はてなキーワード: 入道雲とは
僕は多分、自分の周りの世界を正しく認識できていなかった。そして、それは雰囲気で仕事を行うことに繋がっていた。
これは、決して目の前にある物を正しく視認できない、という事でもないし、また他人の気持ちを正確に読み取れない、というものでもない。
勿論、僕は他人の気持ちを正確に汲み取れてなどいないのだが、とにかくそういう事ではない。
この問題を感じたのは、ずっとずっと前のように思えるが、実際には7年前に社会人になった頃だった。社名や業種は公開しないが、サービス業の営業部門、企画的な仕事を行う部署に配属された。
そこでは、施作自体は他社の後追いに過ぎないものが過半であったが、淀みなく施作が企画・提案・実行というレールに放たれていた。僕はそういう環境に身を置きながら、少しだけ自身とのズレを感じ始めていた。
先輩や上司は一体どのような思考で、施作を考えつき、実行しているのか、全く分からなかったのだ。
僕は少し悩み、飲み会(!コロナ前は普通だったのだ)で相談してみた。すると、まあ当然なのだが、慣れや経験不足を指摘された。
しかし、違和感は、僕の中で、夏の空に浮かぶ入道雲のように膨らみ続けた。成層圏にたどり着いたある日、突然、僕の心を揺さぶる稲妻の如き結論を叩きつけた。
僕は何も考えてなどいなかったのだ。
いや、正確に言うと、僕は所属する組織のビジネスを巡るマクロ環境、顧客の動向への知識が浅すぎて、考える事などできなかったのだ。
「何をバカな事を。」、「お前が仕事できないだけだろう。」など読者諸賢に於いてはそうした罵詈雑言を僕に投げかけることだろうが、甘んじて受け入れよう。
僕は、つまるところ、少しはデキる奴だと信じて生きてきたのだが、そんな事はなかったのである。
これは、僕が、自分がデキる奴だと思い込んでいた痛い奴というだけの簡単な問題ではない。
なぜか。
その答えは単純である。
僕は、違和感を持ち続けてこの自身の問題に気付いた。しかし、それは矯正されずに過ごせてしまったということの裏返しでもあるのだ。
もちろん、出世はしにくいのかもしれない。だが、クビにはならないだろう。驚くべきことに、僕の評価は過去上位を保ち続けたのである。
会社という、何らかの利益を出さねばならない環境においても、雰囲気で仕事をすることが許される。これは考えようによっては恐ろしいほどに顧客への冒涜だろう。顧客は我々に、プロとしてのサービスを期待しているのだから。
にもかかわらず、僕はあるがまま生きてきてしまった。
もしかすると、大半の人はこの問題、つまり世界をきちんと認識して、それを仕事に活かす、ということをしているのだろうか。
それとも、一部の人だけが考えており、大半は雰囲気で仕事をしているのだろうか。
いずれにしても、僕は冷や汗で気持ち悪くなる。
気付かずに過ごしていたら、僕はどうなっていただろうか。気付いたとして、僕は一体どうしたらいいんだろうか。
春は最悪。
モウモウ立ち込めるクソ花粉、しょぼいピンク色のだっせえきったねえ花、少し散ったのが踏まれると、アスファルトの黒さを透かすようになっていかにも汚らしい。
夏はクソ。
6月あたりからクソの片鱗はあるが、8月ごろがさらにひどい。なんてったって暑すぎる。
コンビニなんかから外に出た瞬間に、バカ熱い空気と一緒に超うるさい蝉の鳴き声がしてうんざり。無駄に涼しげな入道雲がかえって癪に触る。
一年の終わりが近づいてきたからなんなんだ、と思っているはずなのに気ばかり無駄に焦る。
金木犀とかいう普段どこに生えてるかわからん地味〜な陰キャ花が突然イキリだして、嗅覚を刺激してくるのも勘弁して欲しい。
冬はダボハゼ。
雪が降りはじめた瞬間は悪くないが、2日後には靴がビチョビチョになってムチャクチャ寒くなる。
空を見上げると雲がある。夜は星が見える。
今見ているこの雲は何という名前なんだろうと思って断片的な知識を思い返すと、〇〇雲と名のつくものがいくつか思い出される。
これは一つ一つが小さいから入道雲ではないな。イワシ雲とか羊雲ってあったよな。イワシみたいな雲って何なんだろう。大体の雲は羊に見えてくるな。
スマフォで調べてもイマイチどれに当てはまるのかわからなくて断念する。
白鳥座とか蠍座は有名な星もあって形もそれっぽいから判別がつく。
ベガがあるから琴座なんだろうなとは思うものの、琴には見えない。
蛇遣い座に関しては、そもそも蛇遣いに関する理解が無い。人間系のは体勢がよく分からないし空だと上下も分かり辛くて頭に入ってこない。
こういうのがスッと頭に入って、空を見ただけで見分けが付く人ってすごいなあと思う。
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
「俺は〜」つって長々語ってるけど、この文章はなんなんだ、主人公が頭の中で考えたことが文字として出力されてるのか、でも普通こんな細々と説明的に考えながら生きないよな…と思って一体なにを読んでるのかわからなくなってくる。
手記のかたちを取ってるならわかるんだけど、そんな感じでもなくイキナリ一人称で開始される小説は本当に謎。いや、面白いし別にいいんだけど、しかしなんなんだ?とはどうしても思ってしまう。
三人称でもわりとよくわからない感じはあり、これは誰がなんの目線で書いてるんだ?とおもう。そりゃあ作者が作者の目線で書いてるんだが、こうなんというか……ね
それを言うなら漫画だって映画だって全部謎なんだけど、小説、とくに一人称小説は定期的に気になってしまう。
つか自己紹介は作中でツッコミが入ったりすることもあるから逆に許せるかもしれん。それよかやっぱ外に出るなり天気とか情景の描写を細々しはじめるようなのが許せん。天気いい日に外出て「綿菓子のような入道雲が〜」なんて思うかよ。思考って「おっ、入道雲。でけー。夏っぽい。つか暑!」くらいじゃないのか。俺がおかしいのか。みんな外出るたびに「ドアを開くとむせ返るような夏の香りが押し寄せてきて、僕は思わず顔をしかめた。」みたいなことを考えてるのか。そんなわけないだろ。「暑!最悪!」だろ。
朝の海には一度も訪れたことがない。だけどボクの脳裏には、焼き付いて離れないほどの郷愁が映る。
太陽はまだ水平線の向こうで眠っている。空は色づいていて、夜の帳を押し広げてゆく。
静寂の海岸は波音以外の音が消えている。波音を時折かき消すかのように背後の国道を車が通り過ぎ、やがて再び潮騒に紛れていった。ああ、鳥の鳴き声も目を瞑ると聞こえるし、今しがた羽音を鳴らし始めた蝉の声もかすかに響く。
水平線は霞がかっていて息は白い。空は橙から紫へと移り変わってゆく。
夏の初めを思わせる雲は、入道雲には程遠い。それは扁平で、紫立ちたる雲の細くたなびきたる――そんな一文を片隅に思い浮かべるほどには劇的じゃない。
海岸は冷たい空気にかき消されたかのように人を拒んでいる。だからきっと人は少ない。遠く小さく見える恋人たちは、この場所に招かれたみたいだ。現地のおじいさんは犬に導かれて駆け足になる。もし鴨川がとても大きいのなら、こんな風になるだろうか?
ボクは堤防の先にたどり着いた。太陽が目の前に迫ってくる。うん、いよいよ日の出が見える。そう思ったのだけれども、雲の流れがこちらに挨拶する陽の光を細く遮り、やがて太陽は見えなくなってしまった。ボクは仕方なく堤防の下を覗き込むと、退屈まぎれに小石を蹴って魚群を驚かせてみた。
魚が人懐こい顔を覗かせる頃、ボクの顔は真っ白になる。目を細めて、手のひらをかざして。
太陽と空の境目にある虹色は青い銀河のように左右両手いっぱいに広がっている。そんな風に思えた。
朝の海に行って何をすると思う?
最高ですかー。
壱弐参ダーッ!
なんにょ?
胸騒ぎで、夏が来るのが怖い。
じりじりと太陽の照りつける、白昼夢のようにまばゆい、青と白と緑のコントラスト。溢れ出るジューシな蝉の鳴き声。
それは記憶の奥底に眠る、美しい影のような夏の記憶。それは、遠ざかる波音の残響。
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少女には、頬の下あたりに黒子があって、仔馬のように綺麗な二つのまなこが私を見つめる。いつも涼しそうなワンピースを着て、はにかんでいる。
昼下がり、ふたりは麦茶が汗をかいているのを眺めたりしながら、うなだれている。
コンビニエンストアに行こうと話して、歩いて冷やしうどんと白くまアイスを買いに行く。
巨大な入道雲を眺めながら、ふたりは黙って、白くまアイスをかじった。
それから、夏の夕暮れがふたりを包み、遠い果ての方で、かすかに残った雲がつめたく、あかあかと燃える。
緋色に焼ける空と、哀愁を奏でるひぐらしの声は、まるで、世界の終焉をも示しているように感じられた。
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夜、世界は眠るように、静かな虫の音と蚊帳のとばりに包まれる。
昭和生まれの扇風機が送る、ゆるやかな風がふたりの頬を撫でて、通っていく。
その風は向きを変え、次は黄色と緑をあしらった風鈴をかすかに叩く。チリン、チリン、チリン。かりん、かりん、かりん。風は、薄いガラスの砕けてしまいそうな危うい音を叩く。
それはどうして涼しく、気持ちいいのだろう。氷の冷たさなのだろうか、それともスイカを冷やす水の、きらきらとしたせせらぎなのだろうか。ふたりはこんな話をした。
冬のように長い夜、線香の残り香は妖しい夢を誘い込み、ふたりはひと時、“間違えて”、清らな青い水底を泳ぐ二匹の若い鮎になって、絡み合う。
音もなく、照明から垂れた紐が揺れている。
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天井を通して、ふたりはつめたく、透き通るような星屑の空を眺めた。
さようなら、と呟いた。
入道雲が大きくなり立体感が強くなる様は、空の奥行きを強くし世界を広げているように見える
昼に食べるそうめんは、あまり食欲がなかったとしてもするすると胃の中に落ちていき食べやすい
それもかなりの音量で、常に夏を盛り上げてくれている
暑い時に食べるアイスは、火照った体を冷やしつつ甘みを口の中に伝えてくれる、夏の回復アイテムだ
ただし、回復アイテムを服用しすぎると回復するどころか自分にダメージを残す場合がある
ヒグラシの鳴く声も良い
あの声を聞くと、それを合図にどこか別世界にいくような、そんな感傷的な気分になる
また鳴くのも夕方頃のため、周りは夕日が差し込みオレンジ色の世界で綺麗だが、どこか儚げな世界に迷い込ませてくれるようにも思う
日が落ち涼しくなると、火照った体が徐々に冷え気怠さや眠気が出てきて、どこか心地よくも感じる
夜風は、昼間の風と違い清涼感を持ったものとなっていて気持ちがよい
そして明日も同じように夏が来ると思うと楽しくなる
だから、夏が好きだ
未だに中学生の記憶を思い出しては夏の入道雲のようにモクモクと怒っている.
特に中2,中3の担任の先生は自分の部活の顧問でもあり,強く当たられた記憶がある.
典型的な管理教育と体育会系のノリの教員で,僕は当時から反発していた.しかし中学生である.
その言いくるめられたときの悔しさを未だに思い出している.
授業の予定と宿題,連絡事項とともに5~10行程度の日記(生活記録)を書くのである.それを担任に提出し,担任は生活記録に対してコメントを書くことが多い.
現在では生活ノートはTwitterで凝ったイラストや文章と教員の反応がセットになった画像がバズることもあるし,
担任とのやりとりが小説家を志すきっかけになった人もいるらしいので全国の学校で広く行われているのだろう.
ただ,私はもともと,小学生の頃から生活ノートが苦手だったこともあり,中学生のときもずっとやらないでいた.
中学生の頃の私はいろいろと反発するタイプだったので,よく教員からの呼び出しを受け,その際,生活ノートの提出がないこともついでにとがめられたものだ.
担任は
「みんなきちんと提出していて,君だけが提出しなくていい理由なんてない」
といったことを何度も主張した.
今思いつく反論は
「教育の名の下に異常なあるいは,非科学的な,不合理な,非人道的な,反社会的なことが行われていたとき,声をあげる人でありたい」
「生徒に悩みを書いてもらうことがあるといいながら,学級通信に引用したり,生徒に返却を手伝わせたり,プライバシーは確保されていないじゃないか.」
「どんなことでも書いてといいながら,学級通信にそのまま書き写したり,担任が私の記録に対してコメントするなんて,生徒側が秘密にしてほしいと考えているのに担任の勝手な判断で書き写されるリスクだってある.」
「『はー。』だけが書かれた生徒の生活記録さえ学級通信に書き写されている.」
「書き写すだけで学級通信書いたつもりになっているのは時間の無駄.教員の労働時間は税金である.無駄使いするな.」
「読者が想定できない.」
あっついだけじゃねえか 蚊もいるしよ
夏の良さとしてあげられるもん言ってやろうか
いいですか こんなもん夏じゃなくてもできんだよ
つうかなあ 海なんてなんで行くかっつったら暑いからでしょうが そもそも暑くなかったら行かなくていいの
彼氏さんの好きなところはどこですか?「優しく治療してくれるところです」治療って何をですか?「彼に殴られてできた傷を、です」 そういう話なんだよ 暑いから冷たいビールがうまいしエアコンが気持ちいいし海が楽しいの 暑くてやってらんねえから休みにせざるを得ないの
お前たちが夏の良さだと思ってるのは夏による暴力への治療行為なんだ 騙されてんだよ
だいたいなあ なんで夏のクソあっちいし虫に刺されまくる最悪な夜に祭りをやるのですか 秋とか春の方がいいでしょ絶対
イベント類を抜いたら夏に見所なんてないんだ
春:気候がいい 花が綺麗 爽やかな空
糞:暑い 虫が多い 蒸す 台風が来る ものがすぐ腐る 寝苦しい 入道雲は良い 雨の匂いが強い
冬:雪が降って楽しい 服をたくさん着られる 空が青い
ダメだよ夏なんて 「「夏にしかできないこと」なんてないんだ 「夏にやることになってる行為」ばかりだ
アファーマティブ・アクションってやつか?秋にレジャー詰め込み過ぎたらあまりに夏がゴミで嫌になっちゃうから、せめて青春要素を詰め込んで楽しくしようってことなのか いいよお 詰め込んだってゴミはゴミなんだっつの 夏なんかに付き合わされて祭りがかわいそうだろうが 解放してあげよう
ヨーロッパなんかで夏を喜ぶのはわかるんだ 向こうは蒸さないし蚊も少ない 網戸がない家だって多いらしい
日本は違うよお 最低の季節だ 湿度90パーセントじゃねんだよ ほとんど水中じゃねえか
文化のコーティングによってカスみたいな季節を少しでもマシにする その気持ちはわかるよ
でも「夏が待ち遠しい」なんて欺瞞に満ちた論説は許しがたい 糖衣に包まれた薬を飲まされて「お薬大好き!」って言ってるようなもので、哀れとしか言いようがない
たまに、ふとした時に、空を眺めることがある
外に出かけている時や洗濯物を干している時などだ
その時に思うのだが、空というものは、かなり簡単に自然の雄大さを感じることができるものだと思う
上を見るだけでいいし、何より大抵の場所ならいつでも見ることができる
いつも見ることができることから気にかけないことも多いのだが、じっくり見てみるとその姿に魅入られることが、自分にはよくある
ふと目線を上に上げただけで、これだけのものを見ることができるのはすごい
空には雲があるが、これも良いものだ
じっくり見ていると、雲が流れて動いていることが分かる
流れるスピードは日によって違い、本当にゆっくり動いていることもあれば、自分が思っているより速く動いていることもある
空を見たら、大抵のことはちっぽけなことに思えてくる
どんなに距離が離れていても、地球上であれば同じように空がつながっていて見ることができると思うと、ロマンを感じる
季節によっても、雲の種類や空の高さが変わってくる
ちなみに自分は、夏の空が一番好きだ
田舎育ちで自然が多いところで育った関係か、懐かしい気分になる
確かに、ビルなどで空が見える範囲が狭まっているが路地裏などから見上げると、その狭い範囲から顔をのぞかせている空は、急に世界観や雰囲気が変わる感じがして良い
空を見ると同時に、あの建物のあの階にいる人達は何をしているのかな、と思いをはせるのもまた一興だ
数々の姿があり時折姿を変える空や雲
空は広い
ちなみに今日の天気は曇りです。
遡ること1ヶ月と数日。どこからともなく桜の風が吹いた福井県の某所に、春の陽気と呼ぶにはあまりにも熱すぎる「気」を放つ集団があった。頭上に一足早い入道雲を引き連れた我々は大原みちるの追っかけである。
12時を少し回るころ、雲の後ろに身を潜めただらしない太陽に代わりステージに登場したのは太陽のような笑顔だった。開幕。誕生日なので当然の権利のようにパンを食べながら現れる。そして誕生日なので当然の権利のように食べながら挨拶をする。当然何を言っているのかは一切聞き取れなかったが、それで会場が盛り上がるあたりお互い流石だなと思った。
最初のコーナーは、昨年度の活躍を写真で振り返りつつ、トークするコーナーだ。正月の仕事について、写真には残っていないが巫女服を着ていたと発言し、会場に驚きと悲しみの入り混じった声が響いた。
続くコーナーは福井県のローカルクイズだ。が、会場のオタクの9割はnot福井県産であり、そのままでは難易度が高すぎるため、本日の主役がジェスチャーでヒントを出すシステムだった。図書館のモノマネが個人的にツボだった。
ライブ。ここ最近の新曲からいくつか歌っていた記憶。特筆すべき事は無かった。
シメ。濁ったバースデーソングの合唱に合わせて舞台袖から2m近い高さのケーキが登場した。入場時の暴れっぷりを忘れたように何食わぬ顔でお行儀良く一口。ケーキをガン見しつつ今年の抱負を述べ、閉幕となった。
何年も人間やってるとかなり辛くなることがまあまあな頻度であってその度絶望するので、人間ではない何か違うものになる妄想をよくしちゃう
今のところは樹になりたい
長生きな大きい樹
そんなに人気はないけど地元民にはなんだかんだ愛されてるみたいな樹になってボンヤリ成長して枯れたい
それ以外だと大きい入道雲とかになって、夏の午後、どこかの誰かに大きい雲だなぁ雨が降りそう、なんて一瞬思われた後、短い雨を降らせて、すごい雨だったねえなんて言われながら、終わったらそのまま蒸発して空に帰りたい
今すぐやめたいけどやめられないから、無理やりやりたいことを見つけてお金を稼がなきゃならない かなり大変じゃない?
今ちゃんと人間やってる人全員ものすごく偉くてすごい みんな自分を褒めたほうがいいよ…転生できないの実はかなりのハンデなので…
みんな知らなかったかもしれないけど…
僕は夏が嫌いだ
肌に絡みついてくるような湿気に5分歩いただけで汗をかく気温
本当に全部が嫌いだ
僕は昔は夏が好きだった
夏休みにはラジオ体操にいって、朝ごはんを食べたら野球をやって
お盆には田舎の祖母の家に行って、カブトムシやクワガタを取ったりしたな
畑の手伝いでキュウリやトマト、とうもろこしなんかも取って食べさせてもらってた
入道雲を見てはあの中はどうなってるんだろうなんて妄想してみたり、通り雨が来たら虹が出ていないか必死に探したり
自由研究は何をしようとか、暇な日は朝からスラムダンクやタッチの再放送を見たりして
一丁前に彼女が出来る年齢になったころには、浴衣を着てお祭りに行ったり、プールに行っちゃったりしてさ
夏になると毎日が楽しかった気がするのに、ふと気づくと夏が嫌いになっていた
あの頃に戻りたいとは思わないけど、あの頃のように夏を好きでいられたらよかったのに
最近アニメ業界の巨匠達が揃って青というか青空のイメージを使っている気がする
風たちぬも空の青がイメージカラーだし
バケモノの子のポスターも青空に入道雲でタイトルの色にも青を使っている
実写だが押井守のパトレイバー首都決戦では青空をバックにゲートブリッジの上に立つイングラムが印象的だし
Gのレコンギスタも青空を背景にしてラインダンスを踊っているEDだし、Gセルフは歴代の主役機に比べ青い部分が強調されたデザインだ
ついでにガルパンなんかも青空の下のイメージが強いし艦これは青い海のイメージだし
ラブライブは青い制服……というのはムリがあるがサンシャインではやはり青い空と青い海がメインビジュアルである
売れたきゃ青を使えと言っても良さそうな勢いである
思えばツイッターも青、フェイスブックも青、そしてこのはてな匿名ダイアリーも青である
そんなに人々は青を求めているのだろうか?