思うんだけど。
hatenashineというブクマカが凄く嫌いなので非表示にしたいんだけど、アプリ版のはてブにはそんな機能ないっぽいのよね。困った。以下、ゴミ野郎の最新ブコメを10件貼りますね
「逃げちゃダメ」だからこそエヴァは面白かったんだわ、しょうもない土地転がしなんぞに逃げ道を得てしまえばつまらなくなるのは自明、Qのほうがまだマシだった
もう10年だぞ、いい加減忘れろ、しつこい、被災者様にはもうウンザリだ
これ聾唖差別と何が違うん?聾唖にも価値はないけど人権があるから渋々我慢してるってことでいい?
あんた胸触ったでしょとか言うて訴えられなくてよかったね
ちん騎士って言うんでしょこういうの
仕事がないので男は東京へ出ていくが、女はどこにいたって結婚さえすれば生きていける、それだけのことだろ
イケメンの意見は全部良いアドバイスで非モテの意見は全部クソバイスなんだからそらこうなるわな
フェミニストがちょっとおとなしくなったと思ったら今度は韓国が似たようなことを喚き出す、駄目だこりゃ
じゃあわざわざ「大塚珠代」呼ばわりして嫌がらせしてる別姓強要派には一体どういう不愉快が根っこにあるんだ?????????????
Yahoo! 映画の評価は4.32点で、お役立ち度の高い感想は概ね5点満点。概ね好評のようだが、ぼくはあまり楽しめなかった。ここ数日、このことをずっと考えていて、気持ちを整理するために書くことにした。
エヴァンゲリオンは、使徒という人知を超えた存在との、生き残りをかけた戦いがテーマだと思っていた。生き残りのためにエヴァという力にも手を出し、本当にギリギリのところで危うく戦っていく物語だと、少なくとも新劇場版の序と破までは認識し、そこに魅力を感じていた。
登場人物の内面を丁寧に描きつつ、ときに人類存続の危機を前に、個人の思いが非情に潰されてしまう。破で3号機に閉じ込められたアスカを守ろうとするシンジや、使徒殲滅のためにダミーシステムを使う判断をするゲンドウの行動、そしてその後のシンジの怒りなど、そのあたりはとても心に響いた記憶がある。
しかし、Qから雲行きが怪しくなってくる。使途との生存をかけた戦いというテーマは影を潜め、人類のために戦っていたはずのシンジは、逆に人類を滅ぼしかけた張本人になってしまう。そして戦いは使徒対人間ではなく、ネルフ対ヴィレ、つまり人間同士の争いになっている。シンジとアスカがエヴァで戦う羽目になるが、そこには使徒との戦いにあったような心に響く要素はなかった。
Qで共感できたのは、「何でこんなことになったのか、ちっとも分からない」と叫ぶシンジの声だけだった。
あれだけ切羽詰まっていた使徒との戦いはどうなったのか。勝ったのか負けたのか。結局人類を滅ぼしたのは使徒ではなくシンジだったということなのか。それなら、あの序と破で描かれた必死の戦いはなんだったのか。生き物がほとんど消滅した地球で、ゲンドウは今更何をしようとしているのか。Qを観たあとは疑問ばかりが残り、釈然としなかった。
ぼくは結局、「破の予告の続き」をQで観たかったのだと思う。しかし、それはQには描かれていなかった。
そしてシン・エヴァンゲリオン。そこに描かれていたのはQの続きであり、TV版と旧劇場版の再構築だった。終わらせ方としては、本当にきっちりしっかり終わらせたと思う。しかし淡い期待は裏切られ、「破の予告の続き」は描かれなかった。
ぼくは使徒とのギリギリ、ボロボロの戦い、多大な犠牲を払う戦いのなかで、最後の最後で使徒に勝利し、やっとのことで人類の存続を勝ち取るという展開を観たかった。しかし、描かれていたのはシンジの救済、そして主要登場人物の救済であり、戦いはある意味で添え物のようなものだった。
ひとつ言いたいのはゲンドウ。あいつはどうしようもない。ネルフの長であるゲンドウは、死んだ(消滅した)嫁さんに再会するためにヴィレと敵対し、ラスボスをやっていたのか? エヴァを使った謎の儀式は嫁さんに会うためにやった? 人類が滅ぶかどうかという状況で、それはあまりにも話が小さすぎる。共感できない。そんなことだから部下が離反するんだよ!
最後のほうの劇中劇のような演出、登場人物の内面語りと救済の展開は、やっぱりエヴァならこうなるよねと思ったし、救われていく人たちを観るのは悪くなかった。でも、シンジ以外は軒並み非業の死を遂げて、最後にやっとのことで使徒に勝ち、使徒が襲来しない世界が実現するという話も、やっぱり観たかった。
エヴァンゲリオン新劇場版は、Q以降、方向性が大きく変容しているように感じる。変容する前の新劇場版に魅力を感じていた身としては、シン・エヴァンゲリオンは不満の残る内容だった。
もちろんこれは、ぼくの「チラシの裏」であり、ほかの方の感想を否定するものではありません。気に障るようなところがあったら許してください。
ごめん 人としての性(さが) の時点で失笑しちゃうんだけど、
エヴァは庵野のオナニーであり、自分を含めたオタクどもは自覚的にオナニーを見にいっているというのはオタク内での共通認識なわけだが
今回の内容にキレているオタクは、
というのが原因でキレてるんだと思う。
ってイッて...もとい言ってるんだとおもう。
書いてて笑いが止まらなくなってきた
人のオナニーを笑うな
シンエヴァ月曜に見たから記憶が薄れてるんだけど終わり間際のタイミングで流れてきた林原の歌は何なの。
林原めぐみが昔から歌を歌ったり歌詞を書いたりしてるのは知ってるけど、あそこで入れる演出の意図って何?
考察くん「推察は出来るけど結局なぜシンジやマリがエヴァに乗れるか劇中で言及がなかった」
考察くん「閉店出血大サービスで畳に来たよね。劇中で言及なかった点についてはどこかで語られて欲しい」
庵野くんあのさぁ「エンタメするって言った所信表明はどうしたんだよ?」
庵野くんあのさぁ「EOEみたいな絵的見どころなかったわ。これが今の庵野か」
庵野くんあのさぁ「敢えてチープな表現したの滑ってるよ。ストーリーも絵的にも見どころない中でやってるから」
庵野くんあのさぁ「またクソ私小説か。劣化EOEじゃん。モヨコのショートアニメともリンク」
ワイ「庵野くんと嫁さんの物語(笑) を抜きにしてもゴミストーリー過ぎて草」
庵野くんあのさぁ「ショボいアクションでエヴァ串刺しにするのはいいけど、エヴァのフィギュア販売告知をパンフに封入するのなんで?」
庵野くんあのさぁ「おじいちゃんEOEの時もそうだったけどオタクはシンジくんみたいに働いて現実を生きてるよ」
庵野くんあのさぁ「おじいちゃん2021年オタクの中心はエヴァじゃないからその自意識恥ずかしいよ」
ワイ「(ふんふんエヴァの話しとるな)」
ワイ「(エヴァの話じゃなかった)」
キョロ充「成長 (ちらっ)」
キョロ充「救い(ちらっ)」
ワイ「キミらのいう "希望" 、"成長"、"救い"、"大人" 、"人生"、"人間" 、"対話" とは? シン・エヴァのどの辺りから感じたの?」
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ(キョロ充逃げる)
迷惑かけてるわけじゃないからいいのだけどキョロ充は自由の表現戦士と本質的に同じ
創作全般に知識がないけど『流行りの話題に乗ってみたい』あるいは可哀想な『社会マウント(になってない)』や『自分語り』をしたいだけ
anond:20210311100940 anond:20210311083556 anond:20210311141402 anond:20210311144917 anond:20210312060954 anond:20210311202720 anond:20210312104929
だからポジティブな感想のほとんどがプペルの感想と似たような感じで薄っぺらい
「エヴァは素晴らしい作品である」ってことを肯定し続けないと現状の自分を否定することになっちゃうから、妄信的なレビューばっかりに見えるんだよね
結局映画の内容単体ではどうやっても救われないという話か。そうだよね。
救われるとかなんとか言ってる人達は「映画の内容」によってそれが決まるかのような話をしているように見えるからそれが不思議だったわけ。
まあ「他でもないエヴァを観に行った先で出会った」というファクターが重要というのはあるのかもしれないけど、それも本体は「出会い」であってエヴァは付帯条件の一つでしかないもんなあ。
逆にエヴァの内容で「救われた」と言ってる人達も、「自分の現状や現在の価値観を肯定してもらえた」という感じだよな。これはまさに自己暗示だよなあ。
そういう意味では正に宗教なのか。彼らにとって。「神」のような存在から「今のあなたが正しく、あなたは天国へ行くでしょう」と正に福音を授けてほしかったわけだな。
現状として「エヴァによって救われる」と思ってたやつや、「エヴァによって救われた」って思おうと必死に自己暗示かけてるやつがたくさんいるから、「エヴァによって救われるためには」って話をしたまでよ。
「エヴァで救われる」って話だから、映画の帰りとか映画で隣になった人とかじゃないとだめだから書いてるだけで、普通に青春したやつや青春して無くても幸せになるための何かを得てるやつは救われる必要すらないわけだしな。