はてなキーワード: コンセンサスとは
としたら、その高い評価は、どのようなものなの?
ひとびとに子供をつくらせることを優先すべきというコンセンサス。
ただ強いられているだけにみえるんだけど
そりゃ飴とムチのようなもんで、そうなるように強制させるという形であらわれることもあるし、妊娠したほうが有利になるという形であらわれることもある。
専業主婦は甘えた怠け者と叩かれる
これ男が始めたことじゃなくて
同じ女のフェミニストが始めたことだよね
「家にいてしっかり家のことやってくれる」のが理想の嫁として広いコンセンサスだったのに
女性の地位と権利の向上を謳うフェミニストがそのあたりを激しく攻撃した
「専業主婦はクソだし女にそういう役割を望むのは自信の無いダメなマザコン男」みたいにね
結局よほど仕事に余裕がある男じゃないと育児には大した参加できないし
そんな奴にチョコチョコ手を出されても邪魔なだけってのがはっきりしてきた
また大抵の男は育児が凄い下手ではっきり言って不向きだった
でも今は専業主婦で育児に専念してると女からも男からもどことなく「寄生虫」みたいな目を向けられる
昔は子供産んで育ててるってことはもっと社会的な評価が高かったのに怠けたアホ女扱い
>・その話の寓話としての価値
>・実際のところワシントンはそういうことをしたのかというトリビアルな議論
この二つも「どちらに論点を絞るべきか」という議論をするなら、軽重をつけることができる。
無理でしょ
全然違う話だもん
軽重をつけられる(た)と思ってるなら
どうしても「出来る」と言い張りたいってならどうコンセンサスを得るのか例示してごらん
きちんと返してあげるから
あと
いやいや、そのへんのことは理解した上で話してると思うよ。
「比べられるのは同論点上のタスクだけ」というのも分って話してる。
>掘り下げの浅いところで話をしてる。
「今更話を理解しましたけど改めて相手してくれないでしょうか」って言えよ
相手はしてやるからさ
丁寧に説明してくれたド親切さんにもお礼言っとけよ
妄想メモ書き。論点多すぎてぐちょぐちょ。もうちょっとまとまったらちゃんと書く。
ソーシャルゲームに求められているのは一般的な意味での「承認」とは違うと思う
むしろネットとは承認を求めてやるものだ、みたいな考え方に対する
アンチテーゼ・・・ではないが発想の転換すら行われていると思う。
篠房六郎さんのネトゲ関係作品は今だからこそ興味深いと思う。特に「空談師」。
元来ネトゲというかネットワークのコミュニケーションに期待されてたこと、およびその問題は
しかし、現実において、ビジネスとして資本効率を追求したときに
「篠房六郎の思い描いた可能性
(現実の大半をゲームに持ち越すほどにヘビーゲーマを中心としたコミュニティ構築)
作者自身もこの路線を放棄していることからも、こっちの可能性はもうないと思う。
作者は、ビジネス的な面からゲームを考えてなかったよなーと今から読み返すと思う。
⇒安っちい承認欲求というか視線欲求を満たすだけなら小町で十分なんだ。
ネットでは得られないというのはもうコンセンサスになりつつあるんじゃないだろか。
⇒ソーシャルゲームでは
承認を目的ではなく手段とする(承認=仲間になればお得)という発想の転換があると思う。
仲間づくりはあくまでそうしたほうが便利だからそうするだけ。
⇒この発想の転換はビジネスを運営する側の都合から生まれたんだろう。
「仲間」の部分をすごいグラフィックや濃密なコミュニケーションを演出しなくていい。
むしろ単純なステータス化して極力力を入れないことで、低コストでサービス運営できる。
しかし、今のヒットを見てると、これが正解なのだと思う。
他人はそのきっかけ程度の重みしか求められてないんじゃないだろうか。
本当に飢えているのは自分の価値とかよりも、とにかく自分を楽しませてくれるもの。
自分のやってることに後暗さを感じなくていい場所というか。ここがうまく説明できない。
⇒自己完結ができるということは、それだけお気楽な、深く悩まなくて良い社会を想定してるはず。
昔の古き良きRPG、ネットワークビジネス的な雰囲気。
これらは「昔の楽天的な高度経済機の日本」という幻想の代替物みたいな。
⇒そういう「何も考えずにただ目の前のボタンをクリックし続ければいい」仮想社会を
つくろうとしたのがソーシャルゲームだとすると、実際のところは非常に不完全。
グラフィックというよりも、ゲームデザイン側に深刻な問題がある。
成長がすぐに限界に行き詰まり「増資=課金」をしないと成長できない。
しかも増資をしても、そのリターンが帰ってこないというところで現実との乖離が生じる
本当にずっとやりたいなら、増資=自分で投資をした分の見返りが必要。
⇒この問題を解決するためには
「リーダーシップとして一番大切なこと」という本に書いてあった
「ステージ乗り換え」によって成長を持続する仕組みが必要。
チャレンジできる、ということが求められるだろう。
⇒現状はどのゲームも似たり寄ったりだ。
別にパクリとかなんだとかは好きにしたらいいが、レベルが同じで
これでは「時間つぶし」以上にはなれない。
iPhone4sのSIMフリー輸入版が修理できるとか出来ないとか錯綜してるから、俺様がスマートにまとめてみた。
http://support.apple.com/kb/index?page=servicefaq&geo=Japan&product=iphone
2.海外で購入したiPhoneを日本で修理できるか(2009/06)
http://nokias60.seesaa.net/article/121361258.html
※2のブログによると、かつては1に海外修理不可というFAQ項目があったそうだが、現在はない。
3.アップル「海外で購入したiPhone4/iPadも国内修理可能です(2010/08)
http://techwave.jp/archives/51487541.html
※上の事実について、3の記事によれば、iPhone4発売前後、急に海外修理不可という項目が消えたらしい。
4.iPhone サポート:サポートおよびサービスの保証期間
http://www.apple.com/jp/support/iphone/contact/
※そして現在では、ここでシリアル番号を入力すれば、保証の有無がチェックできる。
※ちなみに俺様のはオーストラリア版SIMフリーだが、普通の修理が受けられるというマークがでた。
5.海外で買ったiPhone 4を買った国以外で交換してもらう
http://blog.nunnun.jp/Private/iphone_4_international_warranty.html
※実際に交換可能だったというこんな記事もある。
6.Does iphone4 has international warranty?
http://forums.macrumors.com/showthread.php?t=967224
※海外のフォーラムでは可能だとかダメだとか、そんなはずはない、俺は実際に交換したとか、2chと同じような話が続いている。
つまり、修理については国ごとに規定が違っていて、その中でもさらにケースバイケースというのが実情なのだろう。
特に日本のアップルストアはよく外国人を見るので、外国で買って壊れて困った人達にどう対応すべきか、
コンセンサスがとれていなかった→iPhone4Sの発売にあわせて、早急にストア内での統一見解を作った、
という可能性のではないかと思われる(しかしそれは4のサポート情報と見事に矛盾するから、
結局、見解といってもストア内の自主見解みたいなものなのじゃないかと思われる)。
<俺様の結論> ごねれば修理は可能。最悪、不安ならば4のサイトにシリアルを入力した上で、
画面をキャプチャするなりしておいて、それを証拠にすれば、万が一、駄目な店員にあたったとしても交渉する事は可能だと思う。
そういう風に理解する、ということに考えさせられた。横入りだけど。
(1)「他人を試みることは失礼だ」
(2)なぜなら「(私の)不信によって相手が傷つくだろうから」
(3)「それは自意識過剰」
この(2)に対する(3)のリアクションについて。
確かに、「自分の為した行為等によって相手が傷つく可能性を考えて行為しない」という行動様式の帰結として、一般的にいって「肥大した自己意識」があり、そのため本来なら行うべきであった社会的に必要な行為すら行えなくなるとしたら、それは確かに病的な「自意識の過剰」であると言える可能性は否定しない。ちまたで見かける自意識の過剰を羅列すれば、
「みんながオレのこと監視して笑ってるような気がしてむかつく」
「頭の悪いオレが一票を投じても間違ってる可能性が高いから投票しない」
「すれ違うたびに気持ち悪がられてるだろうからもう外出しない」
とか、まあそういう感じ。
確かに、どんな「行為とそれに対する他者のリアクション」の場面においても、他者の心の内でどのような感情が渦巻いているかは外からしか見ることができない。そのため、その反応を基に、自己意識の外延としてしか他者の心を思いはかることはができないため、あらゆる「配慮」は原則的に自意識の産物足らざるを得ないし、そればかりでなく、常にそれが他者からみて(それが健全な社会関係を阻害するレベルに至るか否かは別として)不足であったり過剰であったりする可能性は免れ得ない。つまり、どんな「配慮」行為においても「自意識過剰」という批判は常に投げかけ得るマジックワードとなる、ということだ。
ただ、健全な社会性を保つためには、この「配慮」が過剰であっても、そして過『少』であっても、よろしくないことは理解されると思う。そこで、配慮を一定の規範とする考えが登場する。マナー、作法あるいは「礼」というのがそれである。ただ、これらのマナーや作法や礼というのは、決して「形式的にそれを満たしておれば、誰からも問題とされない」という許可を与える法律のようなものではなく、それらのマナーや作法や礼が要請するところの「基の感情」で内面が満たされていることが他者から見ても分かることが、社会的に必要な要件とされることが多い。
頭を下げるのは「礼」だが、ニヤニヤしながら頭を下げていれば不真面目だと言われる。テーブルマナーを形式的に身につけることは大事だが、頑なにそこから逸脱しないことが重要なのではなく根底にある「みんなが食事を楽しめるように、不快なことをしない」を満たすことが需要なのであるから、たとえばマナーを知らない人と食卓を囲む際にマナー知らずであることをもってその人を笑いものにしたりする人は、むしろ重大なマナー違反を犯していると考えるべきだ。
このことを前提として最初に戻ると、
(1)他者を試みることは失礼である
これは理解できる。聖書にも「汝、神を試みるなかれ」とあるが、試されるようなことをすれば、神様だって怒るのである。怒る理由は「信じていないから」であって、一般的に「試す」のは「確信がもてないとき」であることは言うまでもないから、「試す」ことが「確信をもっていない」というメッセージになりうることは、事実であると言える(これは、たとえば「私はそんな風に受け取ったりしない」という個人的主張を否定するものではない。たとえば「てめえぶっ殺してやる」を愛情のメッセージと受け取る人も世の中にはいるだろうから(範馬勇次郎とか)。)
次に、
という説明も問題はない。(1)が、メッセージの含意する「不信感の表明」という事態避けようとする意図から生まれた規範であることをベースに考えれば、その意図するところが(2)のような理由であると推測することに飛躍はないからだ。相手を傷つけることが、健全な社会関係を維持する上で不利であると考えるのは、理にかなっている。
そこで問題は(3)だ。(3)の発言者(以下、(3)の人と呼ぶ。)は、なぜかように考えたのであろうか。本当は、特に考えていたわけではなくて、単にマジックワードを振りかざして、ちょっと反社会的でカッコよさげなことを言ってみて悦に入りたいだけなのだろうか? それにしては中途半端な発言なので、一応そうではないと仮定すると、この文脈でこういう発言が登場するからには、(3)の人は「試すことは悪いことではない=私は試したい」と思っているのであろう。(2)の発言者に「相手を傷つける可能性」を指摘されてなおかつ(3)の人は、それを否定するために「自意識過剰」というワードを持ち出したわけで、そうすると、(3)の人の中では「相手を傷つけること」よりも「自分の願望を抑えること」の方を(あるいは、前者をしないために後者をすることを)悪とみなしているということになるからだ。
これはとても不思議な感性である。「自分の個人的な不信や疑念を払うこと」を重視する一方で、「他者を傷つける可能性」を低く見積もっているのみならず、その「他者を顧みない」行動により「自分が他者から不信や疑念を抱かれる可能性」を全く考慮していないからだ。この(3)の人にとって、他者とは、自分に決してコミットしない、窓の外の存在であるかのようだ。
肥大する自意識に脅えながら、同時に他者を窓の外に放り出して顧みない。彼は一体何と戦っているのだろうか?
「平気で嘘をつく人たち」ではないが、このような「平気で人を試す人たち」から見えてくるものは、確かに一つの時代、世界の風景である。それを、「核の時代」のうすら寒さと共通している、と言ってみると、飛躍して聞こえるだろうか。しかし「核抑止論」とは、「私の不安を解消するためなら、核武装するのが一番だ。みんなが核武装すれば、平和だからだ」という言明ではなかろうか。そう考えれば、これはそれほど突飛な比較ではないだろう。そして、核抑止論が、現代世界において一定のコンセンサスを得ていることも事実として認めておこう。「私の不安と核武装」が隣国の不安と核武装を呼び、それがまた次なる核武装を……と連鎖が続くという事実を眼前にしながらも、今のところ人類は、理性と対話というか細い支えで対抗しつつ、民族や文化の壁を越えることには必ずしも成功していない。「中の安心」が一番大事で「外との対話」は二の次なのだ。「外との関係」が「中の安心」を生む…というアイデアは、そこでは顧みられない。私たちの生きる「国際社会」は、残念ながら依然そのレベルにとどまっている。
(3)のつぶやきが示すことは、もはや個人と個人の間ですら大国間のように理解と協調を求めることが難しい時代だということであり、その中で、恐怖心のシェルターに閉じこもる人々が(3)のように振る舞うことは、もはや不可避のことなのかもしれない、ということである。異文化間における理解と対話のためのメソッドを確立することは、我々にとって真の意味で喫緊の課題である。
今の原発に関する騒動って「食品の放射能で子供が危ない!」みたいなのと「原発は経済的なので推進しないと経済が危ない!」みたいなのがあるんだけど、無茶苦茶。
福島の事故に際して、避難区域の設定や食品の検査体制についてはIAEAなどから模範的とまで言われるほどで、もちろん重箱の隅をつつく余地が全くないわけじゃないけど、現実的にはほぼ盤石と言って良いレベルの体制が敷かれてる。何故か「内部被曝については分かってないんだ」とか言ってる人もいるけど、ぶっちゃけ広島長崎もしくはチェルノブイリでの"人体実験"や医療分野での使用により外部/内部被曝の長期的影響は疫学的に大体分かってる。子供への影響もね。
現実問題として「政府が安全だと言っている場所で政府が安全だと言っているものを食べている分には放射性物質による健康被害を受ける可能性はまず無い」と考えていい。福島えんがちょとか言ってるせいで食事のバランスを崩したりする方がよほど健康に悪いよ。
一方、日本の原発の安全管理とか審査体制については国際的にはボロクソに言われていて、保安院体制だと日本はフクシマをまたやらかす、という扱いを受けている。当たり前なんだけど菅の視察が~みたいな事後対応についての話も(海外では)ほとんど無い。安全審査が腐敗し切っていて地震で揺れた時点で全てが詰んでいた、というのが基本的なコンセンサス。
日本だとあの事故は1000年に1度の不幸であって非常用発電機用意したからもう絶対事故は起こらないとか言ってる馬鹿もいるけど、全くもっておめでたい。1000年に1度なのは宮城県沖で連動型の大地震という一事象が起こる頻度であって、LV7事故を起こす1000年に1度の要因が20種類あったら1000年に1度の事故は50年に1回の頻度で起こる。現に40年で1回事故ったんだぜ。普段からやりまくってるヒヤリハットが今回たまたまヒヤリで済まなかっただけだ。
前述の通り、今の日本政府の避難体制や食品検査はかなりよくやっている(JCO事故の時と比べると格段の進歩と言って良い)ので、とりあえず我々が「健康被害」について心配する必要は無い。うん、まあ、それはいい。でも「経済被害」については全く別問題で、健康被害を起こさないように頑張った結果広大な立ち入り禁止区域が出来て大量の食品が破棄されているわけで、この経済被害についてはそれはもう天文学的なことになっている。直接的被害が認められる賠償分だけで今のところ約5兆円、波及的なものも含めて日本人が失った富はどう見積もっても二桁兆円。
原発は安くて経済的?OKOK、じゃあ今後大事故が起こる確率と大事故で吹っ飛ぶ金を掛けあわせて、その金を賄えるように基金なり保険なり掛けて原価に上乗せしてからもう一度聞いてみようか。健康被害についてはまあいいよ、これだけの大事故でも日本政府はちゃんとやれることは分かった。だから経済被害だけで数えていい。……まあ、つまり、そういうこった。このコストを全部国に押し付けてるから安く見えてるだけなんだよね。
ものすごく大ざっぱに考えて、40年に1回5兆円の事故が起こるとすると、日本の原発は55基あって寿命も40年くらいなので直接的な賠償責任分だけで大体1基1000億円弱くらいコストが上がることになる。波及する被害も含めて日本人が失う富で考えるとこの数倍だ。なんてお安いんでしょう!
この辺どうにも風潮がおかしいよね。子供が~と言った方が話題が取れるしTV出演で小銭が稼げるとか、倒閣騒動の絡みで実は割と対策はしっかりしてるよねとは言いづらいとか、まあIAEA報告すらろくすっぽ報道されないくらいだからなとか、原発村の皆さんが全部菅に責任押し付けて逃げるために雁首揃えて口を拭ってるとか、電力会社がメディアに巻き返してるとか、まあ色々あるんだとは思う。ひどい話だ。
とまれかくまれパニクる方向が無茶苦茶。
ま、原発をすぐに全部太陽光発電に切り替えろとか言うつもりはないし、ガス火力や改良型石炭火力なんかを使っていくにしてもCO2貯蔵技術とかも考えないといけないし、短期的に原発を騙し騙し使っていくこと自体は仕方ないんだけどね。みんなこの国をどうしたいんだろうな。子供がかわいいなら子供の世代でまたフクシマをやらかさないようにくらいはしてやれよ。
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。
これについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。
警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)
もちろん、子供の暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会の事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part
報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリスの貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。
イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。
何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。
カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。
ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。
http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792
ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。
とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。
その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。
この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。
結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラムの子供にサッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金で博士号まで取る人もいる。そのための制度や組織もある。ブラジルのスラムに比べれば、カウンシルフラットの子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。
今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。
カウンシルフラットの子供達が鬱屈しているならば、イギリスの納税者達は絶望している。イギリスの税金は高い。年収550万円以下なら所得税は20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出は所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税は20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤の交通費は自腹が原則だし、会社が住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。
それでも、ブレアが政権を取った1997年以降、イギリス人は低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童の学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコストは10万円)。
にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国の光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権の教育改革がスタートしたのは99年前後だから、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供達である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国のスラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。
(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動は証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システムの第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。
もしこの手の暴動を放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。
(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動前から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度で代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。
上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度は格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutubeで検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである。
(3) 納税者の復讐。今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者の復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。
最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。
火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線に自分をさらせ。
この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分を抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。
だから、「独裁を意図している人間」とやらの存在が、すでにメタ話でしょ。
それを「設定」することで、コンセンサスに関する全ての議論を封じるのが目的なんだからさ。
そもそも、コンセサスが「誰と誰の合意を意味するのか」とかいろいろとあるけど、問題が勘違いのみだって事なら、建設的じゃないし終了で良いんじゃないかな。
そもそも今の政権は「原発は絶対に安全」とは言ってない。むしろ脱原発・新エネルギー開発と言っているくらいじゃん。
つまり「リスクがあるから段階的に脱原発する必要があるけど、近々で高リスクなのはとりあえず浜岡くらいなので、それ以外の原発は経済にダメージを与えないよう短期的には動かしつつ他のエネルギーに移行していきましょう」って話だよ。この点に関しては別に揺らいでない。自民がいまだに妄言こいてるのと混同してない?
問題はストレステストの位置づけが明確でないまま一人歩きしてることで、そもそもストレステストは稼働の絶対条件では無いはずで、ストレステストが稼働の条件と言ったのは完全に菅の暴走、もしくは勘違い、もしくは報道の曲解、それらのどれか。どれにしても菅の発表の仕方が悪い。
欧州基準でのストレステストとか言ってるけど、そもそも欧州では動かしながらストレステストやってるわけで。元々欧州では安全性は100%なんて言ってないし、安全性99%だけど随時もっと安全性を高める努力をしますねというコンセンサスが前提であって、最初から安全性100%なんて求められてないしそもそもストレステストやったって100%にはならない。
まあ旧政権のデタラメ政策の尻拭いで四苦八苦してるのは分かるけどもう少し閣内で意識を合わせないとまずい。
原発問題に関しては(意外なことだが)海江田が一番まともに仕事してる。各県を回り頭を下げているが100%安全ですとは言わずに万が一の時は国がケツ持ちますと言って回っている。これが本来(30年前からやっておくべきだった)正しいやり方。実は100%安全じゃないですが動かさせて下さいなんて今更頼むのは、頼む方も頼まれる方も嫌な仕事なのによく頑張ってるよ。
菅は長期的にどこに向かっていて短期的にどこで折り合うのかきちんと呑み込めていない感があるので猛省しろ。原発問題について大筋では(自民時代よりは)それなりにやっている方だとは思うが今回のスタンドプレーはいただけん。民主党の党内ガバナンスの問題すら疑われる。
自民は責任能力のないてんすの集団なので奴らが返り咲いてしまう前に原発問題に道筋付けておかないとマジ日本やばい。原発問題でミンスはだめだやっぱり自民だなとか言ってる奴は、対中問題で自民も民主もあてにならないしやっぱり共産党だなとか言い出すレベルで気が狂ってる。
そんな感じ。
マスゴミは嫌いだけど、今回の件は徹底的に潰してヨシ!!、全力で応援する!!
松本復興相、記者会見中に突然サングラス
松本龍復興対策担当相は28日、就任後初となる記者会見を行った。重責を担い吹っ切れたのか、質疑途中にサングラスをかけ、自ら率いる被災者支援チームを「チーム・ドラゴン(龍)」と命名した。
バカじゃねぇの?
シャレこいてる場合じゃねぇし、フジテレビは勝手に名称を使うなと訴えればいい。
松本復興相、宮城県の村井知事を叱責
松本龍復興担当大臣が就任後初めて、3日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。
「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(松本龍復興相)
笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否。応接室が緊張します。そして要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。
「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」(松本龍復興相)
あきれた。
こんな奴に復興に関わる全権力を集中させたらヤバイよ。絶対ヤバイよ。ただの独裁者じゃん。
Yahoo!Japanとかが「あなたの理想の24時間は?」みたいなアンケートやってくれたらいいな、と。
何時出勤の何時退勤がいいかとか、退勤した後どこで何したいかとか、そんなのさ。選択肢を多めにしていただいて。
いや、もっと大規模に政府主導で、新聞もテレビも協力してさ、同じアンケートをたくさんの人に実施するのよ。
つまり、そういうところから日本の未来像のコンセンサスを作っていくべきだと思うんだよね。
そもそも、あんまり想像しないじゃん、理想の生活をさ。最近、特に。出来る出来ないの話ばっかりでさ。
「こういう生活がしたい」って考えもせずに、ただ景気をよくしろとか、自民党は嫌だとか民主党も嫌だとか、今の俺達は狂った赤ん坊みたいだよ。
予想される最悪の状況を受け入れられるか否か
それこそどの発電システムでも最悪の状況なんて到底受け入れられないだろ。
水力なんてダム決壊したら相当の被害が出るぞ?
「放射線」の有無で全ては決まり、量的問題ではないという事か?
自動車事故やガスコンロ爆発事故については、「ゼロにしなければならない」という社会的コンセンサスはないが、原発事故については「ゼロにしなければならない」という社会的コンセンサスが働く。
いや、自動車事故やガスコンロ爆発事故もゼロにするために努力している人々が居るんだが?
カセットコンロだって、圧力感知安全装置とか研究/実装されてる。
「放射線」の有無で社会的コンセンサスとやらは醸成されていると?
結局、お前さんが「放射線」を気に食わないかって話であって、なんら実の無い話なのな。