はてなキーワード: SAY YESとは
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
---|---|---|
1376 | Prompt Engineering Guide – Nextra | www.promptingguide.ai |
1323 | 独身男性の最近のつくりおき - #つくりおき | tsukurioki.hatenablog.com |
1205 | DON'T SAY YES | mindhack.xyz |
1096 | 良さが分からない名盤(30−1位)(後編) | www.zippu21.com |
1013 | 離乳食提供開始の反響を受けまして | Soup Stock Tokyo(スープストックトーキョー) | www.soup-stock-tokyo.com |
995 | 日常会話はなぜ成り立つのか? 「究極のフリースタイル」である言語を考える【いとうせいこう×ライムスター宇多丸・対談】 | 対談・鼎談 | Book Bang -ブックバン- | www.bookbang.jp |
938 | ニュース :: 【研究発表】昆虫学の大問題=「昆虫はなぜ海にいないのか」に関する新仮説 | www.tmu.ac.jp |
890 | GPT-1→GPT-2→GPT-3→GPT-3.5→ChatGPT→GPT-4までの進化の軌跡と違いをまとめてみた|スタビジ | toukei-lab.com |
888 | 人生を仕組み化していったら結婚できた件 - Amosapientiam | yuchiki1000yen.hatenablog.com |
789 | 後輩が配達先で立ちションした件で、ミーティングした日の話 | twister | makiya-twister.com |
785 | ダイエー写真集 | d-gallery.nakauchi.com |
724 | 日立製作所「同期SEの2割が、病気休職か治療中」――労務管理システムをハックして改ざん、360度評価は機能せず | www.mynewsjapan.com |
712 | 国内のクラフトビール業界が抱えるジレンマ | kyotobrewing.com |
675 | 葱ダシの作り方 - /var/lib/azumakuniyuki | azumakuniyuki.hatenablog.com |
663 | 東大理Ⅲにお子さんが4人受かったお母さんの、例の教育法を受けて育った一般人の感想 | webcache.googleusercontent.com |
651 | ソシャゲ運営を8年やって感じた、良いところと悪いところ - 音速きなこおはぎ | eihigh.hatenablog.com |
645 | 論文読みの日課について - ジョイジョイジョイ | joisino.hatenablog.com |
638 | ラッコの水槽にiPhoneを落としてしまい、ラッコにより徹底的に叩き割られる | epinesis.net |
638 | Suicaの新改札システムはようやっとキタ感が強いよねって話とか何ができるようになるのかとか耐障害性の話。 - O-Lab +Ossan Laboratory+ | ossan.hatenablog.com |
631 | Linux におけるファイル I/O の基礎 | itkq.jp |
584 | Cache Storage がめちゃくちゃ肥大化する問題について調べる | ぴんくいろにっき | blog.hinaloe.net |
574 | Stable Diffusionでハイクオリティなリアル系イラストを生成できるモデル、LoRAを紹介 | Murasan Lab | murasan-net.com |
569 | 更地にした土地の固定資産税が、意外な金額だった - 薬指のブログ | kusuriyubino.hatenablog.com |
569 | 【著作権侵害】NHKによる無断転載の詳細と裁判結果のご報告|将棋講座ドットコム | xn--pet04dr1n5x9a.com |
537 | フェスガチ勢が「疲れにくい」と太鼓判を押すスニーカー「ホカオネオネ」がやっぱりほしい #楽天お買い物マラソン #ソレドコ - ソレドコ | soredoko.jp |
503 | GPT作曲くん | compose.yumetaro.info |
502 | 生成系AI(ChatGPT, BingAI, Bard, Midjourney, Stable Diffusion等)について | utelecon.adm.u-tokyo.ac.jp |
499 | Vol.107 | PIZZA OF DEATH RECORDS | www.pizzaofdeath.com |
482 | ChatGPT英語例文自動添削プロンプト | yanase-yosuke.blogspot.com |
481 | 年収1500万円だけど「ペットボトルは買わずに水筒持参。徒歩20分以内なら電車に乗らない」と語る女性(2023年3月31日)|BIGLOBEニュース | news.biglobe.ne.jp |
480 | なぜHTMLだけなのか。拙著「武器になるHTML」の執筆を通して伝えたかったこと - Shibajuku | shibajuku.net |
480 | 三菱重工 | 社名変更のお知らせ | www.mhi.com |
1.チャゲアンドシャブの大ヒット曲「YAH YAH YAH」
織田裕二主演の大ヒットドラマ『振り返ればヤスがいる』の主題歌として起用され
「YAH YAH YAH」は1993年発売の31枚目のシングルと遅咲きのアーティストだった
2.ビートルズの「A Hard Day's Night」の邦題「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」
なお、あまりに不評だったため、現在では「ハード・デイズ・ナイト」と改題されている。
映画はめちゃくちゃチキって長編未経験監督に低予算でモノクロで作らせたが無事大ヒットした。
邦題を付けたのは当時ユナイト映画の広報を担当していた水野晴郎氏。
のちに映画評論家、シベリア超特急の監督となる人物であり、日本アカデミー賞の発案者でもある。
3.アメリカ出身のパンクバンドThe Offspringの代表曲の一つ「ALL I WANT」
これまでインディーズで活動(アルバム1400万枚売る)してきた彼らの記念すべきファーストシングル。
日本ではFLASH黄金時代に「ドラサイト(後にオラサイト)」にて発表された
「DoRaeMooooooooooooN!!!!」の大ヒットで一躍ネットの一部での知名度を得る。
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
CHAGE and ASKAみたいな単語教えての増田をふまえて。
「SAY YES」「僕はこの瞳で嘘をつく」を収録した大ヒットアルバム「TREE」のCHAGE曲。男女関係を釣りに例えたタイトル。CHAGEソロでも歌われる人気曲。
「YAH YAH YAH」の大ヒットの余波が続く中で発売されたシングル。子供達に対するASKAの想いを詩的に歌い上げたスローバラード。
2007年に発売された、チャゲアスの実質的なラストシングル。対比を多用した輪廻転生を思わせる歌詞とASKAの卓越したメロディメーカーとしての実力が味わえる一曲。
ブコメで指摘されて追加。「Man and Woman」と同時発売された、CHAGE作曲のシングル。松井五郎の紡いだ言葉と二人の掛け合いが印象的な曲。
疲れた、、
あとは寝てまた朝満員電車に押しつぶされる
その繰り返し
なぜこうなったのだろう?
なぜこれを選んだのだろう?
わざわざ東京に来てプライベートな時間を捨てて働いているのか?
俺の幸せって?
コンビニ飯に毒される体と
また歳だけ食う
問うても問いきれない後悔と自責に追われながら眠りにつく
ヨレヨレのスーツを着て
彼女もおらず
なんのために生まれて
なにをして喜ぶかもなく
日々に追い詰められる
これを読んだブクマカ達は
趣味を持て
彼女作れ
外にでろ
本を読め
とか書くんだろ?
わかってるさ
、、っていうしがないサラリーマンのドラマを神木隆之介主演で観たい
、
まー、ベタに体を入れ替えて「101回目の東京ラブストーリー 〜君の名は〜」というタイトルでね。
ラスボスはシュワルツェネッガーで未来から来た設定。
永野芽郁がやられてスーパー地球人に覚醒した神木くんなんだけど最終的にシュワちゃん連れて火星に瞬間移動して一緒に爆発するのね。
星になった神木くんを小松菜奈が見上げて泣くと、会社の社長のリリー・フランキーが「僕は死にましぇん!!」ってプロポーズするんだけど、ギフハフが突然来てリリー・フランキーをさらっちゃうんだよね。
小松菜奈ポカーンなんだけど、そこに彗星が落ちてきて〜fin say yes we can〜
でいんじゃね?
「君がいるだけで」米米CLUB
「もう恋なんてしない」槇原敬之
「愛しさと せつなさと 心強さと」篠原涼子 with t.komuro
「Tomorrow never knows」Mr.Children
「LOVE LOVE LOVE」DREAMS COME TRUE
「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL
「YELLOW YELLOW HAPPY」ポケットビスケッツ
「HOWEVER」GLAY
「長い間」Kiroro
「Time goes by」Every Little Thing
「糸」中島みゆき
「Grateful Days」Dragon Ash
「A・RA・SHI」嵐
俺はなんでこれを書くんだろうね。
ここに書くしかないというこの状況が終わっているのかもしれない。
まっとうな皆さんはきっと家族や友達や同僚に話したりするんだろうね。
八方塞になってしまった。
生まれてはじめて打ったよはっぽうふさがり。
塞がりって送り仮名いらないか知らないけど今は調べる気力もないわ。
まぁでもね。
最初はさ、一方二方ぐらいの塞がりだったんだけどね。
まぁ見ないフリするわけですよ。六方はまだ空いてるし。
でもまぁなんとかなるかななんて思いながら暮らしてたら八方塞がっちゃいまして。
塞がっちゃいちゃいチャイコフスキーでして。最後の二方ぐらいは自分で塞ぎましたからね。救いようがないわ。
なんだろ、別になんか同情を誘うアレじゃないんですけどね。
自ら死ぬことを選ぶ人の入り口に立っちゃってる感がすごいんすわ今。鬱&UTSUKAが歌ってるんすわ。セイエスって。
このセイエスっていうのは小さい頃に渡辺くんがSAY YESってちゃんと書けなくて黒板に書いたワードってだけで全然関係ないんですけどね。
戻りたいわあの頃に。
あー、どうしてるんだよみんな。こんな非常に抽象的な文章に一石を投じる具体的な状況が登場(最後だけ韻を踏んだ)。
そう私は。分不相応な職務に分不相応なスキルで対峙し分不相応な給与を得ているのである。
それが辛いなら辞めれば、だって?はいはいはい、そうですねそうですね。スーパー正論キッドのあなたはそう言うでしょうけど、無理ですよ。
そう私はさらに。分不相応な借家に住み。分不相応な嫁を持ち。分不相応に子供を2人もうけているからである。
そして分不相応故に、分不相応な給与をもってしてもカッツカツ、見てみい俺の口座!カッツカツやぞ!カッツカツやぞ!
いやもうちょっとね。もうちょっと面白い文章書けるんですよ私。
でも今はこれが限界。頭から漏れ出るゲル状の思い付きを新品のまな板という名の増田に塗りたくることしかできないワケです。
大体お前らあれだぞ!俺が作った最高に面白い記事で満載のはてなブログにブクマしないからいけないんだぞ!
互助会のやつらあれなのな、最初はちょっとブクマくれるんだけどさ、返さないとブクマからスターに変えてもったいつけんの。
気味悪いわ。だれがお前のコピーにコピーを重ねてクリアな部分とモザイクの境目すらわからなくなったVHSのAVみたいにボッケボケなブログにブクマを返すかよ。
でもさ、最初はその流れに乗らなきゃいけないのかね。誰も来なくなった廃墟の様なブログには2年前の記事が悲しくはためいているよ。
あのころ互助会の流れに乗ってブクマを増やしまともな読者を増やしていれば、今頃は互助会に頼らなくても人気のブログになっていたかな。
なってねぇか。でもさ、いまでも悲しくはためくあの記事たちは、やっぱり俺は最高だと思うわけ。
全部オリジナルの企画と記事でさ、何度も何度も推敲を繰り返してさ、悲しいこの世の一服の清涼剤となり、私の承認欲求も満たされたら最高だなぁなんて思ってたのにさ。お前らが互助会の記事に文句書きながらブクマしてるせいだよ!無視しろよ!そして俺の面白記事を掘り出してブクマしろよ!
そんな話をしたいんじゃなかったんだよ!
どこのどいつだ!こんなところまで律儀に読んじゃっている天使は!?
あんた天使だよ!翼の折れたところを竹で補強して低コストでの翼の長期運用を実現させている伴侶にしたいタイプのエンジェルだよ!
どうだ調子が出てきたぞ!どこかないですか、こんな文章を毎日書きますんで年俸850万ぐらいで安定雇用してくれる財団は?ないですか。いやです。作ってください。翼を竹で補強したエンジェルのあなたが作ってください後生ですから。
もう無理なんすわ。いや逆によくここまで無理なくやってこれた。
なんて言うんすかね、私は今ですね、コミュ障のくせに調整業務をメインで行ってるわけですよ。
しかもその上に判断力も無い、実行力も無い、理解力もない、ないないない、I wanna dance every night.
そのくせ、なーんかちょっと難しいことを上手いことやっているぞ、という空気をもやぁ~と出すことだけは上手かった。
もう何年もね、もやぁ~とその空気を出しながらだらだら仕事するだけの私だったんですよずっと。ほら自業自得でしょ?
でももう終わりだ。みんなすげー難しい話するよね。俺ぜんっぜんわからないもん。根本として何を議論しているのかわからない。
何がわからないかわからないんすよ。何でですかね?しらねーよって話でしょうけどマジで助けて欲しいんですわ。
なんか会社ってさ、いろんな役割の人いるじゃないですか、その切り分けが全然わからなくて。いつも自分の範疇は足りなくて、
自分の範疇じゃないところまで手をだして、相手の範疇がわからず、どこからかわけのわからないサポートに助けられる繰り返しですよ。
ステークホルダーとかの話が出てくるとお手上げ。みんなじゃなくて?みんな関係してるじゃん。みんなの合意とればいいんじゃないの?
わかんねーわ。そこは合意いらないっていうからさ、今度俺が決めたらそこはちゃんと議論して決めろとか判断は相手にゆだねろとか。
しらねーってその基準をどこかに表にして貼っとけ!とか言うとさ、なんだアスペかとか言われるわけでしょ?ちげーよ。たぶん!
相手の気持ちがよくわかるもん。みんな隠しきれてないからね。「あーあ、こいつダメだわ。」っていう感情。
いいよ、思うのはいいよ。出すなよバカ。思い込みじゃないからね!絶対思ってるし。
でさ、ちょくちょく「ダメだわ」って顔されるわけ。で萎縮するわけ。で萎縮してたらさらに「ダメだわ」って顔されるわけ。
wordのイルカさんに聞いたら教えてくれるかな?「上手く仕事する方法」って。でもそれ教えてくれるなら「数年で価値が100倍になる株」で聞きたいな。Officeが入ったWin95どっかにないかな?よし、聞いてみよう。聞いたらきっと教えてくれる!メルカリで買おう!
どんなお買い上げありがとうメモついてくるかな。「おじいちゃんが使いこなせなかったパソコンです。」みたいなのついてくるかな。ホロリとしちゃうな。ちょっと弱めだなこのくだりは。
はい、翻って仕事ですけどね。じゃあ辞めて相応な職につけって話じゃないですか。あなた方のようなおまかせウルトラ正論ボーイ達が言うのは。
でもさ、愛する妻と子供たちがいるわけ。俺が稼がないと幸せな暮らしが送れない家族がいるわけ。
嫁は昔勤めていたブラックな業界を抜けて、その次にブラックと言われている主婦業に邁進しているわけ。マジで尊敬するわ。
そんな家族を支えなきゃいけないわけ。どんなに苦しくたって俺はこの分不相応にもなんだかできそうな空気によって獲得したこの職業とこの賃金を維持しないといけないわけ。おとーしゃんおとーしゃん言ってくれる子供を幸せにしなきゃいけないわけ!
そしてその子供はおとーしゃんがいないと幸せじゃないってわかってるわけ。思い込みじゃないわ!絶対に必要だ俺が。だから死ねないわけ。
だからさ。どんなにバカにされてもさ。こいつクソだなって顔されてもさ。今の職にしがみつくよ俺は。だから誰か教えてくれよ。
どうしたらみんなが言っている話を少しでも理解できるようになるんだよ。どうしたらビジネスの話ができるんだよ。
なんなんだろうな。今年入って来たような新卒がさ。バリバリ理解してバリバリ調整してバリバリ偉い人と意思疎通しながらバリバリ伝説の序章をしたためているわけ。もうこれは素質的な問題なの?仕事できるやつは生まれながらに仕事ができるの?なんなの。この間まで学生だったのにそのスキルはどこでつけるの?本に書いてあるの?マジで何をどうやって勉強したらそういう風になれるんだよ。どうやったらそういう風に同僚たちと笑い合えるんだよ。っていうこの流れを一行で書くことで疾走感や迷走感をダダ漏れる感情を表現してみたのですがいかがだったでしょうか?いいね!と思ったら是非クリックしてくださいね!僕の左乳首を(但し吉高由里子に限る)。
はぁ。
書くって良いね。元気出てきたよ。
こうでもしてないとさ結局大した努力もしないままに今日に至ってしまった自分への怨嗟とかさ、
いつも不機嫌だからみんな気を使ってもらって上手く回っているだけなのにそれを仕事ができると勘違いしているマネージャーへの怨嗟とかがあふれてきてしまうわけ。いやたった今あふれてしまったけど。
なんだかんだお前幸せじゃねーかって思う奴多いでしょ?幸せだよ。
それなのにその幸せの代償として努力を重ねてこなかったからさ、こんなに苦しいんだと思うよ。
だから努力はするよ。する。でもわからないんだ。俺は何を努力すればいい?
ダメか。こんな幸せな奴に手を差し伸べるやつはいないのか。でも他に居ないんだよ。
頼むよ。今回。今回だけ助けてくれ。
恐ろしい恐ろしい言われてプリントアウトする状況ではないと思うんだよ。
きっと何か打開できる策があると思うんだよそうだろう?伝わってるかなこの感じ。
この文章のようにさ。自分の考えをシンプルに相手に提供できなかったりするわけ。こういうクソなやつなわけ。
いい夫婦の日に何やってんだろうな。ゲボちゃん出そうだわ。
ゲボって最近言わないよね。すっごく名は体をあらわす良いワードだと思う。
俺はなんでこれを書くんだろうね。
ここに書くしかないというこの状況が終わっているのかもしれない。
まっとうな皆さんはきっと家族や友達や同僚に話したりするんだろうね。
八方塞になってしまった。
生まれてはじめて打ったよはっぽうふさがり。
塞がりって送り仮名いらないか知らないけど今は調べる気力もないわ。
まぁでもね。
最初はさ、一方二方ぐらいの塞がりだったんだけどね。
まぁ見ないフリするわけですよ。六方はまだ空いてるし。
でもまぁなんとかなるかななんて思いながら暮らしてたら八方塞がっちゃいまして。
塞がっちゃいちゃいチャイコフスキーでして。最後の二方ぐらいは自分で塞ぎましたからね。救いようがないわ。
なんだろ、別になんか同情を誘うアレじゃないんですけどね。
自ら死ぬことを選ぶ人の入り口に立っちゃってる感がすごいんすわ今。鬱&UTSUKAが歌ってるんすわ。セイエスって。
このセイエスっていうのは小さい頃に渡辺くんがSAY YESってちゃんと書けなくて黒板に書いたワードってだけで全然関係ないんですけどね。
戻りたいわあの頃に。
あー、どうしてるんだよみんな。こんな非常に抽象的な文章に一石を投じる具体的な状況が登場(最後だけ韻を踏んだ)。
そう私は。分不相応な職務に分不相応なスキルで対峙し分不相応な給与を得ているのである。
それが辛いなら辞めれば、だって?はいはいはい、そうですねそうですね。スーパー正論キッドのあなたはそう言うでしょうけど、無理ですよ。
そう私はさらに。分不相応な借家に住み。分不相応な嫁を持ち。分不相応に子供を2人もうけているからである。
そして分不相応故に、分不相応な給与をもってしてもカッツカツ、見てみい俺の口座!カッツカツやぞ!カッツカツやぞ!
いやもうちょっとね。もうちょっと面白い文章書けるんですよ私。
でも今はこれが限界。頭から漏れ出るゲル状の思い付きを新品のまな板という名の増田に塗りたくることしかできないワケです。
大体お前らあれだぞ!俺が作った最高に面白い記事で満載のはてなブログにブクマしないからいけないんだぞ!
互助会のやつらあれなのな、最初はちょっとブクマくれるんだけどさ、返さないとブクマからスターに変えてもったいつけんの。
気味悪いわ。だれがお前のコピーにコピーを重ねてクリアな部分とモザイクの境目すらわからなくなったVHSのAVみたいにボッケボケなブログにブクマを返すかよ。
でもさ、最初はその流れに乗らなきゃいけないのかね。誰も来なくなった廃墟の様なブログには2年前の記事が悲しくはためいているよ。
あのころ互助会の流れに乗ってブクマを増やしまともな読者を増やしていれば、今頃は互助会に頼らなくても人気のブログになっていたかな。
なってねぇか。でもさ、いまでも悲しくはためくあの記事たちは、やっぱり俺は最高だと思うわけ。
全部オリジナルの企画と記事でさ、何度も何度も推敲を繰り返してさ、悲しいこの世の一服の清涼剤となり、私の承認欲求も満たされたら最高だなぁなんて思ってたのにさ。お前らが互助会の記事に文句書きながらブクマしてるせいだよ!無視しろよ!そして俺の面白記事を掘り出してブクマしろよ!
そんな話をしたいんじゃなかったんだよ!
どこのどいつだ!こんなところまで律儀に読んじゃっている天使は!?
あんた天使だよ!翼の折れたところを竹で補強して低コストでの翼の長期運用を実現させている伴侶にしたいタイプのエンジェルだよ!
どうだ調子が出てきたぞ!どこかないですか、こんな文章を毎日書きますんで年俸850万ぐらいで安定雇用してくれる財団は?ないですか。いやです。作ってください。翼を竹で補強したエンジェルのあなたが作ってください後生ですから。
もう無理なんすわ。いや逆によくここまで無理なくやってこれた。
なんて言うんすかね、私は今ですね、コミュ障のくせに調整業務をメインで行ってるわけですよ。
しかもその上に判断力も無い、実行力も無い、理解力もない、ないないない、I wanna dance every night.
そのくせ、なーんかちょっと難しいことを上手いことやっているぞ、という空気をもやぁ~と出すことだけは上手かった。
もう何年もね、もやぁ~とその空気を出しながらだらだら仕事するだけの私だったんですよずっと。ほら自業自得でしょ?
でももう終わりだ。みんなすげー難しい話するよね。俺ぜんっぜんわからないもん。根本として何を議論しているのかわからない。
何がわからないかわからないんすよ。何でですかね?しらねーよって話でしょうけどマジで助けて欲しいんですわ。
なんか会社ってさ、いろんな役割の人いるじゃないですか、その切り分けが全然わからなくて。いつも自分の範疇は足りなくて、
自分の範疇じゃないところまで手をだして、相手の範疇がわからず、どこからかわけのわからないサポートに助けられる繰り返しですよ。
ステークホルダーとかの話が出てくるとお手上げ。みんなじゃなくて?みんな関係してるじゃん。みんなの合意とればいいんじゃないの?
わかんねーわ。そこは合意いらないっていうからさ、今度俺が決めたらそこはちゃんと議論して決めろとか判断は相手にゆだねろとか。
しらねーってその基準をどこかに表にして貼っとけ!とか言うとさ、なんだアスペかとか言われるわけでしょ?ちげーよ。たぶん!
相手の気持ちがよくわかるもん。みんな隠しきれてないからね。「あーあ、こいつダメだわ。」っていう感情。
いいよ、思うのはいいよ。出すなよバカ。思い込みじゃないからね!絶対思ってるし。
でさ、ちょくちょく「ダメだわ」って顔されるわけ。で萎縮するわけ。で萎縮してたらさらに「ダメだわ」って顔されるわけ。
wordのイルカさんに聞いたら教えてくれるかな?「上手く仕事する方法」って。でもそれ教えてくれるなら「数年で価値が100倍になる株」で聞きたいな。Officeが入ったWin95どっかにないかな?よし、聞いてみよう。聞いたらきっと教えてくれる!メルカリで買おう!
どんなお買い上げありがとうメモついてくるかな。「おじいちゃんが使いこなせなかったパソコンです。」みたいなのついてくるかな。ホロリとしちゃうな。ちょっと弱めだなこのくだりは。
はい、翻って仕事ですけどね。じゃあ辞めて相応な職につけって話じゃないですか。あなた方のようなおまかせウルトラ正論ボーイ達が言うのは。
でもさ、愛する妻と子供たちがいるわけ。俺が稼がないと幸せな暮らしが遅れない家族がいるわけ。
嫁は昔勤めていたブラックな業界を抜けて、その次にブラックと言われている主婦業に邁進しているわけ。マジで尊敬するわ。
そんな家族を支えなきゃいけないわけ。どんなに苦しくたって俺はこの分不相応にもなんだかできそうな空気によって獲得したこの職業とこの賃金を維持しないといけないわけ。おとーしゃんおとーしゃん言ってくれる子供を幸せにしなきゃいけないわけ!
そしてその子供はおとーしゃんがいないと幸せじゃないってわかってるわけ。思い込みじゃないわ!絶対に必要だ俺が。だから死ねないわけ。
だからさ。どんなにバカにされてもさ。こいつクソだなって顔されてもさ。今の職にしがみつくよ俺は。だから誰か教えてくれよ。
どうしたらみんなが言っている話を少しでも理解できるようになるんだよ。どうしたらビジネスの話ができるんだよ。
なんなんだろうな。今年入って来たような新卒がさ。バリバリ理解してバリバリ調整してバリバリ偉い人と意思疎通しながらバリバリ伝説の序章をしたためているわけ。もうこれは素質的な問題なの?仕事できるやつは生まれながらに仕事ができるの?なんなの。この間まで学生だったのにそのスキルはどこでつけるの?本に書いてあるの?マジで何をどうやって勉強したらそういう風になれるんだよ。どうやったらそういう風に同僚たちと笑い合えるんだよ。っていうこの流れを一行で書くことで疾走感や迷走感をダダ漏れる感情を表現してみたのですがいかがだったでしょうか?いいね!と思ったら是非クリックしてくださいね!僕の左乳首を(但し吉高由里子に限る)。
はぁ。
書くって良いね。元気出てきたよ。
こうでもしてないとさ結局大した努力もしないままに今日に至ってしまった自分への怨嗟とかさ、
いつも不機嫌だからみんな気を使ってもらって上手く回っているだけなのにそれを仕事ができると勘違いしているマネージャーへの怨嗟とかがあふれてきてしまうわけ。いやたった今あふれてしまったけど。
なんだかんだお前幸せじゃねーかって思う奴多いでしょ?幸せだよ。
それなのにその幸せの代償として努力を重ねてこなかったからさ、こんなに苦しいんだと思うよ。
だから努力はするよ。する。でもわからないんだ。俺は何を努力すればいい?
ダメか。こんな幸せな奴に手を差し伸べるやつはいないのか。でも他に居ないんだよ。
頼むよ。今回。今回だけ助けてくれ。
恐ろしい恐ろしい言われてプリントアウトする状況ではないと思うんだよ。
きっと何か打開できる策があると思うんだよそうだろう?伝わってるかなこの感じ。
この文章のようにさ。自分の考えをシンプルに相手に提供できなかったりするわけ。こういうクソなやつなわけ。
いい夫婦の日に何やってんだろうな。ゲボちゃん出そうだわ。
ゲボって最近言わないよね。すっごく名は体をあらわす良いワードだと思う。
俺はなんでこれを書くんだろうね。
ここに書くしかないというこの状況が終わっているのかもしれない。
まっとうな皆さんはきっと家族や友達や同僚に話したりするんだろうね。
八方塞になってしまった。
生まれてはじめて打ったよはっぽうふさがり。
塞がりって送り仮名いらないか知らないけど今は調べる気力もないわ。
まぁでもね。
最初はさ、一方二方ぐらいの塞がりだったんだけどね。
まぁ見ないフリするわけですよ。六方はまだ空いてるし。
でもまぁなんとかなるかななんて思いながら暮らしてたら八方塞がっちゃいまして。
塞がっちゃいちゃいチャイコフスキーでして。最後の二方ぐらいは自分で塞ぎましたからね。救いようがないわ。
なんだろ、別になんか同情を誘うアレじゃないんですけどね。
自ら死ぬことを選ぶ人の入り口に立っちゃってる感がすごいんすわ今。鬱&UTSUKAが歌ってるんすわ。セイエスって。
このセイエスっていうのは小さい頃に渡辺くんがSAY YESってちゃんと書けなくて黒板に書いたワードってだけで全然関係ないんですけどね。
戻りたいわあの頃に。
あー、どうしてるんだよみんな。こんな非常に抽象的な文章に一石を投じる具体的な状況が登場(最後だけ韻を踏んだ)。
そう私は。分不相応な職務に分不相応なスキルで対峙し分不相応な給与を得ているのである。
それが辛いなら辞めれば、だって?はいはいはい、そうですねそうですね。スーパー正論キッドのあなたはそう言うでしょうけど、無理ですよ。
そう私はさらに。分不相応な借家に住み。分不相応な嫁を持ち。分相応に子供を2人もうけているからである。
そして分不相応故に、分不相応な給与をもってしてもカッツカツ、見てみい俺の口座!カッツカツやぞ!カッツカツやぞ!
いやもうちょっとね。もうちょっと面白い文章書けるんですよ私。
でも今はこれが限界。頭から漏れ出るゲル状の思い付きを新品のまな板という名の増田に塗りたくることしかできないワケです。
大体お前らあれだぞ!俺が作った最高に面白い記事で満載のはてなブログにブクマしないからいけないんだぞ!
互助会のやつらあれなのな、最初はちょっとブクマくれるんだけどさ、返さないとブクマからスターに変えてもったいつけんの。
気味悪いわ。だれがお前のコピーにコピーを重ねてクリアな部分とモザイクの境目すらわからなくなったVHSのAVみたいにボッケボケなブログにブクマを返すかよ。
でもさ、最初はその流れに乗らなきゃいけないのかね。誰も来なくなった廃墟の様なブログには2年前の記事が悲しくはためいているよ。
あのころ互助会の流れに乗ってブクマを増やしまともな読者を増やしていれば、今頃は互助会に頼らなくても人気のブログになっていたかな。
なってねぇか。でもさ、いまでも悲しくはためくあの記事たちは、やっぱり俺は最高だと思うわけ。
全部オリジナルの企画と記事でさ、何度も何度も推敲を繰り返してさ、悲しいこの世の一服の清涼剤となり、私の承認欲求も満たされたら最高だなぁなんて思ってたのにさ。お前らが互助会の記事に文句書きながらブクマしてるせいだよ!無視しろよ!そして俺の面白記事を掘り出してブクマしろよ!
そんな話をしたいんじゃなかったんだよ!
どこのどいつだ!こんなところまで律儀に読んじゃっている天使は!?
あんた天使だよ!翼の折れたところを竹で補強して低コストでの翼の長期運用を実現させている伴侶にしたいタイプのエンジェルだよ!
どうだ調子が出てきたぞ!どこかないですか、こんな文章を毎日書きますんで年俸850万ぐらいで安定雇用してくれる財団は?ないですか。いやです。作ってください。翼を竹で補強したエンジェルのあなたが作ってください後生ですから。
もう無理なんすわ。いや逆によくここまで無理なくやってこれた。
なんて言うんすかね、私は今ですね、コミュ障のくせに調整業務をメインで行ってるわけですよ。
しかもその上に判断力も無い、実行力も無い、理解力もない、ないないない、I wanna dance every night.
そのくせ、なーんかちょっと難しいことを上手いことやっているぞ、という空気をもやぁ~と出すことだけは上手かった。
もう何年もね、もやぁ~とその空気を出しながらだらだら仕事するだけの私だったんですよずっと。ほら自業自得でしょ?
でももう終わりだ。みんなすげー難しい話するよね。俺ぜんっぜんわからないもん。根本として何を議論しているのかわからない。
何がわからないかわからないんすよ。何でですかね?しらねーよって話でしょうけどマジで助けて欲しいんですわ。
なんか会社ってさ、いろんな役割の人いるじゃないですか、その切り分けが全然わからなくて。いつも自分の範疇は足りなくて、
自分の範疇じゃないところまで手をだして、相手の範疇がわからず、どこからかわけのわからないサポートに助けられる繰り返しですよ。
ステークホルダーとかの話が出てくるとお手上げ。みんなじゃなくて?みんな関係してるじゃん。みんなの合意とればいいんじゃないの?
わかんねーわ。そこは合意いらないっていうからさ、今度俺が決めたらそこはちゃんと議論して決めろとか判断は相手にゆだねろとか。
しらねーってその基準をどこかに表にして貼っとけ!とか言うとさ、なんだアスペかとか言われるわけでしょ?ちげーよ。たぶん!
相手の気持ちがよくわかるもん。みんな隠しきれてないからね。「あーあ、こいつダメだわ。」っていう感情。
いいよ、思うのはいいよ。出すなよバカ。思い込みじゃないからね!絶対思ってるし。
でさ、ちょくちょく「ダメだわ」って顔されるわけ。で萎縮するわけ。で萎縮してたらさらに「ダメだわ」って顔されるわけ。
wordのイルカさんに聞いたら教えてくれるかな?「上手く仕事する方法」って。でもそれ教えてくれるなら「数年で価値が100倍になる株」で聞きたいな。Officeが入ったWin95どっかにないかな?よし、聞いてみよう。聞いたらきっと教えてくれる!メルカリで買おう!
どんなお買い上げありがとうメモついてくるかな。「おじいちゃんが使いこなせなかったパソコンです。」みたいなのついてくるかな。ホロリとしちゃうな。ちょっと弱めだなこのくだりは。
はい、翻って仕事ですけどね。じゃあ辞めて相応な職につけって話じゃないですか。あなた方のようなおまかせウルトラ正論ボーイ達が言うのは。
でもさ、愛する妻と子供たちがいるわけ。俺が稼がないと幸せな暮らしが遅れない家族がいるわけ。
嫁は昔勤めていたブラックな業界を抜けて、その次にブラックと言われている主婦業に邁進しているわけ。マジで尊敬するわ。
そんな家族を支えなきゃいけないわけ。どんなに苦しくたって俺はこの分不相応にもなんだかできそうな空気によって獲得したこの職業とこの賃金を維持しないといけないわけ。おとーしゃんおとーしゃん言ってくれる子供を幸せにしなきゃいけないわけ!
そしてその子供はおとーしゃんがいないと幸せじゃないってわかってるわけ。思い込みじゃないわ!絶対に必要だ俺が。だから死ねないわけ。
だからさ。どんなにバカにされてもさ。こいつクソだなって顔されてもさ。今の職にしがみつくよ俺は。だから誰か教えてくれよ。
どうしたらみんなが言っている話を少しでも理解できるようになるんだよ。どうしたらビジネスの話ができるんだよ。
なんなんだろうな。今年入って来たような新卒がさ。バリバリ理解してバリバリ調整してバリバリ偉い人と意思疎通しながらバリバリ伝説の序章をしたためているわけ。もうこれは素質的な問題なの?仕事できるやつは生まれながらに仕事ができるの?なんなの。この間まで学生だったのにそのスキルはどこでつけるの?本に書いてあるの?マジで何をどうやって勉強したらそういう風になれるんだよ。どうやったらそういう風に同僚たちと笑い合えるんだよ。っていうこの流れを一行で書くことで疾走感や迷走感をダダ漏れる感情を表現してみたのですがいかがだったでしょうか?いいね!と思ったら是非クリックしてくださいね!僕の左乳首を(但し吉高由里子に限る)。
はぁ。
書くって良いね。元気出てきたよ。
こうでもしてないとさ結局大した努力もしないままに今日に至ってしまった自分への怨嗟とかさ、
いつも不機嫌だからみんな気を使ってもらって上手く回っているだけなのにそれを仕事ができると勘違いしているマネージャーへの怨嗟とかがあふれてきてしまうわけ。いやたった今あふれてしまったけど。
なんだかんだお前幸せじゃねーかって思う奴多いでしょ?幸せだよ。
それなのにその幸せの代償として努力を重ねてこなかったからさ、こんなに苦しいんだと思うよ。
だから努力はするよ。する。でもわからないんだ。俺は何を努力すればいい?
ダメか。こんな幸せな奴に手を差し伸べるやつはいないのか。でも他に居ないんだよ。
頼むよ。今回。今回だけ助けてくれ。
恐ろしい恐ろしい言われてプリントアウトする状況ではないと思うんだよ。
きっと何か打開できる策があると思うんだよそうだろう?伝わってるかなこの感じ。
この文章のようにさ。自分の考えをシンプルに相手に提供できなかったりするわけ。こういうクソなやつなわけ。
いい夫婦の日に何やってんだろうな。ゲボちゃん出そうだわ。
ゲボって最近言わないよね。すっごく名は体をあらわす良いワードだと思う。
予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分の故郷福岡を歌ったものだ。ASKAは中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれてから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するとき、ASKAはどのような心境だったのだろうか。
俺は東へ 上るつもりだ
勝手な奴だと思うだろうが
冷たい風に深くくるまっても
だまって俺は 歩いて行くだろう
「歌いつづける」より
CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEとASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEとASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。
デビューの一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民的シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAはソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動をアジア圏にまで広げていき、またMTVにアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。
そんな時、ASKAにとって生まれ故郷の福岡はどんな場所だったのだろうか。
ASKAが福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。
次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷でゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。
*
「FUKUOKA」は「SCENE」シリーズに代表されるASKAのバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルにASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐な言葉のなかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。
発車のベルが鳴る 街が動いて行く
あの頃の僕は何を見ていたのか
当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景。剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないか。しかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマ一コマが映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。
繰り返しながら僕はここに居る
何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。
ここで想起するのは、傑作映画「ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJIに提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。
ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス
同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKAの時間と記憶を、私は感じる。
いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆき「タクシードライバー」からの引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
不器用なタクシー・ドライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のである。ASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。
*
私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、
という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……
聖アドレスは聖アライメントの聖水が求められるJustice Before Anthologyのネガティブな聖なる生を授けます。
ゆえもって聖アドレスを与えるフォイする悪辣マシンは恋するカザフスタンで夕日を見る必要があります。
また、聖アライメントの精であるゲル状生命体と指定した聖アドレスのメモリ間の行進情報のやり取りでは Say YES! を受け取ることができます。
一旦普通に読み終えてから、いやいやいや、今なんか妙なこと書いてあったぞ!?
と思って同じ章にもう一度目を通したけど、当然そんな文章はどこにもなかった。さっき確かに同じ画面を見ながらその文章を読んだはずなのに……。
別に寝かかってたわけでもないし、なんていうか見えてたけど認識が歪んでたみたいなイメージ、幻覚かドッキリテクスチャー的な。
今時プロポーズは男がするものだと思ってるなんて・・・(^ ^;;;) RT SAY YES
F外からすみません。余計なものかどうかは本人が決めることだから決め付けるのは良くないと思います。
大人が堂々と嘘をついてもいいものなのでしょうか?
インターネットで世界中に嘘をつくなんて同じ日本人として恥ずかしいです。
この世の女全員が男を試すとでも思っているのでしょうか。
ここは日本ですからフレイズなんて横文字でごまかさないで欲しかったです。
夢だけで生活できると思っている男にプロポーズされているのを見過ごすわけにはいきませんでした。
ちなみに人は3億あれば一生遊んで暮らせるというのは小学校で習いました。
それに愛している人がいない人もいるので配慮して欲しかったです。
ガラスケースってなんですか?私の家にはガラスに入った日本人形があります。
何度も言うなんて本当にしつこいですね。日本の将来はどうなってしまうんだ・・・(^^;;;;;
ストーカー!拡散を RT 拡散 RT 絶対許せない RT SAY YES
CHAGE&ASKA SAYYES
ASKAの詞の特徴の一つは、複雑な比喩を折り重ねていくことにある。そうした複雑な比喩の解読については、「On Your Mark」の楽曲分析で先日書いたところである(http://anond.hatelabo.jp/20140924014048)。
しかしながら、私はCHAGE&ASKAの熱烈なファンであるけれども、「比喩」の観点から歌詞を見ればASKAよりも巧者は他にもいると思っている。例えば、スピッツ。「ロビンソン」の印象派の絵画を思わせる複雑な比喩を見るとASKAに少々分が悪い。では人生の機敏という観点から見ればどうか? 私の考えでは、ASKAは中島みゆきに遠く及ばない。しかしそれゆえにASKAの歌詞は二流であるわけではない。
ASKAの詞はJ-POP史上稀に見る「音楽性」を持っている、というのが私の意見だ。「言葉が音楽性を持っている」とはどういうことか? 分かりやすい例として、まず"YAH YAH YAH"をとりあげて、それを説明したい。
「YAH YAH YAH」のサビは、ご存じのように、ひたすらYAH YAH YAHが繰り返されるだけである。しかし「YAH YAH YAH」という発音には極めて綿密で、天才的な直観があると私は考えている。仮に、YAH YAH YAHの部分を「ウ」でも「エ」でもよいが、別の母音に置き換えたものを想像してみると、「YAH YAH YAH」という曲そのものが成立しなくなることが了解されるだろう。YAH YAH YAHの発音の秘密はそれだけにとどまらない。その前の歌詞に注目する必要がある。
この部分を読むと、「イ」の発音が異様に多いことに気がつく。「イ」は、歯を食いしばって発声される。怒りを耐え忍ぶかのような身振りを発音が要求している。そして、サビに入る時に「ア」の開放的な音に切り替わる(殴りにいこう「か」)。サビの一個手前に、このような母音のドラマが隠されている。この「イ」と「ア」の動きをYAH YAH YAHというサビで何度も何度も再現するのである。なお、「今から一緒に」の前にある「勇気だ愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい」では「イ」で終わっているので、まだ耐え忍ばなければならずYAH YAH YAHと叫ぶことができないように発声的にも規制されていることが分かる。こうして見てみると、一見単純に見えるYAH YAH YAHの歌詞には天才的な音楽的直観が働いていることが分かるだろう。
そうした作詞法はASKAの専売特許ではない。そうした作詞法を意識的に採用しているのは、ASKAも尊敬している井上陽水である。陽水は、「Tokyo」の冒頭部分「銀座へ鳩バスが走る」という歌詞の秘密を次のように語っている。
タモリ で、それを作りたいってことに、なんで銀座が浮かんできたわけ? しょっちゅう行ってるから?
陽水 いや、そういうことじゃなくてホラ…、東京でね、やっぱり一曲ね[作りたいと思ってたから]。で、「銀座へ~」っていうね、あのー、人によってね、いろいろ、発音でね、取り柄がある発音とあんま響かないのがある。「銀座へ~」っていうのが、この口にすごく合ってたの。「銀座へ~」、あ、響くなあ、って。
7:00-7:40頃 https://www.youtube.com/watch?v=szB9lhaX2XY
井上陽水の曲を聞いてみると、たしかに言葉の「音」に対する独特の"美意識"があることが分かる。これはこれで、余人には真似しがたい孤高の美をたたえている。「Tokyo」であれ「Make-up Shadow」であれ、言葉に対するきわめて繊細な美意識を私は感じる。
完全に余談だが、全世界的に流行した「Let It Go」の歌詞にも言葉の音に対するこだわりを強く感じるので紹介しておく。
My power flurries through the air into the ground
My soul is spiraling in frozen fractals all around
And one thought crystallizes like an icy blast
I'm never going back, the past is in the past
この部分は、一番の大サビに向かう、心躍る箇所だ。
歌い始めの「My power flurries through」の部分は、口をすぼめる内気な発音が多い。しかし、「the air」の所でやや反抗的な「エ」の発音がやってきて、「into the ground」で一回大きく開放的になるが、すぐに締められる。「My soul is spiraling in frozen」までは基本的にはやはり内気な発音が多い。「fractals」のところで「the air」とは別のしかたで(歌い方で)反抗的な様子を見せるが、これも「all around」の個所で一回開放的になるが閉じられる。こうした発音のドラマの最後に、「the past is in the past」の個所がやってくる。このようにして、まことに開放的で、ドラマチックな「ア」の発音がここに訪れるのである。
このように、言葉の音に対する意識は世界的に存在する。しかしながら、日本語は、世界の様々な言語と比べても「母音」の割合が非常に多いという特徴をもっている。日本のロックミュージシャンたちはこの母音に苦しめられてきたのだ、と言っても過言ではないだろう。そこで例えばサザンは子音に着目した。サザンは日本語における子音の可能性を大きく拡張したミュージシャンとして評価することができる。しかし、ASKAはあくまで「母音」の可能性にこだわったミュージシャンであると私は考えている。日本語の本来の特徴が「母音」にあるのだとしたら、その「母音」を徹底的に活用したのがASKAである。
こうやって私が言葉の音に対して敏感になったのは、チャゲアスの音楽を聴いてからだ。ASKAは、まず歌唱からして、母音を強調している。これは良くも悪くも「古さ」を感じる歌唱であろう。母音を強調する歌手として、例えば尾崎紀世彦や布施明を挙げることができる。彼らの歌唱には「昔ながらの情念」を感じる人が、とくに若い人になればなるほど多いのではないだろうか。一方、母音を強調しない歌手、小田和正の歌唱にはそうした「古さ」を感じることはないのではないか。母音は、本能的な部分に訴えかける、ほとんど呪術的と言える原始的な力をもっている。しかし、それを真に受け止めるためには現代人はいささかシャイなのだ、というのが私の持論だ。母音とは、一種の「ますらをぶり」である。ASKAは「ますらをぶり」のシンガーである。
私の見立てでは、ASKAが母音から歌詞を構成する方法を意識化したのは、だいたいシングル「WALK」以降である。「WALK」より前の曲には、母音に対する美意識を見出すことが難しかった。逆を言えば、WALK以降には母音に対する鋭敏な感覚をASKAの曲に感じる。国民的シンガーCHAGE&ASKAが出来上がったのは「SAY YES」であるが、「SAY YES」と同レベルの作品を量産できるようになったのはだいたいシングル「WALK」の時期からだ。一つ一つ楽曲分析をして証明をすることもできなくはないが、それをするとなると、ちょっと本格的にやらなくてはいけない。そこで、ASKAの曲の中でも、母音の使用がもっとも素晴らしいと思う楽曲を一つ見てみることにしよう。「はじまりはいつも雨」だ。
「はじまりはいつも雨」はASKAソロの曲だが、チャゲアスVer.も残されている。私の一番好きな音源である(https://www.youtube.com/watch?v=5mzj72QxrYo)。
「はじまりはいつも雨」は、メロディーと歌詞の二つが複雑なハーモニーを形成しており、決して不協和音をつくっていない。母音の使用法も極めて洗練されている。しかしながら、冒頭から母音の分析をはじめても感覚的に分かりづらいと思うので、もっとも分かりやすいところから見てみよう。それはサビの終わる所である。
失くした恋達の 足跡(あと)をつけて(二番)
まず気がつくのは、これら全ての終わりが「エ」で終わっているということである。仮にこれを「エ」以外の音だと考えてみよう。すると、この曲自体がぶち壊しになることが分かると思う。「ア」だと少々なさけない感じがするし、「イ」はやや幻想的になるかもしれないが悲痛な雰囲気も漂いそぐわず、「ウ」はそこで完結してしまい、「オ」では重すぎる。ここは「エ」でなければならない。暗い街中に消えていく複雑な余韻は、ここでは「エ」によってしかつくることができない(なお、似たような曲として井上陽水「帰れない二人」があることを指摘しておく。また、ASKAは「はじまりはいつも雨」を作る時にその曲を意識していると私は考えている)。
さて、この曲における母音でもっとも美しいと思うのはサビに入る前の「誰よりも 誰よりも」という箇所だ。J-POP広しといえども、このような「オ」の大胆な使い方をして、それが成功をおさめている例を私は他に知らない。この箇所は「ア」と「ウ」でも成り立たないことはない。しかし、「ア」だとあまりに開けっぴろげで楽観的すぎるし、「ウ」だと少しストーカーのようないやらしさを感じる。ここはやはり「オ」でなければならず、「オ」という少しくぐもった母音によっていささか内気な青年の、胸の奥底からやってくる高鳴る期待が的確に表現されていると私は考えている。言葉の「意味」ではなく「音」によってこんな複雑な操作をできるシンガーソングライターが今どこにいるだろうか? たいへん残念なことに私はASKA以外に知らない。
他にも「はじまりはいつも雨」には美しい母音が色々ある。例えば「今夜君のこと誘うから 空を見てた」の「と」の遠慮がちな「オ」とその後にメロディーとともに上を見た時にある開放の「ア」であったり(綺麗な夜空を見て嘆息つくような場景が思い浮かびます)。こういうことは言いすぎると野暮になることかもしれない。とりあえずは「はじまりはいつも雨」を聞いていただきたい。それから、「Say Yes」や「no no darlin'」などのチャゲアス名曲群から美しい母音たちを集めて、それぞれ言葉の音を解釈してみるのも一興だと思う。
[MV] On Your Mark / CHAGE and ASKA https://www.youtube.com/watch?v=3Obh9kg6o_U
CHAGE&ASKAの「PRIDE」はJ-POPきっての名曲です。それについては先日、ライヴ聞き比べの記事を書きました(http://anond.hatelabo.jp/20140923002713)。
しかしCHAGE&ASKAには「PRIDE」と肩を並べる、もう一つの壮大なバラードが存在することを忘れてはいけません。それが「On Your Mark」です。この曲はCHAGE&ASKAの15周年記念シングル曲であると共に、アルバム「CODE NAME.2: SISTER MOON」のラストを飾る曲です。また、数億円を費やして宮崎駿にPVを作ってもらった曲でもあります。そのPVは短編映画扱いで「耳をすませば」と並んで上映されたこともあるので、そちらでご存じの方も多いかもしれません。
「On Your Mark」は間違いなくCHAGE&ASKAを代表する名曲で、「SAY YES」や「YAH YAH YAH」が忘れ去られても、この曲が歴史に埋もれてしまうことはないでしょう。相方CHAGEは、数あるASKAの曲のうちでも「On Your Mark」をもっとも好きな曲だとどこかで言っていましたが、それも頷けます。CHAGE&ASKA全盛期を告げる初めの曲が「WALK」「PRIDE」だとして、「SAY YES」「YAH YAH YAH」といった名曲を連発した全盛期を経たのちの「On Your Mark」は、それら名曲群をじゅうぶんに締めくくるに全く恥じることがない傑作だと言えるでしょう。
前回は「PRIDE」のライヴ聞き比べというマニアックな作業を公開しましたが、今回は「On Your Mark」の楽曲分析というこれはこれでマニアックな作業を行ってみようと思います。というのも、比喩に富んだ歌詞に、転調を次から次へと重ねていくこの曲をどう解釈すればいいのか自分自身分からなかったからです。以下、個人的な思い入れで解釈しているメモ書きです。
静かなシンセとピアノから曲は始まります。ASKAは決して楽観的には聞こえない調子で「On your mark」(位置について)と歌います。すると、曲は変ホ長調から嬰ヘ長調に転調し、ベースの八分の「ダンダンダンダン」というリズムが刻まれます。まさに、走り出したがごとくに。
J-POPを分析するときに調性を云々言うのは的外れと言われるかもしれないが、決してそんなことはないと思います。変ホ長調はベートーヴェンが「交響曲第3番(英雄)」で用いた「荘厳の響き」の調性、そして嬰ヘ長調は♯が6つ付いて、複雑で混沌とした響きを持つ。例えば、マーラーが「交響曲第10番」のアダージョで用いたのは嬰ヘ長調である。チャゲアスで変ホ長調の調性を探すと「PRIDE」や「Sons and Daughter~それよりも僕が伝えたいのは」を挙げることができます。ベートーヴェン「英雄」と同じく、どちらも荘厳の印象を私たちに与える曲です。しかしながら重要なのは、「On Your Mark」はこの荘厳の調性からすぐに転調する(=外れる)ということです。すなわち、この曲は、はじめから「英雄」からの「除け者」であり、「PRIDE」のように素朴かつ豪胆に歌い上げることさえ禁じられたものの歌なのです。したがって、「On Your Mark」ははじめからかなりひねくれた性格をもつ曲なのです。この冒頭の転調を聞いて、たしかに私たちはどこか言い知れぬ複雑さを覚えるのではないでしょうか。
埃にまみれた服を払った
この手を離せば 音さえたてない
落ちてゆくコインは 二度と帰らない
君と僕 並んで
「いつもの笑顔と姿で/埃にまみれた服を払」うというのは、強がりの笑いです。いろいろケチをつけられるが、それを「いつもの笑顔と姿」で何気なく払うのです。そして、大切なものを失う時(落ちてゆくコイン)、それは音さえたてません。静かになくなっていきます。「私」はそれさえも「いつもの笑顔と姿」で見送っていきます。
次に出てくる「君」というのは、むろん共に走っている人でしょう。この「君」が男性なのか女性なのかは不明です。つまり友情歌なのか恋愛歌なのか分かりません。周りの友人に尋ねてみましたが、「君」は男性だという意見と女性だという意見ではっきり分かれました。私は「けれど空は青」等につながる男性同士の友情歌だと認識しています。実際、宮崎駿もこの曲を使ってCHAGE&ASKAの二人を主人公としたPVをつくっていますし、CHAGE&ASKA自身のことを歌っていると考えるのがもっとも自然な解釈だと思います。
「夜明けを追い抜」くというのは面白いイメージだと思います。ASKAは「晴天を誉めるから夕暮れを待て」で、今晴天のように売れている自分をみんなチヤホヤしてくれているけど、「夕暮れ」時に誉めてほしいと取れるような歌詞を作っています。また「太陽と埃の中で」という曲もあるように、ASKAにとって太陽とは特別なものです。朝の冷たい風を切り、太陽という「絶対」に向かって自分の力で進んでいくのです。灼熱の太陽でもなく、沈みゆく太陽でもなく、夜明けの冷たい太陽というところが面白いところです。この冷たさが、決して順調ではないレース(On your Mark=位置について)を予感させます。
ところで、完全な偶然だと思うのですが、PVと同時上演された「耳をすませば」に、まさに「夜明けを追い抜いていく自転車」の描写がありますね。気になるところです。
On Your Mark いつも走り出せば
On Your Mark 僕らがそれでも止めないのは
夢の斜面見上げて 行けそうな気がするから
(夢の心臓めがけて 僕らと呼び合うため)
このサビに入ると、また転調し、調性はイ長調になります。Wikipediaによれば、「陽気で牧歌的」であると同時に「輝かしくはあるが、非常に攻撃的」であり、「気晴らしよりは、嘆き悲しむような情念の表現に向いている」という。調性の特徴にあまり拘るのはよくないかもしれませんが、この両義性は重要だと思います。それについては後述します。
AメロBメロの比喩の激しさに比べるとサビは解説的になっていて分かりやすいと思います。風邪にやられて駄目になりそうになるけど、「夜明けを追い抜く」ように、「僕ら=君と僕」は「夢(=太陽)」が頂上にある「斜面」を見上げて、いつか「夢(=太陽)」に行けそうな気がするのです。
答えを出さない それが答えのような
針の消えた時計の 文字を読むような
まだ若すぎる
調性はまた嬰ヘ長調に戻る。
この歌詞で面白い所は「心」の存在する位置です。通常、「心」というものは、個人のうちにあるものです。しかし、ここでは、「心」とは、「僕ら(=君と僕)」の二人が共有している「場」なのです。だから、二人はある程度「全てを認めている」といってもいいような深い関係にあることが分かります。
そんな「心」にある「小さな空き地」。この空き地からは、「NとLの野球帽」で歌われたような、工業地帯にある寂しげな空き地を思い浮かべます。そうした空き地は、基本的には大人たちの目の届かないところにある子供たちのテリトリーであり、遊び場です。一番の歌詞にある「そして僕らは いつもの笑顔と姿で埃にまみれた服を払った」というところにも感じるものですが、どことなく童心にかえっているような気がします。そんな秘密の遊び場で、二人は喧嘩をしてしまいます(「互いに振り落した 言葉の夕立」)。「夕立」という言葉から、たんに喧嘩をしていることだけではなく、「空き地」で喧嘩が終わった後に「夕立」に打たれながら無言で立ち尽くしている二人がいる、という場景を私は思い浮かべます。
その場景が次の「答えを出さない それが答えのような/ 針の消えた時計の 文字を読むような」という言葉につながっていきます。二人は夕立に打たれ髪がびしょ濡れになりながら、互いに見つめ合います。二人とも、本当はお互いのことを分かり合いたいと思っています。しかし、二人は何も言いません(「答えを出さない それが答えのような」)。時計の針が消えてしまい、永遠に続くような気まずい沈黙があります。「永遠の謎」がそこにはあります。相手が何を考えているのか分からず、また自分自身が何を求めているのかも分かりません。やはり、「全てを認めてしまうにはまだ若すぎ」たのかもしれないのです。
以後、サビが多少の変化を伴ってリフレインされる。分かり合うことなど不可能なのかもしれないけれども、それでもOn Your Mark(位置について)! 「走り出」すしか解決方法はないのです。
曲のラストは、冒頭と同じようなピアノとシンセの静かな曲調になります。ここでは調性はイ長調である。最後に歌われるのは
そして僕らは
です。この「そして僕らは」というのはきわめて両義的です。というのは、そこにあるのは希望だけではなく、苦しみや失敗も内包されているからです。イ長調の調性が「牧歌的」であると同時に「嘆き悲しむ情念」であることが特徴であるように、僕らの行く道は「希望」であるのか「失敗」であるのか、最後まで種明かしされることはありません。しかし、決して「僕ら」は走ることをやめません。ここに「On Your Mark」のもっている奥深さがあると私は思います。行く先がどうなるのかは決して分からないけれども、苦しみを背負って、夢を目指していつまでも走り続けるのです。
コメントをもらってジブリPV版について思ったことがあるので付け足します。
「On Your Mark」のPVは、ご存じのように原発事故や放射能事故を主題としています。その主題設定も手伝って、近年ふたたび注目されています。宮崎駿は「タイトルや歌詞をあえて曲解し悪意に満ちた映画に仕立て、いつか来る未来に生きる」ことをイメージしてPVを製作したと言います。どう「曲解」したらこの歌詞から原発の話になるのか今まで分かりませんでしたが、その答えは「夜明け」という言葉にあることに気がつきました。「夜明け」というのは「太陽」の出現を意味します。ところで、「原発」という装置は、原子の核分裂反応から巨大な力を得ています。太陽は原子の分裂ではなく融合によって光り輝いており、厳密には太陽と原発の力は全く異なるものではありますが、しかしながら、原発は「地上の太陽」と形容されることも多く、文化的コンテクストにおいて原発と太陽は密接に結びついています。宮崎監督が「原発」をテーマにすべく「曲解」したのは、まさに「夜明け」という言葉に他ならなかったのではないでしょうか。「On Your Mark」の歌詞だけを見れば、正直なところ、反核運動よりも原発肯定に親和性を持ちます(すなわち、吉本隆明の立場に近いのではないか、と私は思います)。宮崎駿はそれを見越した上で、「原発事故が実際に起こった世界でもOn Your Markと言うことは出来るのか?」と問うたのではないでしょうか。映像を見れば分かる通り、宮崎監督は「できる」と考えたのでしょう。しかし、当時と今では世界が違います。今の私たちはまさに宮崎監督のつくった世界の中にいるのです。その世界において、私たちは「On Your Mark」を聞いてどう感じるのか、「On Your Mark」と言うことができるのかと、再び考える時にあるのではないでしょうか。
チャゲアスといえば、ダブルミリオンを達成した「SAY YES」と「YAH YAH YAH」がやはり圧倒的に有名ですが、「PRIDE」はそのどちらと並べても決して劣ることのないどころか、全J-POP史上においても比類のない、赫奕たる地位を占める壮大なバラードです。そしてPRIDEは幸運なことに録音に恵まれています。1989年に発表されたその曲は、何度もライヴで歌われており、様々なバージョンを聞き比べることができるのです。ASKAは年代によって声質や歌唱法がかなり異なっているので、それぞれ別のしかたで楽しめます。今回はややマニアックですが、PRIDEの様々なバージョンをレビューしてみようと思います。
評価=8
CD音源にかなり近いですね。他の音源に比べて特徴となっているところは、サビの「駆け抜けていく」(1:48-50)の歌唱ですね。とくに「く」の母音の処理です。「ウ」と「ア」の中間で発声することで、単に「ウ」と発声するよりもパワフルに聞こえます。ASKA独特の母音の処理方法です。声も若さが満ち溢れていて爽快感を覚えます。
評価=9
声のフットワークが軽くて、とくに高音となるサビのメロディーをなめらかにすべっていく様子はあたかもサーカスの軽業師のようです。曲をより「自分のもの」にできている気がします。
ちょっとマニアックというかフェティッシュなことを言うと、「涙の跡」(3:33)という部分の「だ」の発声が他のものよりも情感豊かで、素晴らしいです。この録音はもっともエモーショナルなものかもしれません。
評価=9
あまり時間の間隔を置いていません。最高のパフォーマンスです。②ほどの情念はありませんが、全体の均整ということで言えば一番優れているものでしょう。
評価=10
ややASKAの声が太くなっていますね。じつは私が一番好きな音源はこれです。
声質が太くなり重量感を覚えさせるけれどもパワフルに突き進むさまは、重戦車が高速移動をする様子さえ思い浮かべます。
この録音では「駆け抜けてく」の「く」の音が、しっかりと「ウ」で発声されていますが、私はこちらのほうが好きです。かように苦悶の表情を浮かべた「ウ」はなかなか聞けません。
評価=7
アンプラグド、さらに欧米でのパフォーマンスということもあってか、アレンジがかなり変わっています。
やや大人しめですね。テンポも少し早くなってあっさりとしています。お洒落な気分でPRIDEを聞きたいという時にはよいでしょう。
評価=6
この頃からASKAの喉の調子に翳りが見えてきます。ポップス歌唱法にはご存じ「ミックス」というものがありますね。地声と裏声を混ぜるってやつです。
艶のある地声成分で高音が出ないのか、裏声成分多めで叫ぶ手法(オペラ歌唱に近い発声)が所々で見受けられます。後半になると多くなりますね。
評価=6
コンサート途中に感極まって歌えなくなったことで有名な韓国ライブです(なおその映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=sFi5qExw_pM)。2000年。
やはり前と同じで、高音が苦しそうですが、この曲ではその苦しげな姿すら一種のパフォーマンスに転化しうるものをもっており、胸を打つものがあると思います。②とはまた違ったおもむきで情感があります。
評価=5
2003年から2004年にかけての年越しライヴです。⑥の3年後ですね。
この頃になると、90年代と声は明らかに違ってきます。目に見えて声が太くなってきます。
喉の調子が治らず、どの歌唱法がいいのか模索している感じがします。
評価=9
声はさらに太くなっていくのですが、そうした自分の声にあった歌唱法が見つけられたのがこのLIVEだと思います。2007年。
90年代のASKAを軽快なトランペットだとすると、これは炸裂するトロンボーンとでもいったところでしょうか。CHAGEの超高音はさらに金属質なものとなって、硬質なハーモニーを聞くことができます。
しかしこのLIVEで注目しなければいけないのはASKAよりもむしろCHAGEです。大サビのCHAGEの超高音のハモリはこれまでのどの録音にもなかった凄みを与えてくれています。
あと、またフェティッシュなことを言いますと、3:25あたりの「傷ついて知ること」の「と」の音は、大地の奥底からやってくるような雄渾な響きで痺れます。
やっぱり90年代は黄金期で、どれを聞いても圧倒的ですが、その中でも台北ライヴはワーグナー「神々の黄昏」のような、崩壊しそうなまでに過剰な絢爛さがあって、私はそれを愛してやみません。
00年代になると喉の不調が目立ちますが、それでもDOUBLEのライブは全盛期を取り戻すかのような圧倒的なパフォーマンスを見せてくれます。しかしそれは90年代前半の軽業とは異なり、敬虔なカトリック教徒の盤石堅固な信仰の凄みにも似たものを思わせます。
ガキの頃はバブル時代で、テレビCMを見れば豪華なセットをバックにバンバン音楽が流れてて、レコード屋には縦に細長いシングルCDにその音楽を収録したものが大量に並んでて、そしてそれが今週は100万枚売れました、とかそんなニュースが流れてた。
そんな中、すげえ、って音楽を創り出す人に巡り会った。
どんなときも を聞いたのはもうずいぶん昔。
小遣いも少なかったのでレンタル屋に行き、返却を待って借りたのを覚えてる。
それ以降もアルバムは全部聴いている(買ったのは半分くらい)。
現実にありそうな風景の一部を綺麗に切り取れる歌詞作りはマネしたことがあるけど、あんな表現は絶対に出来ないと諦めた大学時代。
Time to count downとかテレビCMで聞いた記憶があるが、好きになったのはシティーハンターとかのエンディングで使われるようになってからだろうか。
勉学に勤しみ音楽とちょっと離れてた時期に解散のニュースが流れ、すごくショックを受け、CDを全部買ったりしたのを覚えてる。
そのすぐ後に聞いたNights of The Knifeにも衝撃を受けた。なんなんだこの曲は、と。頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃を受けてそのままバイクで走り回り警察に止められたのもいい思い出だ。
木根尚人のオールナイトニッポンを聞いていたのは今となっては黒歴史だろうか。
初めてその存在を認識したのはBlack or WhiteのMVで、深夜のテレビ見てたら流れてた。
なんとも不思議な雰囲気で、そこから情報収集したら過去に聞き流していた曲も彼の手で書かれてたと聞いてびっくりした。
This is itのライブに行きたいと思ってた頃に急死したニュースに触れ、映画館でその動画を見、悲しくなった。
ASKAのパワフルな声とCHAGEの繊細なメロディが大好きだった。
二人のライブツアーの様子をNHKがBSで流してて、それをビデオに録画した映像を何度も何度も繰り返して見た。
1万人の来客の前で、圧倒的な存在感を示す2人。
いつの日かこういうステージに自分も立ってやる、と心に決めた。
逮捕された途端、みんな手のひらを返したように離れていって、楽曲はCDショップから姿を消し、メディアから消えていった。
時折入る情報はすごく断片的で、離れていったみんなが心を落ち着かせるためのくだらないニュースだったりして。
本人に罪はあるかもしれないけど、楽曲に罪は無いと思いたい。
そして僕は、たぶん人並み以下だけど、それなりに頑張ったけど、残念ながらそういう才能は皆無で。
じゃあ勉強を頑張るか、という気にもなれず、そのままずるずると就職してみたものの、すごく納得出来ないものになってしまって。
そんな中、いつの間にか、YouTubeやニコニコ動画のような場所が出来て、みんなそこで才能を発揮して楽しんでる。
昔取った杵柄じゃないけど、僕にも出来るかな、って思ったけど、やっぱり僕には才能が一切無くって。
じゃあ仕方無い、諦めるか、って思ってたら、いつの間にかそういう「才能を守る」側に立っていた。
この日本という世の中は、一度失敗するともうその場所には戻れない。
でも、才能を持っている人がその才能を活かせないというのは、その人にとっても、世の中にとっても、すごくもったいないことのように思える。
そして、僕は、偶然にも、そういう人を守ることが出来る力がある。
だから僕は、本当に才能ある人は応援することに決めた。それは、みんなに言わせればただの独善偽善に見えるかもしれない。
でも、それは、みんな、一度失敗した人に対して死ねとだけ言っているだけで、その人がその後寿命までどうやって暮らせばいいかの提案は一切無い。
あえてゲスい言い方するけど、才能をオカネに変えることが出来るのは、本当に一部の人間だけ。
そしてその才能がオカネに変わるというのは、その才能をほしがる需要もそこに確実にあるということ。
ASKAさん。