ただの新製品のアナウンス投稿に挑発気味で絡んできて、こっちも法人だしことなかれで担当が返信するんだけど
だんだんめっちゃ喧嘩売ってきて「何だこいつ」と思ってアカウント見ると全てを公開してんのよ。出身校とかなんでも。びっくりしちゃう。
普通さ、こことかTwitterとかで書かない?そういうのは。しかもうち一般向けの商品じゃないんだぜ?最後は「俺にはいらない」って知らねーよ。友達じゃねーんだよ。
とかってそいつの投稿見てたらテレビの某コメンテーターのアカウントにも絡んでてブロックされてた。
お前、すごいよ。俺は出来ないね。
マインドフルネス自身に詐欺的なもの加えられるからね。結局は瞑想について科学的に立証が加わっただけ。
もともと仏教に近い霊感商法やってた奴が、マインドフルネスと名乗ってマインドレスネス(不安や迷いでいっぱいの状態)を作るというという偽りのものをやってる。
だって、どこか認証機関があるわけじゃないから、名乗るのは自由。
マインドフルネスっぽいことをして、ありえない不幸だとかを注ぎ込んで、教祖に依存させる。
おおよそ30年間の内、痩せていた時期がない。
自分自身、太っているのはよく分かっているし、それが美しくない、などという曖昧な表現に納まらず、ストレートに申し上げれば醜いことも理解している。風呂上りに鏡で見る裸体は掛け値なしに本当に醜いと感じる。美醜という点でも、健康という点でも、「出来るなら痩せていた方が良い」ということは重々承知している。この「出来るならば」が曲者なのだ。私が思う痩せたい/痩せた方がいいという理解と判断と気持ちは、分かりやすく表現すると、宝くじを買っていないのに「あ~3億円の宝くじ当たらないかな~」と夢見るようなものでしかない。解決する気、つまりやる気がないのである。ちなみに私は宝くじを買っていないのによく宝くじ当たらないかな~と口にする。
このやる気がないことはありとあらゆることに繋がっている。デブという体系以外の服飾や美容や化粧というものにもやる気がない。服飾や化粧や手入れでドブスがブス、ブスがまぁちょいブスくらいには変わるものなのかもしれないが、いたずらに耳目を集めるような汚さ/臭さ/奇抜さがなく、最低限の清潔感さえあればいいやと、仕事でもプライベートでも家でも全てユニクロを着ている。
デブであることも運動や食事療法、生活習慣などを見直せば当然痩せるだろうが、努力してまで現状を変えようというガッツがない。美味いものを食って美味い酒を呑み、ろくに運動せずだらりと過ごすのが好きだ。
幼少期から今に至るまで、テロメアに異常でもあるのだろうかと思うほどに運動が苦手であるが、克服しようという気がない。苦手なものは苦手なままでいいや、積極的に関わろうとしなければいいや精神だ。
学生時代は学業はそこまで悪くはなかった、ストレートで中の下といったそこそこの大学へ進学し、ストレートに卒業した。努力をすればよりレベルの高い大学に進めたろうし、今だって勉強すれば知識は増えるだろう。でもそこまでやる気がない。
料理や掃除スキルもない。部屋は乱雑でごちゃごちゃしているし、未だに実家に暮らしている上、母が料理が得意なので全てまかせている。家事スキルというのは人間として高いに越したことはない。どちらも経験を積めばある程度はレベルがあがるし、努力すれば身につくものだ。でもやらないで過ごしている現状が楽だ。
人とコミュニケーションを取り交友関係を広げていくことは、トラブルに巻き込まれることもあろうけれども、悪いことではない。でも一人が気楽だ。
当然、若いころは周囲も若かったのでデブスであることを積極的にからかわれ、なぜ自分はこうなのかと考えたこともあるが、デブスであることは純然なる事実であったし、特に顔を真っ赤にして怒るようなことでもなかった。なによりそのころにそういったストレートな事象で人を罵倒するタイプの子供というのは、悲しいことに得てして馬鹿だった。本当にごく一般的で、大した事のない自分よりも学校の勉強すら出来ない馬鹿の言葉を気にして反応する必要はない。そうしてなぜか無駄なほど高飛車に形成されていた心の強さにより、そういった罵倒を全て無視した所、まぁ当然嫌がる反応を見たいからこそ投げられる暴言だ、頻度が酷く減っていき、気付けば自分も周りも大人になって、そういった言葉は投げかけられなくなった。
本を読むこと、音楽を聴くこと、歌うこと、映画を見るもの、絵画を見に行くこと、そういったことは昔から今に至るまで好きだ。好きだからこそ努力していない。努力は必要ない。それぞれでプロを目指している訳でもなく、自分が楽しいと思える範囲しかやっていない。学生時代はかなり厳しい部活動に所属して自分を追い込んでいたし、結局やめることなくきちんと務めきったが、その経験から精神を病んだり苦しんだりしながら努力を重ねるほどやりたいことではないなと思った。当然アマチュアレベルだしプロを目指すほど上手くはない。
人と深く交流することも面倒で、必要最低限で済ませた。一人でも楽しめる趣味に世界は溢れていたし、十分楽しいのだ。
こうやってぐだぐだと思考を重ねていくことも好きで、SNSはtwitterだけやっている。趣味の話をする友人…と私が思っている対象もそこそこいる。
そんなやる気もガッツも一切ないデブスなので、当然交際経験もない。処女というと性行為をしたことがない意味になるが、そもそもの交際経験がないのだ。異性の友人もいるが、友人として成り立てるということは、価値観が近いということで、そりゃデブスに興味はないのである。見目麗しくなく、得意なスキルもなく、努力を重ねる高い精神性もない人間と、一体誰が好き好んで深い関係になりたがるというのか。自覚があるし理解もある。
利益があるから好きになるんじゃない、というのが恋とか愛の定説だろう。きっとそうなんだろうなと音には聞く。他人事なのは特別好きになった相手もいないからだ。齢30を手前にして、恋とはどんなものかしら~なんて考えているなんて大笑いである。しかもそれが美しい娘が窓際で歌う小鳥とハーモニーを重ねるのではなく、ユニクロを着たデブスが乱雑な部屋で光る画面を見つめながらだ。
承認欲求は人と同じほどあるし、彼氏/彼女は正直欲しい。女なのだろう?彼氏じゃないのか?という部分に関しては、正直どちらでもいい、両刀/バイやⅩジェンダーなのか?と聞かれても困る。なにせ交際経験がないからだ。より正直に言えば、男/女/LGBTに関わらず、別に動物でもいい。哺乳類以外も好きだ、爬虫類などね。虫は苦手だが蜘蛛は好きだ。でもまぁ彼氏/彼女と並べるなら変温動物よりは恒温動物がいいな。じゃあペットを飼えと思われるだろう。ペットに憧れはあるが中途半端に繊細なハートの持ち主なので、いわゆるペットロス…ペットに先立たれることに耐え切れないのが目に見えているし、やる気がないのだ。
寂しいときに甘えられ、向こうが甘えたいときに甘やかしたい。そんな欲求ゆえに彼氏/彼女/恒温動物が恋しくなる。でもそれはつまり都合の良い相手が欲しいというだけで、苦労し努力してほど捜し求めたくない。ここでもやっぱり結局、やる気がないのだ。
死にたい訳ではない、楽しいことは沢山ある。まぁ嫌なことも多いけれど。あと、まだ30歳前であるが、今後死に際も一人かと思うと猛烈に怖くなる。私は末っ子だ、不摂生が祟って早死にしなければ、身内と呼べるコミュニティの中では最も遅く死ぬことになる。じゃあ早死にしたいか?というと、絶対嫌だ。出来る限り楽しく生きたいとさえ思っている。じゃあ不安解消の為に努力をするか?といえば、やる気がないのである。
自分は別に特別な人間じゃない、ということはよくよく分かっている。つまりはこういうやる気のないが人寂しい人間というのは一定数確実にいるのだ。そういう人同士が寂しさを埋めるように体温を分け合えばwin-winじゃないかと思う。需要と供給が成り立っている。でも実際そういう人間を探そうというやる気が私にはない。多分まだ見ぬ同じような存在もやる気がないのだ。
出会えば幸せになれるかもしれないが、出会おうとするやる気がない同士なので出会えない。無気力のジレンマとでも名付けたい。
私は生まれながらの天然培養デブス処女、年齢はアラウンドサーティン。寂しい、評価されたい、愛されたい、愛したい、頼られたい、良く思われたい、楽に行きたい、尊敬されたい、etcetc…欲望はつきない。でもその欲望をかなえるべく努力はしない。やる気がないからね。
今では注目を集めた人がご意見番みたいな扱いになるところあるよね。
ああいうのほんとバカだなって思うんですよ。そんな近くを掃除されたらトレーニングに集中できないだろ?客の心理を考えろよ。もしそれが規定でやってるんだったら改善しろよ。ほんとバカな奴。
って思っちゃった。
「やってることはさべつやで」会社に資料請求すると「日本国籍が条件」で門前払い…トルコ人男性“正義”の法廷闘争
http://www.sankei.com/west/news/170905/wst1709050004-n1.html
ということで本人訴訟を起こしトルコ人の男性は勝ったのだが、販売会社は
「外国人には資料を送付しない」旨のメールを送った点については「長文読解が不可能と考えて、
そのような記載をしたことを担当者は反省している」としながらも、
「判決内容は契約の自由および企業活動におけるコンプライアンス上の合理的判断を否定するものであり、控訴を含め検討している」とコメントした。
↓
オーストラリアドルを100万円相当ほど買っておきましょう。
明日また何度か侮蔑語や危ういことを言ってしまう時や時間帯がある
ごめん
きっと
私が私でなくなっても
私が私でなくなるからこそ
今までのそれら愚行の積み重ねが
私もろとも死んでしまうかもしれない
そうはしたくないしなりたくない
なので
できれば大切な存在を増やしたくない
大切じゃない存在なんていないはずなんだけどね
でもなにか終わってしまった気がする
異種でした
やっぱり異種だったんだ
音楽は罪
な法則あると思う
門外漢からすると、Aという領域とBという領域を同じだと勘違いするけど
中の人的にはAとBは全く別で
そういうやつ
X社に努めてるなら、あの製品について詳しいでしょ とか
そういうやつ
例えば他の領域の人は、プログラマーのこと、ITなら大体分かるんだろうと思ってるだろうが
実際は知ってることなどすごく狭い
この「気付かずに同一視する」ってのがとても危ない
例えば素人でも野球好きなら野球についてちょっとは言えるだろう?
同じようにサッカー選手も、野球についてちょっとは言えてもおかしくない
でも、もし野球とサッカーを「同じスポーツでしょ」って捉えると
サッカー選手の言った「野球がうまくなる方法」を「専門家が言ったこと」と鵜呑みにしてしまう
こういうのが色んなところであると思う
お母さんの言うことは当たり前だと思うよ
そしてあなたの言うことも当たり前
自分も明治生まれの親戚に子供の頃よく朝鮮人は大嫌いと悪口言われた
その親戚は大好きだったけどその言葉だけは子供ながら許せなかった
ところが彼らについての信頼ある書籍のいくつかを勉強して、彼らが何をしてきたか、なぜ戦後隠され続けてきたのかその意味を知った。
だからあなたもえたと言われる人たちの真実を書いた書物を自分の力で探して勉強すると良いよ。
何でも相手の言うことを徹底的に理解してみてから反論しようよ。
「差別」はいけない。だけれど、戦後日本はこの差別を利用して日本人のお金を吸い上げて日本国民を裏で支配し続けている人が現実にいることを知った方が良いよ。
日本の戦争が、実はまったくの自衛のための正義の戦争で、南北戦争でアジアの植民地主義に出遅れた出遅れたアメリカのルーズベルトらが画策した戦争を、アメリカは人類史に残る歴史のすり替えを行ったと言う事実が厳然とあることに気づくよ。