はてなキーワード: 通勤とは
迷っていることがある。
とある史跡の多い地域で育ったが、今はそこから車で1時間弱ぐらいの距離の田園地帯の中にある会社(工場)でSEやってる。(現在は自然豊かな場所にある賃貸で職住近接と言えなくはない生活を送っている。)
そこの社員は大半がいったん工場の近くから通う生活をするが、子供の進学を考えてどこかのタイミングで東西南北どっちかの方向の地方都市に移住する選択をする。
自分の出身地の付近もその選択肢の一つとして割と選ばれているような(というか自分もそうするつもりで働き始めた)のだが、
いざ移住先を検討し始めると、気持ちが他の候補地の方に傾いてしまいがちであることを発見してしまい戸惑いを隠せない。
昔は、「この町は史跡が多くてなかなか面白い風情だな」と思っていて
(いちばん長く過ごした場所ではあるが生まれた場所ではないし、物心ついた時は別の地方都市で暮らしていた)
将来またその場所で生活することを割と望んでいた。・・・が、勤務先との通勤距離のこともあって別な方角の地方都市を片っ端から比較のために調べてみていると、
出身地を積極的に選ぶ理由が意外と乏しいことが浮き彫りになってきた。
考えてみれば当然のことで、史跡まみれの町ということは大胆な都市計画ができなくて、さらに観光業っぽい地元の商店の既得権のせいで
郊外かごく限られた地域にしか新しめの商業施設が営業できない状態になっているし、鉄道や道路といったインフラも地元住民以外に観光客のためのものとして整備されていて
普通の生活が(そういうシガラミがない地域と比べると)なにげに不便なのだ。比べる対象を持っていなかった時には気にならなかったが具体的な比較をするとその弱点が際立ってしまう。
もちろん歴史上のエピソードに関連した場所が沢山あること自体はマイナスではないのだが、
その価値(すなわち日本の歴史を勉強する価値)は相対的に下がってきているのではないか・・・?という気持ちが沸くようになってきている。
端的に言うと、そんな優雅なことを守り伝えていく余裕は今後の日本にあるのか?という事への疑念が強くなってきてしまっていて、ただの不便な場所に見えてきているという話である。
(科学的な発見がされた場所とかならまだ良かったのだけど・・・)
いちおう土地勘があるとか友達も若干数いると言う利点はなくはないのだけど、
きれいな水と空気に囲まれた生活に慣れた後では、不便なくせに空気が汚い出身地に戻って住むことが大して魅力のない選択肢に映って仕方がない。
ただいずれ帰るという暗黙の了解のもと両親にはいろいろ支援してもらってしまっているし、今より実家が遠くなるのは良くないという認識はあるし、
地縁もないのに子供を会社周辺で育て続けることはとてもする気にならないので、どこかへの移住はすべきなのだと思っているが、
どうせなら合理的な街づくりができている所に住みたい気持ちがある。
通勤時間さえ長くて良いなら条件を満たす場所はなくはないが、通勤時間がかなり長くなるので即決できない。候補のバリエーションは以下のような感じで、一長一短である。
A:実家の割と近くで駅とショッピングモールの中間(古い住宅地で道路が狭く空気はよどみがち。通勤40分)
B:実家と同じ市町村の辺縁部でバブル後も開発が継続していた地域(商業施設が充実しており斜面が多いが道路は広くて空気も奇麗。通勤60分)
C:実家の隣の市町村で最近開発された大型分譲地(空気は奇麗で道路も広いが、切り開いた斜面であり地盤に不安。また将来ゴーストタウン化の懸念あり。通勤50分)
D:会社のあるところの隣の市町村(会社のある市町村よりはメジャーなチェーン店が多く来ていて道路も広い。人口は同等で実家からは30分ぐらい遠くなる。通勤30分)
E:実家とは別の方向の現在人口増加中の地方都市(大都市に近い場所であり利便性は格段に高いが、実家からの距離はやはり遠くなる。通勤40分)
F:実家とは反対方向の地方都市(県内の最大都市なので、利便性最重視の場所からゆったりとした郊外まで幅広い選択肢がある。実家からは当然遠い。通勤45分)
気持ちを整理するために書き出してみたが、やはり決心を付けづらい・・・。なお通勤はいずれも自家用車。体調的な理由で長時間運転は苦手なので40分以上かかるところはしんどいと思っている。
俺も「いつでも辞められる」と心に余裕を持つために通勤定期一か月ごとにしてる
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kansentaisaku_00001.html
<屋外>
○マスク着用を推奨
他者と身体的距離(2m以上を目安)が確保できない中で会話を行う場合のみです。
○それ以外の場面については、マスクの着用の必要はありません(例:公園での散歩やランニング、サイクリング/徒歩や自転車での通勤、屋外で人とすれ違う場面)。
特に夏場については、熱中症予防の観点から、屋外でマスクの必要のない場面では、マスクを外すことを推奨します。
<屋内>
他者と身体的距離が確保できて会話をほとんど行わない場合(例:距離を確保して行う図書館での読書、芸術鑑賞)のみ。
(屋外)
他者と身体的距離が確保できる場合(例:離れて行う運動や移動、鬼ごっこなど密にならない外遊び)や、他者と距離が確保できなくても会話をほとんど行わない場合(例:屋外で行う教育活動(自然観察・写生活動等))
(屋内)
他者と身体的距離が確保できて会話をほとんど行わない場合(例:個人で行う読書や調べたり考えたりする学習)
・2歳未満の子どもでは推奨されません。
・2歳以上の就学前の子どもについても、個々の発達の状況や体調等を踏まえる必要があることから、他者との身体的距離にかかわらず、マスク着用を一律には求めていません。
本人の体調がすぐれず持続的なマスクの着用が難しい場合は、無理に着用する必要はなく、特に夏場については、熱中症予防の観点から、屋外でマスクの必要のない場面では、マスクを外すことを推奨します。
多くの皆さんがテレワークに移行する中でも、
空いた電車は快適でしたが、
正直、もう全てが嫌だなと思うことも少なくありませんでした。
そんな毎日で、公共交通機関の皆さんのことを勝手に同志と思ってきました。
電車がガラガラでも、こうして遅くなっても家に帰ることができるのも
同じように変わらず働いているJRやメトロ、私鉄の皆さんあってこそです。
ありがとうございます。頑張りましょう。踏ん張りましょう。
そう思って今日までやってきました。
もう長く会っていませんでした。
ほんとうはよくない、と思いつつ
なんとか会えて、話せました。
涙が出そうでした。
経営的にも大変な中、
電車、飛行機に限らず公共交通機関を運行している皆さん、そして清掃含めそれを支える皆さん、本当にありがとうございます。
また大変になってきてしまいましたが、
お互いもう一踏ん張りしましょう。
体に気をつけてください。
こういう話する時って自分がどこに住んでて電車は主にどの辺使ってるとか明記してほしいんだよね。
そこまでベビーカーを邪魔くさいって感じるってことは首都圏民で東京の電車事情なんだろうけど。
それ以外の土地で東京レベルの電車の混み方するとこなんてごく一部しかないので、東京民のベビーカーへの悪感情って非東京民にはあんまわかんないんだよ。
そりゃ邪魔な時が皆無ではないが、別にそんなん人として許すべきやろって程度だし、そもそも場所的に許せる分が確保できる。
いや、わかるよ。お前も普段は内心どう思おうがきっとベビーカーにちゃんと気を遣った行動をしているのだろう。
でも時々言いたくなっちゃうわけだよね。
当たり前なんだけど一生バイトで食いつなぐのは無理じゃん。よっぽど実家に資産とかある場合を除いて。
だから、モチベって意味では「未来に対する危機感」しかないよ。
「慣れたバイトで職場の居心地が良かったので続けていたが、今後の自分の人生を真剣に考えて、正社員となって収入アップさせたいと考えた」
あたりになるだろう。
志望動機はなー、例えばパソコン操作に不安が無くて事務系を志望するなら、
「想定される業務は未経験だが、パソコン操作には全く不安が無く、エクセルでは簡単なVBA程度なら作成できるので、そういった自分のスキルを活かせると思った」
あたりかなー。
ぶっちゃけ言っちゃうと、スペシャリストな仕事を除いて、「求人内容見て自分に向いていると思った」 「自分のスキルを活かせそうだと思った」 「待遇がよさそう」以外の志望動機なんか無いんだよ。
じゃあ会社がなんで志望動機を聞いてくるのかっつーと、最低限その会社の研究してるかとか、求人内容をちゃんと把握した上で応募してるかとか、そーゆーとこを確認してるわけ。
とりあえずあなたはマジで通勤何分まで可能かで勤務地を絞り込んで、年収300万円以上・業種業界未経験可の会社の求人をたくさん見てみよう。
ざっくりではあるけど業務内容とか書いてあるから、見比べれば「これ良いな、これ嫌だな」てのが出てくるよ。
「これ良いな」て会社を20社くらいリストアップすれば、自分的になんとなくこれ良いなって思う理由みたいなのも見えてくる。
まずはそこまでやってみようぜ。
喉が痛い
咽頭痛というらしい
喉が相変わらず痛い
ダルいので一日横になっていた
喉が痛い
倒れ込みたい気分に侵されながらも仕事をしていたが全く進んでいない。
定時になり速攻で帰宅。
みこちは万病に効く。
「実家で自分の子供部屋で生活する成人男性/女性」という定義だそうだが、就職して実家から通勤するだけのことが何かそんなにも問題なのだろうか?
実家から通勤できるのにわざわざ住まいを買ったり借りたりして1人暮らしをするのは、経済的に非合理ではないのだろうか。
実家から通勤する「こどおじ/こどおば」の収入で実家の家計が成り立っているような場合だってあるのではないだろうか。
「引きこもり」のような事態になるのは、親元を離れて家を買って"独立"し、その自宅の中でだってなり得ることではないのだろうか。
「こどおじ/こどおば」の何がそんなにも問題なのかがわからなかった。
言い換えると、「こどおじ/こどおば」という言葉を使いたがる人たちは、一体何をそんなにも問題にしたがっているのだろうか。
40過ぎて結婚せず、実家で暮らしている(家にお金は入れている)私も「こどおじ」だな。
ただし、うちはワケあって実家が借家だから毎月の家賃が必要で、それこそ別々に暮らすことは経済的に非合理でしかない(1箇所に固まって暮らしたほうが生活費が抑えられる)、という事情がある。