はてなキーワード: 居丈高とは
誰もが最高の物語をつくり、出会える世界をつくりたい(https://camp-fire.jp/projects/view/190315?utm_campaign=190315&utm_medium=stepmail&utm_source=4remind)
9月に新しいWeb小説のプラットフォームを立ち上げよう! というクラウドファンディングがあった。私もWeb小説の書き手なので、少々入れさせてもらったクチだ。結果は予定の213%成功、見事なものだ。そのリターンの中に「あなたの小説作品、本気でレビューします!」というものがあった。
五千円で五万文字、一万円で十万文字の2コースがあり、両方のコースで支援すれば十五万文字ぶん、小説本文を読んでレビュー! というものだ。
長年小説を書いていると、「信用できない相手に作品を渡して、感想を求めてはならない」という経験則がしみつく。作品を渡した途端、なぜか居丈高になるやつ、異様に文章の読解力がないやつ、的はずれな説教をしてくるやつ、などなどがいる。
だがこの場合、金を払う。有償ならば、その金が信用を担保してくれるだろう……と。
そう思った私は、まだまだ甘かったらしい。
2019年11月24日、「本気レビュー第一弾(https://note.mu/noraentrepreneur/n/n6ae15892151d)」がnoteにて公開された。
対象作品は49万文字を超える長編作品で、全て読んでもらうとしたらクラウドファンディングで五万円ほどの支援が必要だろう。私は作者ではないので、この対象者さんがどの程度つぎ込んだのか、知るよしはない。だがまあ、支援の設定から最低で五千円かかっているはずだ。
いくら払っていくら読んでもらったかはさておき、ここで出てきたレビューは「約400文字」である。
「4000文字」ではない。
一つ桁が足りない。たった400文字、原稿用紙一枚ちょっとはみ出す量だ。
その大半は作品の概要紹介で、ちゃちゃっと軽くおすすめですよ! 読んでね! とまとめているが、正直内容がスカスカである。真面目な話、私が「五千円出すから五万文字の小説読んで、レビューして」という案件を引き受けたなら、どんなに短くても2、3000文字の記事にする。
BookBaseさんがあまり人手がなさそうなのは知っている。Twitterで確認している社員は現状二人だけだ。そしてクラウドファンディングの際、レビュー系リターンを取っていた人は2~30人はいたと思う。
日々の生活と仕事、起業への準備に追われつつレビューすることは、大変多忙だろうと思う。
だが、それを踏まえても、有料で出した400文字のレビューを「本気」と言うのは嘘だろう?
リターンの多くはプラットフォームが実際に立ち上がる来年から実行されるものが多い。
そのうち、現在進んでいるのが「オンライン通話」リターンで、TwitterでRTされてくる感想では満足したような反応だが、クローズドな場であり、私はそちらのリターンを選んでいないので、難しいところだ。
社長のオタクペンギンさんのnoteには、自分たちの事業や、小説に対する思いを何千文字もかけて綴った記事がある。
「Web作家のための新しい出版プラットフォームを!」と言って、Twitterでも様々なWeb作家を集めていた人間が、「本気レビューです!」で中身がスカスカの400文字のレビューを渡されたら、相手がどう思うのか、想像がつかなかったのだろうか? そしてそれを渡す相手は、これからその事業の中で客となる人間のはずなのだ。釣った魚に餌はやらない、というやつだろうか。
もし、自分がこれから商売の相手にすることを何も理解せずこれをやっているなら、起業や実業でやっていくのはやめたほうが良い。
そうでないのなら――「詐欺では?」。最初から、新しい出版プラットフォームを立てる気などなく、クラウドファンディングで集めた数百万を持ち逃げする気でいるのでは? と不安になった。
仮に……今回のレビュー対象がよっぽど読むのが苦痛な作品だとしても、「有償で」「本気で」と言って400文字はやはりないだろう。軽く紹介された作品を読んでみた限り、「本当に作品を読んだのか?」という疑問すら感じる。
なろう、チート、ハーレム、異世界転生、そのように揶揄されても、多くの作家にとって、作品は大事な自分の子供だ。それをわざわざ金まで払ったのに、こうも投げやりで、中身のない、誠意を感じられないものを「本気でレビューしました!」と言って出されるぐらいなら、私ならいらん! とすら思ってしまう。正直、この作者さんは怒らないだろうかと心配になってくる。
そして前述のように、私も一口支援しているので、「損したな」と思った。……そういえば、どういうわけか三十万も支援を入れた太っ腹な人がいたが、あの方は大丈夫だろうか(支援の中に三十万円コースがあるが、そちらは支援0人なので、どれかのコースで三十万円ぶん何か支援されたのだろう)。
ともあれ、Web小説とかそういうことは一旦抜きにして、金を受け取ったならば、ちゃんとそれに見合った仕事はしてほしい。最低でも5千円受け取って、わずか400文字を「本気」のレビューと言い張るのは無理がある。
もしオタクペンギンさんに物凄くWeb小説界隈での起業センスが無くて、悪意なくこれをやってしまったというだけなら、今後改めてしっかりしたレビューやリターンを行って欲しい。だが彼が悪意ある人物だった場合……まあ、私は訴訟を起こして返金を迫るほどのものでもないが、三十万つぎ込んだ人は、その金額が無駄にならないよう、祈ります。
そして地元の常連客を大事にしたい と店主は常日頃から考えていた
常連客:ここの店主 実験的にそういうサービスやりたがるんだよ
店内の音楽をリクエストに沿って流したり 備え付けのテレビで動画サイトの映像も見れるようにしたこともあったらしい
店主:思いついたことは何でもやるってスタンスですね お客さんの要望にも可能な限り応えてます
その内の一つが 店内の本に栞を挟んでおけるサービスだったんだとか
読んでいる途中の本や 後で読みたい本などがあった場合に栞を提供してくれるらしい
店主:いつ頃だったか そういうことをやる人が出てきて それに感化されて他のお客さんたちも真似していった感じです
そうして自然発生的に 客たちは栞を介して感想を共有する文化をつくっていき 店主はそれに応えていった
――この星形シールは?
店主:栞に貼って使いますね 他人の感想に「いいね!」と伝えたい時に使う人が多かったです
――ああ なるほど この星に書かれたアルファベットは そのお客さんの名前からとってるんですか
常連客:誰かに認知されてるって互いを意識させれば 栞に変なことを書こうとする奴もいなくなるだろって寸法だな
みんなで一つの本を読むという 地元のブックカフェならではのサービスだ
――つまり このカフェは店主とお客がみんなで作っていったんですね
店主:それはさすがに過言です
――あ そうですか……
ディレクターのコメントは この町の住人たちに全然ハマっていない模様
――それにしても 聞いている感じだと中々に良さそうなサービスと思ったんですが やめちゃったんですか
店主:実際 これでお客さんは増えて 当時は嬉しかったですけどね……
常連客:まあ サービスの数や種類に比例して 身勝手なヤカラも増えたんだな
店主:サービスの選別は客の選別 その側面があることを当時はよく分かっていなかったもので
――あらら……
――ランキング?
店主:星型シールあるでしょ それが多くのお客さんに貼られた栞は表彰されるんです
常連客:それで変な権威付けができちまって 一部の客が居丈高になったんだよ
――ああ それでトラブルが起きたと
末期になると コーヒーや本を読むことが目的じゃなくなってる人まで出てきたんだとか
店主:本の内容そっちのけで 自分の主張を書いているのとかありましたね
――まさか 栞で?
店主:そう 栞で
――でも この紙に書ける文字数 そこまで多くないですよね
店主:なので違う栞を 別のページに挟んで それに続けて書くんですよ
――栞に書くことに固執しすぎでしょ
常連客:そんなんだから 本に栞がビッシリ挟まっている状態になって キショいのなんの
憩いの場である筈のカフェで 居心地が悪くなってしまっては本末転倒
店主:自分の栞に 自分で星形シール貼ったりする人もいましたね
常連客:一つの栞にたくさんシールが貼られてるんだが よく見てみたら それやったの全部同じ奴だったりな
痛いニュース(ノ∀`) : あいちトリエンナーレがやばすぎて炎上 表現の自由を盾に昭和天皇や安倍首相を侮辱する作品など展示 - ライブドアブログ
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1992640.html
痛いニュースをブクマして議論ごっこしてる時点で救いようのないバカばかりなんだけど
問題はこっち
kick-my-ass 日本人へのヘイトはokだと思ってるガイジ多すぎ/馬鹿のフィルター通すと昭和天皇の写真燃やしたりするのが目に入らず「慰安婦像を置いてるだけでヘイト」だと騒いでいるように見えるらしい
https://b.hatena.ne.jp/entry/4672395764121695970/comment/kick-my-ass
人を傷つけるとか思わないの?
yuuula8192さん
junglejunglejunglejungleさん
sekiryoさん
まあこの辺はもう助からないから良いとしてyuuula8192さん
このyuuula8192さんは他のブコメで女性オタクの息苦しさを訴えてたりする
yuuula8192 20代以降女オタはみんな完全同意できるんじゃないかこれ。ネットで男を演じるのなんか息をするように今でもできるわ。頑張ってゾーニングを作ろうとしても踏み荒らしていくのが男オタじゃんっていう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4666320917567300994/comment/yuuula8192
デマをまき散らかすことで有名なブログにツッコミを入れず真面目にブクマするのはいいんだ?
笑わせるね
そんなダブスタだから自分がまき散らかしてるヘイトに気が付かないし他人に害を与えてることにも気が付かない
許せない
この時点で話し終わってるでしょ。
これもそう。
「だいぶ」なのか「完璧に」なのかどっちなんだよ。
しかも弁護士の見解で、それだけでは証拠にならないといわれてたりする。
視えなくてもいるんだ
んで、それに遭遇するのはものすごい恐怖なんだ
で、いたとしてそれがなんだ?
無実無関係の男性に、居丈高に協力を強いる権利がどこにあるんだ?
これがすべてだよ。「被害」が嘘か、現実かすら本当はどーでもいい。
女性専用車両なる男性差別もあり、冤罪は痴漢とは無関係に発生しうるし、
https://togetter.com/li/1362932
まず最初に。安全ピンの件にそれはちょっと、といっただけで「お前が痴漢だ」と言い出す人ははっきりいって頭がおかしい。そういうお話には全く付き合う気になりません。 お前が思うんならそうなんだろうな、で終わり。
しかし、それとは別の問題として、痴漢被害?の報告はちょっと気になる。
私から見たくたびれはてこさんは、男女問題に関してだけいえば全く信用に値しない人物である。
男女問題以外であれば聡明な文章を書かれる人であるが、こと男女問題については非常に男性憎悪が著しく、思考に大きくバイアスがかかっている。かつ他人に偏見でレッテルを張って、それを真実だと思い込むところがある傾向がある。
私はくたびれはてこさんをあまり信用していないのだが、それでもさすがにここまで大げさな嘘は言わないような気がする。
しかしはてな民が鬼の首でも取ったように騒いでいるのには改めてドン引き。顔ぶれもいつもの感ある。近隣で身バレの恐れもあるところでホラなんか吹くかよ。そういう感覚でネットに接していることにも引くしセクハラ被害者に居丈高になるところに更にドン引き。しかも話題は痴漢対策の安全ピンだよ。— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2019年6月4日
これも信用しないとなるともうくたびれはてこさんの発言には嘘か妄想しかないことになる。男憎しのあまりに幻覚を見るようになっているということになる。さすがにそこまでひどいということはないだろう。
くま先生の反論が弱いことも気になる。これだけいって後は触れてない。(※これを引用しようとすると増田にはじかれるのでURLと本文を転記する)
https://twitter.com/nakamuramikiok1/status/1134990707049943041
ご心配ありがとうございます。
まずお名前と住所はカルテに記入してもらうという話で、
医療関係なら当たり前ですね。
このかたは病院のカルテにも記入しないんですかね?
爪先の話も、
治療用のベッドは長さが180あるので、
膝を曲げた女性の爪先に股間当てるのは態勢的に無理です。
一見納得しそうになるのだが、態勢的に無理というのは言葉でそう言われただけでは判断できない。
くたびれはてこさんもこのように反論されている。(※こちらもはじかれるものは引用とURL転記。一字一句間違いなく引用しているはずだが、問題があればご指摘ください)
逆にうつ伏せで爪先を回すのにベッドサイズがどう関係するのか。まさか足ピンで先端を回すとでも?/これガチのレイプだったらもっとセカンドレイパー集まってきたんだろうな。心底痴漢を大切にする国やな。
https://twitter.com/kutabirehateko/status/1136052212759613440
もちろん初対面で指パッチンされて「過去のトラウマ」が解消されるようなことはなく。こちらは非定型だからいかがですかと言われれば特に変化はありませんと率直に答える。これを3回ほど繰り返され、はじまる前からやべぇなと思った。ちなみに鍼はうたなかった。— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2019年6月4日
ロシアの武術系体術をやっているともいっていて身体は大きい。そういう相手がベッドに跨っており、こちやはうつ伏せの無防備な状態で足首掴まれてるときに「てめ何すんだよ!」と素早く反応できなかった。まったく偶然に当ったのだとしても女性患者の爪先が何度も股間にヒットするやり方はアカン。— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2019年6月4日
二度と会いたくないし、可愛がっていらっしゃる愉快な奥様のためにも二度とこうした間違いがないよう祈るばかりだわ。でも顧客の訴えをよくわからない言い種で無碍にするのはやめてよね。地域レビューにでも書けばよかったか。— くたびれはてこ (@kutabirehateko) 2019年6月5日
もしそういうことがありうるのであれば気を付けないといけないしあり得ないというのであればはっきりと言ったほうがいい。
また、もしこれを意図的にやっているのであれば、他にも類似の事例の報告があるはずだ。
そのあたりをうやむやに済ませていいのかな。
今のままだとくたびれはてこさんが「妄想の激しいおかしい人」のまま終わってしまう。
もしこれが事実ではないならくたびれはてこさんは虚言癖や統合失調症の疑いがあるので
プリントアウトして病院に行くべきだし、何らかの結果が出るまでツイッターはやめたほうがいい。
だが、私は説明が不足しすぎていてくま先生側の言い分が妥当であると現時点では判断できない。
どちらにしてもうやむやにしていいような話ではないのではないように思う。
聞き取りだなんだと言ってるが、それらは嘘と誤認の塊。きちんと通報する良識と心ある被害者は3200件であり、それ以外は論ずるに値しない。
もし本当に被害に遭ってるなら、通報してないと言うことは犯人を逃し再犯を誘発した共犯者。
基本的に争うことはない。
ただし「新型痴漢」なる戯言を言う奴は認めない。認めると男性は車内で息も出来なくなる。
痴漢と特定できなければ「すみません当たってるんですけど」と言えばいいだけの話。
恐怖で声が出ない?知らんね。自分の責任だ。男が同じことを言っても誰も助けない。男女平等。女もそれくらい出来ないとな。
基本的に争うことはない。
しかし、女性専用車両をくれてやってるのに乗らないのは全く理解に苦しむ。
あと、痴漢に声もあげず取り逃がした被害者は同時に共犯者でもある。同じ犯人の次の犯行の共犯者。
まず、頻度は問題ではない。
「3痴漢をされていない女性が、示談金目当てで嘘をついた」が少ないと言ってる理由も笑わせる。たった半日で数十万、こんなぼろ儲けそうそうないわ。
さらに証拠なしでセクハラだの痴漢が認められるこのご時世、女性側のリスクはほぼゼロ。万一「そいつは犯人ではない」と言うことになっても、「間違えました、でも痴漢はありました」でいくらでも逃げられる。都合のいい事言っても誤魔化されない。
誤認については、作者の言ってることが本当であるなら争うことはない
先にも書いたが、数は問題ではない。
数を問題にするなら、交通事故よりもはるかに少ない痴漢の対策に全車両の1/10のリソースを振りまくなんて無駄だとも言える。
痴漢冤罪が万に一つあっても、そいつの人生はほぼ終わり。そのダメージを理解してないが故の寝言だよ、この節は。
「憎むなら痴漢」も的外れ。憎むべきは証拠集めを怠り誤認をした女性とそれを鵜呑みにする司法。
さらにいうなら、痴漢がそこにいなくてもでっち上げは成立するし、もし仮に痴漢が一切合切なくなっても「痴漢にあった」と女性が証言すれば「痴漢はあった」ことになる。「痴漢がいなければ冤罪はない」は論理的に破綻してる。
「痴漢にあった」という事実の確認以外の証言は全て無視し、証拠のない場合は拘留も起訴もしない。
「許さない」と言われた程度で痴漢辞める奴は、今でも駅に入った瞬間痴漢やめてるよ。どこの駅にでも書いてあるからな。
見事なまでに女の責任転嫁と利益誘導しかない長文だった。一切、考慮に値しない。
そもそも「女がなんの証拠もなしに男を貶める」「司法の判断すらも無視する」ということがこれほど明らかな時代に、女性に協力したところで冤罪リスクは毛ほども減らない。
女性専用車両をくれてやってるのに全然乗車もせず、痴漢にあっても通報もしないということは別に痴漢をそこまで恐れてないんだろうと判断するしかない。
その上で人生を失うことを恐れる男性を叩きまくる姿を見ると、「痴漢というのは男叩きのツールでしかないんだな」と気づかされる。違うというなら言ってみたまえ。
そして痴漢逮捕に協力するメリットは男性には皆無。怪我のリスクや冤罪に加担しひとりの男を社会的に葬る片棒を担がされるリスクがあるだけ。
痴漢をしない、無実無関係の男には理由もメリットもない。義務もない。頭下げて頼まれる訳ですらもない。ただ居丈高に「冤罪で人生壊されたくなければ協力しろ」と命令されるだけ。やなこった。
顔洗って出直してこい。
二階に公立図書館が入ってる建物の一階のロビーで備え付けの新聞読んでたんだけど、脇にある行政施設の窓口(詳細は知らない)に婆さんが声をかけたのね。どうやら持っている図書カードの期限が切れてその更新がしたいんだけど、尋ねるたびに図書館が閉館していてそれが叶わず、一体図書館はいつやっているのか、ということを知りたいらしい。
窓口で対応したお姉さんは当たり前のようにここは図書館じゃないので、図書館で訊いてみてください。と対応したんだけど、なんと婆さんがここですごい剣幕でキレ始めた。曰く『同じ建物に入ってるんだから知っていて当然だろ』『それくらい答えるのが常識だろうが』と。言ってることが無茶苦茶なのだが、何をそんなに憤るのかというくらいキレる。お姉さんも気圧されながらも「いやそんな事言われても違う組織なので」と答えざるを得ないのだが、婆さんはキレ続ける。
多分、婆さんの頭の中では窓口が違えど同じ行政で、お役所なんだから別の組織であっても知っていて当然という理屈が成り立ってるんだと思う。窓口のお姉さんが図書館の開館の曜日がいつなのか知ってるのか分からないけど、仮に知っていたとしてもその窓口は行政として何かしらの機能を担うために存在する以上、無関係の組織に関して答える義理はないし、そもそも今日は図書館は営業してるんだから直接尋ねればいいだろうという話なわけで。
あまりに理不尽だったし、なにより婆さんは相手が行政関係の人間で、しかも若い女性(あくまで婆さんから見ればだけど)だから、自分より立場が低いであろうことをいいことに居丈高な態度に出てることが傍からありありと見てとれて、極めて不快だった。
結局、窓口のお姉さんが図書館に電話で伝えたのか図書館の人間が降りてきて、婆さんに平身低頭謝る。そんな謝る必要ないのにと思ったのだけれど、最後にはロビーの玄関口にお見送りまでしていた。それでも婆さんは窓口のお姉さんに対して腹の虫が収まらなかったのか、殆ど難癖のように『あなたの勉強不足なのよ』と再び窓口の向こうに食って掛かり、最後は『口答えをするな』と捨て台詞を吐いて帰っていった。
その間3分くらいの出来事で、窓口のお姉さんにしても図書館の人間にしても、ついでの観察していた俺にとっても本当に通り魔みたいな出来事だったんだけど、ずいぶんと嫌なものを目撃してしまった。ああまでに自分に全面的な正当性があると信じて疑わずに、相手の立場の弱さを利用して責め立てるという行為の醜悪、愚劣をまざまざと見せつけられたことはない。
アメリカほど常に「理解出来ないもの」と暮らしてる国もなかなかないと思うよ
だからあんなに主義主張が強く、日本からすると過激な思想を主張せざるを得ない
報道などで目立つ居丈高なリベラルにむかつく気持ちはわかるけど、実はアメリカは「下」の方のレベルこそ底抜けで(しかも別に悪い人間ばかりでもない)、それを批判する口調が自然と強くなるのも、致し方なく思える
そもそも成り立ちが移民の国で、伝統的にはそれぞれの自警意識が強く、近年では互いを尊重すべき、という思想が常にぶつかってる
貧富の差も何千倍とかがザラで、しかも世界でもトップクラスの差別主義者とリベラリストが一つの国で暮らしてるわけで
イラク戦争など、他国への侵攻や干渉を非難する人がいる一方で、いまだに大量破壊兵器があったと報じるニュース番組がある
アメリカは白人のものだと真面目に思ってる人、世界は神が作ったと信じてる人が、大統領選挙を左右するほどの規模でいる
アジア人やLGBTなどのマイノリティ文化を「尊重し」仲良く暮らす地域がある一方で、警察官が無抵抗の黒人を撃ち殺しても罪に問われない地域もある
そういう様々な人たち全員を相手にして穏当にスピーチをするなら「出来るだけ話し合って仲良くしようよ」って言うのが精一杯でもあり、下らなくてもそれをいい続けるのは大事なんじゃないか
女性側の無自覚な受身投げっぱなしな姿勢も原因のひとつな気がする
役割への旧世代的な根強い意識は同性による偏見意識の問題として挙がるけど、問題意識があってアンテナはってるような今の若い子でも権利は勝ち取りに行くのじゃなく享受できるようになるまでただ待つものって無意識に言動に出てるの結構見るから
頭のどこか深いとこに世の中男性社会で男性に決定権があるから女性は前に出ないってそういう事を自ら認めてるとこがあるようなそんな感じ
どうせ女性じゃ何も出来ないんだから男性が全てやるべきでやってくれないなら現状維持しかないと思ってて愚痴や不満こぼして溜飲下げてるっていうか
要望だけ伝えて待って無理なら受け入れるしかない、不公平だって考え方
自分で男性優位に思考を傾けてるのに洗脳状態に近いのかすりこみなのかその自覚がない
自分の問題なんだから言動にはどんなものでもそこに責任はのるものなのに男性側がそれも負うのが当然て感覚
昔は男性側が責任負う代わりに女性は権利も男性側に預けて(奪われて)たけど
その状況から脱する事、変化を望んでるはずなのに自分の言動への責任感が薄い
大人なら女性側も選択して状況を判断して行動を起こすか起こさないかの決定権は皆持ってるしそこに責任も伴う
配偶者やパートナーへの意識格差への不満はよく聞くけど、それなら解消のために行動すべきなのに多くが要望を提出してそれが通らない事に怒り嘆いてるだけのように見える
それか夫婦は平等な立場なのに、となぜ相手が変わる事に自分が苦心しなければいけないのかと憤ってるか
望んでも変わらない自ら行動を起こしてくれない相手を自分が選んだ事、その関係を維持してる、または関係が破綻した場合とを天秤にかけて維持する事を選択しているその責任の存在を理解してない
子供や金銭面や人間関係や環境が行動を制限させる、出来ない、というのも聞くけどそれはされる、出来ないんじゃなく自分自身でメリットデメリットを考えて制限し、やらない事を選んでるに過ぎないから(暴力なんかの問題は当然別)
そういう意識が薄い
もし生活する上で権利と義務に対する価値観の違う人間と共にいる事を受け入れ一定の環境の維持を望むのだとするなら、平等な権利を主張できる状況で相手に変化を求める上で、不平等を訴え相手を変えさせ自分が理想とする環境を手に入れるためそれを口に出す事、そこへ向けて行動する事が必要になるのは当然で
昔から男性側は当たり前にやっていて、それは自分が言ってやらなきゃ分からない言えば思い通りになるだろう、というような蔑視的なとこからだから権利を平等にする自立した他者への視点とはまた違うんだけど
その高慢さのような"別の人間を変える事"に必要な一種の当然の労力の存在への理解が足りないように思う
環境が変わるのを自分を哀れんでただ待って、夫が言っても変わってくれない酷い夫だ男は酷いなんてただ言うだけなら、夫ったら酷いのよ、と鬱憤を隣の奥さんと愚痴って家ではそれはそういうものだから仕方ないの、って言ってなあなあに問題のある男性達を増長させて来た旧世代とかわらないし問題意識がある分余計に根が深いように見える
なぜ相手を正すのにこっちがいちいち、という憤りはまるで、言わなくても自分で理解して気を回して変わるものだ常識を考えろお前は何も知らんのか、なんてそれこそ上の高圧的な男性達よりもっと酷い旧世代の悪しき男性像のマインドそのものだし、そんな傲慢さはもう今はどんな人間関係にも必要ないし、平等さじゃなくそういう男性の立場を自分が求めてる人なのかなと思ってしまう
それともそういう傲慢な人間同士で平等に殴り合い罵り合いがしたいのか
家事育児参加(家事と同グループに育児を入れる事も参加って使い方も好きじゃないけど)の第一歩に簡単なものから教えて手伝って、やった仕事には感謝して、というようなのも、中には表現によって違うんじゃないそれはと思うものもあるけど自分がそういう相手を選んだという責任の下で大筋は極々普通の事で
自分が望まずかもしれないけど少なくとも一旦は受け入れた労働の不均等の是正のために負担を共通のものとし、と始める折にノウハウがある方がそれを伝える事、出来なければ手を貸して、労わり合い、負担を共有するなら相手が成した事は自分の負担の軽減でもあるのだから共に感謝を、なんて人として本当に当然の事に対して、なぜ謙らなければいけないのか、と憤り、立場が平等だからこそ必要な、男性側だけでなく多くに求められる相手への敬意を、甘やかす事だ、単なる隷属だというように捉えて何で自分がと嫌悪する姿はまるで近年顰蹙を買う居丈高な夫よりまだ旧時代的で
それが女性の平等な権利の主張、理想の立場だと思っているのだとしたら頭が痛くなる
そういう男性が今非難されるのは、人として当然の敬意を欠いた言動が時代による権利の優越性で許されていたのがそうじゃなくなって来たからで、男性だから、ではないのに女性から男性へ矢印が向けばそれは許されると思うのはどういう感覚なんだろうと思う
ものを望むなら行動を起こさなければいけないし、相手に変わる事を望むなら相応の行動が必要で、ただそこには人としての敬意でもって臨むべきで
権利のバランスを平等にとるために必要なのは男性がそうあったような人としての当然の敬意を女性にも勝ち取る事であって、女性の立場や女性自らのその意識が何も変わらないままで男性の権利を奪う事ではなく、また公平な権利であるとした時に問題になるような立場に女性だからと許される状況を作る事でもないし、そんな考えで権利の平等化に現実的に必要不可欠な男性側の意識改革なんてなせるわけないのに
それじゃただの悪政を敷く王の首の挿げ替えでしかないんだからそこに大義も平等を訴える正当性もない
女性が声をあげ行動に移すっていうのは男性に判断を仰ぐって意味でも、女性を虐げて来た男性そのままになり代わる事でも、行動しない責任を男性に押し付ける事でもない
色んなものを強いられて、奪われて、虐げられて来たんだからこそそうして来た男性が行動すべきだって声も聞くけど、男性が悪いのにどうして被害を受けて来た側が、男性が何もやってくれない、お前らが変われよと何もしないまま言ったところでそれまでそうやって生きてきた大人が変わるわけないし、その結果女性が何も得られず、それでそんな問題の象徴のような男性は何か困るのかって話で
本当に丸投げで変わるならどこの国のどの時代のどの女性もストもデモも権利を得るための暴言吐かれながらの運動も何も必要なかったはずで
女性が行動しなければ、行動してもまだ変わらない男性の傲慢さ理不尽さの話とそこから権利を得るために、守るために必要なものとその責任は別の話だから混同すべきではなく
そういう男性がそうなった事、旧世代の女性にしても個人個人にその責任は求めるべきではないし、暴言を吐いたり自分の事ひとつまともに出来ないのはその男性当人の責任で、そんな環境に望んでもいないのになってしまった、それ自体にも女性の責任はない
ただそれを維持し続けるという何かしらの選択を日々している今の自分への責任はある
どうせ何も変わらない、何で自分がと行動しないのも何を思うのも自由だけど最低限それは一人の人間の責任において状況を判断し、そうする事を選んだんだって意識は持つべきで
そうじゃなきゃそれは自分で自分が庇護される幼い子供のように一人の人間としてその行動に責任が生じない程度の存在だと認めてるようなもので
そういう責任の区別への意識と自身への責任意識の有無が女性の生きる上での権利や負担に影響してもいるように思うし
それは女性の自尊心が関わる話で、時代や過去の扱いも関係してるものだから、責任意識の薄さそれ自体への責任も無いんだけれど
無いんだけども日本における意識格差問題の一旦にはやっぱり思える
難しい
まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋の星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。
現在の星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf
また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮の解説において、
然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレハ三月ヲ以テ大陽ハ白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽ノ位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ
というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名称が用いられているが、この名称は『星学図説』や『星学捷径』、『百科全書天文学』など、今回紹介した天文書においても同様に用いられている。
1910年発行の『天文月報』第2巻第11号所収の「星座名」において、91星座(88星座ではなく)の日本語訳名が与えられているが、そこでは「雙子」と記されており、当時の『天文月報』編集主任であった一戸直蔵は自らの著『星』において、
獣帯の十二星座とは次ぎの通りである。括弧内の名称は従来多くの書籍に散見したものであるが、近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定した
と述べて「雙子(雙女)」と記していることから、日本においてGeminiは1910年に女性から男性になった、と結論していいだろう。
ここで「黄道十二宮と黄道十二星座が同一視されている」とあるが、「白羊宮」「金牛宮」といった黄道十二宮の名称は、西洋占星術がインドを経て中国に伝えられたときに漢訳されたもので、日本には平安時代に入ってきて宿曜道として広まっている(異同はあったようだが)。
西洋の天文学体系が入ってきたのは明治であるが、占星術においてはそれ以前から名称が存在していたということである。
実際、中国では十二星座も「白羊座」「金牛座」で定着しているので、日本でもそうなっておかしくはなかったと思われる。
ちなみに、中国では「双女座」というと「乙女座」の異称らしいのだが、上記によると日本では「双子座」の異称と認識されていたようである。このあたりは謎。
さて、「一戸直蔵の『星』」は以下で読める。
確かに「近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定したから、其方を主として、従来のは併せて記すこととした。」とあり、その後に「牡羊(白羊)」「牡牛(金牛)」と記されている。
これまでは白羊・金牛と書かれることが多かったものを牡羊・牡牛に統一した、というわけである。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1909/pdf/191002.pdf
天文学術語を和訳せしもの区々にして一定せず。これ天文学普及上著しき故障なるを以て、本学を専修する人々相謀り、数年前より最も適当なるものを得んと考究中なり。
「数年前より」とあるように、確かにそれ以前から天文月報上では「牡羊座」「牡牛座」で表記が統一されている。
実は1908年10月の天文月報第1巻第7号にもこのような質問がある。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190810.pdf
数年前迄は小生等星座を呼ぶに、何某の星宿とも呼び申候。又黄道上の星座は何々宮と申来り候処、茲に記載されたるものは皆何々座と申候は天文学会にて新に術語として択ばれたるものと被存候。
「数年前までは星座を呼ぶのに『何某の星宿』とか黄道上の星座は『何々宮』とか呼んでいたが、天文月報ではすべて「何々座」と記載されている。これは天文学会にて新たに術語として選ばれたものだと思うが、何と読めばいいのか」という質問で、さらに、
「黄道上の星座について『白羊』『金牛』『双女』『巨蟹』などの名前が捨てられたのは改めてラテン語から翻訳したためだろう」とも書かれている。
それに対する回答では、黄道十二星座については触れられていないが、あえて否定されているわけでもない。
残念ながら、これ以上に命名の詳細な経緯は分からないが、ひとつには「黄道十二宮」と「黄道十二星座」の違いがあるかもしれない。
最初に引用した文書にも書かれていたが、当初はこの二つは概ね一致していたものの、年を経るにつれてズレていったので、現在ではたとえば「白羊宮」は「牡羊座」と一致しない。
実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道を12等分したものである。初期には実際の星座とサインは、大雑把に一致していたが、歳差によってずれていった。
天文学者たちがこれを考慮し、占星術との使い分けを企図して名前を変えたのであれば説明はつく。
以上より、「牡羊」「牡牛」という命名そのものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろうが、それは明治期の天文学者たちが名前を付け直したからであって、決して必然的なものではなかった。
何かが違えば「牛座」や「金牛座」が使われていたかもしれず、「原語や神話から考えれば牡羊・牡牛に決まっている」などと居丈高に言うのは後知恵もいいところだと思う。
余談。
星座名はこの天文月報のもので決定というわけではなく、その後も議論が交わされ、最終的に1944年に学術研究会議が発表したものが決定版とされているようだ。
以下のPDFからはそうした議論の雰囲気がうかがえるかもしれない。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167055/1/tnk000171_322.pdf