はてなキーワード: 理想論とは
とにかく、凄い守銭奴だったんだな
しかも経営が下手、一瞬で金を溶かす低い経営能力、金遣いの荒さ、自分の店員に給与を未払い、運転資金があっという間に底を付く…
客に愚痴として、運転資金が…、みたいなことを言っていたことは容易に予想できる
加害者はそこでお金を出すよ、助かるー、みたいな軽いノリの話だったのではなないか(少なくとも被害者側の感覚では
なにしろ、被害者は店の経営を継続することや、新規出店することしか頭にない
そういう上昇志向だけで足元やリスクを見ない駄目な経営者だったのは明らかだと思う
しかし、加害者側が出した数千万のお金さえも一瞬で溶かしてしまう被害者の経営手腕
そんな状況で勘違いした加害者がプライベートにまで入り込もうとするので、邪険にするようになり加害者が店内で暴力沙汰
出禁にするも、金を返せとしつこかったので、ストーカー規制にした…
そのうえ、最初は自分の経営能力の低さで運転資金を枯渇させたのに、閉店をすべてストーカーのせいにする始末…
理想論だが、彼女が経営能力が高ければ、こうはならなかったのではないか?
議論が白熱してるけど、落ち着いてほしい。
連中が多数いることについては、理解してるよね。
ソイツらが、性加害フィクションに影響されて「嫌がってる女で喜ぶのはオレだけじゃなかったんだ」
女性たちは、それを想定して恐怖してんの。
で、
って言ってる人たちがチラホラと散見される。
そんな人たちに聞きたい。
生成AI自体を合法のままで野放しにしてたら、現実の女子中学生が男子によって裸に剥かれる。
これは既にアメリカで問題になってて、普通のピンナップ写真からクラスメイトの女子のヌードが生成されてる。シェアされたのが発覚して初めて問題になった。
目の前で交通事故が起きた時に率先して助ける人って少数派だと思うんだけど、Twitterではそういう人間を非難する声が多数派でビビる。
もちろん、見て見ぬ振りを擁護したら叩かれるに決まってるから、擁護派は何も言わないというのもあるんだろう。それにしても満場一致でその意見だから怖い。
いちいち助けていたら、電車を逃すかもしれないし、講義に遅れるかもしれない。大事な会議に人助けで遅れましたと言って、苦い顔をされる未来を想像するかもしれない。単純に労力もかかる。
そして、その割にメリットには少ない。それに、助けなくても罰則が下ったりしないし、他の誰か様がやってくれるかもしれない。
ただ、見て見ぬ振りをするのは冷たい事で、どちらかと言うと悪い事だというのは事実だと思う。
でも、だからと言ってこの件に関しては、理想論だけで人を叩くのは少し想像力が足りないと思わざるおえない。
長々書いたけど、助けるのが普通っていう認識がガチの多数派なら土下座します。
あと、そういう風潮の方が実際に助ける人が少しは増えそうだから良いよねっていうのはそうだと思う。
Twitterとか見てても、結局相手の人格否定、強い言葉が流れてきて、減ることがまったくない。
良くないことですよ、ってことは丹念に言われているだろうに、なにかの論陣を張るにあたって、得てして人格否定が皮肉を混じらせようと出てくることが多い。
どれだけ賢い人でも、党派性がどこにあっても、結局人格否定が行われることが多く、それが何らかの論を肯定させるにあたって有益とはならない、ということが前提であると一般には言われているはずなのに、止むことがない。
だとすれば、やはり対象の人格を否定することは何らかを論じるにあたって有益だからなのだろうか。
対象の論理ではなく人格を蔑んだり否定したりすることによって、周囲の肯定を得ることができたり、味方を増やすことができたりするから、こうした人格否定はやはり有益で、減らすことができないのだろうか。
だとすれば、いちいち人格否定はよくない、ということ自体が利益背反で、無駄なことだと言えるように思う。
ただ、得てして何らかの論での賛否を争うにあたって、Twitterなんかではその論が稚拙になりがちな相手の側を、お互いに人格否定し合う、といったような論の賛否とはかけ離れたイメージ戦略的なものに落ち込み、結局のところ論理的というより政治的な争いになっていくように思う。
勝手な印象として、論をお互いにすり合わせ適切な落とし所を見つけることが大事なように思うのだが、得てしてそんな理想論よりは、適切に相手を貶めて政治的勝利を目指すほうがやはり目的達成のため合理的と判断されることも宜なるかなと思うので、やはり人格否定も有効な手段として減少することは期待すべきではないのだろうな、と思う。
世間一般と比べて割と現代的・進歩的な考え方が尊ばれる事が多い(と俺は信じてる)はてなでこの増田みたいな言説にそれなりの賛同が集まるのは単に概念が知られてないだけなんじゃないか?と思ったので書く
この冒頭20字足らずの時点で、合理的配慮を車椅子ユーザーに対するサービスだと思っていて、言い換えると障害者=受益者だと思ってるだろ。これは「障害」を障害者個人が持つマイナス特性だと捉える「個人モデル」というヤツで、20世紀に廃れた考え方なのよ
一方、日本を含む今の国際社会は障害を「社会モデル」で考えるのが常識なのね。一言でいうと、「社会が“五体満足で定型発達な健常者”向けにできてる」ために、それ以外の人が不利益を被ってる状態が「障害」の正体だ。例えば仮に、街に段差や隘路が全く無かったとしたら、車椅子ユーザーであることに何の障害も無いだろ
彼ら障害者が特別なサービスを受けて優遇されるわけじゃない。俺ら健常者が「既に特別なサービスを受けて優遇されてる」のよ。俺らが既に受けてるサービスから排除されてきた人らに対して、遅ればせながら可能な限り穴埋めしますよ、と。これが合理的配慮なわけ
そうは言っても現実に金も人も有限じゃないか? 社会の整備にコストが掛からんわけないだろ。少なくとも、「障害者に対して割くコスト」って考えを止めろ。それは「社会に対して割くコスト」であって、個人に関連づけて言うなら「健常者がこれまでに得た利益の還元」だ。自分の考えを変えるのにコストは掛からん。今すぐ変えろ
この増田だけじゃない。本件に関して「サービスを受けたら“ありがとう”を言うのが常識だろ」とか言ってる君ら全員これだぞ。彼らに「ありがとう」を言わせる前に、俺らが社会に対して「健常者を優遇してくれて“ありがとう”」と言わなきゃならんし、障害者に対して「健常者ばかり優遇されて“ごめんなさい”」と言わなきゃならん。「ありがとう」「ごめんなさい」はコミュニケーションの基本だとか言ってる君らは当然言うよな?
そりゃ理念は理念だよ。理想論的な部分もあるだろうさ。でも、現場ですぐに実現できないからといって考え方まで現状維持を是とするのは現実主義でも何でもない、単なる知的怠惰だろ?
何かまとまらないので、障害の「社会モデル」の考え方についての真面目な説明は首相官邸のページとか見て下さい
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf
具体的でわかりやすい例示はこのへんとか
車椅子やら障害者に対して割けるリソースって「有限」なんですよね
お金でも人手でも資材でもさ
なんならこれからの人口動態見ればむしろリソースはどんどん少なくなる
貴方たちみたいにソフトを変えればとかPCを変えればとかそんな簡単な話じゃないんですよ?
頓智を聞かせてうまいこと言えば社会が良くなるという思い込みをいい加減やめてください
案の定ブクマカ見たら自分は絶対その業務に携わらないのをいいことに理想論が溢れてて笑っちゃいましたねえ
こいつらがリモートワークで自分は絶対安全な位置にいながらエッセンシャルワーカーを使い倒してたのおれは忘れてませんよw
https://blog.tinect.jp/?p=84796
メンバー同士を繋ぎ合わせてコミュニケーションを重視するネットワーク型リーダーについて語ってくれているけど
社会の掃き溜めに来るような人間が人並み以上の能力なんて持っているわけがない
「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」精神が通用する恵まれた環境で良かったですね
クソ零細企業はクソウンコ人材を採用するかしないかの選択肢しかありません
国が甘々なルールを作って、「これより厳しいルールはダメよ」って言ってる状態
>それでも相手がわかってくれない、もしくは改善できる状態になければ、クビにする必要もある。
改善できるかできないかを決めるのが労働者に激甘なお国様なので実質クビに出来ない
記事内の「クビ」が何を指しているのかは知らんけど