はてなキーワード: ベーゴマとは
ベイブレードって2000年代初頭が全盛期で、要するにゆとり世代にドストライクなんだよね
そんで、ゆとり世代が「懐かしーw」みたいに動画上げてんの、いやお前それで遊んでたのほんの10年ちょい前じゃんって突っ込みたくなる
そもそもだけど、ベーゴマの紐の巻き方というクリティカルな要素を回避させてるの、マジでゆとり向けって感じだよな
奥深さなんか全然なくて、数年おきにシリーズ刷新して新たなキッズを呼び込んでるだけ
大人がハマるような要素はまったくない、薄っぺらいおもちゃじゃねえか
で、さらにムカつくのが、そういうベイブレード系Youtuberってセットでミニ四駆やってたりするんだよな
「懐かしーw」とか言って、いやいや、お前らゆとりがガキの頃ってミニ四駆暗黒期だったじゃねえか
ミニ四駆の全盛期は30〜25年前なんだよ
んで「レツゴー見てましたw」じゃねーんだよ
幼稚園の頃アニメ見てたからってミニ四駆やってた気になるんじゃねえよ
ジャパンカップに往復はがき送って、落選してガッカリした経験ないだろ?
そもそも遊びとしての奥深さが、ベイブレードとミニ四駆じゃ段違いなんだよ
まあそんなわけで、ベイブレードとミニ四駆を一緒くたにして「懐かしおもちゃ」みたいに
雑に扱うベイブレード系Youtuberが嫌いだし、そのせいでベイブレードも嫌いです
ベイブレードやったことないけど子供に買ってやろうとも思わんわ
異論は認めるが俺の信念は変わらない
ちなみに私はミニ四駆増田ではない。ミニ四駆増田にウザ絡みして遊んだことはあるけどな
レトロゲームの偽物がここ数年通販サイトなどで目立ってきている。
本稿ではその原因や、「偽物の質」の紹介、偽物の販売方法、買い手側の対策と反応あたりを主軸に語ってみたい。
なお私の専門分野はファミコンカセットのみであり、レトロゲーム全般としては事実と齟齬があったり記述が不十分である可能性がある。ご海容いただきたい。また不備を指摘していただけたらありがたい。
発売から数十年が経過し、ソフトの評価が定まり、さらに希少性も高まっている。
特に、箱や説明書がついている状態のいいものは値段が跳ね上がる傾向がある。
「悪い嘘」「優しい嘘」があるように、偽物にもいろいろなパターンがある。
一般流通していたファミコンで一番高価な『サマーカーニバル92烈火』の偽物は2010年代後半からアジア圏からやってきている。
上述の通り完全品となると値段が跳ね上がるため、箱と説明書と付属の葉書などを偽造するもの。
全部偽造のものもあれば、中身のソフトだけ本物で入れ物その他を偽造するパターンがあるようだ。
後者は、ゲーム芸人フジタという人物がyoutubeで紹介している。
お察しの方も多いかもしれないが、ヤフオク・メルカリあたりが「主戦場」になる。
具体的にはあげないけれども、悪名高い出品者が名前を変えながら活動している(悪名高いのに名前変わるのは変かもしれないが)。
2ch5chにレトロゲームの偽物に関する情報スレがあるので気になる方は見てみると良いだろう。
偽物を買わないようにすることと表裏一体になっている。
よくわからない話だが、本物より安い。コピー商品であることの言い逃れになるのだろうか。
これも言い逃れのために書いている。値段の安さとセットになっており、ある種「誠実」と言える。
もちろん、偽物(データをコピーしたもの)を売るのはどうかとも思うが、後述の、買い手側の「プレイできればそれでいい」という問題につながる。
この辺りは普段鍛えているであろう各自のインターネット筋力が試されるところ。
本稿では深入りしない。
個別のソフトには、もちろん本物と偽物とを見分けるポイントがある。わかりやすいもので言うと、カセットの形状が異なるものがある。
他にラベルのデザインなどで違いを見つけられればよいのだが、実は、違いを指摘してネットで情報発信すればするほど、対策を促してしまうと言う問題がある。
昨今、偽物への注意を促す文章がネット上にも増えてきたがあえてこうした見分け方を書かない場合も多いようだ。
スーパーファミコンはここ数年で地獄の様相を呈しており、中の基盤のニンテンドーのロゴまでも偽造したソフトがあるらしい。
今までは中を見たら一目瞭然だったものが、これで本格的に区別がつかなくなってきているそうだ。
これらはかなり大切なムーブで、お店はプライド持って販売している。偽物売ったら評判が下がる。本当に迷ったらぶっちゃけ駿河屋で買った方がいいに決まっている。
竹馬やベーゴマと違い、テレビゲームはゲームの情報こそが本質だ。そして、テレビゲームではその本質が容易にコピーできてしまう。
偽物でも遊べてしまう。ここに、偽物販売が蔓延する裾野がある。そして頂にはプレミアソフトの偽造の問題がある。
俺はもちろん現物を取り扱ってこそだと思うけれども、エミュレーターの問題なども絡んで、とても難しい問題と思っている。
・レトロゲームソフトは増えないのだから、希少性は増すばかりで、すなわち偽物は増え続けるものと思う。
・普通は商品価値の下がる「カセット背面への名前の書き込み」「ラベルの剥がれ」などは、今後逆にそのソフトが純正品であることの証左となり、むしろこっちの方が値段が高まるかもしれないとも感じている。
食べ物は買ってはいけないと親に厳しく言われていたから駄菓子そのものへの思い出はとても少ない。
駄菓子屋がなくなったらどこで手に入るのかわからないものばかり。何円で売られていたのかはほとんど忘れてしまった。辛うじて覚えているのはシャボン玉液の30円とメンコは5枚で20円だったことくらい。
この前母が、友達から「子供の国語力を上げるにはどうしたら良いか」という相談を受けたと話してきた。詳しく聞くと、母のその友達は某英数国教室の先生で、小学生の国語の教え方について悩んでいるらしい。母は本を読ませることを勧めたが、友達曰く「子供は中々読んでくれない」とのこと。
まぁ母との会話は結局ここで終わったのだが。
その後、私はふと「読書が億劫ならその前段階として漫画を読みまくれば、少しは読書のハードルが下がるのでは?」と思った。
何故なら漫画で「描かれてない部分」を想像することに慣れれば、本の文章を元に1から物語を想像することも出来るようになるかもしれないからだ。
何言ってるか我ながら分かりにくいので詳しく説明する。本は全て文章で構成されているのに対し(挿絵などの僅かな絵はあるが)、漫画は絵とセリフ(文章)で構成されている。しかし漫画の絵は全てを説明しない。例えば『「俺のせいで負けたんだ…」という台詞』と「キャラクターの握り拳だけが描かれている」コマの場合、読者はセリフと拳の絵を元に、読者はキャラクターの苦悩の表情や感情を想像する。また、スポーツ漫画にも想像力は必要だ。漫画はアニメみたいに動かない。そのため試合場面も静止画と効果音で表現される。それをあたかも実際に躍動感ある場面(球技のパスの攻防とか)として読めるのは、読者に「スポーツの知識」と「静止画から動きを想像する力」があるからである。読者にどちらかが欠けていると、その人にとっては「ただ人がいっぱいわちゃわちゃしてるだけのよく分からない漫画」となってしまうだろう。その辺は作家の表現力にも左右されるが。
書いてて思い出したが、2005年くらいのジャンプでハンターハンターのキメラアント編を読んでいた時も、ほぼ下書き状態の絵とコマに散りばめられた文章から物語や情景を想像していた。コミックスで美麗な絵になっていた時は感動した。
まとめると漫画を読む時、読者は自然に書かれていない部分を想像しているということである。
実写ドラマやアニメなどの映像作品だと、漫画と違い文章は読まない。漫画の方が本を読むことには近いため、読書の前段階には相応しいやうに思う。しかも漫画なら読むことに抵抗のない子供も多いのではないか。0から読書に興味を持たせるのは難しいが、漫画から読書に興味を持たせるのはまだマシな難易度だと思う。漫画のノベライズとかあるし。そうして徐々に小説の名作にも触れていってくれるのが理想だ。日本には漫画も小説も面白いものがいっぱいある。
特にジャンプなんかは今なら遊戯王もハンターも載るし良いと思うぞ!
後漫画って雑学や普段使わない言葉が覚えられるからその点でも子供の時読むのいいと思う。
小学校の頃、図書館にあったこち亀で初めてGIジョーとかベーゴマとかGショックとかときメモとか酒の密造方法とかの存在知ったなぁ懐かしい。
mixiがFBやtwitter、Lineにとってかわったのは、webサービスとしてうんぬんはおいておいて、どれもアドレス帳の読み込み機能が大きかったのではないかとおもう。
webサービスはどれもユーザーの乗り換えコストがかかりにくいから、いいサイト、安いサイトなどができればすぐにユーザーはうつってしまう。
その中でもSNSは友人がいるから簡単にはつぶれないと思われていたが、アドレス帳の読み込みという方法は日本のサービスでは個人情報の問題などもあったのでやらなかった、でおくれたのではないかと思う。
その点、海外のSNSやサービスはFBあたりから、気持ち悪いくらいにgoogleとyahooのアドレスとパスワードを入れるように執拗にログイン画面で出てくるものがあって、FBも海外の友人とやりとりするのに最初は仕方なくつかっていたものだったが。
スマホの普及とともに突如日本人からの申請が多くなってきた、それもどこで見つけたのかわからない昔の友人から。
それともちろんゲームも大きかった。友人とのコミュニケーションとゲームって要するに依存症の気質をもっと人を効率的に集められたことが大きい。
ソーシャルゲームが下火になりつつあるが、割とこの方向性は人間の本質をついているので、真人間のアクティブユーザーは減るかもしれないが、ユーザーは一定割合残るだろう。
そして、また次の世代が同じようなサービスにはまって、それが新しいサービスでこれからの波だといってもてはやされてすたれていく。
SNSだってソシャゲーだって、要するにパソコン通信とゲームボーイの焼き直しだろ?もっと戻れば雑誌の読者欄や交換日記とメンコとベーゴマだろ?
おまえらが、おじいちゃんになったら、サムスン博物館とかでLineのモックが展示されてて、おじいちゃん昔このスタンプでよく遊んだなぁとか懐かしがるんだろ。
そんな感じじゃないかな?