はてなキーワード: エミュレータとは
ここでもいいけど健常者エミュレータ事例集に載せたほうがウケそう
健常者の振る舞いを理解したりトレースしたりするためのページなのはわかる
ただこれ、いちばん大事な「その場で状況の判断が必要である」ってことを理解していないと、これらを読む前より悪化する気がする
実際「車のエンジンがかからないんだけど」コピペを真に受けて、他者からのヘルプをガン無視して大変だねーで済ませようとした事案が発生しているらしい
ジョークだと思いたいレベルの意味不明さだが、こんなサイトを知っているくらいなのだからたぶんご本人は本気なのだろう
このページの投稿者たちの書き様を見て、コミュニケーションにまつわる自然な情動の理解が困難な人たちがいることよりも、「誰に対しても入力Aを入れれば出力Bが出るはず」というように他者を全て同じものとして応対して失敗している人が大勢いることが怖く感じた
そもそも健常者的状況理解ができないのも、機能的に理解が困難と言うよりもどちらかというと「他人も必ず自分と同じように考え行動するはずだ」という強い思い込みに根ざしているんじゃないだろうかとすら思う
圧倒的に足りてない物
cadence、synopsysという米国企業がほぼ独占している。
なんで重要かというと、色々理由はあるが、1例を上げると製造した時に問題が起こらないかをデザインルールをチェックする。
TSMCが新しい○nmプロセスを出すときは、必ずCacence、Synopsysが対応したとプレスリリースを出している。
デザインルールをチェックしない場合、配線間が短く設計し過ぎていてショートして最悪チップが動かないといった自体になる。
ちなみに中国もEDA企業は立ち上げ出来てない(一応中国国内EDAベンダーはあるが)
日本で独自に2nmプロセスを立ち上げるとして、当たり前だがCadenceかSynopsysに対応してもらう、ということになるはずだ。
日本のソフトウェアを立ち上げるのは流石に難しいのではないだろうか。
Cadence、Synopsysともライセンス量が馬鹿みたいに高い。
1チップ作るのに○億と量産前に飛んでいく。
CPUサーバー上でシミュレーターを動かす方法もあるが、先端ロジックだとトランジスタ数が多くなりすぎて、エミュレータを使わないとまともに検証が出来ない。
エミュレータはFPGAみたいなもので、実チップまでは早くならないがシミュレーターより断然早い。
Cadence、Synopsysともエミュレータも出しているが、こちらも高い。ポンポン買えるものでもない。
チップの次はボード設計する為のソフトや、熱シミュレーター、EMCなど必要になる。
ボードはなんとかしようと思えば出来るはず・・・。先端の高密度はCadence、Altium使いたいが。
ちなみにAltiumに関する書籍は日本にはないが、中国では何冊も出ている。
先端ロジックで設計する会社、製造する工場を作ったとして、作った物が売れないと意味がない。
何を作るのか、だ。
しかも今時の先端ロジックは金がかかりすぎて、グローバルで億単位で売らないと半導体にかかる費用がペイしない。
車に沢山半導体が使われるんだということで報道されるが、台数が少ないので、後回しにされて、半導体不足が解消しないってのは昨今の状況だった。
高温まで対応するなど要求スペックが厳しいわりに、数が売れないので半導体企業としては美味しくない。
PS5の台数でも厳しいはずだ。(PS5は売れば売るほど赤字だし)
スマホほど単価が高くて、体積が小さいの輸送費がかからない、そんなものがないといけない。
AI向けはまだまだどれだけ演算能力があっても足りないので、そっち向けはありかもしれない。
ただチップを作っただけでは動かず、ドライバー、ミドルウェアが必要になる。
インテルがやったようにCUDAからコンバートするソフトを用意するなども必要だろう。
相当性能高いチップを作ったとしても、国内市場だけでペイしないだろう。
ソフトウェアエンジニアの方々も、チップが相当性能高くても携わりたくないのではないか。
NVIDIAのGPUを8個とか、数増やしてどっこいどっこいの性能のチップなら、わざわざ国産チップ用にソフトを作る必要がない。
先日バズっていた、保育園にバイオハザードの本気コスプレで行くとかなんとかいうTwitterを見て気がついた。別にハロウィンそのものが嫌いなわけでもない。コスプレが嫌いなわけでもない。
件のコスプレの方は本当に品質が高いな、と素直に感心した。一方でハロウィンに世の中に溢れているのは、適当な衣装を着ただけでわたしイケてるでしょ、みたいな顔している連中だ。子供にプリンセスドレス着せてる親も同類だ。そしてそのような格好をされたところで、自分の持っている健常者エミュレータは正しく処理することができないので、まともな社交辞令すら発せなくなる。健常者エミュレータは目の前に異常者みたいな行動をとる健常者が発生した場合機能できない。せいぜいが、ふーんという反応のレベルだ。
本気度を見せるコスプレなのであれば「これすごいな」「あの作りどうなってるんだろう」と知的好奇心をそそられる。一方でただ着ただけ、みたいな品質のものや原作のわからないもの、原作がわかっていたとしてもそこからかけ離れているように感じるものなどをわざわざ世の中に開陳する行為に対して、本当に理解ができないのだ。
例えばコミケのように、いわゆる「趣味の集まり」として同好の士が集っているならそれもまた良いのではないかと思う。コスプレ集団と自分とは同好の士ではない、と認識するだけだ。いつの間にか市民権を得ているケルトの祭りだが、誰もが近隣で(低品質な)コスプレをするような世界は本当に勘弁してほしい。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
('ω')つ エミュレータ
ただし本家本元の再限度には多少劣る
配信すると著作権的にグレーらしいんで、ローカルでテストするだけにすべき
https://www.youtube.com/watch?v=xb7q6dvkYhw
■ファミコンのディスクシステムのCMを見ていて思った素朴なこと
ディスクシステムってファミコンにアダプター噛ませてドライブからデータ読み込んでゲームするじゃない。
これって今では当たり前のようにできる話だと思うんだけど。
でね、思ったっていうのはこの後の書く事なんだけど、まあディスクシステムを見て思っただけなのでディスクシステムの仕組みとちげーっていうツッコミはなしで。
先日さ、PS Plusのサービスが変わってPS3のゲームやらそれ以前のゲームも配信されるようになったけれど
ユーザーが求めたのって『所持しているゲームを現行機種でプレイできるようにしたい』って事だと思うんだよね。
だからほしいのは配信というサービスじゃなくて、PS2やPS3のディスクを読めるドライブと現行機種でプレイするために必要なアプリだと思うの。
それが発売されたら、購入する人って結構いると思うんだけど。
ライトなコンピュータユーザを一切合切無視してギークがギークのため情報共有するためのエントリ。
感想ははてブへ、質問はトラバに投げれば誰かが答えるんじゃないか?(他力本願)
セキュリティの懸念があるけれど通常モードはセキュアを維持するため機能制限があるので制限開放のため開発者は初手でデベロッパーモードにするしかない。
利用途中でデベロッパーモードにするとストレージがファクトリーリセットされるので注意。
Webでエンタメを楽しんだりWebツールを中心に利用するのであれば、5万円未満の低性能機で必要十分。
この用途では実質的にタブレットPCのような運用へなりやすいのでフリップする2 in 1機やタブレット機がオススメ。
ただし、Webベースのゲームは楽しめるがAndroid Appレイヤーを用いたゲームは非常に厳しいので諦めたほうが良く、そこそこの負荷の掛かるAndroid Appツールも鈍足でストレスになるのでWeb版があるならそっちを使ったほうが良い。
Core i7クラスのCPUや16GB以上のワーキングメモリ、SSDストレージなど高性能機でChromeOSを使うとその分だけ快適になる。
Android Appレイヤーを用いたゲームも快適に動き、ウマ娘クラスの3DCGなAndroid Appゲームも高速に動く。
しかし、高性能機は空冷ファンを搭載していることが多く、高負荷を掛ければファンは唸るしウルサイ。
Google Play StoreにてAABパッケージがほぼ強制になったとは言え、開発段階でx86_64を意識しないと処理が非効率になりがちのようなので、Android Appレイヤーを中心に運用したいと思っているのであれば素直にARM機を探してきたほうが良い。
1つのIDEで開発をしクロスプラットフォーム対応することが流行っている昨今、自動でガベコレに頼っていてリソース管理経験に乏しい開発者はマジで底辺にしか漂流できないので覚えたほうが良いぞ。
それがWeb系のフロントエンドでもバックエンドでもそうだから底辺から脱したいのであれば覚えろ。
しっかりリソース管理できているChromebook向けビルドはアーキテクチャによらずサクサクなのでクロスプラットフォームなビルドはマジで開発チームの腕が如実に反映される。
ちなみにSnapdragon 8 Gen1なChromebookの公式発表は今のとこ無いのでAndroid Appレイヤーをブンブン回すのは難しい。
メーカーはもうちょっと頑張れ。
Chromebookの大半はタッチスクリーンディスプレイを搭載しているし、Android StudioでAndroidManifest.xmlを何も考えずに生成すると勝手にChromeOSをサポートするので結果的にChromeOSで動くAndroid App数が多くなるという現象が起きている。
Android Studioが雑なのかXcodeが厳密なのかは意見が分かれると思うけど、タッチパッドでiOS App操作というセンスがクソなのは万人が納得するところだと思う。
ARM系のSoCであればワンチャンいける可能性はあるものの、市場に出ているChromebookの大半はx86_64でGPSモジュールを積んでいないのでGPSを使おうと思うとBluetoothあたりでGPSレシーバを接続するしか無い。
当然A-GPSは使えないので精度がそこまでではないから期待し過ぎに注意。
Android AppレイヤーではUSB over MIDIが使えるのでDTMあたりに活用することは可能なものの、iOSと比較してレイテンシがそこそこ大きくDTMに活用しようと思うユーザは不満を持ってしまうかも知れない(ハードにもよるけど0.5msecくらいズレる)。
そもそも既存のAndroid AppなDAWはVSTやLV2などの外部プラグインに対応していないのでAUプラグインが使えるiOSのほうがDTMへ向くんじゃないだろうか?
ただし、DAW単体でDTMを完結するとレイテンシはほとんど気にならなくなるので絶対にAndroid AppでDTMが不可能というわけでもない。
Linuxレイヤー側でDTMをするのはレイテンシが大きすぎるしJackも上手く動作しないのでオススメできない。
ChromeOS向けマルチタスクへ対応していないとAndroid Appはフロントエンド(プライマリ)からフォーカスが外れてバックエンドへ行くとスリープする。
Android Appがスリープされることを考慮しておらず例外処理がされていないとAndroid Appはそのまま落ちる。
まぁAndroid Appがスリープされることを考慮しておらず例外処理がされていないとAndroid Appはそのまま落ちるっていう部分はAndroidスマホで実行しても同じなので正直に言ってスリープされることを考慮しないデバックってAndroid App開発者は何やってんの?とは思う。
ICT教育で日本中の学生がChromeOSを使うようになっているので、ゲームであれツールであれ何であれChromeOS向けのマルチタスクは考慮しておくとスリープしたり落ちたりするAndroid Appよりも支持されるのは間違いないのではないか。
LXC/LXDなのでDockerに慣れ親しんでる人にはわかりやすいかも?
デフォルトのイメージはChromeOS向けにカスタムされたDebian。
別のLinuxディストリビューションへ置き換えることも出来るが一部機能が制限される可能性がある。
ChromeOSで動作するGoogle日本語入力とは別にLinuxレイヤー側で日本語入力を用意する必要がある。
選択できるIMは幅広いのでMozcだろうがSKKだろうが漢直だろうが何でもイケる。
ただ特殊なものを選ぶとChromeOS側と齟齬が発生するのでfcitx-mozcあたりが無難っちゃ無難。
ChromeOSへマウントされたUSB機器、というかシリアル接続された機器はLinuxレイヤー上から認識しない。
見掛け上で接続されているハードのすべてはソフトで仮想接続されているだけなので、一部経路から上手く認識しなかったりする。
つまりLinuxレイヤーではUSB Pass Throughが使えないが、Android AppレイヤーではUSB Pass Throughが使えるということ。
Linuxレイヤーでゲームやろうと思ってもUSBゲームパッド動かないのでマウスとキーボードで完結できるFPSみたいなゲームしか上手くプレイできないぞ。
言うなればAndroid Appレイヤーでスクリーンキャプチャ系のアプリによってLinuxレイヤーで動くGUIアプリをキャプチャしようと思ってもキャプチャできず撮像は暗転している。
ChromeOSがホストでLinuxレイヤーとAndroid Appレイヤーはゲストなのでそりゃそうなんだけど気付かないとハマる。
LXC/LXD on LXC/LXDになるので面倒くさくなること請け合いだ。
どうしても仮想環境がChromebookに欲しいのであればKVMとかのほうが安定している。
ただしゲストOS上へ仮想環境を構築しているという前提は認識しておくべき。
つまりゲストOSの制限はKVMも引き継ぐ。
ただしこれはDockerが導入できないという意味ではない。
自分で解決する気概があるのならばDockerは便利に使える。
CLIツール系は普通に動くのでWeb開発であれば何も意識しないで普通にできる。
ただ、PSD形式みたいなもんは扱いにくいのでWebデザイナーは悲しい思いをするかも知れない。
GIMPやInkscapeなども動くけれどデザイナーはAdobe使いたいんじゃなかろうか?
Android App向けIDEのAndroid StudioはChromeOS向けが存在するのでAndorid App開発が可能。
しかしデベロッパーモードでなければエミュレータや実機デバックに制限が発生するので注意。
UnityやUEを使いたいところだけれど、Linux版のUnityやUEは不安定なのでゲーム向けIDEが欲しいのであればGodotがオススメだ。
ライセンスはMITなので商用利用だってイケる。
3Dのほか2Dゲームもいける上に、最近のIDEよろしくマウスでポチポチとUIを作れるし、軽量動作、物理演算、日本語ドキュメントまで揃っているので中高生もガンガン使える素晴らしいIDEだ。
浅い部分を触っているうちはYoutubeを観たり、プリインストールされているGoogle Play StoreからAndoird Appをインストールして使うみたいな気軽な運用ができる。
言ってしまえばライトユーザの視点ではノートパソコンの形をしたAndorid機がChromebookだと言える。
しかし一度Linuxレイヤーへ手を出すとUbuntuという何でもできるようになったLinuxディストリビューションが存在する中で、昔懐かしい複雑怪奇なLinuxディストリビューションを体験することとなってしまう。
ただ、Chromebookで何でもやろうとするからそうなるだけで、APTからIDEをインストールしてちょっとした開発をするなんて使い方であるならば業務利用でも意外となんとかなる・・・というか何も意識しないで使える。
そもそもHTTP使えるなら今どきの開発は何とかなるので、Chromebookへ対してギークがゴチャゴチャ言うのはほぼ間違いなく不満を言いつつDIYを楽しんでる。
Ubuhtuならばアレができるコレができると言うならば最初からUbuntu使えよって話。
ギークとは不便を見つけてゴチャゴチャ言う、そういう鳴き声の動物なのだ。
少なくともGoogle系エコシステムとしてのChromeOSは非常に完成度が高くなりつつある。
Googleアシスタントは元よりAndoridスマホとの連携もよく、ハードウェアへもそこそこの投資ができるのであれば多くのChromebookではUSIペンが使えるし、USBポートはUSB-Cだ。
そこそこのChromebookは多くの場合HiDPIなIPS液晶でありグレアなのは気に食わないが美しい。
デベロッパーモードにするとセキュアさは下がるが普通に使えばローリングリリースのアップデートを無償で得られ、Gentoo LinuxベースなChromeOSは潜在的なマルウェアの絶対数がそもそもWindowsやMacよりも少ないという利点がある。
Bluetoothイヤホン・ヘッドフォン・ヘッドセットも使えるし、NestスピーカーやNest Hub、Nest Camを持っているのであればGoogleアシスタントからのコントロールが容易なのは想像が付くだろう。Android AppレイヤーはGoogleのホームマネジメントアプリであるGoogle Homeも動く。
大胆にも憎きCapsLockキーをデフォルトで殺し、Everything Buttonキーとして独自キーバインドを与えたのも面白い。
もちろんこれは選択するハードによるものの指紋認証でロックを解除することまでできる。
Googleエコシステムへ浸かっていてGoogleへ個人情報を捧げられるのであればChromebookはアリな選択肢だと断言できる。
敢えて欠点を挙げるのならば、たった一言で欠点を表現することが可能だ。
「Chromebookじゃなくても別に良くね?」
そう、ギークがLinuxを使いたいのであれば別にChromebookじゃなくても良い。
というかギークは別にLinuxじゃなくともHaikuであろうが超漢字Ⅴだろうが喜ぶ生き物だ。OSは別になんだって良い。
このエントリは単にChromebookという新しい沼へギークの皆さんをご案内しているに過ぎないのだ。
AndroidスマホGalaxy Note9、Windows PC、iPad Pro12.9、Fire HD 10を所持
記号は良い★★★★★>>>>☆☆☆☆☆悪い
★★★★★iPad・・・対応してないことはほぼなく殆どのゲームがおそらく快適にプレイできる。OS保証期間もAndroidより長く、数年経ってもスペックも最新ゲーム対応してることが多い。
★★★★☆Androidタブレット・・・対応してないことはほぼないが快適さではゲームによっては高スペックタブレットでもiPadに若干劣る可能性。
★★☆☆☆Fireタブレット・・・低スペックでもできるゲームならプレイできるかもしれないが恐らくスペックが苦しい。
★☆☆☆☆Windowsタブレット・・・対応してない可能性が高い。エミュレータで可能かもしれないが快適ではないし手間もかかる。
★★★★☆iPad・・・快適ではあるがAmazon Kindleアプリで購入ができない。少しだけ手間がかかる。SDカード対応してないので容量に余裕持たせたいと思ったら端末価格が高くなる。
★★★★★Androidタブレット・・・言うことなし。SDカードも対応のものが多い。
★★★★★Fireタブレット・・・動作は若干重いが気にならない程度。Fireタブレットならアレクサの文章読み上げ機能も使える(らしい)。SDカードも対応。コスパも加味すれば最強。
★★★★★Windowsタブレット・・・勿論快適だがこの用途だけのためには無駄に高い。
★★★☆☆iPad・・・無料アプリでも簡易な文書作成や表計算などができるので、端末のみで完結する簡易な仕事やネットサーフィンなどの作業だけなら可能だが、サブPC的に使うとファイル管理仕様がPCと違うため使い勝手が悪くストレスが溜まる。WIndowsやAndroidに慣れてる人なら許容できない可能性が高い。
★★★★☆Androidタブレット・・・仕事や作業などにおいて無料アプリの使い勝手では若干iPadに劣る可能性もあるが有料込なら十分可能だろう。ネットサーフィンにおいてはiOSをはるかに上回る使い勝手がいいアプリを揃えている。ファイル管理の仕様もPCと大差ないのでサブPC的に使うこともまあ可能。Galaxy TabならDexモードでPCライクに使えて快適らしいが、しかしPCと比べると流石に制限があり劣る。
★☆☆☆☆Fireタブレット・・・OSベースがAndroidなのでAndroid同様に使えないこともないがスペックが足りず作業は文書作成ですらやってられないだろう。ネットサーフィンだけでも完全に快適には使えない。
★★★★★Windowsタブレット・・・勿論スペック範囲内であらゆることが可能だろう。アプリが豊富にあるしネットサーフィンなども快適にできるだろう。
★★★★★iPad・・・液晶タブレットやPC用アプリと完全に同様にとまでは行かないまでも絵の仕事に実際使っているプロが少なからずいるくらいだから単体で絵を描けるタブレットとしてはアプリ含め最強と思われる。メモ用アプリも高機能のものが揃っている。ただ高評価で有名なアプリは安いが有料のものしかない。
★★★★☆Androidタブレット・・・Galaxy Tabなどスタイラスペン対応端末なら快適に使えるだろうし、最初からスタイラスペン付属のものもあるのでApple Pencil別売りのiPadより安く済む。イラストやメモ系アプリの使い心地や書き味などはiPadに若干劣りそう。Galaxyなら純正メモアプリだけなら数年前のGalaxyNoteの時点でApple Pencilに劣らない書き味かつ無料。しかしサードパーティ製アプリだと遅延が発生する。現在は改善されてるかは分からない。
☆☆☆☆☆Fireタブレット・・・全くできないということもないだろうがスペック的な面で向かない。
★★★★☆Windowsタブレット・・・surfaceなどがスタイラスペンに対応しているしベースがWindowsなのでアプリ面では最強だが、ペンの使い心地がどの程度Apple PencilやGalaxy Sペンとどれほど勝負できてるのか分からない。
iPadを買えばいい。Androidでも悪くないがiPad系の方が快適安心。
それくらいならiPadの安いものや昔の安いiPadの整備品でも安いAndroid系でも十分使えると思うし財布と相談してどれでも好きなのを買えばいい。
1万前後のFireタブレットですら十分使えるのでコスパ最強、と言おうとしたが(書いてたが)、Fireタブレットには一つ注意点があるのを思い出した。
イヤホンジャックがあるので有線イヤホン使う人は問題ないが、ワイヤレスイヤホン使う人には向かない。
イヤホンを低遅延モードにしても動画再生で遅延を感じる。Amazon Primeの動画なら調整してくれるのか問題ない気がするが、YouTubeその他だと遅延が起こる。
スマホゲームやらないならWindowsタブレットが何でもできて最適。スマホゲームやるなら高スペックAndroidタブレットなら何やるにも及第点。
Chrome bookはPC同様にネットサーフィンできる上にスペック(GPU)的に本家Androidほど自由ではないが同じAndroidアプリを入れられて融通きくしコスパ的にかなりいいらしい。
iPad+Apple Pencilを買えばいい。Android(Galaxyタブ)でもいい。
大画面が良ければ現状Pro12.9インチ一択。その他は色々解説してるApple好きが多いので好きに調べればいいし迷ったらAirが丁度いい。Proは殆ど意味ない。
無印やminiも快適に使えるだろうが個人的にはスマホ持っててmini買う理由がよく分からない。どうせタブレット買うなら10インチ以上がいいと思う。
あと仕事やゲーム、動画編集などでガッツリ使うとかでなければ容量は128GBか256GBでいい。サブPC的に使えると思って安いところで512GBを買ってしまったが、ファイル管理仕様の問題でサブPC(メインPCの一時的SSD的な用途込み)で使えなかったので無駄な512GBになってしまった。
M1 iPad Pro12.9を買ってしまった自分が買う前の過去の自分に助言送れるなら2in1 WindowsタブレットPCを勧めたい。
結局作業にしてもネットサーフィンなど暇つぶしにしても画面が大きいならPCと同じように使えるのが1番使い勝手がいい。つまりWindowsがベストで、タブレット的にも使えたら持ち運んでの使用も楽でいい。
スマホ持っててPC持ってない、PC持たず不自由なく生きてこられた人ならPC的な使い勝手いらないだろうし結局安定のiPadでいいかもしれない。
なんでもそれなりに使えるタブレットがいいならAndroidのGalaxy Tabがいいと思う。自分も最新のGalaxy Tab S8+/S8 UltraとiPad Pro12.9で迷った。
自分の場合スマホゲームとほぼ訣別できてるしやるとしてもAndroidはスマホがあるので、Windowsタブレットが結局1番よかったと分かった。
ただWindowsは快適に使おうとしたらそれなりのスペックを要し価格が上がるので比較的低スペックでも快適に使えてPC同様にネット見れてChromeに拡張機能も入れられるChrome OSは使う内にやっぱあれもこれもしたい(本格的な仕事やお絵描き、スマホゲームなど)とか言う性格じゃなくネットサーフィンや電子書籍、動画で用途が完結するならよさそう。
ちなみにiPad買う前にいろんな動画やサイトでタブレットを調べてた時、「Android&Windows信者でもタブレット買うならiPad一強になってしまってる」という話を多くの人が言ってるのを見たが、買った結論としていうほどiPad一強じゃないと思った。ただApple Pencilは確かにいい使い心地。