はてなキーワード: ありすとは
・「抜髄」みたいな直球すぎる言葉が出てくること。
オブラートぐるぐる巻きでお願いしたいです。
「ぽわぽわ」みたいなネーミングだったらまだマシかも知れんです。
・痛みに関する説明も無さすぎること。
・あるいは痛みの説明と実際の激痛のギャップがありすぎること。
「少しチクっとしますよ〜」の説明と全然レベチの痛みが不意打ちで来る事ある。
不意打ちの激痛って本能が全力で逃げ出せって言ってくるじゃん。
・「痛かったら手を挙げてくれればいいよ」という事後対応策しか提示されないこと。
出来れば未然に防いではもらえぬだろうか。
・「麻酔が効いてなかったら追加で打ってあげるから安心して」と言われること。
えっ効かない可能性あるんスか…?って血の気が引く。
・突然タオルを目に被せられ、視界が遮られること。
何をされてるか分からんから余計に口中に全神経を集中してしまう。
目隠しで感度が上がるって本当なんだな。
だけどさ、結果的に恐怖を増幅させる仕掛けが満載になっちゃってるのよ。
日常でまずありえない極度の緊張を覚えるので、もしかしたら軽いパニック障害とか歯科恐怖症なのではとさえ。
けど、自分の好みを否定されたことに怒ってるだけな痛々しい行為をしてるって感覚もないではない。そう、たとえばドルオタが推しを押し付けてくるような感じ。
俺がそれをされる立場だったら確かに見たふりして適当にあしらうだけかもしれない。
自分にとって生理的に受け付けない可能性が高いと事前情報で知ってる画像をわざわざ見ようと思うだろうか。
俺もうんこの画像だけは絶対見ないようにしてる。それ見るとうんこを食べる夢を見ることが多いから。起きるまでは、食ったことのないはずのうんこの味が俺が経験あるいは想像するかぎりでもっとも不快な味覚に代えて再現されるのが常だ。夢の中とは不思議なことに食いたくなくても夢に設定された筋書き通りにしか体が動かないんだよな。
ところでがらっと話が変わるがないがふと気になって考えたことがある。綺麗どころの女優の条件は何かと。
美人とは平均顔だといわれることがある。癖が少ない顔と言い換えられそうだ。
ほややくさやみたいな食べ物は嫌いな人も多いが好きな人はとことん好きで熱烈な愛好家であったりする。
そんなふうに、ほどよく癖がある顔というのもルックスの嗜好に対するフックになるんじゃないか。もちろん癖がありすぎる存在はただのブスと呼ばれる存在に等しいのだろう。
ただほやとかくさやみたいな女はテレビや一般の映画の女優としては受けが悪いのかもしれない。
ようするにケチをつけられるんだ。
俺でもテレビに露出している人間には見る目が厳しくなる。アナウンサーに対してはどこかしら容姿の欠点見出してしまい、テレビに向かってお前ははブスだと評している。
そういう意味では綾瀬はるかは確かに無難度が限りなく高いとは思う。どこにケチつければいいか分からない(まあエラとはよく言われるがな。それ以外は)。
俺のお気に入りのAV女優ももし運命のいたずらでまかりまちがってテレビタレントになっていて、最初に知ったのがテレビだったら、それでもケチをつけてなかったかと言えば自信がなくなってしまう。
今癖として魅力に感じているものが、テレビで出会ったものだったら完璧な美に対する欠陥のようにしか思えないかもしれない。
だから綾瀬はるかとお気に入りのAV女優に同時に求愛されたらどちらを選んでただろうかとか、今であっても綾瀬はるかという存在のテレビや事務所の戦略で培われたタレント性に無意識にあてられてしまって、ここで綾瀬はるかを逃したら一生代えがが利かないみたいな気分になって、お気に入りの女優は選べないかもしれないとか、女優との出会いがテレビだったらなおさら綾瀬の方を選んでしまうのかもしれないとか、いろいろ思う訳である。
赤松健議員は自分が「族議員」であることを理解していないんだと思う。
族議員なら、もっと、弱者のどぶ板をして、心のなかでは「無理だなー」と思っても、「貴方の気持ちわかります」って、零細クリエイターの話を聞いて、握手をして欲しい。
心のなかでは無理だなと思っても、だ。
動画に、仕事を失うのではないかと恐れているイラストレーターを呼ばなかったの、致命傷になるなと思ってる。
実際に言ってることは、そんなに間違っちゃいないのだが、浮世離れしすぎていて困っている。
ぶっちゃけて言うと、赤松健の言ってることすべてって、「メガヒットした漫画家の理論」なんですよね。
カネに困ってないメガヒッターが考えるクリエイター論で、周囲の漫画家から聞いた意見も「超メガヒット」連中の強者クリエイター理論が多すぎる。
9割以上の大半を占める、零細個人事業主のことなんか「切り捨てるような発言」を結構してしまう。
言ってる方向性は間違ってないのにだ。
インボイスの流れで押し切られた後、画像生成AI使用の理論も、全て「どんな波が来てももう稼ぎ終わった強者」の視点で冗談を言ってしまう。
ぜんぜん零細個人事業主クリエイターのことは考えてない言い方をしている。
「マクロで長期的に見ればいいだろ」って、ユーモアのつもりで言ってしまうんだよな。
って思う。
「その長期的に見ればいずれ安定する」っていうのは、歴史家か評論家の役割で、族議員は「わかります! なんとか努力します! 安心してください! 私がこの状況をなんとかします」ってとりあえず握手して言うことだよね。
AIも、神絵師以外の水飲みイラストレーターについては、今そこにある危機で、実際に仕事が減って需要がなくなっているんだよな。
「それが歴史の流れだ」「長期的視点に立っているんだ」と思っていても「言う」のは、政治家の役割ではない。
ほどほどのところで妥協点を見出して、「新しい技術との折衷案を見つけました」と言うべきところで、「日本が勝てる」とか言ってしまう。
日本が勝つことになんか興味ねーっつーの。
明後日の依頼がAIに食われて廃業するっていう状況で「日本が画像生成AI開発に勝てる」なんて言われてもうれしくもなんともない。
赤松健の政策主張は、どれもこれも言い方が浮き世離れしている。
AIについても、いずれ安定するって言ってるけれど、それを観て、あーこれハサウェイのタクシー運転手の気分だって理解した。
実際に「学がありすぎるんですよ。暇なんだねぇ、その人さぁ。暮らしって、そんな先考えている暇は無いやね。」
って思う。
AIと人間の関わりの軋轢が放置されたり、インボイス制度が織り込まれる1000年後には、おそらく多くのクリエイター(零細)は耐えられない。
だから、取材を受けたり発信したりするのは、「推進したいなら推進側じゃなくて、反対している人を呼ぶ」ことなんだよな。
AI反対してる人達を呼んで、話をさせてないで、推進側のひとたちとばかり、話ししてるでしょ。
でも、実際に投票したクリエイターの大半は、「貧乏で金もない零細」なんだよ。
それを、「いずれ安定する」とか「夢がある」とか言うのは、族議員じゃないんだよな。
近所のスーパーに行ったら恵方巻きが山積みに置かれていたけど、悲しいくらい売れてなかった。
ざっと300セットくらいあったのに、売り場の1割も減ってないように見えた。
2月3日の夕方17時すぎにこれって絶望的。ほとんど売れ残るのは確実。明日割引しても絶対捌けない。
だっていくら安くたって、節分過ぎてからわざわざ恵方巻きを買いたい人なんているか?食べたい人は今日食べるでしょ。
クリスマスの後に売れ残ったケーキを食べたい人はたくさんいるけど、それはもともとケーキという食べ物に人気があるから。
バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣が根付いたのだって、もともとチョコレートという食べ物に人気があるから。
対して恵方巻きはどうよ?そもそも普段はあの食べにくい一本丸ごとの形状で売られているのを見かけないし、
カットしてある手巻き寿司だって決して売れ筋商品ではないはず。いつもは寿司コーナーの端におまけ程度に置かれる存在。
それなのにいきなり普段の100倍以上用意したところで、1日や2日で売れるわけがない。無理がありすぎる。
早朝から作りたくもない恵方巻きを一生懸命クルクルまきまき手作りしたであろうスーパーの人の気持ちを考えて、
同情して1セット買ってあげようかと思ったけど一番安いので600円、一本でも1000円超えが普通で、こんなの誰が買うんだよって思ってやめた。